平成15(2003)年10月の記録(新しい日付けの順)

平成15年10月31日(金)

 晴れ。

 豊田組は本日は長崎方面のドライブに出かけた、今晩はハウステンボスに泊まる予定とのこと。

 昨日のたかなの種蒔きと来客準備で、本日は気が抜けて、殆んど何もしないで一日が終わる。


平成15年10月30日(木)

 午前中は文句なしの晴れ、一片の雲も無し、午後より少し雲が出たが、素晴らしい夕焼け。
 
 娘、劇的に回復して元気に登園する、母を退院以来初めて大阿蘇病院へ、丁度退院して一週間経つ、その間娘のお守りに振り回され、格好のリハビリとなり、経過順調の由。

 ようやくたかなの種蒔きをする。ここのところ毎日霜で畑が真っ白になっており、時期が少し遅すぎて多分駄目だと思うが、自然の回復力に期待をする。僅か100平米ていどの種蒔きだが、両足を揃えてすり足で進んで出来たくぼみにパラパラと、多からず少なからずで種をまいていくのは結構重労働で午前いっぱいから昼過ぎまでかかった。

 豊田市に住む妹夫婦と長女が遊びにやって来る、今朝早くフェリーで別府に着いて、あちこち寄り道をしながら夕方到着した。長女の杏は九州路は初めてだそうで、素晴らしい秋空の下、雄大に広がる久住阿蘇高原の景色に感嘆の声をあげていたそうだ。

 娘は初めて見る顔ぶれに初めの内は泣いていたが、すぐに馴れて、久しぶりの大人数の夕食に大はしゃぎであった。


平成15年10月29日(水)

 晴れ。
 
 久しぶりに滝室坂を登り産山村に酒を仕入れに行く、明日から豊田の妹夫婦たちが遊びに来る。

 今日も朝のうち37度すこしあったので、娘の保育園は休ませたが、夕方近くになって更に38度になったので、大丈夫だとは思ったのだが、念のために古閑医院で診ていただき、薬をもらって帰ってきた。娘が一番最初に古閑医院にかかった時には予防接種だったので、注射の痛さを執念深く?覚えていて、先生の顔を見ただけで今でも大泣きする、なんとなく先生に気の毒で、医者という仕事も因果な商売だと思う。


平成15年10月28日(火)

 晴れ、午後から風が出る、夕方曇る、一時パラパラ。

 本日も娘を休ませる、元気でたいした事はなさそうだが、熱が少しあるので登園を遠慮した。

 畜協で軽トラック一杯分の堆肥を買い求める。嵩上げをしない場合は、普通ショベル・ローダーのバケット二杯分を積んで1000円であるが、今日は少し質が落ちるそうで500円で良いということだった。

 堆肥をタップリと畑に鋤き込んで、たかなの種蒔きの準備は終わった、もう大分遅れている。

 昨日購入した電動のチェーンソーを使ってみる、結構太い丸太まで切れる、切る時だけスイッチを入れて回せばよいので、エンジン式と違って回りっぱなしでなく、またエンジン式と比べて音が静かである、手っ取り早く始動できるのが良い。

 夕方、ホームワイドより予約しておいたタマネギの苗100株分が入荷した旨電話が入る。
 
 本日衆議院議員選挙の公示日である、朝のうち、阿蘇神社で某候補の出陣式があったが、田んぼを越えて我が家の畑までガンガン声が届いていた。


平成15年10月27日(月)

 晴れ。
 
 娘が昨日から咳と鼻水を出していたので、ぶり返しでなくまた新に風邪を引いたようだ。

 今朝37度少しあったので、保育園は休ませたが、前回と違って婆様も居るので、お守りは楽だった。それに前回の経験で37度強程度の体温ではもう驚かなくなっており、残っていた薬を呑ませて様子を見ることにした、元気なので心配はいらないだろう。

 小生も今日古閑医院でインフルエンザの予防接種を受けた、カミサンは同じく一昨日受けており、婆様も退院時に受けているので、何となくこの冬は安心である。

 ホーム・ワイドで電動式のチェーン・ソウ−を買う。今日は使わなかったが、多分値段も安いので、パワーはエンジンタイプのものより落ちるはずである。それでもいちいちエンジンを掛けてチェーン・ソーを使う程のことも無いちょっとした丸太を切るのに都合が良いと思う。


平成15年10月26日(日)

 穏やかな日和、終日屋外で薪を割ったりして過ごす、アックス(斧)やチェーン・ソー操作で、半年の間使わなかった体の部品があちこちで悲鳴を上げている。


平成15年10月25日(土)

 晴れ、今朝も氷点下、そして日中は素晴らしい秋空、もう何日も好天が続いている。
 
 本日は「熊本県下歴史街道ウォークの日」で、同じ豊後街道でも熊本城近くの旧街道や肥薩街道、豊前街道など文字通り県下の各地で歴史街道を歩く催しがあった。

 豊後街道坂梨宿では学校週五日制対応の行事として主に小学生を対象に滝室坂を歩く催しが開かれ、宿場會からも、赤星会長、志賀聡雄さん、桐原主一さん、高木茂博さん、緑貞二さん、俵忠也さん、岩下涌祐さんたちと一緒に、途中の足場の悪い個所のサポートに出かけた。

 坂梨小学校に集合した参加者は小学生、その保護者、あるいは一般参加者など約80名。高橋佳也さんを先達として、秋色深まる旧街道を途中嘉悦先生の歴史解説やお名前は忘れたが植物の大家の野草の説明などを聞きながら、半日を掛けてノンビリと歩いた。滝室坂は、距離的にはそれほどでもないが、その間に驚くほどの多くの野草などの植物類を見ることが出来て、正に植物の宝庫である。(写真1写真2

 午後は薪割と雑草刈りをする。


平成15年10月24日(金)

 今日は二十四節季の霜降だそうだが、申し合わせたように今朝は真っ白に霜が降りていた、その上気温も氷点下2度前後まで下がり、薄氷が張った。今シーズン九州で氷点下は初めてらしい、今年は冬が早いのだろうか、たかなの種蒔きが間に合わなくなるかも。朝冷え込んだ分日中は穏やかで良い天気だった。

 ホームワイドでタマネギの苗を予約する。

 久しぶりに薪割りに汗を流す。


平成15年10月23日(木)

 木枯らし一番が吹いた、今日は昨日までと違って寒かった。木枯らしの定義というものがあるようで、気圧配置が西高東低の冬型で、北寄りの風が吹き、その風速が8m以上の場合、「木枯らし」と言うそうだ。

 婆様が無事退院した、丁度20日間入院したことになる。隠れ喘息とでもいうのだろうか、発作が出たときでないと検査してもその症状が現われないらしい。

 10時頃迎えに行くと、もう帰る準備をして待ちかねていた。入院最後の診察の際についでにインフルエンザの予防注射も打ってもらった。

 大阿蘇病院は、病院スタッフの応対が実に気持の良い病院だと前々から外来を通じては感じていたが、入院患者側から見た場合にもそれは変らず、本当に素晴らしい病院である。押しなべてこちらの病院は何処でも気持が良い。

 久しぶりに退院してきた婆様を見て、娘はかなり興奮気味で大はしゃぎだった。やはり家族は賑やかなほうが良いのだろう。

平成15年10月22日(水)

 晴れ。
 
 今日は娘の保育園の親子遠足で熊本市内の動植物園に行くことになっていたが、先日の風邪の病み上がりで用心のために欠席した。そういうわけで今日一日は娘のお守りに明け暮れた、まあ病気で付きっきりの時と違って、気分は楽であった。が、疲れた。


平成15年10月21日(火)

 ボンに今年最後のフィラリア予防薬を飲ませる。これで来年の蚊のシーズンまで薬は不要である。

 今朝も保育園に送り届けた時は大泣きだった、風邪で暫く休んだ後に登園した時はブランクがあったのに泣くことは無かったのだが、今になって泣くようになった、どうしてだろう。ただ夕方迎えに行くと確実に園生活に馴染んでいるのが分かる、楽しそうに動き回っているので、保育園が嫌だと言うわけではないと思うのだが。

 夕方、婆様から、明後日退院しても良いと先生からお許しが出た、と嬉しそうに電話をしてきた。


平成15年10月20日(月)

 晴れ。そろそろ蕎麦屋の疲れが出てきたか、腰が張ってやたらと眠い。それにこの二日でホームページの更新の暇さえなかった。

 近々来客があるので小生も幌加内に秋新をネットで注文した。

 昼から苦土石灰をもう20キロ買ってきて、たかな畑用地に撒いた後耕運機で耕した。

 娘が朝珍しくグズって、保母さんに渡した時に大泣きをした、今朝5時に起きたので丁度眠くなった時間だったのかもしれない。夕方迎えに行くと皆と混ざって元気良く遊んでいた、帰る途中娘を連れて病院に寄って婆様の様子を見てきた。どうも近日中に退院出来そうな雰囲気だった。だと良いが。


平成15年10月18日(土)〜19日(日)

 二日とも晴れ。

 今年も二日限りの蕎麦切り隊主催「蕎麦屋」が赤星邸、旧屋号中虎屋を借りて開かれた。今回は初日が11時から21時まで、二日目が11時から16時までの営業時間となった。

 蕎麦というものは年に二度三度と穫れる作物であるが、秋になって一番最初に穫れる蕎麦を秋新と言って、風味が良くて一年で一番旨いと言われている。

 この時期はまだ阿蘇では新蕎麦は穫れない、そういうことなどもあって、蕎麦切り隊局長の聡雄さんが各地から蕎麦粉を取り寄せて吟味した結果、今回は北海道幌加内の秋新を使うことになった、それをつなぎ無しの十割蕎麦で打つ。

 また今回は、赤星さんが昨年の経験を元に、もっと作業をやり易いようにと調理場の改善をしてくれたほか、桐原行動隊長の手になる特製の暖簾が、宿場通りの風格ある古屋敷を使ってのきまぐれ蕎麦屋の雰囲気作りに一役も二役も買ってくれて、我々の遊び心を大いに満足させてくれた。

 肝心の蕎麦は、局長の聡雄さんが会所で朝6時から独り黙々と打ち続けた小生はと言うと、一応は蕎麦を打てるが、蕎麦屋の評判を聞きつけて訪ねてくださる客に小生の蕎麦を出して蕎麦切り隊の名前に傷がつくようなことがあってはならないと、局長の許可はあったのだが固く辞退して?今回は茹で方に回った。

 このように自然とメンバーの役回りが決まって、主に赤星さんは盛り付け、順子さんは接客配膳、立さんがフロアマネージャー兼勘定方、緑さんが洗い方、そして葉子さんが蕎麦掻き作りを担当した。今年は蕎麦に添えて木村豆腐店のおぼろ豆腐、さらに蕎麦まえとして、立さん吟味の出羽地方の銘酒が品書きに加わった。

 初日は昨年の評判を聞きつけて開店前から客が入り始めて、これは幸先が良いぞと思っていたところ、そんな余裕はあっという間に無くなって、そのあとから引きも切らぬ客足で、早朝から相当量用意していた蕎麦も午前中には品切れになり、聡雄さんは追加打ち、追加打ちの連続で結局夕方まで会所にこもりきりとなった。

 何処で聞きつけて来たのか、とんでもなく遠くから訪ねてくださった人もあれば、偶然通りかかった観光客がフラリと入ってくれたり、近所の人や阿蘇の色々な仲間たちも顔を見せてくれた。お客で一杯の時は釜の前に張り付いていて、座敷内を見る余裕など全く無かったので、どういう人が見えているのかサッパリ分からなかったが、少し間があいた時には、座敷を覗くことも出来たが、その中に中村浩・仁美夫妻の顔も見えた。

 もともと蕎麦好きの人は例外なく喜んでくれた、また蕎麦があまり好きで無かった人も、蕎麦というものがこんなに美味しいものだとは知らなかったと、心から感嘆の言葉を置いていった。これらは決してお世辞ではないという自信が聡雄さんにはあると見た。

 そして多くの人に、次は何時やるのかと聞かれたが、そこが蕎麦屋たる由縁で、出来ればまたやりたいが、何時やるかは我々だとて分からない、とお答えするほか無かった。営利目的ではなく、先ず蕎麦好きの自分達が楽しんで、次にその楽しみを他の人にも伝えたいというモットーでやっているので、いろいろな条件が整ったらまたやることになるのだろう。

 旨い蕎麦は、挽きたて、打ちたて、茹でたての「三たて」と言われるように、旨く食べるためには茹でる部分も非常に重要な要素になっている。次から次に入る注文を茹で過ぎず、茹で足りずにならないよう時計を見ながら、冷静に適量を掴んでは茹であげて、そして冷たい水で洗って締めて盛っていく。結構大変な仕事で、昨年は早川一番隊長の仕事だったが、今年は氏不在のため、不肖小生が担当したが、あまりもの注文の多さに、一時は、少し楽しみの度を越えた嫌いが無きにしも非ずであった。

 初日は120〜30人分くらいの数が出たと思う、少し余裕が出てきたのはもう3時ちかくだったろうか、それまで全員全く食べ物を口にする暇も無く、黙々と担当をこなしていった。

 小生は大変な仕事を引き受けたと思ったが、後で聞いてみると、持ち場持ち場でそれぞれ大変だったようで、皆さん本当にお疲れ様という気持であった。一時は蕎麦を食べに来た宿場会の会員も、自ら買って出て、洗い方や調理場の手伝いをしてくれた。古木秋秀さん、木村まりさん、山口朝雄夫人、坂本勢さんほか沢山の人の応援、有り難たかった。食べる暇が無く手伝っただけで帰っていった会員もいた、申し訳ない。

 結局二日間で200人分くらいだったろうか、これまた局長の予測には感心するが、用意した蕎麦粉の量はピタリ、殆んど狂いは無かった。

 二日目は小生も1キロ打たせてもらった、シットリとした粉で、打っていて実に気持の良い粉だった、打ち終わった蕎麦は出来るだけ使わないように、と最後まで出さなかったが、いよいよ残りが無くなって、皆から合格点をもらったので小生が打った蕎麦を出したたところ、たまたま蕎麦にうるさい人に出したのだが、帰りがけに旨かったと言う声が返ってきて、ほっとひと安心した。でもやはり「切り」が聡雄さんに比べると一段も二段も落ちるのが分かる。旨かったのは蕎麦粉が良かったからだろう。

 両日とも店が終わってから飲んで食べながら反省会兼慰労会をやったが、皆疲れたが満足そうだった、またやりたいねという声ばかりだった。


平成15年10月17日(金)

 晴れ、今朝もまた冷え込む、戸外の温度計は3度を切っていた、昨日霜注意報が出ていたので、どうも当たったようである。
 
 朝のうちに、図書館で借りた本を届がてら婆様の様子を見に行く。
 
 午前中、昨日買っておいた苦土石灰20キロを畑に撒く、これでもまだ足りないようだ。
 
 昼前にストーブ・ガードが届いたので早速組み立てた、思った以上に出来の良いガードで非常に気に入った、自分で作ったとしても、とてもこのようには出来ない。これで娘が誤って手を付くこともあるまい。

 夕方保育園から電話があり、娘の熱が高いとのこと、いつもより早めに迎えに行ったが、元気だし、帰ってから暫くすると平熱に戻った。

 夜、赤星邸に聡雄さん順子さんと集まって、明日からの「蕎麦屋」の打ち合わせをする。


平成15年10月16日(木)

 晴れ、朝冷え込む、室温が18度を示して多分体感的にはこの秋最低の気温だったのではないだろうか。

 注文したストーブ・ガードが届いてからと思ったが、我慢出来ず今シーズン初めてストーブを焚いた

 炎を見てるだけで暖かくなる、娘は生れて初めて見る赤い炎の揺らぎに興奮気味ではしゃいでいた。

 たかなを植える範囲だけだが、今日一日かけて耕した、雑草が蔓延っていたので往生した。明日は苦土石灰を撒いて酸性土壌を中和させることにする。


平成15年10月15日(水)

 晴れ、朝冷え込む。今まで陽射しを避けていたネコもいつの間にか陽だまりを求めるようになった。

 10月も半ばを過ぎてそろそろ霜が降りる頃になり、たかなを蒔く準備にもう余裕がなくなってきたので、種を蒔く場所を確保するため、遅れていたサツマイモ堀をした。思ったより不作で数が少なかった。比較して葉が非常にたくさん生繁っていたので、肥料のやり方が誤っていたか、芽掻きを怠ったかのどちらかだろう。

 婆様は今日、先生から、もう一週間かそこいら入っていろ、と言われたそうである。安静にする必要もなく、好きなものを食って、好きなことをしていれば良いのだから、通院でも良いと思うのだが、やはり病院で細かく経過観察をする必要があるそうである。


平成15年10月14日(火)

 概ね雨。

 実は、この三連休中、娘の体に発疹らしきものが現われたので、風邪と平行して、どうも突発性発疹に罹っていたようである。この発疹は赤ん坊が必ず一度は通る道だそうで、高熱が数日続いた後、全身に発疹が出来るらしい。

 たいした病気ではなく、特に何もする必要も無いそうだが、娘の場合あまり顕著な発疹でもなく、果たしてそうなのかどうか判断に迷っていたのだが、肝心のその発疹が休日中に消えてしまい、そんな状態で診断を受けて意味があるのかどうか分からないままに、朝、古閑医院に出かけたのだが、休日明けで大混雑だったので、受診受付を取り消して、そのまま保育園に送っていった。

 一週間ぶりの保育園で、随分ブランクがあったので心配だったが、子どもから保母さんに手を差し伸べて抱かれていったのでひと安心する。

 ああ久しぶりの開放感、「子ども元気で外が良い」。溜まっていた銀行、役場回りや散髪に走り回る、途中婆様の様子も見に寄る。


平成15年10月13日(月)

 体育の日、あまり馴染みがないので国旗掲揚はせず。曇り時々小雨、夜になって、一時本降り。

 何となく気が抜けた気分で一日何もせず。

 ストーブのガードは結局、既製品をネットで注文した。あまり需要のあるものではないので割高になるが、やむを得ぬ。

 夜、宿場会例会、今月より冬時間で7時開催。夜になって冷え込んできたので会所にストーブが入る。

 10/25「歴史街道ウォークの日」、11/23「健康ウォークin坂梨」の後援の件、10/18・19「きまぐれ蕎麦屋」の件、などなど審議。

 先日古閑医院で看護婦さんから「きまぐれ蕎麦屋」の話が出た、とカミサンが言っていたが、そのなかで内輪しか知らない事までご存知だったのを思い出して、不思議に思い今夜宿場会で訊ねたところ、なんと緑貞二さんの奥さんが看護婦さんだった、う〜ん、知らなかった。


平成15年10月12日(日)

 曇り時々小雨。

 どうも病み上がりでピリッとせず、娘の元気がイマイチである。

 昼から市内のホームセンター、ハンズ・マンにストーブの囲い作りの材料探しに出かけるが、結局適当な材料が見当たらず何も買わずに帰ってくる。天気があまり良くないが、この連休の行楽客で上下線ビッシリと渋滞、間道を抜けて混雑を避けて往復する。婆様の様子を見に一寸寄ってから5時に帰宅。夜になってようやく娘の元気が戻ってきたように見受けられた。


平成15年10月11日(土)

 曇り時々小雨、どうも生憎の三連休になりそうな気配。

 昨夜また39度前後の熱が出て心配したが、今朝になって、平熱に戻り、どうやら今度は完全に復調した模様である。休みが続くので、昨日のこともあり、午前中、古閑先生に診ていただいて、念のために薬を出していただく。特に快癒した時にお会いする先生は神々しく見える。ついでに風邪の治りが遅れているカミサンも注射を打っていただく。

 今回のことでは各方面から娘の病状を気遣ったメールを頂戴して本当に有り難たかった、この場を借りて心からお礼を申し上げる次第。

 そして、何より小生がホッとした、連日文字どおり付きっきりで、その間全く何も出来ず、もうヘトヘトであったから。

 一方で、勝手なもので、小さな体で一生懸命病気と戦っていたのだろうが、イザ元気を回復してまたあちこちかき回し始めて、それを追い掛け回していると、病気で静かにしていた時が一瞬懐かしくさえ感じられるほどである。

 婆様から朝のうちに電話が入り、今朝から皆さんと一緒にサロンで食事を頂いているそうで、あと何日かは病院暮らしだと思われるが、声にも張りが感じられた、こちらも良かった。

 夕方、婆様を見舞う。胸苦しさも呼吸の苦しさもなくなって、今はもう点滴もなく、飲み薬と、吸引剤を吸うだけだそうで、入院しなくても家でも出来るので早く出たいと言っていたが、三食昼寝付き、テレビ、読書三昧、食事制限もこれと言って無いような入院生活を小生も一度やってみたいと言って帰ってくる。性分で何もしないでゴロゴロしているのが苦痛なのだろう。


平成15年10月10日(金)

 晴れ。本日衆議院が解散した。
  
 中島さんから朝のうちに良い薪材があるよ電話を頂戴するが、今外に出られない事情を話して今回は辞退する。
 
 JA6DI、我が家からタワーが見えるスーパーローカル、二文字コールの山下安OMが通りががかりに寄ってくださる、初アイボールQSOである。先日初めてお空でお会いしたばかり。娘が病気なのでと玄関先での挨拶だけで帰られた、今度是非ゆっくりとおいでください。
 
 志賀昭久さんが田起こしのついでに畑をトラクターで鋤いてやるよ、と訪ねてくださるが、娘のことで畑作業が滞っており、まだその段階でないので、次の機会にと残念ながらお断りをする。

 保育園から遠足の件で電話を頂戴するが、病み上がりだと思うので今回は欠席旨の返事をする。

 その娘は朝のうちは非常に調子が良くて、ようやく峠を超えたかと思ったら、午後からまた熱が高くなった。今夜は座薬を使うほどでも無さそうなので、このまま一晩様子を見ることにする。

 一方、婆様は今日色々検査の結果、どうも肺気腫の疑いがあるようである。直接生き死に関わる病気でも無さそうだし、完全看護の病院で看てもらえるのだから、これほど安心な事はない。人間ドック入ったつもりで、他も診て貰って、ゆっくり治せば良いと思う。


平成15年10月 9日(木)

 晴れ。

 娘の熱が一向に引かない、午前中、肺炎を心配して念のために古閑医院にお願いをして、レントゲンを撮ってもらった。赤ん坊のレントゲンは介添えが必要で、小生が(多分鉛の入った)前掛けをして娘を抱いて、それでも押えきれないので看護婦さんも同じようにプロテクトしてようやく撮ることが出来た。小生は親だから仕方がないが看護婦さんも因果な商売だなと申し訳なく思った。

 検査の結果、肺炎の心配はなそうなので、もう暫く様子を見ることにした。昼間の座薬は効かなかったか、こぼれ落ちたか、熱が下がらず、夕方入れた座薬で熱が下がったようだが、今晩またどう推移するか気懸りである。まあ元気があるから心配ないと思うが、カミサンは子供を置いて仕事に出るので心配で仕方がないであろう。

 夜一段楽して婆様を見舞ったが、大人しくベッドでラジオを聞いていた、明日には何らかの見通しが立ちそうだが、婆様については全く心配していない、病院にいるのだから一番安全である。


平成15年10月 8日(水)

 ようやく昼前になって陽が射しだす、なんだか久しぶりのような気がする。

 昨日のうちに落ち着いたと思った娘の熱が夜中からまた上がりだし、朝のうちから38度台だったのが、カミサンが出かけてから急に39.4度になり、正午近くになって39.6度まで行ったので、古閑医院から貰ってあった座薬を使うことにした。子供だから半分だけ使うようにという先生の指示を思い出して、冷蔵庫から取り出して、ハテ何で半分に切ろうかと思ったが、手近なところで、俎板の上で包丁を使って半分に切った。切りながら、たとえ使用前であっても肛門に入れるものを、カミサンだったら、まずこの上では切らないだろうな、と妙な確信を持ちながら思った。

 折りも折り、丁度ボンのヤツが自縄自縛、炎天下長い鎖を杭に巻き付けて動けなくなって悲鳴を上げているのが目に入ったので、どちらを優先すべきかと思ったが、鎖を解くのは一瞬だからとボンのヤツを優先してやった。

 二時間もしたら熱は38度近くまで下がったのでホッとひと安心する。仲間達がもう何十年も前に通ってきた道を、遅れてやって来た父親が今やっている。

 と、ここで終わる予定だったが、夕方からまた熱が上がりだし、一時39.8度までになったので、再度座薬を入れて、場合によっては夜間でも受け付ける市内の病院に運ぶ覚悟で一晩様子を見たところ、幸に熱も下がり落ち着いてきたのでひと安心する。
(翌朝はかなり熱も下がり、元気を回復しつつあり、快方に向かっていると思われる)

 そんな訳で婆様の見舞いは(婆様からも電話が入り来る必要ないとのことだったので)今日は中止。秘結の件は結局摘便をしてもらったようである。

 ところで、解熱用の座薬は即効性があるが、どのくらいの間隔で使ってよいものなのだろうか、常用、多用は良くないのだろうか、訊くのを忘れていた。


平成15年10月 7日(火)

 曇り、陰鬱な一日。

 朝起きると娘の額が熱い、検温すると、38度、やっぱりブリ返したか、電話をして保育園を休ませる。
 
 9時前に再度検温、39.1度、少し、慌てた。古閑医院に運んで診てもらう、先生、特に慌てた様子も無し。前回に引き続き薬を調合してもらう。帰ってから一眠りさせてから検温、38.1、次に計ると37.8、更に37.6度と段々下がってきて、ホッとする。

 薬は熱を下げたり、痛みを和らげることは出来ても、最終的に病気自体を直すのは本人の体力だから、ただそれを待つしかない、でも胃腸は丈夫そうで、今回の風邪で一度も下痢をしていないので、その点は心強い。今日は完全に一日中子供に付きっきりでヘトヘトなった。

 カミサンが帰ってから、今日はじめての犬の散歩を済ませて、病院へ婆様の様子を見に行く。昨日までは急の事で病室に空きがなく二人部屋だったが、今日から四人部屋に移っていた。他の三人は皆さん明治生まれだそうで、私なんかここでは大きな顔は出来ないわねと、母。

 その母は、また例によって秘結だそうで、見舞った時は看護婦さんに貰った座薬が効き始めたらしくモゾモゾしていた。

 肝心の病状だが、今朝の検査でまだ白血球が非常に多いので二三日病院に入っているようにと言われた由。


平成15年10月 6日(月)

 小雨。
 
 入浴で湯冷めをしたのか、昨日は少し熱があり、鼻水が出てぶり返したかと心配だったが、今朝は平熱に戻り、保育園生活も概ね無事に過ごせたようだ。

 午後、母を見舞い、リクエストがあった品を届ける、今日の退院は無さそうだ。


平成15年10月 5日(日)

 晴れ。
 
 今日は地域興づくり団体協議会主催のタウン・ウォッチングの第三回目があった。この協議会には町内にある色々な町興しやボランティアなどのグループが参加している。参加者は約20名ほどで、今回は小生が坂梨宿場会を代表して、というより、宿場会からは小生のみだったので、必然的に代表する形で参加した。

 今日のウォッチングは、古城・中通地区で、国造神社や古墳群があり、多分阿蘇の発祥の地ではないだろうか。

 嘉悦先生の説明で、いつも素通りするところや目に付かないところに色々と興味を引くものが沢山あって、今回のウォッチングも小生にとっては非常に意義深いものであった。

 国造神社脇の横穴式円墳の上御藏古墳は立派な玄室が残っていて中に入れるようになっている。一の宮町には判っているだけで約60基の古墳があるそうで、ここで出土した鏡は奈良で出土したもとの鋳型が同じものであることが分かっており、阿蘇が既に1000年以上も遠い昔から大和朝廷と交流があったということになり阿蘇という土地の歴史の古さに驚かされる。

 今日は尾篭(おごもり)でコスモス祭りが開かれており、そこでの昼食を挟んで朝九時から午後三時までノンビリと阿蘇の田園地帯を歩き回った。


 小生の留守中、滉兄が昨日の市内での所用の帰りに母を見舞ってくれた。小生もウォッチングから帰ってから、カミサンと娘を連れて病院に見舞った

 滉兄の話によると、老人は肺炎(気管支炎)を患っても症状に出にくく、自覚症状もあまり無い事があり分からない事が多いそうだが、結局気管支炎で血中酸素が少なくなったのだろうとのこと。まあ病院に任せておけば大丈夫だろうとのことであった。

 明日の退院は無理かもしれないが、本人は病院食だけでは腹が減って仕方がないので何か食い物を持ってこいと電話がくるくらいだから、数日病院でゆっくりして来ると良い。


成15年10月 4日(土)

 晴れ。

 婆様が病院に昨日の検査の結果を聞きに行ったところ、血液中の酸素が非常に少なくなっているそうで、二三日入院しなさいという指示がでて、午後から入院となった。

 血中の酸素が少なくなる原因は、気管支炎などで、肺での酸素と炭酸ガスとの交換面積が狭くなた場合などに起きるようである。そう言えば半月ほど前に、咳が止まらなくて診てもらったところ、慢性の気管支炎だといわれ、そして、今回家族中が風邪を引いて、普段風邪など引いたことがなかった婆様まで風邪を引いたので、そういったことが原因かも知れない。入院の必要まではないと思うのだが、大事をとっての措置だと理解している。


平成15年10月 3日(金)

 晴れ。
 
 今日は婆様の大阿蘇病院行きの日で、娘を保育園に送りがてら、病院へ送り届け、帰りは娘を迎えに行ったその足で、婆様を病院に迎えに行った。

 つまり婆様は一日病院にいたことになる。検査や点滴などで一日かかったというわけである。

 娘が今度はオデコの横にシップを貼って帰ってきた、何かにぶつけてコブができたらしい。これから何度もこのような経験を積んで成長していくのだろう。


平成15年10月 2日(木)

 晴れ、ただし曇りに近し。
 
 久しぶりに薪材をもらいに山を下りる。一昨日中島さんから電話を頂戴していたのだ。
軽トラはカミサンが仕事場に乗っていっているので、そこまでもう一台の車で行って、乗り換えてから出かけた。

 もっと暑い頃から少しずつ貯めればよいのだが、結局尻に火がついてから慌てることになる。いや、この場合は尻に火がつかないから慌てるのか。

 そろそろまた材木との格闘の季節がやってきたようだ。ここ二三日は本気で朝のうちはストーブを入れようかと思ったほどだ。昨日だったかお隣波野村で霜が降りたというニュースが流れていた。

 佐藤林業から帰ってから、ご近所の田んぼに稲刈りに行く。たまたまあった刈り残しの稲を毎朝の犬の散歩で目をつけておいたのだが、広い田を持っている家では少しの刈り残しでわざわざ機械を出すようなことはしないのだろう、このままだといずれ土に帰りそうな気配がしたので、持ち主に貰って良いかと尋ねたら、良いとの事だったので、軽トラに鎌を持って有り難く頂戴してきた、結構の量だった。

 夕方娘を迎えに行ったら、なんとかシートをオデコに貼って帰ってきた。少し熱が出たそうだ。帰ってから検温したら普段より少し高めだったが、元気なので医者には行かなかったが、多分大丈夫だろう。


平成15年10月 1(水)
 晴れ。
 
 そろそろ、たかなの準備もあるので久しぶりに畑に入って、サツマイモを掘ってみたところ、もう十分な感じがするものもあれば、もう少し待ったほうが良さそうなものもある。二三聞いてまわったところ、一般的には10月末から11月にかけてのようだが、そうすると、たかなの種蒔きに間に合わなくなる、とりえず、サツマイモの畝空いた部分の雑草を刈り取って燃やす。

 午後から古閑医院に出掛け、咳止めの風邪薬を出してもらう。

 夜、赤星さん、順子さん、葉子さん、立さんが集まって聡雄さんのお宅で、また新蕎麦の試食会をする。先日北海道から取り寄せた秋の新蕎麦粉がどうも満足できないので新に取り寄せたもので、今回の粉は前回に比べて格段に良い挽き具合だった。併せて蕎麦前に使う日本酒の吟味もする。