平成15(2003)年12月の記録(新しい日付けの順)

平成15年12月31日(水)

 大晦日、平成15年の大団円、曇り時々小雨、冷え込みは無し、我が家にとっては穏やかに過ぎた一年だった。

 どうせ婆様と二人だけの正月だから何もしないでおこうと言いながらも、それでも少しは掃除をしたり、二人でスーパーに買い出しに行ったりで結構忙しい一日だった。

 婆様も昔ほどではないが何品かおせち料理を作っていた。

 小生は一段落してから二人分の年越し蕎麦を打って今年の締めとした。

 今日は確実に「正月」がやってくる出来事があった。昼過ぎだったか、南郷谷の圓林寺の御住職が通りがかりだと言って、多分初詣の信者さんに振舞うものだと思うが、甘酒を置いて行ってくださった。ネット上では識っていても、お会いするのは今日が初めてだ、想像していたイメージと全然違っていた。

 更に、その後で円通寺の静之和尚がお嬢さんの付き添いつきで、ご自身で作られた自然薯を届けてくださった。お二人とも文字通り「師走」で、茶をお出しする間もなく去って行かれたが、大晦日に和尚が御二人とは、そうそうあることではない、というわけで文字通り「和尚がTWO」なのである、いやあ失礼失礼。


平成15年12月30日(火)

 曇り。

 昨夜一気に年賀状を作成して午前中に投函したが、かなり出し漏れがあるかもしれない。

 昼頃、ボンの散歩に出ようとしているところに突然滉兄夫婦が訪ねてきた。近見へ行く途中に遠回りして寄ってくれたのだ。

 カミサンと娘が居ないのでノンビリできると思っていたが全くそういう訳にはいかない、特に何もしないのだが、あっという間に一日が過ぎる、今日は鏡餅としめ飾りを買って来た。スーパーなどは最高に賑わっている、明日は婆様とスーパーに買い出しに出掛けることにするか。


平成15年12月29日(月)

 曇り、時々パラパラ、寒さはそれほどでもなかった。

 物置の組み立て作業ほぼ完了、あとは若干の作業とアンカー打ちを残すのみ、その他のには・・・・ん?今日やったことはこれだけだったか?もっといろいろやったような気がしたが。今年はまだ年賀状を書いていない、年内に出せるかどうか。 

 夜、注文しておいた「HP iPAQ Pocket PC h2210」が届く、ヒューレット・パッカード社のポケットPCである。

 PDAとしては従来からキーボードに拘りがあって、どうしてもスタイラスで手書き入力するタイプのものは敬遠してきた。

 ところが以前、従兄のポケットPCを預かった際に実際に触ってみて、使い勝手が想像以上に良いという印象を受け、そして、キーボードタイプに比べてはるかに軽量であるということで、これはキーボードレスでも我慢できるぞ、という思いに至っていた。

 その昔、マニュアル車に乗っていて、実際にオートマチック車に乗りもせずに、オートマチック車は燃費が悪いだとか、レスポンスが悪いだとか言っていたのになんとなく似ているようで、食わず嫌いだったのかもしれない。最近キーボードタイプのPDAが殆んどなくなって来ているのが何となく頷けるような気がする。

 それと手書き入力でも「まあ良いか」という気になった一番の理由は、手書き入力の文字認識率が極めて高く、変換スピードが驚くほど速いということである。

 そんなわけで、前々からそろそろ欲しいなと思っていながら、既存の機種が、コストパフォーマンスの点でイマイチだったので、満を持していたところ、今回リーズナブルな機種が出たというわけである。これは道楽では断じてない、自己啓発である(などと、ことさら書くということは語るに落ちるという奴か)。 

 はるか遠く、関東地方、北緯35度19分54秒、西経139度23分39秒あたりに、小生のワサモン好きが必ず感染する人間が若干一名いるが、さてさて・・・・


平成15年12月28日(日)

 晴れ、今朝の気温氷点下9度。

 カミサンは、仕事を始めたことで、今までのように好きな時に旅行をするわけに行かなくなったので、年末年始の休暇を使って里帰りをすることになり、今日娘を連れて昼前の飛行機で実家に帰っていった。

 婆様と二人だけの生活は久しぶりだが、小生にとってはつかの間の二重の開放感に浸れることになり、妙に嬉しい。実家でもおじいちゃんおばあちゃん大喜びだと思う。

 少し早い年越し蕎麦になるが、今朝蕎麦を打ってお土産に持たせたところ、義父から早速美味かったとメールが入る、今朝は生粉打ちで500g、調子良かった。

 昼過ぎ、伸兄と哲兄が顔を見せてくれる。哲兄は年末年始を伸兄の介護で過ごす由。

 本日の物置設置作業は、ここまで


平成15年12月27日(土)

 曇り、ようやく生コンが固まったので、焚き火で暖を取りながら物置の組み立てを始めたが、寒くて指がかじかんでボルトがうまく扱えない。

 昼からカミサンの頼まれたものを買いに山を降りたが、大津では用が足りず、結局市内中心まで行って用を済ませた。


平成15年12月26日(金)

 曇り、寒い一日、昼頃から雪が少しちらついたが、予報のようには降らなかった。

 婆様の今回の点滴治療の病院通いも今日で一応OKが出て、明日からは行かなくて良くなったようだ、本人も本当に呼吸が楽になったと喜んでいる、ただ酸素吸入は適宜やるようにとのことだ。

 午後からの天気を睨んで、午前中薪つくりをする。

 今日あたり、仕事納めのところが多いのだろう、カミサンの職場も本日が仕事納め、娘の保育園も今日が一応今年最後の日である、途中入園からまだ4ヶ月しか経っていないのにもう随分前から行っているような気がする、とにかく送り迎えから暫く開放される。早めに帰宅したカミサンを伴って娘を迎えに行き、納めのご挨拶をしてくる。
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寺内さんへ
ロース・ハムの作り方
材料
・豚モモ肉、ロース、肩ロース など。塊で。1kg
・塩(あら塩)500g
・砂糖   250g
・香辛料 我が家で使ったものは、
       ベイリーブス(ローレル)2枚
       (手で細かくちぎっておく)
       タイム 小さじ1
       ローズマリー 小さじ1

@ 塩、砂糖、香辛料をバットに入れ混ぜておく。
A 肉に@をまぶす。
B 丈夫なビニールの袋にAを入れ(肉の全体を@が覆うように)、
  冷蔵庫に入れて3日間漬け込む。
C 肉を冷蔵庫から出し、水に2時間さらす。
D 暖かなところに2時間つるす(熟成させるのだそうです)。
  (我が家では薪ストーブの脇に置きました、40度くらいでしょうか、火を通すという意味ではありません、燻すということでもないと思います)
E たこ糸でしばって、85℃〜90℃のお湯で90分茹でる。
F 火を止めたら一晩そのままにすると…できあがり!

 ☆ 冷蔵庫に保存して1週間以内に食べてください。
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平成15年12月25日(木)

 久しぶりに冷え込む、氷点下6度、午後より曇る。

 婆様の病院通い、大分良くなったようで、今日は点滴に来なくて良いとの事であった。

 気になっていたナマコン打ちが無事終わったので、気分的に楽な気持ちで一日薪作りに精を出した。

 カミサンが作ったロースハムが良く出来ていた、あのカミサンが作っても上手く出来たのである。

 先だって、甥に、小生宛てにハムつくりのレシピを送るように言っておいたのに、カミサンのほうに行ったらしく、カミサンがそれを見て作ったようだ。

 朝、自信があるのか無いのか、恐らく小生に毒見をさせるつもりだったのかもしれない、食べてみて、と言って出かけていったが、切ってみるとロースハム独特の薄いピンク色に出来上がっていて、味もスーパーの大量生産のものよりはるかに美味いのである、驚きである。三四日熟成させたりの時間が必要だが技術的には極めて簡単なようだ。


平成15年12月24日(水)

 晴れ。

 娘と婆様をそれぞれ送った足で、阿蘇中央生コンに寄って、生コンの手配をする。最小単位が0.5立米で、それから0.25立米刻みで注文を受けるということでだったので、0.75立米で注文をする。

 ついでに、その程度の容量だと一輪車で何杯位か訊ねたところ、60杯くらいだろう、一人では大変だから誰かもう一人応援を頼んだほうが良いと言われた。

 当初は一人でセメントと砂と砂利を買ってきて練ろうかと考えていたが、0.75立米という量がどれほどの量かと言うことが始めて分かった。考えてみたら、水の場合は1立米が1トンだろうから、比重から考えたら砂利0.75立米が結構な重量になるのである。

 平日の昼間、時間をある程度自由に使える人は・・・と考えて、赤星会長が頭に浮かんだので、一級建築士にお願いする仕事にしては失礼かとも思ったが、早速お宅に訪ねた所、丁度庭木の剪定中で、都合よく作業服姿だったので、これ幸とばかりに応援を願ったところ、気持良く引き受けてくださった。続いて坂本棟梁の工場に寄って、一輪車二台とコテなどを拝借した。

 午後二時半にミキサー車がやって来たが、その運転手さんは、二年前に我が家建設の時に基礎工事で生コンを運んだのだそうで、懐かしそうだった。

 一輪車の底が深いタイプだったので、結果的に一人20杯、都合40杯程度だったろうか、用意した木枠にピッタリの量だった。

 生コン打ちというものを始めて経験したが、これもいい経験だった、あとはコンクリートが乾くのを待つのみだが、今夜は冷え込みに備えてブルーシートを掛けて養生した。

 昼間、円通寺に年末のご挨拶に伺った際、静之和尚が出てこられたが、最近大分弱っておいでの様子だった。90歳を超えておいでなので仕方が無いのかも知れないが、何時までも元気で居て欲しい人である。

 世間並みにクリスマス・イブの食卓に、チキンとケーキがのぼった。(写真1写真2
平成15年12月23日(火)

 晴れ、天長節、国旗掲揚。

 婆様は休診日であるが特別に点滴を受けさせてもらう。

 昨日作った生コン打ち用の木枠が家と平行でないことが分かったので、廃材を燃やす作業をやりながら、作り直す。


平成15年12月22日(月)

 晴れ、本日冬至なり、一陽来復。
 
 日没の瞬間を撮ろうと思っていたのだが、娘の迎えの時間と重なって、家に帰り着いた時には太陽が米塚の向うに沈んだばかりだった。小生、カボチャは基本的に好まぬ。

 恒例の行事、ゆず湯を立てる。昨年のゆず湯今年のゆず湯、娘の成長の様子がよく分かる。同時に父親の老け具合もよく分かる。今年は虫の居所が悪いらしくて笑顔の写真は撮れなかった。

 今日は年内に何とか物置をを組み立てたいと思い、生コンを打つための木枠を作り、木枠の水平を出す作業をした。木枠で水平を出しておけば、木枠一杯に生コンを流し込めば、水平は自然に出る筈である。2*3m=6平米、厚さを10cmとすると、0.6立米になる。

 婆様は今日も点滴に行った、明日の祭日も特別にやっていただけるそうだ。


平成15年12月21日(日)

 晴れ、見事な晴れ。予報どおりぐっと冷え込んで寒暖計は氷点下10度近かった。
 
 今年もファームビレッジ産山から蕎麦打ちの講師の依頼を受け、坂梨宿場會蕎麦切り隊二番隊長(小生のこと)は、午前8時勇躍我が家を後にしたが、坂梨交差点越しに見える古閑の滝は二三日前からの寒さで早くも結氷したそうだ。

 雪こそ少なかったが道路のあちらこちらが凍っていて危険なため慎重に滝室坂を登って笹倉から国道を左折して産山に向かったが、この道路はチェーンを着けろとの標識が出ていた。チェーン無しで行ける所まで行こうと車を進めたが、ファームビレッジ産山までは何とかチェーン無しで走れた。澄み切った空に阿蘇五岳が外輪山越しに姿を見せており素晴らしかった。

 今日の蕎麦打ち講習会は参加人員は去年ほどではなかったが、顔見知りの会員さんも何人かおいでで、初めての時と違って和気合いあいの雰囲気だった。

 皆さん、この夏に自ら蕎麦を蒔いて、秋口に刈り取りもして、という結構きつい労働を経て作った自分達の蕎麦粉で蕎麦を打つのである。皆さんの蕎麦うちの腕も、初めての人も含めてたいしたもので、見事に各人が食べる蕎麦を自分で打って茹であげた。そのような苦労の結果が不味かろう筈が無く、スタッフの山室さんが揚げたテンプラと一緒に舌鼓を打って心から満足げであった。 
 
 自分自身に関しては、あまり進歩していないなと、己の腕の未熟さに恥じ入るばかりであったが、皆さんが「蕎麦打ちは楽しいですねえ」と心から言ってくださっているのが分かり、大いに満足であった。

 蕎麦打ち講習会スライドショー(全ての画像を取り込んでからボタン操作をしてください)
平成15年12月21日(日)

 晴れ、見事な晴れ。予報どおりぐっと冷え込んで寒暖計は氷点下10度近かった。
 
 今年もファームビレッジ産山で蕎麦打ちの講師の依頼を受け、8時ころ我が家を出たが、坂梨交差点越しに見える古閑の滝は二三日前からの寒さで早くも結氷したそうだ。

 雪こそ少なかったが道路のあちらこちらが凍っていて危険なため慎重に滝室坂を登って笹倉から国道を左折して産山に向かったが、この道路はチェーンを着けろとの標識が出ていた。チェーン無しで行ける所まで行こうと車を進めたが、ファームビレッジ産山までは何とかチェーン無しで走れた。澄み切った空に阿蘇五岳が外輪山越しに素晴らしかった。

 今日の蕎麦打ち講習会は参加人員は去年ほどではなかったが、顔見知りの会員さんも何人かおいでで、初めての時と違って和気合いあいの雰囲気だった。

 自分自身はあまり進歩していないなと、己の未熟さに恥じ入るばかりであったが、楽しく過ごすことが出来た。



平成15年12月20日(土)

 昨夜少し雪が降ったようで、家の周囲は真っ白になっていた。午前中婆様の病院送迎のみで、屋外作業も無く久しぶりにノンビリとした一日を送った。

 娘も、千葉のおじいちゃん・おばあちゃんからのチョッと早めのクリスマスプレゼントに乗っかってご満悦であった。

 新富士バーナー<http://www.shinfuji.co.jp/index.html>という会社がある。アウトドア用のストーブやランプ類などを作っている会社で、「男のギア」的なものが多く、欲しくなるものが沢山ある。

 小生はRZ-810というパワートーチを使っており。カセットボンベを取り付けて、ちょっとしたものを高熱で溶かしたり、あるいは焚き火に火を点けたり、田舎暮らしでは実に重宝な道具である。

 そのトーチの調子がおかしくなったので、ウェブで会社を探して、交換部品の購入方法を照会したところ、故障だったのか、あるいはもともと小生の取扱方が悪かったのかもしれないが、その対応が実に迅速で、こちらが恐縮するくらい丁寧で素晴らしく気持のいいものであった。こんな会社が伸びるのだろうな、という印象を持った、大嶽さん、木村さん有り難う。(先方の了解無しで載せているがまずいだろうか)

 明朝の阿蘇は氷点下8度の予報が出たので、夜9時過ぎに慌ててキンカンの養生をしたが、その時に既に氷点下6度を示していた、手遅れか。しかし、この氷点下6度は昼間の0度前後の気温に比べてちっとも寒くない。夜空は冴え渡り満天に星が輝いている、風が全く無いので寒くないのである、気温とは不思議なものである。


平成15年12月19日(金)

 今日は寒くて日本中が震え上ったようだ、阿蘇山も麓近くまで真っ白になっており、外輪山から先はチェーン規制が出て、阿蘇谷でも量は多くなかったが、横殴りの地吹雪が吹き荒れて本当に寒い一日だった。市内では今日が初雪だったとか、ここ阿蘇谷の初雪は何時だったろう、今日の雪が初雪では無いはずだが。

 強風に、キンカンのビニールハウスが危ないので補強をしたが、手がかじかんで痛くなった。

 朝、娘と婆様の送りを済ませ、米の精米に出かけようと外に出てみると、ボンが居ない。運動できるようにと張ってあるガイドロープに繋いでおいたカラビナが外れている。

 どの方向に逃げたか全く見当がつかないまま適当に当りをつけてエサを少し持って車で田の方に出てみると、はるか遠くにボンの姿を見つけた。呼んだところ、こちらの姿を認めると同時に、走り寄って来るどころか、脱兎の如く逃げさってしまった。

 折角犬小屋まで作ってやったのに、ボンとの付き合いもこれまでか、とガッカリすると同時に、これでまた「柴犬」が飼えると一瞬新たな期待めいたものが浮かんだのも事実だ。

 念のために何時もの散歩コースに車を進めてみると、ボンの奴が自分のマーキングの後の匂いを確認しながらゆっくり歩いているのを見つけたので、呼んでエサを投げたら、あっけなく戻ってきた。

 このまま放っておいたら、いずれ戻ってきたのか、あるいはもともと迷い犬、また何処かに行ってしまったかは分からないが、やはり情が移ってしまっており、ホッとした、このバカ犬め。


平成15年12月18日(木)

 曇り。

 明日から寒波襲来でここ阿蘇でもかなりの雪が予報されている。二日ばかり子守りで薪割が出来なかったので、雪に備えて目一杯ストックを作ろうと、病院・保育園の送迎を除いて一日中薪割りに忙殺され体中がミシミシ言っている。

 送迎の合間を縫って、坂本棟梁の工場に寄って、生コン打ちについて幾つか教えを請う、併せて一輪車やコテなどお借りできることになった。


平成15年12月17日(水)

 スカッと晴れ上がって気持の良い寒さとは対極の、如何にも陰鬱な時雨模様のただ寒いだけの一日であった。
 
 久しぶりにようやく子守りから開放されて、娘を保育園に、婆様は病院行きで不在のため、昼食に昨日届いた産山の蕎麦粉でひとり蕎麦を打って食べる。今年の蕎麦は出来もよく上手く挽けていて楽に生粉打ちが出来た。


平成15年12月16日(火)

 快晴、今朝はかなり冷え込んだ筈だが外に出て寒暖計を見る気持の余裕が無かった。

 今日は熱も下がり大丈夫かと思ったが念のために娘を休園させて、昨日同様な方法で婆様を大阿蘇病院に送って、と朝から大忙しだった。

 今日のような天気の時に薪割りでストックを増やしたいが、子守りで屋外に出られずヤキモキする、明日からまた天気が崩れる予報が出ている、おい娘よ元気に保育園に行ってくれえ、明日もなんだか怪しいなあ。

 午後、ファームビレッジ産山の田中康夫さんが井さんと今年穫れた新蕎麦粉を届けてくださる。今度の日曜の蕎麦打ち教室で使う蕎麦粉で、田中さんたちの農園で作った蕎麦を神楽園で挽いたものだ。ちょっと握ってみががなかなか良さそうな感触だった、一両日中に試し打ちをしてみよう。


平成15年12月15日(月)

 曇り、一時小雨。

 またまた、娘が熱を出して、週始め早々休園である、「またまた」を何度使ったか分からないくらい、またまたである。

 その娘も一緒に車に乗せて婆様を大阿蘇病院へ。娘は家に置いておく訳に行かないので只乗っているだけで薬は貰った物がまだある。婆様はかなり参っているようだったので心配だったが、ほぼ一日かけて点滴を三本打ったそうで、午後四時半頃また娘を乗せて迎えに言ったら、今朝ほどに比べたら随分と元気になっていた。また明日も点滴を打ちに行くそうである。

 そんな訳で今日一日娘に付きっきりで全く何も出来ず終わる。


平成15年12月14日(日)

 晴れ。

 朝一で、坂梨公民館で狂犬病予防接種の追加接種があったのでボンを連れて行ってきた。ついでに鑑札の交付も受けた。もう何十年も日本では狂犬病は発病しておらず、予防接種を受ける犬も少ないと聞いているが、間違って人を噛んだりした時のことを考えると面倒でもやっておいたほうが良いと判断したのである。

 以前受けた混合ワクチンの注射を覚えているのか、最大級の抵抗をして、押さえつけるのに大変だったが、娘の古閑先生を見てすぐに泣き出すシーンとダブって思わず笑ってしまった。

 寒さが厳しくなるに従ってここのところ薪の消費量が増えており、雨天で材木が濡れると薪が作れないので、今日は好天のなかほぼ終日廃材を切断して薪を作った。

 夕方近く、宿場會主催の「ホッと一息坂梨宿場ギャラリー」が昨日と今日開催中であることことを思い出して慌てて滑り込みセーフで駆けつけた。

 皆さんの素晴らしい作品に加えて、年末の忙しい時期にコーヒーや菓子などを楽しみながらノンビリとひと時を過ごすのがまた良いのである。

 引き続いて5時から阿蘇の四季で宿場會忘年会があった。今年は他の忘年会などとぶつかって出席者は18名と少々寂しかったが、少数精鋭?のメンバーで、高木立さんのいつもの名司会で恒例のビンゴなどで大いに盛り上がった。突然の指名で僭越ながら小生が乾杯の音頭を取らせていただいたが、もう小生は今回で3回忘年会に出席したことになる。(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7)


平成15年12月13日(土)

 晴れ。
 
 婆様が風邪を引いたようなので大阿蘇病院で点滴を打ってもらい、珍しく一日中横になっていた、あの人にしては珍しいのでかなりダルイのだろう。

 午後3時頃、滉兄が市内所用のついでに寄ってくれる、相変わらず忙しい毎日のようである。

 今日は廃材を整理しながら、ボンの小屋のペンキ塗りをした、我が家と同じ配色で、壁面がアイボリーで屋根を赤にした。

 芝から少し離れた場所に犬小屋を置いて、デッキと平行に7m動けるガイド・ワイヤーを張ってやったので、かなり広範囲に行動出来る。夕方にはちゃんと新しい小屋に入っていた、明朝氷点下4度の予報が出ているがどうだろう。


平成15年12月12日(金)

 曇り。予報では降雨確率0%の晴れであったが、終日ドンヨリとして非常に寒かった。気温が低いというほどでもなかったが、風があり、体感温度が低かったのである。阿蘇谷から200mほど登った外輪山から続くやまなみハイウェイでは雪が降り、この冬初めてのチェーン規制が出たそうである。

 娘の体温が37度以上あったので、少し迷ったが保育園にやることにした。何時迎えに来いという電話がくるかと思っていたが、結局帰る直前の検温で38度くらいになったが、昼間は平熱だったそうで、無事週末を迎えることが出来た。

 そんな中、小生は寒くて寒くて洟水を鳴らしながら一日中外で犬小屋の製作に没頭した。

 屋根だけを残すだけになっていたので、短時間で終わるつもりだったが、思った以上に加工に時間が掛かり、結局ほぼ一日費やした。

 犬小屋を作るにあたっては図面など全く作らず、その場で寸法を決めて作っていったのだが、後々のメンテナンスを考えて、屋根をそっくり取り外すことが出来るように作ったつもりだったが、とんでもない考え違いをしていて、結局それが出来ないことが分かった。

 棟木と母屋を妻壁に切込みを入れて嵌め込んで、屋根全体を蓋のよう取り外しが出来るようにしたつもりだったが、母屋も地面に垂直に切込みを入れて嵌め込むべきところ、屋根の傾斜に対して垂直に嵌め込んだので、左右一体化した屋根部分をそっくり取り外すことが出来ないことが分かった。今更やり直すことは出来ないので、当初の構想は失敗に終わった。それでもやっつけ仕事にしては、まあまあの出来か。明日から犬小屋を少し畑よりに置くことにする。



平成15年12月11日(木)

 久しぶりの雨、寒さも緩む。

 このサイトの引越しに際して、旧ウェブ・アドレスにアクセスがあった場合に、新しいアドレスに案内するページを表示するように設定しておいたのだが、ウッカリその設定を消してしまっていたようで、このサイトを見てくださっている未知の方からメールを頂戴するやら、身内からクレームがでるやらで、ようやくそのミスに気が付いて修正した。

 娘を保育園に送るついでに婆様を内牧の小野眼科と大阿蘇病院に連れて行って、そのあと久しぶりの「雨読」にノンビリする。

 ボンの奴は未完成の犬小屋を雨が直接降りこまないように横にして置いておいたので、ちゃっかりその中で雨宿りをしている、屋根掛けは明日以降になる。


平成15年12月10日(水)

 快晴。

 午前中に、キンカン用のビニールハウスを完成させ、午後からはボンの小屋の製作にとりかかる。

 現在は縁の下を寝床にしている関係で、芝生が荒れる上に、あたり構わず糞をするので、少し畑に寄った方に犬小屋を置いてそこで飼うことにした。

 犬小屋は夕方までに屋根の取り付けを残すだけになったが、娘の迎えで今日の作業は終わった。少し大きすぎたかも知れないが、大は小を兼ねるだろうか。 


平成15年12月 9日(火)

 晴れ、氷点下にならないつもりだったが、2度近くまで下がり、結氷していたのでキンカンが心配だったが、この程度の低温くらいでは大丈夫だろう。

 今日は娘は元気に保育園に行った。

 キンカン用ビニールハウスを作ろうと、午後からビニールを買ってきて、竹で支柱を作り作業を始めたが、思ったように捗らず、今晩もブルーシートで覆った。

 天窓の日本VELUXという会社があるが、そこの天窓のあるロットに不具合があって、何かの拍子に割れる場合があるとのことでリコールがあり、今日業者が点検に来て見た結果、我が家の天窓が交換対象に当たるらしく、ペアガラスを交換していった。北日本の寒暖の差が大きい地域で僅かながらそういう事故があったそうで、念のために交換するとの事で、なかなか信頼できる会社である。


平成15年12月 8日(月)

 そうか今日は12月8日か。もう何のことか知らない人のほうが多いだろう。
 
 予報どおり、昨夜は冷え込んで、朝起きて戸外に置いてある寒暖計を読むと、氷点下6度近くを指していた、気持のいい朝だった。キンカンの応急覆いは正解だったようだ。

 娘は少し熱があるようだったが、多分大丈夫だろうと保育園に送っていったところ、一時間経つか経たないうちに、保育園から熱が38度になった旨の連絡があったので恐縮しながら迎えに行った、矢張り少し無理だったか。

 今朝あたりから小生の喉も痛い、いつも娘が風邪を引いて、それを小生が貰うというパターンで移る。何といっても小生が娘と一番接触する時間が多いし、接触度も高く、彼女の咳やクシャミなどをモロに顔面に受けるからから止むを得ないところか。


平成15年12月 7日(日)

 曇り。日本列島は寒い一日だったようで、北の各地で結構雪が降ったようだ。ここ阿蘇も気温自体は低くなかったと思うが、体感温度が低くて薄ら寒い一日だった。

 娘の食卓の狼藉振りを見ると、明日は元気に保育園に行けそうだ、。

 午前中は、PCの前に座り込んで、自宅サーバーの研究に没頭?した。大体の見通しはついた気がする。サーバーにする機種の心積もりもほぼ決まった、ハードディスク・クラッシュに備えてレイド機能が必要だ、出来れば無停電電源内蔵が良い、それに静粛性と低消費電力。あとは自分でゴーサインをだすだけだが、これがなかなか出せない、何かのきっかけが欲しいところだ。

 午後から廃材を切って薪を作る。冬は雑草刈りから開放される代わりに、薪割という仕事があり、夏は薪割が無い代わりに雑草との戦いがある、ハテどちらが良いか。

 夜に入って、明朝の阿蘇は氷点下4度くらいまで下がり、この冬一番の冷え込みが予想されるとの予報が流れたので、凍れる月影のもと、青い実を付けているキンカンの木に応急でブルーシートを巻きつけた、どれだけの効果があるか分からないが、少しは助けになるだろうか。

 あれは一昨年だったか、滉兄の福岡転居の折りに水俣から運んで来て、昨冬は実が生ったのに、やはり温暖地ほ果物だ、熟れる前に厳しい寒さにやられ駄目だったので、今年は何か寒さ除けの覆いでもと考えていた矢先だったのだが、一歩のところで間に合わなかった。


平成15年12月 6日(土)

 曇り、時々小雨。

 今日は娘の保育園で「お楽しみ会」という、学芸会のような催しがあって、娘も保母さんに抱かれて一応出演?する予定だったが、熱がまだ下がらないので、用心のために欠席した。

 小生は毎日送り迎えをしていて、保母さんや園児たちとは十分に顔見知りなので、まあ仕方が無いかという程度だったが、カミサンは普段、娘の保育園生活を目にする機会が無く、今日の参観を楽しみにしていたので残念がっていた。

 保育園に行く替わりにカミサンの運転で古閑医院に行き、薬を貰って帰ってきた。


平成15年12月 5日(金)

 曇り、時々小雨。

 朝、娘がまたまた咳がひどく、青っ洟が出て少し熱があったので、用心のため保育園を休ませたが、心配する程のことは無かったようで、これなら思い切って保育園にやるんだったと後悔する、お蔭で子守りに掛かりっきりで、今日一日の作業を棒に振る、とにかくくたびれる。

平成15年12月 4日(木)

 快晴。朝は久しぶりに氷点下になり、畑は霜で真っ白だった。
 
 県による浄化槽の検査がある。隔月で清掃業者による浄化槽の点検を受けておりながら、それとは別に年に一度、県の検査を受けなければならないそうだが、それでは清掃業者による点検は何なんだと言いたくなる。

 清掃業者は当然免許を受けて営業をしているはずだろうから、その業者が検査をすればそれで良いではないか、如何にも行政のスリム化とは縁遠いシステムである。当然天下りが絡んでいるのだろう。

 しかも、この法令は検査を受ける義務はあっても、罰則規定が無い不完全な法令だ。それでも遵法精神に富んだ小生のこと、ルールどおり受けるのである。

 ようやくナス、トマト類の支柱を撤去する。今年は強風に備えてガッチリ支柱を組んだので撤去作業もそれだけ大変だった。苦労の甲斐なく今年の作柄は天候不順で良くなかった。


平成15年12月 3日(水)

 晴れ。

 先日買って来たスチール製の物置、そのままブロックに乗せるか、コンクリートを打つべきか、いまだに決めかねている。

 竹やぶだから間違いなく床下から竹が出てくるだろうから、コンクリを打ったほうが良いと思うのだが、手で練ると約一立米あるので大変な作業になるだろうから、そうであれば生コンの方が良いだろうか。
 いずれにしても木枠だけは作っておく必要があるので、今日は大まかに縄張りして少し掘り下げてみたが、一向に腹に力が入らず、途中で止めて、チェーンソーで薪を作る作業をして終わる。

 年賀状を買ってくる。
平成15年12月 2日(火)

 晴れ、三年目にしてようやくたかなが順調に育っているようだ、今の季節、柔らかな緑が眩しい。初めてたかなの種を蒔いたのは、まだ家を建築中の仮小屋時代だった、見よう見真似で蒔いたが、時期が遅すぎて霜にやられた。二回目はちゃんと蒔いたと思ったのだが、種が良くなかったと見える。
 
 家族揃って茅ヶ崎からここ阿蘇の地に移住してきて今日で丁度丸二年、なんだかもう遠い昔のような気がする。

 昨夜のうちにwebのカウンターが60,000件に達していた、早く自宅サーバーを運用したくてウズウズしてるが、なかなか時間が取れない。

 本日も腹具合が悪かったが、昨日やり残していたサトイモの収穫を何とか済ませる。収量ミカン籠に約四杯。


平成15年12月 1日(月)

 晴れ。今日より師走、師のみならず、風師も走る、風師走、やることが山ほどあるが、一向に消化できない。

 今日は夕方から中岳の赤熱現象観測について行くつもりで参加希望を出しておいたが、考えてみたら娘の保育園迎えがあることをすっかり忘れてしまっていて慌ててキャンセルする、大いに残念なり。

 遅れていたサトイモ堀を一気に済ませるべく畑に出てはみたが、今朝より腹を下して全く力が入らず、なんとか掘り起こしただけで、明日にでも取り込む事にする。
 
 今年の出来は非常に良いが、深い穴を掘って稲藁を敷いて、と結構保存方法が面倒なので、結局のところ、床下に箱に入れて収納することになり、いずれそのうちかなりの部分を腐らせることになる、今の時期は何処でもサトイモを作っているので、身近なところで持っていくところが無い(関東地方は遠くて駄目だよ)。