平成17乙酉(2005)年3月の記録(新しい日付けの順)

平成17年3月27日(日)

 曇り、昼前から雨。

 小生が住まいする豆札集落に日蓮宗の一宗派である日本山妙法寺(正式には日本山妙法寺大僧伽(だいさんが)と言うらしい)という花が綺麗な寺がある。

 この村出身の藤井日達上人誕生の寺である。大正時代に、上人が立正安国の祈念を修し、非暴力、平和主義を標榜してこの宗派を起こした。日本国内は及ばず海外にも多くの仏舎利塔を建立している。国内にある多くの仏舎利塔が日達上人が建立したものだそうだ。

 その上人の墓所が、今の境内にある場所から、ご本人の生前からの希望でもあったようで、仙酔峡の仏舎利塔が良く見える場所に移されることになり、小雨降るなか今日その地鎮祭が執り行われた。

 写真で見ると、右奥が今の墓所で、左の方、仏旗、吹流しが翻っているあたりが新しい墓所になる、因みに我が家の墓地は新しい墓所がある山肌の頂上にある(日達さんは昭和32年だったか、まだご存命で、小生の祖母の葬儀の時に一緒に山に登って読経をしてくださったのを覚えている)、そして我が家は(この卯の鼻の)丁度真裏あたりになる、そういう位置関係なる。

 一方、この日、キリスト教の世界では、イースターだそうだ、先日従兄の哲兄が娘のために持って来てくれて、今日まで我慢していたイースターエッグ(の形をしたお菓子)を、娘が開けて喜んでいた。

 午後、従兄の滉兄が30万キロ走ってお役御免となった車と交替に昨日入ったばかりだという新車に乗って大津所用の帰りに立ち寄ってくれる、母の体調をいつも気遣って、適切なアドバイスをくれる。


平成17年3月26日(土)

 曇り。

 娘の保育園の卒園式があった、娘も在園児(という言葉があるかどうか知らないが)として出席。娘は新年度もう一年間今の三歳未満児のクラスでお世話になる。

 終日薪割りと杉の皮の焼却をする。


平成17年3月25日(金)

 晴れ、気温低し。

 JR豊肥線の熊本〜宮地駅間を毎年春から秋にかけて、"SLあそBOY"が定期運行される。
今日は今年の運行初日にあたるそうで、午後1時過ぎに下り便が宮地駅に入ってきた。

 その歓迎のためにカミサンの職場からも職員が出て、乗客や乗務員に花束を贈った。
写真1写真2写真3写真4写真5

 本日が運行初日だということがどれだけ知られていたのだろう、何事につけても阿蘇はPRが下手だと思うのは小生だけだろうか。


平成17年3月24日(木)

 雨のち雪のち晴れ、冬に逆戻りしたような寒い一日となった。

 阿蘇の山に時期遅れの雪が降った、先日の野焼きで背の高い草が焼き払われたため一層雪の白さが際立って見えた。

 中島コハルさんの葬儀が午後1時より内牧の満徳寺で深い悲しみの中執り行われ小生も参列した。今日は強い風と雨がやがて霙、そして雪、一時雹までが降り、強く印象に残る葬儀となった。


平成17年3月23日(水)

 降り続いた雨が午後になってようやく止んで夕方には日も射しはじめた。

 母、大阿蘇病院へ定期通院、その留守中に従兄の哲兄がノートパソコンを担いで訪れ、若干の指南をする。

 帰る途中、わざわざ大阿蘇病院に寄ってくれて待合室の母に顔を見せてくれた、一回一回の訪問が、今生の別れの覚悟、御互いがもうそんな歳なのである。

 中島純一さん、藤井美雪さんの母上が、昨朝突然亡くなられた、前日までお元気だったとのこと、さぞかし悔いの残るお別れだったろうと、お慰めする言葉も無い。

 今夕、通夜が成川のご自宅でしめやかに執り行われ、謹んでお悔やみに伺う、合掌。


平成17年3月22日(火)

 終日雨。

 雨の中、カミサンに替わってお大師さんを公民館から元の場所にお帰えしする。

 終日パソコンに向かう、自宅サーバー用のPCのフラットIDEケーブルが筐体が小さいので取り回しが出来ず、バラック状態で使っていたが、ネットで買ったスマートなIDEケーブルが届いたので、なんとかHD2台を押し込むことが出来て格好がついた。

 本日の娘
平成17年3月21日(月)振替休日

 穏やかに晴れる。

 今日はお大師さん、村の道路の端に安置されてあるお大師さんを一日だけ公民館にお移ししてお祀りをする。そして都合のついた人から随時お参りをして食事をいただく(写真1写真2)、村にそういう風習がある。

 我が家が今回はそのお大師さんの座元で、座前の皆さん(写真撮影の時にアキさんが生憎席を立っていて写す事が出来なかった)と一緒に(写真1写真2)約40名分くらいだろうか、御赤飯などの食事を用意した。座元といっても何も知らないので、皆さんにほとんどおんぶに抱っこ、助けていただいて一日務めた。大人数なので二三日前から仕込みにかかるなど準備が大変だったろうと想像する。

 そういう訳で今日は小生が娘を精米に連れて行ったり、婆様が子守りをしたりと、我々二人で銃後の守り、一日娘の面倒をみた。


平成17年3月20日(日)

 曇り、春季皇霊祭、国旗掲揚。

 予報ではもっとすっきりと晴れるはずであったが、朝から少し小雨が降るような肌寒い日になった、今日は一週間遅れの阿蘇山麓・北外輪山一帯の野焼きの日である。小生、今年も馬場豆札牧野の野焼きに参加した。

 野焼きの詳細については、毎年同じことなので、記述については手を抜く。ただ、野焼きの最中に、牧野の大地が大きく揺れたので、我が家に電話をして確認したところ、福岡地方で大きな地震があったとのことだった。後から分かったことだが、震度6くらいの九州北部では極めて稀な大地震だったそうだ、ここ阿蘇は震度3〜4程度だったろうか。 
野焼き連続写真

 実は今日は、隣家の藤井渡邸の新築工事の上棟式が予定されていて、夕方の餅撒きに間に合わせるべく急ピッチでクレーン作業が行われていた時で、大きく揺れてこんな経験は初めてで驚いたと今田棟梁が笑っていた。(写真1写真2写真3

 その上棟式の餅撒きは夕方6時頃から、執り行われて、棟上を祝って餅やお菓子やオヒネリが景気良くばら撒かれて、子供たちだけでなく、大人たちも皆、嬉々として拾い集めていた。(写真1写真2写真3写真4写真5写真6

 明日は、村の行事の「お大師さん」があり、普段安置されている場所から一日だけ村の公民館にお移りいただくため、我が家に持ち帰って綺麗に洗い清めた。

 実は今回は我が家が初めての座元になっており、カミサンが村の人約40人分の食事を作ることになっている。勿論一人で作るのではなく、座元を中心にして、数名の座前からなる1チームで作るわけであるが、カミサンは全く経験がないので、実質形だけの座元で、座前の皆さんから助けていただいて、数日前から材料の仕込などにあたっていた。このお大師さんでは、男の仕事は特に無い。


平成17年3月19日(土)

 晴れ、今日は文句無しに暖かかった、水仙が咲き出した、ここは水仙が多い、路地のあちこち水仙だらけだ。そんななか、豆札の子供たち五人衆も久しぶりに揃って隣の村へ散歩に出かけた。

 小生はTシャツ一枚になって薪割りに汗を流した。

 この暖かさに誘われてか、今年初めてのウグイスの声を聞いた。昨年の初音はどうだったかなと、調べてみたら、昨年はもう2月18日に聞いている、今年は随分遅い、たかなの育ちも全般的に遅れているそうだから、あながち聞き漏らしたわけでもないだろう。

夕方、久しぶりに、従兄の滉兄が所用のついでに顔を見せる。


平成17年3月18日(金)

 晴れ、風まだ少し寒し。

 本日は村の宗教行事、と言うより習俗になっている鞍嶽さんの日、牛馬を祀る日である。村で牛馬を飼う家はもう二軒のみになったが、昔からのしきたりどおり、今年も粛々と執り行われた。(写真1写真2

 村はずれの山の中腹に鞍嶽さん(馬頭観音)が祀ってあって、そこにその二軒の畜産農家が代表して供物を持っていってお参りをする。小生も初めてお供をした。そこへの道は、昔はそのまま外輪山上の牧野まで続いていて、牛を引いて登ったそうである、その道は今はもう使われなくなって樹林に埋もれてしまっていた。

 また、大正時代からの座元と行事の掛かりを記録した帳面が残っていて、祖父の名前も見つかった。それより古い記録はもう残っていないようである。

 もうここに来て4回目の鞍岳さんになる、毎年同じようなことを書いているので手を抜くことにするが、子供たちの成長ぶりが、過去の写真を見てみると良く分かる。平成15年の写真平成16年の写真、そして今年の写真1.写真2.写真3

 先日、台風で倒れたままになっていた宿場會で植樹した桜の引き起こしをしたが、古閑に植えた一本が根から腐っており引き起こしが無理だということがわかったので、今日チェーンソーを持って行って短く切って持ち帰った。薪にするには少々物足りないが、せっかく宿場會で植えた木だ、小生が薪にして引導を渡してやることにした。



平成17年3月17日(木)

 熊本県下に春一番が吹いた、まるで台風並みで、我が家がミシミシ揺れた。昨年の台風の恐怖心が残っていて、なんとも落ち着かなかったが、その風も夕方には止んだ。

 今日は屋外作業が出来ないので、我がルーツを辿るべく遠縁の家を訪ねるつもりだったが、余りにも風雨が強いので、自宅サーバーの環境整備に一日を費やした。

 ようやくRAIDボードを組み込んでミラーリング環境が整った。もうしばらく試運転をしてみることにする。(写真1写真2)

(古田島さんからのメールの抜粋・・写真掲載の了解はとったが、メール転載の許可までとっていないが大丈夫だろう)

「・・・去る二月二十二日が先生の一周忌でした。欅グループの会員のうちで近場の仲間に声をかけて二十七日に青山墓地へ行きました。そのあと麻布十番や泉岳寺経由で三田の宝生院(虚空の小山さんのお寺)まで散策しました。当日は、矢恵子さんと、はとこの吉田さん夫妻も参加して、小春日和のなか和気藹々の散歩でした。最後は宝生院で関合先生の100号の力作「涅槃図」を拝見して解散しました。・・・」(写真1写真2)


平成17年3月16日(水)

 今日は4月下旬の馬鹿陽気だった、今までの寒さがウソのようにTシャツ一枚で居ても平気だった。

 今日も薪を割ったが、どうにか今年は間に合いそうな感じがしてきた。

 13日に阿蘇神社火振り神事があった。ウッカリして忘れてしまった。ほとんどPRをしないので、よっぽど注意をしていないと忘れてしまう、地元に居てこの調子だ。

 近年、阿蘇の観光が落ち込んでいると聞くが、この火振り神事は見ごたえのあるイベントだと思う。その他にも阿蘇神社の農耕祭事にはたくさんの素晴らしい行事がある、神聖な宗教行事を軽軽に宣伝など出来ないというのか、防災無線でもっと積極的に開催を流せば良いものを、政教分離で町の放送を使うのは憚られるのか?阿蘇には他にもたくさんの素晴らしい観光資源があるが宝の持ち腐れだ、何とも・・・


平成17年3月15日(火)

 曇り、時々霧雨。予報では穏やかな天気になるはずであった。

 娘、元気に保育園に行く。

 霧雨の中、ほぼ終日薪を割る。

 娘近況、アカンベー(だそうだ)


平成17年3月14日(月)

 薄曇り、寒波が抜けて、ようやく今日は暖かくなった。

 娘が昨夜から時々「お腹が痛い」と言って眠りが浅く、何度か起こされた。今朝も37度近くあったので、用心のために保育園を休ませて様子を見たが、今日は一日元気で、結果的に休ませることは無かった。おかげで今日一日子守りで明け暮れた。


平成17年3月13日(日)

 小雪が舞う、寒い、曇りの一日だった。

 今日予定されていた阿蘇山麓・北外輪山一帯の野焼きが天候不順により一週間延期された。ここに来ての寒波襲来で雪が舞い、野焼きには無理なコンディションになったので、今朝の防災無線を通じて延期の知らせが入った。

 今日は、それとは別に宿場會3月例会の日でもあった。野焼きに参加するので欠席のつもりでいたのが、野焼き延期のおかげで参加できることになった。

 今日の例会の前に、午前十時から、小雪が吹き荒ぶなかで、昨年の台風で倒れた桜などの木起こ作業をした。国道沿い、滝室坂、古閑など全部で5〜6ヶ所くらいだったろうか、ロープをかけて車や人力で引き起こしては竹で添え木をした。(写真1写真2

 我が家の桜の木も同じ台風で倒れたままになっていて、心つもりでは、楠の根の処理が終わったら、その跡に桜の木を移植しようと思っていたが、楠の処理が遅れそうで、へたをすると桜の花が咲き出すので、とりあえず今回は同じ場所に引き起こすことにして、皆さんにお願いした。

 今回の作業で「てんぐす病」という桜の木の病気があることを知った。枝の一部から小さな枝が箒のように沢山出る病気で、花が咲かずに葉だけが生い茂るそうである。ヤマザクラなどには発症しないようであるが、ソメイヨシノなど罹るらしい、今回、引き起こしの際にそれらの枝を切り落とした。

 今月の宿場會例会は正午から、いつもとは別の所で開催された。それは宿場會の会員でもある古木秋秀さんの「なごみ野」である。

 壮大な道楽といおうか、はたまた将来の生活設計といおうか、ご自身の土地に公園を作って、それだけでは足りずに、そこに堂々古民家風の家まで建てて「なごみ野」と号して、地域の人に利用してもらったり、ちょっとした食べ物屋をやろうというのである。

 その「なごみ野」が完成したばかりで、使い初めというか、今回我々の宿場會の例会に使わせていただいたのである。その上に、夫人やお嬢さん(それにお孫さんまで)家族総出で、だご汁と炊き込み御飯など沢山のご馳走まで御用意いただいた。

 このだご汁は古木家ご自慢のだご汁だそうで、将来の「なごみ野」のメニューの重要な位置を占めることになるそうだ、ご自慢だけのことはあって、美味しいだご汁だった。

 そのうえ、古民家から移設した木材で作った落ち着いた室内からは阿蘇山が目の前に見えて、この遠大なる計画は大いに期待できそうな雰囲気であった。万一、計画どおりに行かなくても、我々が蕎麦屋をそこでやるから心配無用と変なエールを送って「なごみ野」竣工を祝った、とにかく成功を祈るばかりである。


平成17年3月12日(土)

 曇り。

 予報では今夜あたり雪になるそうだが、明日の野焼きの実施について延期の放送が無いのでやるのだろうか、明日はかなり寒くなりそうだが。

 寺さんとskypeを使ってみる、これは面白くて便利である。


平成17年3月11日(金)

 曇り一時小雨。

 終日パソコンの前に座る、自宅サーバーの環境整備、難渋する。


 「逮夜」と言う言葉、「たいや」と読む、寡聞にして小生は初めて聞く言葉だったが、村の人にはごく当たり前の言葉だそうだ。先日の葬儀の続きのセレモニーだそうだ。

 小生は電話で節子さんから「明日大安だから、午後3時から御参りしてください」といった趣旨のお誘いを受けた。「はあ?大安ですか?」「ハイそうです」、何度も聞き返すのもなんだと思って、合点がいかないまま電話を切った。

 先方はまさか小生がタイアンと発音しているとは思っておらず、あくまでタイヤだと思っているので、タイアンですか?はいタイヤです、となったのである。念のために近所の今朝春さんに電話で確認すると、彼も当然タイヤだと思っているので、「タイアン?」「そうタイヤ」と同じ遣り取りに終わって、そういうものかと納得せざるを得なかった。

 後で分かったことだが、(広辞苑にある意味とは少し違うようだが、)初七日の前日になるのだろうか、葬儀の手伝いに出た村の女性達に答礼の意味で施主が食事にご招待する慣わしがあるのである。

 カミサンは職場で地域の風習について知る機会が多いせいか、「逮夜」を知っていて、職場を抜けて参加して、また職場に戻っていった。

 葬儀に関するシキタリについてはもともと疎い小生だから、案外知らないのは小生だけだったのかもしれない。

 また寒波がやってきている、丁度野焼きの日は雪になりそうで、どうも延期臭い感じがする。

  (追記)逮夜とは、七日毎の儀式を指すようである。初七日、ふた七日、み七日をそれぞれ、逮夜、ふたたいや、みたいやと、四十九日(七逮夜)まであるようである。
平成17年3月10日(木)

 朝のうち小雨、のち晴れる。

 予報では、雨だったので、午前中、自宅サーバーの環境整備をしていたが、どうも天気が良くなって、パソコンいじりをするのに罪悪感を覚え、昼から切り株の処理を少しして、それからイチゴジャムを作った。

 前回のジャムつくりに味をしめて、またジャムにするようなイチゴがあったらください、と図々しくも和子さんにお願いしておいたところ、今日また届けてくださったのだ、いやあ恐縮、恐縮。

 今回も上手く出来たと思う、勿体無くて家の女どもには食べさせられない、暫らくはビンに詰めて眺めるだけだ。考えてみたら、我が家は小生以外は皆女どもだ。


平成17年3月9日(水)

 穏やかに晴れる、今日も一日暖かった。今度の日曜日は阿蘇で一斉に野焼きが行われるので、もう少し晴天が続いて欲しいところだ。

 小生も馬場豆札牧場の野焼きに参加するが、雨などで草原が濡れていると燃えが悪いから下手をすると日延べになる。

 小生は杉の枝で作った火消し棒を持って飛び火を消して走り回る役であるが、そのようにあまり必死で走り回る事態も起こらないだろう。まあ一日ノンビリ弁当を持って皆について広い高原を歩き回れば良いのだ、これは阿蘇に住んで最高の贅沢の一つである。


 婆様は午前中、定期通院で大阿蘇病院に行く。

 小生は午後から久しぶりに切り株の処理の続きに取り掛かったが、なかなか一筋縄では行きそうもない、それでも徐々に姿が小さくなりつつある。


平成17年3月8日(火)

 晴れ、一気に春を感じさせる暖かな一日だった。

 今日は藤井家の葬儀、告別式が午後1時から、しめやかに執り行われ、今日も夫婦でお手伝いに伺った。

 葬儀の方法など、地域によってかなり違いがあることを今回知ったが、目覚まし、香典のほかに、御斎(オトキ〜仏事の参会者に出す食事)についても、今まで知っている形と大きく違う。

 今まで知っている御斎は、主に通夜の際に参列者に対して出され、告別式当日は極めて儀礼的に短時間で終わる。参列者の数についても、どちらかと言えば通夜の時の方が圧倒的に多く、告別式のほうが少ないが、ここでは、通夜よりも告別式の方に重きが置かれ、告別式の参列者に対して隣家などに席を設けて、参列者に対してもお膳が出される。

 煮炊きを担当する村の女性達は100人とか200人とかの単位でその参列者に出される御斎のお膳を作るのである、長い間の風習とは言いながらなかなか大変な作業ではある。昔はどこでもそうであったのであろうが、特に都市部では何時の頃かそういった風習も廃れ、今ではここのような地方にだけ残る慣わしになったのだろう。

 野焼きや山仕事といった腕力の必要な仕事は男の役回りであるが、今日のような細やかな心配りの必要な行事には、やはり女性の守備範囲になるのだろう、それにしても、こういった裏方の仕事は、男共よりも女性陣が大変である、心からお疲れ様でしたと言いたい。

 夕方、先日建てた電柱の支線張り工事があった。
平成17年3月7日(月)

 晴れ。二三日前に水仙だろうか(クロッカスだろうか、我ながら余りにも知らなさ過ぎる)、寒さの中にも春が確実に近づいている、庭先の花が開き始めていた。

 藤井家の通夜の準備に夫婦で参加する。女性は部落の女性の皆さんと会葬者などの料理の煮炊きを受け持ち、男性軍は葬儀に関する色々な役割を分担した。

 昔から代々引き継がれた葬儀に関する資料があって、それを参考にして皆の役割が決められた、小生は渡さんと一緒に、料理の材料などの買出しを担当した。

 葬儀に関しても小生が関東地方で知っているものとはかなりの部分で違っている、特に、こちらでは、御通夜の際に「目覚まし」というものを持って伺う。これは香典とは違う。こちらでは、香典はあくまで告別式の時に持参するもので、「目覚まし」は通夜の時に持参するもののようである。

 ただ、通夜の時に都合で告別式に参列できない人は香典も持参する。従って通夜の受付には、香典の受付と目覚ましの受付が別々に設けられる。

 目覚ましは、香典と同じように金員を包んだり、あるいは御酒を持参したりするようである。

 小生は、目覚ましの意味が分からなかったが、どうも、亡くなった人に、どうぞもう一度目を覚ましてください、という願いが込められたもののようである。

 地域によって風習というのは違うものだと改めて感じた次第である。


平成17年3月6日(日)

 晴れ、雪は大したこと無かったが今朝も冷え込んだ。そして久しぶりに阿蘇山塊が朝日に輝いていた。

 本日阿蘇市長選挙、仕事のあるカミサンが独りで先行して投票に行った後で、娘を連れて婆様と馬場公民館に投票に行く。

 「阿蘇市」の初代市長に佐藤義興氏決まる。

 部落の藤井鉄男さんの母上が亡くなられた、84歳だった由。長い間病院に入っておいでだったそうで、お会いする機会は無かった。夜8時に病院からお帰りになった際に部落の皆で謹んでお迎えした・・・合掌。


平成17年3月5日(土)

 小雪が舞う寒い一日だった。夕方になって本格的な雪の気配がしてきた。今晩は阿蘇の火祭りで、往生岳で火文字焼きがあるが、このぶんだと我が家からは見えないし、多分近くでも見えないのではないだろうか、昨年も悪天候に見舞われた。

 午前中、保育参観日、母親が出席する。

 娘の近況(記事ネタが無い時の穴埋め用)。
 写真1 床体操のつもりらしい。
 写真2 「さあ犬の散歩」ポーズ。これには少し説明を要する。以前小生が寒い中、犬の散歩をさせるにあたって、自らを奮い立たせるために、片足をテーブル(だったか)に足をのせて、腕組みをして、さあ犬の散歩にでも行くかと独り言ちていた姿を見て、この格好は「さあ犬の散歩だ」というポーズだと思い込んでいるふしがある。


平成17年3月4日(金)

 曇り時々晴れ、相変わらず寒い、阿蘇五岳が真冬の山に戻って真っ白になっている。

 農協からジャガイモの種芋が入ったという連絡があったので、受け取りに行った。男爵とメイクインそれぞれ5キロずつ。
 今年はもうジャガイモを作るのをやめようかと思っている、仮に作るとしても、ほんの少しだけにする、きつい思いをして作っても、大部分食われないで腐ってしまうから作る張り合いが無い。食べたい分だけ買ってくるほうがトータルコストは安いと思う。

 午前中、阿蘇税務署に確定申告に行く。年金受給者で僅かな所得しかないが、源泉徴収されているので、還付となる。

 九電(九電工か)が敷地内に電柱を立てにきた。道路沿いの電柱の支持線が昨年の台風で切れて傾いたので、今度は電柱を立ててそれに支持線を張ることにしたのである。
 穴を掘る機械とクレーンがあると、あっという間に立ってしまう、これがあればアンテナ用のコン(クリート)柱も簡単に立てる事が出来る。(写真1写真2

 デジタルカメラが壊れた、今度壊れたカメラは、少し前に壊れたカメラの代替品で、カミサンが使っていたものだが、今日少し高いところから誤って落としてしまった、ケースに入っていたし、板張りの上だから大丈夫だと思ったが、ウンともスンとも言わなくなってしまった。打ち所が悪かったのだろう。「風の便り」には必需品で、そろそろ新しいカメラを買おうかと思っていた頃なのでタイミング的には悪くは無いが、あまり突然なので慌てる、止むを得ず携帯電話のカメラ機能を使って日々の記録を撮るしかない。

 壊れたカメラ二台を記念に撮っておこう思って、今日壊れたカメラを以前壊れたカメラの横に置こうとして、少し乱暴に置いたところ、ジーと言って突然レンズ部が動き出してなんと回復した。これで暫らく大丈夫かも知れない、昔のラジオじゃないんだから叩けば直るというものでもあるまいに。


平成17年3月3日(木)

 朝のうちは、それほど寒くも無く、細かい雨が降っており、いかにも春を予感させる雨かと思っていたら、どっこい昼から雪に変って寒くなった。

 本日ひな祭り、母親が仕事で遅かったので、お婆ちゃんが作った五目寿司と小生が買って来た桜餅でささやかに祝う。(写真)

平成17年3月2日(水)

 曇り、朝氷点下5度くらいあったか、昼間は穏やかだった。

 娘が元気に保育園に行った、行ってくれた、ヤレヤレ。小生自身寝込むほどではないが風邪を引いてシンドイのだ。なんと言っても、小生が娘と顔を突き合わせている時間が一番多いので自然と風邪のウイルスが引っ越してくる。

 屋根に登って、煙突の出口の付着物のタールを落として、あわせてストーブの掃除もした、1シーズンに2〜3回は掃除をしないといけないようだ。

 昨日ホームページの更新をしようと思ってFTP転送をかけたがエラーが出た。?と思って調べてみると、もうレンタルサーバーのHDが満杯になっていた。やむを得ずまた借り増して全部で150MBにしたが、早いところ自宅サーバーに移さないと破産してしまう。


平成17年3月1日(火)

 晴れ、本日もまた氷点下4度くらいあったろうか。

 結局本日、娘は保育園を休ませた。やってやれない様子ではなかったが、いまひとつ好調とは言い難い感じがしたので、保育園の周辺にもそろそろインフレエンザの声も聞こえてきていることもあり、いまのうちに完全に治しておいた方がいいと判断した、おかげで一日子守りだった。でも以前と較べて一人遊びが少しずつ出来るようになってきているので少しは楽であった(かな)。

 茅ヶ崎時代のハムクラブの新年会の写真が広永OMから届いた、2/27に浜膳で集まったそうだ、懐かしい顔ぶれだが、皆さん歳をとったなあ(自分のことは棚に上げているのである)。