平成14(2002)年 5月の記録(新しい日付けの順)
平成14年 5月31日(金)
キュウリの蔓が伸びきって行き場を無くし右往左往しているので、竹で支柱を合掌式に組んでやった。
竹の枝を払ってスッキリと組んだほうが良さそうだが、竹箒状に捻じって小枝を残しておくほうが、蔓が伸びて実が着いた際にその重みでずり落ちないので、良いそうである、これも周囲のバアチャン師匠たちの伝授である。とにかく周囲の畑の様子を見ながら見よう見真似でやっていれば良い。
平成14年 5月30日(木)
ようやく雨との予報により、その前にと、朝から竹や枯れ枝などの焼却をする。
予報どおり昼ころからポツポツ来る。昼から母を宇治歯科と大阿蘇病院に。
病院から帰って「幻の井戸」探しをする。
確かどこかに井戸があったはずであるが、長年月不在の間に竹が生い茂ってしまい、井戸の場所が分からなくなっていたのだが、先日渡辺昭元さんが場所を覚えていて、と言うより、渡辺さんご自身が、人が井戸に落ちると危険なので、随分昔に竹を並べて蓋をしておいたことを教えてくださったのである。
場所は、母の記憶と大体合っていて、今の家の北西の角に杉の木が三本ほど三角形の位置関係で生えていて、その間が伐採した竹や雑草などが小山をなしていて、なんとなく空間が出来ていたのだが、実はそこが井戸だったのである。
知らないで何度かその上に乗っていたのだが、下手をすれば、まっ逆さまという所だった。
何となく気味が悪いのでへっぴり腰で古い腐った竹類を取り除いていくと、突然ポッカリと大きな穴が開いて、ご先祖様が使っていた井戸が久しぶりに顔を出した。
覗いてみると沢山のゴミが落ちており、棹で探ってみると水があるのは分かるのだが、雨水か湧き水かまでは分からない。
以前はこの辺りでも湧き水は多くあったのだが、最近はなくなっているようだし、内壁の石組みは思った以上にしっかりしているがコケ類が付いておらず、乾燥しているので、下に溜まっている水は、もしかしたら雨水かもしれない。
ゴミの堆積が多いだろうし、いずれにしても浚ってみる必要がありそうだが、下手に降りて有毒ガスでも発生しているとまずいので、どうするかしばらく考えよう。
平成14年 5月28日(火)
晴れ、夕方一時パラつく。
母、退院後初の検診。術後の経過順調の由、次回は2週間後で、さらにその次は1月後、その際にメガネの調製をするとのことで、それまでは視力が落ち着かないそうである。
アキさんの所のジャガイモはもう十分に育っており、一株掘り起こしたところ、もう大きな芋が数個ついていた、我が家は少し遅く植えたのでもう少し先にしよう。
空いたプランターに土を入れて、水で満たし、これが最後だよと、内心でつぶやきながら、稲を数株植え付ける。
平成14年 5月27日(月)
晴れ。
朝食後、あのカメルーンチームのキャンプ地となっている中津江村に家族で出かけた。ミーハーからではない、あくまでホームページの取材なのである、という事にしておく。
途中城山展望所から見る阿蘇谷はすっかり田植えが終わり、一面水をたたえた田がまるで湖のように広い空間を更に広く見せていた。
中津江村はここから北に40キロ強の距離で、真っ直ぐ行けば一時間足らずで行けるのだが、遠回りして杖立温泉、下筌(しもうけ)ダムを経由するルートをとった。
下筌ダムという言葉に非常に懐かしさを覚えたからである。昭和30年の始め頃だったか、ここにダムを作ることで大きな反対運動が起きて、蜂の巣城と呼ばれた反対派の要塞もどきの砦をめぐる攻防戦がニュースで大きく取り上げられて、いまだにその記憶が鮮明に残っていたからである。まさか自分が後年ここに来ようとは。
ところで中津江村という所はこのダムに連なる険しい渓谷沿いの街道に沿って在る村で、平地がほとんど無いように見受けられ、役場や郵便局といった集落の各機能がその道路沿いの少しの開けた場所をあちこち探すようにして点在する「面」と言うより「線」というのが似つかわしい実にひょろ長い所であるという印象を持った。
肝心のカメルーン・チームの合宿所は、最初から予想していたが立ち入り禁止で、警官により厳重に警備されており、我々と同じように野次馬?が何名もキャンプ地の入口をバックに記念写真を撮っていた。
帰ってからテレビで知ったのだが、この日は一時中止になった地元高校生との親善試合があったとのことであった。
実際に行ってみて、今回のキャンプ地の招致が、この村にとってトンデモナイ一大事だということがよく分かったし、そしてカメルーンも、よくまあこんな(と言っては大変失礼だが)山村に来たなあ、というのが正直な感想であった。アフリカの草原地帯からみると、このような狭隘な地にある山村はかえって新鮮に感じるかもしれないが。
そして、今回のゴタゴタのお蔭で日本一有名な村になって良かったなあと、他人事ながら嬉しい気持ちになった次第である、ガンバレ中津江。
午後から、二枚目のミニ田に田植えをした。それでもまだ苗代が残ってる、何とか「生」を全うさせてやりたいのだが、もう一枚田を作るのはシンドイし、これ以上やると「ゴッコ」でなくなり、軽い気持ちではやれなくなるような気がするのでやめておく。まだそこまでの心構えが出来ていない。
こちらで野菜などを栽培して感じたのだが、せっかく地中から出てきた芽を、他を生かすために間引きしたり、稲のように植え残って結果的にそのまま打ち捨てられたりと、こんな所にも、それも人の気まぐれ?による厳しい生存競争があるのだなあ、なんとか皆んな生かしてやりたいのだが、という妙な仏心が生じた。
平成14年 5月26日(日)
快晴。
イクさんの指導で、刈り取って干していた高菜の種をとる。この種は小生が植えたものではない、小生が植えた高菜は見事に失敗したので当然のことながら種は無いのである。
この種は皮肉なことに、その前年に正士さんがここで植えた高菜から自然に落ちた種が、あちこちで自生?して育ったものから取ったのである。丹精を込めたものが育たず、放っておいたものが育つとは、どこか人間の世界のようでもある。
我が家で蒔くのだから、少しあればいいと思っていたのだが、商売が出来るくらい沢山取れてしまった、どのくらいの株からどれだけの量の種がとれるかも分からないのだから。
平成14年 5月25日(土)
快晴に更に素晴らしいが付くほどのいい天気であった、双眼鏡で覗くと高岳の頂上稜線を大勢の人が歩いているのが見えた。
余った苗代をそのまま朽ちさせるのが不憫で、もう一枚ミニチュア水田を作り田起しをした。
夜、滉兄が熊本市内での用件のついでに寄ってくれる、博多に引っ越してまだ全く片付かないとぼやいていた、然もありなん。
平成14年 5月24日(金)
快晴。市内は29度だったとのこと、阿蘇はどのくらいだったのだろうか、暑さは感じなかったが。
未明にカメルーンの選手団がようやく中津江村に入ったそうである、ここから40キロ余りの距離、何となく気になる。
倉庫予定地の大石を丸太を梃子になんとか数個移動するが、人力でしかも一人ではなかなか大変な作業である。
平成14年 5月22日(水)
曇り、午後から時々小雨気味
我が家「御田植之儀」、ミニチュア水田に田植えをする、コシヒカリである。
直接足を踏み入れて田植えをしようと思ったのだが、入るには些か小さな上に、足を入れて出来る穴で苗がひっくり返えってしまうのではと、へっぴり腰のみっともない格好ではあるが、周囲から手を伸ばして植えた。
ついでに隣の田からオタマジャクシ数匹に移動をお願いして我が田に放した、別にどうということはないのだが、まあ田植えゴッコというところか。「我田引水」ならぬ「我田引蝌蚪?」
昼前に宿場会のメンバーの市原農園さんがトウモロコシの苗を100株あまり届けてくださったので、午後一気に一昨日作った畝に作付けた。
商売物の苗だと思うのだが、いつも家の前を通る時に、我々が一生懸命?畑を作っているのを見て、エールを送ってくれたのだそうである、「味来(みらい)」という新しい品種で非常に甘いそうで、生でも食べられるとのこと、収穫が楽しみである。
さらに正士さんが、トラックで通りががりに、山で採ってきた独活を置いていってくれた。栽培物の白い独活と違って緑色をしていた、早速、酢味噌和えとなって食卓を飾った、勿論美味かった。
平成14年 5月21日(火)
晴れ、かなり気温が上がる、熊本市内では28度数分だったとか。
母無事に退院、11時過ぎに退院の手続きを済ませて病院を出た。N病院は医師や看護婦をはじめ皆さん親切で、実に気持ちの良い病院であった。久しぶりの娑婆で、道中、太陽が眩しそうであった、無事に退院できてホッと一安心というところ。
今日は我が59回目の誕生日であったのだが、すっかり忘れていて、病院の請求書の日付を見ていて思い出した、日付とあまり関係のない生活をしているせいか。60歳が待ちどうしい、何故かって?・・・・・・
ということは武藤の母上の命日でもあるわけだ。三回忌だとか。もうそうなるのか、或いはまだ二年しか経っていないのか、我が家の大移動で時の感覚が少しおかしくなっている。
平成14年 5月20日(月)
晴れ。
昨日の煙突掃除で手が届かなかった煙突内部を手探りで撮った写真を見てみると、煙突の中の方まで藁クズらしきものが詰まっているのがわかり、改めて屋根に登って足場を確保してから蓋を外して煙突の内部を懐中電灯で照らしたところ、かなり下のほうまで藁が詰まっており、そこに雀が一羽落ちているのが見えた。多分昨日、上のほうの巣を撤去した後に誤って落ちてしまったのであろう。
長い竹棹を上から入れて突いてみたが、びくともしない。仕方がないので室内側から煙突を外して、掻き出すと、巣と一緒に真っ黒になった雀が飛び出してきた。
この際にと、ついでに煙突掃除もやってしまった。今回のことで煙突の仕組みがよく分かったと同時に、真っ直ぐに煙突が伸びているせいか、ほとんど煤がついておらず、このぶんでは改めて清掃を頼む必要も無さそうである。
昼から昨日作った畝三本にマルチを掛けた。
平成14年 5月19日(日)
晴れ。
最近、雨樋に笹の葉が詰まって雨がうまく流れないので、梯子を掛けて覗いてみたら案の定、笹が大量に詰まっており、掃除をした。
ついでに先日来、煙突から小枝が幾つも飛び出しており、雀が出入りしているのが見えていたので多分巣を作っているのだろうと、急傾斜の屋根を登ってみると、煙突の中は、小枝や枯草で一杯になっており、そのうちに卵でも産んで雛をかえすことにでもなると、巣を撤去するのがかわいそうなので、今のうちにと撤去した。
屋根がとにかく急傾斜で落ちると大変なので、地下足袋を買ってきて履いて登った。
初めて屋根の上に登ったが、これがまた素晴らしい景観である、屋根の上に展望台が欲しいくらいである。
昼間、市原農園さんが通りがかりに寄ってくれて、近いうちに一番甘いトウモロコシの苗を持ってきてくれるとのこと、早速畝を立てて準備をした。
平成14年 5月18日(土)
概ね晴れ。
もうサトイモの葉に一丁前に朝露がついていた、ジャガイモの花を初めて見た。
母の見舞いに行く、火曜日に退院の許可が出たとのこと、元気そうだった。
昼頃、永瀬夫妻が見舞いに来てくださったとのこと。我々はその頃、下通の紅蘭亭で前日教育テレビで放送の「太平燕(タイ・ピー・エン)」を昼食に摂っていて、お会いできなかった。
放送によると、この太平燕なるもの、熊本独特の食べ物だとのこと。チャンポンや湯麺などといった塩味ベースの中華麺類のような物だが、その麺に代わって春雨を使ったものだと言えばいいだろうか、熊本の人間は誰でも知っているとのことであるが、小生は全く聞いたことも無かった、全国的にはかなりマイナーな食べ物なのだろう。
平成14年 5月17日(金)
曇り、夕方少し雨。
我が家で発泡スチロールの箱で実験的にというか、面白半分というか、稲を栽培しようと思い、散歩の途中で田を見回り中の志賀から植え残って畦に置いてある苗代を一パック(というか一枚というのか)頂戴してきた。
しかし、どうせ植えるのならばと、畑にミニ田んぼを作ることにして、田起しと代掻きをした。
古木商店の北川さんが来て水道の不具合を見てくれた。パイプを切って調べてくれたが、異常は無い様だとのこと、そう言えば少しずつ元の勢いに戻ってきていたので、詰まりが少しずつ流れたのだろうか。坂梨の財産区の水は綺麗なのだが、どうも山の木っ端などのゴミが時々混ざるらしい。以前は蛙が詰まっていたよ、なんて本気とも冗談とも、それもまた良し。
平成14年 5月16日(木)
昨日の天候とは打って変わって良い天気になった。
午前中、九電工が電気のメーターを交換に来る。夜間電力と普通の電力の二系統であった契約をひとつの契約にまとめ、更に、一日を、夜間、データイム、リビングタイムの三種類の料金体系で計算する契約に切り替えて節電に努めることにしたのだ。
古田島さんから近々阿蘇にスケッチ旅行に来るとのメール入る。
平成14年 5月15日(水)
今日は朝から雨が強く、夕方には阿蘇地方に大雨警報が出た。田も一杯に水を貯め、川には濁流が渦巻いていたがどうやら大事には至らなかった。
午後2時半からの左眼の手術のため昼前に出かける、途中、長田茶加工所に寄って茶を受取る。
2.5キロの茶葉が250グラム入りの袋二つ、500グラムの茶になって帰ってきた。加工賃が575円で真空パック代が2袋で600円、合計1,175円だった。
まだ少し先まで茶の収穫は出来そうなのでもう少し摘めそうだ、自宅で製茶はできないだろうか。
病院に行く前に熊本駅前の「黒亭」でラーメンを食べた。ここは観光情報誌にも必ず載るという有名な店だそうだが、こじんまりとして、店員の感じも良い店であった。
ラーメンは、分量が少なめで、大の男には少し物足りないかも知れない、替え玉があるとか。スープはこむらさきに比べ濃厚であるが、評判どおりに美味かった。
手術は順調で15分くらいで終わったそうで、後は回復を待つだけであるが、一週間くらい掛かりそうである。
平成14年 5月14日(火)
晴れ、夕刻より雨模様。
カミサンが我が家の茶を摘んだが、加工に出すには少なすぎるのではと思っていたところ、サイ子さんが気の毒に思ってか、少し分けてくださり、長田加工所にお茶を持っていった。計量の結果2.5キロあったが、この分量で果たしてどのくらいの茶が出来るのやら。
前に買っておいた足場用のパイプを家の壁面に添って組み立てて物置らしきものの骨組みを作るが、屋根、壁面をどうするかなあ。
平成14年 5月13日(月)
晴れ。
最後に残っていた正面の椿の木の所の志賀さんの田植えが朝一番で始まる。
病院に母を見舞う、いたって元気な様子、同室の皆さんとワイワイガヤガヤ仲良く過ごしてる様子が伺えた。
夜、宿場会、今月から夏時間で8時開催、新会員として阿蘇の四季のお向かいの古木さんが参加。
平成14年 5月12日(日)
クマの散歩時、久しぶりの晴天の予感があったが、そのとおりにその後見事な晴天になる。
いよいよ志賀さんの田植えが始まる、7時前には志賀さんご夫婦で苗代を田植え機にセットして一番奥の我が家の田から植え始めた。
夕方にはほぼ終わった様子であるが、ライブカメラのに映る田のみは明日になるのであろうか。
昼前に長崎の福子・正子姉妹が突然来訪、仙酔峡のミヤマキリシマを見に昨日カンポの宿に泊まっての帰りとのこと。この後で病院に寄って母を見舞ってくださった由。
午前中佐藤建設さんに水道の件で電話して古木さんの所から人を派遣してもらったが、本管から我が家に引き込む個所で詰まっている様子とのこと、明日にでもエアーで吹いてみようということであった。
平成14年 5月11日(土)
天気予報では午前中に晴れることになっていたが、回復が遅く、夕方になってようやく晴れてきた。
今日は一日何もしないで二人ともゴロゴロしていた。
涼が送ってくれたディスプレーが本日届いた。先月遊びに来たときに予備役に入っていたマックを車に積んで持ってきてくれたのだが、ディスプレーも、と所望していたのである。
その他、マニュアル類と一緒に体脂肪率体重計が入っていた。小生の少し出てきた腹を見て思いついたか、風呂場の体重計がボロなのを見て思いついたか。
夕方風呂にお湯を張る途中で突然水が止まった、原因不明なり。お向かいの水道は勢い良く出ているので、我が家に引き込む途中で何かあったか、一晩様子を見よう。
夜7時半過ぎだったろうか、志賀聡雄さんが宿場会瓦版を届けてくださる、連休は一人で北海道をツーリングしてきたそうである、元気なこと。
平成14年 5月10日(金)
終日ほぼ雨であった。
本日母の右目の手術があった。午後1時半の手術とのことで、少し早く着いたので市電で熊本城まで行って場内を散策後、2時過ぎに病院に戻ったがもう手術も無事に終わって、右目をテープで塞がれてベッドでラジオを聞いていた。
本日出かける前に志賀さんが軽トラックに苗代を積んで来て、周辺の田んぼに苗代を置いていった、田植えはいよいよか。
今朝我が家周囲の田んぼに白鷺が数羽降りていた、瑞兆か。
平成14年 5月 9日(木)
本日は何となく晴れ。
昼食後、母の見舞いに出かける。明日の手術に備えて入浴をした由、少し不安がる。
平成14年 5月 8日(水)
母、白内障の手術のために市内N病院に入院する。10日と15日に手術のため約2週間の入院の予定。最近では白内障は日帰り手術が流行っているようであるが、この病院では入院をして手術をするシステムだとのこと。
病院に送った後でカミサンと「こむらさき」でラーメンを食べる。この店は熊本ラーメン発祥の地とのことで、言わば聖地のような所だそうだ。
先月涼が来たときにも一緒に行ったのだが、店自体はまことに小さな店で、そうと知らされていなければ全く分からない何処にでもある小さなラーメン屋さんである。
熊本ラーメンはトンコツ系のラーメンで、関東の醤油ラーメン系に慣れた舌にはしつこく感じ、最初の内は閉口気味であったが、慣れてくると、これはこれで、とても美味いラーメンで、大いに気に入った次第である、醤油ラーメンとは別のものだと思えばいいのである。
ラーメンには一家言のある宿場会のタッチャンによると、この店のラーメンは、特にあっさりしているのが特徴らしい、まったくその通りであった。
こむらさきに行く途中、上通のアーケード街で突然、所用で街に出てきた永瀬さんに呼び止められる。あの場所であの時間に会うということは極めて低い確率である、奇遇に大いに驚く。
鶴屋デパートの地下で生きたシャク(穴ジャコ)を発見、早速買い求め夕食のカラ揚げとなった。
帰ってからクマを散歩に連れて行く。いつものコースを外れて坂本助義さんの田んぼと思しき所に行ったところ、勢夫人が一人で機械植えした後の抜け落ちた個所に手植えをしていた。ファッションセンスのある彼女、なかなかカッコいい田植えの様であった。
平成14年 5月 7日(火)
裏の倉庫を予定地に雑草が生い茂っているので刈払機で刈り取ったが、不整地で石が多く思うように行かない、いよいよパワーショベルを借りるか。
平成14年 5月 6日(月)
畑の東端にトウモロコシの種を蒔いた、ハニー・バンタムという品種である。芽が出てから土寄せをするつもりで畝は立てなかった。
平成14年 5月 5日(日)
晴れ時々曇りの一日。
午前中は伸びきったタケノコの整理と、竹薮の整理と、キュウリなどの苗支柱用の竹の切り出しをする。
平成14年 5月 4日(土)
今日も曇りのち雨。
昼から農協の売店や、手野の方を回って山裾伝いに赤水に出てロッキーで瓜やキュウリの苗を買う、連休で57号線はびっしり渋滞、帰ってから、各種苗の作付けをする。
志賀さんが田に苗代を置き始めた、周囲の田んぼでも田植えの準備が始まって賑やかになる。
平成14年 5月 2日(木)
曇りの一日。
午前中、婆様を大阿蘇病院に連れて行くついでに、仙酔峡のミヤマキリシマを見に行く。といっても、病院の前を素通りして少し登ればそこがミヤマキリシマの一大群生地なのである。
離れてみる高岳は女性的で、なだらかな山のようだが、実際は急峻な岩場のある荒々しい山である、ロッククライミングの名のあるポイントでもあるとのこと。
仙酔峡のつつじ祭りは1日から始まっており、明3日からは渋滞対策のためにシャトルバスでしか行けなくなるので、まだ満開ではなかったが出かけてみた。
連休と花の見頃が重なる時期には近辺の道路が大渋滞になるので、昨年からシャトルバスでしか行けなくなったのである。
9時頃には群生地があるロープウエイの駐車場に着いたのだが、もう満車に近い状態であった。
4分咲きとのことであったが、既に満足行く程度に咲いており、薄曇りで気温も丁度良くなんとも気持ちの良い花見となった。
それぞれの事情で思うように体の動かない二人を途中に残して小生だけ少し高いところまで登って一大パノラマを楽しませてもらった。
花を楽しんだ後、婆様を大阿蘇病院に届けてから、病院近くの早川さんの奥様の店「クルル」で一休みして婆様の診療が終わるのを待つことにした。
「クルル」は仙酔峡に登る途中の軽食を出す店で、タコスやピザが美味しい洒落た店である。
早川さんご一家は皆さん店においでで、ご自身は店前の道路側溝の掃除の最中で明日からの大勢の来客受け入れに備えて大張きりのところであった。
仙酔峡通りも少し前の冬景色から一気に初夏に向かう勢いで緑が豊かを増していた。肥後の赤牛も冬場の干草から緑の牧草になり満足げに口を動かしている。
午後からは昨日の雨で中断していた畝立ての手直しとマルチ掛けに汗を流して、5本の畝を完成させた。もうナスやピーマンなどの苗が農協から届いていて、その他にも色々な苗が待機中で、早く植え替えてやらなければならないのである。
夕食にはラディッシュを収穫して生で食べた、勿論新鮮で美味しかったのは言うまでもない。ラディッシュは二十日大根とも言い、名前の通り蒔いてから短期日で収穫できるのである。