平成14(2002)年 4月の記録(新しい日付けの順)

平成14年4月26日(金)〜4月30日(火)

 もうゴールデンウイークとか大型連休なんて関係が無いのだが、何となくウキウキするのは何故だろうか。
 
 ここ数日、急に田んぼが賑やかになった。
 
 27日に志賀さんが川からポンプで田に水を引き始めた。粗起しが済んだ田に勢い良く水が入り始め、見る見るうちに田に水面が広がり始めた。さあ田植えシーズン到来だという気分になる。

 ある程度田に水が入るとトラクターで代掻きをする、都合二回代掻きをするとの事、志賀さんも田に水が入りだすとやはり嬉しいよということだった。

 このあたりでは志賀さんの田植えの準備は早いほうで、他の農作業との兼ね合いもあって他よりも早く田植えの準備を始めたそうだが、あと数日もすると周り中の田んぼが賑やかになるよとの事であった。

 志賀さんの田んぼが我が家の周りを囲んでいるので、二日後には全部の田に水が入り、代掻きも終わって、キラキラ光る水面には、空や周りの景色が溶け込んで天と地が二倍になった。ツバメが水面すれすれを飛び交い、カエルが一斉に鳴き始め、我が家もまるで水に浮かんでいるように見える。

 今日は小生も、午後から雨との予報により、耕運機運転や畝立てに汗を流したが、夕方までに雨は降らず、どうやら雨は明日のようである。
平成14年4月21日(日)〜4月25日(木)

 日曜日に、里帰りをしていたカミサンを空港に出迎ての帰り道、スーパーで「シャク」を発見。

「シャク」とは何ぞや?

 以前、当地の従兄姉達との話の中で「シャク」が美味いという話が出て、一度お目にかかりたかったシロモノである。

 その時の話から判断すると「シャコ」のようなので、多分熊本地方の方言だろうと思ったのだが、シャコとは違うと言うことだった。

 確かにシャコとは違った。インターネットでいくら調べても分からず、後日あるBBSでその事を質問したら、早速教えてくれる人がいて、「穴ジャコ」のことだそうで、どうもヤドカリの親戚らしい。

 言われてみれば確かにヤドカリである、ヤドカリと言ってもザリカニくらいのサイズはある。そう言えば昔、このくらいの大きさのものは磯釣りの餌で使った記憶がある、インターネットで検索をしてみると沢山検索結果が出来て写真入で説明があった、間違いない。

 干潟の穴の中にいるのを誘い出して少し変わった道具で釣り上げるようで、テンプラやから揚げにして食べると美味いそうだ。

 小生が買ってきたものは既に茹でてあって、そのままポン酢なんかで食べるらしく、家族で早速試してみたが、その時点では素性がハッキリしなくて、何となく気味の悪さ?が先に立ってシミジミ味わう余裕が無かった。

 こちらに来てから、とにかく色々な食文化の違いには新鮮な驚きを覚える。
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 またまた新兵器の導入である、それは「刈払機」、つまり電動の雑草刈機である。

 春になって草花の成長の勢いが急で、先日まで枯草だったと思っていた周囲の土手にあっという間に雑草が生い茂ってしまい、家の周辺のあちこちでも田植えの準備で刈払機が活躍しているのを見て我が家でも買ったのだ。

 長い棒状のパイプの先にガソリンエンジンでグルグル回る円盤状の刃が付いたものを肩からの紐で吊るして、バランスをとりながら左右にスイングして草を刈っていくのである。

 見る見るうちに雑草が刈り取られていく、昔は鎌でやっていたのだろうが随分便利なものである。

 野焼きが終わったときには黒々としていた阿蘇の原野も、黒い地面をバックに新しい緑が一斉に芽吹きはじめ、真夏には草木同士の区別がつかなくなるほど皆深い緑一色になってしまうが、今の時期にはそれぞれの草や木が各々のペースでその姿を緑色に変えていくので、同じ緑色でもそれぞれ緑の色合いや度合いが違っていて、山肌が実に複雑な濃淡の緑に覆われている、それに赤や黄色の花が加わって、「山笑う春」という表現がまさにピッタリの時期である。

 タケノコもあっという間に丈が伸びて、その成長の早さには驚かされる。タケノコの成長を定点観測カメラで記録して発信したら面白かっただろうにと、今にして思えば少々残念である、来年にはひとつ挑戦してみよう。

 季節の変わり目の椿事。昨日の朝ストーブの灰を掃除しようと思って前面の扉を開けたところ、突然何かが飛び出してきて一瞬ギョッとした。だった。煙突から落ちたのだ。

 今までは終日ストーブを焚いていたが、ここのところ焚かない時が多く、煙も熱気も感じなかったので間違って入り込んだのかも。
 
 本日、運転免許の更新に菊陽町の運転免許センターに行く、最近出来たセンターで非常に大きくて広い施設である。

 運転免許センターで更新するのは初めてで、向こうにいた時の近くの警察での更新手続きと大いに違っていて驚いた。

 免許取得以来40年近く無事故無違反(無違反ということは決して無いのだが)なので当然優良運転手、ゴールドカードである、運転が上手いということではなく、唯々運が良かったというだけだと思う。

平成14年4月19日(金)〜20日(土)

 両日に渡ってK建設機械メーカー主催の「小型車両系建設機械運転業務特別教育」を受けてきたのである。

 敷地内の整地や穴掘りなどで小型の油圧ショベルを運転したかったからである。
 
 特別教育というのは、簡単に言うと、労働安全衛生関係法令に、職場でこのような機械を操作する場合には受けさせなければならないとされているもので、従って個人が畑や庭で使う分には必要の無いものらしく、そういうことでは小生には一向必要がないのであるが、レンタルする場合に無ければ貸してくれないとの事でもあるし、何と言っても危険な代物なので基礎はちゃんとやっとおこうと思って受講したのである。

 油圧ショベルとは俗に<ユンボ>と言われるもので、その昔、三菱がフランスのユンボ社の製品をライセンス生産していたことに因るらしい。化学調味料を<味の素>、セロハンテープを<セロテープ>、ステープラーを<ホッチキス>と言うが如し、NHKでは使えない言葉か。

閑話休題。

 一日目は学科教習である。会場はフードパル熊本<http://www.foodpal.net/>の会議室である。

 ここは、言ってみれば市郊外の丘陵地帯にある「食品工業団地」であるのだが、テーマパーク的なコンセプトで作ってあって、広大な芝生の中に様々なデザインの建物が配置してあって、レストランや売店や、多分試食試飲付きで工場見学なども出来るのであろう、「食品」が頭に付かない工業団地とはイメージが全く違ってなかなか楽しそうな所である。

 受講生は70名近くで、ほとんどが会社から派遣されてきた人たちで、中に小生のような者も何名かいた。

 午前9時半開講で夕刻の終了、法令と構造などのレクチャーがあり、最後にペーパーテストがあった。合否には関係が無いとの事ではあったが久しぶりの試験に緊張した。

 二日目は前日の快晴とは打って変わって小雨降る中、会場を別に移して建築会社の敷地内での実技講習である。
 
 機械が三台で、且つ駐車場の関係で早番、遅番に分け受講することになった。
 
 小生は早番で、朝7時半スタートになったのだが、5時半に家を出て6時半過ぎに一番乗りして、全くの未経験で皆の足を引っ張ると悪いので少し早くやって欲しいと顔を出した係りの人に頼んだら、それではやりましょうと時間前にスタートしてくれて実にスムースに受講することが出来た。

 重機を動かすというのは実に快感である、かくして、その日のうちに成績優秀?で終了証を手にしたのである。これで3トン未満のパワーショベルとブルとーザーを運転できるのである。
平成14年4月17日(水)〜18日(木)

 珍客を迎える。昨年まで居た会社の昔の上司であり大先輩の大友さんである。

 前日突然電話があり、いま関門海峡を越えて九州に入ったのだが、明日阿蘇を通って高千穂のほうに抜けるので、ちょっと寄るとの連絡が入ったのである。

 昼過ぎに阿蘇神社に着いた旨の電話が入ったので迎えに行くと、所帯道具?一式を積み込んだ車の傍に十数年振りの大友さんの姿があった。

 驚いたことに、独りで13日に東京を出て、基本的には一般道路だけを走って、夜だけ高速道路のサービスエリアに車を停めて寝袋で寝てきたとの事。小生も何度も野宿の旅はしたが、ずっと野宿だけということは無かった。現在75歳だそうで、定年後に免許をとって、今の車が三台目とのこと、その元気なことにはただただ頭が下がる思いである。

 数年前に大病を患い、幸なことに元気になったので、そんなこともあって現在はボランティア活動で高齢者や体にハンディのある人の送迎などをやっているそうである、とにかく元気な人である。

 素通りの予定のところを無理を言って泊まっていただいて久しぶりに昔話に花が咲いた。
 
 毎日、奥様に定時連絡を入れながら、これから南下して、高千穂、椎葉の方を回って、さらに海岸部に出て、長崎に渡って佐賀を通って北上して、本州に渡ってからは日本海側を走って帰っていくそうで、まだルートも決めておらず、足の向くまま、気の向くまま、あと何日掛かるか分からないよ、と言って元気に発っていかれた、羨ましい限りである。同時にその元気さには本当に勇気づけられる思いがした、これからの旅の安全を祈るばかりである。
4月9日(火)〜16日(火)

 11日(木)に尾張の国から浅山哲兄と宮越涼が大阪〜別府間フェリーで肥後の国にやって来た

 もともと熊本出身の哲兄は翌日から知己を訪ねての別行動、涼のみ我が家に数日滞在

 弟の暖の訪問の時に比べて好天に恵まれ、我が家定番コースの阿蘇火口も覗くことが出来た、また、涼一人、冬場を除く毎週末、祝祭日に熊本〜宮地間を走る「SLあそBOY」で熊本までの小旅行も満喫したようだ(我々も車内に入ったり機関車をバックに記念撮影をしたり童心に帰る)、その他に矢部町の通潤橋までドライブもした。

 遠出をしないときには、薪割り、チェーンソーの操作、耕運機の運転、畝作り、作付け、タケノコ堀り等々の体験学習?で汗を流し、普段の不規則な生活で溜まった垢を洗い流していた、裏の山に登って墓掃除もやってくれた。
 
 15日には間もなく水俣を去る滉兄の家を訪ねる涼を水俣まで送って行く。ここで涼と哲兄は落ち合って一緒に帰るのである。

 16日に水俣で泊まった哲兄と涼は、早朝、この地で名物の太刀魚釣りに挑戦して大漁の釣果を上げて、昼頃わざわざ阿蘇に寄ってくれ、我が家で一息入れてから別府経由で来るときと同じフェリーで帰っていった、帰るときに太刀魚と交換に?タケノコを掘っていった。
 
 哲兄は7月から2年間の予定で、またまた(さらに「また」がもっと付くかもしれない)農業指導のためブラジルに渡ることになっており、とことん南米の好きな男である、また元気で会えることを祈る。

 同日、カミサンは昼前に数日間の里帰りで熊本空港から飛び立って行った、しばらくは婆様と二人暮しだ。

 今週の作付けは、ほうれん草やスイカやズッキーニその他色々手当たり次第。

平成14年 4月 8日(月)

 概ね晴れ。

 午前中、大津のナフコに足場用パイプを買いに行く。2mもの10本、1mもの10本、クランプ30個入り一箱、ベース4個。これらで家の隅にパイプを組んで収納庫もどきを作ろうというのである。

 いろいろ周囲に聞いた結果、素人がいきなり米作りなど出来ないことが分かったので、志賀昭久さんのお宅に伺って、勝手を言って申し訳ないが田んぼを今年も使ってもらって、志賀さんに必要な米を取ってもらい、残りを我が家に頂戴できないかとお願いして承知していただく。

 図らずも今日は田植えの準備の一つである化成肥料撒きをトラクターでやる日だったようで、早速午後、家の周囲でにぎやかに機械が動き始め、我が家の田にも肥料撒きに来てくれてホッとした。

 先日植えたジャガイモがもうを出していることが分かったので、マルチに穴を開けて、芽を明るいところ、大気中(変な表現だが)に出してやった。

 植える時には、先に畝にマルチを被せてから穴を開けて、そこに種を蒔く方法と、先に種を蒔いてから、その上にマルチを被せる方法があって、後者の場合は、芽が出て内側からマルチを突っつくようになったら、その部分に穴を開けて芽を外に出してやるのである、我が家ではこの方法を採った。

 じつはもっと先だろうと思っていたので芽が出ていることに気がつかなかったのだが、サイ子さんが顔を出してもう出ているよと見つけてくれたのである、素人の農業でもちゃんと芽を出してくれて嬉しい限りである、天の恵みである。

 本日の作付け、時無しニンジン、春蒔き大根。
平成14年 4月 5日(金)

 クマの散歩の途中、路上でバッグの拾得、どうも県外の観光客のものらしいので一の宮署に届け出る。

 ここのところ晴天続きで畑の土が渇き気味、一雨欲しいところだ。いままでは余程の渇水でもない限り晴天続きは大歓迎だったが、畑をやるようになって一丁前にそんなことが気に掛かるようになった、どうやら明日は一雨来そうだ。

 敷地内が未整理で大きな石の移動や整地など機械力に頼りたいところだが、そのたびに外部に頼むわけに行かず、この先もいろいろ必要になるだろうから、この際自分でやってしまえと、ミニユンボなどの資格取得についてインターネットで調べたところ、市内の建設機械メーカーが実施する小型車両系建設機械の特別教育が4月下旬に実施されることが分かり早速申し込むことにした。
平成14年 4月 4日(木)

 快晴しかも5月の気温だったらしい、暑かった。
 
 午前中タケノコが地面から顔を出しているのを発見する、といっても教えてもらってのこと。

 佐藤建設の人が浄化槽周りの陥没を埋めるために来た際に気がついて教えてくれたのである。

 改めて探してみるとあちこち数箇所頭を出しているではないか、昨日は無かったような気がする、気がつかなかったのかなあ、やはり感激である、竹薮の外周から、しかも日当たりの良い所から顔を出すそうだ、さっそく掘り起こした
 
 夕飯は当然タケノコご飯である、まさに採れ採れこれほどの贅沢は無い、柔らかくて美味かった、当分の間楽しめそうだ。

 農作業、今日は枝豆の作付けをした。

平成14年 4月 3日(水)

 天気、まあ晴れ。
 
 サトイモの作付けをする。種芋の数、約100個。芋と芋の間隔を35cmに設定して、18mの畝を二本立てた。

 今回は基本に忠実に紐を張って畝が曲がらないように、かつ35cmの定規を作って等間隔に植えるようにした。

 芋と芋の間に元肥として牛糞と化成肥料を入れた。和尚はマルチは必要ないとのことだったが、周囲のいつもの師匠たちは皆マルチングをしているのでここはそれに倣う。

 昼食をはさんで2時過ぎに作業完了、ほっと見回すといつの間にか庭の柿の木が芽吹いていた。

平成14年 4月 2日(火)

 天候晴れ
  
 先日渡辺アキ子さんからサトイモの種芋を頂戴したので、作付けの準備に掛かる。
 
 何も考えずに先日植えたジャガイモの横を耕運機で耕していると、渡辺アキ子さんがやって来て、出来ればそんな真中でなくて端の方が良いと言う、理由を尋ねると、サトイモは収穫の時期が遅いので、ジャガイモが終わった後に高菜を植えようとしてもサトイモの所が使えないよ、とのこと、なるほど連作障害だけでなく収穫期と次に植える作物の事も考えなくてはならないのだ。

 本を読んだりして予習のうえ円通寺の静之和尚を訪ねると、やはり本と同じようなことを教えてくださる。

 種芋が100個余りあるので、40cm間隔で植えるとして約40mの畝が要ることになる、明日畝立てをすることにする。

昨年秋の初農作業で植えた白菜も、とうとう結実することなく見事に?花が咲いてしまい、周囲の鋤いてしまえという声をよそに未練がましく残しておいたのだが、今日の畑仕事の際に思い切って鋤き込んでしまった。もともと苗を買ってきて植えた時期が既に白菜の収穫時期に入っていたので周囲から今から植えても遅いよと言われたのにもかかわらず植えた結果である。では何故あの時期に苗を売っていたのだろうか。

 高菜にしても植えたものは育たず、先シーズンのこぼれた種から勝手に生えたものがあちこちに大きく成長して立派な花をつけている、小生は花作りの名人か?白菜の花高菜の花も同じアブラナ科なので見たところそっくりである。

平成14年 4月 1日(月)

 今日から娑婆では新年度か、はや遠い世界の出来事である。
 
 朝起きて外を見ると深い霧、家族をたたき起こして城山展望所へ、予想通りの雲海であった。

 時間が少し遅く、太陽が既に昇っていて若干逆光気味で視界は良好とは言えなかったが、久しぶりの雲海を堪能した。

 城山展望所がある外輪山の山頂もウグイスが鳴き、菜の花が咲き乱れ桜が開き始めていた。
 
 城山から帰ると期せずしてNHKの朝のニュース番組「おはよう日本」でヘリコプターからの阿蘇雲海中継をやっていた、なかなかタイミングのいい時に中継をしたものだ。

 昼前にはこちらからは山の向こう側になる白水村の「一心行の大桜」を見に出かけた。こちらに来てから知ったのだが非常に有名な桜の名所で、県内外から多くの人が見物にやってくるそうだ。

 去年も桜のほんの短い期間に20数万の人が訪れたそうで、今日も平日だというのに大勢の人で一杯だった。と言っても周りは田園地帯で車は幾らでも入るので、都市部のようなヒステリックな混雑は無い。

 持って行った弁当を広げて昨年の富士霊園以来の長閑な花見となった、帰途は家族がまだ行ったことが無いので高森の湧水トンネル公園に寄って帰った。

 渡辺アキ子さんがタラの芽を持ってきてくださる。近くの山で採ったそうだ、名前はよく聞くが実物にお目にかかるのは初めて、明日にでもテンプラだ。