平成15(2003)年 7月の記録(新しい日付けの順)

平成15年 7月31日(木)

 晴れ、ただしもやっていて視界は悪し。
 
 昼前、思いもかけぬ突然の来訪者に驚く、後藤貴子である(外部向けの文章なので身内は敬称略である)。

 小生の妹の亭主、博道の妹である。彼女は友人と、その友人の実家がある不知火を訪ねるため、岐阜からハイウェイバスで熊本に着いたその足で、迎えに出たその友人のお兄さん運転の車で火口見物しての帰りにわざわざ寄り道をしてくれたのである。

 田舎に住んでいると、人の訪れは本当に嬉しいものだ、もっとゆっくりして欲しかったが、先の予定があるようなので引き止めるわけにはいかず、慌ただしく発って行ったが、今度邦夫さんも一緒にゆっくり泊まりにきてくれるよう、念を押して見送った。

 ライブ・カメラ用のPCの調子がどうも思わしくない、とりあず何とか運用再開したが、方々のサイトを検索して調べたが、XPのデバイス・ドライバーが、どうもこちらが期待するような働きをしてくれないようだ。マザーボードのチップセットとの相性もあるのだろうか、そうなると、新しいボードを買っても無駄になるが。


平成15年 7月30日(水)

 ようやく、「らしい」晴れとなった。

 晴天にもかかわらず、午後、ちょっと出掛けた以外は終日PCの前で七転八倒していた、、ライブカメラ用PCの調整にてこずっている、肝心のビデオ・キャプチャー・ボードの設定がどうしても上手くいかないのである。

 古いボードではあるが、一応XPに対応しているそうで、ドライバーも公開されているのだが、どうも動いてくれない。阿蘇山の画像はとりあず他の画像を犠牲にして別のPCで代替運用しているが、全く面白くない、また新たな出費が必要か。


平成15年 7月29日(火)

 どうも天気がスッキリしない。今日は昼頃から結構な降りとなった。

 午前中、娘のハシカの予防接種に中央病院に行ったが、一歳未満の接種は法律で出来ないと断られた由。先日、別の医師は出来るとのことだったのに、とカミサン得心が行かぬ様子。

 決まりでは一歳になってからのようであるが、ポリオのワクチンだとか、色々予防接種が控えていて、最近は一歳未満で罹患することも多いそうなので、そういったことからハシカの予防接種は、出来れば早く済ませたかったらしい。そのあたりのことになると小生全く疎くカミサン任せである。

 病院から帰った足で、市内のパソコン工房まで2.5インチのHDを買いに行く。実は先日通販で買ったHDを、うっかりゾンザイに扱って壊してしまったのである。

 経験的に最近のHDはタフになって少々乱暴に扱っても壊れないはずなのだが、たまたま当たり所が悪かったのだろうか。結局、40GBのHD14,000円也が一瞬にしてパーである、カミサンに知られるとウルサイので、とぼけて、他の部品調達に行ったことにしてある、カミサン、この記録はロクに読んでいないので書いても大丈夫なのである。

 市内から帰ってから、今度は婆様を宇治歯科に連れて行く。小生が留守中に、新しい入れ歯が出来たと連絡があったらしい。こちらでは歯の治療のテンポが早くて助かる。出来たての入れ歯、痛くなくて、なかなか具合が良さそうで満足げであった。


平成15年 7月28日(月)

 うす曇り。
 
 今日は、「おんだ祭り」、阿蘇神社の農耕祭事のひとつ。阿蘇大明神が、猿田彦の面を先頭に、神々の昼飯を運ぶ白衣の宇奈利(うなり)、獅子、田楽、早乙女、神輿、田植人形などのお伴を連れて、阿蘇の田畑を巡る祭りである。

 田なかの道をゆったりと進む行列の、青々とした稲と真っ白な白衣のコントラストがなんとも言えず幻想的ですらある。この祭りは一昨日、近くの国造神社でもあった。

 昨年はカミサンが出産のために実家に帰っていて見られなかったので、今年は婆様とカミサン、子供を連れて出掛けた。出掛けるといっても、我が家から田越しに見通せるくらいの距離であるが。

 阿蘇神社に着いたときには、もう行列は出発した後だったので、役場の駐車場に車を停めて、一の宮整形外科の裏手で行列を待った。例に寄って多勢のアマチュア・カメラマンでいっぱいであった。(写真1写真2写真3写真4写真5写真6

 院内からも患者や看護婦さん(看護師とは絶対に言うものか)が窓から行列を眺めていたので、看護婦さんに、山下さんは?と訊ねたら、今二階に上がったところです、呼びましょうか?との事だったが、どうせインターネットをやりに上がったのでしょう?と聞いたら、ニヤリとしていたが、丁度昼飯時だったので、あなあがち職場放棄でもなさそうだった。蛇足ついでに、院横で撮った娘の写真に偶然山下さんの車が写っていた。

 帰りに「あぜり庵」で昼飯を食って帰った(写真1写真2)。


平成15年 7月27日(日)

 晴れ、ただし水蒸気でモヤってか終日阿蘇山は見えず。
 
 一昨日、上村さんから、坂梨小学校の近くにある民家で欅の枝払いをするので取りに来るかと電話を頂戴していたので、午前中、軽トラで取りに行く。

大阪在住で、二月に一度くらいの割合で阿蘇の別荘に来るという市原さんも、枝払いの手伝いに来ていた。市原さんは、確か我が家がこちらに引っ越してきて直ぐに、偶然前を通りがかりに、フラリと訪ねてこられてその際に面識を得たのが最初で、今回が二度目である。

 本日の作業は、この薪材運びのみにて終了。

 午後からHD換装とXPインストールのためにPCにへばりつくが、ちょっとした手違いにて本日の作業は不首尾に終わる。


平成15年 7月26日(土)

 晴れ、文句なし、平年より大幅に遅れて気象庁もようやく梅雨明け宣言をする、これに合わせるようにライブカメラが復旧し、さわやかな阿蘇の画像をまた送り始めた。

 ADSLは早い!我が家は回線距離で交換局から5kmちょっとあるが、それでも4Mbp以上は優に出ていた。4Mbpを切る時もあるが、それでも今までに比べたら天と地ほどの開きがある。

 ネットショッピングで注文しておいたライブ・カメラ用PCの換装用HDとOEM版のWindows XP Home Editionが宅配便で届いた。

 きょうは午後から坂梨宿場会主催の天神橋の清掃があり、夕方からは暑気払いのバーベキュー大会があった。天神橋は宿場通りのシンボル的存在である。

 清掃開始時間は午後4時の予定であったが、昼過ぎ、買い物のついでに橋を通ると、もう緑貞二さんが一人で草刈を始めていたので、小生も早めに行って清掃にかかる。

 開始予定の4時頃には皆も集まりだして、一斉に川原に下りたり石橋に取り付いて草刈やゴミの収集に精を出した。

 我々が早めに作業を始めたことや、釣りをしていた緑さんの次男坊・一の宮中二年の緑幸博君とクラスメートの市原尭明君が、釣りをやめて清掃に参加してくれ、大奮闘してくれたこともあって、短時間の内に作業が終わった。(写真1写真2写真3

 そして、夜は生ビールとバーベキュー大会(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7)、これについては、もう改めて説明の必要はあるまい、小生は、一旦家に戻って娘を風呂に入れてから参加した。(娘の成長記録写真1写真2


ADSL導入顛末

 ホームページやライブカメラ画像の更新には、FTP転送が不可欠で、今までISDN回線では問題なくそれが出来ていた。

 ところがADSLに変更した途端それが出来なくなった。このことについて、プロバイダー(OCN-Dream)のサポートセンターに問い合わせたが、それはプロバイダー側の問題ではく、モデムの提供者側の問題であろうという、回答であった。

 そこで、モデム取扱説明書にあるNTTの通信機器取扱相談センターに、件の症状を訴えたが、サポート嬢曰く、申し訳ないが取扱説明書にあること以上のことは、ここでは分からない、ということであった。

 窮して、それまでの経過を説明すると、そうならばハード上の問題かも知れないので、そちらの窓口に相談してみてくれとのこと。

 そこでNTTの故障センターに電話をして、回線接続状況のチェックをしてくれたりしたが、障害は無いとのこと。プロバイダーへの照会から始まるそれまでの経緯を話すと、モデムの故障かも知れないのでと、早速新しいものを送る手配をしてくれた。ただ休日が入るので、その間に試しにブリッジ接続で使ってみてくれということであった。

 そこでブリッジ接続で使ってみたところ、正常にFTP転送が出来ることが分かった。と言うことは、ルーター部分で何かしらの問題があるということになる。

 モデムには、時には不良品もあるかもしれないが、日本の品質管理(実際の組み立ては台湾であり、PCの周辺機器では台湾のほうが進んでいる部分もある)から想像して、たまたま我が家に来たモデムが不良品である確率は極めて低いと思い、これは多分設定上の問題だろうと、インターネットであちこち検索して、ようやく原因らしきものを探し当てた。

 FTPサーバーをルーター経由で使う場合には、パッシブモードでなければ接続できないタイプのものと、アクティブモードでなければ接続できないタイプのものがあるようである(両タイプ対応もあるのだろう)。そしてそれはFTPソフトで設定するようになっているようだ。

 いままでISDN回線で使っていたルーターでは、そのあたりの設定は無視して構わなかったが(デフォルトでOKだったのかも)、ADSLのルーターでは、その設定をパッシブに設定しないと繋がらないということにようやく辿り着いたのである。

 改めて調べてみると、ホームページ作成ソフトのFTP転送設定にも、ライブカメラソフトのFTP設定ソフトにもちゃんと、パッシブモード設定項目があり、それをONしたら、何事も無く転送できたのである。

 このようなトラブルは何も小生だけの問題ではあるまい、プロバイダー側の責任でもなければ、NTT側の責任でもないかも知れないが、接続方法を変更したらこういうケースも発生するという事くらいは、両者とも押えておいて欲しい。プロバイダーもNTTも勉強不足甚だしいと言わざるを得ない。

 以上までの各社の対応は決して悪いものではなく、親切なほうだと思う。だが肝心の問題が解決できないのでは如何ともしがたい。

 皮肉ではなく、お蔭さまで、今回のことでは良い勉強になったと思っている、何事も起こらずにスムースに変更できたら新しい知識を得る機会を逸したことになったので。個人的にはこのようなトラブル大歓迎である。


平成15年 7月25日(金)

 時々降ったような気がするが、その辺りのことは、あまりはっきり覚えていない。というのは、天気を気にする余裕が全く無いほどに、一日中PCにへばり付いていたからである。

 それでも、日暮れ頃には爽やかに晴れわたって、気象庁もそろそろ梅雨明け宣言をするのではと思われる天気になった。

 ところがその爽やかな雰囲気をライブカメラで伝えられない。

 というのは、予定通り、午前10時にはISDNからADSLに切替が済んで、モデムの設定も終わり、インターネットにアクセス出来るようになり、劇的に早くなった、とにかく早くなった。

 しかし、ライブカメラが動かない、ホームページの更新も出来ない、つまりFTP転送が上手くいかないのである。

 プロバイダー電話したり、NTTに電話したりで結局原因がわからず、NTTが別のモデムを送ってくれることになった。それと平行して、モデムをルーター機能と切りはなしてブリッジで使ってみてはとのアドバイスもあり、それ用のソフトをインストールして使ってみたら、今度はFTP転送が出来た、しかし猛烈にリソースを消費して、すぐにメモリー不足になる。とりあえずはこの方法でホームページの更新をする。

 この調子では、二三日ライブカメラは駄目だな、ついでにライブカメラ用のPCのHDも換装して、OSもWINDOWS XPにしてしまおう。 
 
 カミサンは今日は町主催の大腸癌検診とやらで、保健センターに行ってきた。昨日から下剤を飲んだり浣腸をしたりで大騒ぎだったが、検診自体は簡単に終わったらしい。

 彼女くらいの年齢で何も大腸癌検診なんか必要ないだろうと思うのだが、カミサンは検診オタク的なところがあって、結構この手の検診が好きなのである。


平成15年 7月24日(木)

 朝は確か雨だったような気がするが、めまぐるしく変わる天気にそのあたりのことはよく覚えていない、そのような一日。

 午前中、母を宇治歯科へ。

 明日25日午前10時頃からISDN回線を、アナログ回線に切り替る旨の連絡が地元のNTT交換局から入る。

 ところが、それに先立って、NTTのADSLサービス部門からADSLの契約に関する書類が送られてきていて、それによるとADSLのサービス開始は26日になっている。

 その点を地元局に質すと、契約がそうなっているのであれば、アナログ回線になってから、ADSLサービス開始まで空白期間が出来ることになるとのこと。

 そんな話は聞いていないので、ADSLサービス部門のほうに確認をとったところ、26日は土曜で営業日ではないので、切替工事に合わせて、ADSLサービスも繰り上げて始まるとの事で、ひと安心する。

 明日になってみなければ、どちらが正しいか分からないが、NTTもめまぐるしく変わるIT環境に、各部門間の連携がまだ上手くいっていないような気がする。


平成15年 7月23日(水)

 曇りがちの一日、夕方パラリと来る。もう一昨日このサイト独自に梅雨明け宣言をしたので、今日は梅雨空ではなく、単なる曇り日である。

 カミサンが初めて刈払い機を使う、その便利さに感動して、今後は手で抜く所と機械で刈るところを上手く使い分けるそうである。

 去年水俣から移したアジサイが開いた。カミサンが蒔いたヒマワリが華やかだ、アンダルシアのヒマワリは残念ながら芽が出なかった。


平成15年 7月22日(火)

 晴れ。九州南部では梅雨明けをしたそうだ。熊本は九州南部というイメージがあるが、九州の中部にありながら、大雑把に南北に分ける場合は、北部に属するようだ。従って今日は梅雨明けではない。予報によるとまだ二三日は後らしい、しかし、ここでは気象庁の判断に捕らわれずに昨日梅雨明け宣言をした、大差はあるまい。

 炎天下、早速雑草刈りをする。今日は今年一番の暑さだったようで阿蘇も30度を超えたようだ。先日の天神さんの草刈の際に、今朝春さんが刈払い機のチップ・ソーという丸い刃に代わり、二本のナイロン・コードを高速回転させて草を刈り取る部品を付けていた。話を聞くと、これは、チップソーは、石などに当たると割れることがあり危険なので、縁石などの境目や石ころの多い場所の草刈に適しているとのことであった。

 カミサンも刈払い機を使いたいというので、危険防止の意味もあって、今日買ってきて早速試してみたが、なかなか具合が良さそうで、ケース・バイ・ケースで使い分けることにする。


平成15年 7月21日(月)

 今日は祭日。「海の日」?訳の分からない祭日につき本日の国旗掲揚は行わず。
 
 午前中、大雨。家の周囲に限って言えば、時間雨量としては今回が一番の降りかたのような気がする。庭や畑が短時間で池のようになったが、風が無い分助かる。

 そんな天気も午後には晴れて、なんとなく明日あたり梅雨明けのような予感がする。予報ではまだ降雨確率50%だが、気象庁が宣言をしなくても、出したい気分になるそんな澄んだ空だ。


平成15年 7月20日(日)

 本日は阿蘇地区パークボランティア(注)の会主催の「石畳の道を歩く8 参勤交代の道」と題する波野村・産山村での自然観察会が予定されていたが、雨で中止となった。

 今日も水俣をはじめ九州各地で梅雨前線が大暴れして、土砂崩れなどで多くの死者行方不明者を出した。

(注)
 「パークボランティア」・・・国立公園には、環境省職員である国立公園管理官(レンジャー)が配置され、現地の管理業務 にあたるとともに公園利用者に対する自然解説活動の企画・実施等を行っているが、その他にも、大勢のボランティアが活躍している。 パークボランティアとは、これらのボランティアのうち、各地区国立公園・野生生物事務所に登録され、事務所との密接な連携のもと、 国立公園の自然解説や美化清掃等のボランティア活動を行う人々のことである。

 本日20日は娘誕生から11ヶ月目にあたる、最近は2階まで一人で這い登っていく、只今歯の数、下に二本、上に二本、体重7.8kg也。


平成15年 7月19日(土)

 先日に続いてまた大雨洪水警報が出され、朝から雷を伴う土砂降りとなった。福岡地方では記録的な大雨で、かなり出水・浸水しているとのこと、典型的な梅雨末期の症状であろう。
 
 そんな雨の中を母を連れて菊陽町の松岡耳鼻咽喉科に行く。一年程前にも一度こういう事があったのだが、食べ物が喉を通らないというのである。内科的には、いつも診てもらっているので、小生など大事ではないと思い、多分に精神的なものだと思うのだが、本人がそういうのだから、そこまで言うならと出掛けた次第である。

 この医院には、ご近所の娘さんが受け付けにいる、近くに居ながらお会いするのは始めてである、挨拶をして顔つなぎをした。

 結果的には、少し炎症があり、そこが腫れると食べ物が通り難くなるのだろうが、写真で見る限り綺麗なものだとの診断、炎症止めなどの薬の投与を受けて昼前には帰ってきた。

 昼からは午前中の天気がウソのように回復して、もう完全な梅雨明けの様相を呈していたが、まだまだのようだ。

 昼過ぎにNTTからレンタルしたADSLのモデムが宅配便で届く、NTTから切替工事の連絡が入るまでに事前準備を怠り無くしておかなければならない。

 このモデム・ルーターはUPnPに対応しているそうだから、テレビ電話が出来る。千葉のおじいちゃん・おばあちゃんに娘の「今」を見てもらえる、千葉のほうで以前契約した回線業者のルーターは当時UPnPに対応していなかった、その後、状況は変わったのだろうか。

 ADSLを導入すると、ファックス・ソフトを使うには、とっくにお蔵入りしていたアナログ用のファックス・モデムをまた引っ張り出して使わなければならない。IP電話があるのだから、IPFAXなどというものがあっても良さそうなものだが。


 上げ下ろしが出来る柵部分に不具合があって、下ろしたままで使っていたベビーベッドから娘が転げ落ちたので急遽修理をした。

 ほんの少し前まで、少しの高さがあれば大丈夫だったのだが、掴まり立ちをするようになってからは、少しくらい高い障害物は乗り越えるようになっていた。

 下ろしてある柵側とカミサンのベッドはピッタリくっ付けてあるのだが、ベビーベッドからカミサンのベッド側に乗り移って、さらにそこから床に落ちたのだ。二階にいても落ちた際にオデコあたりを打った派手な音が聞こえた。子供は何度もそういう経験をして大きくなるのだから少しくらい平気だよ、と言ってもカミサンは承知しない、まあ打ち所が悪いこともあるので修理をした。


平成15年 7月18日(金)

 朝一番で、いきなり強い雨が降ったが、その後上がって概ね晴れる。夕方近くになって、時々突然土砂降りになったかと思ったらさっと上がるといった一日、だんだん梅雨明けの雰囲気は出てきた。

 朝ライブカメラを運用しているパソコンが突然停止、HDが壊れている可能性があります、というメッセージが表示される。また交換かと冷や汗が出たが、叩いたら復旧した、昔からこの手は本当に有効だ、でもなあ・・・。

 ノート用の2.5インチHDをデスクトップに繋いで365日連続運転だから、3.5インチのHDより耐久性で劣るのだろうか、バックアップを取ろう取ろう、と思いつつ、まだ大大丈夫だろうと思っているうちにある日突然ダウンする、分かってはいるのだが。

午前中母を大阿蘇病院へ、昼から娘を阿蘇中央病院へ三種混合ワクチン注射接種に。


平成15年 7月17日(木)

 晴れ後くもり、夕刻より小雨。

 午前中、母を宇治歯科へ。

 昼から、雑草刈り。

 本日NTTへADSLモアの申し込みをする、ISDNからの切替工事は約一週間後とのこと、接続機器については、急の事で検討する時間が無いので、とりあえずレンタルすることにして、あとでゆっくり選ぶことにする。


平成15年 7月16日(水)

 今日は文句無しの晴れ、炎天下はさすがに暑かった。
 
 午前中、雑草刈りをする。雨が続いて作業を休んでいたので、思いっきり伸びている。今日は周囲の田との境界を刈った。

 ついでに、以前縁先に植えた芝も刈払機で刈り揃える。芝生は隙間を空けて植えたのだが、各ブロックごとの芝は伸びるものの、なかなか隙間が埋まらない。「芝を刈ってやらならないと、横には伸びないよ」と、誰だったかな、聡雄さんたちだったか、教えてくれたので、まだ芝刈機が無いので、刈払機を上手く使って、短く刈り揃えてやった次第。なるほど、野菜類と同じで、頭を切ってやると横に伸びるという道理か。

 午後から、母を宇治歯科に送った足で、ホームワイドへ猫の餌と刈払い機の燃料を買いに行く。
 
 店内でテニ坊さんとバッタリ、そう言えば水曜の午後は休診日だ。またまた鍬の柄の買占めかと思ったら、そうでもなさそうだった。これから大津のビデオショップに行くとのこと。探し物はこの町のビデオショップには置いて無い作品なのだろう、そう言えば仁美さんの掲示板で映画の話に花が咲いていた。

 現金なもので、天気が良くて気温が上がると途端にセミが勢いを取り戻す。アブラゼミだろうか、何んだろう、盛んに鳴いている。ヒグラシも裏庭まで来て大いに鳴いている。ヒグラシの鳴き声は、母や小生にとっては、物寂しい気持を誘うが、カミサンなんかどうもロマンチックに聞こえるらしい、それぞれ通ってきた人生の長さの所為か。

 昭吾兄から、ようやく自宅でのインターネット環境が整った旨メールが入る、今まで紺屋の白袴だった。
平成15年 7月15日(火)

 午前中は雨模様の曇りがちの天気だったが、昼からは久しぶりに気持良く晴れわたった、しかし気温が低くて室内にいると肌寒いほどであった。

 昨夜のうちにか、日付が替わってからか、ホームページのアクセス件数が40,000件を超えた。

 いよいよADSL導入に向けて重い腰を上げ、いままで読み飛ばしていたパソコン雑誌のバックナンバーをひっくり返したり、インターネットで検索したりして、ADSLに関する基礎情報を仕込み始める。一の宮町でもようやくながら、いきなりベスト・エフォートで12MbpsのADSLモアというサービスが始まった(FTTHはまだ全く見えてこない)。我が家は局から回線距離で5Kmあるので、NTT曰く、精々1.5Mbpsくらいだろうということである。

 ライブカメラを運用しているので、回線をISDNからアナログに切り替えて、さらにADSLで運用するにあたって空白時間を作らぬように、新にモデム、ルーターなどの機種選定、インストール方法、設定方法など、事前によく準備をしておく必要がある。

 アナログに切り替えて、やはり期待したほどの速さが得られなかったでは、またISDNに戻すのが大変だから、その点をNTTに話して特に念入りに調査をしてもらうようにした。

 面白いぞ、面白いぞと宣伝しておいた所為もあるのだろう、聡雄さんもいよいよ「死都日本」を読む気分になったとみえて、書店で探したが見当たらないと言うので、我が家の本をお貸しした(書店としてはご迷惑だろうが、欲しい時に店頭に無いのだから致し方なしということでひとつ・・・吉田店主どの)。


平成15年 7月14日(月)

 本日は、豆札の天神祭である。今回は江藤三郎さんが座元で、以下藤井係さん、江藤正士さん、藤井鉄男さん、藤井今朝春さん、渡辺房さん、それと小生が座前で一つの組となって祭祀の運営に当った。因みに、部落の長老・江藤三郎さんは本日が満八十歳の誕生日とのこと、祝傘寿。

 8時から天神様境内の草刈と、しめ縄作りをして、祀りの準備をした。天神様の祠の中に先祖達が神殿を再建した際に記した関係者の名前や、当時の社を中心として各戸の配置などを記したがあり、皆さん自分達の先祖の名前を見つけて懐かしそうに眺めていた、我が祖父「杵島」の名前もあった。その間、カミサンはじめ女性たちは料理作りに励んでいた。

 天気もようやく回復して、久しぶりに太陽が顔を出した。

 祭り本番は午後三時からで、阿蘇神社から神官に来ていただいて、祝詞を奏上したあと集会所で会食が始まり、散会は午後6時過ぎた頃だったか。後片付けの女性たちは更にそれより遅かった、ご苦労様でした。次回の行事「妙見さん」は、渡辺サイ子さんと我が家とのこと、初めての大役に緊張する。

 昼、沖縄から阿蘇に一時里帰り?の早川さんとメシでも一緒にどうか、と聡雄さんから誘いの電話が入り、聡雄さんの事務所で落ち合って、早川さんの車で「和」に出掛けた。

 「和」は仙酔峡通りにある最近注目の手打ち蕎麦屋である。早川さん、聡雄さんはもう十分な顔馴染みだったが、小生は初めてである、旨い蕎麦など豪華版の昼食をご馳走になる。


平成15年 7月13日(日)

 心配された大雨も特に大事には至らなかったようで、朝には上がっていたが、曇り空も午後からはまた強い雨と、強風の一日となった。

 夜、宿場会七月例会が会所であった。今回はいつもの倍近くの出席者があり、あわてて机を追加するほどであった。

 今夜は、9月の馬場八幡大祭に合わせて坂梨宿で開催計画の豊後街道フォーラムの日程調整のために、豊後街道友の会の中村勝氏がゲストで参加され、また、ロータリークラブから伊藤氏が、今年で26回目を迎える「参勤交代九州横断徒歩の旅」の小中学生が通る旧街道の道路整備の共同作業の摺り合わせで出席されるなど、何時になく熱のこもった例会となった。

 また、久しぶりに早川さんが沖縄から所用で来られたついでに例会に出席された。


平成15年 7月12日(土)

 十時過ぎ、カミサンの友人山口直美さんが、市内を一巡りしてから夕方の便で羽田に帰るとのことで、カミサンたちと宮地駅まで送っていったところ、大雨で、豊肥線が運転見合わせとのこと。急遽、大津駅まで送り届けることにして、57号線を走ったが、大雨と鉄道運休が重なって道路は大渋滞、普段40分程度で行けるところを、二時間以上も掛かって大津駅に着き、無事に電車で発っていった。

 今日は大雨洪水警報が出ていて、未明から降り続いた大雨で、記録的な雨量(阿蘇山で未明の降り始めから午後5時までに360ミリ)になっている。我が家の畑も庭も池のよう、道路も至る所で側溝から溢れ出た水で川のようになっていた、あちこちの川も濁流が渦巻いていた。大津からの帰り道、道路沿いで一部小さな崖崩れも起きていた。とにかく夕刻になっても、ずっと大雨警報が出っ放しである、大きな被害が出なければ良いが。

 今日からまた婆様の歯医者通が始まった。昔作った入れ歯が割れたそうである。客人を送る前に宇治歯科に落っことして行く。
平成15年 7月11日(金)

 今日の天気は、九州地方の熊本県以北は全部雨との予報だったので、自然が「もてなし」の阿蘇としては如何ともしがたく、思い切って、客人を雨域から外れている鹿児島の桜島見物にお連れした(結果的には阿蘇も曇り程度で雨は無かったようだ)。

 ついでに「死都日本」の現地踏査?と西南戦争敗走ルートの雰囲気を掴む目的も少しはあった。

 初めて九州自動車道の八代以南を走ったが、長短トンネルが合わせて23箇所も連続する人吉あたりを走る山岳ルートは九州山地の険しさがよく象徴されていると思った。西郷軍が熊本で破れて鹿児島に敗走する際にこのあたりの山岳地帯を通ったのだろうか。

 えびのPAで加久藤カルデラを眺めたあと、姶良カルデラの縁にあたる加治木から隼人道路に入り、鹿児島湾を時計回りに走って国分ICで降りて(というところを、降り損ねて、次の末吉財部というところまで、途中降り口が全く無いまま、延々と二十数キロ無駄に走って、そしてまた戻って)海岸線を走り、桜島が陸地部分と繋がった垂水側から桜島に入った。

 阿蘇を出たのが九時で、桜島に入ったのが午後一時を回っていたと思う。桜島も頂上付近は雲に隠れていて、「らしさ」は分からなかった。桜島の南側の裾野を走って、桜島港に出て、フェリーで15分の船旅で鹿児島に渡り、昼食時に少し休んだ以外は、結局ただ走っただけという旅だったが、六時前には帰り着いた、今日一日の走行距離530キロ也、少々くたびれた。

 帰ってからニュースで、昨日の夕方、阿蘇山が少し噴火したのだろうか、波野の箱石峠あたりに降灰があったと報じていた。昨日の昼過ぎに火口を覗いたばかりだったので驚いた。周りの火山好き(噴火が好きという意ではない)な連中の怪しげな?胸騒ぎが聞こえてくるようだ。

 阿蘇山は大切な観光資源でもある、周囲に被害が出ない程度のほどほどの噴火であれば集客効果もあり、ライブカメラの演出効果も上がるのだが、と小生も内心不謹慎百も承知の妙な期待感がある。しかし自然はそんな都合のいい応え方をしてくれるだろうかと、ふと破局的噴火が脳裏をかすめた。


平成15年 7月10日(木)

 曇り、時々雨。雨、時々曇り。ニュアンス的にはどちらだろう。
 
 今日はカミサンの中学時代の友人直美さんが千葉から遊びに来てくれた。カミサンと娘を乗せて空港まで出迎えて、昼食を西原村にある、以前は酪農パークと言い、最近は改名してミルク牧場(だったかな)で摂ろうと寄ってみたが、本日は見事に休園日だった。

 然らばと、そこが起点のグリーンロード南阿蘇を走って南郷谷に降りて、阿蘇山の登り口にある白水温泉「瑠璃」で昼食を摂った。

 今日の阿蘇山頂付近は濃い霧に包まれていて、肝心の火口周辺は殆んど見えなかったが、それでも時折吹く強風に一瞬霧が途切れ、綺麗な抹茶色をした湯だまりが顔を見せた。

 直美さんは、以前来た時にもガスで火口が全く見えなかったそうだが、今回は短い時間ながら、火口壁も噴気も湯だまりも見えたと言って、一応満足してくれたようだが、いつも遠来の客を迎える場合、あたかも自分が阿蘇の天気の総責任者の如き心持になって、悪天候の場合は本当に申し訳なく思う。

 阿蘇山頂からの景色が見えなかった分を補う意味もあって、帰途、火山博物館に寄ってマルチスクリーンで阿蘇のダイナミックな風景を楽しんだ。池辺館長はご在館であったかどうか不明だが、今回は面会を求めなかった。

 直美さんには、カミサンが、我が家を宿にと勧めたのだが、一人気兼ねなく旅情に浸りたいとの希望で、既に「かんぽの宿」が予約してあったので、我が家でしばし歓談後、皆で送っていって、ついでに部屋まで押しかけてオープンしたての綺麗な宿を見学してきた。


平成15年 7月 9日(水)

 概ね晴れ、本日も涼風、爽快也。阿蘇上空に積乱雲、梅雨明けしても良さそうな感じだが、明日からまた、この辺り一帯雨になるらしい。カミサンの友人が明日から阿蘇を訪ねてくるそうだが、生憎の天気になりそうだ。

 久しぶりに裏の雑草刈りをやるが、炎天下に体が鈍っていて続かず、短時間で終了。

 夕方、高木義臣・直子夫妻が、鈴虫を届けてくださる、カミサン大いに喜ぶ。

 娘が本日、四つん這いで初めて這う。今までは、体の前面を全部床につけて、手で漕ぐようにして前進していたが、両腕と両膝だけで支えて這った。四つん這いで「這う」は、馬から落ちて落馬するの類か、四つん這いをするが正しいか。カミサンは育児日記をつけているが、子供の夏休みの宿題のように、何日分かまとめて書くので、歯が生えたのは何日だったっけ、という調子、従って、気がついた範囲で記録しておくことにする。


平成15年 7月 8日(火)

 ほぼ晴れ、久しぶりに爽やかな日也。

 千葉の義父が蓮の花の写真を送ってきた、日の出前から出掛けて行ってシャッターチャンスを狙ったらしい。義父は蓮の花が大好きでいつも綺麗な写真を撮る。

 撮影場所は千葉公園だそうだから、多分「大賀ハス」だろう、この蓮は1951年、大賀一郎博士によって千葉市検見川の2000年以上前の地層から発掘されたのだから、まさに地元である。

 全部フルサイズで載せたいところだが、一枚だけミニサイズで載せることにして義父殿(おやじどの)には勘弁願うとしよう。


平成15年 7月 7日(月)

 相変わらずの梅雨空だが、晴れたり降ったりのメリハリが出てきたような気がする、これはそろそろ梅雨末期の現象だろうか。


平成15年 7月 6日(日)

 曇り、時々強い陽射し。
 
 ここのところ、日々の記録の記事量が少ないので、寺内さんから、健康でも害しているのでは、とのメールを頂戴したが、すこぶる健康であるが、そうそう毎日書くネタも無いので、天候のみを書いていると返事をした。


平成15年 7月 5日(土)

 雨、今日も風強し、こう続くと腹が立ってくる、これも農作物を作っているからだ、それが無ければ、風が強かろうがどうと言うことも無いのだが。

 夕方、雨に煙る木立の中から早くもヒグラシの声が聞こえてきた、今年初めてか、もうそんな季節か。

 ここのところ色々と検討して来た太陽光発電は、色々考えた結果、今回は導入を見送ることにした。
 
 夕方4時半から、未入園児などを対象とした坂梨保育園主催の納涼祭があった。

 娘にも招待状が送られてきたので、カミサンに連れられて出掛けていった。小生は入り口まで送るだけにして、参加はしなかったが、未入園児のほかに、老人会なども参加したそうで、100人近い集まりだったそうだ。

 生憎の雨空だったので、盆踊りや花火は中止になったようで、室内で遊戯などがあったそうで、娘にとって地域デビューというところか。


平成15年 7月 4日(金)

 午前中、雨、午後より曇り、夕方近く薄日射す。
 
 記録メディアCD-R、内蔵用のFDドライブ(故障により)などを買い求めに市内パソコン専門店のAppliedまで出掛ける、途中何処にも寄らず、とんぼ返り。


平成15年 7月 3日(木)

 曇り、そして雨。

 風が強い、嫌になるほど風が強い、家が揺れるほどである。阿蘇という所はこんなに風が強かったか?季語としては冬だが、終日虎落笛が聞こえていた。


平成15年 7月 2日(水)

 曇り。

 昼から二時間くらいか、刈払い機でミニ田周辺ほか、少し目に付くところの雑草を刈り取る。怠け癖がついて久しぶりの作業也。

平成15年 7月 1日(火)

 雨、一時強く降る。
 
 午前中、母を大阿蘇病院へ。