平成16(2004)年2月の記録(新しい日付けの順)

平成16年2月29日(日)

 うるう年二月最終日。昨夜は一晩中大荒れに荒れて、風雨ともに強く、おまけに雷も鳴り響き家が揺れるほどであった。

 明けても終日天気がハッキリせず、何もかもずぶ濡れで作業が出来ず、久しぶりに「雨読」の一日でノンビリしたが、読書はやらず、ネットサーフィンで、オークションに出ている品物を覗きまわり、バーチャル秋葉原を楽しんだ。

 裏カメラ運用のPCを今回手に入れた8000円也のノートPCに切り替えたがすこぶる調子が良い。


平成16年2月28日(土)

 晴れ、本日もカミサン終日不在。
 
 午後も2時半頃になって、滉兄と薫ちゃんが訪ねてくれる。もっと早い時間に着く予定だったが、前の用件が延びたそうで、しかも滉兄は4時から市内の講演会に行く予定があり、小生は昨日休診だった眼科の3時半までの受付時間が迫っておりで、遠路遥々の来訪だったにもかからわらず、わずか30分だけのあっという間の滞在になってしまい、ゆっくり話をする間もあらばこそ、となってしまった。

 小生は一人で小野医院に行くつもりだったが、娘が後追いをして、とても置いていける状態ではなかったので、已む無く娘と婆様を車に乗せて、閉院間際に駆け込み、車の中に娘を残し、婆様がその間子守りをするという方法で、なんとか診療を済ますことが出来た。経過は順調のようである。

 夕方から雨、予報どおり。


平成16年2月27日(金)

 晴れ。畑仕事など沢山やることがあるこの貴重な時期に、屋外作業を全くせずに、オークションで落とした8,000円なりのノートパソコンが今朝宅配便で届いてしまったので、OSのインストールなどで時間を費やしてしまった。それにしても大いなる掘り出し物だった。

 昼から眼科経過観察のために小野医院に出かけたが、ぽんたさん、急の休診とのことで空しく?帰ってきた。


平成16年2月26日(木)

 晴れ。

 最近インターネットオークションにハマっている。ジャンルはパソコンや無線機や映像機器やその周辺といったところか。

 ハマっているといっても買いまくっていると言うわけではなく、秋葉原のジャンク漁りの代償行為といったところで、あくまでwindow-shoppingである。こちらには「秋葉原」が無いので少しはストレス解消になる。

 ここのところライブカメラの一つを運用しているノートパソコンが、もともとポンコツ品だが、調子が悪く固まってばかりいるので、ほぼ分解状態で騙し騙し使用していたが、それもソロソロ限界、代替品をオークションで探したところ、8、000円でノートパソコンの出物があったので、冷やかし半分で入札したら、小生しか入札者が居らず、落札してしまった。

 この金額でも今のポンコツよりは遥かに高機能で、LANコネクターとPCカード・スロットも内蔵されているので、ライブカメラ運用にはこれで十分である。

 ライブカメラ用のカメラも、ホームビデオ・カメラの録画・再生機能が壊れたジャンク品に近いものを転用すれば数千円で手に入る。それでも良いレンズが付いていて高倍率のズームやオート・フォーカス、オート・アイリス機能があるので下手な専用監視カメラより高機能なのである。

 などなどと買い始めたら、そんなに遠くない昔に我が家が秋葉原の出店(でみせ)的にジャンク品で埋まった時代があったが、その二の舞にならないように、自重自重である。

 そう言えば、昨日農協からジャガイモの種芋が届いた、随分前に注文していたやつで、頼んだことすらすっかり忘れていた。もうそういう時期かと驚いて調べてみたら、もうそういう時期である。心の準備が全く出来ていない。周囲が春の畑仕事の準備で動き出したと思っていたら、すっかり自分のことを忘れていた。昨年は3月13日に作付けしている、そのためには二週間ほど前から肥料を入れたりと畑作りをしなくてはならない、ゆっくり冬ごもりをする暇も無くまた畑仕事の季節がやってきた。


平成16年2月25日(水)

 晴れ。

 敷地の東端の県道と町道の分岐点のところにある竹林が先般の雪でかなり折れて見苦しいので、伐採して野積しておいた、近日中に燃やす予定。

 今日娘が靴を履いて保育園から帰ってきた、いつもは抱いたままの移動のため靴は不要で、チャイルドシートから抱き上げてそのまま家に運ぶが、今日は手を引いて歩かせて家に入った。


平成16年2月24日(火)

 晴れ、かなり冷え込んだ分、日中は良い天気になった。

 薪割りなどをしていて、目に異物が入ってきたのを、汚れた手でこすったからか、昨日から目が痛くなり、真っ赤に充血して、ひどい状況になったので、午前中に小野医院で診てもらったところ、ウィルス性の結膜炎になっているそうで、人に伝染するから、手洗いの励行やタオルの管理、入浴について注意を受けて目薬を処方してもらう。

 娘の扶育を専らにするので、伝染(うつ)さないように気をおつけなければならないが、多分伝染すだろうな。

 そんなわけで、中川夫妻を置いて病院に出かけたので、小生の留守中に彼らは我が家を発っていったそうである、今夜は久住に泊まるそうだが、これからの旅の安全を祈る次第である。


平成16年2月23日(月)

 昨日までの悪天候も、ちょうど熊本入りした中川弘・喜久子夫妻に合わせるかのように昼頃までにはすっかり回復した。

 ただ風が冷たくて、軽装でやってきた中川夫妻は阿蘇山頂で凍りつくかと思われるほどの寒さに震え上がったそうである。数日前に火口見学制限が解除されたばかりで、火口を覗くことが出来たとのこと。

 阿蘇に入ってから、我が家に直接向かわずに、南阿蘇方面を回り、吉田口から阿蘇山に上って阿蘇駅前に下りてきたそうで、三時ころ我が家に到着した。

 一息入れた後、阿蘇神社や国造神社などを案内しているうちに、夕方になったので、一緒に付き合って貰って、保育園に娘を迎えに行った。娘は初めて見る顔にかなり警戒気味であった。

 夜はカンポの宿の温泉に案内したが、小生も温泉は久しぶりだった。


平成16年2月22日(日)

 昨夜我が家から見通せる田んぼの中にいくつもの赤灯が点滅しているのが見えたが、今朝カミサンが通ってみると、農道の交差点で軽トラと軽乗用車が田に横転していたそうである。以前にも近くの農道の交差点で事故があったが、あまり見通しが良すぎても事故は起きると見える。

 曇りのち、嵐。昨日の天気がウソのように、午後から風雨が荒れ狂った。考えてみたら雨は随分久しぶりで、これで大地が一気に春の準備を始めるだろう。

 それにしても中川夫妻は今日鹿児島に入ったはずであるが、よほど日頃の行いが宜しくないとみえる。


平成16年2月21日(土)

 晴れ。

 いよいよ阿蘇谷で野焼きが始まった、波野に用があって、滝室坂を走っていると、遠く阿蘇五岳の麓に煙が上がっていた。今日はまだ一部の牧野だけのようだが、この一月の間に一斉に阿蘇の原野が焼き払われ、春を迎える準備に入る。

 少し前になるが、娘の食事用のイスを買ってきたところ、座るとピーッという音が出る奴で、怖がってしばらくの間座らなかった。そこで、笛の部分を取ってやったところ、ようやく最近になって、それに座って食事をするようになった。

 今日は娘が母親に連れられて初めて靴を履いて散歩に出かけた。近所の健太郎君、直樹君の家に行って牛を見てきたそうである。


平成16年2月20日(金)

 晴れ。暑い暑い、それもそのはずで、阿蘇の2月の気温としては観測史上初めてだそうで、20.8℃あったとのこと。

 キンカンのハウスを撤去、結局いい加減な養生では駄目だった。全部低温にやられて実がグズグズに腐っていた。ビニールハウスに藁を巻いた程度では駄目で、夜間にヒーターを入れるくらいのことをしなければ、ここ寒冷地ではキンカンは実らないのだ、来年はまた何か方法を考えることにする。

 役場に保育園の継続入園手続をする、保育料は所得額によって負担額が違う、低所得者としては、手篤い保育をしてもらっており申し訳ない気持で一杯である。


平成16年2月19日(木)

 曇り。

 今日は娘の1歳6ヶ月の健診が町の健康センターであった。保育園を昼までで早退して、小生とカミサンとで送り届けと健診を手分けしてあたったが、健診の結果、特に問題は無かったようだ。このくらいの年齢にも尿検査があって、事前の採尿には苦労した。

 以前はこういった多勢の人の中に入ると必ず大泣きをしていたが、保育園で沢山の人に接するようになって、そういうことも無くなって、周囲に愛想を振りまいていたそうである、保育園にやって良かったと思う。

 娘はテレビで大相撲を見ると、必ず、嬉しそうに手でマワシをポンポンと叩く仕草をするが、今日の健診でも、ある人を見て(若干二名ほど)盛んにポンポンとお腹を叩く仕草をしていたが、要は太っている人を見ると皆相撲取りに見えるようで、思わず笑いを押えるのに苦労した。その若干二名の人がこの記事を見ていないことを祈るのみである。またポンポンの種明しをしてしまったので、今後娘が、ポンポンとお腹を叩いたら、この記事を読んだ人にはその理由がわかってしまうと言うことにもなるのか。

平成16年2月18日(水)

 今朝は思わぬ深い朝霧に驚いたが、晴れ、晴れ、日に日に暖かさが増してくる。阿蘇は夏か冬しかない、と誰かが言っていたが、確かに暖かさを通り越してもう暑いくらいだった。

 薪を割っていると、突然近くの雑木林からウグイスの初音が聞こえてきた。昨年は、と調べてみたら、奇しくも同じ18日にカミサンが初音を聞いている。

 それではもしかしてと、我が家の入り口付近の土手を探してみると、フキノトウもちゃんと顔を出していた、数日前から芽を出していたのに気がつかなかっただけだろう、急に春がやってきた気分である。

 大分県九重町での鳥インフルエンザの発生で半径30kmで鶏や卵などの移動が禁止された。スーパーで今日卵を買おうと思って、そのことを思い出して、なれば卵は売っていないかと思ったが、普通どおりに売っていた。生産地を見ると、移動禁止区域外の卵だった、そういうことか、禁止区域内で卵を売ってはならないということではなく、禁止区域内で捕れた卵は売ってはいけないという意味なのだ、いや、移動制限区域外に移動してはならないが、区域内では売っても構わないということなのだろうか、どうもよくよく分からないが、近くの養鶏場も大変だろうと同情を禁じえない。

 新聞もテレビも「半径30kmで鶏や卵などの移動を禁止した」とだけしか報じておらず、そのくせ風評被害が懸念されると言っているが、もっと具体的に解説して欲しいものだ。移動制限区域内で生んだ卵は売っちゃあイカンのか、区域内でなら売っても良いのか、どうなんだ!


平成16年2月17日(火)

 曇り、風が少々強いが、以前のような寒さは無い、何だかだと言いながらも確実に春が近づいているのが分かる。あちこちで田の土手の枯草焼きが始まり、トラクターが田を起こし始め ている。

 寺内さんにつられて、初めて「楽天」のオークションなるものを試してみた。パソコンの中古品でライブカメラ用に機能を限定して探したところ、想像した以上に安い価格で出ていたので、ある機種を入札してみたが、もっと他に良い物があったかな、少し早まったかなと、少々後悔してドキドキしていたところ、直ぐに別の人が高値を入れたので、変な話だがホッとした、落とし損なってホッとしているようでは落とせそうもないな。オークションは面白そうだが、本当に欲しくなくても安いから買ってしまうというような衝動買いをやりそうな危険性がありそうである。


平成16年2月16日(月)

 穏やかな暖かい一日、薪割ではシャツ一枚でも汗ばむほどであった。

 来月実施の町主催の人間ドックに申し込む。考えてみたら退職以来一度も健康診断を受けていなかった。


平成16年2月15日(日)

 晴れ、今日は久しぶりに子守りから開放されて、ボンの散歩でいつもの三倍くらいの距離を歩く、実にノンビリとした一日であった。

 阿蘇中岳の活動状況がレベル3からレベル2に引き下げられたのに応じて、本日昼前に火口付近の立ち入り規制が解除されたようである。


平成16年2月14日(土)

 強烈な南の風、春一番か。

 たかなの追肥の時期である。雨の直前に撒くと良いとお向かいのサイ子さんから助言を頂戴したが、晴天続きでなかなか雨が期待できなかったところ、今日午後から一雨来そうだという予報だったので、娘が昼寝をしている合間を縫ってロッキーから尿素を買ってきて慌ただしく撒布する。結果、ほんのパラパラ程度で雨とは言えない降り方であった、明日あたりホースで散水するか。

 カミサン所用で一日不在のため、婆様と二人で保育園が休みの娘の子守りをする。彼女が家にいると一日中何も出来ない、この一日の長いこと。



平成16年2月13日(金)

 晴れ、天気が下り坂との事だったので、体調は本調子にはまだ程遠いが一日中薪割をする。だんだんと薪材の山が少なくなりつつあり、春までまだ何度か薪材集めをする必要がありそうである。

 夜、赤星邸にて宿場會2月例会。本日は(財)阿蘇地域振興デザインセンターの坂元事務局長をゲストに迎えて、「スローな阿蘇づくり」ということをテーマに、阿蘇地域を面で捉えたホームページの作成などについて説明を受ける。

 大部分の観光客がほんの幾つかの観光目玉だけを観ただけで通過していってしまう現状を打破して、もっとゆっくりと阿蘇を知ってもらって、それを阿蘇地域の活性化につなげようという趣旨で、動画を使った阿蘇の魅力を沢山盛り込んだホームページが既に大部分出来上がっており、そのデモンストレーションと坂梨地区のホームページ収録に関する説明があり、何時もに倍する参加者で久しぶりに熱気のこもった例会となった。

 中川弘夫妻が近々阿蘇を訪れてくれるそうである、再会が楽しみである。


平成16年2月12日(木)

 晴れ。薪割りには絶好の日和が続いているが、寝込むほどではないものの風邪で体がだるいので、今日も残念だが肉体労働は休む。

 一昨日再開した無線機、144MHz帯にしろ、430MHz帯にしろあまりにも静かで、アンテナが壊れているのでは、と本気で心配になって、取り外して検査をしたが、ちゃんと機能してるようで、要は、最近は無線をやる人間が携帯電話の方に移ってしまってバンドが空いているということなのだろうか、それにしても1エリアでは考えられないような静けさである。

 婆様を連れてコイン式の精米ボックスに行く。精米のレベルは、五分搗き、七分搗き、標準、上白と4段階に分かれている。小生は銀シャリが食べたいのでいつも上白という搗き方を選ぶが、婆様はせめて標準にしろと言って「標準」のボタンを押してしまった。見たところあまり違いは無さそうであった。


平成16年2月11日(水)

 晴れ、ただし昨日程では無し、紀元節、国旗掲揚。

 とうとう風邪を引いてしまった、寝込むほどではないが、体がだるい。

 カミサン所用にて一日不在。

 昼過ぎ、哲兄の来訪、いよいよ三月から生活のベースを熊本に移すとのこと。

 千客万来、相前後して阿蘇の仲間の一人、川口善生さんも来訪。彼は俳句の達人で今は休止中だが俳句のホームページを主宰している。近々阿蘇を去り、小生がこちらに来るまで住んでいた茅ヶ崎の直ぐ隣町に転勤とのこと。亦々人生足別離か。


平成16年2月10日(火)

 晴れ、放射冷却現象、冷え込んだ分だけ風も無く穏やかで気持の良い日中であった。

 雲ひとつ無い青空に阿蘇の噴煙が一際勢い良く立ち登っていた。 

 今日は、UHF・VHF用のGPアンテナを設置して、屋内にケーブルを引き込む作業でほぼ一日を終わった。

 娘は最近、助けを借りることを断固拒否して自分で食事をしようとする傾向があり、彼女の周囲は惨憺たる有様となる。(写真1写真2写真3写真4写真5)


平成16年2月9日(月)

 曇り。新しい週、娘が元気良く保育園に行った、不倒記録更新中である。

 朝、散歩に連れて行こうと、玄関を出たところ、犬小屋の前に座っていたボンがトコトコと駈け寄って来た。

 普段であれば鎖で繋がれていて当然来られない距離である。よく見たら鎖(ワイヤー)が切れていた。

 ボンは鎖が切れて自由の身になったのを知っていながら離れなかったのだろうか、それとも鎖が切れていたにもかかわらず、これ以上は動けないと端から思い込んでいたのだろうか、今となっては分からない。

 切れたワイヤー・ロープはいわゆるキンクが出来ていてその部分が弱くなっていたのであろう。午後からワイヤー・ロープを買ってきて、ボンがどのように走り回ろうともキンクを起こさないように、今までより高いところに張り直してやった。


平成16年2月8日(日)

 晴れ、今朝も相当冷え込んだ。

 駅伝の中止は正解だったかも知れない、大部分の道路は乾いているが、日陰やメイン道路から外れた道など多分凍っているところがあるのではないだろうか。

 今日は一日ノンビリと過ごした。


平成16年2月7日(土)

 朝起きると、本日も一面の銀世界となっていた。

 午後、明日の駅伝の準備のため、軽トラックで田んぼの中に移動して、本番と同じ装備で桐原OMと送信実験をする。

 本日は、素晴らしく高品質の映像を送ることが出来てこれで準備万端という所だったが、なんと夕方になって中止の連絡が入った。ここのところの雪で、雪解け跡の路面一部凍結が心配されるので、安全を考えてとのこと、已むを得ない。今回は複数の新聞の取材も入る予定だったが、またの機会に譲ることにした。

 引越し以来、久しく無線から離れていたが、今回のことで、急遽ベランダにUHFのアンテナを出したり、眠っていた無線機を引っ張り出したりと、久しぶりにまた無線の虫が騒ぎ出したようである。


平成16年2月6日(金)

 曇り、時々雪、本日も寒し。

 駅伝中継のためのアンテナ用ポールや、中継櫓替わりの脚立などを庭先に引っ張り出して準備らしきものをする。


平成16年2月5日(木)

 昨夜のうちに大分降ったとみえて、朝起きてカーテンを開けるとまた銀世界が広がっていた。

 母、宇治歯科と大阿蘇病院へ。

 午後から、今度の日曜日に開催される坂梨地区の駅伝大会のテレビ中継のテストのため、桐原さんと古閑の中継地点で送信テストを行う。この駅伝は我が家の前もコースになっている。

 桐原さんはJA6AJYのコールサインを持つOMである。毎年駅伝の際にはATV(アマチュアテレビ)で駅伝の発着地点の公民館に設置した受像機で競技の模様を放送しているそうである。

 昨年は都合により中継が無かったそうだが、要望が強くて今年もまた放送をすることになり、不肖JA6LGVも一役買わせていただくことになった。

 先頭のランナーの前に先導する形で走る移動中継車と、途中幾つかの定点カメラによる本格的なテレビ中継である。

 小生は古閑の滝近くにある終盤のタスキ中継地の固定カメラを担当することになり、我が家のビデオカメラを持参して、桐原OMと一緒に仮設アンテナを立てて、1200MHz帯の送信機を使って送信テストをした。

 今日は雪が降り風が冷たく体の芯から震え上がる天候であったが、当日若干の手直しをすることにして、概ね試験放送は上手くいき、あとは当日の天候次第である。

 試験終了後、桐原家でOMのもう一つの趣味であるオートジャイロの飛行大会のビデオを見せていただいた。桐原OMご自身も自分でオートジャイロを組み立てて、そして自ら大空を飛ぶのである。

 阿蘇はそういった環境に非常に恵まれており、外輪山に登れば滑走路があるのである。

 オートジャイロはヘリコプターと外見は同じようなものであるが、決定的に違うのは、ヘリコプターのメイン・ローターは機体を浮き上がらせそして推進する為にあり、その大きな力をエンジンから貰うが、オートジャイロのそれは、基本的にはただ背中にある推進用のプロペラで押された機体が前面から受ける風でクルクル廻ているだけだそうだ、そしてそのくるくる廻るプロペラで揚力を得て機体が浮かび上がる仕組みになっているそうである。だから、ヘリコプターは滑走路は不要だが、オートジャイロは滑走路が必要だということである。趣味にも色々あるが、これはまたスゴイ趣味である、道楽である。


平成16年2月4日(水)

 本日立春、「早春賦」の詩のとおりの、風寒き名のみの春。

 とうとう風邪を引いたか?今日一日頭が痛かった。

平成16年2月3日(火)

 曇り時々晴れ。

 節分。阿蘇神社では豆の替わりに護摩木を撒いて、それを家に帰って燃やすと無病息災だとかで、今年こそ貰いに行きたかったのだが、娘の退園時間と重なり断念した。

 その娘、保育園で、鬼のお面と、豆を入れる升を作って(作ってもらって)持って帰ってきたので、夜の我が家での豆撒きには、その升を使用した。(写真1写真2)

 今夜の夕食は太巻きであった。節分の日に恵方を向いて、太巻きを黙って丸かじりするすると良い、と言うことをこちらに来て初めて知ったので、今年はそれに倣ったが、調べてみると、阿蘇の風習だと思っていたところ、どうも関西がその出所らしくて、バレンタインデーのように海苔業界の陰謀?によるものらしい。

 今日一日、薪割りに精を出し、相当量の薪を作り、とりあえずデッキに積み上げた。


 今回の木村家のパソコン導入ではMicrosoftのOfficeをインストールしたが、ソフト購入にあたってインターネットで色々調べたところ、世にフリーソフトという有り難い存在が沢山あるが、まさかOfficeまでフリーソフトがあるとは知らなかった。OpenOffice<http://ja.openoffice.org/>

 つまりWordやExcelとほぼ同じような機能を持ち、しかもMicrosoftのOfficeと高い互換性のあるビジネスソフトがフリーソフトとして存在しているのである。

 初めて使う人にはやはりメジャーで誰でも知っているソフトのほうが何かと都合が良いであろうと思って、今回このフリーソフトは敢えて勧めなかったが、小生自身が新しいパソコンにソフトを入れる必要が生じたら迷わずこのソフトを使ってみたいところである。


平成16年2月2日(月)
 
 午前中弱い雨、気温も高め、午後より曇り空となる。

 土曜日の夜に娘がまた39度前後の熱を出し、オイオイまたか、と心配させたが、一晩で熱が下がり、鼻をグズグズ言わせていたものの、昨日一日元気だったので、今朝は無事に保育園に行った。家ではもうどんどん歩いているが、保育園ではなかなか歩こうとしなかったようだが、今日初めて歩いたそうである。

 この記録を読んでくださっている何人かの方から、直ぐに熱を出すのは、どこかほかに悪いところがあるのではとご心配をいただいているが、単なる風邪を何度も引いているだけのようだと思う。

 医学的にはともかくも、こう何度も風邪を引くと確かに耐性のようなものが出来るようで、風邪を引いても前ほどは酷くならないうちにすぐ治るようである。


 先日NHK衛星放送だったか、江戸と現代をタイムスリップして探訪する特集番組をやっていたが、その時に江戸の古地図と現代の地図を上手い具合に重ね合わせて、昔と今の場所を比較するシーンが随所に出てきたが、番組用に特別にCGで作って地図を重ねて放送しているのかと思ったが、実際に「江戸〜東京 重ね地図」<http://www.seiei-anime.co.jp/works/07-edo.html>として市販されていることが分かって非常に興味深く感じた。

 例えば「鬼平犯科帳」などの時代小説を読んでいて、昔の通りや大名屋敷、横丁が現代の何処にあたるかが分かれば、もっと面白いであろう、そのような地図が無いものか、とかねがね思っていたところなので、これは喜ばしい限りである、ただ少し高価なのが難点であるが、在ることが分かっただけでも良としよう、そのうちに買う機会もあるだろう。


 木村豆腐店の店主文彦さんの長兄誠喜氏は南郷谷の圓林寺のご住職である。今回のパソコン導入のそもそもの始まりは、圓林寺である。誠喜氏が手許の中古のパソコンを文彦さんの子供たち、即ち甥っ子達のパソコンの勉強用に提供しようと出た話に小生が首を突っ込んだという次第である。

 小生は好きでやっていることなので一向に気にならないのだが、そのことを誠喜氏は非常に恐縮がられて、お寺で作っている果実酒を沢山届けてくださった。こういう場合は「般若果実湯」とでもいうのだろうか、まあそんなことはどうでも良い、その果実酒たるや、定番の梅に始まって、夏みかん、さくらんぼ、ブルーベリーなどと沢山の種類があり、綺麗な手作りのオリジナルのラベルまで貼ってある。

 お聞きしたところ、販売はしていないが、ご本人曰く、暇に任せて心の赴くままに、作っておいでだとかで、時々気が向いたら人に届けたり、みやげなどに使われるそうである。このほかにも野グミ、カリン、キンモクセイ、洋梨、いちご、すもも、またたび、アンズ、などなどで果実酒をつくっておいでだそうで、更に、麹、味噌、納豆、甘酒など発酵食品も手掛けておいでだとか、その他にも色々と興味深い何かがありそうなお寺さんである、そのうちに是非一度訪ねてみたいと思っている。


平成16年2月1日(日)

 昼頃までは晴れ、午後より曇りはじめ小雨模様となる。
 雨に備え、まきにシートを掛ける。