平成14(2002)年 9月の記録(新しい日付けの順)

平成14年 9月30日(月)

 晴れ。
 
 今日は午前中は大阿蘇病院、午後は宇治歯科と、ほぼ一日、母の病院行きに付き合う。
 
 下屋作りは今日は休みにして、夕方、ホウレンソウの種を蒔く。


平成14年 9月29日(日)


 晴れ。
 
 ほぼ一日かけて、玄関脇の軒下に薪を積み上げる下屋を建てるため、竹で簡単な骨組みを組む。どうも消費文明に毒されていて、金も無いくせにすぐに安易に材料なんか買ってしまう、周りにある竹を上手く使えば良いんだ、、節約、節約、でもなんだか貧弱だなあ。


平成14年 9月28日(土)

 小雨残り後薄曇。
 
 車検が完了したので大津まで車を受け取りに行き、借りていた軽トラを返す。軽トラックのほうが如何にも「乗っている」という実感はある、正直言って大きい車よりは乗り心地は良くないし、騒々しい、でも運転者との呼吸はピッタリくるような気がして小気味がいい、人馬一体となって荒野を駈けるという感じだろうか、道路の起伏が直に伝わってくのだ、もっともそのような馬の乗り方はしたことは無いが、多分そんなものだろう。

 今日は馬場八幡の祭礼である。近くを通りかかった神輿の行列を車を止めて見ていたら、畑の中でさかんにシャッター・チャンスを狙っていたアマチュアカメラマン然としたカップルに声を掛けられた。よくよく見たら高木義臣さん夫妻だった。また福岡から帰って来られたそうである、だんだん坂梨での生活の比重が高かまりつつあるように見受けられたが、どうだろう。

 木村豆腐店の敷地内に恒例の宿場会主催のオデンと生ビールの屋台が出ていた。石田順子さんや赤星さんが中心になって準備をされたはずだ、緑さんも顔を揃えていた。聡雄さん夫婦助さん夫婦なんか、祭り半纏と股引、ネジリ鉢巻に白足袋姿の完全武装?で如何にも祭りだなあ、と華やいで見えた。桐原行動隊長も大きなビデオカメラを担いで神輿行列を追いかけていた。

 ライブカメラの画像を見ても分かるように、今の時期の田んぼは、稲刈りが終わったのに、青々としており、これで水でも張ってあれば、田植えをしたばかりのような雰囲気の景色が広がっている。イネは刈り終わって、切り株ばかりになっても、しばらくすると、また青い芽がでてどんどん伸びてくる、放っておけばまたコメが採れるのではという気にさえなり、その生命力には驚かされる。今の時期を絵にすると、春でもないのに青い田を描くのだから、そのあたりの表現が難しいだろう、でも春の苗の時の色と、同じ青でもやはり微妙に違うのである、はやり秋は秋なのである。


平成14年 9月27日(金)

 夜のうちに降ったらしい、朝地面がしっとり濡れていた、終日雨が多い曇りの一日だった。
 
 ホームワイドで、ほうれん草の種と、サラダ菜、三つ葉の苗を購入。

 ホンダ、スズキ、ダイハツの各ディーラーから軽トラのカタログを貰ってくる。

 夕方、先日見えた大分緒方町のSさんが、ログハウス見学のため、再度、ご友人を伴って来訪。いよいよログハウス建築に本腰を入れられるようで、さらに深く観察のために来られたそうである、帰りに我が家にあったログハウスの本を数冊お貸しする。


平成14年 9月26日(木)

 曇り時々パラパラ。
 
 9/21に植えた大根の芽がもう出た、白菜も少しだけ芽が出ている。
 
 イクさんが我が家のサトイモの試掘をする、十分に芋がついている。
  
 夕方近く、軽トラで町内を走り回る、小嵐山に登り眼下に広がる古墳群を眺める。

平成14年 9月25日(水)

 昨日ほどではなかったが今朝も冷え込んだので、まだそこまでの必要は無かったのだが、今シーズン初めてストーブを焚いてみた、やはり朝のうちは、あれば暖かくて心地よい。

 正午から、阿蘇神社、秋の農耕祭事である「田の実神事」の流鏑馬が古式豊かに勇壮に行われた。楼門前の130mという短い横参道を十二人の射手が馬を走らせながら次々と矢を番えては的を射ることは非常に難しいそうで、玉砂利を蹴散らしながら疾走する馬の上から上手く的を射てパッと紙ふぶきが舞うたびに観衆から大きな歓声と拍手が湧きあがっていた。写真1写真2写真3写真4

 近所の渡辺靖昭さんが息子さんも射手として馬に乗るとのことで、心配そうにご夫妻で見えていた。

 今日は夕方からNHK熊本の地域放送番組「ひのくにトゥデイ」で阿蘇神社を中心にした特集番組があり、スタジオのスタッフ全員が阿蘇に引っ越して来ていた。

 いつもブラウン管上で見ているNHKの看板娘の女性キャスターたちも流鏑馬を取材をしていたので、しっかりミーハーとなって写真を撮った。これを載せると肖像権の侵害になるのかどうかわからないので、掲載は見合わせることにしよう。

 農耕の神様である阿蘇神社は、縁起が紀元前3世紀に遡るという古い神社なのだそうだ。近くには前方後円墳もあり、阿蘇盆地が如何に古いかが分かる。

 阿蘇神社の農耕祭事は一年、春夏秋冬を通じてしっかりと継承されており、国の重要無形民族文化財に指定されているそうである、火振り神事おんだ祭りもそうである。

 夕食後、突然階下で母の悲鳴があがる、何ごとかと思ったら、大きなゴキブリが出たとのことだった、捕らえてみると確かに真っ黒な大きなヤマトゴキブリだった。荷物に紛れて一緒にはるばる移住してきたか、地元産が外から入ってきたのか。ここに来て以来見るのは初めてだが、とうとう現れたか、思わず何よりもゴキブリの大嫌いなカミサンの顔が思い浮かぶ。

 今日も午後から山を下りて佐藤林業まで軽トラで材木を取りに行った。


平成14年 9月24日(火)

 今朝の肌寒さには思わず震え上がった、戸外の寒暖計は摂氏6度を示し、この秋一番の冷え込みとなった。あわててセーターを引っ張り出してクマと散歩に出かけた。いよいよ薪割りに本腰を入れなければならない季節がやってきたようだ。

 午前中、車検を受けるために車を大津まで持っていった。向こうに居た時は、車検の間、車が無ければ無いで済んだのだが、こちらでは生活必需品なので初めて代車というものを頼んだ、それも敢えて軽トラックを希望した。

 小生にとって軽トラックとは何ともカッコいい車なのである。こちらでは大抵の家に軽トラックがある。小回りが利いて、何処でも入っていけて、燃費が安くて、何でも積めてと、万能マシンなのである。

 近いうちに是非手に入れようと思っており、その予行演習を兼ねて借りたわけであるが、早速、帰途佐藤林業に寄ってストーブ用の木切れを沢山積んで得意満面で帰ってきた。

 母を宇治歯科へ連れて行き、その後、阿蘇町まで足を延ばし、「ひまわりまつり」のヒマワリの群生を楽しんで、坂梨に戻って木村豆腐店に寄ってウマイ豆腐を買ってと、帰って来てからもあちこち走り回り軽トラックの感触を楽しんだ、どうも購入が早まりそうな気配だゾ。

 ヒマワリの花は太陽の動きに合わせて動くと言うのはウソだということは知っていたが、総ての花という花が一輪の例外も無いほどに一定方向を向いて咲いているということはどういうことだろう、概ね東を向いて咲いているのだ。


平成14年 9月23日(月)

 晴れ、今日は些か肌寒さを覚えた、ニュースでは阿蘇山では今朝10度を割った由。

 秋季皇霊祭につき謹んで国旗を掲揚し、先祖の墓所に参り、花と線香を供し般若心経を唱える。

 昼前に自転車で北坂梨、古城、古閑と外輪山の麓を走り農免道路を通って帰る、かなりの距離を走った。

 夕方、昨日イクさんに貰った葱の球根を畝立てして植え付ける。


平成14年 9月22日(日)

 曇りがち、時々パラパラ。

 イクさんが葱の球根を沢山持って来てくれる。
 
 向こうから持って来て一度も乗っていなかった、自転車3台の油差し等の整備をしたついでに、北坂梨方面を走ってみる。いやあ本当に坂が多いところだ。

 夕方、お彼岸なのでテラサワで花とオハギを買ってくる。


平成14年 9月21日(土)

 東端のトウモロコシを植えてあった所に短い畝を10本立てて、エシャロット、キャベツ、白菜、大根を植えた。

 カボスの到来ものがあるからと早川さんから夜9時過ぎ電話が入り、わざわざ届けてくださる。一時間ほど歓談の後、見送りに出た中天に見事な中秋の名月がかかっていた。


平成14年 9月20日(金)

 曇り時々霧雨模様の一日。
  
 ホームワイドでキャベツの苗と白菜、大根の種、エシャロットの球根を買って来た。


平成14年 9月19日(木)

 屋外で作業をしてもそれほどの暑さを感じなくなってきた。
 今日は昼食時を除いてほぼ一日、耕運機を動かしたり雑草から堆肥つくりなどで汗を流した。


平成14年 9月18日(水)

 豊穣の秋である、快晴の空の下、我がミニ水田の「稲刈りの儀」を執り行った。
 
 我が家の物干し掛けと全く同じように竹を三叉に組んで作っておいた稲掛けに刈ったイネを縛っては掛けていく。乾燥と茎に残った養分を余すところ無くコメに送る為だそうだが、もう遠の昔からの機械化で今時こんなことをする農家は稀で、もしかしたら周辺でこんな光景は我が家だけかも知れない。

 目の子勘定で作った稲掛けに丁度旨い具合に収まった、一〜ニ週間ほど自然乾燥させることになるらしいが、さてどのくらいの収量になるのやら。
 寄り合いなどで聞くと、売買されるコメの水分含有量の基準は結構厳しいようで、機械で測るらしい。我が家のコメはアバウトで良いから気が楽だが、この後、脱穀は手でやるとしても、籾摺りはどうやればいいのだろう。


平成14年 9月17日(火)

 夜明けとともに昨夜来の雨も上がる、母を大阿蘇病院に。
 
 米ぬか二袋600円也を買い求め、堆肥作りに加える。
 
 午後、中島さんの紹介で大分県緒方町のご夫妻がログハウスの見学に見える。
 
  今日、首相が彼の国に飛んだ。今回の交渉結果の評価は正直言って分からない。だが、もう十年早ければという家族の悲痛な叫び、無念の会見には胸を締めつけられる思いがした。分かっていながら今までの政治は一体何をしていたのか、外務省は何をしてきたのか、そして特にオピニオンリーダーを自認する「新聞」やその他多くのマスコミは一体何をしてきたのか。国益のためか。少数の自国民を見棄ててまで守らなければならない国益とはどんなものか。たとえ一人でも理不尽な環境に置かれている自国民があれば国の総力を挙げてでも助けることこそが国益ではないのか、その国の「凄さ」というものではないのか。


平成14年 9月16日(月)

 トマト、ナスなどまだ少しは採れる野菜を残して、とりあえず全面的に耕運機で耕し終わる

 夜半より久しぶりの大雨となる。


平成14年 9月15日(日)

 晴れ。
 
 昨日に続き、畑の整備、ジャガイモを植えていたところを耕運機で綺麗に均した。


成14年 9月14日(土)

 晴れ。
 朝のうち、母を宇治歯科へ。

 秋の天神さんの寄合があった、皆さん稲刈りがほぼ終わり満足げな表情だった。
 
 午前中、刈り取った草を材料にして堆肥作りに挑戦した。自己流で果たしてできるのかどうか分からないが・・・


平成14年 9月13日(金)

 晴れ。
 昼前、母を宇治歯科へ。
 娘に住民票コードが届く、確実に一人の日本国民として歩き始めた。
 宿場会の日、今日はいつもより大勢のメンバーが集まった、高木義臣さんも丁度福岡から帰って来て出席した。嘉悦先生が町史編纂室を定年退職されたそうでご挨拶があった。
 QSネットというインターネットを中心に活動しているコンテンツ会社が阿蘇全域の便利マップ作成・宣伝のために宿場会に出席した。


平成14年 9月12日(木)

 そろそろ秋蒔きの準備をしなければと、キュウリやゴーヤなどの竹支柱を撤去、マルチを剥いで草を刈ってと、そろそろと活動開始をするも、体が完全に鈍っていて動かない、夕立に一息つく。

平成14年 9月 6日(金)〜 9月11日(水)

 6日〜9日まで、娘との初対面のためカミサンの実家、千葉に飛んだ。
 いかにも小さくて、抱くと暖かくて、壊れそうで何とも心もとなく、それでも一生懸命生きている、写真だけの対面と違って正直やはり感動ものであった。ウェブに写真と名前を載せようとしてカミサンに強く止められた。親バカぶりはこの程度の記述でさらりと流して終わることにするか。

 久しぶりの首都圏は雨模様の毎日で、前日までは暑かったそうだが滞在中は幸に涼しかった。

 丁度、高層の新しい丸ビルが竣工なったばかりで、入場制限が出るほどの大勢の人で賑わっていた。汐留の億ション群も竣工間近に見え、そのほかにも車窓を流れる景色から僅か一年足らずの間にも大都会は飽きることなく変貌を続けているのが分かった。多分どんどん便利になるつもりなのだろうが本当にそうだろうか?どうして人はそんなにまでして首都圏に集まりたがるのか。離れてみて外から見てみるとよく分かる、自分にはやはり阿蘇が良い、でも秋葉原はヨイ???ほぼ一年ぶりの秋葉原を独りでたっぷりと歩き回り、久しぶりの電気街の喧騒に心地よく酔う。

 その後の茅ヶ崎を見たくて寺内さんに連絡をして鶴が台の旧我が家の前に連れて行ってもらった。意外なことに、30年も住んでいたのに、それほど感慨というものは湧かなかった、多分引っ越してまだ間が無い所為だろうか、それとも今が良いからだろうか。

 昨年11/30、茅ヶ崎最後の日に、家族で昼食を摂った鰻のおかむらに寺内さんと久しぶりに寄る。オヤジさんオカミさん、昨年のことを覚えてくれていて、またお互いのホームページ談義に話が弾んだ。御世辞抜きにここの鰻は本当に旨いのだ。

 寺内夫人にも懐かしくお会いした。武藤とも以前よく行った東京駅地下街のビアホールで一杯酌み交わした。会った日は山の手線を何回かに分けて一周するウォーキングラリーに夫婦で参加してきたそうで、もう一回参加すると満願?だそうで如何にも嬉しそうだった、それにしても、この男、相変わらずよく呑む。
 そのほかにも会いたい人は沢山いた、短い滞在だったので多くの人に不義理をしてしまって挨拶が出来なかった、残念であり申し訳ない次第である。

 留守の間、妹達豊田組は阿蘇の休日を十分に堪能してくれたようで、11日に元気に帰っていった
 特に夜型の若い二人は、普段では考えられないほどの早起きをして、熱気球に挑戦したり、魚釣りを楽しんだり、また童心に返って、都会では稀少生物になったタガメなどを嬉々として採っていた。頼んでおいたサツマイモの収穫もやってくれた。

 ライブカメラは遠くに居てこそ、その威力を発揮するものだということがよく分かった、千葉に居ながらライブカメラの画像で、我が家の周りの志賀さんの田んぼの稲刈りがあっと言う間に済んでしまったのが分かった、収穫はもう少し先かと思っていたのだが、4月の田起こしから始まって、代掻き、田植えといった「コメ作り」の締め括りでもある稲刈りという一大イベントを是非とも実際に見てみたかった。

平成14年 9月 5日(木)

 晴れ。

 豊田から妹と暖、晴佳が遊びに来る。妹はこの家は初めてである、しかし、彼女はその昔、此処で生れた。

 どれ、彼女達が滞在中、小生はちょっとひとっ飛び、娘の顔でも見てくることにしようか。

平成14年 9月 4日(水)

 晴れ、暑い一日、草刈に汗する。

 昨日あたりから、家の周辺の、田植えが早かったところでは、もう稲刈りが始まっている、わがミニ水田はもう少し先になる。


平成14年 9月 3日(火)

 晴れ。
 
 カミサン不在につき自家製の床屋が出来ず、久しぶりにヒラオカ床屋に行く。

 母を宇治歯科へ。ついでに小生も歯石取りを頼む。いつもの事ながら、歯の磨き方が悪いと言われるかと思ったが、なかなか綺麗に磨けているとのこと、思ったほど歯石も付いていないそうである。


平成14年 9月 2日(月)

 晴れ。
 
 午前中、役場で出生届を提出する、「夏子」と命名す。
 
 丁度窓口で、志賀葉子さんにお会いしたので、「ヤラセ」で、届出書類を書く様を撮ってもらった。

 午後から母を大阿蘇病院へ。


平成14年 9月 1日(日)

 晴れ。
 
 そろそろ秋植えの準備にかかるため、久しぶりに畑の雑草刈りをする、ジャングルのように伸び放題。

 サツマイモの試し掘りをしたところ、随分と大きな芋が出来ていた、もう収穫をしなければ。近々若い者が遊びに来るのでやらせよう。

 オクラの花というものを初めて見た、月見草を大きくしたような、なかなか綺麗な花である。