平成15(2003)年 1月の記録(新しい日付けの順)

平成15年 1月31日(金)

 午後から町の就業改善センターの調理研修室で農業委員会の委員の皆さんを対象に蕎麦打ちの講習会が開かれた。講師は蕎麦切り隊々長の聡雄さんで、小生も志願してアシスタント役を買って出た。

 近年の農業従事者の高齢化や米価の不調で、休耕田や遊休の畑地が増え、あまり元気が無い農業の活性化の一つとして、一の宮町でも蕎麦を植えよう、植えるからには蕎麦について識らなければ、ということなのかどうかはシカとは分からないが、多分そうだろうと勝手に解釈している。

 全国的には、あるいは首都圏ではだったか、最近、讃岐うどんが流行っているようだが、ここでは蕎麦なのである。

 畑の隅の土手にフキノトウが顔を出しているのを発見した、雪がちゃんと舞台装置として演出効果をあげている。食べるには、まだ少し早いようだ。


平成15年 1月30日(木)

 久しぶりに青空がのぞいた、太陽が眩しい。


平成15年 1月28日(火) 〜29日(水)

 寒波で全国的に雪が降り、ここ阿蘇も二日にわたって風雪で明け暮れた。


平成15年 1月27日(月)


平成15年 1月26日(日)
 
 予報どおり午前中から雨になった。早川さんと神楽苑に蕎麦うちの道具を返却に行く頃からもう雨が降り始めていた、薪にシートを被せてから出掛けて大正解。昼遅く、早川さんとダイワハウスの丸井さんの来訪を受ける。

 千葉のお爺いちゃん、お婆ちゃん、雛人形が届きました、有り難うございました、近いうちに台を作ってから飾ります、写真はそれまで待ってください。


平成15年 1月25日(土)

 晴れ。
 
 娘もだんだんと人として意志を持った顔つきになってきた風で、今朝、彼女の人生にとって初めての離乳食に挑戦した。最近は哺乳瓶だけでなく、果汁をスプーンで飲むことも出来るようになっていたのだが、初めての固形物(というほどでもないのだが)に少々戸惑っていたようである。
 
 坂梨宿場会<http://www.aso.ne.jp/~cocoroga/index.html>蕎麦切り隊に、早川さんを通じて、仙酔峡麓のロイヤルシティー阿蘇一の宮の住民の皆さんを対象にした蕎麦打ち講習会の要請があり、昼前、志賀隊長を先頭に、早川長老、赤星さん、小生が脇を固めた豪華布陣?で古神地区の公民館を会場に講習会が堂々開催された。今回は志賀流蕎麦掻家元?の葉子夫人も加わった豪華二枚看板での興行である。
 
 道具類は、昨日のうちに早川さん、赤星さんと一緒に波野の神楽苑から拝借して運び込んでおいた。

 プロも教えを請いに来るほどの師匠の見事な模範演技に、顔を近づけて食い入るように見学する人もいるなか、実際に皆さんの蕎麦うちが始まった。

 皆さん、ほとんどが夫婦で参加されたようで、夫唱婦随の組もあれば、婦唱夫随の組もあったり、上手く切れる組みもあれば、ウドンのようだ、キシメンのようだと仲の良いお隣さん同士で悪口を叩き合う組もあって、和気あいあいのうちに蕎麦うちが進行した。ダイワ・ハウスのスタッフの面々も作業服姿でチームを組んで慣れない蕎麦うちに挑戦していた。

 ダイワ・ハウスが開発しているロイヤルシティー阿蘇一の宮<http://www.e-shinrin.net/aso/>は、仙酔峡の麓にあって、木々の間に温泉付きの思い思いのデザインの素晴らしい住宅が点在している。別荘として使っている人もいるようだが、永住している人も多く、今回の講習会には小生のように田舎暮らしを求めて永住されている皆さんが参加されたようで、言わば同士という気分である。

 蕎麦は、打ち立て、茹でたてが美味しく食べるコツなので、切り終わった組から順次茹でては、仲睦まじく向かい合って味わっていた(写真1写真2写真3写真4写真5)。自分で打った蕎麦が不味かろうはずは無く、皆さん改めて蕎麦の美味さを見直していたようだ。

 蕎麦を食べて一休みした後に、今度は葉子夫人の蕎麦掻の手ほどきがあって、きな粉仕立てとツユ仕立ての蕎麦掻つくりを教わって、蒸篭とはまた違った蕎麦の楽しみ方を楽しんだ。

 本日、小生は、我が蕎麦打ちの腕もだんだん上がってきた(と思う)ので、そろそろ形も整えようかと、インターネットで買い求めた作務衣で身を固めて、賄い食を担当した。賄い食とは我々スタッフが食べる分である。厨房で修行中の駆け出しが、裏方の食事を担当する、あの賄い食のことである。いよいよ病膏肓か。


平成15年 1月20日(月)

 昨日、今日と、時々小雨の一日、完全休養日。

 本日、娘誕生5ケ月目(親バカ許されたし)。

 貴乃花が引退した。


平成15年 1月19日(日)


平成15年 1月18日(土)

 小雨で明けた。昨日薪にシートをかけなかったが、大した雨では無さそうなので良としよう。

 今日は我が母の輝かしき87回目の誕生日である、数えで88歳、米寿である。あちこち故障しながらも、よくここまで元気でいてくれた。

 傘寿までは自信がないねえ、もう来年は無理だろうねえ、21世紀にはもう私は居ないねえ、その次には、ワールドカップは見られないだろうね、を繰り返してとうとう米寿まで来た。今度は樋口一葉の新券は見られないだろうねえ、と。ここまで来れば卒寿なんてもう直ぐそこだ、ノンビリ行こうぜ婆さん。

 ディナーにはカミサン力作の「菓心なかむら」(阿蘇の美味しいケーキ屋さん)<http://www.aso.ne.jp/~nakamura/>のケーキに負けない?くらいのバースデー・ケーキがならんだ。
平成15年 1月17日(金)

 氷点下4度、晴れ、冬には珍しい雲海が出た。ここ数日続いた低い気温も、今日は春のように日中暖かくなるとの予報だったので、まだ一度も行ったことが無かった凍った古閑の滝の写真を撮りにでかけた。

 滝には我が家から10分も走れば到着する。駐車場から滝壷まで、途中豊肥線を眼下に見て、約10分、急な道を600mほど登っていくと、見事に凍った滝壷にたどり着く。

 ありきたりな表現だが、自然の造詣の妙に感動をする。人気のポイントなので、朝9時頃だったが、他に3〜4組がもう写真を撮りに来ていた。

 男滝女滝とあって、遠くからでも眺められる大きな滝のほうが説明板から判断すると女滝だということになる。普通は逆だと思うのだが、何か理由でもあるのかと思っていたところ、ある人が、その全体像を見れば自ずから分かるだろうと言っていたが、思わずニヤリ、本当かなあ。
 
 丁度昼食を終えた頃、林業の中島さんから木材を取りに来なかという電話が入り、喜び勇んで取りに行く。


平成15年 1月16日(木)


平成15年 1月15日(水)


平成15年 1月14日(火)

 一日中薄曇り。阿蘇山も、モヤっていて良く見えない一日だった。
 今日は昼飯に蕎麦を打って、午後は薪割りといういつものパターン。
 
 薪を割っていると、外皮や割れ目に巣食っている昆虫の幼虫が結構見つかるが、ジョウビタキという小さな鳥が地面に落ちたそれを狙って啄ばみにやって来る。何か特殊な能力でもあるのだろう、遠くから、まあよく分かるなあと驚くほど上手く見つける。

 そこで何匹か捕らえて置いておくと、ほんの直ぐ傍でカメラを構えていても、それほど警戒もせずにやって来てうまくカメラに納まってくれる。この鳥はあまり人を恐れないそうだが、なかなか可愛い鳥である。

 今晩は、宿場会の1月例会を兼ねて新年会が荒木商店の離れで開催された。今回から岩下湧祐さん山口朝雄さんが新たに加入、もともと皆さん知った仲なので、結局小生との顔合わせのようなもの、新戦力を得て会もますます勢いが出てくる、こいつは春から・・・

 来月の植樹計画の議題を処理した後、テーブルに並んだ焼肉と荒木さん差し入れの食べきれないほどの馬刺しを堪能しながら、町興し、宿場の保存・復興の夢、遊び、モチロン蕎麦うちの話などで皆んな遅くまで大いに盛り上がった。(写真1写真2


平成15年 1月13日(月)

 氷点下3度、晴れ、今年は今日が成人式。変な表現だが、そうだから仕方が無い。

 聡雄さんの誘いで、南阿蘇方面に出かける。同道者は早川長老と赤星さん。早川さん知り合いの蕎麦打ち用のこね鉢を作る工房があるが一緒に行くかという話に、迷わず乗ったのである。赤星さんも最近、蕎麦うち病に罹ったと見えて勇躍参加したのである。

 場所は久木野村の、国道からちょっと逸れた田んぼの中の、少し小高くなった所にある元保育園を転用した「くぎの工房」、ここの古澤順生氏にお会いして、色々と木工の話を伺ったり、作品や工房の中を見せていただいたり。

 聡雄さんは気に入ったこね鉢が見つかったとみえて、早速注文していた。小生は立派な道具を使うにはまだまだ未熟なので、今回は眺めるだけにした。

 工房を辞した後、この近くに面白い店があるので寄っていこう、という早川さんの誘いで、高森に抜けるちょっとした山道を走って訪ねた先が、阿蘇山系を南から眺める見晴らしの良い所にある「りんどう花房」<http://www.g-grass.jp/>という喫茶店。

 阿蘇に来て以来、「奇遇」に接することが多くて驚かされることばかりだが、今日もまたまたその奇遇に。

 早川さんは以前一度この店に来て少しは面識があるようだったが、なんと赤星さんと、ここの川尻夫妻とは旧知の間柄だったのである。顔を合わせるなり、「やあ」「おう」と久しぶりの邂逅に懐かしそうであった。

 店は喫茶店の他に、庭に東屋が作ってあって、其処には炉が切ってあり、自作の自在鉤で、大鍋が吊るしてあっり、ダッチオーブンがあったり、また、阿蘇山を眺めながら入られるように五右衛門風呂があったりと、これはもう商売というよりも、ここのあるじ殿の完全な道楽、趣味の世界だという感じ、ご本人も素直?にそうだと認めていた。脱サラ振りも田舎暮らしのキャリアーもはるかに小生の先を行く先輩で、色々参考に出来る羨ましい材料がゴロゴロしていて楽しい所であった。(その他スナップ

 せっかく蕎麦のことで来たのだからと、最近旨い蕎麦屋が高森に出来たという立ちゃんの不確かな情報を元に、高森観光協会で尋ね当てた蕎麦屋で旨い蒸篭を食べて、さらにもう一軒、蕎麦屋を梯子して今日は楽しい一日であった。


平成15年 1月12日(日)


平成15年 1月11日(土)

 晴れ。

 11時から村の集会所で初寄り。現区長の藤井係さんから交替の申し出があり、総意で江藤正士さんを次期区長に選出した。


平成15年 1月10日(金)

 夕刻より内牧温泉のホテル角満で開かれた阿蘇青年会議所の新年賀詞交換会に出席。
 そもそも小生がそのような会に出席する謂れなど無いのであるが、此処に住むようになって少しでも沢山の人との出会いの機会を作ってやろうという早川長老の粋な計らい?だと感謝して、宿場会から出席した聡雄さん、立さんにくっついて小生も末席を汚がした次第である。

 明日の阿蘇にかける会員青年達の熱い想いが伝わる心のこもった華やかな会で、多彩な来賓の中に何人かの顔見知りも見えた、そしてまたいくつかの新しい出会いを作ることが出来た。(写真1写真2写真3写真4写真5)

 閉会後、早川さん以下、葉子夫人の迎えの車に同乗して聡雄さんのお宅に邪魔して、立さん自慢のワインなどを傾けながら日付が変わるまで談笑した。


平成15年 1月 7日(火)〜 9日(木)

 ここのところ冷え込みが厳しく、連日明け方は氷点下数度の日が続いた。伐採しておいた竹類を焚き火にて暖を取りながら、薪を割ったりの屋外作業。

 家の裏に設置してある夜間電力を使った給湯器の周辺にびっしりと氷が張り付いていて、寒さでパイプが破裂でもしたかと慌てて佐藤建設に来てもらったところ、オーバーフロー用のパイプが出口の所で凍りついて行き場の無くなった水がホースの継ぎ目あたりから漏れて凍りついたようで、特に支障は無いだろうとのことでひと安心。


平成15年 1月 6日(月)

 世間では殆んどが今日から、いつもの生活が始まった。
 
 久しぶりに気持良く晴れ渡り、朝の気温は氷点下5度と、昨日までよりはるかに低温だったが、気持が良い朝だった。

 早速、薪に被せてあったシートを外して、心細くなった薪を追加して、と少しずつ、ここでも日常生活が始まった。

 一の宮町の広報1月号に、先月12/7〜8に坂梨宿場会で開いた手打ち蕎麦屋の記事が写真入りで載った。
<http://www.town.ichinomiya.kumamoto.jp/Kouhou/h1501/kj150107.JPG>


平成15年 1月 5日(日)

 降るぞ、降るぞ、と注意報が出ている割には今朝も殆んど積もっていなかった、気温は精々零度かそこいらだと思うが、氷点下数度で、スッキリ晴れ上がっている時よりもはるかに寒い気がする、昨日今日と完全に冬ごもりである。

 先日、大分の知人が1キロ半近くはあるイノシシの肉の塊を届けてくれた。昨晩はボタン鍋で、今晩はすき焼きにして食べた。勿論野生のイノシシの肉で、近くで獲れたものだそうだ。食べるのは初めての経験である。もっと泥臭いのかと思ったが、血抜きをしてあるそうで、全く臭さは無く、そして随分と淡白な食感であった。


平成15年 1月 4日(土)

 日本列島、この冬一番の寒気団が下がってきているそうで、ここでも風雪の寒い一日だった。家の周囲の雪自体は多くなかったが、国道57号線を除いて阿蘇周辺の主要道路は凍結のため、総てチェーン規制が出た。明日はもっと雪が降るとのことだ。関東地方でも架線凍結で電車が沢山止まっているようだ。


平成15年 1月 3日(金)

 久しぶりの雨で夜が明ける。こんな星空に雨になるのかと疑心暗鬼ながら昨夜のうちに薪材にシートをかけて置いて正解だった、いつの間にかシートを掛ける場所が4箇所にもなっている。

 昼ころ、滉兄が正月帰省中の章君一家を連れて訪ねてくれる。屋内を台風の如く勢いよく飛び回る子供達に娘も大いに嬉しそうだった。

 昼食は当然のことながら小生の蕎麦であるが、子供たちまでが喜んでくれた。今日は少し多めに打ったので、麺棒を初めて三本使った。一本は延し用、他の二本は一度に広げられないので、両端から巻き取るのに使うのである、自己採点だが合格点だと思う。


平成15年 1月 2日(木)

 起き抜けにPCのスイッチを入れたら、偶然にも我がサイトのカウンターが20,000人目を示していた、なんとなく、こいつは春から・・・・

昼前、広永OMから思いもかけず有線を頂戴し、懐かしい声に接する。

今日は素晴らしい天気になった、午後から家族で阿蘇神社に初詣、家内安全を祈願し、カミサンは破魔矢を買う。


平成15年 1月 1日(水)

謹賀新年

 穏やかに新しい年が明けた。

 我が家では、今年、母が米寿、小生が還暦、娘は満一歳を迎える。カミサンだけは前厄だそうで、阿蘇神社で破魔矢を買うんだと意気込んでいる。米寿・古希・厄年などは数え年でカウントするようだが、還暦は満で計算するようだ。これは最小公倍数という数学だから丸々60年にならないと成り立たないのだ。

 こういう生活だからこ出来るスローリズム、ゆったりと健康でこの一年を過ごしたい。

 各家庭での年始の行事の前に、集会所で部落の賀詞交換会。一堂に会することで、各戸で年始回りをしないで済むようにという知恵から生れたもので、8時から30分程度、軽く御神酒を酌み交わして新年の挨拶をする、我が家でも家族全員で出席する(写真1写真2写真3写真4)。