平成14(2002)年 7月の記録(新しい日付けの順)

平成14年 7月31日(水)

 朝のうち時々小雨、その後晴れる。

 昨夜ジャズコンサートの会場で体がむず痒くなり、帰ってからシャツを脱いで見たところ上半身中に赤く発疹が出来ていた。これは蕁麻疹の類でなく、外部からの何者かの攻撃によるものと判断した。出かける前にシャワーを浴びて洗濯仕立てのTシャツを着ていったのだが、考えられるのは、外に干していた洗濯物に質の悪い細かな害虫でも入り込んでいたのだろうか。先日も母が体に赤い湿疹を作り痒い痒いと騒いでいたが、その際も洗濯仕立ての下着を着た直後だった。

 その痒いのなんのって、昨夜はロクに眠ることも出来ず、朝一番で古閑医院に出かけて、注射を打ってもらって、飲み薬と軟膏をもらってきた。原因がわからないのでまたそういうことが起きると困るのである。

 高木義臣さんからメールが入る。アーチ式石橋の研究をしている国府高校のサイトが先日、日本経新聞に載ったそうで、残念ながらそこには坂梨宿の天神橋は紹介されていなかったので、早速、高校に天神橋についての情報を送ったところ、すぐに現地取材があって間髪を容れずホームページに掲載されたとのことである。<http://www.kumamotokokufu-h.ed.jp/kumamoto/isibasi/isib_1miya.html>

 小生はこのサイトのことは知っていて、そこには天神橋が載っていないことも知っていながら、ただそういうものかと思っていただけだったので、高木さんの行動力には改めて脱帽した次第である、須らく(すべからく)こうでなくては。また国府高校の機動力にもエールを送る次第である、ホームページは「生もの」だから。


平成14年 7月30日(火)

 晴れ、夕立あり。

 母を大阿蘇病院と宇治歯科へ。大阿蘇病院で他の患者の事情で思った以上に時間が掛かてしまったので宇治歯科は午後の部に変更。

 今度はこの前の入れ歯とは違って、昔からの入れ歯に絡む自分の歯が、物が噛めないほど痛いとのことで、片方の頬も腫れていたので、本人は例によって上顎癌かも知れないと内心ビクビクしながら、診てもらったところ、歯茎のうんと奥のほうが化膿しており、そのせいで頬が腫れていたとのこと。またしばらく歯医者通いが始まる。二病息災、三病息災、四病息災?

 大阿蘇病院で母を待つ間に日差しを避けて院外の路上で車を停めて、jornadaでモバイル・コンピューティングをしていたら、今晩のジャズコンサートの準備に出かける途中の早川さんが通りかかり偶然お会いする。

 早川さんは、「町興し」に関して行われる色々な催しごとに関与されていて、ご自身はクラシックが専門ではあるが今回のジャズコンサートにも参加されているとのことであった。

 この町には、音楽好きが集まって、ジャンルを問わず色々なグループを招聘してコンサートを行う「いちのみや賄いコンサート実行委員会」なるものがあって、そのたびごとにその音楽ジャンルに合わせて実行委員会を編成して計画を実現させるということである。

 今回はCUGというジャズのビッグバンドのコンサートで、小生も決して嫌いなほうではないのだが、今回は失礼しようと思ってチケットも買っていなかったところ、早川さんから思いもかけず頂戴できることになって、丁度少し遠回りをして我が家にチケットを届けてくださるところだったとのこと、遠慮なく有難く頂戴する。

 夕方からの予期せぬ雨が開演直前まで降り続いていて、一時はどうなるのかと心配したが、主催者側の熱意が天に届いたと見えて、その雨も直前には上がって、結果的に埃や日中の暑さを洗い流す丁度良い恵の雨となった。

 「前座」、と本人達はさかんに謙遜していたが、いやあ、なかなか、開演前のひと時を地元のジャズ愛好家トリオの演奏が雰囲気の盛り上げに一役買っていた。この「前座」は町に「山頭火」<http://ww7.tiki.ne.jp/%7Esuntouka/>という居酒屋があって、そこの主や常連で作っているバンドだとのこと。

 今回のCUG(Continued in the Under Grouns Jazz Orchestra)は、ジャズ愛好家のなかではつとに知られた存在で、約20人からなるビッグバンドである。その生演奏の迫力に圧倒されて、思わず鳥肌が立つほどであった(写真撮影は厳禁で、演奏の画像は残念ながら無い)。


 模擬店も出店され生ビールなどもあって、宿場会の聡雄さん、奥さんの葉子さんや高木のタッチャンも顔を見せていて、特にタッチャンなんか体中で音楽を堪能していた(写真1写真2写真3)。大いに楽しい時間であった。


平成14年 7月29日(月)

 晴れ。
 
 県浄化槽協会が浄化槽の検査に来る。年一回の検査が法令で義務付けられているそうだが、罰則規定がないので、強制できなくて・・・とのこと。

 怠け癖がついた体に鞭打って久しぶりの草刈りをした。やってみて汗をかくとこれまた爽快で、本来のリズムが取り戻せそう。

 今日からか、もしかしたら昨日からだったかも知れない、田んぼで時折「ドカン」という乾いた音がする。そう言えばもう早い田では穂がどんどん出ているので雀オドシの音だろう。

 我がミニ水田は如何かと、雑草刈りをながら、よくよく見てみると、オッ!ほんの僅かながらが出かかっているではないか、嬉しかったねえ。

 昨日収穫したスイカを昼食時に割ってみた、中は、ちゃんと赤いではないか。恐る恐る口に入れてみると、ウン十分に甘い、カミサンが千葉で悔しがっているだろう。植えたのは大玉でなくて小玉だったのかなあ。


平成14年 7月28日(日)

 晴れ。
 
 朝、庭で母の歓声があがる。母が茅ヶ崎から持ってきて蒔いた朝顔が咲いたのである。今朝は深い紫色の花が二輪。団地のベランダの鉢植えの朝顔が阿蘇の大地で再び花開いた。
 
 我が家のスイカを収穫した。放っておいてもある程度までは大きくなるが、ちゃんとした大きさまで育てるにはやはり手を掛けなければならないらしい、実際にもう茎が枯れてきてこれ以上は大きくならないから収穫したが、多分甘くないであろう、早速明日食べることにしよう。

 昼前、母と阿蘇神社の「おんだまつり」に出かけた。<http://www.town.ichinomiya.kumamoto.jp/Event/Gyouji.htm#onda>
豊作を祈願する阿蘇の農耕祭事のひとつである。頭から爪先まで全身を白い布で覆った女性達(宇奈利-うなり)が頭の上に神に奉げる御膳をかかげて田の中を一列になって古式ゆかしく静々と進む様は実に優雅である。装束の白と青々としたイネの対比がとても眩しい。(写真1写真2写真3)
平成14年 7月27日(土)

 台風9号に続いて11号が日本に接近したが鹿児島沖をかすめて昼頃9号と同じようなコースで北上していったが、規模が小さかったこともあって殆んど影響は無かった。

 日本HP社から修理に出していたJornadaが戻って来た、メインの基板そっくり取り替えるなど、修理代は決して安くは無かった。
 モトをとらねばと思うのだが、最近とみに根性がなくなってきた・・・・。
 
平成14年 7月26日(金)
 台風9号は太平洋上の遥か東のほうで発生したにもかかわらず、気圧配置の関係でどんどん西に進んで、とうとう九州方面に回り込んできた。

 昨夜の段階では種子島の辺りから右カーブを切って熊本沖を中国大陸のほうに進む予報だったが、予報どおりの進路をとったようだ。

 この進路ならココ阿蘇は大したこと無いだろうと思っていたのだが、昨夜は最近立て続けに来た台風に比べたら少し風雨が強かった。でも日頃の阿蘇の強風に比べて少し強い程度かなと思っていたのだが、今朝起きて食材を畑に採りに行って被害が出ていることが分かった。

 豆やキュウリ類の合掌式に組んだ竹の支柱が強風で抜けて一つ隣の畝に移動していた。結構な力を掛けないとそうはならないので、寝ている間にかなりの強風が吹いたと見える。

 支柱が抜ける際に作物の茎も根ごと引きちぎるように抜けていたので、たぶんもう駄目だろうと思う、結局いい加減な支柱の立て方だったのだろう、残念である。

 午後遅く、宿場会の定例行事である「天神橋」(http://www.aso.ne.jp/~cocoroga/frame2.htm)の清掃があった。天神橋は、明治になって近代西洋工法が入って来る以前に「肥後の石工」が造ったアーチ式石橋である。

 熊本は霊台橋や通潤橋など日本を代表するアーチ式の石橋が数多く残っていて、この橋もこれら名工たちが造った貴重な文化財で坂梨宿場街道のシンボル的な存在でもある。

 会員達は台風が去って時折小雨が降る中、思い思い持ち寄った梯子や刈払い機や鎌などを使って、手際よく土手や橋脚に生えた雑草を刈り取って瞬く間に綺麗にしていった。

 その後は?モチロン飲み会である。会所には既にバーベキューと生ビールの準備がしてあって、夜遅くまで楽しい酒宴(写真1写真2写真3)と相成ったのである。


平成14年 7月25日(木)

 また台風が近づいている、今回は何となく不気味な気がする、今までと違って来るなら西側から来そうだ。

平成14年 7月24日(水)

 午後、母と西虎屋のおトネさんを訪問する。二三日まえから風邪で体調を壊して寝ていたとのことだったので、ちょっと顔を見て挨拶だけして帰る。

 我が家は蛙が多い、多いなんてモノじゃない、ウヨウヨいる。ユーモラスで可愛いから、ウヨウヨという気味の悪い表現は少し当てはまらないが、とにかく沢山いる。周り中が田んぼなので、そこで孵ったオタマジャクシが皆蛙になるのだからそれはたいしたもんだ。

 網戸やガラス戸に張り付いたり、果ては二階のデッキや屋根まで上がってくる。畑を歩くと目の前をピョンピョン跳ね回り、踏みつけると悪いので上げた足が下ろせなくなるほど沢山いる。


平成14年 7月23日(火)

 起きてみるとあたり一面霧の海、例によって、それっとばかりに婆様をたたき起こして城山展望所に。予想通りの見事な雲海に気分爽快。

 近くに泊まっていた観光客がホテルの勧めで雲海見物に来ていたので、貴方たちは運がいいですよと言たら、大層喜んでいた。

 昼間、昨日届いた防虫網戸の取り付けをする。簡単に取り付ければ済むものと思っていたが、窓枠の周囲を額縁状に板を張ったり、アルミの枠を窓枠のサイズに合わせて切ったりと、結構細かな作業があったが、出来栄えは上々で、涼しい風を大いに取り込んでいる。


平成14年 7月22日(月)

 夜7時過ぎだったか、中島さんが注文していた天窓の防虫網戸を届けてくださる。
 
 夜8時半頃、早川さんからパソコン操作のSOS、電話だと状況がよく分からないので、お宅まで一っ走り。
 

平成14年 7月21日(日)

 改めて気象庁の宣言を聞くまでもなく、朝起きたら梅雨が明けたことが分かった、空気までも昨日までと違ってヒンヤリと澄んで実に気持ちの良い朝だった。

 昼から半日かけて早川家のインターネット環境構築のお手伝いをした。環境構築?早い話がインターネットにオンラインで加入して、Outlook Expressの使い方をご指導申し上げたというわけである。ご自身は今までワープロ専用機で執筆活動をされていたので、キーボードの操作なんかはお手の物、実にスムースであった。

 帰りにお手製のビーフシチューを鍋ごと持たせていただいた。家族はご旅行中で、「にわかヤモメ」なんだそうだが、料理なんか好きで、得意で、何でもご自分で作られる由。


平成14年 7月20日(土)

 今日関東地方などが梅雨明けをした、九州地方は多分明日だろう、そういった雰囲気の今日の天気だった。

 早川さんから、忙しさがようやく一段落したので予てから約束の昼飯を奢るゾ、と電話を頂戴したので、遠慮なく駅前で豪華ランチをご馳走になる。
 その足で早川さんのお宅に伺い、早川家のIT化の押しかけ手伝いをすべく事前調査をする。早川家はまさに阿蘇山の中腹の静かな所にある素敵なお宅である。


平成14年 7月19日(金)

 一日降ったり止んだりの天気。

 大分前に壊れて、その際に貴重な蓄積データを全部パーにしてしまい、バックアップもとっていなかったので、そのショックで長い間放っておいたJORNADAを修理すべく日本HP社に宅急便で送る。

 HP社とコンパック社の合併で、JORNADA最後のモデルになるであろうという機種が最近発売されて、片田舎にいながら久しぶりにウズウズしていたのだが、我慢我慢、贅沢は敵だ、旧モデルで大分機能は落ちるのだがこれをまた使うことにしたのである(でも新型が欲しい!)。
 

平成14年 7月18日(木)

 明け方、掛け布団を被るくらいの涼しさだった。

 今日は急に降りだすかと思ったら突然日が差したりと不安定な天気だった。

 竹薮の中に自生している茗荷を掘って食べた。茗荷がどこにどういう成りかたをするのか初めて知った。


平成14年 7月17日(水)

 深夜3時頃、雷と雨の音で目が覚めた、風も強くあたかも台風の如し、涼しい夜明けとなる。午前中は降ったり止んだりの天気だったが、午後からは晴れて、涼しい一日となる。

 どうも怠け癖がついてしまって、今日も何にもしなかった。おっかないオカミサンが居ないことを良いことに、お姑さんと一緒になってゴロゴロしている。

 午後からイクさんが孫の章吾君の出る高校野球予選のテレビ中継を見に来る。残念ながら東海第二に敗れる、彼はなかなかの大器、逸材のようで、まだ二年生、来年が楽しみである。イクさんは孫達の話になると相好を崩す。

平成14年 7月16日(火)

 

平成14年 7月15日(月)

 今回は間違いなく台風が通過すると覚悟を決めていたが、またまた九州接近と同時に東に逸れて、宮崎県沖を四国方面に上っていった。

 ここ阿蘇は少しパラパラ来た程度でソヨリともしなかった。

 午前中、母を定例の大阿蘇病院に。


平成14年 7月14日(日)

 台風7号が近づいている、今度は来そうだ。まだ沖縄あたりのようだが、何となく風が強い。

 朝、坂本助義さんにイネの肥料を届けていただく。昨夜、宿場会で奥さんの勢さんに田んぼのことを質問した際、追肥の話が出て、近いうちに持っていってあげるよと言ってくださっていたのだ。

 ついでにイネの生育状況を見てもらい、実際にイネを抜いて茎を割って穂がどのあたりから出るのかを教えてもらう。

 渡辺昭元さんが今日も薪材を運んで来てくださる。数回に渡って運んでいただいたが、今回で一区切りとのこと、結構な山になった、これからセッセと薪割をしなければ。

 母のメガネが出来る。最近どうも目が死んでいる風に見えるので、今日はそうでない風な表情をしろ、と言って写真を撮る。メガネを替えると慣れるまで少し違和感があるものだが、ピッタリだそうだ(モトを取ってくれよ)。

 今日は天神様の日、午後三時から部落のお社で阿蘇神社神主の祝詞奏上などがあって、その後集会場で酒盛りとなった。戸数は少ないのだが、日頃、皆それぞれ広範囲に広がって仕事をしていて、なかなか顔を合わせる機会が無いので、一同に会するこのような寄り合いは貴重である。


平成14年 7月13日(土)

 今日も蒸し暑い一日だった。

 昼過ぎに高木義臣さんご夫妻が我が家に訪ねて来られ、二時間余り歓談をする。丁度、イクさんも見えて、小学校の校長だった高木さんの父君の昔を覚えていて話しに花が咲く。

 夜、宿場会に出席する。高木さんも出席、今夜は出席者数が少なかった。


平成14年 7月12日(金)

 ここ阿蘇も30度を超えて蒸し暑い一日だった。今日は何もしないでゴロゴロで一日を過ごす。
 お嫁さんがおらんようになって寂しかでしょう、とイクさんがケンちゃんを引っ張って顔を見せる、ついでに我が家の畑のチェック 、厳しいおっ師匠さんだから。

 イクさんのお孫さんの章吾君の翔陽高校が高校野球の地区予選二回戦を突破する。
 

平成14年 7月11日(木)

 カミサンが9時のANAで里帰り出産に備えて千葉に帰っていった。当分、相当当分、婆様と二人暮らしになる、頑張らねば。

 今日はまた素晴らしい天気で阿蘇山が手にとるような近くに見えた、千葉はさぞかし暑いことだろ。


平成14年 7月10日(水)

 未明に台風7号の影響で風雨が強まる、との予報に反して、そよりともしなかった。予報より随分と東よりを北上し、東海関東方面に進んで行った。おかげで此処はいい天気になった。


平成14年 7月 9日(火)

 台風が不気味に接近しているが、少し東寄りにに進路を変えて宮崎沖を四国方面に進むか、時々雨が降る。隣の坂梨さんはもう窓に板を打ちつけて台風襲来に備えている。
 
 母を、白内障の術後検診のため市内の病院へ。手術以来約二ヶ月、今日ようやくメガネの調製をする、処方箋をもらい阿蘇町の眼鏡屋で注文、一週間後に出来るとのこと。

 武藤から、来月早々ようやく重い腰を上げてご来駕いただけるとのメールが入る、畏れ多いことだ。


平成14年 7月 8日(月)

 曇り、時々にわか雨。

 昨日に続いて畑の雑草刈をほぼ一日かけて行う、大体片付いたが、また直ぐに伸びるのだろう。


平成14年 7月 7日(日)

 台風6号が南方洋上で日本を窺っている。
 
 快晴、稲田を風が気持良く渡って行くのが実によく見える。
 
 昼頃、浅山滉兄が寄る。昨日から阿蘇プリンスホテルで研修会があったとのこと。
 
 午後から伸びに伸びた雑草刈をするが、まだまだ残っている。同時に家族の雑草刈?もする、自家製床屋である。
 今まで住んでいた所に比べて散髪代は約半分の値段なのだが、それでもタダより安いものは無いというわけである、結構サマになる上々の出来である。


平成14年 7月 6日(土)

 久しぶりの晴れ、少し風強し。
 
 少し手を抜いていたので久しぶりに畑の草を取ろうとしたが、もう手がつけられないくらいに生い茂っていた、その繁殖力の旺盛なこと。刈る以上に伸びる勢いのほうが強いのだ。こういう作物があると、有難いのだがと思ったりもする。

 その昔、入植者が、生い茂る雑草と格闘しながら熱帯の未開地を切り拓いていった苦労が少し分かったような気がした。と言っても気候温暖な所で雑草の繁殖力なんか大したことはないのだろうが。


平成14年 7月 5日(金)

 台風5号は九州の西方沖を朝鮮半島へ。風は全く無く、終日降ったり止んだりの天気。

 午前中、カミサンを温泉病院に。


平成14年 7月 4日(木)

 若干台風の影響か一日中曇り、尤も今は梅雨の真っ最中だ、台風の直接的な影響は避けられた模様。

 午前中、母を大阿蘇病院へ、それ以外は全くの完全休養。
 
 通販で注文しておいた、ソーダサイフォンが届く、田舎に住んでいるとインターネットの通販は本当にありがたい。

 ソーダ・サイフォンは自宅で炭酸水を作る道具である。これから暑い夏に戸外で作業をすると絶対に炭酸モノが欲しくなる、だからと言ってその度にコーラ類を買っていたのでは極めて不経済である、また店まで距離があるので不意の来客にも困らないように、と言う怪しげな理屈まで付けて自前で炭酸水を作ってレモンなんかを入れて飲もうと言うわけで買ったのである。これで何升も漬けた梅酒の使い道も出来たというものだ。

 早速炭酸水を作ってみた、耐圧ボトルに重火器の弾丸のような形をした液体?の炭酸が詰まったカートリッジを装填して作るのであるが、簡単でなかなかの出来である、面白い道具があるのものだ。カートリッジは消耗品だが確かにコーラ類を買うよりは絶対に安い、決して無駄遣いではない。

 今の時期トンボが非常に多い、大袈裟に言うと空が真っ黒になるくらい飛んでいる、秋にトンボは不思議ではないが、この時期もトンボの季節なのか。

 そして夕方カナカナカナという蜩(ひぐらし)の声を今年初めて聞いた。今日気が付いたのか、今日から鳴き始めたのかは分からないが、こんなに早く鳴き始めるのか。でももう7月だものなあ、季節が確実に動いている。


平成14年 7月 3日(水)

 10時頃だったか、古田島さんから高森を出た旨の電話が入る、坂梨公民館前で出迎えることにして出かけたところ、西虎屋の菅トネさんの家の玄関が開いていて人の出入りを見かけたので話し掛けたところ姪御さんとのことで、早速おトネさんに取り次いでいただいて挨拶をして近々再訪の約束をする。おトネさんは父の従兄妹にあたる人である。

 古田島夫妻無事到着。昼食前に仙酔峡まで案内して、昼食に小生の打った蕎麦とカミサンの五目寿司を供する。

 蕎麦は焦ったせいか上手く打てず、余程中止しようかと思ったが、何とか打ち終えて、食べていただいた。
 とても美味しいと喜んではいただいたが、自分では極めて不満足の出来、蕎麦は心静に打たなければ上手く打てないということが良く分かった。

 昼食後阿蘇中岳火口に案内する。今日は台風接近前のほんの一瞬の穏やかな日で、絶好の火口見物日和であった。

 下手に強い日差しが無いだけ火口の岩肌や緑の微妙に変化する様が良く見えて古田島さんは秋のグループ展に備えてしっかりとスケッチをとっていたので、きっと良い作品が出来ることであろう。小生、今年は絵を描く時間の余裕は未だ無い、気持ちは大いにあるのだが。

 それから赤水方面に下りてミルクロード経由で大観峰に寄ってから我が家に戻り、一息入れる間もなく5時前には久住に旅立って行った。

 スケッチもさることながら、今回の旅行は奥様孝行が重要な目的であるようにも見て取れた、夫婦は何時までもかくありたいものだという仲睦まじさであった。

 短時間ではあったが阿蘇の素晴らしさを十分に堪能していただいたものと思う、次回は是非欅グループの面々を誘ってゆっくりと来てほしいとリクエストをしておいた。
 
 曽祖父太邑と親交のあった高木第四郎の義理の孫にあたる高木義臣さんという方から、ホームページを見たと言ってメールを頂戴する、インターネットの威力に改めて驚く、また新たな人とのつながりが出来る。


平成14年 7月 2日(火)

 ようやく晴れる。
 
 夕方、欅グループの大先輩、古田島さんから無事に五ケ瀬町のホテルに着いた旨の電話が入る。欅グループとは大学時代の美術部の卒業後も続く同好会で、何年間も毎年グループ展を開いていたのが、その後途切れてもう随分になる。そして今年顧問の関合画伯卒寿を機に再た始めようということになり、古田島さんの今回の阿蘇旅行はその製作準備を兼ねたスケッチ旅行でもあるようだ。


平成14年 7月 1日(月)

 今日からいよいよ7月か、あっという間に一年の半分が過ぎた。