平成16(2004)年7月の記録(新しい日付けの順)

平成16年7月31日(土)

 曇り時々小雨、台風10号は東から西に向かうという極めて珍しいコースをとって、間違いなく九州に上陸すると思っていたら、夜半になって、今回も九州上陸直前に四国沖で舵を北に切り中国地方を通って日本海に抜けていった、毎回ハラハラさせる。

 早川忠光翁が久しぶりに沖縄から戻ってきたというので、夕方から中村平八郎さんのお宅でバーベキュー・パーティーが開かれ、小生も末席に加えていただいた。平八郎さんとは初対面になると思っていたら、氏は以前会ったことがあるとのこと、実は丁度二年前の平成14年7月30日にあったCUG(Continued in the Under Grouns Jazz Orchestra)のコンサート会場でお会いしていたのである、お顔を拝見して思い出した。

 参加者は早川さん、平八郎さん寿美さんご夫妻に、聡雄さん・葉子さん夫妻、立ちゃん・京子さん夫妻、それに立ちゃんの舎弟筋にでもあたるのだろうか、東京からわざわざ駆けつけた松岡さん、それと小生の9名、平八郎ご夫妻のhospitalityに加え、美味い食材と、ワインにうるさい立ちゃんが選んだ何本かのワイン、そして楽しい会話、結局暦の日付が変るまで食って、飲んで騒いだ、歩いて帰る夜風が心地よかった(うっかりカメラを持っていくのを忘れて、携帯で撮ったのでピンボケだらけの写真になってしまった(写真1写真2写真3写真4写真5)。


平成16年7月30日(金)

 晴れ、今日も暑かった。

 6月6日に三野にあるカミサンの上司のお宅に薪材を頂戴にあがった際、軽トラがスタックして不首尾に終わり、その後7月3日に少しだけ運んだものの、雨続きでそのままになっていたのを今朝突然思い出して、本日の草刈の予定を急遽変更して薪材の積み込みに出かけた。

 前回から一月も経っていないのに、現地の様子は以前と全く変っており、夏草に覆われて薪材がどこにあるのか分からなくなっていた、そうと分かっていたら鎌なり、刈払い機を持って来たのに後の祭り、なんとか足先で探り当てて、丁度軽トラ一杯分の材木を積むことが出来た、長らく溜まっていた宿題をようやくやり終えた気分である。(写真1写真2

 得てして人間とは勝手なもの、冬場の薪材は宝の山に見えるが、真夏のそれは恨めしい限りである。結局今年も蟻とキリギリスのキリギリスになりそうである。

 本日の娘と婆様
平成16年7月29日(木)

 晴れ、台風10号が変な方向から九州を窺がっている。当初の予定では明日は雨の予報が出ていたので、先日漬けた梅干の土用干しを延期したが、明日も好天とのこと、今日干せばよかった、結構上手く出来ている感じがする。

 早くも田で爆音機の音が聞こえだした、もう穂が出た田と、まだの田があるので、一部の穂が出たての田に雀が集中すると困るからだろうか。昨年見た感じでは、全部の田の穂が出揃うと雀も分散して一枚あたりの田の被害も少なくなるので、そうなると爆音機は撤去されるようだ、違うだろうか。

 今日も午前中は畑の草刈をする、すっかり日課になってしまった。


平成16年7月28日(水)

 晴れ、今日も暑かった、そして今日も夕方にわか雨と雷。

 今日は阿蘇神社の「おんだ祭」の日だったが、御神幸の見物には行かなかった。ただ昼過ぎ銀行と役場に用があって出かけた際に、役場前にある神様の御仮屋で昼食休憩中の行列の馬が数頭草を食んでいたり、例によってカメラを首から幾つも吊るしたアマチュア・カメラマンたちが何人も暑さの中歩いている光景にぶつかった。

 本日も午前中は畑の草取りに汗を流した。

 ちょっと目を離すと、娘が盛んに我々の箸を使ってものを食べようとするので、少し早いかも知れないが子供用の箸を買い与えたところ結構器用に使って食べている。(写真1写真2

平成16年7月27日(火)

 曇り、夕方からまた、にわか雨と雷だ、これで五日連続となる。

 昨日の雷と雨は結構長時間続いて、夜通し断続的にまとまった雨を降らせたようだ。

 夜7時半より会所で阿蘇地域振興デザインセンターの坂元事務局長と、スタッフの秋吉さんを迎えて「阿蘇カルデラツーリズム」8/17(火)〜8/31日(火)の打ち合わせがあり、宿場會として案内、接待、PRなど、取り組む課題を話し合った。(写真1写真2

 このデザインセンターのサイトの中にASO-TV というページがあって、従来の切り口とは違った阿蘇の色々な魅力を動画で配信している、ブロードバンドならではの面白い企画である。


平成16年7月26日(月)

 晴れ、本日も夕方近く雨と雷。

 畑に野菜を採りに出ると途中で遭難しそうだと婆様が言うので、今日は午前中と午後とタップリ家の裏と庭先と畑のほうの草刈をする、婆様の表現が決して大袈裟でないほどの伸びようである、今日だけでは終わらない。


平成16年7月25日(日)

 晴れ。夕方近く今日も強い夕立と雷があった、ニュースによると全国的に大気が不安定だったようだ。

 昨日まで、恐怖でしがみついてきた娘も連日の雷で慣れたようで、花火だよと言うと、怖いもの見たさもあって、走る稲妻を一緒になって眺めていた。


平成16年7月24日(土)

 晴れ、午後から昨日に引き続き夕立と雷鳴。今日の雷は結構長い時間鳴り響き、落雷により断続的に4回ほど停電した。誘導雷が怖いので、モデムを始め、数台のPCの電源を全部抜き、その間ライブカメラの運用も休止した。

 午前中、娘を連れてボンの散歩に行き、帰ってからタライに水を張って水遊びをさせた。


平成16年7月23日(金)

 晴れ、蒸し暑かった、午後一時夕立、極めて局地的な雨だったようで、ここは降ったが坂梨は降らなかったらとのこと。雷も鳴って一二分ほど停電した。

 午後3時から宿場會恒例の天神橋清掃をする。昨年までは緑さんが誰よりも早く清掃作業をやってくれていたのを思い出す、彼は今年はもう居ない。

 今年は、雨が少ないせいか、川の汚れがひどい、水源からほんの僅かな距離しかないのにこの有様である、僅かの人口なのだからせめてこのあたりくらい綺麗な川を保ちたいものである。

 午後6時から会所で暑気払いがあった、今年は会所の外にバーベキュー・コンロを置いて長いすで囲んで盛り上がった。(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10写真11


平成16年7月22日(木)

 今日は阿蘇も暑かった、風が無かったせいだ。

 午前中、畑の雑草抜きを少しばかりする。

 娘が保育園で、小さな室内用のジャングルジムから落ちてオデコを打ったそうで、シップをしてもらって帰ってきた、これから何度となくこういう経験を積んで学習をしていくのだろう。


平成16年7月21日(水)

 晴れ、関東地方は昨日に続いて今日も恐暑(などと言う言葉は無いだろうが)だったようだ、こちらの下界も暑かった。今日も山を降りて技能講習に出かけたのだ。

 昨日と今日の二日間にわたって、熊本益城空港インター近くの第二空港線沿いにある畜産会館で、労働基準協会主催の「ガス溶接技能講習会」を受講した。個人でやる分には、法的には必要の無い講習だと思うのだが、扱うものがガスで、爆発などの危険性を伴うので個人で受講することにしたのである。前々からやってみたかったことの一つだったのである。

 事実、90名近くの受講者の中で、個人参加は二三名だった思う、殆んどが事業所から派遣されてきた人ばかりで、数名ずつ同じ会社の作業服を着ていた、また高専や、農業高校の生徒たちも参加しており、中に女子高校生が数名混じっていた。いずれにしても受講者のほとんどが小生の年齢の半分以下の若い人たちばかりだった。

 本日は朝から、昨日同様一時間ほど講義を受けて、その後、引き続きペーパーテストがあった。試験など随分久しぶりだったので、大丈夫だと分かってはいても、少々緊張した。

 昼から、会場を空港近くの牛などのセリをする熊本畜産センターに移して、実技講習があった。受講者を三つのグループに分けて、それぞれ二人一組になって、ボンベに圧力調整器をつけて、ホースを繋いで、その間バルブを開いたり閉じたり圧力計をチェックしたりを何度か繰り返して、トーチにライターで点火して、アセチレンと酸素の炎を調整して、板を切るという作業を、講師の前で実演してチェックを受けるのである。

 小生は辞めるまで居た会社が、そういったことの専門集団だったので、職種は違っても見たことはある、しかし触ったことも、ましてや操作したことも皆無であった。トーチと言う言葉は知っていたが、教科書に書いてある吹管がトーチのことと知るまでかなり時間を要した。そんな程度だから、トーチにバルブが三箇所付いていて、それぞれがどのバルブか全く知らないまま、実技講習に臨んだ。

 幸いにして、最後から二番目か三番目の順番だったので、最初のチームから小生の前のチームが実演する間、炎天下でずっと食い入るように見学して、ようやく要領を掴んで、実技を無難にこなすことが出来たと思う。心頭滅却なんとやら、或いは暑さを感じる余裕が無かったと言うべきか、かなりの暑さだったのだろうが、全くそれを感じなかった。

 3000度の炎で鉄板を焼き切るのは実に快感であった、これをやりたかったのだ、受講して良かった、そしてガス溶接(今日は溶断だけだったが)は取扱を一歩誤れば極めて危険な作業であることも良く分かった、最初にやりたいことの一つにドラム缶を縦切りにしてバーベキュー用のコンロを作るか、二つに輪切りしてゴミ焼き釜を作るかを考えていたが、この作業が結構危険だとうことを今回の講習で知った、聞いておいて良かった。

 久しぶりの緊張感と達成感で心地よい疲労を覚え、帰る途中、志賀事務所に寄り道して葉子さんにコーヒーを無心してご馳走になった。一応試験なので結果は一週間か二週間後に分かる。

 ホタルが飛び始めた時(6/10)には、大騒ぎしたが、ホタルはあの時期だけかと思っていたら、我が家の庭で今の時期ホタルが盛んに飛んでいる、偶然外を見て発見した、まだまだホタルの季節なのだ。



平成16年7月20日(火)

 晴れ、関東地方では記録的な猛暑で、東京では40度近く、千葉では40度を超えたそうだ。

 今日は娘の保育園送迎は母親が受け持った、母親の勤務時間の都合で、定時より少し早い登園で、定時より少し遅い退園になり、保母さんがそのぶん大変だったと思う。

 小生は熊本市内で開催の技能講習受講のため朝七時に家を出た。往きは、退院後初めての外来通院の婆様を病院に送った(帰りはタクシーで帰ったそうだ)。


平成16年7月19日(月)

 晴れ、海の記念日とやらで祭日となっている、茅ヶ崎では浜降祭があったそうである。

 今日は娘、母親と竹原牧場<http://www.aso.ne.jp/~momo/>へ、小生は適当に切り上げてきたが、今日は母娘でじっくりと楽しんできたようである。その間、ノンビリとさせてもらう。今日は復調した母親に替わって、小生が腹をこわして一日静養した。家族のそれぞれの不調は症状が似ている部分もあるがお互いに関連性は無さそうである。

 昼間、何気なく窓の外を見て、霧か?と一瞬いぶかしく思ったが、こんな時間に霧が出るわけはないと、目をこらしてみると、時期外れの?野焼きで、家の周囲は一時視界が殆んどなかった、先日、田の所有者が総出で裏の豆札川の土手の夏草を刈っていたが、それを今日燃やしたのだ。


平成16年7月18日(日)

 晴れ、昼前一時パラパラと降る。

 三連休だが、小生にとっては魔の三連休である、土曜だ、日曜だ、祭日だ、と言ってもコチトラ(漢字では、此方人等と書くそうだ)勤労者ではないから、ちっとも嬉しくない、かえって忙しくなる。子守りである。保育園に行ってくれているほうが余程助かる。特に故障者が二人も居たのでは、である。

 外に出たがっているので、隣町(と言っても車で10分くらいの所だが)の竹原牧場 <http://www.aso.ne.jp/~momo/> に娘を連れて行った。ここは「観光」が頭に付く牧場だろうか、勿論畜産もやっているのだろうが、小動物が居て緑が広がっていて、阿蘇山麓の子供を連れて行くのには絶好のポイントである。いつも近くを通りながら今まで入ったことがなかったので、良い機会とばかりに連れて行ったのだ。

 時々パラパラと小雨模様のなか、娘は気に入ったようで、なかなか帰りたがらなかったが、そこで作っているアイスクリームで釣って、気をそらして、帰ってきた。


平成16年7月17日(土)

 晴れ。

 今度はカミサンである、熱と頭痛と嘔吐で寝込んでしまった、古閑医院診てもらったところ、どうも風邪のようである、やれやれである。


平成16年7月16日(金)

 晴れ、下界は暑かった。

 パソコン指南などの用件を抱え、近見の哲兄を訪ねる、近見の家の変貌振りに驚く。もう半世紀も昔、子供の頃に遊びに行った思い出がたくさん詰まった家だが、已む無しというところか。

 途中、久しぶりに、設計士の立石さんご夫妻と永瀬家に寄ってご機嫌伺いをする、ご両家ともお元気の様子だった。

 夜、宿場會會所で、阿蘇カルデラ・ツーリズムに関する会合があった。阿蘇地域振興デザインセンターなどが中心となって、8月17日〜31日にわたって、自動車で通り過ぎるだけでは味わうことが出来ない阿蘇の魅力を鉄道と自転車や徒歩で感じてもらおうというイベントが計画されている。坂梨もそのイベントの重点地域になっているので、宿場會としてどう取り組み、応援するかということである。あまり時間的な余裕が無いので、次回会合までに各自アイデアなどを持ち寄ることになった。



平成16年7月15日(木)

 晴れ、昨日はさすがの阿蘇も真夏日になったそうだが、今日も同じように暑かった。

 娘、保育園バックを今まで持っていなかったが、買ってもらってご満悦である。


平成16年7月14日(水)

 晴れ、梅雨が明けたばかりだと言うのに最早盛夏という趣。

 昨夜宿場會の例会があったこと、勘違いをしていて全く気がつかず欠席となる。これから予定されている天神橋清掃と、暑気払いが7月例会を兼ねるものとばかり思い込んでいた、今朝桐原商店に寄って知った、迂闊であった。

 昼から、豆札の人たちと竹田市に葬儀に出かけた。もともと豆札の人で、今は豆札を離れていて、家だけが残っている、そこのお婆さんが90歳で亡くなれた、母が退院をする前日に同じ病院で亡くなられた由、合掌。

 午後3時から、天神さんの祭礼が村の社であった。阿蘇神社の神官殿の祝詞奏上などの祭祀の後で、集会所に何時ものように会席(写真1写真2写真3)が設けられた。

 娘近況


平成16年7月13日(火)

 晴れ、暑いが吹く風が心地よい、関東地方も今日梅雨明けしたようだ。

 昼前、婆様退院する、6月3日に入院以来である。病院の皆さんには本当にお世話になった。「また来ます」、という変な挨拶で大笑い。しばらくは体力回復に努めなければならないだろう。

 ご心配をお掛けした皆さま、有り難うございました。

平成16年7月12日(月)

 晴れ、風少々あり。

 午前中、家の裏手の雑草刈りをする。

 朝と夕、婆様を見舞う、ようやく明日退院して良い、とのお許しが出る。


平成16年7月11日(日)

 薄曇り。本日九州・四国・中国地方が梅雨明けしたそうである。いつもよりかなり早いのではないだろうか。

 午前中、皆で参議院議員選挙の投票に行く、因みに衆議院の場合は総選挙と言い、参議院の場合は通常選挙と言うそうである。

 夕方、4時過ぎに、婆様は病院に戻っていった、多分早々の退院となるだろう。


平成16年7月10日(土)

 概ね晴れ、伝え聞く下界の猛暑とは無縁の快適な高原の気候が続く。

 10時過ぎ、婆様が外泊を許されて戻ってきた、一ヶ月ちょっとぶりの我が家である、今夜一泊して明日には一旦病院に戻るが、このまま何も無ければ、週明けには退院になるそうである、ひとまずひと安心である。

 夕方より娘の保育園の納涼祭に、婆様も一緒に出掛ける。娘は千葉のおじいちゃん・おばあちゃんからの浴衣を着て嬉しそうにはしゃぎ回る、「我が家、娑婆は良いねえ」と婆様しみじみとつぶやく。
七夕納涼祭スライドショー


平成16年7月9日(金)

 晴れ、曇り、一時雨。下界ではここのところ連日猛暑が続いているようだ。

 昼から小一時間ほどかけてサトイモ畑の雑草抜きをする。そのうちそのうちと思っている間に思いっきり伸びてサトイモの葉が隠れてしまっていた。

 大分綺麗になった、少しの時間で良いのだから、毎日やれば良さそうなものなのだが、それが出来ない、誰かの日記のようなものだ。お向かいの畑など、いつもこまめに草を抜いているから綺麗なものだ。

 朝夕、婆様を見舞う。


平成16年7月8日(木)

 昼過ぎ、先日佐賀であった竜巻とはこんなものではないかと思うような突然の突風とにわか雨と雷鳴に驚く。ボンの屋根に掛けておいた日除けのヨシズが一瞬の内に吹き飛ぶ、かなり大きな重石をしておいたのだが、そんなものモノともしない強い風であった。その風と一緒に強いにわか雨が降り、開けっ放しにしておいた窓から大量に降りこんで室内は水浸しに近い状態になった。家からほんの少し離れた畑などなんとも無かった。ニュースで市内や大分市でも突風と落雷で街路樹の倒壊や、停電で大変だったようだ。

 夕方近く、「えびすぱあな」で立さんとバッタリ。最近彼は自由人になったので、先日はミヤハラでも会った。今日は生きワタリガニが安いよとの勧めがあったので、料理の達人が勧める以上間違いはないだろうと、少し小さかったが一匹150円也、夕べの食卓に乗った。天草だったか、ワタリガニがよく捕れるそうだから、これからもっと大きなカニも期待できるだろう。以前は早川老とスーパーでよくお会いしたが、これからは立さんと会う機会増えるだろう。

 婆様は週末に外泊許可が降りたそうで、久しぶりの帰宅を楽しみにしている、それで問題なければ、そのあと通院と言う形でしばらく治療することになりそうである。


平成16年7月7日(水)

 どんよりと蒸し暑い一日であった、夜になって雨になる。

 午前中いっぱい、と言っても、娘を送っていって、娘が狼藉三昧で散らかした部屋を片付けたりしているうちに、前中なんかあっという間に残り少なくなってしまうが、その残り少なくなった時間で、朝顔の棚を作る。冬の間は薪が積んである場所であるが、薪を片付けて、昨年採っておいた種を適当にばら撒いておいたら、いつの間にか結構芽が出て伸びていた、婆様が茅ヶ崎から持ってきた朝顔である。

 ようやく我が家のトマトが熟れたので、収穫第一号を仏様に供え、婆様の病室にも持っていって飾った。

 娘は今日初めて保育園でプールに入ったそうである、一日がプール開きだったが、体調不良で棄権したので、本日が彼女にとってのプール開きになったというわけである。

 プールで水に慣れたか、いつもは阿鼻叫喚の入浴時の洗髪が実にスムーズだった。


平成16年7月6日(火)

 晴れ、朝のうち、阿蘇谷は深い霧に沈む、テレビのニュースでこの時期には珍しく雲海が出たそうである。

 やることは沢山あるが、今日も終日パソコンに向かう。

 朝と夕方、婆様を見舞う。


平成16年7月5日(月)

 晴れ、娘も元気に保育園に復帰して、気持の良い一日だった、絶好の農作業日和だったが、終日室内でオークションで買った中古パソコンのメンテナンスをしていた。

 朝と夕方、婆様を見舞う、かなり調子が戻ってきており、今日の食事は完食したそうだが、長期間点滴だけだったのでかなり体力が落ちており、今後相当気を入れて筋トレをやる必要がありそうだ。


平成16年7月4日(日)

 朝のうちは晴れていたが、台風7号の余波で風が強く夕方より雨となる。今回の台風はフィリピン、台湾を通って、大陸に上陸かと思っていたら、結局日本方面に進路を変えて、九州のはるか西方を掠めて朝鮮半島のほうに向かった。

 滉兄が阿蘇での泊りがけの研修のあと、三週続けて婆様のところに顔を出してくれた。その婆様は、雰囲気的には今週中に退院が出来るのではと、希望的観測を持っている、どうだろうか、いずれにしてももう直ぐだろう。

 午前中、三人で婆様を見舞う

平成16年7月3日(土)

 晴れ、今日も暑かった、夕方にわか雨。

 午前中、三人で婆様を見舞い、その後はなんとなくゴロゴロして一日も終わりかなと思っていたところ、夕方も五時近くになって、急遽先日(6/6)頂戴に上がり、軽トラがスタックしたため、そのままになっていた薪材をこれから貰いに行こうか、ということになり、車二台を連ねて三野まで行ってきた。

 今日は長い杉材をチェーン・ソーで適当な長さに切るところまでにしておこうと思ったが、思い切って軽トラを現場に乗り入れることにして、文字通り「前車の轍を踏まずに」少しコースを変えてみたところ、なんとかスタックせずに乗り入れることが出来たので、とりあえず、少しだけ積んで帰ってきた。

 夕食時、今年初めてヒグラシの鳴き声を聞いた、それも我が家の柿木から鳴き声が聞こえたので、娘が初めて聞く蝉の声に驚いていた。昨年は何時だったかと、調べてみたら、7/5に鳴き声を聞いている、正確なものだ。


平成16年7月2日(金)

 晴れ。

 娘はここのところ腸が弱っているようで、昨夜も下痢をしたので、用心のため保育園を休ませた。

 となると、小生が朝から一日中子守り、ということになるが、今日は午前中、仕事を半日休んでカミサンが子供の面倒を見た。

 実は、小生、肺の精密検査に行ってきたのである。話はこうである、先月受診した町の検診のうち、胸部一次検査の結果で精密検査が必要だとの通知が昨日郵便で届いた。

 予定では、今日午後から公民館で受診者を集めて診断結果の報告書が配られ、そこで説明があるはずになっているのに、わざわざ別便で精密検査を受けるようにとは、そは一体何事か、結核か、と思って電話で尋ねてみたところ、なんと肺ガンの可能性があるということであった。

 そんなバカな、つい三ヶ月前にドックに入った際には何事も無かったのに、こともあろうにこの俺が肺ガンとは、と間違いに決まっている、万一そうであったとしても、最近は生存率が高くなっており、そんなにうろたえることでは無いと思いながらも、心中大いに穏やかでなかった。

 そんな訳で、朝一番で阿蘇中央病院に出かけ、胸部エックス線写真と、CTを撮って貰って、診断を仰いだという次第である。

 結果は全くのシロであった、どうして一次検診でそんな結果が出たのでしょうね、と担当医も首をかしげるほど綺麗なものだった。ベラボーメエ、ザマーミロ、タバコを吸う奴が罹らずに、吸わねえのに肺ガンなんかに罹ってたまるか、そんな理屈に合わねえことは金輪際許せねえ、と内心ホッとしながらも、声にならない声で言わずにいられなかった。

 一次検査と二次検査の間にあまりにも乖離がありすぎるので、午後からの公民館での結果説明会で、疑義をただしたところ、さっそく一次検査をしたところから電話があり、二人の医師の判定を仰いだ結果だということなので、たまたまその時のフィルムの写り具合が悪かったのであろうと納得をせざるを得なかった。

 まあシロだったからこそ言えることかもしれないが、小生自身、今までまったくと言ってよいほど、病院に縁が無かったので、CTも今回が初めてである、年齢的に、そろそろ体のあちこちから黄色信号が出始める頃かも知れないので、良い経験をさせてもらったということにしておこう。

 婆様のほうである、娘が保育園を休むから今日は病院に寄れないよ、と電話をしておいたところ、今度来る時にチーズを持って来てくれとのこと。積極的に食欲が出てきたというほどでもないようだが、少しでも栄養をつけようという意欲が出てきたようで、良い方向に進んでいるようである。公民館の帰りに娘を連れて、こっそりチーズを届ける、その際に、「結果シロ」を報告したら驚いていた。精密検査を受けるから病院には寄れないよ、とは心配するから言ってなかったのだ。


平成16年7月1日(木)

晴れ、今日も暑かった。

 その暑さの中でジャガイモの収穫をする。ジャガイモは収穫期になると自然に葉が枯れてくるので分かる、大体梅雨の期間に収穫期が来るので、梅雨の晴れ間を狙って収穫する。

 今年は、芽掻きをするのを忘れたので、どうかと思ったが、結構育ちが良かったようだ。でも大きさが均一でなく、このあたりがプロとアマチュアの違いだろうか、品質が一定していない。ほぼ一日かけて三列とちょっとの畝を掘り起こして、ミカン箱に6箱分採れた、疲れた疲れた。

 昼食は、採ったばかりのジャガイモを茹でて、ご近所から頂戴したハウス・トマトを一緒に塩をかけて食った、贅沢贅沢。

 我が家のトマトはまだ少し先になりそうだ、ピーマンの奴は嫌というほど生っている、キュウリやナスがようやく採れだした。

 婆様は今日からお粥になったそうだが、塩味が無いそうで、閉口して梅干を持って来てくれという電話が入り、こっそり届ける。