平成15(2003)年 4月の記録(新しい日付けの順)

平成15年 4月30日(水)

 晴れ。
 
 連休期間中の来客に備えて、部屋の整理・掃除をする。明日から二十日間ほど久しぶりに我が家は賑やかになる。

 夜、居酒屋「山頭火」で、「大草原の小さなお茶会」の気心の知れた仲間達と飲み会

 二十代から間もなく還暦を迎える小生まで総勢9名、年齢構成も職業もバラバラなので話のネタは尽きず、時間が経つのも忘れ、結局カンバンまでワイワイガヤガヤ、小生にしては痛飲したほう、実に心地よい夜だった。


平成15年 4月29日(火)

 晴れ。

 「みどりの日」? どうして「みどり」なんだ。昭和天皇の誕生日ではないか。日本の文化、日本の歴史はどうなる。宿場通りを流してみたら、助さんの家と田上さんの家に日章旗が翻っていた。

 一昨日あたりから志賀昭久さんが田の畦の草刈を始めた。我が家との境界の畦の草刈は、自ら買って出て小生が今日刈払い機で刈り取った。これから冬が来るまで雑草との戦いが始まる。

 カミサンは芝張りと家周りの雑草抜きとトマトや鷹の爪などの苗を植えていた。
 
 芝はやはり8束では全く足りず、今日また買い足して、結局16束*9枚=144枚、417円*16束=6,672円也を敷き詰めた。随分の枚数のようだが、敷き終ってみると大したことない。早速カメラを見て武藤が感想を送ってきた。あの男がいつも汚い汚いと言っていたことも芝生を敷いた一因ではある。こうして見てみると確かに捨てたものではない。取りあえずはこんなものか

 高岳の山開きがあった。
 

平成15年 4月28日(月)

 晴れ。
 
 4時過ぎに中島さんがS電気工業の二人を伴って、太陽光発電の件で来てくれる。いろいろ話を聞いてみる。ナルホド、物事は須らく色々な角度から見るべしか。

 夕方から部落で推した町会議員のお宅に皆さんと当選のお祝いに行く、初めて触れる文化ナリ。
 
 ロッキーで芝を買ってくる。とりあず試しに2束買ってきて敷いてみたが、とりあずにしても、とても足りる量ではなかったので、後からまた買い足して都合8束になった。一束には9枚入っている。

 庭に芝生を植えるのは、カミサンの夢のひとつでもあったようだが、小生は自然のままが良いので、どちらでも良いのである。野草が勝手気ままに伸び放題でも、それはそれで美しいではないかと思うのである。

 そう言うと聞こえが良いが、本音は、要するに、面倒くさいことはやりたくないということなのである。カミサンは一生懸命に一輪車で土を運んで来ては地面を均し、芝を敷いている。少し敷いたところで日没により残りは順延ということになった。


平成15年 4月27日(日)

 まずまずの晴れ。
 
 午前中、家族で馬場公民館に町議会議員選挙の投票に行く。身近な選挙なので、前回の県議会議員選挙より、出足は良さそうだった。

 先日と同様に、帰り道は、娘は乳母車で帰ってきた。母も途中で落っことして、散歩して帰ってきた。

 少し家周りの整理をして一日を終わる。

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 長議会議員選挙結果。有権者数7,840人、確定投票率90.60%、16名の定員に対して19名が立候補、当選ラインは300票強、一票が重い、いずれも都会では考えられない数字だ。


平成15年 4月26日(土)

 天候の回復が半日ほど遅れ、夕方になってようやくビロードのように柔らかな緑に覆われた阿蘇山が美しい姿を現し、夕焼けに空が茜色に染まっていた。

 今日からゴールデンウィークが始まった、せっかく遠方から多勢の人が阿蘇を訪ねてくれるのだから、期間中、天気が良いことを願うばかりである。


平成15年 4月25日(金)

 曇りのち雨、この二日間でかなりの雨量である。
  
 朝一番で、夏子の三種混合ワクチンという予防接種を阿蘇町の中央病院に受けに行く。小生は、三種混合が何と何と何の混合かは知らない、カミサンはこの辺りのことは実に良く研究している。注射は彼女にとって初めての経験である。大泣きするかと思ったが、今回は、医師の早業で一瞬の注射だったので、僅かに泣いたものの、当てが外れたと見えてすぐに泣き止んだ。

 阿蘇中央病院は「菓心なかむら」のすぐ近くなので、帰りに寄って、先日頂戴して美味しかったアズキのケーキを買い、仁美さんに仁義を切って帰ってきた。

 久しく大きいほうの車に乗っていなかったので、バッテリーが上がってしまっており、出掛けに少々慌てた。停めてある場所が悪く、ブースターケーブルが届かなかったので、軽トラからバッテリーを外してエンジンを掛けた。もうそんなに長く乗っていなかったのだ。てやんでー、こちとら葉子さんたちに笑われようとも、何処に行くにも軽トラだい。


平成15年 4月24日(木)

 昨夜来相当量の雨が降ったようで、家族は雨音が大きかったネエと話していたが、小生は高鼾で全く知らず。聞くところによると、寝ていて時々呼吸が止まるらしい、睡眠時無呼吸何とやらだと言って、カミサンは騒ぎやたらと塩分の薄い食事を食わせやがる、これほどの健康体は無いと言うのに。

 ほぼ終日雨、そんなわけで、今日は完全休養日、一歩も外に出ず。人通りも少なく(もともと人通りなんか無いところではあるが) 、選挙カーもなんだか張り合いがなさそう。


平成15年 4月23日(水)

 晴れ、夕方より雨。

 裏のケサトさんの畑を借りて、大分前に切っておいた竹を一日中燃やし続けた
 
 大きな火を扱うので、用心のために、アウト・ドア用のイス、テーブルを持って来て、昼飯もそこで食べ、来客の応対もそこまで足を伸ばしていただいた。

 今日の来客は、太陽光発電のS社の渡辺氏、見積書を届けてもらって説明を受けた。予想していた金額より少し高めなので、家族会議を開いて検討することにする。

 二組目の来客は、高木義臣さんご夫妻、筍を掘りに来られた。高木さんは阿蘇の文献のデジタル化を熱心に進められており、以前、坂梨小100周年記念の同窓会誌をCD-ROM化されたが、今、阿蘇の神話・民話や、一の宮を中心とした阿蘇文化のCD-ROM化に励んでおられる。今日はそのCD-ROMを持って来てくださった。

 直子夫人は野草の名前を大変よくご存知で、見逃してしまいそうな小さな草花を見つけては、まるで少女のように目を輝かして嬉しそうに愛でておいでだった。お二人で一生懸命に筍掘りに挑戦していた。


平成15年 4月22日(火)

 晴れ。

 午前中、高木義臣さんのお宅の前を通りかかると、ご夫妻で畑仕事の真っ最中。久しぶりの阿蘇とのことで、遅れているサトイモの植付けに忙しそうだった。庭に群生しているスズランやマーガレットなどの苗を沢山頂戴してきて家の庭に植えた。

 今日はカミサンが、ジャガイモの芽掻きをし、トマト、ピーマン、ナスの苗を数株だけ植えた。一度に出来ないように、少しずつ植える時期をずらすことにした、昨年の経験を生かすのだ。

 いつも閉まっている肥後銀行裏の阿蘇画材店が珍しく開いていたので、この店はいつも閉まっているようだが、営業をしているのかと訊ねたところ、朝少し遅いが毎日営業をしているとのこと。

 しばらく話しているうちに、その人は岩永允人さんといい丹波屋さんの弟さんだということが分かった。そうなると小生の親戚ということになるではないか。

 まあ入りなさいとのことだったので、遠慮なく上がらせていただくと、店の奥がアトリエになっていて、中央に製作中の大きな作品がデンと据えてあり、キャンバスや絵の具、筆がところ狭しと並んでおり、典型的な絵描きの部屋、懐かしい油絵の具の匂いが部屋中に充満していた。

 ご自身、プロの画家とのこと。小生より六〜七年ほど年長になるが、小生の下宿時代とほぼ同じ時期に吉祥寺に住んだことがあるとのことで、またまた「縁」に驚く。絵を再開するにあたって、よき相談相手見つかる、と期待したいところだか、果たしてド素人を相手にしてくれるだろうか。

 今日から町議会議員選挙がスタートした。選挙カーが何台も候補者名を連呼しながら家の前を通過していった、今度の日曜日が投票日である。


平成15年 4月21日(月)

 昼頃から一気に晴れ上がる。
 
 修理に出していたノートパソコンを健軍神社近くまで受取りに行く。
 
 PCの修理で何時も腹立たしく思うことは、もう少し出せば新しい高機能のPCが買えてしまうくらい修理代が高いことである。部品の価格が製品を売り出した時に設定した価格のままであるからである。本体の性能自体がもう過去の物になってしまっているのだから、それに合わせて、今に見合った価格に下げればいいものを、決して下げようとしない。 メーカーは、古いPCを大事に使い続けようとするユーザーをもっと大事にしたほうが、長い目で見た場合プラスになるのにと思うのだが。何時も修理した後には、このメーカーのパソコンはもう二度と買わないぞと心に決めて、事実そうしている。しかしどのメーカーも同じである。

 このノートPCは、GPSアンテナをつないで専らカーナビに使っている、早速、カーナビを起動して、俵山経由で南郷谷を回って帰ってきた。

 俵山は今回が初めてである。峠を越えて、南郷谷を眼下に阿蘇の山並みを眺めた時、改めて小生はトテツも無い所に住んでいるのだということを感じた。トテツも無いとは、トテツも無く贅沢な場所と言うことである。少し慣れてしまってか、阿蘇谷から眺める風景を当たり前に感じ始めていたところなので、今日向こう側から阿蘇を眺めてみて改めてその凄さに感動したのである。

 途中、久木野村、川尻さんの「りんどう花房」にちょっと寄って仁義を切って、阿蘇たにびと博物館に行ってみたが、閉まっていて誰もおらず、写真一枚撮って帰ってきた。。


平成15年 4月20日(日)

 穀雨、暦どおり今日も雨。夏子誕生8ヶ月、今まで一方向のみの寝返りしか出来なかったが、今日両方向に寝返りが打てるようになった。

 午前中、中村浩・仁美さんご夫妻がお訪ねくださる。阿蘇駅前のお菓子屋「菓心 なかむら」のお二人である。

 毎日何十種類もの菓子つくりに精を出し、そして、実にエネルギッシュに阿蘇の暮らしを謳歌している魅力的なお二人である。小生も、いつの間にか、そういった皆さんの仲間に加えていただき、親しくお付き合いをさせていただいている。御土産の自慢のケーキが美味しかった。


平成15年 4月19日(土)

 久しぶりの雨。しばらく好天が続いたので、畑もホッと一息というところだろう。小生も誰気兼ねなくノンビリ骨休めが出来て嬉しい。今はもう、休みたいときに休むことに何の遠慮も要らないのだが、長年沁み付いた貧乏根性というものは、そうそう簡単に治るものでもなく。

 今日、太陽光発電のPRに菊陽町の電設会社から人が訪ねて来た。屋根に太陽電池パネルを貼って発電をして自家用に使い、余剰電力は電力会社に買い取ってもらうのである。

 新らし物好き、こちらの言葉では「わさもん好き」の小生としては、非常に興味深く色々と話を聞いてみた。

 詰る所は、イニシアル・コストとランニング・コストとの比較で、果たしで何年くらいでペイするものなのかということが一番の関心事であるが、たとえば、今払っている毎月の電力代程度の費用設定をすると、大体15年見当で償却が終わるそうで、その後は全く電気代はゼロになる計算になるらしい、そのころは小生はもう生きていないかも知れないが。

 日本で太陽光発電が始まってまだ30年くらいだそうで、現在も順調に稼動しているそうだから、そうであれば耐久性は大丈夫のような気がする。いずれにしても期間が長いことなので、先日の中村仁美さんの所の電話敷設騒動ではないが、慎重に検討してみようと思う。


平成15年 4月18日(金)

 晴れ、昨日までのような強烈な晴れではなかったが。昨夜初めてストーブを焚かなくて済んだ。

 今朝になってか、昨夜の間にか、我がサイトのヒット数が30,000件を超えた。
 
 今日、夏子の同窓生が訪ねてきた。千葉で里帰り出産をした時に、同じ産院で同じ日に生れた優奈ちゃんが、両親の田原和宏さん奈央さんに連れられて、はるばるやってきたのである。

 お父さんの実家が福岡にあって、所用で帰省中にわざわざ会いに来てくれたというわけである。母親同士が懐かしそうで、子供達も久々の対面に、初めは双方怪訝そうな顔付きをつきをしていたが、その内に雰囲気に慣れたと見えて、交互に嬌声とも咆哮ともつかない大きな奇妙な声を発して呼応していた、何か子供にしか分からないコミュニケーションかも知れない。(写真1写真2

 朝一で畝を二列追加して、全部で八列半の畝を立てたことになる。今日一日で全部にマルチを掛け終わった。8.5*14m=119mの畑が出来上がった。今回は全部一人でやった。先日一列作っておいたものがあるので、全部で130mの畑が用意出来たことになる。

 風景としてはマルチが無いほうが絶対良いが、まあ仕方が無いところだろう。今年は追肥と雑草抜きを手抜きせず立派な野菜を作ろうと思う。

 明日から雨のようだから、今度晴れたら、またミニ田を起こして田植えの準備をしたり、まだまだ色々な作業が待っている。


平成15年 4月17日(木)

 晴れ。
 
 今日は、一日掛かって六列半の畝を立てた。14*6.5=91mの畝を作ったことになる。明日、あと二三本立ててからマルチを張って、手当たり次第に野菜類を植えるつもりだ。ああ、ガマ出した。


平成15年 4月16日(水)

 晴れ、今日は暑かった、25度くらいはあったようだ。
 
 朝飯前にひと働き、7時前から耕運機で昨日撒いた堆肥を鋤きこむ。午前中一杯掛かってようやく鋤き終わる。つくづくトラクターが欲しいと思った。一番小さな乗用タイプのトラクター、何処かに落ちてないかなあ。

 耕運機の音を聞いたからではないだろうが、気の早いカエルがもう鳴き始めている、これで田に水でも引き始めると一斉に大合唱になるのだろう、自然の循環、素晴らしい。

 昼からは、産山の片俣阿蘇神社に積み残した薪材を取りに行く。しばらく間隔があいたので、誰かが持っていったとみえて殆んど残っていなかった、まあ、仕方が無い。


平成15年 4月15日(火)

 晴れ、サイ子さんのお宅の桜が満開で綺麗だ。タケノコがあちこち出てきているが、マツタケと違って一本掘るのにも重労働、あちこち送って差し上げたいのだが、腰が痛くなって失礼している。関係筋の皆さん堀に来ませんか。

 午前中、母を大阿蘇病院へ落として、仙酔峡に登ってみる。黒く焦げた野焼きの後から少し緑の芽が出ていた。ロープウェイの駅舎が大改装中だった、かなり痛んでいたので、何故だがホッとした。

 途中早川家の傍を通ったので、帰ってから電話をしてみたら、丁度、沖縄の町を車で走行中で、元気そうな声が返ってきた。宿場会の情報は葉子さんからメールが届いて知っているとのこと。携帯メールでなく、早くパソコンを買うようにとハッパをかけておいた。

 しばらく晴天が続きそうなので、屋外作業を色々やろうと、手始めに縁先の整理にとりかかった。冬の間、薪割りで出る木っ端で埋まっていて、ライブカメラの画像を見た武藤がいつも汚い汚いと言っていたが、これでもう文句は来ないだろう。

 昼からは、畑の施肥作業。ご近所に頼めば無料で堆肥を運んでもらえるのだが、皆さん仕事を持っているので何となく気の毒で、今回は購入することにした。

 近くに畜産協同組合があり、そこで牛糞から作った堆肥を売ってくれる。軽トラックに大盛で1,500円也、こぼれんばかりに積んでもらって、意気揚揚と運んできた。

 これぞ4駆の軽トラックの威力、肥料を満載して、耕してある畑に乗り込んでもスタックしない、素晴らしい。畑一杯に堆肥を撒いて今日の作業は終了、明日は耕運機で鋤きこむことにする。

 今日は娘のポリオの予防接種があった。昼過ぎにカミサンが一人で娘を乗せて行く。ところが何もしないで帰ってきた。体温が規定の数値より高くて今日は接種できないとのこと。事情を聞いてみると、会場で大泣きして、それで体温が上がったのでないかと言う。また大泣きしたのである。少し人が集まるところに出ると必ずと言うくらい大泣きするらしい。深窓の令嬢だからあまり人に馴れていないのかもしれないが、畏き辺りにおかせられては、深窓にお育ちでもちゃんと大勢の前で可愛く手をお振りになる。ひとつ優雅に手を振るあたりから訓練でもするか。そう言えば小生も幼児の頃、病院に行っただけでいつも熱が上がり、周囲を呆れさせていたが、血を引いたか。

 予防接種の会場に着いた時、突然、テニ坊こと山下医師が声を掛けて来られたそうである。咄嗟の事で、整形外科医が予防接種の会場に居ること自体が想定外だったこともあって、カミサンは驚いてロクに話が出来なかったと、帰ってきてから頭を掻いていたが、こういう場合は当番のようなものがあって、普段の専門の診療科目でなくても出られるのだろうと思った。

-以下は掲示板へのテニ坊さんの書き込みの引用-

 子供の名前
 投稿者:テニ坊  投稿日: 4月15日(火)18時40分43秒
予防接種に夏子ちゃんが来られていたみたいですが、
私の方に回ってこなかったので熱発でもしていたのでしょうか?
子供の名前をみると、最近は凝った名前ばかりで、
頭を傾げたくなるようなドハデなのもあります。
子のつく女の子はいませんでした。
せめて三分の一ぐらいは、子をつけてほしいものです。
-以下は掲示板へのご近所のまりこさんの書き込みの引用-

 お疲れ様でした 投稿者:近所のまりこ  投稿日: 4月15日(火)23時53分02秒
こんばんは。
いつもHP楽しませてもらってます。
予防接種おつかれさま、と書くつもりだったんですが・・・。
今日は会場も暑かったからそのせいでしょうかネ。なんでもないといいですね。
人ごみにでるとやっぱり興奮するみたいで、うちの次男坊も疲れたのか
今日はあっさり早寝しました。
人見知り対策に ならし として暇なときこっちのほうにもおさんぽにきてくださいね。
今 牛のあかちゃんが2頭いてかわいいですよ。


平成15年 4月14日(月)

 晴れ。外出のついでに初めて浄土寺牧に足を伸ばしてみた、桜は殆んど終わっていたが、家族でゆっくり弁当でも広げると良さそうな所だ。
平成15年 4月13日(日)

 晴れ。
 
 今日は県議会議員選挙の投票日、昼前、家族全員で隣村の馬場公民館に投票に行く。公民館の前で、先日野焼きの際に面識を得た佐藤さんが、家族総出でハウスの中でモミを蒔いて田植えの準備をしていた。

 穏やかな日和だったので、帰り道は、娘の乳母車での初散歩になった。今まで室内で使っていた乳母車の初乗りである。初めての本格的な外界に少し戸惑っていたようだ。(写真1写真2写真3)

 夜、宿場会の年度始めの総会が赤星邸を借りて開かれ、役員の改選があった。
 
 事務方の志賀聡雄さんから、会発足以来続いてきた役員ではマンネリに陥る惧れがあるので、今回は人心を一新して新しい役員で再出発をお願いしたいとの提案があった。志賀昭男会長も、加えて他にも多くの役職に就いており極めて多忙なこともあって、この提案に賛成され、役員の人選に移り、出席者協議のうえ、新しい会長には赤星永幸さん、副会長に石田順子さんが選ばれた。志賀昭男前会長には、名誉会長になっていただき、今後も会の発展のためお力を借りることになった。

 ただ、事務方、勘定方については、余人をもって代えがたいとの全員の意見で、それぞれ志賀聡雄さん、高木立さんに今までどおりご尽力いただくことに決した。

 行動隊長も桐原主一さんが再選され、目付には新に石田兼助さんが就かれた。小生も少しは皆さんのお役に立てればと、行動隊の副隊長をお引き受けすることになった。

 今夜は、普段の例会と違って、豪華な「鉢盛り」など沢山の料理が用意されていて、議事の後は、いつもながらの楽しい酒宴になった、これが楽しいのだ。(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7)

  「鉢盛り」という言葉は、こちらに来て知った文化である。宴席に必ずといってよいほど出る。刺身や揚げ物や煮物など沢山の種類の料理が大きな一つの皿に盛ってある。今まで居たところでは無かったスタイルだと思う。


平成15年 4月12日(土)

 朝のうち少し残っていた雨もやがて上がる。
 
 今夜は、村の花見バーベキュー大会が天神さんの境内であった。いつだったか、呑み方の席で、花見をやろうよという話が出て、渡さん隆一さんが座元で実現したのである。

 境内には桜の木は無い、それでも花見である、とにかく呑んで食えれば良いのである、遠望すれば桜は見える(次回、宿場会の植樹の際に一二本植えてもらおうかと思った)。

 午後7時、お社の前にバーベキュー台がドンと二台据えられて、準備万端、三々五々皆さん集まって来て、新区長の正士さんの乾杯の音頭で始まり、九時過ぎまで焼肉の煙に包まれて賑やかに時を過ごした。豆札の子供五人衆は、今晩は蒼唯君・春樹君兄弟だけで、我が家の夏子も夜風に馴れていないので遠慮した。(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7)


平成15年 4月11日(金)

 雨。久しぶりに畝立てをして、体の節々が痛かったので、今日の雨は助かった。
 
 雨読ならぬ、殆んど一日中、昨日届いた Pocket PCをいじくりまわしていた。
 
 小生のPDAはHP社のJORNADAで、これはキーボードタイプである。この前身のモデル時代からの愛用者で、一番気に入っていた機種なのだが、何時だったか、大量のデータが入ったまま、壊われてしまい、バックアップを取っていなかったため、落ち込み激しく立ち上がれないまま、修理が済んでも、殆んど使わずに放ってあった。それに、田舎に来て、仕事もしていない身には、PDAなど、必需な物では無くなったこともあるのであるが。

 それでも、やはりこういった物が好きなので、時々は手にとってはいたのだが、少し古い機種で、処理スピードが遅いこともあって、もっと早いモデルが欲しいなあ、ボケ防止や自己啓発のために、それに娘の誕生を記念して(などと理屈にならない理屈、つまり屁理屈までつけて)思い切って買っちゃおうかなあ、でも、買うとウチの奥さん怖いから怒るだろうなあ、それに、ハンドヘルド・コンピュータは今あまり流行らなくて、ほとんどがキーボードレスのPocket PCになっているし、でもタッチペン入力は嫌だなあ、使い勝手はどうなんだろうなあ、どんなに小さくても、やはりキーボード入力に限るなあ、と、あたかも、この文章の如く、取留めも無く、糞切り、いや、踏ん切りが悪いスッキリしない状態でいたので、今回のPocket PCに触れる機会を得たということは大変嬉しかったわけである。

 それで、触った感想。手書き入力が想像以上にスムースだ。一昔前の手書き入力しか知らないので、漢字がこんなにスムースに認識出来るとは驚いた。軽いし、テキパキしているし、なかなかヨイ。ただ、キーボードに慣れているので、すぐに何かの節目節目にすぐにキーを捜してしまう、まあ馴れだろうけど。

 今日から我が家の健康保険は国民健康保険になった。


平成15年 4月10日(木)

 晴れ。
 
 明日からまた天気が崩れる予報なので、カミサンとサトイモの植え付けをした。

 14mの畝を3列立てて、そのうち2列と少しを使って、35cm間隔に二種類の種芋を約90個、間に、堆肥と化成肥料を入れて植え込み、マルチを被せ、夕方までに作業を終了した。

 サトイモは収穫時期が11月も中頃で、一番最後まで畑に残るため、邪魔にならないように一番西の端に植えたのだが、そこは今年、たかなを植えた場所である。

 イクさんがやって来て、たかなを植えた場所は、また来年たかなを植えなければデケンバイと叱られた。たかなの種蒔きの時期は10月中なので、サトイモが終わってからでは遅すぎる、たかなの種蒔きに間に合うような作物を植えるべきだと言うのである。

 ナルホドと、後になって得心したが、その時は、別の所に改めて畝立てするスタミナも残っていなかったこともあって、強引に当初の計画を押し通した。おかげで少々気まずくなってしまった(かもしれない)。

 坂梨宿場会で昨年植えてもらった桜が満開になった

 滉兄からPocket PCが送られてきた。TOSHIBAのGENIO e550GXである。大分前に買っていながら、彼も小生と同じキーボード派で、手書き入力タイプのものは全く未経験な上、忙しくて説明書をじっくり読む時間もないとのことで、かなりの間、そのままになっていたものを、小生も嫌いじゃないので、しばらく預かって使い方など研究をしてみることにしたのである。小生も絶対にキーボード派で、ポケットPCには偏見があって今まで触ったことも無かったので、これでしばらく遊べると喜んでいる次第である。

 娘の歯が生えてきたようだ、よく見ないと分からないが、下の前歯が二本だけ少し顔を出している
平成15年 4月 9日(水)

 晴れ。
 
 カミサンが町主催の集団検診に行く、男には縁の無い検査科目で小生はお呼びでなかった。


平成15年 4月 8日(火)

 雨、午後遅くになってようやく回復。

 白内障手術の経過観察のため、母を市内の病院へ。丁度一年経過したところで今回が最後の通院、順調の由。

 母が受診中、健軍の家電修理センターに故障したノートパソコンを持ち込み、その後、花岡山まで足を伸ばす。花岡山の頂上にある仏舎利塔は子供の頃から何度も見上げていたものの、登るのは今回が初めてである、登ると言っても、軽トラであるが。

 熊本駅のすぐ裏にあり、市内が眼下に一望できて大変気持の良い山である。海外や、近くは仙酔峡を始め日本の各地にある仏舎利塔の本山は、実はここ豆札にある。日本山妙法寺である。この寺の開祖は今は亡き藤井日達上人で、幼い頃お会いしたことがある。

 夕方近く、ファームビレッジ産山の田中康夫さんがひょっこり顔を見せる。何事かと思ったら、もう大分前に蕎麦切りの講習会のお手伝いした際のギャラだとのこと。彼も多忙なため、うっかり机の中に仕舞い忘れていたものを思い出して、本日届けてくださったのである。もとよりギャラなど考えてもいなかったので、思わぬ臨時収入に有難く頂戴する。

 ライブカメラの話が出たので、室内にカメラを切り替えて、我々をモニターしながら説明をしていると、丁度神奈川県の茅ヶ崎でその様子を見ていた寺内さんが早速電話をしてきて、図らずもライブカメラの面白さについて解っていただいたようだ。ファームビレッジ産山なら素晴らしいロケーションなので、是非に、と勧めておいた。


平成15年 4月 7日(月)

 晴れ。
 
 なんとなく気が乗らなかったので、竹などを燃やしながら火の傍に座って、さも仕事をしているかのようにして一日終わった。


平成15年 4月 6日(日)

 晴れ。
 
 刈払い機で雑草を刈ったり、竹を燃やしたり、それから、ん?基本的にはそれだけだったか。

 家の前で、村の子供たち全員がたまたま一堂に会する機会があったので、記念に写真を撮る。蒼唯君、健太郎君、春樹君、直樹君、それに夏子、現在の豆札の子供達総勢五名である。


平成15年 4月 5日(土)

 昼前になってようやく太陽が顔を出した。
 
 ジャガイモが芽を出し始めたので、マルチに穴を開けて、芽を外に出してやる。二三日前からマルチが等間隔に膨らんでいたのだが、雨だったので、晴れるのを待ちかねてカミサンが鋏で切って出口を作ってやったのだ。

 タケノコが少しだけ顔を出しているのを発見、殆んど去年と同じ日だ。自然の仕組みの不思議さに改めて驚く。

 桜がほぼ見頃になり、レンギョウ、こぶし、水仙が咲き、チューリップも開き、そして菜花の鮮やかな黄色が目に痛いほどだ。スミレ、イヌフグリ、ハコベ、ナズナ、その他名前を知らない野草たちも一斉に咲き乱れている、人間の都合で雑草と区分けされて畑から駆逐されるが美しい、う〜ん春だ。
  ・・・・阿蘇五岳菜花の黄色目に痛し・・・・

 夜、江藤正士さんのお宅で呑み方があった。


平成15年 4月 4日(金)

 終日雨、何事もなし。
平成15年 4月 3日(木)

 曇り。
 
 午前中、母を大阿蘇病院へ、その間、ホームワイドで里芋の種芋を購入する。ここしばらくは天気があまり良くなさそうなので、回復してから植付けをするつもり。

 現在発売中の週刊文春臨時増刊号の付録CD-ROMに、ホームページ・エンサイクロペディアというサイト特集が出ているが、ライブカメラの項に小生のサイトが載っていた。そのことを別にしても、なかなか便利なCDである。


平成15年 4月 2日(水)

 曇り。
 
 志賀昭久さんが、トラクターで田に肥料を散布し始めた。いよいよ今年も田んぼが動き出した、なんとなくワクワクする。

 昨年の記録を読み返してみると、3日はもう里芋の作付けをしていた。先日ジャガイモを植えてホッとしたばかりなのに。そう言えば昨年は今の時期、次ぎから次に畑作業をやっていたような気がする。ノンビリ出来ない。

 そろそろタケノコが出てるかと思って地面を睨んでみたが、今年はまだのようだ。午後から南側の竹薮を少し整理した。


平成15年 4月 1日(火)

 大方は今日から新年度、希望に燃えて新しい旅立ちをする人、静かに表舞台から去っていく人、様々だろう。会社を辞めてからまだそんなに経っていないのに、このような節目がなんだか随分と遠い昔のような気がする。そして我が家で新しい節目を迎えるのはまだ数年先のことでもある。庭前の桜もチラホラとほころび始めた。珍しく静かに降る雨の中で、何ごとも無く平穏に過ぎた一日であった。

 (レンタル・サーバーの容量がそろそろ一杯になってきた、過去の記録をどう整理するか悩ましいところである。)