平成16(2004)年9月の記録(新しい日付けの順)

平成16年9月30日(木)

 久しぶりに気持の良い天気になった、見上げる空はもうすっかり秋の空である。

 役場や銀行や、ついでに図書館などに行っているうちに、あっという間に一日が終わってしまって、絶好の労働日和だったにもかかわらず、本日は結局何もしなかった。

 図書館と言えば、きょう車の中で聞いたラジオで、G7(先進7ヶ国)中、人口比で一番図書館の少ない国は日本だそうだ。さらに県庁所在地で市立図書館の無い市があるそうで、確かN市だとか言っていた。


平成16年9月29日(水)

 18号台風に引き続いて台風21号九州上陸、保育園は休園となる。

 鹿児島に上陸した台風は昼頃、阿蘇より南側を通って宮崎、四国方面に抜けていった。ここでは、18号台風に較べたらそよ風のような台風だった。そよ風のように弱かったというのではなく、18号台風がそれだけ強かったと言うことである。各地で大きな被害が出ているようで、熊本でも場所によってはかなりの被害があったようである。台風には風の通り道というものがあって、ほんの少し違うだけで被害の程度が変ってくるようだ。

 18号台風の時の恐怖が染み付いていて、普段ならあまり気にかけなかったであろう台風が怖くて仕方が無かった。とにかく幸いにして我が家は何ともなかった。


平成16年9月28日(火)

 曇りのち雨。台風21号が18号と似たようなコースを通って近づいている。明朝から昼頃にかけて熊本直撃の恐れがある、いや恐れと言うより確実に来ている、18号のことがあるので、非常に不安である。

 そんな不安定な天候の中、馬場八幡の祭礼があった。坂梨をあげての一年で最大のイベントである。馬場八幡は豆札から直ぐのところになりながら、過去、何か歴史的に経緯があったようで、あまり積極的には参加をしていないようである。(写真1写真2写真3写真4写真5写真6

 宿場會では毎年、模擬店(写真1写真2)を出して、オデンや生ビールを販売している、商売抜きだからタダみたいな値段で売る。石田順子さんや志賀葉子さん、坂本勢さん山内たづ子さんなど女性会員が手分けして、オデンを仕込み、おにぎりを握る。男連中は祭りに参加しているので、小生も一日店番を手伝う。

 娘は保育園から稚児行列(写真1写真2)に参加した、乳母車に乗っての参加である(写真1写真2・・・肝心の写真がピンボケになってしまった)。

 カミサンが午後から休暇を取って、ちょうど病院から帰る婆様を拾って、娘の行列を見物して、模擬店で婆様と一緒にオデンと握り飯を食べて帰った(写真)。

 行列にはこの三年で沢山の知った顔が増え、通り過ぎながら次々に会釈を交わす。馬場の鳴川さんが、突然に行列から離れて近づき「広島の息子が、風の便りを見ていて、こちらの様子を実に良く知っていますよ」と声を掛けてくださった、「そうですか、それでは広島向けに一枚撮りますか」とシャッターを押したら、生真面目にポーズをとってくださった。

 何とか持っていた曇り空も3時頃から雨になり、あと一時間降りだすのが遅ければ気分良く納められたのに、と恨めしく思う。



平成16年9月27日(月)

 晴れると猛烈に暑い、今日は降らなかった。

 娘の運動会のビデオテープをダビングして、千葉のおじいちゃん、おばあちゃんに送る。
 ようやく鳶口を手に入れた。ホームセンターを探しても、農機具専門店を探しても、インターネットで探しても無かったが、阿蘇町の森林組合にあった、特殊な道具なので、餅は餅屋というわけか。薪用の材木を転がすのには非常に便利な道具なのである。昔は火消しも持っていたから、村の消防団にはあるかもしれない。

 今日は畑の草刈りと、竹焼却をした。

 夕方、立さんが馬場八幡の模擬店の件で顔を見せる。



平成16年9月26日(日)

 曇り、時々日は射すが、相変わらずのスッキリしない天気が続く、また台風が沖縄近くにいて、進路を決めかねているようだ。

 朝一番で、村の人達と渡さんの所の不用瓦を公民館再建用に運んで集積する。

 午前中、畑に出て、ライブカメラの支柱の取り替えや・・・・・・、「や」が付いたからには、その他に何かやったと思うが、思い出せない、まあたいした事はやっていないのだろう。

 昼食に蕎麦を打って家族に供する。


平成16年9月25日(土)

 くもり。

  遅い朝食後、久しぶりにボンの散歩に娘とカミサンが付き合った、いつものコースは通らずに村の中を抜けるコースをとって、途中、昭子さんと蒼唯君、春樹君の家の前を通って、しばらく一緒した。(写真1写真2

 午前中、陽射しが無いのを幸に、堀り残したサツマイモ(ここではカライモと言う)を掘ろうとしたが、少し作業しただけで息が上がったのでやめた。

 昼から阿蘇神社で流鏑馬があった。ある説明によると「雨も日照りも程よく、実りの秋を迎えたよろこびを新穀を供え、神恩に感謝する祭り。豊饒会、放生会とも呼ばれ、神前では流鏑馬(やぶさめ)が行われる」とある。放生会とは仏教の言葉だと思うが、神仏混淆の名残でもあるのだろうか。生憎と今年は台風の影響でいまだに稲刈りが済ませられない田も多い。

 横になっていたほうが楽だという婆様を留守番に残して、三人で出かけた。ここに来て三度目の流鏑馬だが、カミサンは初めてになる。最初の年は出産で実家に帰っていた。二度目の昨年は、平日で仕事があったとカミサンは言っていた。「職場の人は見に行った人もいたが、私は仕事をしていた」そうである。そうかと、そのまま聞き流していたが、どうも得心が行かなかったので、念のために昨年の記録を読んでみたら、丁度カミサンの実家のほうで不幸があり、里帰りしていて、その日の夜熊本に帰ってきたのである、カミサンの記憶も(あの若さで)イイ加減である。

 そういう訳で、娘にとっても初めての流鏑馬になる。今年は都合で豆札の貴之さんが馬に乗らなかったので少し寂しい流鏑馬になった。

 いつも思うのだが、これが都市部なら、立錐の余地も無いほど、という表現がされるほどの賑わいになるのだろうが、土曜日にもかかわらず、ゆったりとノンビリと楽しめた。(写真1写真2写真3写真4

 流鏑馬が終わった後で、射手が子供たちを馬の乗せてくれたり、縁起がいいそうで、抱いてくれたりする、娘も健康を願って抱いてもらったところ、例によって大泣きとなった(写真1写真2)。

 会場には知った顔が幾つもあった。宮地の山口ます子さんがお嬢さんと見えていた。遠い親戚にあたる、普段なかなか行き来する機会がもてないので、嬉しい再会であった。

 更には、神社境内で、突然見知らぬ人から声を掛けられた、そしていつも小生のホームページを見てくださっているとのこと。一体、どうして私がこのサイトを主宰していることが分かったのかと驚いて尋ねたところ、いつも家族の写真が載っているので、直ぐに分かったそうである。市内にお住いの猪さんとおっしゃる方で4歳になるお嬢さんとご一緒だった、これも嬉しい出会いだった。因みに「猪さん」は「いさん(口に出して読む時はイイさんだろう)」とお読みするそうだ。阿蘇には同じ読み方で井姓は多いが、猪さんという姓はどうだろう。


平成16年9月24日(金)

 天気が一向に回復しない、稲刈りの済んでいない農家の焦りは如何ばかりか。

 本日安息日とする。


平成16年9月23日(木) 秋季皇霊祭

 曇りのち雨。

 保育園の運動会。昨日骨組み段階で終えていた準備作業も、一旦解散後、改めて昨日の内にテントのキャンバスを張ったそうで、朝には運動会の準備も万端整っていた

 そして、観客もそろそろ集まリ始めており、運動会の華やかな雰囲気でかなり盛り上がっていたが、今にも泣き出しそうな空模様に、今年は小学校の体育館が校舎改修工事の関係で使用できないので、昨年のように途中で雨になった場合は、簡単に会場を室内に移せないこともあり、開始直前になって、会場を社教センター体育館に移すことになった。そして開始時間も10時になり1時間繰り下げられた(結果的にこの判断は正しかったようで、昼頃から雨になった)。

 娘は、昨年は保母さんや母親に抱かれて形ばかりの参加であったが、今年は、最年少チームでちゃんと単独で徒競走を走り、見事一着になり、親バカながら嬉しかった。

運動会連続写真


 実は、本日は、運動会が延期された関係で、カミサンの職場の研修旅行と重なってしまい、娘の運動会にもどうしても出たいというので、本来なら朝から出かけるところを、午前中だけ参加して、昼からから、バスで先行している職場の一行を新幹線で追いかけるかたちで鹿児島に向かった。

 上手い具合に、娘の出番も午前中で終わったので、母親の出発に合わせて、我々(娘、婆様)も午前中で引き揚げてきた。

 それと、本日は昼過ぎに来客の予定もあった。従兄の健兄が東京から生家の台風による損傷具合の検分、善後策協議等の件で来熊のついでに、哲兄と一緒に転居後初めて寄ってくれたのだ。

 夕方の帰り便までの僅かな時間だったが、色々話を聞いた、懐かしい再会だった、それにしても皆歳をとった・・・・

 馬場八幡で、先日の台風で倒れた境内の樹木のうち、薪に丁度良いサイズの木を取り置いてくれてあったので、本日軽トラックで引き取りに行った。これも御神木だろう、失礼の無いよう謹んで頂戴してきた。

平成16年9月22日(水)

 ほぼ終日雨。

 当初、この18日が保育園の運動会の日だったが、台風18号被害が大きかったので、明日23日に延期になっていた。今日は午後3時からその準備があり、保育園に手伝いに出た。

 朝からの雨で、本当に明日は大丈夫なのかと心配されたが、万一の時は社教センターの体育館で開かれることになっているので、とにかく最低の準備だけはしておこうということで、テントの骨組みだけを組み立てた。後は明朝の天気を見て、キャンバスを張ったり、万国旗を飾ったりすることになった。

 引き揚げる頃には雨も上がっていたが、予報では微妙な感じである、何とか降らないことを願うばかりである。


平成16年9月21日(火)

 曇り、昼前から雨になり、結構な降りになったが、夕方には上がった。

 台風18号の被害で、我が家の墓地が気懸りであったが、すぐ近くに在りながら、なかなか時間がとれなかったが、彼岸ということもあり、ようやく今朝登ってみた。

 途中、かなりの樹が倒れており、行く手を塞いでいたので、これでは墓も無事では済まないだろうと思ったが、やはり墓標が二三基倒れていた。平成に入ってすぐに静之さんのご尽力で建てた祖父・杵島、曽祖父・太邑を合葬した墓標は無事だったが、長い年月の間に土が流されて、もともと幾分ピサの斜塔状態にあった昔の墓標が今回被害にあった。起こそうとしたが、小生の非力ではビクともしない、チェーン・ブロックでも買ってきて、三脚を立てて吊り上げて引き起こさなければならないだろう。



平成16年9月20日(月)

 敬老の日、国旗掲揚、概ね晴れる。

 小生、ナスやトマト、キュウリの支柱を撤去して夏野菜の後始末を始める、そろそろ次の畑の準備にかからなければならない。その間に娘と母親はサツマイモ堀りを少しだけする。周りでは遅れている分を少しでも取り返そうとするかのように、盛んにコンバインの音が聞こえてくる。

 早速、雨で燃え残っていた残材の焼却の火を利用してヤキイモを作る、娘は実に美味そうに食う

 敬老の日を祝ってカミサンが買って来た紅白の饅頭を、お茶で乾杯しながら婆様と娘が仲良く食べていた。(写真1写真2

 婆様は最近相当ガタが来ているが、それでも本人曰く、まだまだ大丈夫、だそうだ、何よりも孫にはいつも元気つけられると言っている。


平成16年9月19日(日)

 雨のち晴れ。

 朝から昨日の家屋の解体作業を続ける。昨日一日で思った以上に作業が捗ったので、今日は昼過ぎには早々と作業を終了することが出来た。ついでに先日応急修理をした現公民館の屋根修理、サイ子さんのお宅の折れた枝の処理、街路灯の修理、そして我が家の倒れた楠の枝払いまで皆でやってくれて、こじんまりとした集落ならではの息の合った共同作業の一日だった。(写真1写真2写真3写真4写真5

 午後、助義棟梁と勢さん夫妻が、出来上がったばかりの米を届けてくれた(写真1写真2)。今年は助さんがいつも自慢をしている八反田の米を分けてもらったのだ。八反田とは、滝室坂を下ったところにある(多分八反の広さしかない)田のことで、そこでは山から湧き出したままの水、我々が水道に使っている綺麗な水と同じ水を田に引いて米を作っているのである。

 今年は台風とその後の天候不順で稲刈りのタイミングが難しくて、いまだに刈り入れが出来ない田が沢山あるなかで、助さんは上手い具合に刈入れをすることが出来たそうで、今日籾摺りが終わり、引き取って帰るその足で、ホヤホヤの新米を届けてくれたのである。


平成16年9月18日(土)

 曇り。

 村の公民館の老朽化が進み、建て直す計画が以前からあったが、さらに今回の台風18号でかなりのダメージを受けた為、計画実施の前倒しも含めて検討が迫られていた。

 何度か緊急の会合で、同じく今回の台風で家屋等に大きな被害を受け、取り壊すことになった渡さんの所の作業場を、骨組みはしっかりしており、また良い材料を使ってあることが分かったので、申し受けることになった。

 ただ、天神社の再興も急がれるので、今回は取りあえず、分解して材料の形で保存をして、再建時期など改めて検討するということになり、今日と明日を使って分解することになったのである。

 小生も、ヘルメットに地下足袋という姿で屋根に登り、瓦剥ぎや屋根構造の分解作業に、結構一人工の仕事をして夕方にはへとへとになった。

 大人数でやったので、家一軒を分解するのは思った以上に捗り、今日のうちにあらかた作業は終わり、夕方には屋根部分はほぼ全部取り外し終わった。(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8

 この作業の合間を縫って、昼食に先日聡雄さんから頂戴した北海道の秋新で蕎麦を打って家族に供した。娘がこのように息つく暇の無いような食べ方をするのは初めてのことだが、あっという間に平らげてしまった、余程美味かったのだろう、。婆様も、食べる前は食欲が無いと言っていたが、これも結構な量をペロリと食べてしまった。丸ぬきした真っ白な新蕎麦を細く切って食べるのは本当に美味い。



平成16年9月17日(金)

 曇りのち雨。

 昼から相当まとまった雨になった。ボンの散歩コースで少しの晴れ間を縫って飼料用の稲のロール巻きをやっていた。

 昼過ぎに九州電力の工事車両がやって来て、我が家の引込み線の修理作業をやっていった。修理作業といっても、何段階かに分けてやる必要があり、今日はその第一段階である。電柱の支線(ステー)が倒れた楠によって高圧線に触れそうになっており、引込み線も被覆が剥がれショートしそうな塩梅である。今日は倒れた楠の下になった引っ込み先を一旦切断して、楠の上側を通す作業をして、楠の重量が電線にかからないように張りなおした。次回の作業で、敷地内のポールの立て直しをすることになる。結構な雨のなか、複雑に張り巡らされた高圧線などの電線を巧みにゴンドラを操作して工事をしていく、さすがプロだと感心した。

 夜、区長のお宅で緊急寄り合いがあり、村の天神社と公民館の再建に付いて話し合いを持った。


平成16年9月16日(木)

 晴れのち雨。

 午前中は良い天気で、これは絶好の稲刈り日和かと思っていたら、昼頃から降りだして、夕方には本格的な雨になり、雷まで鳴りだした。志賀さんも無念そうに稲刈りを中止しして引き揚げていった。

 今日は朝のうちから昨日の残材焼却を始めたが、この雨で立ち消えとなってしまった。
 メインのパソコンの具合が悪くなって、半日ほど悪戦苦闘してようやく回復したが、向うから持って来て愛着のある旧型で遅い自作のパソコンもそろそろ限界だろうか。


平成16年9月15日(水)

 晴れ、一時にわか雨、今日も暑かった。

 志賀さんの稲刈りがようやくエンジン全開という感じになってきた。ただ今年は台風のために稲が全部倒れ、折れた枝等の飛来物が多く散乱していて、その上に完全に乾いていないので、コンバイン操作にいつもの何倍もの時間がかかっているようで非常に難儀をしてるのが良くわかる。

 最近は体がなまっていて、ちょっと戸外で作業するだけで汗だくになってしまいすぐへばってしまう。

 今日は、先シーズンの使い残しの薪材を焼却した。薪用に貰ってきた廃屋の木材だったが、釘が多くて抜くだけで大変な作業になるので、主だった部分だけ使って、そのまま残っていたものだ。もうすぐ今年も薪割りのシーズンが来るのでそれまでに少しスペースを確保しなければならないので勿体無いが燃やした。まだ明日も燃やすだけの量がタップリ残っている。


平成16年9月14日(火)

 曇り。晴れ間が多く、非常に暑い一日だったが、それでも時々にわか雨があった。

 裏の三叉路側の竹やぶが台風で非常に荒れて、道路側に沢山倒れかかっていたので伐採をした。

 夕方、哲兄が所用の帰りに寄ってくれる。今日は夕食を一緒に囲むことになって、風呂にでも入ってもらおうとしたところ、突然の停電、それでも灯りの消えた浴室から暮色に沈む大観峰を眺めながらの入浴を温泉気分だと言って喜んでくれた。停電は北坂梨方面だそうで一時間もしないうちに復旧したが、今後もしばらくの間、本格復旧まで時々停電があるかもしれないとのこと。


平成16年9月13日(月)

 曇り時々晴れたり、降ったり、相変わらずハッキリしない、晴れるとはやり今の時期は暑い、ちょっと戸外で動くだけで汗だくである。

 そんな天気の中で、家の周囲で志賀昭久さんが稲刈りを始める。放って置くと、今年出来た米からまた芽が出てくるので、天気が本当に回復するまで待っていられない事情があるようである。

 裏カメラAの修理が終わり、運転を再開する。

 今回の台風で我が家の入口付近にある街路灯が吹っ飛んで、夜間は真っ暗になっている、回復まで時間が掛かりそうなので、軒先にセンサーライト取り付けた。

 このセンサーライトはここに来たてのころ、ホームワイドの目玉商品で売っていたのをワサモン好きで、買ったままお蔵入りしていたものである。見てみると平成13年9月20日の日付が書いてある、実に三年間仕舞い込まれていたことになる。

 断っておくがこれは防犯灯ではない、真っ暗で歩き難いから付けたのである。だから手の内を見せているのである。ここでは必要ないと思うが防犯センサーは見えないところに設置してあるのである。

 夕方、公民館再建の件で緊急寄り合いがある。

 夜、宿場會9月例会。9月28日の馬場八幡秋季大祭の件、蕎麦切り隊出場の件、ホッと一息ギャラリーの件などなど審議。今年も10月16、17日の両日蕎麦屋を開店することになった。

 この秋冬は波野村、阿蘇町と合同で観光キャンペーンをすることになったそうで、その影響で、気まぐれ蕎麦屋も昨年以上の来客が予想されそうである。宿場會から出席した高木勘定方の報告によれば、中村仁美さんも阿蘇町のほうのメンバーとしてその会議に出席していた由。



平成16年9月12日(日)

 曇り、日が差したり時々パラパラ来たり、一向にスッキリしない、それでも久しぶりに阿蘇の山々が姿を見せた、往生岳が美しかった(往生岳は五岳には含まれない)。皆さん、稲刈りが出来ずにヤキモキだろう。

 妙法寺の山林もかなり大きな木が倒れており、ボンの散歩の途中に住職が後始末をする姿が見えた。

 チェーンソーの手入れ、の田に少し懸かって倒れた杉の枝払い。それから畑に設置してあった裏カメラAの点検。それから・・何をしたろうか、なんとなく仕事をしているフリをして一日終わる。

 裏カメラBは取りあえず復旧、裏カメラAはハウジングの防水加工が駄目になっているので、整備してから動かすことにして、しばらく休止状態継続。

 靖昭さんの外孫、晃太郎ちゃんの百日(ももか)のお祝いに、ママがお赤飯を届けてくださる、従兄になる健太郎君と直樹君もお婆ちゃんと一緒だ。

 夜、市内所用のついでに滉兄立ち寄る、PocketPCのインストラクションのためだ。インストラクターは勿論小生のほうである。


平成16年9月11日(土)

 曇り、時々小雨。

 緊急に修理を要するところも無いこともあって、なんとなく気が抜けて本日何もせず。


平成16年9月10日(金)

 曇り、時々小雨。

 用心のため、娘、本日まで休ませる。

 この辺りでは渡さんの所が一番被害が大きかったようだが、もう早速復興の槌音が聞こえだした。隆一さんも屋根に登っていた。ご近所の皆さん、内心は決してそうではないのだろうが、大きな痛手を受けている割には明るい表情なのでなんとなくホッとする。

 保育園に週末の洗濯の為、布団を受け取りに娘を乗せて出かけたが、途中馬場八幡に寄ってみたところ、また今回の台風で樹齢数百年の杉が倒れていた。ここの杉は平成に入ってすぐの台風で何本も倒れ、もうあまり残っていなかったのに、また倒れてしまった、残念の極みである。

 夕方近く、九電工がテレビアンテナの回復工事にやってきた。我が家を建てた時にお世話になった立石班だった。我が家では、電気も電話もテレビのアンテナも一本のポールで受けて、地下を通して屋内に引き入れている。そのポールが今回の台風で倒れ、電線類が楠木の倒壊と複雑に絡み合っている、引込み線には200Vも流れており、それらが、樹が倒れたことによりすぐ近くの6000Vの高圧と接触しそうな危うい状態にある。つまりポールを簡単には引き起こせない状況にあるのである。そんな状況でも取りあえず電気と電話は生きているので、その点は問題ないのだが、テレビのアンテナがとんでもない方向を向いていて、テレビが映らないのである。間に合わせに居間のテレビは仮設のアンテナを繋いで見ることは出来るようにしたが、他の部屋、とりわけ婆様の部屋のテレビが移らない状態で、婆様が不便を強いられていた。そういう訳で、本格的な修理は追ってということで、今日は隣に仮設のポールを建ててアンテナを設置してもらったのである。婆様、これでようやく心置きなく好きな番組を見ることが出来る。


平成16年9月9日(木) (重陽の節句)

 昨夜のうちにホームページのカウンターが100,000件を越えたようだ、100,000番目の来訪者はどなただったのだろう。

 晴れ、ここ数日、咳と洟水を出していた娘は、とうとう昨日保育園で7度7分の熱がでたということだったので、園の帰りに古閑医院によって薬を貰い、今日はまたお休みあそばした。ということで、台風の後片付けもママならず一日子守りとなった。

 それでも娘の昼寝の時間を縫って買い物に出てみたが、あちらこちらの屋根の上で瓦の修理が始まっていた。途中志賀事務所を覗いてみたが、聡雄さんのお宅でも少なからぬ被害があったそうだ。実にタイミングよく?伺ったと言うべきか、ちょうど北海道の秋新(の蕎麦粉)が届いたばかりとのことで、有り難く一袋頂戴してきた、感謝感謝。

 夜九時頃、家の前が騒々しいので出てみると、電力会社の工事車両が来ていた。全く気がつかなかったが、お向かいのサイ子さんのお宅がずっと停電のままだったとのこと、この付近は全部昨日の昼頃復旧したとばかり思っていたので、そして夜は全く外を見なかったのでサイ子さんのお宅が停電のままだということに全然気が付かなかった。申し訳ないことをした、分かっていれば電池なりランタンなりお持ちしたのに。

 そしてこの時間になってようやく工事車両が到着したのだ、九州電力と九電工のチームが断線を直して、サイ子さんの家にもようやく明かりが戻ったが、メンバーのなかに、我が家の建築時に電気工事を担当した九電工の人がいて、話を聞いてみると、台風以来、もうずっと徹夜状態だそうである、今晩も恐らくそうなるだろうと、慌ただしく次の現場へと去っていった、ご苦労様である。


平成16年9月8日(水)

 停電のまま夜が明けて、部落を回ってみたが殆んどの家の瓦がたくさん飛んでいた。あちこちの巨木が無惨に捻じり折られていた、見渡す限りハウスが全滅状態だった、牛舎の屋根が飛んで、一時牛が行方不明になった。電柱があちらこちらでへし折られていた。

 村の鎮守様の社殿が台風で吹き飛んで土台だけになってしまった。集会所の屋根も剥がれ飛んだ、社殿前の杉の大木が二本渡辺厚巳さんのお宅をあわや直撃というふうに倒れた。

 そんな後片付けを皆さんの自宅の復旧、田畑の復旧をさて措いて10時から部落総出でやった。四時頃までに倒れた杉木の処理、壊れた鳥居の撤去、集会所の屋根の張替えを一気にやっていしまった、手馴れた連中ばかりだ、小生は殆んど見学をしていた。

 集会所の建屋も、過去の大水害の時に被災者の仮設住宅に使ったものの払い下げ品とのことである。

  天神様の社殿を修理するか新に造営するかは今後の検討課題となった。倒壊した社殿の木材に建造した棟梁の名前が書いてあったが、明治44年とあったので、少なくともその間これほどの風は吹かなかったと言うことになる。

 天神様の鳥居も倒壊したので、ストーブの薪として頂戴することにしたが、果たして神聖なものをそのように薪にして良いものかという話になったが、なんとなく火は神聖なものだから問題ないだろうということに落ち着いて征司さんに運んでいただいた

 停電は昼前になってようやく復旧した、夜になっても熊本市内でまだ数万戸が停電しているそうである。

 ライブカメラもホームページ更新も、停電に加え、PCが置いてある二階の一角が水浸しになったこともあり、休止状態が続いていた。電話回線は生きていたので、車から電源を取って、状況を伝える手もあったのだが、何よりもそんな気持の余裕が無かったので、ライブカメラだけは今日の昼過ぎになっていようやく仮復旧させた。それでもまだ裏カメラは動いていない、畑の隅に置いて家を撮っているカメラは見事に倒れている。

 天神様周りの後片付け連続写真


平成16年9月7日(火)

 午前十時頃から昼過ぎにかけて、台風18号が熊本の西方を通っていった、阿蘇が揺れた、心から怖いと思った、生きた心地がしなかった。

 横殴りの南西からの吹き返しの風雨が始まって、機密性の高いサッシ窓なんか実に他愛の無いものだった、窓のレール部分からだろうか、噴水のように水が吹き上げてきてどんどん床面を浸していく、拭いても拭いても追いつかない、横壁から入ってくるのだろうか、上からもどんどん水が落ちてくる。ログハウスだからという訳でも無いだろう、多分このような強烈な風雨にたいしては潜水艦並みの防水加工でもしていないと防ぎきれないほどの激しさだった。家がギシギシと音を立てて、今にもガラス窓が破裂しそうに震える。怖がって娘がしがみついてくる中、婆様と二人で床を這いずり回って水を吸い取っり、もし窓が破れたらどう避難しようかと真剣に考えた。

 防災無線が盛んに避難場所を放送する、あくまで自主避難だが、それも不安を煽る。窓から外を見ると、あっという間に無線のワイヤーアンテナを張っていた竹のポールがへし折られ、竹やぶが見たことも無いように横に傾いでいる。こんなものが飛ぶはず無いと思うような重いものがどんどん飛んでいく。ライブカメラに映っているご近所の太い墓標が二本とも台座のところから倒れた。隣家やお向かいの瓦が飛んで、壁がめくりあがる。我が家は家こそ無傷で済んだが、入り口にある我が家のシンボル的存在の楠木や杉など数本が風に薙ぎ倒された、こんな大木が根こそぎ倒れるのか、というような太い樹があっという間に倒れるのだ、裏の杉の木は、途中から折れていた。柿木も途中で折れた、宿場會で植えてもらった桜の木も倒れた。

 家が何ともなかったのが奇跡のような酷さだった。我が家の電気や電話回線、テレビアンテナなどを集中的に引き込んでいるポールも倒れてしまった。とっくに通過したはずなのに夕方過ぎても風は収まらず、昼前かそれよりもっと前だったか、停電したまま結局その日は回復しなかった。カミサンは夕方近く風雨がようやく収まりかけた頃を見計らって障害物を除けながら軽トラで何とか帰ってきた。

 結局その夜は、キャンプ用のランタンを焚いて、カセットコンロでインスタント食品を料理して、ヘトヘトに疲れて、月明かり一つ無い真っ暗な中で寝入った。わざわざ好んでそのような環境を求めていく場合と違って、日常生活で電気が無い、電気の光が無いということの不便さを随分と久しぶりに味うハメになった。普段は電気を消しても電気製品のLEDが幾つも点灯してるが、それすら全く無い真の闇夜というものは無限に深いものである。

 今回の台風は80歳代の人に聞いても初めての経験だったそうだ。平成に入ってすぐの頃、阿蘇中が水浸しになって死者も何人も出た台風による大水害があったが、その時でも風はこんなに強くなかったそうだ、そんなとんでもない台風に、来た早々出くわしてしまったのだ。

 台風の記録連続写真



平成16年9月6日(月)

 今度は台風18号である、確実に直撃コースをとっている、熊本の西側を通るコースなので、先日の16号より厄介な気がする、明日最接近とのことであるが、今回は雨量が多く、今日昼間の時点でもう河川も相当増水していた、今回は早々と明日の保育園の休みが決まっている。

 今日はカミサンの誕生日で、ささやかながら家族で晩餐会をした。


平成16年9月5日(日)

 曇り、時々小雨。

 本日も終日子守り、小生はこのようなケースの場合に魔の週末と冗談半分に言っているが、娘はそれをママ週末と覚えている、まあ似たようなものだ。


平成16年9月4日(土)

 曇り。

 カミサン所用にて不在につき、終日子守りで過ごす。ボンもそのあおりを受けて散歩に連れて行ってもらえず。

 午後、哲兄が寄ってくれる、昨日名古屋から戻った由。


平成16年9月3日(金)

 晴れ、今朝阿蘇谷は深い霧に沈み、夕方のニュースで見事な雲海がでたことを報じていた。もう雲海も小生にとって日常になったので、出かけることもなくなったが、以前なら直ぐに飛んで行ったところである。

 午前中、赤星さんの事務所へ、先日台風で倒れた樹木を頂戴に伺う。正式名称は分からないが、俗称でダマカシという樹だそうで、ドングリが実をつけていたので数個拾ってきた、娘が「となりのトトロ」のなかでドングリが出てくるシーンを非常に興味深そうに見ていたので土産にした。

 先日買ったハスクバーナのチェンソーはやはりパワーがあって太い幹でもどんどん気持良く切れる。赤星さんもログ加工などに使う小型のチェンソーで手伝ってくれた。

 今日は予備の燃料を持っていかなかったので、チェンソーの燃料がカラになったところで作業はやめて次回に持ち越すことにした。

 婆様、十日ほど前、台所で手首のところに湯気でちょっと火傷をしたので、たいしたこと無いと思って自宅で適当に薬を塗っていたが、歳をとってからの火傷はなかなか治らないので、一の宮整形外科で診てもらったところ、2度の火傷だそうで、火傷は余り甘く見たら大変だよ、と言われれたとのこと、ここ何日か、一日おき、二日おきに医者通いをしている。今日、次は一週間後と言われたそうで、ようやく治りそうである。


平成16年9月2日(木)

 昨夜半から降りだした雨が朝のうち残っていたが、その後晴れる。

 昨夕、風呂の準備中、流した水が吸い込まないので、浴槽の排水管に水垢でも溜まったか思って、桐原商店からスッポンを買ってきて排水を試みたが流れない、パイプ清掃用の薬剤を撒いてみたが一向に改善しない、そのうちにトイレの水も流れなくなって、危うく溢れそうになった。

 これはと思って、裏の浄化槽の蓋を取ってみると、槽内にほぼいっぱいに汚水が溜まって今にもオーバーフローしそうな状態になっていた。

 一方、浄化槽の出口にあるマスには全く水が流れていない、つまり浄化槽の出口が何らかの原因で塞がったに違いないと、昨夕は風呂も中止、二階のトイレは落差の力で何とか使えたが、小生は夜中も外に出て立ちションで済ます、生憎の天候で星空は見えず、家を建築中の仮小屋時代に毎夜星空を見上げながら立ちションをしたのを思い出す。

 朝一番で、あそ清掃社に電話をして診てもらったところ、やはり、浄化槽の排水口近くにある仕切り用の薄いプラスチック板が外れて穴を塞いでいた。何かの拍子で外れたのだろうが、かなりいい加減な作りである。その板を取り去って一気に溜まった水が抜けて一件落着となったが、一時はどうなるかと思った。

 昨夜、久しぶりに浅間山が噴火をしたらしく、夜目にも鮮やかに真っ赤な溶岩(だろうか噴石だろうか)が、ニュースの画面で流れていた、阿蘇山も色々なデータから判断して、近いうちに同じように噴火があるような気がするが・・・・


平成16年9月1日(水)

 曇り、もう九月だ、あと一月もすればそろそろストーブの心配をしなければならない季節に入った、朝晩は確実に秋の風である、枕もとの窓辺から毎夜虫の声が聞こえる。

 赤星さんから、先日の台風で会所横の樹が倒れたので薪にして良いよ、と電話を頂戴していたのを思い出して寄ってみた。結構太い樹が見事に根元付近で折れていた、倒れた方向が良かったというべきか、大事に至らなくて良かった。

 我が家の直ぐ裏手にある坂梨の石山さんの田で、早くも稲刈りが始まった、ぐるりと見渡す限りではどうもこのあたりで一番乗りのようだ。聞く所によると、今年は天候に恵まれて生育が一週間ほど早いそうである。

 先日摘み取ったブルーベリーが冷蔵庫の中で忘れられているのを発見したので、早速ジャムを作ってみた。たった100グラムちょっとの実の量だが、それでもれっきとしたブルベリー・ジャムである。