平成17乙酉(2005)年1月の記録(新しい日付けの順)
平成17年1月31日(月)
曇り時々横殴りの風雪、寒かった。
今日は予報では雪になりそうだったので、デッキの薪にシートを掛けたりしたが、北日本では大雪になったようだが、ここでは思ったほどは降らなかった、明日がかなり高い確率でここでも大雪になりそうである。
我がルーツを調べるべく、予てより役場に遡れる範囲で先祖の除籍謄本の発行を頼んであったが、準備が出来た旨連絡を頂戴したので、住民課に出かけた。
江戸時代(末期)誕生ながら、先祖の除籍謄本までちゃんと残っており感心する。まだ他町村の所管の分が残っているので、近いうちに出向いて請求をしようと思う。
大体人間甲羅を経てくると、こういったことに興味を持ち出すようである。
平成17年1月30日(日)
うす曇り。
恒例の坂梨校区新春駅伝大会が開催された。そしてこれも恒例の阿蘇アマチュア無線クラブJA6ZCQがアマチュアテレビによる駅伝中継を行った。昨年のこの大会は開催前に降った雪が融けきらずに中止になったが、その後5月にあった古代の里駅伝で中継を手伝ったので小生にとっては今回二度目のテレビ中継となった。
旧坂梨農協前に公開モニターを設置して、中継本部はJA6AJY桐原OM、JH1OZC二子石OM他が、JA6DI山下OMが坂梨小学校前の固定カメラを担当した。そして、移動中継は立ちゃん運転・JG6NKB聡雄OMカメラの迷コンビが当り、小生は古閑の滝の麓の中継地点の固定カメラを担当した。
前夜の怪しい雲行きを吹き払うかのように、朝日に阿蘇の雪渓がキラキラするいい天気になったが、寒さが緩んだ所為で、折角の古閑の滝の凍結が融け出して、沢山の遠来の観光客の車が(カメラの前を通っていったが)、さぞかしガッカリしたことだろう。
坂梨地区の中を、年代別、性別、学年別など14区間に分けてタスキをつないでいくのだが、我が家の先も5番目の中継点になっており、娘も母親に連れられて応援に出たようだ。小生の担当した中継ポイント13区に我が豆札の渡辺房志選手が走り込んできて(出場選手の情報をもっていなかったので)驚いた。
このように、駅伝という、選手や応援の観衆が沢山登場するイベントなのに、カメラ操作が忙しく、この記録用の写真を撮る余裕が無く、一ヶ所に張り付いていると全体の様子も分からず、沿道の応援やモニター前の観衆のようすなど気になるところだが,全くその記録写真も無い奇妙な報告になってしまった。
小生がカメラを設置させていただいた古木陽一さんから、茶菓を用意していただき、冷えた体に暖かい飲み物は有難かった。
大会終了後、中継スタッフは、桐原家に集まって昼食を囲んで、記録映像を見ながら、反省やら久しぶりの顔合わせで積もる話に花を咲かせた。
平成17年1月29日(土)
晴れ後くもり。
午前中は穏やかに晴れ渡り、薄着で屋外で作業をしていても気持が良いほどだったが、昼あたりからだんだん曇り始めて、風も出てき始め、寒くなってきた。どうやら今夜は一雨来そうだ。
今日はチェーンソーの整備と、斧の柄の交換をした。斧(アックスと言うらしい)の柄は、毎シーズン一本交換している勘定になる。今回は、柄の根元に着けるプロテクターという金属をサービスに送ってくれた。
先日、二日ほど根を詰めて薪割をしてから、腰が痛くて痛くてたまらない(と言うほどではないが、なかなか治らない、腰痛の持病は無いので、時間が来れば回復すると思うが寄る年波か、回復が遅い)。
平成17年1月28日(金)
穏やかに晴れる。
明後日の日曜日に坂梨校区新春駅伝大会がある、我が家の前もコースになっている、その様子をアマチュアテレビ中継をする、今日はそのリハーサルで山下OM、桐原OMと送信テストをした、問題は天候だ、昨年は雪の影響で中止になった、週末の天気が気懸りである。
平成17年1月27日(木)
曇り。
自適。
平成17年1月26日(水)
曇り。
木材の搬入は、今日でとりあえず第一段階を終わる。
もうフキノトウが出ているよと今朝春さんが教えてくれたので、我が家の裏の田に行ってみると、確かにフキノトウだ、そこここに顔を出している。一番寒い時期にもう春の準備なのだ、忘れずに季節が巡って来る不思議さに、いつもながら驚く。
平成17年1月25日(火)
予報では雨か雪だと言っていたが、雨になった、寒さが少し緩んだのだ。
先日作った公民館再建用の材木置き場に今日から製材した木材の搬入が始まった。
朝早くから小国の製材所に何台かのトラックで引き取りに出かけたが、小生は娘の登園の世話などがあり、出かけられないので、材木を積んで戻ってくる車をここで迎えて、ハウスの中に積み上げていく方を担当した。
一日に二回搬入したが、二回目は夕方になってしまい、娘の迎えにぶつかってしまったので、途中で抜けさせてもらった。まだ二三日はこの作業が続く。
平成17年1月24日(月)
くもり。
昨日の雪が殆んど残っていることを良い事に、本日は静養日とする。
平成17年1月23日(日)
雪。予報どおりの昨夜来の雪が朝には大分積もっていたが、寒さが厳しくなかったのでベタ雪だった。我が家の前の道路にも除雪車が来ていた。
二日間、肉体労働をしたので丁度良い骨休みができた、材木が濡れてこの先数日間は薪割が出来ないだろう。
本日の娘。
平成17年1月22日(土)
晴れ、夜に入って雨になる、予報では雪だそうだが、明日の朝の景色はどうなっているだろう。
今日は母親が居るので、娘のことは全く気にせずに、一日中薪割に専念することだ出来た、おかげでオーバーワーク気味、体の節々が痛む。
平成17年1月21日(金)
晴れ、今朝は氷点下4度近くまで冷え込んだが、日中は風も無く穏やかに晴れ上がった。
少々薪の備蓄が心細くなりつつあるので、久しぶりに日がな一日ノンビリと薪を割って過ごす。
平成17年1月20日(木)
午前中は雪が舞う、風も強く寒かった。
そんな中、村の共同作業があった。先日、村の公民館再建用の木材を山から切り出して、小国の製材所に運んだが、そろそろそれが板になるので、それをまた持ち帰って、暫らく乾燥させる必要があり、その積み置き場を作ったのだ。場所は、我が家の裏手の今朝春さんの休耕地で、ビニールハウスを組み立てたのである。
村の皆さんは、自分の家の仕事でビニールハウスを作るのに手馴れているので、隆一さんのユンボの整地から始まって、地面に穴を穿けてパイプを組んでビニールを張り終わるまでの一連の作業が午後も早いうちに終了した。(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5)
寒い中の作業だったので、終わってカッポ酒を飲もうと、お燗用の竹を切って用意していたので、多分その後で焚き火を囲んで酒盛りになったはずだが、小生は娘の迎えや、家事?が少々あったので、参加せずに帰ってきた。
平成17年1月19日(水)
曇り。
自適。
平成17年1月18日(火)
曇り。
本日は、婆様の89回目の誕生日である、大正五年生れである、慶賀慶賀也。十年近く前の脳梗塞の後遺症で顔面などに麻痺や神経痛があり、万全の体調には程遠く、生きていくのも大変なんだよ、と時々弱音を吐いているが、もう一年すると丁度90年になって区切りがいいので、ひとまずはそこまでノンビリと行って欲しいところだ。婆様に欠けるものは「泰然自若」である、大御所らしくもっとデンと構えていれば良いのだ。
カミサンが朝は尾頭付きの赤飯、夜は腕に縒りをかけた手料理とケーキを用意してくれた、縒りをかけすぎて少々怪しげな料理だったが、ともかくもワインを抜いて乾杯した。
絵具やその他、若干の買い物のため小生、久しぶりに山を降りて市内に出た、ついでに薪材でもあればと佐藤林業に寄ってみたが、生憎と乾燥材は無かった。
平成17年1月17日(月)
くもり。
10日ぶりだろうか、娘の子守りからようやく開放された。
平成17年1月16日(日)
小雪が終日舞っていた。
初寄りが開かれる。初寄りとは、集落ごとにその年の始めに開かれる総会のことである。今年は公民館が使えないので区長の御宅をお借りして開かれた。
区長の再選、会計報告などの事項を審議して、懇親会になった。女性達も多勢集まって華やかな宴席になった、我が家は全員ダウンしているので、小生だけの出席となったが、小生としては久しぶりに痛飲して、途中からひっくり返って不覚にも小一時間ほど眠ってしまった。(写真1・写真2)
本日の婆様と娘、婆様は気息奄奄ながらなんとか踏ん張っている、娘はようやく明日から保育園復帰だ。
平成17年1月15日(土)
曇り
数日前、煙突出口付近の炭化したタールを削ぎ落としたにも拘らず、室内の煙たさがどうも改善されないなあと思っていたところ、昨夜とうとう我慢が出来なくなるほどの煙たさになったので、今日寒い中、ストーブの火を消して、緊急に煙突及びストーブの掃除をした。最近使っている薪材がどうも油分を多く含んでおり、乾燥具合も足りないからだろう、思った以上に煙突内に付着しており、ストーブ本体から煙突に繋がる部分にも山ほどこびり付いており、空気の流通を悪くしていたようで、山ほどのカスを除去して、ようやく本来の燃え方が戻った。
平成17年1月14日(金)
曇り。
娘の体調がまだ万全とは言い難いので、今日も休ませた、今日休めば週末なので、土日とゆっくり回復に充てられる、おかげで小生は全く動けず、もう自棄である。年末年始のゴールデンウイークのツケが回ってきたという訳だ。
平成17年1月13日(木)
晴れ。
娘に引き続き、カミサンも風邪を引いて難渋している、仕事があるので休むわけにいかず熱を押して出勤する。
そのカミサンは今日は職場の新年会、ちょうど宿場會の新年会と重なったので、一方は仕事、方や道楽なので、小生が欠席することにしたが、カミサンの会が早く終わったので、少し遅れたが宿場會の新年会に出席する。
娘の病状は熱はもうあまり無く、咳も収まってきて、明日は保育園に行けるかと思ったら、夕方になって、耳が痛いと言い出して、昨夜も二時間ほど頬が痛いと泣いていたので、古閑医院で診てもらったところ、風邪からも中耳炎になることがあるそうなので、薬を呑ませて様子を見ることにした。
平成17年1月12日(水)
曇りがちの晴れか、陽射しが弱くて風もあり一向に暖かくない。
婆様、大阿蘇病院に定期通院、休園中の娘を乗せて送迎をする、元気だがまだ明日も駄目だろう。
平成17年1月11日(火)
曇り、風強く寒かった。
娘が新年早々、今年初めての医者通いをする。やはり風邪を引いたようで、保育園を休ませて、古閑医院に連れて行く。熱と咳があるが、元気なので心配はしていない。婆様と二人で振り回されて子守りの一日となる。
平成17年1月10日(月)
成人の日。コロコロと日付が変る祭日にどうも馴染めない、やはり旗日は決まった日が良い。
曇り、今朝も氷点下5度くらいまで下がっただろうか、寒い。
寒い中、屋根に登り、煙突のタール落としをする、熱せられた煙が、煙突から出る際に急激に冷やされて、タール状のカスが煙突の出口付近に付着して、煙道を塞ぎ、煙が逆流気味になり、室内が少し煙っぽくなっていた。長い煙突部分には付着しないので、火を焚いたままでも、煙突の出口付近を金属の棒で掻き落とせば良いので作業は直ぐに終わる。
今度はキンカンの砂糖漬けを作る。千葉の義父の家では、都会の住宅地にもかかわらず、気候が温暖なせいだろう、今年はもう3キロ採れたそうだ(写真にはメジロも写っている)が、寒冷地の阿蘇ではキンカンが育ち難い。水俣の滉兄の家から移殖したキンカンは、去年は、低温に付いて行けずに、ハウスもどきに囲いをして養生したにもかかわらず、熟れる寸前に凍って腐ってしまった。今年は暫らく暖かな気候が続いたので、寒くなる前に何とか熟したが、それでもやっと30個ばかり。先日の苺ジャム作りに気を良くして砂糖漬けを作ってみた、なかなかの出来である、食べるのが勿体無いので瓶詰めにしばらく見て楽しむことにする。
娘は相変わらず、婆様にチョッカイを出して喜んでいる。その娘、ちょっと風邪気味で38度くらいの熱がある、元気だが、明日の登園は無理だろうか。
平成17年1月9日(日)
曇り、寒い、冬空が続く。
年始のこの時期は何事も無く静かに時間が過ぎていく、終日道楽のPCいじりをする、あのパソコン、このパソコン、と何台も上手く動かないやつをいじくり回しているとあっという間に一日が終わる。Sound
BLASTERのサウンドカードでOEM版は専用のドライバーがないと動かないのだろうか、CREATEのサイトからドライバーをダウンロードしてもリテイル版用でOEM版では全く動かない(ようだ)。インターネットで検索してアメリカのフリーソフトを探し出して、ようやく音が出た、これだけで二日かかった。
平成17年1月8日(土)
晴れ、冷え込んだ、氷点下5度くらいだったろうか、昼間も寒い一日だった。
カミサンが胃カメラを呑んだ、最近、胃腸の少子が悪い状態が続いており、症状から十二指腸あたりが悪いかもしれないとの事だったので、検査を受けたのである。
結果、早い話が「喰い過ぎ」だったのだろう、少し荒れているが何とも無いそうである、良く食うからねえ。
平成17年1月7日(金)
曇り、七草粥を食べる。
平成17年1月6日(木)
雨のち曇り。
先日ご近所から山ほどの苺を頂戴した。商品としては出せないとのことだったが、立派な苺で、家族で腹いっぱい食べた残りで、今日、小生自らジャムを作った。優に一キロ以上はあったがジャムにしたら、驚くほど目減りした。小生の腕前たるや大したものなのである、娘も喜んで食べていた。
平成17年1月5日(水)
曇り。
先日ミラーリング環境を作ったばかりなのに、メインマシンが突然運転不能に陥り慌てた。どうしても起動しないので、マザーボードから全てのカードを抜いて、勿論RAIDボードも抜いて、最低限の構成で起ち上げたところ、何とか復旧しそうなので、LANカードとRAIDボードのみを入れて、取り急ぎホームページの更新だけを済ませる、原因が分からない、やれやれ。。
平成17年1月4日(火)
曇り。
カミサンも娘も今日から日常活動が始まった。娘は10日以上保育園を離れていたので、登園時、先生に迎えられた時には表情が少し固まっていた。
平成17年1月3日(月)
晴れのち曇り。
穏やかに晴れわたって暖かい一日だったが、夕方近くから曇りだして、風も出てきて少し雨が降り出した。
今日が我が家の元日みたいなもので、家族揃ったところで、阿蘇神社に初詣をした。これで阿蘇に移って四度目の初詣だ、今年も家族が全員元気で写真に収まることが出来た。
午後、哲兄が顔を出してくれた。
平成17年1月2日(日)
晴れ、氷点下8度。10度までは下がらなかったが、さすがに寒さを感じた。
わずか10日あまりであった、小生のゴールデン・ウイークが終わった、夕方の便でカミサンと娘が帰ってきた。おじいちゃんおばあちゃんはホッとすると同時に、寂しいだろう。
しばらく見ない間に驚くほど大人びていた、この頃の年齢は、日に日に成長しているのだろう、小生のことを忘れているかと思ったが、10日程度ではそんなことはなかった、ただ照れでもあるのか、少しの間、距離を置いていた。
平成17年1月1日(土)
西暦2005年、厳しい冷え込みながら、穏やかに新しい年が始まった、朝日が高岳に射し、さすがに厳粛な気持ちになった、今朝はいつものように単に地球が一回転しただけではない、やはり何か特別な朝を感じる。
八時から約一時間、部落の公民館で豆札の皆さんと賀詞交換をしてから、家に帰り、仏壇と神棚にお参りをしてから婆様と元旦の膳に向かった、今年も家族が健康であって欲しい、特に婆様には、ノンビリと頑張らないで、頑張って欲しい。
今年は、カミサンがおせち料理を外に頼んでいったので、改めて家で沢山の料理を作る必要も無く、婆様にとって今までで一番楽は正月だったろう。
ボンにも犬用の肉の缶詰を奮発した。
最近では元旦に店を開ける大手のスーパーが多いが、かねがね、せめて三が日くらい、そんなにまでして商売をする必要も無かろうと思っていた、が、夕方になって、蕎麦ツユが切れていることに気がついて、あわてて近くのスーパーに走ったが、このあたりのスーパーや商店は、昔ながらに当然の如く元日は休みなのである。
阿蘇町のあるスーパーは、確か元日営業とチラシで言っていたことがかすかに頭に残っていたので、少し遠いが車を走らせたところ、やはりやっていた。周囲が薄暗くなった中、店の灯りが見えた時には、元日営業も必要だと身勝手ながら改めて思った次第である、店は結構繁盛していた。
今夜は低温注意報が出ていると防災無線が言っている、氷点下10度くらいになるそうである、水道を出しっ放しにして寝ることにする。