平成16(2004)年4月の記録(新しい日付けの順)

平成16年4月30日(金)

 晴れ、少しずつ晴れの勢いが弱まってきている。

 畜協から堆肥をバケット二杯分1000円也で買ってきて、畑に撒く、明日鋤きこむことにする。トマトやキュウリ、ナスの畑にする。

 我が家の小さな田にも今日水が入り、これで我が家周囲全部の田に水が入ったことになる。


平成16年4月29日(木)

 晴れ、本日も極めて爽快也。

 本日は昭和節、謹んで国旗掲揚、今日から世間ではゴールデン・ウィークとやら。

 本日、高岳の山開き、今日登山をしようかと思ったが、来月の花見登山の時に登ることにする、その前に義父と一緒に登る機会があるかもしれない。

 終日、間引きした竹の焼却をする。

 志賀明久さんの田にようやく水が入り始めた。これから田が忙しくなる、カエルもいつの間にかその数を増し、空にコダマするくらい鳴き声が響き渡っている。

 ここ二三日、冬ごもりをしていた婆様がやおら散歩を始めた、去年よく歩いた妙法寺近くの岩下さんのアイガモ農法の田の所まで歩いている、本人曰く、まだまだ大丈夫だそうである。


平成16年4月28日(水)

 曇りのち晴れ。

 昨日の天気、今朝になって一気に晴れる、見ている間に雲が切れて阿蘇山が朝日に輝いていた。今朝の高岳、二年ぶりに今の時期、薄く雪化粧をしたそうである。

 本日の作業、西側竹林の間引き。


平成16年4月27日(火)

 日本列島低気圧通過により各地でまとまった雨と強風吹き荒れる、ここ阿蘇も肌寒い一日だった。


平成16年4月26日(月)

 晴れ、午後3時頃から予報どおり雨になる。

 熊本県畜産農業協同組合、通称「畜協」の阿蘇支所が明日移転オープンするそうである。近年の畜産の不振で広大な施設を誇った畜協も、その規模の縮小を余儀なくされ、このたび近接する場所で再スタートを切ることになった。それに伴い事務所も新築移転した

 この畜協は小生の祖父杵島と浅からぬ因縁がある。阿蘇における畜産の草創期に祖父がその振興に貢献があったとして、昭和の始め頃に顕彰碑を建てていただいている。当初は石村家具店前、工芸滝室隣の松山公園の中にあって、子供の頃、宮地駅を降りて、祖母の家まで小一時間歩いて訪ねる途中に一休みする場所であった。その後、松山公園に公務員官舎が建てられたことにより、石碑は畜協の庭に移された、そして今回また畜協移転に伴って石碑も一緒に移転することになった。

 建立当時は、石碑にはそれ相応の意義というもがあったのだろうが、時が経つにつれて、後の時代の人間にとっては、あまり関係がない存在になり、多分にその管理が負担になっているのだろうなと思っていた、須らくこういった物は大体においてそういうものなのである。

 内心、申し訳ないなあと思いながら、今回の措置を見守っていたところ、新しい事務所の玄関前に置いていただいているということを正志さんからお聞きして、今日訪ねてみたところ、確かに玄関前に移設してあった

 一般的に、「祖父」といえば、普通に寿命を全うするならば、しばらくは同じ時代を生きて、その思いでもあるはずであるが、祖父は50歳そこそこで病死しており、小生にとって全く歴史上の人間である(一の宮町史、自然と文化阿蘇選書10巻「草原と人々の営み」159頁)が、その祖父、畜産不振の現状を泉下でどう思っているだろうかと、ふと石碑を前にして想った。

 小生にはどうも理解できない、これだけの広大な牧野があって、どうして畜産が不振なのであろう、必ずや見直され、盛り返す時代がまたやって来ると信じている。


平成16年4月25日(日)

 晴れ、本日も快適也。つい先ごろ野焼きで真っ黒な地肌を見せていた阿蘇の山がいつの間にやら裾野のほうから鮮やかな緑に変身している。

 本日は、同じ豆札にある日達上人誕生の日本山妙法寺の花祭りの法要に参列した。正式には潅仏会と言うらしい。お釈迦様の誕生日は8日で、勿論当日もお祝いがあったようだが、沢山の花が開く頃を見計らって改めて本日その催しが開かれた。いま寺は色々な花に埋もれている。

 昔の記憶では花祭りとは、本堂の前に仮設の祭壇が設けられて、釈尊の立像に三々五々集まって甘茶をおかけしたと思い、軽い気持で麻理子さん、健太郎君、直樹君と一緒に出かけたが、本堂でタップリ一時間ほどの本格的な読経があり、信者さんも多勢厳かに手を合わせておいでだったので、子供たちが騒ぐといけないと思い、婆様だけ代表して入り、我々は読経が終わってから本堂に入り、仏様に手を合わせて帰ってきた。子供たちも神妙に畏まって手を合わせていた。信者さんが釈尊に甘茶をおかけするシーンを何十年かぶりに実際に目にした次第である。
(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10)
平成16年4月24日(土)

 晴れ、爽快也、今が一番良い気候かもしれない。

 午前中、カミサンが娘を古閑医院に風疹の予防接種に連れて行く。先日、ポリオのワクチン接種があったが、少し風邪気味であることと、今風疹が流行っているそうなので、ポリオワクチンを先に延ばして、風疹の予防接種を優先させることにした。

 そう言えば小生は、成人してからお多福風邪(急性耳下腺炎)と風疹に罹り酷い目にあったことがある、成人してからの罹病はそれは苦しいものである。

 好天に、カミサンは久しぶりに畑に出て雑草抜き、小生は、竹の焼却などに精を出した、娘もおばあちゃんと一緒に外に出て、春を満喫した。

 直射日光が強くなり、ボンがそろそろ音を上げ始めたので、犬小屋の上にヨシズを掛けて、暑さ対策をしてやった。

 三森さん鳴川さんたち隣村馬場の子供たちが豆札まで遊びに来た、そぞろ歩きに良い気候なのだ。

 知らない間に、庭先に放置してあった鉢植えのスズランの花が咲いていた、これは波野から来た種だ、一方、高木さんから頂戴したスズランも元気に育っており、これは相当沢山の株になりそうだ、スズランは非常に強い植物のようである。


平成16年4月23日(金)

 18日のお見知り遠足の写真が麻理子さんから届いたので、当日欄に掲載。


平成16年4月22日(木)

 晴れ、今日も暑かった、それでも朝は微妙な気温で、ついついストーブを焚いてしまう。

 たかなを刈り取らずにそのままにして置いたら、一面見事に菜花が広がった。花が終わるまでこのままにして置くことにする。

 ここ阿蘇では、田植え前の田でレンゲを見ることが殆んどない。確か以前聞いたところでは、この辺りでは田植えが早いので、レンゲの咲くのが間に合わないから植えない、と言うようなことを聞いた気がするが、あるいは聞き違いだったかも知れない。

 隆一さんの田で、今見事にレンゲが満開である、見渡す限りではこの田だけだ、確か減反対象の田だったか、田植えのスケジュールに拘らなくても言いからレンゲの種を蒔いたのだろうか、素晴らしく美しい。

 以前からやろうやろうと思いながら、延び延びになっていたワイヤー・アンテナの張り直しを一日かけてようやく終わる。今度は10m近くの高さに7MHzと21MHzの2バンド・ツエップ・アンテナを日本列島に沿うように向けて張った。10mともなると竹が重くて、フラフラになった。


平成16年4月21日(水)

 晴れ、県内の一部では真夏日だったらしい、ここではそんなに高くはならないが、それでも屋外作業ではTシャツで十分だった。

 今年初めての畦切りをする、申し合わせたように志賀さんが田んぼに肥料を撒布し始めた。今年の志賀さんの出足が非常に遅かったので、病気ではと心配していたが、今年は何度も田起こしをする必要はないとのことで遅い登場になったそうである。

 昼から竹林を少し整備して、それから、ワイヤーダイポールを今より高く張る準備にかかった。


平成16年4月20日(火)

 昨夜の雨が上がるも、屋外作業は無理のため終日道楽で過ごす。

 突然「ムトーハップ」。
 六一〇ハップと書く、果たしてどれだけの人が知っているだろうか。入浴剤の元祖的な存在である。硫黄を主成分として、浴槽に少量垂らすと白濁して硫黄の匂いがして家庭の風呂が温泉そのものになる。小生にとって幼い日の懐かしい思い出のひとつである。

 50年も昔の子供の頃、熊本市内にあった(そして今もあって最近哲兄が住んでいる)伸兄、哲兄、滉兄たちの生家に、夏休みなどに、当時住んでいた北九州から遊びに行くと、あの時代の風呂は、五右衛門風呂で、必ずこのムトーハップを入れて入浴した。五右衛門風呂に沈めるスノコと背中が直接釜にあたって熱いのではという恐怖感と、ムトーハップの白い色と硫黄と薪の煙の匂いは小生にとって「故郷」の思い出なのである。

 最近店頭に、ツムラのバスクリンなどに混ざってムトーハップが並んでいるのを発見した。この入浴剤は硫黄が主成分なので、循環式の風呂釜だと、釜を傷めてしまい使えない。
 幸いにして、我が家の風呂は追い炊き方式ではないので、早速買ってきて使ってみた。懐かしい記憶が一度に蘇って来た。

 もう使われなくなったと思うが、五右衛門風呂がまだ残っているようだったら是非とも貰い受けてき、阿蘇山を眺めながら野天風呂でも立てたいものである。


平成16年4月19日(月)

 雨のち曇り、風少し強し。

 高群逸枝の「娘巡礼記」をネットを通じて取り寄せた。

 この書籍は既に絶版になっており、オン・デマンド出版でしか手に入らないようである。オン・デマンドでは割高になるので、ネットを通じて古書店で探したところ、ようやく一冊だけ見つけることが出来た。

 これには、高群逸枝が四国巡礼の途中で坂梨を通った際に受けた親切が記されているそうで、千葉県御宿在住の高群研究家から嘉悦先生宛てに「坂梨」について照会があったということを、先日の宿場會で嘉悦先生から伺った。

 ついでに、先生から書籍の簡単な内容が紹介されたが、広辞苑によると、高村逸枝は「女性史研究家。熊本県生れ。アナーキズムの立場から女性解放を主張、また家族史・婚姻史の分野の開拓者。著「母系制の研究」「招婿婚の研究」など。(1894〜1964)」とある。小生、浅学にして識らなかったので、早速取り寄せた次第である。


 二三日前から娘の紙オムツがMからLになった。何処かに成長の記録を残しておかなければと思い、ここに書き残すことにした。明日で1歳8ヶ月になるが、体は小さいほうだと思うのでサイズ替えは少し遅いかも知れない。因みに彼女のオムツ買いは時間の関係で専ら小生の担当になっている、はかせるオムツ「ムーニーマン」である。店の人は、おじいちゃんが孫娘のオムツを買いに来たと思っていることだろう。


平成16年4月18日(日)

 晴れ、午後より雨。

 坂梨小学校と保育園合同の遠足のような運動会のような催しが浄土寺牧で開かれ、娘がカミサンに連れられて参加した。この催しは100年以上の歴史があるそうである。
 麻理子さん撮影(写真1写真2写真3写真4

 熊本出身のJA1GQV広永OMは今回中学校の同級会で里帰り、クラスメートと阿蘇方面にバス旅行をするとのことだったので、スケジュールを組んで我が家近くを走るやまなみ道路を走行中の氏のバスと久しぶりにQSOする。

 昼過ぎ、滉兄が市内所用のついでにわざわざ遠回りして寄ってくれる。


平成16年4月17日(土)

 晴れ。いやあ働いた、働いた、もうクタクタである。

 普段は娘の保育園送りなどで午前中はなかなかエンジンが掛からないが、今日は休日で母親が居るので、朝一から目一杯動けた。

 朝飯前に、畑に石灰を撒いて、朝食後から、終日、昨日切り出した竹を裏の田で大量に燃やして、引き続いて竹林の整備をした。書けばたったこれだけだが、竹もまとまるとその重さたるや相当なものである。

 竹は切り倒す時に、あまり下のほうで切ると躓く恐れがあるので、小生は1mくらい地上から残して切るようにしているが、まとまると結構見苦しいので、今日ついでにチェーンソーに竹切り用のチェーン刃を付けて出来るだけ地面近くで切った。(写真1写真2写真3)

 昨年カミサンがアスパラガスの苗を三株ほど植えて、そのままほとんど世話をしなかったのが、今朝そのうちの2本が健気にもちゃんとアスパラガスの形に成長していた。カーネーションのような葉をした株がどういう形でアスパラガスになるのか初めて知った。阿蘇にはアスパラガス農家もある、多分ハウス栽培だろう。
 (カーネーションの葉というのは勘違いだった、確かよくカーネーションと一緒にして売っている、金魚の藻のような葉で、あれはアスパラガスの葉をカーネーションと一緒に売っていたのだろう、何が何だか意味不明の文章になってしまったようだ)。

 ご近所からタラの芽を頂戴した、ここ阿蘇では「だらん芽」と言う、早速テンプラになった。
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80000 投稿者:asobowzz  投稿日: 4月17日(土)09時34分19秒
4月17日 午前9時25分頃でした。
狙ってアクセスしたわけではなく、偶然でした。
(もう、そろそろ8万を越えたかな)と思ってアクセスしたので
全くの偶然ではありません。

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平成16年4月16日(金)

 晴れ。昨日以上に気温が上がっている。それでも朝方はストーブを焚く。

 11日に豆札五人衆が妙法寺まで散歩に出かけた際の写真が麻理子さんからメールで届いた。 (写真

 西側の竹林の間引きをする、田が始まると倒せなくなるので、今のうちにやってしまわなければならない。相当本数倒したので、明日にでも田で時ならぬ「どんど焼き」をすることになる。ここ阿蘇では「どんど焼き」を「どんどや」と言うようである。


平成16年4月15日(木)

 晴れ。暑い暑い、炎天下で作業をしているともう夏である・・・

 午前中、婆様大阿蘇病院へ定期通院。

 結局、ジャガイモとサトイモとサツマイモが大量に腐ってしまい悪臭を放ち始めたので、畑の隅に捨てる。もっと保存方法を工夫して、或い関係先に持っていって食べてもらうなりしないと大部分が無駄になる。

 イモを捨てる際にふと田と竹やぶの境目に目をやると筍が数本顔を出している、もう二三日前に出てきたと見えてかなり伸びている。改めて探してみるといつの間に出たのか、あちこちに顔を出していた、数日前にはまだその兆候は無かったのにあっという間の変化である。今の時期、自然界、一日で劇的に変化することが多い。

 ここに来た最初の年は我が家の筍に欣喜雀躍、次の年もまあまあ喜ぶ、今年は何となく気が重い、放っておくとまた竹だらけになるので何とかして掘るなり、掘らないのなら切らなければならない、筍なんぞ一度か二度食べれば十分である、たまに食べるから良いのであって、そうそう毎日食べるものでもない、とにかく掘るのが大変で、これがマツタケならといつも思うのである。

 そうは言ってもやはり初物、早速婆様に茹でてもらう、急なことで糠が無い、しかし掘りたてだからアク抜きは必要無いだろうと米糠無しで茹でてもらった。自然は良くしたもので、上手い具合に山椒が若芽を出している、これも数日前まではその気配すらなかったのに、ここ二三日であっというまに芽を吹いた。贅沢贅沢。


平成16年4月14日(水)

 雨の朝、午後には晴れる。柿木にいつの間にか若葉が芽吹いてきて柔らかい緑に包まれだした。

 今朝になって気がついた、昨日の夕方近くから、ライブカメラがずっとストップしていたようだ、我が家のPC全部がインターネットに繋がらない。ADSLモデムをリセットして復旧するが、そのあとでまた固まっていた、ライブカメラ専用PCでFTP転送が上手くいかず、リトライを繰り返すうちにモデムにまで影響を及ぼしているような感じがする。ライブカメラ専用PCのハード・ディスクのメンテナンスをしたところ固まらなくなった。


平成16年4月13日(火)

 曇り、午後から雨、昨夜は初めてストーブを焚かずに済んだ、これから焚いたり焚かなかったりの繰り返しがしばらく続くことになる。

 メイクイーンも所々芽を出し始めた。男爵は全株無事芽を出し終わったようだ。

 午前中耕運機でこれからに備えて畑を耕す。これからの野菜としては、トマト、ナス、キュウリ、サツマイモ、カボチャは絶対に欠かすことの出来ない野菜である、余裕があれば他の野菜も植えるつもりである。

 耕運機のVベルトが切れかかっていたので、型番B34のベルトとホームワイドで買ってくる。

 夜、中虎屋にてさかなし宿場會4月例会、今年は今月まで冬時間、午後七時開催、今月は総会で、役員改選がある、全員重任。例会後、今夜は鉢盛りなど豪勢な懇親会となる。


平成16年4月12日(月)

 晴れ、もう初夏の気候だ、さすがに今日は日中はストーブは焚かずに、窓を開っぱなす。吹き込む風がまだ少し肌寒いが気持が良い。

 ようやくエントランス天井の照明器具を取り付けた。家を建てたときに、この部分の照明だけが決まっていなかった。

 入居してから決めようということだったが、特に不便を感じなかったことや、億劫なこともあって、その内そのうちと思いながら、もう足掛け三年、たまたまネットショップを見ていて手ごろな器具が見つかったので今回ようやく取り寄せたのだ。今まで天井からケーブルが垂れ下がっていて、見苦しかったがこれでようやく格好がついた。

 旗艦のパソコンの掃除をする。最近ほぼ一日動かしっ放しにしていると、夕方になると突然落ちる。夕方ならずとも最近は気温が上がると直ぐに落ちる。多分熱暴走を起こしているのだろう、箱を開けてCPUファンを外してみたら、案の定、シリコングリスがすっかり乾燥していていた、この程度で落ちるのである、実にデリケートだ。早速シリコングリスを塗って、ファンを掃除したところ、安定したようだ。


平成16年4月11日(日)

 ミニ田の中で枯草や竹類を盛大に燃やす。先日(3/20)に植えたばかりのジャガイモがもう芽を出している。この列は確か男爵のはず、メイクイーンは未だのようだ。何時もながら自然のエネルギーに驚く。

 蒼唯君たちが散歩に行こうと誘いに来た、久しぶりの豆札五人衆の揃い踏みである、わずか十数戸の部落に次代を担う子供たちが元気に育っている、本当に穏やかで気持の良い一日だった。
(写真1写真2写真3写真4写真5写真6)

 昼過ぎに聡雄さんが宿場會の瓦版を届けに現われる。何時も夕方の慌ただしい時間でゆっくり話をする暇が無いが、今日は久しぶりに上がってもらってしばし歓談す。


平成16年4月10日(土)

 晴れ。

 宿場會の古木秋秀さんが軽トラでご自宅の古木材を持って来てくださる。週末、よくご夫妻で我が家の前をウォーキングされるが、その際に庭に切り株などが積んであるのを見てわざわざ運んでいくださったようだ。

 今宵は我が豆札の花見である。今年は妙法寺の境内をお借りした、幹事は房志さんと今朝春さん。昨年、渡さんと隆一さんの音頭で始まった花見、今回で二回目である。

 豆札にあるこの日本山妙法寺は藤井日達上人開祖の寺である。日達上人は平和を祈願されて国内だけでなく、広く海外にも仏舎利塔を建立された偉人である。現在お二人の上人が寺を護っておいでになる、花の寺と言ってよいほど、春先には色とりどりの花に埋る。

 我が家の娘は風邪が治りきらないので、参加を遠慮した。彼女は何か催し物がある節目節目には必ずと言ってよいほどに、ダウンする。豆札子供五人衆のうち元気に顔を見せてくれたのは健太郎君と直樹君だけだった。

 今日は健太郎君たちのおばあちゃんの誕生日だそうで、花束贈呈と、麻理子さん手作りのケーキも登場した。

 スライド・ショーで花見の様子を記す。(全部の画像を取り込む前に矢印をクリックするとエラーが起きるので、アナログ回線を使用している場合はご注意ください、万一エラーが起きたら、一度前に戻って改めて画像の取り込み作業をしてください)。


平成16年4月 9日(金)

 晴れ、実に気持の良い穏やかな一日だった。

 午前中、サトイモを植えてマルチ掛けを終わる。二列弱の畝に種芋3キロ、約60個を植える。

 昼頃、妙法寺さんがお二人で突然お見えになる。何事かと思ったら、塩が大量に手に入ったので下さると言うのだ。お聞きしたらアンデスのウユニ湖の塩だそうで、なんと20キロ袋である。

 早速調べてみたら、ウユニ湖とは南米ボリビアの標高3600mのところにある世界一大きな塩湖で、琵琶湖の約20倍の広さだそうだ。ここの塩はナトリウム・マグネシウム・カルシウム・カリウムなど、健康に欠かせない貴重なミネラルが豊富にバランス良く含まれているそうである。有り難く頂戴する。

 夕方近く、勘定方の高木立さんが見える、初めてである。宿場會の会計監査の件で監査目付役不在により小生に監査依頼があったのだが、勘違いで、監査目付役が居ることが分かり一件落着となる。


平成16年4月 8日(木)

 晴れ。

 先日ジャガイモの畝を作った際に余った畝をサトイモ用に立てなおす、立て直すと言っても、形が違うわけではない、数日経って硬くなっているから、再度鋤きなおしたのである。午後から植え付けようと思ったが、阿蘇という所は、午前中風が無くても、必ずと言って良いほど午後から風が出る。マルチを掛けるには非常に都合が悪い、一人でマルチ掛け作業をすると風に煽られて上手く出来ない、よって残りの作業は明日に回すことにした。

 ついでにミニ田の田起こしをした、もうアマガエルが這い出て来て跳ねており、鳴き声も聞こえる。蛙の内、どのくらいの割合で越冬するのだろうか。


平成16年4月 7日(水)

 午前中は穏やかに晴れ、午後より小雨模様となる。

 娘が元気に保育園に行ってくれた、やれやれである。

 早速、ホームワイドにサトイモの種芋を探しに行ったが、もうとっくに無くなっていた、当然そうだろう。駄目元と思ってロッキーに足を伸ばしたところ、あった〜少し残っていた。初めっから、山を降りて大津辺りまで行ってみようと思っていたところなのでホッとした。もうトマトやナスの苗も出ているのでおちおちしては居られない。

 昼から、畑を鋤いて苦土石灰を撒布するつもりだったが、石灰を撒くと数日間は植付けが出来ないし、小雨も降りだしたこともあって、新たな畑作りはやめにして、先日ジャガイモを植えた時に作った畝が二列残っているのでそこに植えることにした、明日にでももう一度鋤いてからマルチがけをすることにする。



平成16年4月 6日(火)

 晴れ、婆様と終日娘の子守り、元気だ、終わり。


 追伸・・もうサトイモの作付けの時期なのだ、まだ全く用意していない、少々焦りを感じる、種芋まだ売っているだろうか。昨年の記録によると、高木義臣さんはかなり遅かったようだが、今年はもう済んだだろうか。

 昨日のケサトさんの話によると、昔からコブシの花が満開になる頃がサトイモの作付けの頃だそうだが、なるほど確かにそうだ。


平成16年4月 5日(月)

 晴れ、阿蘇山が雪をかぶって美しい。

 娘がまた熱を出した。今朝、機嫌が悪かったが体調が良くなかったのだろうか、夕方近くなって保育園から8度5分あるとの連絡を受けたので、早めに迎えに行って、古閑医院で診てもらった、もうこの冬は風邪は打ち止めだろうと思っていたが、そうはいかなかったようだ。

 婆様が歯科に行く時間と娘の退園時間がちょうど一緒だったので、娘を保育園に迎えに行きがてら婆さまを歯科まで送り、古閑医院で診てもらった帰りは、丁度仕事が終わった母親と途中のスーパーの駐車場で待ち合わせて、娘を乗せた車を交換して、カミサンが娘を連れて帰り、小生が軽トラで婆様を迎えに行った。これでまた小生、二三日は動けなくなる。

 今日は裏の今朝春さんの畑と接する竹やぶの整理をして燃やした。裏のほうはなかなか目が届かずに何時も迷惑をかけているのだろう。これからどんどん竹草木が成長するので、今のうちに刈り取るものは刈っておかなければ、手に負えなくなる。薪の心配が無くなると同時に今度は雑草との闘いが始まる。

 丁度、ケサトさんが、種芋用に土中深く保存しておいたサトイモを掘り出していたので、しばらく座り込んでいろいろと農業のノウハウについて話を聞いて、ついでに食用にサトイモを貰ってきた。我が家のサトイモは保存方法が悪いので全部腐ってしまったが、うまく保存すればこの時期でも立派に食べられるのだ。


平成16年4月 4日(日)

 曇りのち晴れ、午前中雨残る、高岳の頂上付近が白くなっていた。

 午後、家族揃って馬場公民館に県知事選挙に出掛ける、今日は少々肌寒かった。

 午後8時早々、現職の潮谷義子さんの当確が出る。


平成16年4月 3日(土)

 晴れ。

 今日は保育園の入園・進級式、娘は今までと同じ三歳未満児クラス、母親に連れられて出席、小生は同道せず、また娘だけ会場で大泣きしたそうでうである、おかげで写真を撮り損なった由。帰ってから家族で記念撮影をする。


平成16年4月 2日(金)

 晴れ、いま町内の桜が美しい、七分咲き程度だろうか、コブシもあちこちで白い花を咲かしている。

 婆様、大阿蘇病院定期通院、小生、終日、インターネット・オークションで新に落としたノートパソコンと格闘、今回もなかなかの掘り出し物だ。

平成16年4月 1日(木)

 晴れ、午後より曇る、気温低め。本日より消費税総額表示となる。

 本日も、哲兄の家に行き、インターネット環境整備の続きをやる。計画ではADSLを引くつもりだったので、開通するまで約一週間はアナログ回線でダイアルアップ接続をする事にしてその準備を進めた。

 オンライン・サインアップをしようとしたところ、PC内蔵のモデムが極めて遅い種類のものだったので、我が家で以前使っていたカードタイプのモデムを探して出して持っていった。

 ようやくプロバイダーとADSLの契約を済ませて、改めてNTTに確認したところ、全ルートがメタルでないことが分かり、哲兄の所ではADSLが使えないということが分かった。

 今更ISDNでもないので、結局光回線を導入することにした、開通まで一二ヶ月かかるそうで、それまでは当初の計画どおりアナログ回線で我慢することで落ち着いた。