平成16(2004)年5月の記録(新しい日付けの順)

平成16年5月31日(月)
 雨、大雨洪水警報が出されたほどであったが、昼過ぎには解除された。、

 昭吾兄たち昼過ぎに天草から帰還、昼食に小生の蕎麦を供する、旨いと喜んでくれた(信じよう)。

 昭吾兄・道子姉夫妻夕方の便で帰るため3時過ぎに発つ、信昭兄・弘子姉は我が家に二日滞在してくれるとのことで残る。

 母、二三日前から下痢と嘔吐でダウンしたので、大阿蘇病院で栄養剤など点滴を打ってもらう、入院するほどのことは無いとのことで帰される。


平成16年5月30日(日)

 曇り、時々雨、蒸し暑し。

 太平洋岸は猛暑だったとか、ここ阿蘇は日本海側の気候である。


平成16年5月29日(土)

 曇り、一時小雨。今日、九州・四国・中国地方が梅雨入りしたと見られるとのこと、一時パラパラはしたが、少なくとも此処に関してはそのような雰囲気ではなかった。

 昭吾兄たちは朝9時過ぎに出発していった。市内までは家に帰る哲兄が送って行き、そこでレンタカーに乗り換えて次の訪問地の八代・佐敷に向かうとのことである。八代は道子姉のふるさとで墓参を予定しているとか。明日は天草に渡って、明後日に昭吾・道子夫妻は熊本を発つ前にまた我が家にちょっと立ち寄ってくれるそうで、信昭・弘子夫妻はそのまま我が家に二日ほど泊まっていってくれることになっている。と何でも事細かに書くので、お前にかかると、我々のプライバシーなど全く無くなる、皆に我々の行動は知れ渡ってしまうと苦情しきりである。

 昼前、母親不在中に、娘を連れて婆様とちょっと用を足しに出た際に、出先で、娘は走りだしたが、足が追いつかず、コンクリートの道路に転んで顔面から突っ込み、見事に男の勲章、いや女の勲章か、オデコと鼻の頭と鼻の下に擦り傷を作って大泣きをした。これから何度となくこういう経験を積み重ねて、危険を学習していくのだろう。


平成16年5月28日(金)

 晴れ、但し、そろそろ下り気味。

 横浜から、従兄姉の昭吾・道子夫妻と信昭・弘子夫妻、それに熊本市内から哲兄がわざわざ訪ねてくれた。

 以前、茅ヶ崎時代には、婆様は、一応一族の長老的存在だったこともあり、時々、皆で集まってくれることはあったが、阿蘇に移住してまで、また揃って顔を見せてくれることがあろうとは夢にも思わなかった。

 横浜勢を哲兄が車で空港に出迎えてくれて、総勢五人の母系一族が久しぶりに阿蘇で一同に会したのである。このような機会も、婆様の年齢を考えると、もうそろそろこれが最後になるだろうとスケジュールなどをやりくりして集まってくれたのであろう。スケジュールなどの「など」の部分は、全員が年金生活者なのに無理をしてくれて、と言う感謝の気持が込められている、有り難いことである。

 以前の家と違って、そのくらいのスペースはあるので、我が家に泊まってくれれば良いものを、いろいろと気を遣ってくれて、全員かんぽの宿に宿を取り、その上に、夜の会食まで宿の部屋に設営してもらった。

 「もうそろそろこれが最後」という予想も、見事に外れてくれそうな婆様の張りのある大きな声に、皆もこれならまだ数年は大丈夫だと。小生も是非そうであってほしいものだと密かに思った。


平成16年5月27日(木)

 晴れ。熊本市内は真夏日を記録したらしい。

 婆様を大阿蘇病院に送った足で、大津に下りてタイヤ館で四駆のタイヤを交換する。


平成16年5月26日(水)

 晴れ。娘の風邪が伝染ったようで、喉が痛い、冬の風邪と違って、酷くはならないだろうが・・・

 朝8時頃、突然に、人伝に薪を欲しいということを聞いたのでと、軽トラックに一杯の杉の丸太を積んで人が訪ねてきた。

 話を伺ってみると、東仲の篠原さんとおっしゃる方で、脱サラをして、最近トマトハウス経営の勉強をしておいでだとかで、ハウス建設の課程で端材がでたので、その処理に困っていたところ、豆札の近くの集落の柿木の斎藤さんから、我が家で木材を欲しがっていると聞いた、ということで訪ねてこられたそうである。柿木には斎藤姓がたくさんおいでで、小生の知らない斎藤さんであるが、そんなところまで我が家の薪の噂が届いているとみえて驚いた。勿論薪材はありがたく頂戴した。

 斎藤さんは小生が良く知っている方が経営するアパートの住人だそうで、更にトマト絡みで隣の渡さんも良く知っておいでだとか、また新たな人の繋がりが出来た。


 午前中、先日刈り倒しておいたたかなを燃やした。本来であれば、もう少し種が大きくなるのを待ってから刈り取って、乾燥させて、来年の種を採るのだが、100円も出せば沢山の種が買えるので、今回は効率を考えて全部燃やすことにしたのである。ほどよく乾燥しており、たかなの親戚の菜種からは、油を採るくらいだから、実にぱちぱちと小気味良く燃えた。


平成16年5月25日(火)

 晴れ、暑かった、夏日になったようだ。

 サツマイモの苗を更に10本買ってきて植え付ける。サツマイモは放っておいても大丈夫そうだから、出来すぎたら出来すぎたで、あちこちに配れば良い。ついでに大分以前に買っておいて忘れていた生姜の球根があったのを思い出して植える、もう芽が大分出ていた。

 馬場の江藤亮二さんの家に行って、ホームページのメンテナンスのサポートをする。ファイル構成などが自分のパソコンと違って、戸惑うことが多く、宿題にしてもらってしばらく猶予をもらうことにした。

 亮二さんは父上の要一さんと畜産をやっている、昨今畜産の衰退が心配されているが、江藤さん父子は畜産に対して明るい展望を持っておいでで、話を伺って安心する。


平成16年5月24日(月)

 晴れ。

 畑の雑草刈りをする。

 娘が昨日から咳が出ており、今日保育園でも咳をしていたということだったので、保育園の帰りに古閑医院に寄って、咳止めを処方して貰う。熱は無いので大した事はないと思う。
 診察室の古閑先生のデスクの抽斗には子供が好きそうな物が沢山入っており、診ていただくたびに何か出して娘に持たせてくださる。今日はシールを頂戴して、娘は自分の衣服や顔に貼って喜んでいた


平成16年5月23日(日)

 晴れ。

 今日は坂梨小学校の運動会である。例年秋に催されるようだが、今年は校舎の改築が予定されており、繰り上げて実施されたようだ。

 小学校の運動会だから関係が無いはずだが、種目に消防分団対抗の技巧走(こう書くのだろうか)があり、人が足りないので、との応援要請があり、夫婦して参加した。

 夫婦して同じ種目に参加するので、その間、娘のお守りを、失礼ながら、来賓席の保育園の白石園長にお願いした。

 「技巧走」なる言葉は、小生の子供の頃には無かったような気がするが(あっても知らなかったのだろう)、パンくい競争だとか借り物競争だとか言った類の競技のようである。

 事実、競技内容は、玉杓子に入れたピンポン球を落とさないようにして一定距離を走り抜け、次に紐で繋いだフラフープの輪の中のバレーボールを輪から外にこぼさないようにして地面を引っ張って走る競技にスイッチして、最後は、自転車のホイールを棒で操りながら走る競技であった。

 最後の自転車のホイール転がしは、小生の子供の頃の遊びのひとつで、散々遊んだものだ。今の若い人には全く縁のない遊びで、カミサンも初めて見るようだった、そして事実、若い人たちはホイールのコントロールに四苦八苦していた。

 戦後間もなくの頃、小生の子供の頃は自転車のホールなど貴重品で、MYホイールを持っている子供は少なかったくらいである。そんなわけで、小生にとって、ホイール転がしなんざ朝飯前、小生が走ったグループで堂々の一着であった。

 そのうちに、そのうちに、と思っている間に季節はどんどん移り変わっており、野菜苗も店頭で残り少なくなってきている、今日ホームワイドで、キュウリとカボチャとシシトウの苗を買ってきて定植した。


平成16年5月22日(土)

 曇り。

 終日娘の子守りをする羽目になり、一日何も出来ず。なかなかミツバチを受取りに行く時間が出来ない。

 隣の美雪さんからハウス定植で余ったトマトの苗を頂戴したので早速、定植する。


平成16年5月21日(金)

 晴れ。

 午後3時頃まで掛かってようやく木村豆腐店のパソコンのメンテナンスを終わる。

 本日小生満61歳の誕生日、同時に武藤の母上の五回忌にあたる。


平成16年5月20日(木)

 雨、肌寒さ昨日よりも強く、とうとう薪を焚く、やはり暖かいのは良い。普通に着込めばどうと言うことは無いのだが、暖房が効いていた冬の時の薄着のままで居るので、余計に寒さが堪えてしまう。

 ほぼ一日かけて木村豆腐店のパソコンのメンテナンスをする、最近、まりさんはパソコン無しでは仕事に支障が出るくらいに、活用しているので、今回調子が悪くなって大いに困ったそうである。パソコンには無闇矢鱈にソフトを詰め込んだり、周辺機器をぶら下げたりしないほうが良い、そんなことをしても決してロクな事は無い、SIMPLE is THE BESTである、明日も引き続き顔を出さなければならない。


平成16年5月19日(水)

 曇りのち雨、肌寒くストーブが欲しかった。

 木村豆腐店よりSOSがあり、パソコンのメンテナンスに出かけるが、簡単には治りそうも無い、明日再インストールをすることにする。

 夕方、婆様を宇治歯科へ。入れ歯が出来上がり、とりあえず通院は今日まで。


平成16年5月18日(火)

 晴れ。

 カミサンの両親が昼前の便で帰っていった、空港まで見送った。人生別離たるとは言え、人が去った後というものは何とも寂しいものがある。

 娘も、保育園から戻ってからポンポンは?と相撲取りがマワシを叩く仕草でさかんにおじいちゃんを探していた。おじいちゃんは腹がかなり出ており、娘から見ると相撲取りと同じ分類に入るらしい、娘にそういう評価をされるということは、大いに反省の余地があるということである。


平成16年5月17日(月)

 曇りのち晴れ。

 カミサンの両親に蕎麦を供することになり、昼前、両親を乗せて波野村神楽苑に蕎麦粉を仕入れに行ったついでに、一望三山の荻岳に登り、阿蘇山、九重山、祖母山の山並みを眺めてから、阿蘇望橋を廻り、石畳の残る豊後街道滝室坂に寄ってから家に帰る。

 肝心の蕎麦のほうは、何時もより一度に多くの蕎麦を、それも久しぶりに打った所為もあり、極めて不本意な出来だったので、職人魂が許さず、大量に廃棄して、改めて打ち直したが、それでも満足の行く出来ではなかった。

 そういったところに、高木の立さんが、ツナギ姿で宿場會の研修旅行のパンフレットを持って現われる。一度着てみたかったそうで、如何にも嬉しそうだった。

 夕方、鉄男さんが、山独活を沢山持って来てくれた。この辺りにはちょっと入れば山菜が幾らでも採れるのだが、そのノウハウが無い上に、いまだに気持の余裕が出来ないので、自ら採りにゆくところまで行かない。早速酢味噌和えとテンプラになって皆の胃袋に納まった。


平成16年5月16日(日)

 雨、それもかなりの雨、大雨洪水注意報が出されたほどだった。

 この雨で、古代の里マラソン大会はてっきり中止だと思っていたら、予定どおり実施された。そして阿蘇アマチュア無線クラブJA6ZCQのマラソンテレビ中継も予定通り行われた。

 カミサンも「チャレンジASOサイクリング大会」の主催者側の応援で小国のほうに出掛けていったが、こちらのほうは悪天候によるコース変更があり、阿蘇神社前のインフォメーションセンターに詰めて進行を手伝ったようだ。

 娘は二親が一度に居なくなることは初めてで、我々が出かけるときは大変だったが、それでも直ぐに諦めたのか、カミサンの両親と婆様の子守りでなんとか泣き止んだようである。

 小生は半分は中止になるだろうと思っていたので、かなりいい加減な雨対策しかしておらず、担当の小嵐山中継ポイントで機材が雨に濡れないように四苦八苦をした。機材を護るために小生はずぶ濡れで中継を行った。来年又あるようだったら、今度は全天候型の中継システムを作ろうと思った。

 役場の中央玄関に大きなモニターテレビを設置して映像を公開して、中継本部は役場の三階に設置した、JA6AJY桐原OMが本部を受け持ち、中継ポイントには、JA6DI山下OM、JH1OZC二子石OM、それと小生JA6LGVが担当した。そして移動中継車はJG6NKB志賀OMがカメラを担当し高木立さんが運転を担当した。

 大会は、小学生の10キロ駅伝、40歳以上・未満の10キロマラソン、小学校4年生以上の5キロマラソンの4種目で構成され、、雨にもかかわらず遠隔地からも多勢の参加者があり数百名の選手が阿蘇古代の里を走りぬけた。

 以上の記述を細かく記録写真に撮ろうと思っていたが、そんな余裕など全く無く、小生の担当ポイントに向かう途中DI局の姿をカメラに収めるのが精一杯だった。そして中継が終わって昼食時に皆の写真を撮っただけで今日の記録写真は終わりである。

 最後にAJY邸に皆でお邪魔して、今日の映像の録画を見て反省会や無線の話などで大いに盛り上がった。小生はFM波を使うアマチュアテレビの画像を見るのは今回が初めてで、その鮮明さには驚いた。普通のテレビ放送と替わないほどの画像品質なのである。

 夕方、外に犬が来ているよ、という家人の声に出てみると、シベリアン・ハスキーの雑種だろうか、大きな犬が庭でウロウロしていた。首輪に紐の切れ端がついて付いていたので多分何処かから逃げてきたのだろう、非常に人懐こく大きな体で盛んに尾を振って飛びついてくる。もしかしたら飼い主が跡を追って探しに来るかも知れないと、しばらく繋いで様子を見ていたが、現われないので、放したところ、逃げるでも無くしばらく窓の傍に居たが、そのうちに見えなくなったので、飼い主の元にでも帰ったのだろうか。


平成16年5月15日(土)

 晴れ、午後より雨。

 娘の保育園の保護者参観と保護者総会に母親出席。

 カミサンの両親は雑草刈り、娘のお守りなどをやってくれる。義父が刈り払い機を初めて操作する姿をお向かいのサイ子さんが笑って見ていた。(写真1写真2)


平成16年5月14日(金)

 晴れ、暑し。昨日の天気とはうって変わってもう夏の天気だった。

 カミサンの両親は、軽トラックで仙酔峡のミヤマキリシマ見物などに出かけていった。

 小生は、娘を保育園に送ったあと、JA1DI山下OM、JA6AJY桐原OM、JH6OZC二子石OMと一緒に16日の古代の里マラソン大会のアマチュアテレビ中継の準備のために10時から役場に中継本部を設営して、引き続き、受け持ち中継ポイントから送信実験をする。

 小生は小嵐山の麓の中継ポイントを受け持った。実験は上手くいったが、問題は天気である。雨の確率が高い予報が出ており、その場合は機材の防雨対策が必要で頭が痛い。

 中継現場に、丁度、日田からスケッチ旅行のご婦人方がおいでだったので、スナップ写真をお撮りして、ホームページのPRをしておいた、見てくださるだろうか。


平成16年5月13日(木)

 雨。一時、大雨・強風・洪水警報が出されるほどの台風並みの雨と風だった。

 そんな悪天候の中、カミサンの両親がやってきた、と言うより、無理を言って来て貰ったのだ。下手をすると欠航になるかもしれない天候だったが、無事到着、空港で出迎える。

 今度の日曜日に夫婦二人とも、用件はそれぞれ別だが、終日家を空ける予定があり、婆様一人ではハネッ返り娘のお守りが大変だというので、子守りがてら久しぶりに孫の成長ぶりを見てもらおうということになったのである。そう言えば昨年も丁度今ごろだったな、と去年の記録見たところ、全くの偶然だが、全く同じ日の来熊となった、これには驚いた。

 おじいちゃんおばあちゃんとの久しぶりの再会に、顔を忘れた娘は非常に警戒が強く、果たして打ち解けるのにどのくらいの時間が掛かるだろうか。( 写真1写真2)



平成16年5月12日(水)

 晴れ、暑い一日だった。

 16日開催予定の「古代の里マラソン大会」でのアマチュアテレビの中継のため、桐原OMに相手を願って、遊水地から送信テストをする。

 今が田植えの最盛期で、其処此処で知った顔が田植えに精を出していた。テレビの送信テストの現場近くでも今朝春さんがトラクターで田植えの準備をしていた。以前からトラクターの運転を教えてもらう約束をしていたので、これに乗ってみろと大きなトラクターに誘われたが、もっと小型の奴で、今日のような泥田でないところで教え欲しいと言って、今回は見送った。

 昨年、工芸滝室の庭の改修工事の際に貰ってきて植えっぱなしにしておいた菖蒲が、いつの間にか咲いていた。

 夕食中に娘がかなりの下痢をした。娘は胃腸が丈夫で今まで一度も下痢をしたことが無くて、始末は非常に楽だったが、今日は参った、丁度母親がまだ帰っておらず、クソまみれになって、後始末をした。ここのところ、蕁麻疹になるなどしており、腸が弱っているのだろうか、熱も無く元気なので大丈夫だとは思うのだが・・・

平成16年5月11日(火)

 晴れ、久しぶりの快晴、少し前は水に浮かんでいた我が家が、今は植えたばかりの稲田に浮かんでいる・・・・

 カミサンはツツジ祭りのシャトルバスの応援に早朝から仙酔峡方面に遠征。

 一方、小生は先日オークションで入手したATVトランシーバーの室内実験。BSチューナーの13チャンネルで丁度上手い具合にATVの画像だけは受信できるので(音声は変調方式が違うので、そのままでは受信出来ない)、送受信の実験をしてみた。中古品で且つ古いモデルなので、Fズレでも起こしてはいないかと心配したが、どうやら上手く働いているようである。明日AJYにご相手願って屋外実験をやる予定である。

 昼から、南郷谷白水村の圓林寺に出掛ける。住職から、最近、ある所で、分蜂した日本ミツバチを手製の巣箱に取り込んで境内で飼っていたが、事情があって手放したいので、小生に見に来ないかという誘いがあったのである。以前からミツバチを飼いたかったので喜んで参上したという次第である。日本ミツバチは西洋ミツバチに比べて、飼い易いとのこと、昼間はハチ共は蜜集めに出勤中で、夕方にならないと全員帰巣しないそうなので、日を改めて暗くなってから頂戴にあがる事にした。

 圓林寺は真宗大谷派の古刹で縁起は17世紀後半に遡るそうである、立派な本堂がある。そこの住職は本業?の傍ら、ミソや納豆などの発酵食品を作ったり、いろいろな果実酒を作ったりとかなりの型破りな「坊主」のようである。そしてこの寺にはまだ他にも色々面白そうなものが沢山転がっていそうである。

 記念に住職の写真も撮ろうとしたが、僧籍にある者の姿とはおよそかけ離れた装束で、如何にもその型破りぶりがまた面白いと思うのだが、世に誤解を招くといけないとのことで今回の撮影は遠慮した。

 母、夕方、宇治歯科で入れ歯の型取りの続きをする。



平成16年5月10日(月)

 昨夜は随分と降ったようだが、全く知らずに寝ていてた。今日も一日降ったり止んだりの肌寒い一日だった。

 家の周囲の田植えが終わった。機械の力は凄い、昔はただひたすら人海作戦で植えたのだから。

 娘、保育園から帰ってきてあまり機嫌が良くなかった、泣いているところをパチリ


平成16年5月 9日(日)

 雨。予報では大雨強風注意報が出ていたが、ほどほどのお湿り程度の良い雨だった。夕方には阿蘇山も夕焼けに染まり、田に真っ赤な夕日が映えていた。もっとも今夜も大雨雷注意報が出ているが。

 その雨の中、家の周りで田植えが始まった。空を移した田が柔らかい緑に変わっていく。

 鉄男さんがyahoo BBのインターネットに加入するので、設定の手伝いに行った。結果的には上手くいかなかった。ADSL信号が届かないのだ。yahoo BBに電話した調べてもらったが、ギリギリ圏外だそうだ。我が家はNTTの同じ12メガで小生の家では4メガ出ていて、僅か2〜300mしか離れていないのに圏外だとは少々納得し難いが、先方がそういうのなら仕方が無いので、yahoo BBはやめることにした。宅内配線のチェックなど色々調べる手立てはあると思うのだが、そこはNTTの縄張りなのだろう、改めてNTTに申し込むことにした。兎角yahoo BBのサポートの悪さが問題になるが、今日の電話の応対は非常に丁寧だった。

 母の日を記念して、カミサンがブルーベリーなどの苗木を買ってきて植えた。

 鉄男さんから、先日の花見の時の写真を貰った、いつも撮る側で、自分が写ることが無いので珍しい。


平成16年5月 8日(土)

 晴れ、夜に入って雨が降り出す。

 苗代が田に置かれ、田植えの準備が整った

 市内の哲兄の家に光ケーブルが入ったので、その設定の手伝いに行く、流石に早い。

 小生が留守中に、カミサンがトマトやナス等の苗を植えたようだ。

 最近、娘が保育園で時々オマルで用を足すこともあるようで、我が家でもそれとなく教えるようになり、盛んに便器に座りたがるので、通販でオマルを取り寄せた。本格的に使えるようになるのはもっと先のことだろう。


平成16年5月 7日(金)

 晴れ。

 畝を四列立てて、マルチを張り終わる。
平成16年5月 6日(木)

 晴れ、風も無く、鏡のような田に阿蘇山が写っていた。

 娘を保育園に送りがてら、母を宇治歯科に送り届ける。歯科の次は500mほど離れた大阿蘇病院の整形外科と内科に定期通院のために行くことになっており、普段であれば、歯科で待機していて、送り届けるのであるが、今日は歩いてみると言うので、歯科に母を落っことして家に帰り、犬の散歩の後、さあ遅れている畑仕事をしようかと思っていたところ、保育園から電話があって、娘の体に大きく湿疹が出ているとのこと。

 実は昨夜、尻の周りが、赤く腫れて、昼間草むらで遊んだので、虫にでも喰われたのだろうかと思って一晩様子を見たところ、今朝には綺麗に腫れも引いていたので、そのまま登園させたのだった。

 電話では昨日の部位とは別のところに麻疹が出ているとのことだったので、保育園に迎えに行って、隣町の阿蘇温泉病院皮膚科まで連れて行った。その途中に母がフウフウ言いながら歩いているところに出くわしたので、一旦母を乗せて大阿蘇病院に寄った。

 診断の結果、蕁麻疹だろうとのこと、思い当たる食べ物も無いし、何が原因だか分からないまま、呑み薬と軟膏をもらってから、また保育園に送り届けた(皮膚の症状だから皮膚科とばかり思い込んでいたが、後から考えたら、内科だと思うので、そうであれば古閑医院に行けば良かったのだ)。

 その間に母から大阿蘇病院が終わった電話が入ったので、保育園から取って返し、母を拾ってから家に戻る、既に午後一時を回っていた。

 そういったドタバタの間に、哲兄が大津まで来たついでに寄ってくれたのが、ロクに相手も出来ずに大変失礼をしてしまった。

 昼食後、畝を二列立てたが、今日の作業はここまでだった、なんとも慌ただしい一日ではあった。

 というわけで、危うく「七日のあやめ」になるところだったが、娘の体調、回復も早く、入浴時には殆んど麻疹も消えていたので、今年も「六日のあやめ」で落ち着くことが出来た。(写真1写真2昨年の写真


平成16年5月 5日(水)

 端午の節句、子供の日。連休最終日になってようやく晴れる。間引きした竹林越しに沈む夕日が美しい

 ボンの散歩コースに征司さんのトマトハウスがある、征司さんはイチゴも作っている。イチゴもそろそろ終わりだと思うが、今度はトマトである、今朝トマトの定植が始まったようである、和子さんと忙しそうにに作業中だった。(写真1写真2

 志賀明久さんも田に苗代の搬入を始めた、もうすぐ田植えが始まる。

 「菖蒲湯」、また今年も菖蒲を買うのを忘れて、入浴後に気がつき慌てて買いに走る。昨年は気がつくのがもっと遅い時間で、何処も売り切れで、探し当てるのに大変苦労したが、今回は入浴後ながら直ぐに気がついて買いに走ったので、近くのスーパーで求めることが出来た。

 とは言え、結局昨年同様「六日のあやめ」と言うことになった。


平成16年5月 4日(火)

 春の嵐吹き荒れる。昨夜来の風雨で外に掲揚してあった国旗のポールが折れて、かなり遠くまで飛ばされていた。ポールと言っても、プラスチックの細い棒を継いで使うタイプで、折れても仕方が無いかなという程度のものである。先日建てたダイポール用の竹も強風でかなり傾いて怪しい状態になっている。

 折角の大型連休もこの天気では台無しである。阿蘇に遊ぶ人たちの中にはテントで宿泊をする人も多いのだろうが気の毒である、それにしても天気予報は当てにならない。


平成16年5月 3日(月)

 曇り、時々雨、本日は憲法記念日。連休中の天候はまずまずの筈だったが、予報が多く外れたようで、今晩は大雨強風注意報が出されている。

 ホームワイドに行くために国道57号線を走る。阿蘇では年に一度か二度の渋滞、と言うか連続走行状態だった。折りしもテレビで首都圏の高速道路の渋滞ぶりを伝えていたが、あれに比べれば可愛いものである。少し前まではあの渋滞の中の一台だったわけであるが、今では考えられないことである。

 夜、美雪さんが農協に注文しておいた、ナス、ピーマン、苦瓜の苗を届けてくれる、トマト農家の美雪さんの所は今トマトの定植で多忙を極めているそうである。


平成16年5月 2日(日)

 曇り、時折小雨、水を張った田に雨が描く水輪が美しい。

 今日あたりは国道や観光スポットは行楽客で混雑していると思うが、外出しないので全く様子が分からない、家の周囲には静かな世界が広がっていた、カミサンは午前中草むしりをしていたようだが、小生は終日ゴロゴロして過ごす。

 婆様が晩白柚で砂糖漬けを作った。苦味があるザボン漬けは小生の好物であるが、晩白柚の砂糖漬けは食べたことは無い(同じようなものだと思うが)。

 シーズン中は高価だった晩白柚も、最近はスーパーで少し鮮度が落ちたものが驚くほど安い値段で売っているので、それをここのところ立て続けに買ってきては十分に賞味した。

 その晩白柚に砂糖漬けの作り方が添付されていたので、いっちょう作ってみるか、と婆様が挑戦したのだ。材料に明礬が必要で、薬局から買ってきて二日ほど掛けて作った。驚くほど量が増えて、半個分の皮で結構大量に出来たが、上出来で非常にウマイものが出来た。

平成16年5月 1日(土)

 曇り。我が家が年に一度水に浮かぶ季節がやってきた。

 昨日堆肥を撒いた畑を耕運機で鋤く。ホームワイドでマルチを買ってくる。ようやく生分解性マルチが一般的になってきたようで、今までのマルチと違ってこれで収穫後の後始末が楽になる。トウモロコシが原料で、数ヶ月もすると分解して土に戻るそうである。

 今日から娘がベビーベッドを卒業して普通のベッドになった。生まれた頃は両方の掌(たなごころ)にすっぽりと収まるほど小さくて、ベビーベッドが大きく感じたほどであったが、さすがに最近は寝相の悪さに加えて、寝返りを打つと柵にぶつかるくらいに大きくなったので、ネットで手ごろなベッドを探して本日より使うことになった。ジュニア用のベッドもあるそうだが、普通サイズのベッドした、これで我々が両側から挟むようにすると、少々のことでは落ちることはあるまい。