平成15(2003)年 9月の記録(新しい日付けの順)

平成15年 9月30(火)

 殆んどの田の刈り入れも終わり実に気持の良い秋晴れが続いている。

 今コスモスが満開で、昨年道端で抜いてきた数本の株が一年で増えて、そこいら中一杯になった。

 我が家でも、本日ミニ田の稲刈りを行った。皆さんに元気なところをお伝えすべく婆様も自ら鎌を取って刈り取りをした。

 今年の収穫はこんなものだ、はて多いのやら少ないのやら。


平成15年 9月29(月)

 晴れ、娘は一週間ぶりに保育園に行く、ブランクはあったがもう慣れており心配はなかった。

 母を大阿蘇病院へ。先日風邪を引かないと誉めたばかりなのに、気管支炎をこじらせたようで、点滴を打ってもらった。今回は家族中が風邪をひいてしまった。我が家の今回の風邪は喉に来るのが特徴のようである、カミサンはそれに咳がひどい。


平成15年 9月28(日)

 文句無しの秋晴れ。

 本日馬場八幡の秋の大祭、坂梨地区は祭り一色となる。宿場会の連中も皆祭りはっぴに身を包み、神輿や山車に興じていた(写真1写真2)。

 坂梨保育園の園児達も行列に参加した。娘も参加の予定だったが、風邪の治りが少し遅れていたので、念のために参加を取りやめた。

 園児達は鼻筋に白粉を引いて、鉢巻にハッピを着せてもらい、保母さんに手を引かれ、或いは乳母車に乗せられて、可愛い声を張り上げて行列に参加していた(写真1写真2写真3写真4写真5)。娘が参加できなくて少々残念だった。豆札の子供達もお母さんたちとお揃いの祭り衣装が決まっていて馬場八幡で楽しそうにはしゃいでいた。

 宿場会では順子さんが責任者となって木村豆腐店横で昨年同様オデンや握り飯、生ビールの店を出して好評を博していた。

 今日の馬場八幡の祭礼の見学も兼ねて、九州歴史街道ネットワークの中村勝氏が音頭をとられて豊後街道友の会の研究会が坂梨公民館で開かれ、佐賀関、鶴崎、久住など大分県や熊本市、阿蘇地域から関係者二十数名の参加を得た。嘉悦先生も講師役で出席されたが、宿場会の連中は祭りに参加のため参加できず、田上さんと小生が会場の設営などバックアップに回って、ひとまず無事に終了した。

 先日予約した携帯電話が届いたが、マニュアルが分厚くて、今のところ殆んど使い方がわからない。


平成15年 9月27(土)

 爽やかな秋空、終日事もなし。


平成15年 9月26(金)

 久しぶりに抜けるような秋空になった、気温もようやく平常に戻り、日中は汗ばむほどであった。

 娘の風邪は殆んど治っているのだろうが、相変わらず洟を垂らして呼吸が苦しそうだったので、用心のため今日まで保育園を休ませることにした。


平成15年 9月25(木)

 曇り。
 
 急に気温が下がって心細くなってきたので、ストーブの整備をする。何度か屋根に登ったり、煙突を外したりして掃除をしたことがあるが、ストーブ本体のメンテナンスは初めてである。どうしても一部分解しなければ手が届かない場所があって、以前も試みたが良く判らなかった。

 北欧で何十年だか何百年だかの伝統のあるストーブだそうだが、ユーザーに対して日本製品のようにあまり細やかな配慮はなされておらず、今日ようやくトップパネルを外すことに成功して、溜まりに溜まった灰を掻き出すことが出来た。これで何時でも焚ける。

 しかし、まだ宿題が残っている。子供がストーブで火傷をしないよう、柵を工面しなければならない。買ってもよいのだが、なんとか竹を使って自作できないかと思いつつ冬が近づいている。

 昼から阿蘇神社の流鏑馬に出かけた。今年も健太郎君のお父さん、貴之さんが射手として颯爽と馬で駆けた。健太郎君直樹君がおばあちゃんおじいちゃんに抱かれてお父さんを応援していた。麻理子さんはご主人を一生懸命ビデオに収めていた。

 聡雄さんもカメラを持ってシャッターチャンスを狙っていた。嘉悦先生も見えていた。

 カミサンは昨年は出産で見られなかったので、今年こそはと楽しみにしていたが、葬儀のために実家に戻っていて残念ながら今年も見られなかった。

 そのカミサン、夕方、二泊三日の慌ただしい旅を終えて帰ってきた。娘は往きも帰りも機内で大泣きをしたそうだ、風邪気味だったので耳の気圧調整が上手くいかなかったのだろう。


平成15年 9月24(水)

 曇り。カミサンも娘も不在の久しぶりに静かな一日だった。でも何となく物足りなさを感じたのも確かだ。

 とうとう携帯電話を持つハメになってしまった。もともと小生はPHS派で、向うで使っていたPHSをこちらでもそのまま使っていた。

 料金は安いし、音質が良いし、データ−通信では断然携帯電話より早いからである。しかしサービスエリアが狭くて、田舎ながらここでは使えるものの、少し幹線道路から外れると電波が届かない。

 今まではそれでも良かったのだが、カミサンが働くようになって、娘が保育園に通うようになり、何処にいても連絡がつく必要がでてきたのだ。そこで已む無く携帯電話に変更せざるを得なくなり、本日近くのドコモショップに出掛けた次第である。

 それにしても最近の携帯電話は一体何だ!!電話とメール機能さえあれば良いのにデジカメまで付いている、オーバースペックも甚だしい。と言いながら、結局最新のモデルを選んでしまう「わさもん好き」の自分がなんとも情けない。

 どうせなら高速データ通信が出来るFOMAが良いのだが、残念ながら此処は未だサービスエリア外である。結局メガピクセルカメラつきの機種にした。ただ需要が多すぎて生産が追いつかないそうで予約だけで帰ってきた。

 午後から内牧の松野動物病院へ二回目の五種混合ワクチン接種のためボンを連れて行く。これで今後予防接種の必要は無いそうである。

 大津酒造の清酒「神の杉」の命名が園田太邑だということを最近知ったので病院からの帰り、すぐ近くにある大津酒造にちょっと寄って挨拶をする。店内にも麗々しく命名由来が書いてあって面映い思いをする。

 健太郎君のお母さん麻理子さんが、運動会で撮った写真を届けてくれた、こちらのほうが運動会の雰囲気が良く出ているので、追加アップする。豆札五人衆の母親三人組のアップ写真もある。(写真1写真2写真3)


平成15年 9月23(火)

 晴れ。秋季皇霊祭、国旗掲揚。裏山に登り線香と花を供えてご先祖様を供養。このような時には必ず般若心経を唱える、お経はこれしか知らないが暗誦できるし書くことも出来る(南郷谷のナントカ坊主が笑っていることだろう)。ボダイサッタの「タ」と、シンムケイゲの「ケイ」だったか、この二文字はパソコンでは打てない、簡単な文字ながら第二水準にも無いのである。ついでながら教育勅語も暗誦できる、だから何だと言うのだ。

 カミサンの祖父、即ち義父の父良太郎翁が昨日亡くなったとの連絡が入り、カミサンと娘が夕方の便で千葉に帰る。90歳を幾つか超えており、一般的には年齢に不足は無いのかも知れないが、肉親にとってはいつまでも元気でいて欲しかったことだろう。せめておじいちゃん、思いかけず孫の顔を見られて少しは慰めになると良いが。合掌。

 昼間、聡雄さんの隠れ家兼工房で北海道から取り寄せて師匠自らが打った新蕎麦のお相伴にあずかる、立さんもかき揚げを自ら揚げて持ってくる。来月宿場会で予定している二日間限りの蕎麦屋のメニューの検討も兼ねての集まりである。赤星さん、順子さん、葉子さんとメニューの豆腐の吟味をしたり、盛りつけを研究したり。久しぶりに美味い蕎麦を食べて、最近少々サボっている蕎麦打ちの虫が少し騒ぎだした。

 オハギを買うつもりでいたのが、今日一日のゴタゴタでウッカリ買い忘れた、「六日の菖蒲方式」で明日供えることにする。

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<掲示板より転載>
そば切り隊出場
 投稿者:葉山大湖   豊後街道坂梨宿
坂梨宿場にそば切り隊が出場します。 ゆっくり遊びにお越し下さい。  
場所 中虎屋(阿蘇郡一の宮町大字坂梨 坂梨公民館(P)の東 豊後街道沿い)
日程 10月18日19日(土、日)
時間 18日 11時から21時まで
   19日 11時から16時まで
その他 入会金100円(昨年入会した方は不要です)
    もりそば 500円 (宿場豆腐冷や奴付き)毎日百枚程打ちます売り切れ御免
    そばがき 200円
    そば前(特上清酒 ソムリエ特選清酒)価格未定
    そば粉は北海道幌加内産の2003年秋新で生粉打ち(十割)水は阿蘇外輪伏流水、ご期待下さい。
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平成15年 9月22(月)

 今朝は室内の温度が20度を切っていたので、戸外で気温を測ったところ8.4度を示していた。いきなり秋がやってきた。阿蘇の山並みが抜けるような秋空のもと美しかった。

 娘が少し熱があるという保育園からの連絡により、少しだけ早引けをして古閑医院から薬を貰って帰ってきた。先日の予防接種の際の注射を覚えていたらしく先生の顔を見た途端に大泣きしたのには笑ってしまった。帰宅後も洟を垂らしはするが元気で、座薬までの必要な無さそうなのでひと安心する。カミサンも風邪気味で勤めの帰りに古閑医院で注射を打ってもらったそうである。


平成15年 9月21(日)

 晴れ、今朝は草千里でこの秋初めてストーブが入ったそうである。麓でも朝晩は肌寒さを感じる。そろそろ我が家でも薪集めをする時期がやってきたということか。夏の間に少しずつでも貯めようと思ったが、暑い間はとてもそういう気分になれず、結局寒くなってから自転車操業で薪割りの毎日になるのだろう。

 薬を呑んで一晩寝ただけで小生の風邪も治ったようで、今日はほぼ平常に復した。カミサンも昨日は怪しかったがひどくならずに済んだようである。娘が持ってきた風邪を小生もカミサンも貰ったわけで、これからこういうパターンが増えることだろう。それにしても我が家の婆様は滅法風邪に強く、小生の記憶の中には過去婆様が風邪を引いたということは無い、これだけはたいしたものだ。


平成15年 9月20(土)

 曇り時々小雨。

 本日坂梨保育園の運動会。出発の準備に手間取り、とりあえず娘の集合時間に間に合わせるべく小生が娘を乗せて先行し、遅れてカミサンと婆様が追いかけてくるという慌ただしい格好になり、開催時間になんとか間に合った。同じ部落の健太郎君や蒼唯君・春樹君の一家も家族総出で応援に見えていた。

 運動会は、昨日準備した園庭で予定通り午前9時から始まったが、台風の関係からか、天気が予報より早く崩れて、幾つかのプログラムが終わったあたりから雨になったので、急遽隣接する坂梨小学校の体育館に会場を変更して競技が続行された。相手が自然では致し方無いことだ、子供たちとっては案外一度に屋外と屋内と両方で運動会が出来たと喜んでいるかもしれない。

 娘たち年少グループは午前中に出場種目を集中させて、早いところ終わらせて親元に引き渡すようになっていて、娘も皆と同じ新調の体操着に身を包み徒競走に乳母車で保母さんに連れられて一丁前にコースを走った。親子遊戯では母親に抱かれて皆と一緒に輪になって踊り、音楽に合わせて手を打ったり挙げたりして、自然に体が動くと見えて如何にも楽しそうだった。

 カミサンも午後からムカデ競争や綱引きなど保護者参加の種目に出場して、仕事の都合で普段お会い出来ない他の保護者の皆さんと交流を深めていた。

 一方の父親は、朝の出発時の混乱や駐車スペースの確保で、もう最初からクタクタになっており、ビデオカメラを一応持っていったもののロクに回すこともなく、周囲の雰囲気に飲まれて何がなんだか分からないうちに時間が過ぎていった。

 いやあ子供の運動会とはこんなに疲れるものか、少し風邪気味だったのが、今日一日で本格的に風邪を引いてしまったようだ。それにしても保育園の保母さんたちのご苦労には本当に頭が下がる。
(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9)


平成15年 9月19(金)

 晴れ、今朝もまた霧が深かった。晴れて、風がなく、明け方冷え込むと霧が出る。

 正志さんが免田の米を届けてくださる。志賀さんから頂戴する分だけでは足りないので不足分は、いままでスーパーで買っていたが、今年は部落でとれた米を買うことにしたのだ、阿蘇コシヒカリだ、玄米を食べるたびに少しずつ精米したほうが美味いに決まっている。

 娘を保育園に送りがてら、婆様を大阿蘇病院へ。

 午後三時から明日の保育園の運動会の準備に出かける。父兄、おっと今は父兄とは言わないらしい、保護者というようだ。保護者約三十人でテントを張ったり、万国旗を張ったりした。既に顔見知りの保護者も何人かおいでで、健太郎君のお母さん麻理子さんの顔も見えた。保育園の運動会というのはこんな小さなグラウンドで出来るのだと改めてその小ささに驚く。明日はこのグラウンドが子供たち、保護者たちで一杯になるのだろう。(写真1写真2写真3


平成15年 9月18(木)

 晴れ。今朝も昨日同様深い霧で明けた。

 昨日から喉が少し痛い、娘の風邪が移ったか、やはり歳なのだろうか、近年はめっきり抵抗力が無くなった。その娘は今朝保育園で保母さんに手渡す時に初めて泣かなかった。

 田で稲刈りが終わったあとの藁は、一部は細かく裁断されてそのまま田の肥料になるが、その他は裁断せずに牛などの飼料にする。それらはコンバインの設定で、稲を刈りながら自動的に排出されるようになっている。

 飼料になる藁は良く乾燥するように専用の機械で田の中を縦横に走り回りながらかき回す。そのあとで、大きなロール状に巻き取っていく、それもこれも全て機械が一気にやってしまう。

 馬場の江藤要一さんは息子さんの亮二さんと、暗くなってからもライトを点けた機械で田んぼを走り回り藁をロール状に巻いて、ポンポンと置いていき、それをトラックに積んでは次々と運んでいく、今が冬に備えての飼料作りで一番忙しい時期だそうだ。

 本日ホームページのアクセス・カウンターが50,000件を記録した。


平成15年 9月17(水)

 晴れ。今朝は10時近くまで家の周囲が深い霧に包まれていた。多分阿蘇谷一帯が霧に沈んで静かな朝を迎えたのだろ。こういう朝は外輪山から見事な雲海が見られたと思う。

 サツマイモの試し堀をしてみたが、見事に育っている、いつでも良さそうだが、収穫の目安を何処に置いたものか。

 娘が保育園に復帰した。四日間のブランクをモノともせずに元気に過ごして夕方戻ってきた。


平成15年 9月16(火)

 晴れ。
 
 娘の熱はほぼ平熱に戻っていたが用心のために保育園を休ませた。おかげで一日中婆様と二人で子守りに追われ、その行動力に二人ともヘトヘト。

 馬場を通りかかると、正士さんルミ子さん夫妻が免田の稲刈りの真っ最中だった。本来は部落協同作業なのだろうが、今は機械があるので夫妻だけでやってしまうとのこと。我が家の周囲も今日で綺麗サッパリ全て稲刈りが終わった。


平成15年 9月15(月)

 如何にも秋らしい気持の良い一日だった、本日敬老の日、我が家の長老に敬意を表して国旗掲揚。
 
 保育園で先日足形を取ったそうで娘が足の裏を真っ赤にして帰ってきた。何に使うのだろうと思っていたら、今日娘が差出人でお婆ちゃん宛に敬老の日のお祝いレタックスが届いた、それに足形が押してあった、保育園の粋な計らいに婆様は大喜び。

 家の周りでいよいよ稲刈りが始まった、志賀昭久さんがコンバインを動かしている、今朝春さんがコンバインを動かしている、米が低迷している、今年の作柄はあまり良くないなどと言っても、黄金色に実った稲が次々に刈り取られていく様子を見ていると、「豊穣の秋」という言葉がピッタリの風景だ、やはり日本には米が一番似合う。

 娘が鼻水を垂らして熱が8度近くある、今日は休日で医療関係は休みだ、でも元気で食欲旺盛なので大丈夫だろう。


平成15年 9月14(日)

 晴れ。
 
 部落の秋の天神祭。天神祭は7月14日にもあった、年に二回ある。今回は渡辺房さんが座元で、前回の座元が座前に戻り、座前のメンバーは前回と同じである。これで今年の行事は終わる。

 男達は境内の草刈や免田の畦切りに汗を流し、女性達は料理つくりに精を出す。大体要領は分かった。

 今回は娘が留守番をさせられるのを嫌がって泣くので、娘同伴でカミサンと交替にお守りしながら参加した。娘は保育園で鍛えられた効果が早速現われたと見えて、人前に出ても泣かなくなり、皆さんに抱かれたり健太郎君にシャボン玉を見せてもらったりして結構楽しそうだった。(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8
 散会後、今朝春さん優香さん夫妻と房さんがライブカメラやインターネットの見学に我が家に立ち寄る。


平成15年 9月13(土)

 残っていた雨も昼頃には上がり気持の良い天気になった。
 
 今日から三連休だとカミサンは喜んでいるが、そういった勤め人の喜びは小生にはもう無縁のものとなっている。

 いよいよ稲刈りが始るようで周囲の田んぼにコンバインが運び込まれて待機している。

 夜八時から九月宿場会例会が開かれ、ロータリークラブ伊藤氏から、先般の参勤交代徒歩の旅の報告と協力にたいする謝辞があった。審議事項は馬場八幡祭の模擬店出店の件、同日開催予定の歴史の道フォーラムのサポートの件等々、そのあと一杯やりながらの懇親。近いうちにまた宿場会主催の蕎麦屋をやることに。


平成15年 9月12(金)

 台風14号は九州からかなり沖合いを通過して行ったので、通り過ぎてからの吹き返しが少々あったが、強風が決して珍しくない阿蘇では別に驚くほどのものではなかった。

 今日から娘の保育園滞在時間を延長して午後4時までお世話になった。迎えに行ったらもう全く心配が無い状態だった。保育時間が長くなったのでようやく自由時間が出来た、いや自由時間でなく作業時間だ。


平成15年 9月11(木)

 小雨模様の一日、まだ台風は石垣島あたりにいる。

 昨日最後の一匹がリーンと鳴いて今年のスズムシが終わった。しかしメスはまだしっかりと生きている、逞しい。

 今日は保育園で運動会の親子遊戯の練習と勤労奉仕があった。親子遊戯のほうの練習は勘弁してもらって、勤労奉仕のみ参加した。

 勤労奉仕とは園庭の草刈である。昼に一度帰ってきて、4時過ぎに再度娘を乗せて刈払い機を積んで出かけた。今日の保護者は全部お母さんがたで、刈り払いを持って来たのは小生ともう一人の男性の保護者だけで、二人で園庭の雑草刈りを受け持って、女性達は別のところの雑草抜きをやった。

 その男性は野村さんという方で、娘と同じゆり組みの佳央ちゃんのお父さんだということが分かった。佳央ちゃんは娘を迎えに行くと、いつも真っ先に親しそうに話し掛けてくる子だった。子供を通して、また新しい知り合いが出来た。

 今日は子供達は運動会の練習があったようで、娘も乳母車に乗せてもらって園庭をグルグルと気分良く回ったそうだ。


平成15年 9月10(水)

 雨、のち曇り。台風14号が近づいている。今回は九州の西側を通るようだ、最接近は明日か明後日か、博臣さんは例によって早々ともう雨戸を板で留めていた。
 
 昨夜午前3時頃、突然の防災無線からのサイレンで目が覚めた。ボリュームを絞っておいても、緊急時には自動的に最大音量になる仕組みだ。放送によると仲町にあるスナック「オンリーユー」からの出火だそうで、田んぼ越しに炎が空を赤く焦がしていた(全焼だったそうだ)。

 朝送り届ける時はまだ泣くが、娘は劇的に保育園生活に順応している、今日は同年輩の仲間と一緒に無心に遊んでいた。そういう姿を目にすると、一時的に親元から引き離される心細さより、周りに仲間がたくさん居る環境のほうが長い目で見た場合に絶対に良いと思えてくる。


平成15年 9月 9(火)

 晴れ、午後より雷雨。午後2時頃と夜8時頃、落雷によるものと思われる停電が二回あった。特に昼間の雷は凄かった、近くに落雷があって、家が震えるほどで、眠っていた娘が驚いて飛び起きた。その時にはブレーカーも落ちたのでパソコンなどに何かあったかと心配したが、大丈夫だった。

 娘は日を追って保育園に馴染んでいるのがわかる、今日は迎えに行くと仲間と混じって遊んでいた。そこでお願いして皆に集まってもらって集合写真を撮らせてもらった。

 登園の際には、チャイルド・シートが後席の、しかも後ろ向きに付いていて、娘が不安がるので、鏡を取り付けて運転しながらバックミラーで顔が見えるよう工夫をしている。


平成15年 9月 8(月)

 晴れ。中岳が最近なんとなくキナ臭くなっているようだ、噴煙も盛んに上がっているように見える。夜間、阿蘇山火口動画ライブ(http://www.ntt-west.co.jp/kumamoto/live/)でも赤熱現象が良く見える。
 
 登園時は相変わらず泣くので、二日のブランクで娘の保育園生活はどうだったかと少々心配だったが、迎えに行くと、もう周囲に大分溶け込んでいるようで、帰るときには自分からバイバイをしていた。

 帰宅後も保育園ストレスは全くと言って良いほどなく、機嫌も良く全く手がかからなかった。劇的に変化しつつあるようである。
 
 今日は子供たちが庭で運動会のダンスの練習をしていたが、これは娘のクラスより上のクラスのようであった。

 娘と同じ部落で同じクラスの健太郎君のおばあちゃんが新潟で写真を楽しみにしておいでだそうなので、サービスに一枚(娘は左腕に抱いて撮ったので写っていない)。


平成15年 9月 7(日)

 今日も暑かった。そんななか刈り取った雑草や竹を山ほど焼却する、全くもってご苦労さんである。
滝のような汗をかいて飲む水道の水がウマイ、文句無しの名水だから。


平成15年 9月 6日(土)

 晴れ、相変わらずの暑さ。

 娘にとって久しぶりに母親のいる一日。その母親は今日が何十回目かの誕生日で、朝、小豆ご飯と尾頭付の膳でささやかに祝う。


平成15年 9月 5日(金)

 晴れ、今ごろになって本格的な夏到来と言った感。

 今週の娘の保育園通いはとりあえず本日まで、明日はカミサンが休みなので、園も休むことにする。大分慣れたがもう少し様子を見たほうが、との勧めでもう暫く半日保育を続けることにする。近いうちに運動会などもあるそうで、親子で出るよう勧められたが、この歳でそれだけは何とかご勘弁願いたいところだ。

 今日は娘と婆様を車に乗せて、スーパーに出掛ける。いつもだと、婆様にお守りを頼んで出るのだが、今日はどうも言うことを聞かなかったので、やむを得ず皆で出かけたという次第。早く一日保育にステップアップして欲しい、少し楽をさせてくれえ〜、父親の切なる願いである。


平成15年 9月 4日(木)

 晴れ、連日の猛暑。市内では36度を超えたと全国版の天気予報で言っていたが、そうなると阿蘇でも30度は当然超えていたのだろう。最後の追い込みで、猛暑が続くと、稲の実の入り方も少しは回復するのでは・・・

 娘の今日の通園は、途中の車の中で泣き出して、保母さんに渡す頃はもう大泣きだったが、そのあとは割合にすぐに落ち着いたそうで、午前中の昼寝もちゃんとしたし、昼食もちゃんと食べたそうで、大分慣れてきたそうである。確かに、帰る時も保母さんの腕の中に安心して抱かれており、小生のほうにすぐに来ようともしなかったし、家に帰ってからも普段に近い動きに戻ってきている。

 カミサンは今週一杯は夜10時頃のご帰還である。というのは就職早々、パソコンの講習を受けさせてもらっているとのことで、その講習が昼から夜まであるのである。従って小生が娘を風呂に入れて、飯を食わせて、寝かしつけてと、クレイマー、クレイマー状態である。


平成15年 9月 3日(水)

 晴れ、猛暑。

 娘の警戒レーダーが昨日より早めに作動し始めて、送る車の中で早くもグズリだし、昨日同様、保母さんの手に渡した途端に大泣きを始めた。当分は止むを得ない。

 以前、甥の涼から貰ったマックの旧型をゲストルームに置いておいて、時々婆様が使っていたが、本日婆様の部屋で常時使えるようにして、婆様の専用マシンにした。最近ホームページに孫の写真がよく載るようになったので、いつでもすぐに見たいらしい。スイッチのオン・オフ、webの操作は自分で出来る。


平成15年 9月 2日(火)

 晴れ、猛暑。

 朝、娘を保育園に送り届ける。当分の間は送迎と子守りで明け暮れるので、この話題しかない。

 幼児とは言え、ちゃんと学習しており、今朝は保母さんに預けた途端に昨日の経験を思い出したか、すぐに泣き出した。しかし迎えに行った時にお聞きしたところ、昨日より泣いている時間は短かったそうである。

 娘のクラスは、ゼロ歳から二歳までの子供のクラス、迎えに行った時は丁度昼時で、自分で食べられる子供達はテーブルに向かって騒々しく給食の真っ最中であった。

 肝心の娘はと言うと、食事が始まると同時に眠り込んだそうで、川島先生の腕の中で沈没していた。午前中の昼寝の時間でタイミングを逸して寝損なって、給食の時になって急に睡魔に襲われたらしい。寝ている娘を車に運んで帰って来て、そのままベッドに運び夢の続きを見させてやった。

健太郎君のママよりエールの書き込みがあった。
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 入園おめでとうございます 投稿者:まりこ
 投稿日: 9月 1日(月)23時35分06秒

 うちの子を今朝9時過ぎに登園させたときは、お外で先生におんぶされて元気よく泣いていましたよ。

 うちのも4日くらいは泣き別れでしたがあっさり別れるようになるとかえって親が寂しく感じたりしたものでした。

 いまでは楽しくて帰るのが惜しいそうです。先生もやさしいし世話焼きお兄さんお姉さんがいっぱいいるのでみんながかわいがってくれますよ。

 たのしい保育園生活になりますように!

 あ、奥様も就職おめでとうございました。がんばって!
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平成15年 9月 1日(月)

 本日から新学期、カミサンが働き始めた、娘が保育園に通いだした、阿蘇山も白い噴煙を大いに吐き出していた。

 小生との年齢差を考えた場合、そんなに遠い将来でなく、いずれ小生亡き後、カミサンは(ずっとそうかは分からぬが)一人で子供を育てていかなければならない。

 だから、アルバイト的な仕事でなく、そのうちにちゃんとした仕事に就いて生活の基盤を作りたいと思っていたところ、たまたま新聞で募集広告があり、簿記の資格とパソコン操作術が生かせる仕事だったので、またと無いチャンスとばかり駄目元で応募した。

 勿論本人の実力があってのことだろうが、本人はこっそり受験したのだが、狭い町で、まだ僅かな期間しか住んでいないにもかかわらず、識っていてくださる人も多く、多分有形無形の応援があったのだろう、この就職難の時代に運良く採用試験に合格してしまった、まさに、「してしまった」という感がある。

 本人が、試用期間もあり、そのうちに、お前は駄目だと引導を渡されたら格好悪いから名前は出さないでくれと言うので、就職先は書かないが、いわゆる民間企業では無い。かといってお役所でもない。設立に関しての特別法があるので、特殊法人になるのか、なんとか戦力なって頑張って欲しい。

 そんなわけで、本日から小生は「主夫」となり、久しぶりのOL?姿になったカミサンの出勤と相前後して8時半頃、同じく本日が初登園となる娘を保育園に送り届けた。

 もう沢山の子供たちが登園しており、賑やかななか、箱入り娘としてはどういう反応を見せるのか、少々気懸りではあったが、玄関先で出迎えてくださった保母さんにすんなりと泣きもせず、抱かれたのでホッとした。園には同じ村の同級生もいることだし、子供は環境に順応し易いので、すぐに慣れて、もしかしたらそのうちに女ガキ大将になるかもしれない。

 いずれ終日保育をお願いする予定だが、暫くの間は半日保育で様子をみることにして、給食が終わった頃迎えに行ったところ、皆はもう終わったのだろう、娘だけが保母さんの膝に抱かれて丁度給食中だった。

 小生の顔を見て泣き出したのか、その前からベソをかいていたのかハッキリしないが、結局小生が園児が沢山見守る中で、娘に昼食を食べさせるハメになった。

 昼食を食べさせながら保母さんにお聞きしたところ、やはり初日は知らない顔ばかりの中に放り出された格好になったので、朝送っていったあと、しばらくして心細さで泣いたそうであるが、すぐに慣れるでしょうとのこと。

 それにしても園児達の元気のいいこと、健太郎君や春樹君を始め、何人もが入れ替わり立ち代り小生が食事の面倒を見ているところにやってきては話し掛けるのである、これには閉口した。こういった仲間達に囲まれて娘はきっと元気に育ってくれることだろう。

 午後からは婆様と二人でお守りをして、夕方には、昨日までは二人で浴槽内と浴槽外作業と分担していた入浴も、小生一人でこなして、何とか合格点。カミサンも出勤初日を無事に終えて夕方には帰ってきた。職住接近、車で10分も掛からない所なので、今まで二時間かけて通勤していことを考えたら夢のような環境である。

 かくしてカミサンの初出勤、娘の初登園はなんとか無事に終わったのである。