平成16(2004)年12月の記録(新しい日付けの順)
平成16年12月31日(金)
大晦日、雪、一昨日に続いてまた降った、今日のほうが積雪量は多い、東京地方もかなり降ったようである。
丸く掃いて終わるつもりだったが、結局一日かかって大掃除らしきものをしてしまった。
年越しは婆様と二人で、DVDの映画鑑賞をして、年越し蕎麦を食って静かに過ごした。
今年納めの蕎麦打ちも、幌加内の蕎麦粉が素晴らしく、我ながら会心の出来だった。
かくして2004年が過ぎ去っていく。
平成16年12月30日(木)
今朝は氷点下4度くらい下がった、残った雪が解けなくて寒い一日だった。
出来るだけ手抜きをして年を越そうと思ったが、まあ、玄関だけは掃除しておこうと昼から、掃除に執りかかったものの、やり始めるとトコトンやってしまうようで、結局日没頃まで、玄関とデッキの整理をしてそれでも終わらずに明日まで掛かることになった。
いつも嫌になるほどスパム・メールが入ってくるが、世間並みに仕事納めの後は、出会い系サイトやスケベサイトからピタリとメールが入らなくなる、ああいった手合いも仕事納めなんかあるんだと笑ってしまう。
平成16年12月29日(水)
昨夜のうちに降ったとは全く知らなかった、朝起きて外を見て驚いた、真っ白の銀世界が広がっていた。4センチ前後の積雪だった、初雪になるのか。今日は東京方面でも降ったようだ。(写真1・写真2・写真3)
先日基礎を打ってあった給電ポールの本格復旧が終わった。ついでに200Vのコンセントの取り付け工事もやってもらった、そのうちにアーク溶接をやりたいと思っている。
先日来、メインのPCにRAIDボードを組み込んでミラーリング環境を作ろうとして、色々問題があって悪戦苦闘していたが、ようやく上手くいったようだ。
バックアップを取るのが面倒なので、いつもハードディスクがクラッシュする心配をしながら、PCを動かしていたが、これで、その心配が無くなった。以前から、やろうやろうと思っていたが、当時はハードディスクが高価だったので、なかなか踏み切れなかったが、今では数千円で買えるので、ネットオークションで買った中古のRAIDボーと組み合わせて出来た。システムを完全に二重化して、万一片方のディスクが壊れても、全く同じディスクが裏で働いているので、もうクラッシュの心配をしなくて済む。
しめ飾りなど少し正月の準備の買い物をする、今年も出来るだけ手を抜くことにする。
平成16年12月28日(火)
晴れ、氷点下三度。
そろそろ天気が崩れそうだ、年末年始はあまり良い天気では無さそうなので、今日も薪を割った。
婆様が腹が痛いというので、大阿蘇病院に連れて行く。
おじいちゃんが、孫が丸を描いたと言って写真を送ってきた、大いに爺バカぶりを発揮して娘の子守りを頑張ってくれている。カミサンはもう殆んど腫れは引いたようで、ファミリーレストランに出かけたらしい(多分娘は初めての経験だろう)、せっかくの里帰りも、ずっと寝たきりでは可哀想だと思っていたが、残るところ数日となって何とか復調したようだ。
平成16年12月27日(月)
曇り。昨日よりは幾分陽射しがあった。
年賀状の投函終わる。ゆったりと薪割をする。
カミサンからオタフクの写真が送られてきた、これは一番腫れていた頃の写真だろうか、今日はもう峠は越えたそうである。いずれにしても最近は、薬の良いのがあるのか、我慢できないほどの痛さは無いそうである。普段は面と向かってオタフクとは言い難いが、今は間違いなくオタフクだから、オタフクと言える。このオタフク!
平成16年12月26日(日)
曇り。
気温はそんなに低くはないが、日が射さず、風もあり、寒々しい一日だった。
平成16年12月25日(土)
曇り、時々時雨れる。
年賀状書きなどをする、犬の散歩のほか外出せず、静かなり。
平成16年12月24日(金)
曇り、時々時雨れる。
今日は寺内さんから嬉しいクリスマス・プレゼントが届いた。いつもの読み終わった文庫本と一緒にノートパソコンが入っていた。Libretto
ff 1100V である。まだまだ立派に現役として通用するスモール・コンピュータである。先日冗談で使っていなければ送って欲しいと言ったところ、そうだねとの事だったが、まさか本当に送ってくれるとは思ってもみなかった。送った後でシマッタ!と臍を噛んでいることだろう。これは、いやこれも、と言った方が正しいだろうか、小生がまだ向うに居る頃、指嗾して、唆して、その気にさせて、手に入れさせた物だ、殆んど使っていないはずだから、ほぼ新品に近い。これに限らず、こういった物に関して、小生は彼にかなりの被害を与えている。そして、今また、遠隔地にありながら、ある物を買わせようとしている。でも今度のヤツは(も)良いと思うのだが、距離が離れているので、なかなか乗ってこない。
彼の会社が茅ヶ崎ルミネに出店した、豆腐をベースにしたスイート専門(豆月庵)の店だそうだ。もっと小さなコーナーかと思ったが、随分と広いスペースで、結構繁盛していると聞く、重畳である。
今日は、白菜を漬けた。婆様がもう体力無いので、漬けられん!というので、小生が漬け込むことにして、風呂場で婆様の指導のもと漬け込み作業をした。どうも美味い物に関しては貪欲なところがあって、ようし自分で漬けてやろうではないかと言うことになった、まあ、これも技術の伝承である。
カミサンが、クリスマスケーキと、チキンを注文して帰ってしまったので、しまらない話だが、二人でクリスマス・パーティーをやった、これは絵にならないので載せないことにする。多分向うからケーキを前にした子供とオタフクの写真を送ってくるだろう。
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オタフクは来なかったが、娘の写真がおじいちゃんから届いた。
平成16年12月23日(木)
天皇誕生日、国旗掲揚、寒くは無かったが、一日どんよりとした空模様だった。
今日の朝刊に、阿蘇山測候所が観測を始めた昭和49年以来、高岳の初冠雪の遅い記録が昨日で更新され雪が降らない、と報じたばかりだが、今日薄っすらと冠雪していた、初冠雪になるだろう。
神棚を設けた。こちらに来てから毎年、神社の御札が来る。いつも適当に箪笥の上などに立掛けて置くのだが、どうも収まりがが悪い。ここは肥後の国一の宮の御膝元、ということで神棚を置くことにしたのである。御札は天照大神、阿蘇神社、氏神様の馬場八幡神社の御三体の御札であるが、神棚にもちょうど三箇所御札を入れるところが作ってある、良くしたものである。
葬式は仏式でやり、初詣などの御参りは神社に出かける、クリスマスにはケーキを食べてメリークリスマス、この節操の無さというか、懐の深さというか、良いねえ。
カミサンが居ないと、ついついルーズになってしまい、面倒くさくて、今日風呂やめるか、そうねえやめようか、で二日三日と経ってしまいそうである。
そのカミサン、向うに帰った日の翌日だったか、頬が腫れあがった写真を送ってもらったが、その後さらに腫れあがって、大変らしい。ホームページに写真を掲載しようと思ったが、流石に憚られるのでやめた。それにしても、向うの両親は、娘の看病と、孫の世話で大変だろうなあ、申し訳ない気持で一杯である。こちらでは、婆様と普段なかなか時間が無くて見られないビデオ映画観賞などをさせてもらっている。
平成16年12月22日(水)
晴れ。
事もなし。
平成16年12月21日(火)
晴れ。本日一陽来復、太陽が米塚のあたりに沈んだ、午後5時頃だった。柚湯を立てる。例年(と言っても、まだ二回だが)娘と一緒に柚湯で定点写真を撮っているが、今年は居ない。いずれにして、女の子だからこれから毎年撮り続けるというわけにもいくまい。
台風18号で倒れたままになっていた電線類の引き込みポールの復旧作業がようやく昨日から始まった、今日は基礎の生コン打ちがあったが、生コンが余ったので勝手口の下に打ってもらった。昨年の冬至の日の記録を読んでみると、奇しくもこの日も生コンがらみの記事がある、冬至と生コン、妙な取合わせである。
カミサンから電話が入り、無事に両頬が腫れあがってきたそうだ、これで仕事を休んだ言い訳が立つ、メデタシ、メデタシ。まだ痛みはそれほどでもないらしく、ノンビリした声をしていたが、フッフッフッ、痛てえぞ〜。
平成16年12月20日(月)
曇り一時小雨。
カミサンが娘を連れて実家に帰った。空港まで送った。別に三下半ということではない。
今朝起きてカミサンが私の頬っぺた少し腫れていない?と訊いてきたので、それは喰いすぎで肥ったんだろうと言っておいたところ、職場でも皆さんに腫れているよと言われたと言って、古閑医院で診てもらって早退して帰ってきた。
カミサンはオタフク風邪をやった記憶がないそうなので、もしかしたらそうかも知れないが、まだ何とも言えない段階だそうだ。
万一、オタフク風邪だと、小生も経験があるが、成人してからのそれは非常に痛くて、苦しいもので、年末年始を何日も寝込むことになる、もともと年末には里帰りをする予定になっていたので、こうなったら、どちらにしても早いところ実家に追い帰したほうが良いと判断して、娘も保育園を早退させて、夕方の飛行機に乗せて実家に帰してしまったのだ。
もしオタフク風邪でなかったら職場に対して随分とみっともないことになるが、まあその時は仕方が無い。
というわけで、カミサンの両親には申し訳ないが、小生の黄金週間が始まるのである、いやあ清々清々。
ところで、娘は婆様を、ライバルとでも思っているのだろうか、両親に対する接し方とは少し違う態度をみせる。例えば、娘が、何か食べものを食べようとしない時に、じゃあ、おばあちゃんが食べてしまうよ、言うと、慌てて食べる。トイレに行こうとしない時に、じゃあ、おばあちゃんが行っちゃうぞと言うと、慌てて、オマルに座る。風呂に入ろうとしない時に、じゃあ、おばあちゃんが入ろうと言うと、慌てて衣服を脱ぎだす、といった具合である。おばあちゃんが歩こうとすると、片方の足の甲を踏んで動けないようにしたり、階段から下りてくると、両手両足を広げて通せんぼする。別に意地悪でやっているのではないが、何か楽しんでいるようにニヤニヤしている。
平成16年12月19日(日)
曇り。
今日も、馬場豆札牧場で、村の共同作業があった。先日切り出しておいた杉の積み出し作業をしたのである。皆が持ち寄ったトラック数台(小生の軽トラックは含まない)に杉材を積み込んで、午前一回と午後一回、小国にある製材所まで運搬した。ここで製材してもらうのである。スピードが出せないので、一回の往復に約二時間要した。小生は午前中トラックの助手席に乗って往復した。
今朝の牧野は霧に包まれており、前回とはまた違った幻想的な雰囲気であった。
積み出し作業の傍らで、馬場の江藤要一さんが家族の皆さんと、牛をトラックに載せていたので、出荷ですかと尋ねたところ、冬が来るので放牧してあった牛を春になるまで下に降ろすとのことであった。最近では、人手不足で、一冬中、放牧しっぱなしの所もあると聞く。
平成16年12月18日(土)
くもり。
予報では朝のうちに雨が上がり、晴れることになっていたが、終日どんよりと曇っていた。
雨読。
娘が久しぶりに風邪気味なので、母親が古閑医院に連れて行く、大したことは無さそうである。
平成16年12月17日(金)
晴れ。
哲兄が八重子姉と訪ねてくれる。二人して、昨夜神戸からフェリーで発って、今朝別府に着いたそうだ。途中で伸兄を迎えに寄ってから午後3時頃だったろうか、我が家に到着、5時近くまでの慌ただしい来訪だった。八重子姉は三日ほど熊本に滞在するそうである。
平成16年12月16日(木)
晴れ、今日も薪を割る。
高木義臣さんからメールで忘年会の写真が届く。いつも撮る側で写る機会が少ないので、山賊然とした我が姿を先日の忘年会の写真に追加掲載させていただく。
平成16年12月15日(水)
晴れ。
昼から薪を割る、好天が続くうちに出来るだけ割る。
平成16年12月14日(火)
晴れ、氷点下三度、スキッと身が引き締まる気持の良さだ。
ホームページのレンタルサーバーの容量がまた満杯になったので、容量を追加する。今年中に自宅サーバーを開設するつもりだったが、とうとう未完のまま年を越しそうである。
数年ぶりに車のバッテリーを交換する、ネットショッピングで取り寄せた。
昨日に引き続き石田順子姐のお宅にインターネット環境整備に出張、今日は一発で上手くいった、無事開通。
円通寺さんに暮れのご挨拶に伺う。
平成16年12月13日(月)
晴れ。
日頃の暴飲暴食が祟って、カミサンは、多分感染性腸炎だろう、ダウンして仕事を休む。
保育園の迎えの僅かな時間を縫って石田順子姐宅にインターネット環境の整備に伺うが、時間切れにて後日に持ち越し。
平成16年12月12日(日)
曇り、一時小雨。
公民館再建に向けて、木材を自己調達するために、村の共有林の杉を切り出して、製材することになった。
差し当たり、昨日と今日がその作業日に当っていたが、昨日は野津原に出かける予定が入っていたので勘弁してもらい、本日のみの参加となった。場所は、外輪山に登った波野村にある馬場豆札牧場内の共有林である。
いつも薪材をチェンソーで切ってはいるが、生きた樹を切り倒すのは初めてで、オッカビックリのへっぴり腰、何本か切らせて貰ったが、理屈は分かっているつもりでも、高さ太さに圧倒されて、うまく倒れるものもあれば、隣の樹に引っかかり、或いは、チェンソーが切り口に挟まれて抜けなくなったりして、周りの助けを借りる羽目になりと、トータルでは足を引っ張ることの方が多かったようである。
阿蘇の山並みに囲まれて緑の牧場での作業は、気持が良いことこの上ないが、山仕事というものは正に肉体労働、体の全ての部分を使い、僅か一日で疲労困憊した、日本の林業がペイしないということが良く分かったような一日だった。(写真1・写真2・写真3・写真4)
夕方から、阿蘇の四季で宿場會の忘年会が開かれた。利害関係が無い仲間たちの忘年会は心から楽しめる、嬉しい行事である。恒例のビンゴ・ゲームに皆童心に帰ってはしゃぎまわり、楽しく一年を締め括った。(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5 ・写真6)
菌
平成16年12月11日(土)
晴れ。
豊後街道友の会という集まりがある。豊後街道の各宿場宿場で史跡の保存活動や歴史の研究をしながら、その宿場という「点」を、文字通り、街道という「線」にまで繋げていくことは出来ないかと、幾つかの宿場がその連携を深めるために、毎年集まって研修会を開いている。
昨年は坂梨宿場にお集まりいただいたが、今回は大分県の野津原で開かれた。
そして我が宿場會からは、嘉悦渉先生、山口定俊、高木義臣、赤星永幸、志賀聡雄、高木立俊雄の精鋭七名が参加した。
豊後街道は加藤清正が参勤交代の、或いは軍用道路として、江戸に向かうため、熊本城を起点として、坂梨を通って、大分県の野津原、鶴崎そして、瀬戸内海に向けて漕ぎ出すための港・佐賀関までの区間を整備したもので、後には細川藩が引き継いで明治に至るまで幹線街道として栄えた街道である。
そして、野津原や鶴崎などは、肥後領外にありながら、肥後藩の飛び地として繁栄した特異な場所でもある。つまり肥後藩主は、自領の本陣・御茶屋だけを使って、往来が出来たのである。
加藤清正の治世は長くは無かったが、善政を敷いたのであろう、大いに領民に慕われたとみえて、それは他県にありながら野津原では、いまだに清正公を偲ぶ祭りが、毎年盛大に開かれるそうである。
野津原に今に残る今市の石畳街道は素晴らしいの一言に尽きる。落葉樹、照葉樹の雑木に囲まれた山あいの静かな町にヒッソリと住民に護られながら残っている。
野津原町内の切れ切れに残る旧街道や旧跡を見学したり、公民館で研究討議をしたりと、非常に充実した一日を過ごした。(写真1・写真2・写真3)
今日は娘の保育園でお楽しみ会が開かれて、母親と、婆様が参観した。お楽しみ会とは学芸会のようなもので、オタフク風邪で園児がかなり休んでいる関係で、娘の出番も増えて、後からビデオを見たところ、結構人前で臆することも無く演技をしていたようである。
小生の留守中に、久しぶりに滉兄がちょっと寄ってくれたそうである。
平成16年12月10日(金)
晴れ。
ようやく娘のオタフク風邪が治って、保育園に行ってくれた。正に「行ってくれた」という表現がピッタリである、12月2日以来である、病気であって、病気でないようなもので、体力は十分、飽く事の無いバイタリティーに小生も婆様ももうヘトヘト。
久しぶりに薪割りに精を出す。
平成16年12月9日(木)
晴れ。
夕方、阿蘇坊主殿が「風の便り」のアクセス・カウンター 111,111番の保存画面をプリントして届けてくれる。その日は奇しくも阿蘇移住三周年目の12月2日だった。
夜、正志さんのお宅で寄り合いがあり、公民館の再建について話し合う。
平成16年12月8日(水)
晴れ。12月8日か・・・・・
婆様大阿蘇病院へ定期通院、娘を車に同乗させて、送り迎えをする。
娘のオタフク風邪は、右が終わったと思ったら今度は左が少し腫れてきた。今日聞いた所によると、娘のクラスで発症していない園児はとうとう一人になったそうだ。オタフク風邪自体は大した病気でもないので、日頃忙しい先生方も、変な話だが、ここ数日間は、園児が少なくて少しは負担が減るのではと思ったりする。
ずっと薪割り日和が続いているのに指をくわえて見ていなければならないのはツライものがある。ただ、今回のことを予想していたわけではないが、作ったばかりの薪小屋にタップリと備蓄しておいたのでその点は余裕である。
平成16年12月7日(火)
曇りがち。
娘の子守りの合間を縫って、危機一髪のところでハードディスクの換装が済んだ、バックアップを取っていないので薄氷を踏む思いだったが、どうにか間に合った。最近のディスクは容量が大きいので、そうそう簡単にバックアップは取れないし、屋内の家具などの地震対策と同じで、そのうち、そのうちと思っている間に突然ドカンと来る。
ハードディスクは、結構当たり外れがあって、このディスクはまだ一年くらいしか経っていないと思う、日中は回しっ放しだが、それにしても、少し早すぎる。
他にライブカメラ用に24時間運転のパソコンが2台あるが、そちらのほうは大丈夫なようだ。
今回換装したメインマシンはもう何年も使っていて、相当ロートル(死語?)のオールド・マシンだが、愛着があって、いまだに使っている。
平成16年12月6日(月)
晴れ。今日も一日良い天気だった。
娘の右頬の腫れも殆んど引いてきて、元気そのもの、婆様のストレッチ体操を見て真似ていた。
このまま収まってくれたら良いのだが、片方で終わる場合と、両方腫れる場合とあるそうだ。今日保育園に顔を出したところ、娘のクラスでは、現在のところ、治って出てきた園児も含めて6人だけの出席だそうで、今ピークのようである。
平成16年12月5日(日)
曇り。昨夜は低気圧の通過で強い風と相当量の雨が降った。その名残で今日一日すっきりとしない一日だった。阿蘇山上付近では雪も降ったそうだ。そして全国的にも台風並みの強風が吹き荒れたようで、東京では観測史上最大の風が吹き、おまけにこれまた12月としては記録的な暑さだったらしい。
先日完成したばかりの薪小屋の造りが良いので完璧に雨を防いでくれた。
昼から工芸滝室に顔を出したほか、今日は終日ノンビリと過ごす。
娘は右の頬が腫れているが、見た目ほどは苦痛ではないようだ、この後左が腫れるのだろうか、まだ当分お付き合いか。
平成16年12月4日(土)
ルソン島から直角に右方向に曲がり、沖縄近くで流石に息切れしたとみえて、本土までは辿り着けなかったが、季節はずれの台風・・何号だったろう、その影響で阿蘇も朝から終日冷たい雨が降った。
今朝の折り込み広告で、エンジン発電機が目玉商品として売りに出されることを知って、ホームワイドに開店前から並んで、購入する。今年の台風で何度も停電して、用心のために一台あったほうが良いかと思っていたので、飛びついて買ってしまった。台数限定三台だけの売り出しだったが、他に買う人もなく些か拍子抜け、安い買い物だったが、こういった物は得てして、買ってはみたものの使う機会が無いことが多い。
昨日から(明日まで)「ホッ!と一息 坂梨宿場ギャラリー」が工芸滝室で開かれている。昨日は娘の看病で出られなかったが、今日はカミサンがいるので、開放されて昼から顔を出した。何時もの、顔を見ればホッとする仲間達と夕方までノンビリと過ごす。
ここのところメインマシンのハードディスクの調子がおかしい、時々変な音を出して固まる、急いで換装しようと、取り寄せ中だが、間に合うだろうか、バックアップをとっていないので、薄氷を踏む思いである。
平成16年12月3日(金)
晴れ。
娘のオタフク風邪は本物のようで、昨日より右の頬が腫れている。起き抜けに食べ物を口にした時に、痛がって泣いたが、それを通り過ぎたらもう痛くないようで、それ以降は食べても痛く無さそうだった。一晩唾液の分泌が休止していたところに、突然活動を開始したので痛みを感じたのだろうか。確かに、昼過ぎに昼寝から覚めて食べ物を口にしたときも痛がって泣いたが、それを通過するともう大丈夫のようだった。それ以外は元気そのもの、保育園を休ませるのが勿体無いようだった。
平成16年12月2日(木)
晴れ。
阿蘇移住三周年記念日である、三年前の今日家族でここにやってきた、あれからもう三年か、早いものだ。
娘の通う保育園で今、オタフク風邪(流行性耳下腺炎)が流行っている。そして娘を今朝送ってしばらくしてから園から電話があった、少し頬っぺたが腫れている感じがするとのこと。早引けして古閑医院で診てもらった。腫れているようでもあり、腫れていないようでもある、微妙な症状だそうで、とにかく投薬を受けて様子を見ることになった。オタフク風邪は小さいうちに罹った方がいいそうだ、事実小生は成人してからオタフク風邪と風疹をやったが、それは大変だった。これから数日、また子守り三昧?の日々になる・・・・・
午前中、内牧から甲斐博さん洋子さん夫妻が丹波屋の岩永浩さんと見えた。皆さん祖母系の親戚にあたる。過日、甲斐多聞太家に不幸があり、お悔やみをしたところ、多聞太家の縁戚にあたるとの事で、その答礼に見えたのである、初めてお会いする親戚である、色々話を伺って今まで家系の空白だった部分が今日かなり埋まった。
平成16年12月1日(水)
晴れ、氷点下3度、とりあえずこの冬最低。
田畑や山の樹々が改めてそのような装いをするわけでもなく、都市部のような電飾も慌ただしい喧騒も無い。田舎にじっと埋もれていると、言われてみて、なるほどそうかという程度にしか感じない、今日から、もう「師走」である。今年の冬は暖かい。
本日も黙々と薪割りをする。