平成14(2002)年10月の記録(新しい日付けの順)

平成14年10月31日(木)

 曇りの夜明け、気温3度、終日曇天。
 
 今日は天気が崩れて午後から雨、との予報だったので、朝一で二三日分の薪を割って、雨がかからないように玄関内に積み上げた。ついでに、デッキの下を整理して、二回ほど佐藤林業から運んで来て野積にしてあった薪材を収納した。その作業に昼過ぎまで掛かり、そのあとで、下屋の屋根の加工をしたが、もうクタクタである。
 
 午後から、細かい羽虫が異常発生して、見渡す限り、まるで粉雪が降っているようであった。


平成14年10月30日(水)

 今朝も気温が零度近くまで下がり、畑などに真っ白な霜がおりていた。
 丁度一年前の今日、寺内氏がまだ建築中であった此処を訪ねてくれて仮小屋に泊まっていってくれた。去年は今年に比べてうんと暖かく、日中なんか半袖で過ごしたことが、記録を見ると分かる、今年は一月ほど季節が先に進んでいるようだ。

 午前中いっぱいをかけて、裏の田で、下屋用の竹の切り出しや間引きなどで放置しておいた大量の竹を燃やす。

 今日は裏の川の土手でも皆さんが出て、枯草などを燃やして、あたかも野焼きのようであった、いやこれも立派な野焼きである。

 今日も下屋造りをするが、屋根仕舞いがなかなか難しい。
 
 ホームワイドからタマネギの苗が入荷したとの電話が入る。


平成14年10月29日(火)

 今朝の戸外の寒暖計は氷点下零度5分を指していたが、氷は張っていなかったし、風が無かったので寒さもそれほどではなかった。日中は非常にいい天気であった。

 午前中、母宇治歯科と大阿蘇病院へ。
 
 下屋作りにエンジンが掛かり、屋根部分が大分出来上がってきた。
 
 志賀さんから届いた新米を、早速精米スタンドで精米して晩飯に食べた。


平成14年10月28日(月)

 曇り、時々小雨、昨日と同様に寒い一日。


平成14年10月27日(日)

 朝から風が強く、うそ寒い一日の始まりだった。

 本日、漸く軽トラックを注文した、色々検討した結果、スバルのサンバートラックに決めた。軽トラックは外観が違う程度で、どれも似たようなものだと思っていたが、いざ実際に検討を始めると、それぞれに個性があって車種の決定には大いに悩んだ。多分納車まで一ヶ月はかかると思うが待ち遠しい。

 ここでは、軽トラックは必需品で、大袈裟でなく、何処の家にでも必ず一台はある。

 何よりも安全を重視して、中古車を探したのだが、ABSや助手席にもエアバックが付いたモノが無く、また軽トラックは中古でも、全然安くないので、身分不相応ながら新車にした。

 ついでに?前々から欲しかった、真中に囲炉裏を切ったテーブルをとうとう買ってしまった、高価な買い物をした勢いというか、一時的に金銭感覚が麻痺してしまったと言うべきか、まあテーブルは必需品だし、そんなに高価なものでもないのでカンベンしてもらおう。

 帰途、久しぶりに佐藤林業に寄って薪材を積んでくる。今日は日曜日で、今田棟梁だけが仕事をしていたので、誘って近くの店で昼飯を一緒に食った。


平成14年10月26日(土)

 昨夜のうちに降った雨も朝には上がり、晴れたり曇ったりの一日であった。
 
 今日は豆札の婦人部の皆さんにお集まりいただいて、頂戴した出産祝いの答礼の意味のお茶会を催した。

 本来であれば、食事でもお出しするところだが、我が家の人員や道具立てではとても対応ができないので、お茶とお菓子でご勘弁いただいた(というほど大袈裟なものではないのだが)。

 午後二時頃から約一時間、狭い居間に十二人何とかお座りいただいた。別に村のシキタリということではないのだが、皆さん一人一人が次々に赤ん坊を抱っこして祝福して下さったので嬉しかった、これで我が娘も豆札の住人として認知してもらったということか。

平成14年10月25日(金)

 夜明け前の冴えわたる空に、月と星がキラキラ輝いていた。今朝、またもや、この秋最低の気温を記録した、庭の寒暖計は2度を切っていた。これからは、これがもう当たり前の気温になるのであろう。

 テレビでは、阿蘇山に初氷が張ったと伝えていた、この場合の阿蘇山は、ここから数百メートルさらに上がったところだ。九州の高地は北海道の気候に相当するそうである。

 明日の部落婦人会からの出産祝いの答礼の集いのために、カミサンと母は大掃除をする、十数人もの人が一度に座れるだろうか心配である。小生は相変わらす下屋作りを続ける。
 
 ホームワイドでタマネギの苗を予約する。100個単位で、値段は394円だそうだ。一個394円かと訊ねたら、100個の値段だそうだ、笑われた。一個では確かに高すぎるが、100個の値段にしては少々安すぎる気がするが、そんなものか。

 志賀さんが今年穫れた新米を届けてくださる。
平成14年10月24日(木)

 晴れ。
 
 今日は、久しぶりに下屋用の竹の加工をする、とにかく体は一つなのにやらなければならないことが沢山ある、最近また大仕事が一つ増えたので、なかなか下屋の製作に取りかかれない、早くしないと冬になる。

 夕方近く、竹を割っていたら、藤井鉄男さんが突然裏から現われて驚く。先日、堆肥を知り合いから無料で貰ってくれるとのことだったのだが、その約束を果たしに寄ってくれたのだ。

 鉄男さんは、堆肥を降ろす場所の確認をして、しばらく姿を消すと、やがて二トントラックに一杯の牛糞を積んで戻ってきた。全く臭わずに完全に醗酵して立派な堆肥になっている、ホームセンターで買うと結構するものを、こんなに沢山貰って、何だか急に金持ちになった気分である。今の自分には牛糞が宝石に見える、人間の価値観なんて妙なものだ。


平成14年10月23日(水)

 晴れ、今日は二十四節気の霜降だったか。

 今日もほぼ一日かけて竹薮の整理をする、大分竹薮らしくなってきた。

 二日ほど前から、母が畑の雑草取りに精を出す、キャベツ、白菜、大根の畑が雑草が取り除かれ綺麗になった。


平成14年10月22日(火)

 久しぶりの晴れ、少し冷え込む。
 
 午前中、母を宇治歯科と大阿蘇病院へ。
 
 ホームワイドで、特価販売で180センチのアルミ脚立を購入。
 
 午後、町の保健婦さんが家庭訪問。
 
 裏の密生して枯れて乱雑になっている竹薮の整理をする。

 また窓ガラスにぶつかったのであろうか、デッキに小鳥がうずくまっていた、両手で包むとすっぽりと納まるほど本当に小さな鳥で、まだ成鳥になっていないのかも知れない、悔しいが名前が分からない、そのうちに、危なっかそうに飛び立って行った。


平成14年10月21日(月)

 曇り。
 
 午前中、カミサンを温泉病院へ、出産後、取り立てて悪いところはないとのこと。
 
 昨日買ってきたカボスを、柿の木と金柑のそばに植える、寒さに弱いそうであるが、お向かいのアキさんのところのカボスは小さな木ながら、今年20個くらい実ったそうだから、期待したい。向こうに居たときに比べたら、カボスの値段はとにかく安いが、自分の所で取れるに越したことはない、鍋物に使うと堪えられないほどのウマサだ。

 もう、たかなの芽が出てきた、こういシーンを目にするたびに自然の力に驚かされる。


平成14年10月20日(日)

曇り時々雨。

竹薮の整理をしているうちに雨になり、焼却は中止、チェーンソーの分解清掃と目立てをする。

ホームワイドでカボスの苗を三本買ってくる。

今日は子供の誕生二月目也。


平成14年10月19日(土)

 昨夜かなりまとまった雨が降ったようだが、朝のうちに上がり、曇りの一日。
 
 午前中は、「雨読」。手紙を書いたり、古田島さんから送って頂いた蕎麦に関する薀蓄が詰まった「蕎麦なぜなぜ草子」という書籍を読んだり。

 昼から、下屋用の竹を切り出しながら、不要の竹を燃やす。


平成14年10月18日(金)

 薄曇り、午前中はホームページの更新作業。
 昼から、母を連れてホームワイドに花の苗を仕入れに行く、寒菊、キンセンカ、ほか数種、帰ってから適当に植え付ける。
 そのほか、下屋の屋根葺き用の竹を切り出す。



平成14年10月17日(木)

 晴れ、久しぶりに朝4度近くまで冷え込む、朝のうちに母を大阿蘇病院へ。
 
 今日はほとんど終日、たかなの種蒔きで終わる、足を揃えて立った幅で少しずつ摺り足で前進しながら体の重みで浅い溝を作り、そこに種をパラパラと蒔いていく、立ったりしゃがんだりで、もうヘトヘト。作付面積は約50平米、昨年は少し時期が遅すぎて、とうとう芽が出なかったが、今年は早からず、遅からずと言ったところか。

 最近変わったこと、畑仕事をしていると、鳥の鳴き声に加えて、時々赤ん坊の泣き声が聞こえてくること、いかにも長閑で平和なり。


平成14年10月16日(水)

 昼頃、宮地駅前から空港向けの高速バスでカミサンの両親は帰っていった。三ヶ月の間、里帰り出産のためにずっと一緒だった娘そして孫との別れを惜しむ両親と、それを見送る娘との間の情愛を、少し離れたところから見ていて本当に胸が痛んだ、でもまた直ぐに会える。

 両親の出発と時間的にほとんど入れ替わるようにして、従兄の昭吾兄、道子姉夫妻が空港から着いた。仕事人間の来訪は果たして何時のことやらと思っていたのだが、熊本に急に用が出来たとのことで、その合間にチョッと寄ってくれたのだ。図らずもこんなに早く顔を見られるとは嬉しい限りである。

 慌ただしい来訪であったが、昭吾兄達を早川邸にも案内した。昭吾兄は、小生が宿場会などでお世話になっている阿蘇暮らしの大先輩・早川さんと高校時代の同級生でもあるのだ。二年ぶりの再会だとのことで、早川さんと小生二人で昭吾兄にノンビリ田舎暮らしの素晴らしさを話して刺激する。

 夕方、部落の婦人部を代表して渡辺裕子さんがお祝を届けてくださる。


平成14年10月15日(火)

 両親を産山村のヒゴタイ公園に案内する。ヒゴタイ公園は大分県境にあり、久住山がもう目の前である。風が強かったので、母とカミサンと子供を車中に残し、両親と公園内を歩く。ヒゴタイはもうとっくに終わっており、僅かに名残を残すのみとなっていたが、コスモスなどの群生やサルビアなどが色も鮮やかに秋の阿蘇高原を彩っていた。ヒゴタイの苗を買って帰り、義父に自宅の庭先に植えてもらった、来年夏には咲くそうである。


平成14年10月14日(月)

 朝、深い霧に、雲海間違いなしと、カミサンの両親を城山展望所に案内する。今朝の雲海はまた格別で、展望所に訪れていた観光客のグループも感嘆の声を挙げていた。

 昼から、カミサンの両親と母を伴って、阿蘇神社に宮参りをし、神前で神主のお祓いを受けて子供の健やかな成長を祈願する。太りすぎてズボンが袴けないこともあってダイエットしたのだが、せっかくのスーツも、ヒゲ面には似合わねえ、である。

 阿蘇神社で、偶然にも長崎の従姉の福子さんの山口さん一家に会う。ほんの10秒もずれていたら完全に行き違いになるような出会い方で、その奇遇に驚く、今回は時間の関係で寄っていただけなかった。帰途、手野の方にあるコスモス公園を回って帰る。

 今日の農作業は、義父が、雑草取りや、耕運機でたかなの種を蒔く場所を耕して、牛糞を鋤き込む。寺内さんがライブカメラで義父のへっぴり腰の操作振りを、小生だと思って電話をくれるが、どっこい、小生はもう少し上手いぞと言い返す。小生は、大根の間引き等をする。


平成14年10月13日(日)

 カミサンの両親は熊本城など市内見物のため、JRで熊本市へ。行き違いになったが、滉兄夫婦が昼前に赤ん坊の顔を見に寄ってくれる。
 
 夜、宿場会。聡雄さんと助さんは東北地方にバイクツーリングで不在のため、タッチャンが会を仕切る。


平成14年10月12日(土)

 薄曇、夕方パラパラ。

 義父は一日中、庭の雑草取りをやってくれたり、チューリップの球根のを植えたり。小生は花を植えるために耕運機で土を掘り起こしたり、屋根を葺く竹を切断したり。


平成14年10月11日(金)

 晴れ。

 午後3時過ぎ、母子とカミサンの両親が無事空港到着、一路我が家へ。慌てて取り付けたチャイルドシートが上手くフィットせず、結局抱いて帰る。小生の車にチャイルドシートを付けることがあるとは・・。このまえ千葉で初めて対面して以来僅かしか経っていないが随分と大きくなった。カミサンには三ヶ月ぶりの我が家である。

 父親として、初めての入浴介助、これは今後父親の仕事とのこと、つまり小生の仕事である、おっかなびっくりで任務遂行、といってもただ抱いて風呂に入るだけ、洗うのはカミサン。
 
 家中、時間にお構いなしに赤ん坊の泣き声が響き渡り、これから当分の間は赤ん坊中心のこういう生活が続くのである。


平成14年10月10日(木)

 晴れ。
 
 昼前、ヤマト運輸の引越し便で、北の政所たち御国入りの先触れとして、びっくりするほど沢山の荷物が届く、その中からチャイルドシートの取り付けと、ベビーベッドの組み立てをして、部屋の掃除をして、ほぼ一日暮れる。

 夕方近く、石村さんが宿場マップの件で来訪、地図作成委員会の委員長として進捗の遅れがやはり気になるらしい、ゆっくり、肥後時間で行きましょうと足を引っ張る。

 千葉から帰って来て量ったのだったろうか、73キロという今まで経験したことの無い体重に驚いて、肉体労働に勤しんで、毎日の食事量を少し減らして徐々に体重が減るのを毎日楽しみにしていたが、本日とうとう70キロジャストまで落ちた、それが入浴前だったので、入浴後再計量したところ、69.8キロを示していた、60キロ台は久しぶりである、まだまだ。

平成14年10月 9日(水)

 今朝の気温は摂氏4度を切っていた、多分今シーズン最低気温だろう。今日も朝からストーブを焚いたが、日中は穏やかで暖かな一日だった。
 
 母を午前中大阿蘇病院と宇治歯科へ。
 
 今日で稲扱きが概ね終わる、ただ空籾やゴミなどが沢山混ざっているのでこれを取り除く必要がある。


平成14年10月 8日(火)

 ホウレンソウの小さな芽が一斉に顔を出し始めた。
 
 今日は曇りの一日で、デッキで稲扱きをしていると寒くて体が冷え込んだので、慌てて午後からストーブを焚いた、今シーズン二度目だ。そう言えば、今日は寒露だった。

平成14年10月 7日(月)

 デッキにブルーシートを広げて稲コキを始めた

 現在は機械で刈り取ると同時に、稲扱きまでも自動でやるようだが、そういう訳にはいかないし、「千把扱き」でもあればいいのだが、そ
れも無いので、一本一本手でしごいてモミを取っていった。

 やりながら考えたが、稲作が始まった縄文だか弥生の大昔には、間違いなくこうやって取っていたのだという事が実感として分かった、そして、扱(こ)くたびにパラパラと心地よい音がして、苦しい農作業の結晶がムシロに散らばっていくのを見るのは、多分、気持が豊かになって、楽しいものであったろうが、効率の面から言うと極めて非能率的であったであろう、そういうことがあって、そのうちに知恵者が出てきて、千把扱き等といった便利な道具を発明していったのだろうなあ、ということが良く分かった。

 この作業が終わると、風の力などを利用して、空籾やゴミなどを吹き飛ばして、コメが詰まっている籾だけを選り分けるわけだが、そこまではなんとか自力で出来るとして、その後、籾スリをどうやるかが、まだ決まっていない。

 戦時中一升瓶にコメを入れて棒で突付いていたのは、玄米を精米する方法だったか、籾から玄米を取り出す方法だったかどっちだったのだろう、写真などでしか見たことが無いので分からない。まあ、籾のまま保存するという手もあるので、そのうちに解決策を考えようと思う。10キロくらいは間違いなく取れると思うのだが、かなり空籾がはいっているので、それも分からない。

 プロに叱られるかもしれないが、コメ作りが一番簡単な気がする。来年はもっと気を入れてもう少し沢山植えようと思う、苗代は田植えで余ったものを貰ってくればいいし、肥料なんかも何とかなると思う、変動費は限りなくゼロ、限界利益率ほぼ100%だ。

 なんと言っても、野菜の収穫より、コメの収穫のほうが、豊かになったような気がするのは、体の中に米本位制時代のDNAが受け継がれているせいだろうか


平成14年10月 6日(日)

 しばらく続いていた晴天も昨日までで、今日は久しぶりの雨との予報で、それも、かなりの量の雨になるだろう、ということだったので、干しておいた稲の束にシートをかけたりして、畑などの屋外作業は早々と休みと決めこんだところ、時々パラパラと来る程度の、何とも中途半端な状態が続いたので、裏の杉の木を取り囲んでいる竹の伐採をした

 非常に大きな竹で、家のほうに傾いて生えているので、そのまま切れば間違いなく家のほうに倒れかかるので、ロープなどで縛って家の方向に倒れないように十分に注意したつもりだったが、ロープが切れて、屋根に倒れかかり、スレートを直撃、見事にへこんでしまった。

 この作業中、予想していた方向に倒れなかったので、慌てて向きを変えようとした際に、足を捻ったかどうかしたようで、左足の甲の部分を痛めてしまった、捻挫か打身か骨にヒビがはいったか分からないが、歩くのが困難なほど痛む。


平成14年10月 5日(土)

 ここのところ、夜明け時によく霧が出るが、今朝は特に日が昇った後もいつまでも深かった、多分、雲海が綺麗であったろう。

 午前中は、久しぶりに、カミサンの不在をいいことに手を抜いていた部屋の掃除をしたり、屋根裏部屋の片付けをする。

 明日は雨、との予報で、昼から、干しておいた稲を取り込んで、手で扱(こ)いてみたが、一束扱いところで、直射日光があまりにも暑かったのに音(ね)をあげて中止した。

 その後で、下屋作りをしたが、いよいよ屋根を竹で葺くところまで来たので、その材料調達のために、裏の井戸の周りの竹を20本以上切り倒す、疲労困憊。
 
 ホームワイドでコンポスターを買う、これで都合三本になる、家庭の生ゴミというものは結構出るものである。

平成14年10月 1日(火)〜10月 4日(金)

 こちらはずっと良い天気が続いているが、月初め、関東以北は台風21号に襲われた。気圧が非常に低い台風で、戦後最大級の台風だとのことであったが、スピードが速かったこともあったのか、思ったほどの被害も出なかった模様。

 ここ数日でサラダ菜と三つ葉の苗を植える、変な取り合わせだが、ホームワイドで目に留まったから何となく買ってきた。

 先月末あたりから作り始めた薪を積んで置くための下屋の製作がなかなか捗らない。
 初めは、ただ薪が雨に濡れさえしなければ良いと、簡単に作るつもりだったが、一番、目につく場所だからと、だんだんと欲が出てきて、総竹造りにしようと苦心している。いちいち竹を切り出すところから始め、図面も何も無く、作りながら考えるので時間ばかり掛かる。でも白州あたりの誰かの薪小屋のように入れる前から壊れるようなものは作るまいぞ。