平成16(2004)年6月の記録(新しい日付けの順)

平成16年6月30日(水)

 夜明けの阿蘇山は複雑な表情を見せる、今日は暑かった。

 ぶあい莊のあるじから、蕎麦の本が送られてきた、「日曜日の遊び方 手づくりの蕎麦・うどん」という本である。著者は藤村和夫、以前古田島さんから送っていただいた「蕎麦なぜなぜ草子」も氏の著である、斯界の権威なのだろう、今回の本、ウンチクの章と作り方の章と関連情報の章から成っている。蕎麦とうどんを一緒に語るな、という聡雄さんの声が聞こえてきそうだが、なかなか勉強になる面白い本である。そう言えば、ぶあい莊のあるじ夫妻がこの二月に遊びに寄った際に、小生の有り難い蕎麦は食ったかなあ、時間的に無理だったかなあ、客があると片っ端から小生の蕎麦の犠牲にしてしまうのだが、よく覚えていない。もし食わなかったらとしたら、彼ら、またと無い機会を逃したことになる(食ったとしたら、如何にこのくだりが大袈裟かということがわかる)。

 今日夕方5時から保育園の奉仕作業があった。園の横に園児たちが参加して植えたサツマイモやヒマワリなどの菜園があり、雑草が伸びている、園庭も同様である。年に二三回保護者の有志が草刈などをやるのである。いつも子供が人一倍お世話になっているので、こういう機会でもないと日頃のご恩返しが出来ないので、刈払い機を持って参加した。お母さん方が多く、刈払い機を操作する人間は数名の男たちである、結構役に立っていると思う。今日は二〜三十名の保護者が集まった、カミサンも仕事が終わって駆けつけた。

 保育園の帰りに、三人で病院に顔を出す、少しは食べてみたいという意欲が出てきたようで、飴玉をしゃぶっていた。

平成16年6月29日(火)

 晴れ。

 朝起き抜けに見たところ、小生のこのウェブサイトのアクセス・カウンターが90,000カウントを超えていていた、100,000カウントも間もなくだが、現在のレンタルサーバーは100MBを借りていて、それがもう間もなく一杯になる。過去の記録を削るのが手っ取り早いのだが、それは出来ればしたくないので、なんとかそれまでに自宅サーバーに切り替えたいと思いつつ、最近どうも根気が無くなっている。

 梅干を作ろうかどうしようか・・・とりあえず裏のほうにもう一本ある梅の実を採ってくる、こちらの梅のほうが虫が喰っておらず綺麗だ。

 ある技能講習を受講すべく、労働基準協会宛に受講申込書を郵送する。この技能講習は事業所に属して作業する場合に必要となる講習で、個人が半分道楽でやる分については、わざわざ受けなければやってはいけない、というものでもないと思うのだが、基礎的な知識が無いと危ない種類のものなので、一応安全のために個人の資格で受講することにした。

 朝と夕方、婆様を見舞う。


平成16年6月28日(月)

 晴れ、娘は今日からまた保育園へ。

 久しぶりに畑の草刈をする、ジャガイモの葉が枯れだしたのでそろそろ収穫期である。

 朝と夕方の二度、婆様を見舞う。


平成16年6月27日(日)

 曇り時々雨。

 ゴロゴロして過ごす。

 昼前、三人で婆様を見舞う。


平成16年6月26日(土)

 本日も荒天、一時大雨洪水警報が出される、やまなみ道路で一部崖崩れがある。

 午前中久しぶりに家族三人で婆様を見舞う。我が家のヒマワリが丁度咲き出したので花瓶に入れて持ってゆく。

 午後、滉兄が市内での所用のついでにわざわざ、母を病院に見舞ってくれて我が家にも立ち寄ってくれる、先週小生が旅行で留守中にも立ち寄ってくれた。


平成16年6月25日(金)

 雨、終日強風吹き荒れる、畑のトマトやナスが心配である。

 娘の保育園復帰は一日早すぎたかも知れない、今朝少し熱があったので、用心のため休ませた。ということは今日また一日中、子守りに振り回されたということである。

 昨日の記録を読んでくださったとみえて、圓林寺さんから木村豆腐経由で糠床と補充用の糠とおまけに素材まで一緒に届いたので、早速桶に移し替えた。これで糠漬けが出来る、なんでも一応書いてはみるもんだ。

 夕方婆様を見舞う。


平成16年6月24日(木)

 久しぶりのまとまった雨が降る。
 
 ようやく子守りから開放される。

 数日間畑に出ない間に雑草が蔓延っていたが、キュウリが見事に生っていた。今年は糠漬け担当が入院中で糠床の用意がまだ出来ていない、急いで糠床を買ってこなくては。

 久しぶりに朝と夕方婆さまを見舞う、ようやく治療方法が見つかったようで、ひと安心である。


平成16年6月23日(水)

 晴れ。

 本日も終日娘の子守り、もう限界、明日は保育園に行ってくれえ。娘が休むと、そのトバッチリはボンにも行く、散歩に連れて行ってもらいえないのだ。

 夕方、婆様の様子を見に行く、今日は胃の痛みが全く無かったそうである。


平成16年6月22日(火)

 晴れ、昨日は夏至だったのだ、ゴタゴタしていて全く気が付かなかった。

 結局、娘は保育園を休み、一日中、付きっ切りの子守りとなった。時間の進むのが遅いこと、遅いこと。まあ元気だから良いのだが。

 夕方カミサンの帰りを待って婆様の様子を見に行く、もうしばらく食事は摂れないそうだ。


平成16年6月21日(月)

 曇り。台風6号は九州の東側を掠めて四国地方に上陸する。今回は間違いなく九州直撃かと覚悟をしていたが、いつも不思議と九州直前で曲がっていく。統計によると、1999年の18号台風以降は九州に上陸した台風は無いそうである。

 歳の所為か、旅行疲れで一日何もする気が起きず、ゴロゴロして過ごす。

 夕方、娘の保育園から電話があり、熱があり、食べ物を戻したとのこと。少し早めに迎えに行って古閑医院で風邪薬の投薬を受ける。元気だから明日には治るか、それとも、明日からまた終日子守りの明け暮れか、勘弁してくれえ。

 婆様を、朝のみ見舞う、明日から点滴に換えて食事を摂る計画だとか。


平成16年6月20日(日)

 台風6号が九州直撃の様子を見せて接近、昼頃まで伊予地方は晴れ、大分・熊本方面、夕方より雨。

 朝起きてみると、どうも台風のコースが四国寄りに変わりそうで(変ろうが変るまいが、どちらにしても)、ヘタをすると九州に海路渡れなくなってしまうので、二日目のコースになっていた、大洲視察は今回は取りやめにして、予定を早めて帰る事になった。

 道後温泉近くにある51番札所の石手寺をお参りしてから、松山を発った。(写真1写真2写真3

 当初の予定では往路と同じ三崎からフェリーに乗るつもりであったが、このフェリーは小さくて、欠航になる確率が高いということで、三崎に向かう途中の八幡浜から昼前の便で、臼杵に渡ることにした。予想どおり、三崎からのフェリーは我々が八幡浜に着いた頃は欠航になっていたようで、八幡浜からのフェリーも多分我々のあとの便はどうなったか分からない。

 フェリーは結構揺れて、メンバーのうち若干名、気持が悪くなってダウンしてしまったが、間一髪のタイミングで無事に九州に戻って来られた。

 そういった予定変更のお蔭で、一方で旅程に無かった臼杵の磨崖仏に寄る事が出来て、なんだか非常に得をした気分になった。大分には不思議と磨崖仏が相当数散在する。豊後高田にある磨崖仏は以前(H14.8.4)友人の武藤夫妻と行ったことがあるが、ここ臼杵の磨崖仏も国宝に指定されていて、実に見事なものである。そのほか車中から何箇所か磨崖仏の案内標識が見えたが、機会があったら、じっくりと磨崖仏めぐりをするのも悪くないなと思った。(写真1写真2写真3写真4

 旅の目的、名目は別にして、久しぶりの団体旅行、とにかく、楽しかったの一言に尽きる、一層の親睦を深めることが出来た、台風が運んでくる雨と後先になりながら、誰ともなく、来年もまた何処かに出かけようよ、と話しながら、つつがなく南予の旅を締め括ることが出来た。

聡雄さん提供スライドショー(後半)
平成16年6月19日(土)

 晴れ。

 宿場會有志にて、南予「えひめ町並博2004」<http://www.machinamihaku.jp> 視察旅行に出掛ける。

 「えひめ町並博2004」とは、4/29〜10/31の間、宇和、大洲、内子などに残る古い町並を中心にして行われている、町興し・観光振興のイベントである。

 同じく、古い宿場通りの保存、復元、町興しに情熱を傾けている「さかなし宿場會」の、これからの活動に何かしらヒントが掴めるのではという想いと、勿論親睦を兼ねての久しぶりの、文字通り「修学」旅行でもある。


 午前5時、迫り来る台風6号の進路を気にかけながら、二台の車に分乗して朝まだきの宿場通りを出発した。

 参加者は、赤星永幸、石田兼助、石田順子、桐原由子、後藤悦子、坂本勢、志賀聡雄、志賀葉子、高木立の総勢十名、錚々たる顔ぶれである。

 辿る道筋は、豊後街道を東に走り、佐賀関からフェリーで、愛媛県三崎町に渡り、宇和、大洲、内子などを巡ってくる、一泊二日、全行程約500キロの旅である。

 歳の所為か、全行程を詳細に記述する根性が無い、適当に撮った写真でそれに替える。

 宇和町はほんの最近になって、今流行りの町村合併とやらで西予市になってしまったそうだが、卯之町という所に古い町並が残っている、いや、卯之町の中町(なかのちょう)と言うのが正しいのか(上宇和、下宇和というJRの駅の間に当然宇和という駅があると思っていたら、そうではなく、卯之町という駅名なのである、その駅前から少し入ったところに古い家並みが残っていて、そこが中町である、宇和町、卯之町、中町・・・ややこしや、ややこしや、である)。明治15年に建てられたとかいう西日本最古級の学校「開明学校」を始め、旅館、味噌の醸造蔵、商家などが、時が止まってしまったかのように、ひっそりと残っている。
宇和町 スライド・ショー

 内子町も同様である。この町は江戸から明治期にかけて和紙と和蝋燭で栄えたところで、今でも往時の豊かさが偲ばれる豪商の建物や古い民家が軒を連ねている、昔ながらの芝居小屋、内子座も良い雰囲気を出している。
内子町 スライド・ショー

 どちらの町も、朽ちかけている古い建物は丁寧に補修され、完全に無くなっているものは復元され、普通の住宅には町並の雰囲気を壊さないように細かな配慮がされている。それもいい加減な手の入れ方でなく、地元と行政が一体となった大きな力の入れ方が覗える。復元できる資料があって、修理が出来るベースが残っているということは本当に羨ましい限りである・・・・・・いささか無力感に捕らわれる。

 当夜の泊まりは、道後温泉の道後グランドホテルである。道後温泉本館から歩いて数分の商店街の外れにある。枕投げこそしなかったものの、文字通り修学旅行である。特に女性軍はホテルの貸し浴衣に身を包み、まるで少女に帰ったように、嬉々として、そして活き活きと華やいだ雰囲気だった。
道後グランドホテル スライド・ショー

聡雄さん提供スライドショー(前半)
平成16年6月18日(金)

 雲が色々と形を変える変化に富んだ空だったが、一日晴れであった。

 昼から雑草刈りをする。

 朝と夕方、婆様を見舞う、少しは快方に向かっているだろうか。

 今まで、場所を示す言葉として、こっち!こっち!と言っていた娘が、今日、こっちバイ、こっちバイと言っていた。最初何のことだろうと思ったが、これは阿蘇弁(熊本弁)に違いない。考えてみたら保育園では全員が阿蘇弁をしゃべるのだから宜なるかなである。


平成16年6月17日(木)

 晴れ、徐々に曇り方向に向かいつつある、阿蘇山の頂上付近も終日雲がかかっていた。

 カラ梅雨ではないかと心配するほど、晴天が続き、畑の農作物も水を欲しがって悲鳴をあげているので、雨が来るのは歓迎なのだが、どうやら週末に掛けて大きな台風が近づきつつあるようだ。

 「コラッ」がここ数日姿を見せていない、ここのところ具合が悪そうで、かなりやせ細っていたので、なにか異変でも起きたのだろうか、ノラとはいえほとんど我が家のネコとして遇していたので大いに心配である。

 朝と夕方、婆様を見舞う、特に顕著な病巣があるということでもないようだが、とにかく消化機能が著しく低下しているようで、毎日点滴で栄養の補給を受けている。気持はしっかりしていて、読書とテレビ観賞で体がナマることを心配しており、早く帰りたがっている。


平成16年6月16日(水)

 晴れ。

 ジャガイモを試し堀りしてみたところ、もうほとんど、収穫期に来ているようであった。今年はうっかりして、芽掻きをしなかったが、一株でかなりの芋が出来ていた。今年の出来は良さそうだ。

 昼前、立さんから電話があり、自宅の樹木が大ききなりすぎて、剪定が難しくなったので、上のほうを切り落として欲しいとの要請があった。丁度庭の雑草を刈ろうとして、装備は出来ていたので、刈払い機をチェーンソウに換えて直ぐに立さんのお宅に出かけたところ、立さんとお義父さんとお二人で庭木の手入れ中だった。

 何でも北海道から貰った樹だそうで、見たところ、どんどん大きくなる種類の樹のようなので、このまま庭で紅葉などと一緒に植え続けるには少し無理があるかもしれないということで、早速脚立に登って上のほうを切り落とした。

 朝、保育園に娘を送った後と、夕方娘を迎えに行ったその足で、婆様を見舞う。

平成16年6月15日(火)

 晴れ。

 昭元さんに運んでいただいた材木の整理に汗を流す、その他の作業はトマトの管理。

 夜、会所で「えひめ町並博」参加者の打ち合わせ。

 朝と午後、婆様を見舞う。


平成16年6月14日(月)

 快晴。

 タマネギの収穫をする、大小入り混じっているがまあまあの量である。

 柿に農薬を撒布する。毎年赤く熟す前に殆んど全部が落ちてしまうので、調べたところ、どうも柿のヘタ虫という奴の仕業のようなので、先日買って来た噴霧器を使って殺虫剤を撒布した。

 モスピランと展着剤のダインである。モスピランは500倍に希釈しろとあるが、単純な計算でも、もし間違ったら、という未知のものに対する恐怖心で、何度も計算した。5リットル入りのタンクだから、原液は10CCで良いんだよなあ。

 我々がホームセンターで手に入れる農薬の毒性等大した事は無いと思うし、一年に数えるほどしか撒かなので、それほど気にするほどのことは無いかも知れないが、それにしても気味が悪いもので、恐る恐る、へっぴり腰で原液を希釈した、そして、作業が終わってからシャワーを浴びて、衣服を取り替えた。

 手押しポンプの噴霧器は疲れるうえに、効率が悪いので、電動式の噴霧器が欲しいところである。

 因みに、広辞苑によると、「撒布」という文字は、本来、「さっぷ」と読むのが正しいそうで、「さんぷ」と読むのは誤読だそうである。

 朝、保育園に娘を送った後と、夕方娘を迎えに行ったその足で、婆様を見舞う。今日再検査をしたそうである。


平成16年6月13日(日)

 晴れ、とても梅雨とは思えないような素晴らしい天気だった。吹き渡る風も気持が良い。

 昼頃、そんな爽やかな風と共に?突然美人二人の訪問を受ける。石田順子さんと恭子さんの母子である。あまり天気が良いので散歩に出たのだそうで、ついでに娘の顔を見に寄ってくださったのだ。

 ようやく梅酒を漬け終わる、今回は全部で5キロ分の梅を漬けた。焼酎で9リットルになる、婆さんが殆んど全部飲む、せっかく漬けたのだから今回の分も飲み干してくれよ。
 久しぶりに親子三人揃って婆様を見舞う。(写真1写真2

 夜会所にて6月宿場會例会が開かれる、天神橋清掃の件、滝室坂除草の件などなど審議。


平成16年6月12日(土)

 曇り。

 午前中、梅酒用の梅を洗って、ヘタを取って乾かす、漬け込みは明日に回す。

 「えひめ町並博2004」の旅程を組んで、聡雄さんに届ける。

 婆様は、再度精密検査をすることになり、検査に備えて、今日から絶食して、点滴で栄養補給をすることになったが、元気である。

 午前中にカミサンと娘が顔を出し、夕方、小生が顔を出す、さらに8時頃、ラジオが聞こえなくなった、という電話が入り、小生また病院に出かけてラジオの調整をする。この時間はもう病室も静かになっている。我が家から病院まで数分で行くことができるので、何度でも行き来出来るのである。


平成16年6月11日(金)

 台風4号は九州上陸直前に東方向に逸れて、全く影響が無く済み、ホッとした。

 婆様は本調子にはまだもう少し時間が掛かりそうな様子である。


平成16年6月10日(木)

 曇り。今年は台風が早くも真っ直ぐに九州に向かっている、いつもながら不気味である。

 娘の保育園の園服が6月1日より夏服に替わったのだが、夏服があることを知らず、慌てて桐原さんに注文しておいたものが昨日ようやく届いたので、今日から夏服を着て出かけていった

 午前中、アキさんに手伝ってもらって梅の実を落とす。一昨年に大量に梅酒を漬けたので、昨年は収穫をしなかったので、二年ぶりになるが、実が小さく、数もそんなに多くなかった、先日高木さんに頂戴した分で十分なので、少し採って終わりにした。裏にもう一本ある梅の実は、もう少し熟らしてから梅干用にしようと思う。

 午後から、先日信昭兄に作ってもらったキュウリなどのネット支柱を台風に備えて念のために補強する。ついでにトマトの支柱も補強する。

 トマトが小さな実を付けはじめた。ナスもそうだ、ピーマンもいつの間にか小さな実(と言うのか)を付けている。今年はタマネギが実に良く出来ている、台風が過ぎたら収穫しようと思っている。

 朝、病院に婆様を見舞った際に、(あまり当てにはならないが)婆様曰く、なんだか退院が早まりそうな気配、だそうだ。入院をする時に検査で見つかった直腸のポリープも良性で慌てて取るほどのこともないとのことだそうだ。そう言いながら、夕方娘を連れて行った時には、今日は食欲が無いので、今晩は食べるのをやめると言っていた。娘は蚊の洗礼を受けて額に白い軟膏を塗ってもらって帰ってきた。

 昨年の記録を見たところ、5日にホタルの観察をしていたので、えっそんな時期かと、今夜車で5分ほどの一の宮中学校の裏手の川に行って見た所、見事に沢山のホタルが乱舞していた。帰って娘に見せようと連れ出そうとしたところ、外に出たがらなかったので、我が家の庭で探したところ、数は少なかったが昨年同様に舞っていた、娘は分かったのかどうだか知らないが、ホーッと感嘆の声を上げていた。明日は台風でホタルの命運も分からないので、今晩見ておいた良かった。もう少し早く気がつけば、信昭兄達にも見てもらえただろうにと残念である。


平成16年6月 9日(水)

 今日は晴れた。

 町主催の健康診断の日である。今日は馬場・豆札地区の受診日で、坂梨公民館で行われた。この三月に昨年度の健康診断を受けたばかりで、間隔が短すぎるが、本年度の実施日が今日ということなので、受けることにした。

 昨年も今の時期に通常の健康診断があったのだが、小生は昨年は60歳の区切りの歳にあたり、特別に人間ドックを受診できるとのことで、そのドックの受診日が、通常の健康診断の実施日より特に遅かったため、こういうチグハグな間隔になってしまったのだ。

 坂梨公民館に検診車が十台近く停まっており、一大医療キャンプの様相を呈していた。また近隣地域の人ばかりなので、知った顔が多く、やあやあと和気合いあいの健康診断となった。さすがに前回と三ヶ月しか間隔が空いていなかったので、バリューム検査は必要ありませんよ、という係員の指示で、この検査はパスとなった。

 平日に健康診断が実施されるのは、会社勤めの人はそれぞれの健保組合で受診するので、国民健康保険加入の農家や自営業者や小生のような無職の人間ばかりだから、支障は無いのだろう。

 馬場の岩下さんの田にアイガモが昨日から入ったそうで、アイガモ共、心細そうにひとかたまりとなって、落ち着かない様子だった。

 昼から、馬場の江藤亮二さんのお宅に伺って、宿題になっていたホームページのメンテナンスをしてようやく終わる。

 婆様の具合は大分良いようで、食欲も出てきたそうで、今日はオヤツを食べたとのこと。


平成16年6月 8日(火)

 雨。ここでは珍しく穏やかな降りであった。

 娘を送ってから病院に寄り、その後久しぶりに手が空いたので、旅の計画を練る。

 今回の南予(宇和、大洲、内子)の「えひめ町並博2004」に関して、インターネットで検索したところ、宇和町はこの四月に、他4町と合併して西予市になったと言う。宇和町よお前もか、という気持である。どうして何処も彼処も「市」になりたがるのであろうか。
 西予と書いて、漢音で「せいよ」と読むらしい、呉音で「さいよ」のほうがまだしっくり来る気がするが、まあ、どうでも良いことだ。

 今に日本国中、「市」だらけになってしまい、町や村が稀少になるぞ。「町」や「村」だからこそ、その地の産物が有り難かったり、その地を訪ねてみたくなるのにね。

 昼前、同窓会で坂梨に戻っておいでだった高木義臣・直子夫妻が福岡に帰る途中だと言って、庭で採れた梅の実と大根を沢山届けてくださる。我が家でも、もう梅の実が採れる時期だとは思うのだが、なかなか時間が無くて梅の木の下まで確認に行く暇が無かったので、有り難い到来ものである、早速梅酒を漬ける事にして、リカーと氷砂糖を買って来た。

 先日の来客の際の蕎麦粉が丁度一人前ほど残っていたので、独り静かに蕎麦を打って中食にする、もっと粉があればご夫妻にご馳走できたのに残念である。

 夕方近く、今度は釣姿の高木立さんが旅行計画の件でヤマメ持参で訪ねてくれる。ここから車で10分ほど走ったところに宮川という清流が流れているが、渓流釣のポイントでもある、そこでヤマメが釣れる。庭先でハラワタを処理して塩をふって下ごしらえまでやってくれた。今回は形が小さかったそうだが、掛け値無しで美味かった。あまり乙な味の分からないカミサンも美味しい美味しいと言って喜んでいた。

 保育園の帰りにまた病院に寄ったが、大分調子が良くなったようで、安心した。


平成16年6月 7日(月)

 曇り、夕方から雨。

 農薬を買う、スミチオンとモスピラン、それと展着剤のダイン。どうも農薬には恐怖心があっていけない、買ったはいいけど、使うのに躊躇する。

 携帯石油バーナーも買う。これは火炎放射器(あれほど派手ではないが・・若い人にはかえって分からないか)のようなもので、灯油をポンプで加圧して気化させて点火して炎を出して、土手の草などを焼き払う道具である。

 先日植えたカボチャの苗がどうも根がつかなかったようなので、今日、もうほとんど売れ残った最後の苗を買ってきて、追加して植え付けた。カボチャはどんなところでも丈夫に育つと思っていたのだが・・・

 ダイニングの窓際下の朝顔を植えていた場所に積みっ放しにしておいた薪を片付けて、朝顔の種を蒔く、少し遅すぎたかも知れない。

 保育園の帰りに婆様を見舞う、保育園の連絡簿に今日オマルでウンコをした旨書いてあった。


平成16年6月 6日(日)

 関東地方が梅雨入りしたようで、結構な雨であったようだが、ここ阿蘇は、まあ、晴れだろう。一時雨が降ったが直ぐに上がり暑い一日になった。

 三野にあるカミサンの職場の上司のお宅で木を伐採したので取りに来いとのことだったので、午前中、お留守のところを車二台を連ねて親子三人で頂戴にあがったが、現場入り口付近で軽トラを乗り入れようとして、スタックしてしまい、ニッチもサッチも行かなくなって、困っていたところ、ご近所の方が親切にアドバイスをくださったり、ワイヤーを貸してくださったりして、やっとのことで抜け出すことが出来た。さらにその先でも危うくスタックしそうになって、何とか抜け出せたが、それだけで疲労困憊してしまい、今日のところはもう抱えて運ぶ気力も無くなって、結局手ぶらで引き上げて来ざるをえなかった、やれやれ。


 昼から、役場の駐車場に狂犬病予防注射の接種でボンを連れて行く百犬百様で色々な犬が色々な反応を見せて、見ていて面白かった。宿場會の石村さんも愛犬を連れて見えていた。

 夕方、婆様を見舞いに行く、今はまだ様子見の感があり、検査治療は新しい週に入ってからだろう。心配してメールをくださる方もおいでなので、大写しで顔写真を載せることにする、皆さんによろしくとの写真を通じてのメッセージである。


平成16年6月 5日(土)

 晴れ、そろそろ天気が下り坂のようである。

 カミサンは普通であれば休みだが、今日も半分仕事のようなことで出掛けたので、庭で水遊びなどさせて、一日中娘の子守りで明け暮れる(写真1写真2写真3写真4)、くたびれた。夕方三人で婆さまを見舞う、まあ、まあというところか。



平成16年6月 4日(金)

 今日も気持良く晴れる。

 今まで農薬というものは全く使わなかったが、やはり最小限の農薬は使わないと、うまく作物が出来ないということが分かったので、また柿の木にヘタ虫がついて実が熟す前に殆んど落ちてしまうので、今年は農薬を撒布することに決め、今日ホームワイドで噴霧器を買って来た。

 夕方、カミサンの出張の帰りを乙姫の集合場所で出迎えた足で保育園に寄って娘を拾い、その足で婆様を病院に見舞う


平成16年6月 3日(木)

 晴れ、梅雨の中休みが続く。

 母がまた今日からしばらく大阿蘇病院に入院をすることになった。先日の下痢と嘔吐は一応治まったが、少々気になるところもあるので、入院して徹底的に治すことになった、それほど心配は要らないと思うのだが・・・・・(写真1写真2

 今夜はカミサンも泊りがけの出張で戻らないため、娘と小生の二人だけの夜となった、居るべき人間が二人も居ないということは、やはり何となく寂しいものである。

平成16年6月 2日(水)

 晴れ。

 信昭兄・弘子姉が夕方の便で帰っていった。娘の迎えの関係で空港まで見送れず、宮地駅前から高速バスで発って行った。皆去ってまた寂しくなる。

 今日は信昭兄は刈払い機チェーンソーに挑戦して、大喜び?だった。普通都会に住んでいると、なかなかそういったものに触る機械が無いので、我が家に来る男共は大体一度は経験して帰る。信昭兄は自宅そばの公園の草花の管理などを買って出てやっており、早速帰ったら刈払い機を買うのだと張り切っていた。


平成16年6月 1日(火)

 晴れ、快晴、昨日とはうって変わった爽やかな天気、今年の梅雨は陽性だろうか。

 信昭兄にキュウリ、ニガウリのネット張りをやってもらう、ついでにトマトの芽掻きを教わる。今まで漫然と眺めていたトマト、脇芽と花芽との違いが良く分かった。

 鉄男さんの家にインターネットが入り、昼から設定のサポートに伺う。以前ヤフーでADSL信号が弱く断念したが、今回はNTTのADSLを引いたところ、4メガ以上のスピードが出ており大満足である。

 現在、愛媛県南予(大洲、内子、宇和、八幡浜)を中心に、「えひめ町並博2004」が開催中で、坂梨宿場會有志で視察旅行に出かけることになった。今晩はその打合せで聡雄さんのお宅に集まった。