平成17乙酉(2005)年2月の記録(新しい日付けの順)

平成17年2月28日(月)

 晴れ、氷点下4度、ここのところ連日氷点下が続く。

 なんとか寝込まれずに済んだと思って、娘を保育園に出したところ、昼前に園から電話があり、7度5分まで上がったということだったので、昼から早退させた。しかし観察したところでは、これ以上悪くはならないだろうと判断して、医者に連れて行くことはやめて自宅で遊ばせたが、多分大丈夫だろう、明日はまた原隊復帰だ。


平成17年2月27日(日)

 本日も氷点下、穏やかによく晴れる。あれは高岳の麓だから、小堀牧だろうか、もう野焼きが始っまたらしくて煙が上がっていた。阿蘇一帯が一斉に野焼きをするのはもっと先になる。

 本日も娘の子守り、昼前、ホームワイドに買い物に連れ出したところ、睦田さんご夫妻とパッタリ、産山の山荘から下りて買い物とのこと、挨拶してお別れしたところ、午後二時ころだったろうか、突然お二人でお訪ねいただいた。

 娘は最近、尿意・便意を催すと、自分で脱いで、棚から子供用の便座を取り出して、便器の載せて自ら用を足すようになったが、トイレットペーパーに手が届かず、その時だけサポートをしてやっていたが、今日娘用にホルダーを買ってきて、娘の手が届くところに取り付けてやった、自立心を育てるというより、小生が少しでも手を省くための工夫である。

 本日は阿蘇市長選挙の告示日である、3月6日が投票日だそうだ。



平成17年2月26日(土)

 曇り。

 一日子守りをする羽目に・・・、間を縫ってperlとcgiの研究。

 先日(19日)の火事に続いて、本日も昼間火災発生を知らせるサイレンが鳴る。場所は仲町通り商店街、ボヤで済んだようだ。ここには「夫婦火事」と言う言葉があり、一度火事があると、直ぐに続けて火事があるそうで、その通りになった。


平成17年2月25日(金)

 曇り。

 昨日の雨により本日は屋外作業環境整わず、従ってパソコン三昧。

 婆様が、今日はお父さんの99回目の誕生日だとポツリと洩らす。そうか、もうそうなるか、父は68歳で逝ったが、もし生きていたとしたら白寿というわけだ。

 ※独言・・・フーム、自宅サーバーのデータ更新を直接自宅サーバーで行わずに、他のPCからLAN経由でする場合、そのメンテ用のパソコンにFTP転送用のソフトが入っていれば良いと思っていたが、サーバーの方にもFTP用のソフトが入っていないと出来ないんだ。メンテ用のFTPソフトは正確にはFTPクライアントと言い、サーバー側のFTPソフトはFTPサーバーソフトと言うんだねえ、だからホームページ・ビルダーでいくら自宅サーバーに繋ごうとしても繋がらなかったんだ、言われてみればそのとおりだ、納得、納得。

 それから、cgiの知識も仕入れなければならない、RAIDボードの手当てもしなければならない、薪も割らなければならない、まだまだ道遠しだね。



平成17年2月24日(木)

 起きたら雨だった、昼頃から雪混じりになって、一時薄っすらと積もっていたが、夕方にはまた雨になった。

 娘がここ一日二日37℃ちょっと熱があり、青っ洟を垂らしているが、なんとか踏みとどまって元気に保育園に通っている、さてどうなるか。


平成17年2月23日(水)

 晴れ。関東方面は春一番だったようだが、ここは風も無く穏やかだった。

 婆様、大阿蘇病院定期通院日。

 放ったらかしにしてある畑のエシャロットを久しぶりに抜いてみたところ、丁度食べごろのようだったので、晩飯の時に味噌を付けて食った。エシャロットの収穫期は何時だったろうか、少しずれているような気もするが、エシャロットはこの食い方がウマイ。

 今日も楠の処理に挑戦。ようやく4分の1くらいだろうか、切り離しに成功したが、まだまだである。



平成17年2月22日(火)

 晴れ。起床時の外気温は氷点下7℃だった。こんな日は風が無いのでかえって寒さを感じない。日中も気持良く晴れて穏やかな一日だった。

 今日は、去年の台風18号で倒れてそのままになっている楠の根をなんとか掘り起こそうと、表に出ている根を切って、ワイヤーを掛けて四駆で引っ張ったがビクともしない、もう少し周囲を掘って、根を切って再度やってみて、駄目ならご近所に応援を頼むことにする。ここに、この横で同じくこれも半分倒れてたままになっている桜の木を移植してやりたいと思っている。今まで桜が植わっていた場所は少し窮屈で電線にかかるので、もう少し広いところだと良いとかねがね思っていた。この桜は宿場會で植えてもらった桜だ。

 今日鉄男さんの紹介で、桜町のHさんが我が家のストーブを見にみえた。今Hさんも我が家のつくりと同じような家を新築中だそうで、やはりストーブを設置されそうである。


平成17年2月21日(月)

 晴れ、今日もなんとか晴れたが、昨日より冷え込みが厳しく、一度溶けてしまった古閑の滝もまた氷結して遠めにも白くなっていた。


平成17年2月20日(日)

 久しぶりに太陽が顔を出したが、数日間続いた暖かさも今日は一転、薄氷が張り、時折粉雪も舞っていた。

 暫らく暖かい日が続いた所為か、今朝庭先の梅が数輪花をつけていた、これから一気に春が来るのだろう。

 ようやく自宅サーバーの試験設定が出来た。

 本来、ルーターは標準では、内側から外部に向かっては、つまり、自宅のパソコンでインターネットに繋ぐには、何も設定を変える必要が無いが、外部から内側に繋ごうとする場合には、不正侵入防止のために、設定を変えなければ繋がらないようになっている。

 自宅サーバーは自分の家のパソコンをホームページの胴元にして、外部から自宅のパソコンに直接繋いでもらって、ホームページを見てもらおうと言うのだから、正にこの場合にあたり、ルーターの設定を変更することになる。

 この設定変更には幾つかの方法やハードルがあって、ロクに分かりもせずに挑戦しているので、その設定に苦労した。今回、いきなりより複雑な設定変更をしようとして、ルーターが思わぬ反応を示したので、ルーターの提供元に照会して、その解決方法を探したが、提供元も今ひとつ分からないようであった。

 そういうわけで、とりあえず簡単な方で設定変更をして、無事自宅サーバーに繋がるようになったという訳である。

 ドメインもhttp://kazenotayori.ddo.jp/ に決めた。

 自宅サーバー開設にあたっては、このドメイン取得も含めて全てフリーのソフトを使い、一切金を掛けていない、素晴らしいことにこういったことが無料で出来るのである。しばらく試験運用をしてみて、問題が無ければ今有料で借りているプロバイダーのスペースを返上できる。

 これからやることは、現在はプロバイダーでデータのバックアップをしてくれているが、今後自宅サーバーを運営することになったら、自分の責任でバックアップを取る必要があるので、またRAIDボードを入れてミラーリング環境を作る必要がある。


平成17年2月19日(土)

 雨。

 本日は保育園は休みで、都合で終日子守りをすることになったので、娘を精米に連れて行った。

 午後二時半を過ぎた頃だろうか、随分久しぶりになる、突然、防災無線から火災発生を知らせる、サイレンがけたたましく鳴り響いた。普段は受信音量を下げてあるが、火災などの緊急時には自動的に最大音量になるようになっている。そしてあちらこちらの分団の消防車が我が家の前を通っていった。

 放送では、坂梨農協付近だとのことで、あのあたりは、知り合いが多くいるので非常に心配したが、後で分かったところでは、小林五夫さんのお宅だったそうだ。小生は直接的は存じ上げないが、いつも前を通っている家だ。ご家族の皆さんが留守中の事だったそうで、人身に被害は無かったそうであるが、ほぼ全焼だった。

 寺内さんから送ってもらった秋山真之を読み終わった、遠くに来てなかなか機会が作れそうに無いが、また無性に横須賀の「三笠」を見に行きたくなった。昔、新東宝で「明治天皇と日露大戦争」だったか、当時の特殊撮影技術を使った劇映画があったが、黄海海戦や日本海海戦を最新の映像技術を使って映画化すると面白いと思うのだが、我々年寄りの部類に属する者だけの思いだろうか。

平成17年2月18日(金)

 今日も雨、折りしも本日二十四節季の雨水。

 終日パソコンに向かう、自宅サーバー化なかなか難儀をしている、一日なんかあっという間だ。


平成17年2月17日(木)

 曇り、今月は例年に較べて日照時間が半分近くだとか。

 体の具合、概ね復調す、原因不明。

 雨読日和を利用して、ようやく自宅サーバーの実現化に向けて重い腰を上げる。今日はとりあえず、LANの設定で、DHCPの自動設定を手動設定に切り替えて各PCにIPアドレスを割り振る作業をした。

 我が家には一応旗艦にあたるPCの他に、ライブ・カメラ用のPCが2台、カミサンと婆様用のパソコンが各々一台づつ、それから自宅サーバー用に用意したパソコン、それからノートPCが何台か、ヘタをすると10台近くのパソコンがある。

 自慢ではないが全てオールド・マシンやセコハン(この言葉は死語だろう)ばかりである、新型は一台も無い、かろうじてXPが載るパソコンも二台あるが、それも勿論ネット・オークションで入手した1〜20,000円のものばかりである。最近のパソコンはパソコン以上の不要な機能が付き過ぎていて、オーバースペックである、なにもパソコンでテレビを見る必要も無いと思うのだが。


平成17年2月16日(水)

 雨、気温が高く、昨夜の最低気温はここ阿蘇でも10度以上あったらしい。。

 完全休養日、終日布団の中で読書したり、ウトウトしたり。


平成17年2月15日(火)

 終日雨。

 絶好の雨読日和というところだが、朝から頭痛がした、風邪か?


平成17年2月14日(月)

 うす曇り。非常に暖かくシャツ一枚で作業していても汗ばむほどだった。

 本日の作業、薪作り乾燥用薪材置き場の増設、サトイモ堀り

 サトイモは収穫期に掘る暇が無く、放置すると寒さにやられて駄目になると聞いていたが、そのまま放置しておいた。確かに地表部分のイモは凍傷にかかっていて一部駄目だったが、地中の大部分のイモは大丈夫だった。全部掘っておいてもかなり腐るので、この方法は良いかも知れない。これから必要になった分だけ掘れば良い。出来れば少し土を盛って被せておけば尚良い。


平成17年2月13日(日)

 曇り、昨日より風があり寒かった。

 終日ひたすら薪を作る。

 娘が保育園の年長組の縄跳びを見たとみえて、さかんに縄跳びをしたがるので、買い与えたところ、見よう見真似というのか、両腕を振り回してロープを後から前に半回転させて、目の前に落ちたロープの上を跨いで、さも縄跳びをが出来たかのように満足げに何度も繰り返していた。(写真1写真2)

 夜、宿場會二月例会が中虎屋であった。


平成17年2月12日(土)

 終日曇りながら安定した天気で、穏やかで暖かい一日だった。

 カミサンと娘は、庭先に何やら果樹を植えていた、小生は終日薪割をした。

 GMMからQSYしてきたリブレットを薪割り現場に向けてライブカメラの実験をした。カメラ内蔵のコンパクトなPCなので、こういう時に便利である。


平成17年2月11日(金)紀元節

 快晴、雲ひとつ無い文字通りの快晴。いつもだと、このような天気の時には風も無く、穏やかなのだが、今日は風があり冷たかった。阿蘇五岳(根子岳)も反対側(北)にある大分県の九重連山も澄み渡った空気のなか輝いていた。

 今日阿蘇市が誕生した。一の宮町と阿蘇町と波野村が合併して人口30,457人(2000年国勢調査)の小さな市が誕生した。花火の一つでも打ちあがるかと思っていたが、なんとも静かな合併で、普段と全く変らない、気をつけなければ、市になったことすら分からない町の様子である。さっそく一の宮町役場の看板は阿蘇市役所になっていた。警察署も一の宮警察署が阿蘇警察署なっていた。国道の阿蘇町、一の宮町の境界の標識はそのままだった、これは国土交通省の管轄だからだろうか。

 合併とは何時の場合もエゴとエゴのぶつかり合いで、阿蘇市も例外でなく、ここまで漕ぎつけるまでに色々あったようだが、市になった以上は、一日も早く旧境意識は取り払わなければならない。一の宮域は、今まで阿蘇郡一の宮町(例えば)坂梨XXX番地だったが、それが、阿蘇市一の宮町坂梨XXX番地となって、郡を市に置き換えるだけだそうだ。本来、阿蘇市坂梨XXX番地で足りるはずなのに、ここの人間になって日が浅い所為もあるからかもしれないが、実にバカバカしい限りである。小生の知る、ここで生れて育った人たちも同じ考えの人は多い。爾今正式な住所を書かなければならない場合を除いて、一の宮町は書かないことにしようと思っている。

 ついでながら、小生自身は合併や市になることには疑問を持っていた、、農業と観光がメインの土地で今更背伸びして掃いて捨てるほどある「市」なんかにならずに、日本一の村を目指せば良いと思っていた。南郷谷では三村が合併して、町でなく村を名乗るそうだ、素晴らしい選択である。これからは村が希少価値がありカッコ良いのだぞ。

 同じく、今日、矢部町・清和村・蘇陽町が合併して20.333人の山都町(やまとちょう)が誕生した。

(2/11転載不可)
平成17年2月10日(木)

 くもり。

 漠として一日を過ごす。


平成17年2月9日(水)

 曇り、夜になって雨。

 従兄の哲・八重子兄姉夫妻が訪ねてくれる。昨夜は高森のホテルに泊まって、今朝大津に寄って伸兄を乗せてから昼前に着いた。昼食に小生が蕎麦を打って饗した。

 次の予定があるそうで、短時間の滞在で発って行った、今度は是非泊りがけで来て欲しい。

 夕方突然、宿場會メンバーの古木秋秀さんが軽トラックに木材を積んで訪ねてくれた。先日、乾燥材のストックが無くなりつつある旨この欄に書いたのを読んで自宅の古材を届けてくれたのである。少々大袈裟に書いたので、まだそれほど深刻な状態では無いのだが、勿論有難く頂戴した。

 今日の娘(顔にシールを貼っている)


平成17年2月8日(火)

 曇り、今日は気温が高く暖かかった。

 娘と定期通院の婆様を順次送った足で阿蘇町役場に出かけ、祖母の兄弟姉妹について探ろうとしたが、残っている記録では、家督相続をした祖母の長兄(小生の大伯父)の籍に、当時まだ独立していなかった祖母を含む三名の兄弟姉妹の名しか残されておらず、それ以前の前戸主の長兄の父(小生の曽祖父)が戸主であった時代の戸籍はもう現存していなかった。それがあれば兄弟姉妹の名が全員わかったものと思われるが、最早戸籍からの解明は不可能となった。

 あとは、分かっている祖母の兄弟姉妹を祖とする子孫から個別に遡って調べてもらうしか方法は無さそうである。

 午後はPCの前に座って、ちょっとのつもりが結局半日、ハード上の問題解決に時間を費やしてしまった、こんなことをしているとあっという間に時間が経ってしまう。

 娘が初めてお下げを結って(と言うのか、別の呼び方があるのか、頭の後で二つに分けてゴムで結んで)保育園に行った、本人も嬉しそうで、先生方と園の仲間たちの前でシナを作ってちょっとした賑わいとなった、やはり女の子である。


平成17年2月7日(月)

 雨。

 今日は祖母のルーツを訪ねて、阿蘇町役場に出かけて除籍謄本をもらって来た。

 祖母は内牧の出身なので阿蘇町役場になる。今まで何度か役場の前までは行ったことがあるが、用事がなかったので入ったこがなかったが、今日初めて入ってみて、一の宮町の役場とは全く雰囲気が違って驚いた。

 建物自体が古いプレハブ様の平屋の建物で、鉄筋造りの一の宮町のそれとは全然違うのだが、建物の中の様子がこれまた全く違う。

 床が板張りの(だったかどうか実際に確認をしたわけではないが、雰囲気的には間違いなくそんな感じがする)昔の映画に出てくる役場そのままのレトロな雰囲気が残っていて、職員達もテキパキと立ち働いていているのだが、自ずとそんな雰囲気にあった登場人物たちといった風情がある。採光の関係か、陰影が醸し出す空気がこれが役場だあ、という感じがして小生には好きな所だった。

 手狭になって書類が幾重にも重なって積んであったり、僅かな余地にこれでもかと備品什器類が詰め込まれている。この役場もあと数日で、一の宮町、波野村と合併して阿蘇市になり、本庁舎が今の一の宮町役場に引っ越してくる。今の阿蘇町役場も支所として残るようであるが、大分その雰囲気も変っていくのだろう。

 肝心の祖母のルーツについては、知らなかったことがわかると同時に、また新たな不明点が見つかった。昔の家督相続という「家」を単位にした戸籍と現在の夫婦を基準にした戸籍とでは編成方法が違うので、どうも一度では分からない。もう一度出かけてみる必要がありそうである。

 家庭によっては、現に曽祖父母と同居しているくらい近い親等なのに、小生にとっては遥か昔の歴史の彼方に埋もれてしまった曽祖父母である。



平成17年2月6日(日)

 晴れ

 会所がある赤星さんの所の樫の幹の一部が、昨年8/30の台風16号で倒れ、更に直ぐその後の9/7に来た超大型台風18号で残っていた幹全部倒れてしまっていた、薪にして良いよとのことだったが、あれ以来時間が無くてそのままになっていたが、いよいよ薪材が残り少なくなってきたので、今日午前中軽トラックにチェンソーを積んで取りに行ってきた。太い幹が沢山あって今日は軽トラック一台分だけを切って持ち帰った。午後はその幹を斧で割ったり、その他ストックの薪材を切った終日薪つくりをした。明日からまた天気が悪くなりそうである。

 娘はカミサンと雛人形の飾り付けをしていた。(写真1写真2


平成17年2月5日(土)

 今日はかなり高い確率で晴れることになっていたが、どうも今ひとつハッキリしない天気だった。

 午後から半日掛けて、枝ばかり積んであった山を電動チェーンソーで切断して薪を作った。余裕があればあまり見向きをしない薪材だが、最近の天候で乾いているものはこの山だけだからだ。


平成17年2月4日(金)立春

 春は名のみ、晴れもせず、さりとて降りもせず、雪も完全には融け去らず、従って屋外作業は出来ず、というわけで屋内で道楽三昧の一日を過ごす。

 いよいよ薪が心細くなってきた、乾燥材が乏しく、野積みしてある薪も連日の雪でなかなか乾燥せず、備蓄が底を尽きはじめた。最悪の場合は石油ストーブを買うという不名誉なことになるかも知れない。


平成17年2月3日(木)節分

 雪のち晴れ。

 降り続いた雪も今朝になってようやく止んで、晴れ間が見えだして、夕方には美しい夕焼けが見られた、飛行機雲が夕日に光っていた。

 娘が保育園で作っ(てもらっ)た鬼の面を持って帰ってきたので、夜、豆まきをした。当初は「お父さんが鬼になって。なちゅ子が豆をまくの」と言っていたが、いざとなると、一人二役ということになった。(写真1写真2



平成17年2月2日(水)

 大雪続く。北日本では記録的な大雪だったようだ。

 阿蘇も昨日から降り続いた雪で、相当な積雪量となった。昨日と違って風は強くなく、寒さはそれほど感じなかった。夕方には表通りの雪は殆んど消えたが、我が家の周囲はまだまだ雪の中だ。

 今日の娘(何かにぶつけて鼻血が出たようで紙を詰めて帰ってきた)。


平成17年2月1日(火)

 雪。日本国中、北から南まで日本海側を中心に近年稀に見る大雪となった。

 ここも昨夜から強い風を伴った雪に見舞われた。風が強かった分、雪が飛ばされて積雪量はそれほどでもなかったが、それでも吹き溜まりはかなりの量になっていた。国道も終日ノロノロ運転だった。この雪は明日まで続くそうである。