平成16(2004)年11月の記録(新しい日付けの順)

平成16年11月30日(火)

 晴れ。穏やかな天気が続く、屋外作業ではTシャツだけで居ても気持がよい。

 終日薪を割った


平成16年11月29日(月)

 晴れ。

 婆様が昨夜から強い頭痛が続き、くも膜下出血の予兆だとまずいので大阿蘇病院で診てもらったが、心配するほどのことは無さそうで、神経痛の部類の頭痛だろうか。投薬を受けて帰ってくる。

 本日の労働、裏の竹やぶの整理。台風18号でメチャメチャになった竹を切り倒す作業をしたが、簡単には行かない。


平成16年11月28日(日)

 晴れたが、空気が冷たかった。

 午前中、カミサン所用のため、娘の子守りをする。

 午後から、裏の竹やぶの整理を少しと読書。


平成16年11月27日(土)

 晴れ。今朝、阿蘇山頂では今シーズン初めて霧氷がみられたそうだが、我が家の周囲では氷点下にはならなかった(と思う)し、霜も降りなかった(と思う)。穏やかな天気だった。

 午前中、薪置き場の雨よけのブルーシートを巻き上げ方式で設置する。

 午後から、坊中に積み残した薪材を貰いにいく。


平成16年11月26日(金)

 晴れのち雨。

 予報どおりに昼から久しぶりの雨になった。

 薪置き場に床を張って、これでいつでも使える状態になったが、薪を入れる前に雨になってしまった。薪を積むだけにしては少々立派過ぎたか、あとは、雨天の際に雨の降りこみを防ぐシートを垂らす仕組みを考える必要がある。

 今回の要領でパイプを組んで作れば、鶏を飼う小屋も出来そうだ、鶏を飼いたいと思っている。
平成16年11月25日(木)

 晴れ。

 阿蘇町坊中に西巌殿寺という古刹がある。今日はその直ぐ奥隣にある山に薪にする杉の木を貰いにいった。カミサンの職場の先輩の紹介である。都合二回軽トラックで往復した。

 夕方近く、薪置き場の床面の細工を少しする。


平成16年11月24日(水)

 晴れ(曇りに近いか)。

 母、大阿蘇病院に定期通院、先日購入した歩行補助機の使い初め。

 薪置き場の細かい仕上げ作業をする(まだ完成ではない)。


平成16年11月23日(火)

 新嘗祭、国旗掲揚。晴れ、朝霧深し。

 阿蘇を離れて久しいある人に、小生のホームページをお訪ねいただいた、それも、なかなか面白いきっかけでである。

 哲兄の住居がある愛知県は尾張旭市の、とある寿司屋(哲兄の行き付けの店らしい)で、哲兄が(たまたま我が家絡みの)阿蘇の話をしていたのだろう、多分その人も馴染み客だと思うが、たまたま阿蘇出身の人がいて、小生のホームページに興味を示されたそうで、このサイトのURLをお知らせしたところ、昨日掲示板に書き込みがあり、お電話まで頂戴した。

 ホームページを開設して以来、多くの阿蘇出身の人たちが、直接、間接に知って小生のホームページを訪ねてくださる、ホームページ開設者冥利?に尽きる。

 本日も、カミサンの急なリクエストで、薪割りの予定を急遽変更して、半日かけて畑の畝つくりをする。

 本日も暖かい日和だったので、昼食を庭先で摂った。


平成16年11月22日(月)

 快晴、好天が続く。本日二十四節季の小雪の由、庭先の寒暖計が氷点下を指し、薄氷が張り畑は霜で真っ白。

 連日の肉体労働で少々バテ気味、本日は安息日とする。


平成16年11月21日(日)

 穏やかに晴れわたる。

 カミサンからの急なリクエストで、物干し竿用の三脚を竹を切って三組作る、何を干すのかと思ったら、家中のカーテンを洗って干していた。

 天気が良いので皆で昼食を庭先で食べる。

 恒例の阿蘇郡内町村対抗阿蘇一周駅伝が行われて、昼過ぎに家の前を選手達が通過していった、この区間の一の宮町の選手は木村豆腐店次男坊の拓郎君だった、ガンバレ!と声を掛けたが分かっただろうか。父親の文彦さん、それに長男の大輔君も他の区間を走ったそうで、豆腐パワーのマラソン一家である。

 今日も薪作りをしたが、娘がウロチョロするのであまり能率は上がらなかった。

 日没も美しかった。
平成16年11月20日(土)

 晴れ。

 台風18号で吹っ飛んだ入口の街路灯がようやく復旧した、工事屋さんが引く手あまたでなかなか来てくれず、周りに灯りが全く無い状態が続き不安だったが、白熱球に替わって蛍光灯になり、今までよりずっと明るくなった。

 カミサンと娘は、JRを使って熊本市内までショッピングに出かけた。

 小生は一日薪作りに精を出した。いやあ切った切った

 婆様がいよいよ屋外で歩行補助機を使うことになり、ネットショッピングで買い求めた商品が届いた。屋内では、武藤の母上が先年使わずに終わった歩行補助機を頂戴して有難く使っているが、病院などに行った時に、杖だと心もとないとのことなので、改めて屋外用を買ったのである、少しずつ体が言うことを聞かなくなるのは致し方ないことであるか。


平成16年11月19日(金)

 穏やかに晴れる。

 薪小屋の側板を張って、一応の完成とする、あとはそのうちに暇を見つけて、壁面に竹を貼って見栄えを良くすればよい。

 婆様は、裏で、ほぼ一日かけて、ジャガイモの芽を取る作業をした。芽が出たジャガイモを放って置くと、芽が伸びてイモの栄養分を吸い取ってしまい萎びれてしまうので、目を取ることによって少し長く保存が出来る。

 丁度一月が経ったので、保育園の帰りに娘を古閑医院に連れて行き、小生と一緒に二回目のインフルエンザ予防接種を受ける。娘は前回同様お尻にうってもらい、一瞬泣いたが直ぐに泣き止んだ。志賀聡雄さんが丁度接種を受けに来ていた。


平成16年11月18日(木)

 雨。

 雨読。

 普段、阿蘇山は昼間など、光の具合で平板に見えるが、朝や夕方、或いは雲の調子で非常に複雑な山であることが良く分かる。


平成16年11月17日(水)

 快晴、気持の良い冷気が体を包み、肺にしみとおる。庭の寒暖計が朝七時頃氷点下一度を示していた、薄氷が張った、無論、この冬の最低気温である、畑が霜で真っ白になっていた。


 薪小屋の屋根を張る、後は側板を張れば一応の完成となる、あと一息である。


平成16年11月16日(火)

 晴れ。

 母、昨日に引き続き大阿蘇病院へ。声も大分戻ってきたので、しばらく様子を見ることで通院は今日までということに。

 薪小屋の製作を続ける。コンパネ、木材、波板などを買って来る。屋根部分の骨組みまで終わる。


平成16年11月15日(月)

 夜来の雨が朝には上がり、晴天になったが、強くて冷たい風の一日だった。

 午前中、志賀昭久さんが今年の米を届けてくださった。

 婆様が二日ほど前から殆んど声が出なくなり、今朝には大分回復したが、用心のために大阿蘇病院で診てもらう、抗生剤などを点滴をして帰ってきたが、風邪では無いようで、原因がいまひとつハッキリせず、明日も再度行くことになった。

 今日は薪小屋のパイプ組みの手直しをした。パイプを組み合わせると、どうしても交叉部分で突起部分が出来てしまい、屋根を被せても隙間が出来て雨が降り込むので、なるべく突起部分を少なくしようと苦労した。この作業で、先日手に入れたガス溶断機で初めてパイプを切断した。お世辞にも綺麗な切断面だとは言えないシロモノとなったが、気分は良かった。出来ればアングル材でも使って溶接組みをすれば良いのだが、ガス溶接棒が簡単には手に入りそうも無く、また手に入ったとしても、切るのはそこそこ出来ても、くっ付けるのはそう簡単ではないだろう、ちゃんとした電気溶接機が欲しいところである、まあそのうちに手に入れることになるだろう。


平成16年11月14日(日)

 曇り。かなり高い確率で雨の予報が出ていたが、何とか降らずに済んだ。

 今日は午前十時から、嘉悦先生を講師にお願いして、宿場會の連中を対象にした豊後街道を歩こう会が開催された。会員間で予てより豊後街道を歩いてみたいという要望があり、今回は手始めに地元の街道を歩くことになったのである。

 コースは、十二里木の少し熊本寄りの、阿蘇町と一の宮町の境界がある塩塚という集落から十三里木の間の旧街道である。(写真1写真2)

 十三里木跡は坂梨宿場通りにあり、約一里の行程になる。東海道などは、一里塚などと、「塚」と言う語を使うが、豊後街道では、熊本城下札の辻を起点として一里ごとに塚を作り、そこに榎を植えて目印として、何里木と言ったようだ。JR豊肥線の熊本に近いところに三里木という駅名もある。

 スタート地点までは、聡雄さんと赤星さんの車に分乗して移動して、そこから坂梨に向かってノンビリと歩き始めた。

 今日の参加者は、嘉悦先生を先達として、高木義臣・直子夫妻、山口定俊さん、石田順子さん、高木立さん、聡雄さん、赤星さん。それに小生のカミサンも娘を連れて参加した。

 天気がもうひとつだったことや、七五三の行事と重なったせいか、参加者は多くなかったが、それだけに息の合った楽しい散策となった。

 普段は車でさっと通り過ぎるだけで、全然気が付かなかった道標や旧跡など。そして、えっ!ここが旧街道なの?と往還から逸れて田の中に緩やかに曲がりながら続く道。

 今まで長年住んでいながら初めて知ったという会員も居り、田舎に住んでいて、都会から見れば十分に田舎者なのに、その我々田舎者たちが、田舎は良いねえと、嘉悦先生の説明に耳を傾けながら、口々に嬉しそうに語らいながら、昔ながらの風情のある、野中の道を三々五々そぞろ歩く。高木直子さんは、勢い良く自噴する地下水の傍らに手付かずで自生するクレソンを嬉しそうに摘んでいた。(写真1写真2写真3写真4))

 旧街道が国道に出た辺りで、その先は大体地理も分かっているので、昼も過ぎていることもあって、今日の歴史探訪は切り上げることにした。

 そして坂梨に戻ってから、中虎屋で各人が持参した握り飯を頬張りながら、今日の感想を述べ合ったり、そのうちに豊後街道の全行程を何回かに分けてでも踏破したいものだなどと、次回以降の希望を出し合ったりして暫らく時を過ごしてから解散となった。(写真1写真2

 今回歩いて感じたことの一つに、せっかくの先人たちの遺産が、行政のPR不足、管理不行届きなどで、今の人に伝わりきっていないという歯痒さを感じた。


平成16年11月13日(土)

 小春日和の晴天、心配された気温の低下がそれほどでもなく、薄く霜が降りた程度で、たかなも大丈夫だった。

 カミサンは彼女の知り合いのお宅から薪材を頂戴することになり、軽トラで出かけたので、小生は娘と一緒に堀り残してあったカライモを掘ったり、花に水を遣ったりして屋外で子守りをした。

 カミサンは全部で4〜5回往復したようで、結構沢山の薪を貰ってきた。

 夜七時、11月の宿場會例会が中虎屋で開催、本日の集まりは悪るかったが、嘉悦先生の歴史講話は何時もながら面白かった。


平成16年11月12日(金)

 晴れ。

 午前中、車検に出してあった軽トラの検査が完了したので、菊陽町まで受け取りに行く。

 昼から、南面の朝顔棚があったところにパイプを組んで薪を貯蔵する小屋もどきを作り始める、いささか無粋だが止むを得ない。

 夕方から急に冷え込み始めた、明朝は1度の予想気温で霜注意報が出ているようだ、芽が出たばかりのたかなは大丈夫だろうか。


平成16年11月11日(木)

 雨のち曇り。

 義父が植えていったタマネギの苗の殆んどが根付かなかったようだ、買って来たときから苗の元気が無く、売れ残りのかなり古い苗だったからだろうか。加えて、マルチの端が風に煽られて、苗を傷つけたことも原因しているかも知れない。

 今日、たまたまホームワイドで入ったばかりのタマネギの苗に出くわして、100本買ってきて、義父が植えた畝の横に定植していたら、係りさんとつぼみさん夫妻がやって来て、今朝苗を買いに行ったが無かった、何処で手に入れた?とのことだったので、先ほど入ったばかりで、もうあと僅かしか残っていなかったですよ、電話して聞いてみましょうかと、園芸売り場に問い合わせたところ、あと一束しか残っていませんとのこと、直ぐ買いに行くから取っておいて欲しいと頼んで、係りさんが直ぐに車を走らせた、しばらくしてニコニコして帰ってきた、間に合ったようだ。

 タマネギの苗には、早生、中生、晩生と色々種類があって、それも何回かに分けて入荷するのだろうか。


平成16年11月10日(水)

 曇り時々小雨。

 午前中、母、大阿蘇病院に定期通院。図書館で本を借りる。

 本日の作業、薪割り少々と、チェンソーの整備。


平成16年11月9日(火)

 晴れ。

 二週間の滞在を終えて義父が帰っていった。本当に助けてもらった。有難かった。出来ればもう少し滞在を伸ばして欲しかった。

 夕方の便で発つため昼過ぎに軽トラで空港まで送って、その足で、軽トラを車検に出した。ここのところ車検続きである。


平成16年11月8日(月)

 快晴、いい天気が続く、もう何日も連続で朝濃霧が発生している、ということは連続で雲海が出ているはずである。

 義父は自分で蒔いた種の成長が気になると見えて、毎日畑に出ては芽が出るのを楽しみにしていたが、大根の芽は二三日前に、たかなの芽は今朝初めて芽が出た。共にアブラナ科の野菜で見たところそっくりだが、特にたかなは、広い畑にほんの数本顔を出しただけで余程注意をしなければ分からないほどである、それでも芽は芽である、少し遅い種蒔きだっただけに、これからの霜にやられないことを祈るのみである。

 義父と一日中薪割りに精を出した。義父はチェンソーでかなり大量の丸太を一定の長さに切り揃えて、畑の隅のほうに積んでくれた。

 その義父の滞在も今夜が最後で、明日には離熊する。とにかく沢山の仕事を頼んでしまった、本当に助けてもらった。小生より腹は出ているが、義父の体力は小生よりあることが分かった、それに食欲がスゴイ、小生の大食ぶりは宿場會の旅行の際に仲間に呆れられたほどであったが、それにはるかに勝る。なんと言っても食欲はエネルギーの源である。


平成16年11月7日(日)

 快晴、立冬だそうだが、まるで夏のような暑さだった。

 天神社の修復、今日は外装の仕上げと、内造作だったが、昼過ぎには終わり、全ての作業が滞りなく終了した。そしてしめ縄を張って3時頃から阿蘇神社の神官による奉告祭があった。
(写真1写真2写真3
 奉告祭の後、正志さんのお宅でお祝いの席を用意していただいたので、皆さんでお邪魔して完成のお祝いをした。

 昼から、その修復作業をしばらく抜け出して、家族で娘の髪置きのお祝いに阿蘇神社に出掛けた。小生、全くその方面は疎いのだが、カミサンが言うには、髪置きの儀式というのは、七五三の前の二歳になった時にやるのだそうである。正式には、神社でお祓いを受けるのだろうが、簡略に、詣でるだけで済ませた。
(写真1写真2写真3
 台風の後始末がまだ終わっていないお宅が沢山あるようで、隆一さんも仁美さんと仲良く屋根に登って瓦の修理をしていた。

 今回の台風で、結局建て替えをすることになった渡さんのお宅の設計監理を、奇しくも我が家の時にお世話になった、立石さんご夫妻が担当されることになったようで、天神社の修復作業中、隣接した渡さんの所で、打ち合わせ中のお二人の姿を拝見したが、帰りにわざわざお寄りいただいて、まさかこういうことになろうとは、と久しぶりの懐かしい再会になった。



平成16年11月6日(土)

 晴れ、小春日和、昨日に続いて墓地の整備をした。娘も保育園が休みなので、おじいちゃんを激励に山を登ってきた。

 作業に馴れてきたため、昨日引き起こした墓よりも大きな墓を基礎から直したにも拘らず、午後の早いうちに作業が終わることが出来た。いっぱしの墓職人の気分である。まだまだ細かい修復を必要とする墓石が幾つか在るが、これらは一人でも出来そうである。(写真1写真2写真3

 今日起こした墓は園田丈八という先祖で、昨日起こした墓は、その妻となっていた。昔のことだから妻とだけ彫ってあって、名前は無かった。期せずして夫婦の墓が倒れてそれを引き起こしたことになる。

 丈八の墓碑には文政13年(1830年)に72歳で歿したとあり、妻の墓碑には天保13年(1842年)に80歳で歿したとある。遡ってみると二人とも宝暦年間の生まれということになる。

 この丈八は、資料によると、二代目の先祖・五郎次の子であるが、別の子(長男だろう)養助が家を継いだため(今の小生に繋がっている)、分家を成したようで、その後この家は丈八を継いだ卯一郎までで、以降は断絶となっている。後継ぎが居なかったのだろうか、それとも断絶となる何事かがあったのだろうか。こうして改めて墓標をしみじみと眺めてみると、命のつながりというものの面白ろさを感じる。

 今回、このように墓を復旧出来ただけでも、小生がここに移り住んだ意味があろうというものである。


平成16年11月5日(金)

 快晴。昨日よりも増して霧が深かった、多分美しい雲海が出たことだろう。

 その霧の中、畑の外れたところに今年の夏の花から落ちた種から、季節はずれの小さなヒマワリが一輪だけ咲いていた。

 今日は、一日中山に登って義父と墓石の引き起こし作業に没頭した。台風で倒れた墓石は長い年月の間に基壇部分が不等沈下して斜めに傾いでいたもので、単に引き起こせば済むというものでもないので、基壇部分から根本的に直すことにした。

 義父のチェーンブロックの扱いはなかなかのもので、慎重で確実な技術を持っていて感心させられた。小生一人では到底出来ない作業だった。(写真1写真2写真3

 墓石を分解してみて分かったことだが、基壇部分は方形の石を組み合わせた造りになっているが、皆中心部が円形に近い形にくりぬいてある。これは墓標に隠れて外からは見えない部分なので、その部分を削ることによって部材を軽くして運搬し易くするための工夫なのだろうか、それとも、仏様が出入りし易くするためのものだろうか。昔は皆土葬だったから、仏様の息抜きのための穴だろうかなどと想像をめぐらしてみたが分からない。(写真1写真2

 一日かけて大きな墓石をようやく一基のみ完全修復することが出来た。明日もう一日かけて残りの墓の修復をやるつもりである。


平成16年11月4日(木)

 快晴。明け方、急に気温が下がったようで、霧のなか、畑が白く霜に覆われていた。

 秋になると毎年何処からとも無く現われて近くをカチカチという音を出しながら飛び回るジョウビタキが今年もいつの間にか姿を見せている。そのジョウビタキが窓を開けてあった軽トラの運転席に入り込んでバタバタしていた。

 ***じょう‐びたき【尉鶲】スズメ目ヒタキ科の鳥。小形で、スズメぐらい。冬、野原・田・畑などに多く、美しい。黒い翼に大きな白斑があるので俗にモンツキドリともいい、また、人を恐れないのでバカビタキなどと呼ぶ。馬鹿鳥。(広辞苑より)***

 ホームワイドにて、2m、3m、4mのパイプとクランプなど軽トラックで大量に買ってくる。荷造りは義父が得意とする南京締めでしっかりと固定した。パイプは荷崩れしやすいのでひとりで運ぶのは自信が無く、今までなかなか決心がつかなかった、これで薪置き場などを作る予定である。

 本日の作業。台風で倒れた墓石の引き起こしのために、買っておいたチェーン・ブロックをパイプ三本を使って三脚を組み立てて吊るしてみる。

 その後で、明日からの作業に備えて分解して墓地まで運ぶ。結構重いので二人で二往復した、山小屋に資材を運ぶ歩荷(ぼっか)の気分である。

 夕方、残った時間で、入り口の楠木の根の処理をしたが、大きいのでそんなに簡単にはいきそうもない。


平成16年11月3日(水)

 曇り、時々晴れ、本日明治節、国旗掲揚。

 天神社の復旧作業に終日参加、その間、義父は、遅れに遅れていたたかなの種蒔きをやってくれた。聞く所によると、かなりユニークな撒き方をしたようで、どのような発芽をするかお楽しみというところである。

 午後、娘はおじいちゃんと母親と一緒にファームランドへ行ったようだ。

 本日の天神社の社殿の復旧工事は、最大の難関である屋根の引き起こしと、起こした屋根を本来在るべき場所に据え付ける作業であった。外部に依頼した25トンクレーンが田の畦道を慎重に進入して作業場所に据え付けられえて、細心の注意をもって作業が開始された。さすがプロのクレーン屋さんである、ひっくり返った屋根を見事にトンボして、元の場所に上手く納めることが出来た。今度はどのような台風が来ようともビクともしないように、ワイヤーを張って補強した。2トン近い屋根が吹っ飛び、巨木がへし折られるほどの強風だったにも拘らず、幾つかの部材は無くなったものの、社殿を構成する主要な斗組や肘木などが近辺に残っていて、見事に復元できたのはもう奇蹟に近いことである。

 あと内造作がまだ残っているが、主要部分の復元工事が終わって皆一様に安堵の表情を浮かべていた。今日の作業については追って連続写真で載せるつもりである。

天神社復旧工事連続写真

平成16年11月2日(火)

 曇り、午前中一時小雨。いつの間にか、裏山の落葉樹が紅葉していた、周囲は杉ばかりだから、広葉樹が一際美しい。

 娘が昨日、今日と保育園に行きたくないという、今日は特に激しく、車に乗るのを体を弓なりにそらせて泣きわめいて登園を拒否した。とにかく車に乗せる必要があるので、じゃあ、モウモウさんを見に行こうかと言うと、ウンという。乗せて保育園方向に車を進めると、駄目だという。仕方が無いので、古閑のT安牧場さんにお邪魔して、牛を見せていただく。しばらくしたら満足したと見えて、保育園でお友達にモウモウさんのお話をしてあげようかというと、こんどはウンと言って素直に登園を承知した。そして機嫌よく保育園に行った、一体何だったんだろう。

 昨日と今日、保育園でミニ文化祭があり、園児たちの作品が展示してあった。母親が娘を描いた肖像画と、娘が訳も分からずに貼った作品が展示してあった。

 今日の義父の作業、家の樋の大掃除。とにかく、家が建って以来の掃除だから、笹の葉が目一杯詰まっていて最近は樋の機能を果たしていなかった。その他家周りの整理。


平成16年11月1日(月)

 晴れ、今日の阿蘇高岳

 車検切れに気がつかずに慌てて出した車検がようやく終わり、大津の整備会社まで取りに行く。ろくに管理もしないで十年も乗っているとさすがにあちらこちらにガタが来ており、補修にかなりの費用を要した。整備をするとやはり車が軽く動くようになったのが良く分かる。

 農作業が大好きな高木義臣夫妻がタマネギの苗を手に入れ損なって近辺にはもう無いとあちらこちら探しておいでだったのを思い出したので、大津に下りたついでにのナフコで買い物代行、お届けしたところ、立派な柿を頂戴して却って恐縮してしまった。

 今日の農作業は、小生が車を取りに行っている間に、義父が畑を耕運機で耕してくれていたので、昼から二人で軽トラで畜協まで堆肥を買いに行き、ショベルカーのバケット二杯分を畑に撒いた。