平成20戊子(2008)年9月の記録(新しい日付けの順)
平成20年9月30日(火)
雨。雨量はそんなに多くないと思うが、終日間断なく降り続いていた、それに肌寒い、急に秋が深まった感じがする。
台風15号が九州南部を目指して進んでいて、明日午前中、鹿児島あたりをかすめるか、上陸するか微妙なところである、でもここには来ない、と思って何も対策を取っていないが、やはり何かする必要があるだろうか、朝になってからでも遅くはないと思うが。
娘を保育園に送った足で、パジェロを車検に出すために大津まで持って行った。そして代車に乗って戻ってきた。今回の代車はこれである。先方はパジェロと同じ程度の大きさの車を代車にと考えてくれたようだが、「軽」で良いですよ、と言ってあったのだ。実は前々からこの車に乗ってみたいと思っていたので軽をリクエストしたらこのモデルかなと期待していたら、狙いどおりこの車が用意してあった、唯、またまたほぼ新車だ、古いやつのほうが気兼ねなくて良いのだが。。
ついでながら、このナンバー見覚えのあるナンバーだ、この車を入れてこの近くに同じナンバーの車が三台はある。
1/14の「どんどや」と、4/13の「お見知り遠足」の時の写真をようやくアップした、いったんタイミングを逸すると面倒でズルズル先延ばしになってしまう。
平成20年9月29日(月)
雨、雨、また雨の一日、台湾から九州方面に方向を変えようとしている台風15号からの湿った空気のせいか、とにかくよく降る、台風接近によりこれからますます降るようであるが、祭りが前日で良かった、今日も非常に肌寒く、家でじっと座って仕事をしていると腰回りがゾクゾクしてくるので厚めの衣類をまとう、まだストーブの準備は全くできていない。
婆様デイケア。
馬場八幡宮の翌日祭が、午前十時から宮総代だけが参列して静かに執り行われた。実は今日、併せて奉納グランドゴルフ大会が境内で予定されていたが、今日の雨が昨日から予想されていたので、昨日のうちに早々と中止が決まり、翌日祭の神事だけが今日の行事となり、神幸行列で携行した猿田彦のお面や、弓矢、矛などの道具類の片付けや神殿・拝殿の飾り付けの取り外しなどをして今回の行事の総てが滞りなく終了した。他の総代の皆さんが直会をしている間に小生は各商店などに支払いに回った。
PC不調で溜まりに溜まっていた日記の写真をようやく全部載せ終わった。
平成20年9月28日(日) 馬場八幡宮秋季例大祭
阿蘇乙姫の明け方の気温が9.4℃、一気に10℃を割り込んだ、今朝は阿蘇山頂よりも気温が低かったようでいわゆる逆転現象である。昨日からの気温の低さ、西高東低の冬型の気圧配置が一気に進んだからだと思うが、その結果、台湾を経てそのまま大陸方面に進むと予想されていた台風15号が急旋回して例の如く九州を窺っているようだ、でも今年は九州には来ないのだ。
天気は少しずつ下り坂で、午後三時ころには少しパラつき始めて、神幸行列が雨に遭いはせぬかと気を揉んだ。
今日は、馬場八幡秋季例大祭の当日祭の日。午前十時から来賓を迎えて神事が始まり、併せて奉納相撲、保育園の鼓笛隊の演奏やカラーガードの演舞、小学生による虎舞の奉納のあと、馬場の籠輿丁たちが神輿を担ぎ、小学生からなる白装束の随兵たちが先頭に立って、神官が騎乗した馬がや笛や太鼓が連なって神幸行列が始まった。
午前中は全部の組が馬場や柿木、福原、桜町を通って宿場街道に入り、今年のお仮屋になっている西仲町の天神社まで巡行する。坂梨公民館での昼食後、本体は上町を通って、今年からイボ石から八反田の農道の入り、田の中を通って馬場八幡に戻ってくるコースをとり、わかば子供会の山車は上町から神石、古閑を回り、桜町組は宿場街道を往復する巡行コースを回った。保育園児も小学校前から坂梨公民館まで子供みこしなどを担いで巡行した。
以前は今回のように八反田を通っていたが、その後、ずっとそのルートが絶えていたところ、今年からまた、昔のように八反田の田の中を巡るコースに変更された。町中をたくさんの人たちに祝福されて通るコースも良いが、豊かに実った、そして刈り入れの終った田のなかをゆったりと進む行列もまた牧歌的で、昔の神幸行列は多分こんなだったのだろうと想像をめぐらせる風景だった。
小生は、自分の担当の仕事で持ち場を離れることができず、町中の神幸行列はほとんど見ることができなかったが、田の中を神社に帰ってくるところは、見ることができた。
神幸行列が戻って来て「後の遷座祭」で神官の警蹕のなか、ご神体は神輿から神殿に戻られて午後4時前、当日祭が滞りなく終了した。
今年で二回目のお勤め、昨年よりは楽のはずだったが、予期せぬことがいろいろ起きてとにかく疲れた一日だった。
そして、明日もう一回「翌日祭」という神事が残っているのである。
馬場八幡宮秋季大祭 当日祭 連続写真 (1/9) 全10枚
馬場八幡宮秋季大祭 当日祭 連続写真 (2/9) 全10枚
馬場八幡宮秋季大祭 当日祭 連続写真 (3/9) 全10枚
馬場八幡宮秋季大祭 当日祭 連続写真 (4/9) 全10枚
馬場八幡宮秋季大祭 当日祭 連続写真 (5/9) 全10枚
馬場八幡宮秋季大祭 当日祭 連続写真 (6/9) 全10枚
馬場八幡宮秋季大祭 当日祭 連続写真 (7/9) 全10枚
馬場八幡宮秋季大祭 当日祭 連続写真 (8/9) 全10枚
馬場八幡宮秋季大祭 当日祭 連続写真 (9/9) 全10枚
平成20年9月27日(土)
晴れ。今朝はこの秋一番の冷え込みだったと思う。阿蘇乙姫 12.5℃、阿蘇山頂では 9.1℃だったそうである。
今日は馬場八幡宮秋季例大祭の「前の遷座祭」である。遷座祭とは神様がお移りになる儀式である。どこに移られるかと言うと、普段は神殿においでになるから、そこから明日の神幸行列に備えて神輿にお移りになるのである。「前の」とあるから、「後の遷座祭」もある。これは神輿から元の神殿にお帰りになる儀式で、明日、当日祭の神幸行列の終了後に執り行われる。
この遷座祭の儀式は実に厳かな儀式で、神官が紙でできたマスクで口を覆って、神殿の扉を開いて折敷(あるいは三方か)に乗せたご神体を捧げ持ってオー、オー、という警蹕(けいひつ)を発しながら神輿にお移しするのである。畏れ多いので我々は低頭して見ないが静かな拝殿に響く警蹕を聞くと思わず身が引き締まる思いがする。
午後四時過ぎからの遷座祭に先立って、午後一時から総代全員と馬場や福原の氏子さんたちが集まって拝殿や境内を清掃して神輿を拝殿に移したり、飾り付けをしたり神饌を供えたりして準備をした。
昔は前夜祭は地域の人口も多く大変盛大に行われていたようだが、久しくそういったことも行われなくなっていたので、地域の交流を図ろうと、今年から坂梨青年会が再結成されて、坂梨公民館前の広場に舞台を作っていろいろな演舞や歌などが披露された、そして会場の一角には屋台が出て、テーブルが沢山用意されて、坂梨にはこんなに人が、そして若者がいたのかと驚くばかりの大賑わいだった。坂梨宿場会でも屋台を出してオデンなどを売ったが、あまりの人の多さであっという間に売り切れたそうである。カミサンと娘も宿場会の屋台の応援に参加した。
それともうひとつ、坂梨宿場会主催で、坂梨懐かしの写真展が公民館の大広間を使って開催された。正式オープンは明日からだが、今日からプレオープンでたくさんの入場があり、皆さん懐かしそうに昔の写真を見入っていたそうである。
今回のこの二つの催し、小生はほとんどの時間を馬場八幡に詰めてていて少ししか見られなかったが、大成功だったと思う。
馬場八幡宮秋季大祭 前日祭 連続写真 (1/4) 全10枚
馬場八幡宮秋季大祭 前日祭 連続写真 (2/4) 全10枚
馬場八幡宮秋季大祭 前日祭 連続写真 (3/4) 全10枚
馬場八幡宮秋季大祭 前日祭 連続写真 (4/4) 全10枚
平成20年9月26日(金)
曇り。昨夜はかなりまとまった雨が降り、朝までその雨が残っていた。
夜、坂梨宿場会で秋祭りに合わせて開催する写真展の説明書つくりがあった。今回の写真は昭和30年台を中心に、それよりはるかに古い写真も併せて昔の写真を持ち寄って展示するもので、非常に貴重な写真が多くて、これは地域の皆さんに懐かしがっていただけること間違いなしである。
平成20年9月25日(木)
曇り、一時パラつく。
婆様デイケア。
馬場八幡の準備で書類を作ったり、打ち合わせで出たり入ったりと今日も忙しかった。
昼頃、tomuさんが立ち寄る。
今日は阿蘇神社の流鏑馬だった、スケジュール表が使えなくて、ようやく復旧して予定表を見てみたところ、ああ、そうだ、今日は流鏑馬だったと気がついたが、文字通り後の祭り。名残の馬糞だけが路上に転がっていた。
平成20年9月24日(水)
曇り。
娘、明け方からまた少しゼーゼー言っていて、少し大義そうなので、用心のために保育園を休ませる、すぐに元気になり、保育園にやればよかったかなと少し後悔する。
婆様、昼前に予約してあった歯科に娘を乗せて連れてゆく。
馬場八幡の大祭の準備で少し走りまわる、師走である。
パソコンの環境整備に時間を費やする。色々なソフトの登録キーが古いハードディスクに埋もれているので、ひとつひとつ掘り起こしてはインストールし直す。
平成20年9月23日(火)秋分の日(秋季皇霊祭)
はっきりしない空模様で時々雨も降っていた。もう何日も中途半端に雨が降るので稲刈りが出来ずに農家の皆さん困っておいでだろう。台風13号がかすめて過ぎる前までは好天続きで、それまでに稲刈りを済ませたところは良かったが、大部分がその後の稲刈りなので、倒伏した稲が水に浸かり気味でやきもきしていると思われる。
今日、新聞を取り込むときに、新聞に日の丸が付いていたので、ああそうだ、今日は旗日だと気が付いて日の丸を掲げた。
PCのトラブル、最後の手段、新しいHDにシステムを新たにインストールして、今までのHDはslaveでつないで、そこからデータを利用することにした。新規インストールは問題が起きることもなく無事にできた。今回はRAID構成はやめた。新規インストールということは、アプリケーションは全部新しく入れなおすということだが、今まで、結構不要なアプリケーションを入れていたので、これですっきりすることになる。ついでにメモリーを1GBから2GBに増設した。このメモリー増設はトラブルが起きる直前に買っておいたもので、無駄にならずに済んだところだ、最近はメモリーが極めて安価である。ワイドディスプレーもちゃんとワイドで働いてる、ということでvistaについては、やはり烏賊のナントかであった、寺さん。
平成20年9月22日(月)
晴れ。抜けるような青空が広がる、朝には放射冷却現象で霧が立ち、雲海が出る。もう稲刈りの最盛期であるはずなのだが、どうも気まぐれ天気で青空でも地面が柔らかくてなかなかコンバインが入りにくいようである。
婆様デイケア。
北坂梨地区全戸数約50、昨日まではちょっと腰が引け気味だったが、気持ちを入れ替えて、やってやろうじゃないかという気持ちで写真展の案内チラシの戸別配布に挑む(というほど大げさなものでもないが)。すぐ北隣にあって外輪の裾に沿って細長い集落が続いている。普段そちら方面にはあまり走らないうえ、北坂梨は坂梨という名が付いているが古城地区の集落なので、あまり付き合いが無くて言わば未知の領域になる。
今まで北坂梨地区を通る場合も、さっと表通りを車で走り抜けるだけで、村の中がどういう風になっているか全く知らなかったが、今日はゼンリンの住宅地図を片手に足で一軒一軒訪ねて歩いた。時々出会う人たちに胡散臭い目で見られるかなと思ったが身分を明かして写真展の話をすると皆さん気持ちよく応対してくれた。坂梨のI下Y祐夫人の実家が北坂梨で、母上がいつもデイケアの車でうちの婆様と一緒なので、今日突然訪ねていったらびっくりしておいでだった。配布完了まで約5時間かかったが好奇心も手伝って結構爽快感が残る仕事だった。
金曜日に申請してあった、道路使用許可が無事下りた。
今回のパソコンのトラブルで、今まで正常に動いていたMicrosoft Officeが満足に機能しなくなって、改めて認証を取れとメッセージが表示されたので(インターネットも使えないので)、電話認証を受けようとしたところ、小生が画面に表示されている認証番号を伝えても、それは登録されていないから駄目だという。結局、今回のトラブルで認証系のデータが壊れてしまっているらしくて、改めて技術サポートに電話をしろという。ところが、電話認証は24時間受け付けているが、技術サポートはサラリーマンの勤務時間並みの受付時間でしか対応していない。結局、昨夜は復旧せずに今日になってようやく使えるようになったが、遊びでやってるのじゃ無いのだから技術サポートもちゃんと24時間対応してくれよと言いたかったが、窓口担当者に言っても仕方が無いので我慢した。
出来れば、思い切って分解して再組み立てしてドライバーも全部入れ替えて初めからすっきりとやり直したいところだが、それをやって、今綱渡り状態でかろうじて動かしているシステムが、万一、ウンともスンとも言わなくなったらハードディスクのデータが使えなくなる恐れもあるので、秋季大祭が終わるまでじっと我慢の子でいなければならない。
娘が、紙漉が出来るオモチャで紙を漉いて、乾かすために窓に貼っていた。
平成20年9月21日(日)
朝のうち素晴らしい天気で、阿蘇山がいつになく近くに見えて、見慣れているはずの山なのに思わず、わあ綺麗!と家族全員で感嘆の声をあげるほどの美しさだった、その天気が昼前に大雨になって、ひとしきり降りつづいて昼過ぎにはあがったが、今日はめまぐるしく天気の変わる日だった。
今度、坂梨宿場会で、坂梨の昔の写真展を催すことになって、分担してその案内チラシを坂梨地区全戸に戸別配布することになった。小生は自分が住む豆札と隣の福原地区を受け持って、今日全戸に配布し終わった。もうひつ配布する地区があるのだが、その地域の情報をほとんど持っていないため、今日、予備調査のつもりで、車を走らせたが、戸数が多く全くの地理不案内で果たして戸別配布が可能かちっと自信が無い。
今回の写真展の目玉の一つになるだろうと思う写真がある。下町出身で、現在宮城県の亘理町在住の八木さんに送っていただいた航空写真である。55.4.9とあるので、昭和30年ということだろう。まだ国道57号線のバイパスが出来ておらず、宿場街道が57号線そのものだった時代の航空写真である。そして今のように碁盤の目のように圃場整備される前の阿蘇谷の田が写っている、小生の、というか、小生が幼いころ訪れた父祖の時代の家も写っている、そういった貴重な風景が写っているのである。広範囲を撮った写真なので一つ一つは小さいが鮮明な写真なので拡大すればかなりハッキリするはずである、そのうちに、このサイトでも載せられればと思っている。
平成20年9月20日(土)
台風が遠く通り過ぎて、また夏が戻ってきたような暑さだった(といっても、気温はたいしたことがなかったが)。
今朝、我が家が霧に沈み、阿蘇谷では見事な雲海が出た。じっちゃいが定期健診で昨夜は阿蘇泊なので、情報を伝えようと思って電話をしたら、南阿蘇に泊って、今、俵山に登ったところだそうで、南側ではあまり雲海が出ていないようだとのことだった。今回は小生のスケジュールの関係でじっちゃいとはアイボールできなかったが、検診はOKだったそうである。
速度が遅い台風で一時はやきもきさせた保育園の運動会が無事に開催された。娘にとって最後の運動会である。小生、昨年は保護者会の役員で、運動会の開催に直接かかわって、準備から当日の運営まで大忙しだったが、今年は一保護者として気楽に見物させてもらった。それでも、長時間座っているのが苦痛で途中で抜け出して車の中で寝てしまい、写真撮影もその間の競技の記録が欠けてしまった。婆様も一日座り続けるのは体力的に無理だというので今回は参加を取りやめて後でビデオで観覧することになった。
保育園運動会 連続写真( 1/17)全10枚
保育園運動会 連続写真( 2/17)全10枚
保育園運動会 連続写真( 3/17)全10枚
保育園運動会 連続写真( 4/17)全10枚
保育園運動会 連続写真( 5/17)全10枚
保育園運動会 連続写真( 6/17)全10枚
保育園運動会 連続写真( 7/17)全10枚
保育園運動会 連続写真( 8/17)全10枚
保育園運動会 連続写真( 9/17)全10枚
保育園運動会 連続写真(10/17)全10枚
保育園運動会 連続写真(11/17)全10枚
保育園運動会 連続写真(12/17)全10枚
保育園運動会 連続写真(13/17)全10枚
保育園運動会 連続写真(14/17)全10枚
保育園運動会 連続写真(15/17)全10枚
保育園運動会 連続写真(16/17)全10枚
保育園運動会 連続写真(17/17)全 8枚
(写真選別が大変なので、全部載せた)
今日、日記を書くのが本当に気が重い。武藤肇の弟、隆さんが死んだ、という知らせが届いた、この17日に職場で倒れたそうである。この歳になると、時々身近な人間の訃報が届くようになる、それが順送りの知らせならまだある程度自分を納得させることができるが、彼の死はあまりにも早すぎる、小生にとって一番の親友の弟であり彼がまだ中学生のころからの付合いだった。そして小生の今の田舎暮らしを天啓のごとく決断させた直接の原因を作った男でもある。彼は白州に山荘を建てて、休日の度に出かけていた、そしてリタイア後は白州に移り住むことを何よりの楽しみにしていたという、それまでまだ数年を残しての死になる。彼のライフスタイルに会って今の小生があるのだ、全く大袈裟でなくてそのとおりの話なのである。文字という気持ちを伝える道具は、特に小生のように語彙の少ない人間にとっては甚だ非力なもので、本当の気持ちを文章にすることは難しくて出来ない、書けば書くほど空々しくなるだけである。ただ無念、残念というほか言いようが無い。
平成20年9月19日(金)
曇りのち晴れ。台風13号、昨夕、鹿児島の南端ギリギリをかすめて列島に沿うようにして沿岸をゆっくりと北上しているようだが、まだ紀伊半島沖あたりをノロノロ進んでいるようだ。小生の妙なカンというか自信というか、今年は絶対に来ないと思っていたとおり、ここはそよ風程度で済んだ。また新たな台風が発生したようである。
馬場八幡の神幸行列関係の道路使用願いの作成に忙殺される。今年は各地区で個別に申請していたものを、一括申請することにして、そのための、経路図だとか、作成書類が増えたところにもってきて、PCが壊れたためにニッチもサッチもいかなくなって、もう日にちがないので、ネジリ鉢巻で何とか取りまとめて夕方、警察署に持って行った。週末にかかるので、問題が無ければ週明けにOKの連絡が来ることになる。
午後、市役所の包括支援センターのK佐さんが月次のケアプランの件でみえるが、そういう事情でロクにお相手できずに失礼した。
明日は保育園の運動会なので、夕方から、保護者によるテント張りなどの準備作業があったが、警察署に行ったりしたので少し遅れて参加した。明日は天気が良さそうなので一安心である。(写真1・写真2・写真3)
夕方、火災があり、田んぼ越しに真っ黒な煙が上がっていたが、炎は見えないうちに煙が白くなっていったのでたいしたことはなかったのではと思う、放送では馬小屋だとか言っていたようだが、街中なのに、馬小屋があるのだろうか。
ASO安心安全情報(防災無線)
題名 : 火災情報
阿蘇市一の宮町宮地で17時35分に建物火災が発生しました。 阿蘇広域消防指令室
題名 : 鎮火報
先ほどの阿蘇市一の宮町宮地の建物火災は18時06分鎮火しました。
平成20年9月18日(木)
くもりのち雨。夕方時点で雨の量も風も特にどうということは無い。
婆様デイケア、施設側では台風接近に備えてと言って早仕舞いだったが、その必要があっただろうか。また台風13号接近に備えて市が臨時避難所を設けたと防災無線の放送があった、レーダーなどの進路予想や台風の勢力をみてもここは大丈夫だろう。と思うのだが、臨時避難所まで必要だろうか、まあ不測の事態に備えて準備するに越したことは無いのだろうが。小生、今年は絶対に来ないと台風シーズンが始まる前から妙に自信を持って言っていたが、今回もここには来ないと端から思い込んでいたので、全く準備もしていなかったが、あまりニュースなどで来るぞ来るぞと言うので、夕方になって形ばかりベランダのもを片付けたが、一番接近するのは夜に入ってからだそうだ、果たして鬼と出るか、蛇と出るかである。
我が私設測候所の観測機器、相当ガタがきている、湿度計が壊れているのに加えて、強風のなか、風速がゼロと出ている、これも故障かと念のために、風車を点検したらクモの巣だらけだった、あわてて取り除いたが、少し回転が悪いかもしれない。
馬場八幡の大祭の準備で資料作りが迫っているのでメインのPC復旧作業時間切れ、どうにかセーフモードで立ち上げて、必要データだけ取り出して、別のPCで作業をする、別のPCにはOfficeが入っておらず、フリーのOfficeもまだ使い慣れていないので、古いバージョンのOfficeを見つけ出して、とりあえず今回はそれで間に合わせることにした、セーフモードて起動するのでさえ、薄氷を踏むような状態である。いよいよ新しいPCを買うか、寺さん。
警察署に神幸行列のための道路使用願いの申請書をもらいに行く。
平成20年9月17日(水)
終日、ほぼ、うす曇りで推移する。
PCのビデオカードがワイドディスプレーに対応していないので、急遽、山を降りて熊本市内まで買いに出かけた。あんなものはいくらでもあると思っていたが、無い。無いのである、ビデオカードは当然AGPバスに挿入するとばかり思っていたが、そのAGPカードが全く無いのである。売っているタイプはすべてPCIexpress(だったかな)。店員に尋ねたら、今はもうAGPバスは使いませんとのことである。カード類は昔はISA仕様のものだったのが、PCIに替わり、その中でビデオに関してはAGPという専用バスが生まれた。今でも当然その流れだと思い込んでいたが、もうAGPは過去のものになってしまっており、現在はPCIexpressという同じPCIでもexpressという特別のスロットに挿すタイプになってしまっていた。pen4でも、最早、過去のものなのである。最近はパソコン情報誌はほとんど読まず、定期購読もLINUXものなので、最新のPC事情にすっかり疎くなってしまっている。どんどんvistaマシンに移っているにもかかわらず、今のところ、縁遠いから尚のことである。商売ものなので、そろそろ最新のCPU搭載のPCを買わなくてはならないか。ようやくひとつだけ探してもらってAGP対応のカードを買ってきたが、どうもハードディスクまでイカれてしまったようだ。仕事が溜まっている、困った。
平成20年9月16日(火)
雨のち、晴れ間。
午前中、婆様歯科に連れてゆく。
雨も午前中で上がり、降り続いた雨で濡れた稲も何とか乾いて午後から何箇所かでコンバインが動いていた、台風でまた雨が降るので少しでもという思いだろう。
PCの設定が全然だめ、今回はとうとうRAIDを諦めてHD単体で動かすことにしたが、いじくりまわしてHDも少しおかしくなっている、さらにせっかくワイドディスプレーを買ったのに、今入っているビデオカードがワイド画面に対応しておらず、アップデートしたドライバーも無いようだ、間延びのした画面がなんとも締まらない。
ああくたびれたくたびれた。
平成20年9月15日(月) 敬老の日
雨、ほぼ終日降りつづく。
婆様デイケア。
村主催で敬老の日を祝って村の長老の皆さんをお招きして昼食会が村の公民館で開かれた。町村合併までは町で主催していたが、市になってから、各村々でやるようになった。70歳以上(だった思う、75歳だったかな)だから、婆様も該当者だが、改まった席に長時間座る体力が無いので出席を辞退してデイケアに出かけた。
故障したメインPC、どうやったか覚えておらず、再現性が全く怪しくて偶然の要素大だが、何とか復旧の目処が立ちそうな段階まで漕ぎ着けた。大事なデータがたくさん入っているので、もしデータが使えなくなったら泣くに泣けないところだった。そのためにわざわざRAIDを構築して万一ドライブのひとつが壊れても、大丈夫なようにしてあったのに、今回は、どうもそのRAID
BIOSがイカれてしまったのか、小生の頭ではわからないまま、結局RAIDを解消して普通のドライブ単体の構成で動ように組み替えてドライブ自体が無事であることを確認した。完全復旧にはまだ時間がかかりそうである。
平成20年9月14日(日)
曇り。
今日は坂梨小学校の運動会である。小学校の運動会のことをなぜ書くかというと、娘が運動会に参加したからである。毎年、翌年の春に小学校に上がる保育園年長組の子供たちが運動会に招かれて、ちょっとだけ競技に参加をする。今のうちから小学校に馴染ませておこうという深謀らしい。もっとも保育園と小学校は隣接していて、普段でも子供たちが行き来して見知った顔ばかりで、保育園と小学校の一貫教育的雰囲気のある土地だから、子供たちも全く緊張感無しに自分たちの運動会のように楽しそうに走っていた。小生にとっても知った顔ばかりだった。
最近の少子化、過疎化の影響で、子供の数が少なくて、従って保護者の数も少なくて、グランドがやけに広く見えたのが印象的だった。もう半年もすれば娘もここに通うことになるのだが、学校嫌いだった小生はたとえ小学校でも、学校という名の付く所に立つと保育園の園庭に立つのとはまた違った緊張感を覚える。
小学校運動会プレデビュー 連続写真(1/2) 全10枚
小学校運動会プレデビュー 連続写真(2/2) 全10枚
我が家の入り口に接した田で稲刈りがあった(PCの復旧作業に没頭している間に、裏の我が家の田の稲刈りもいつの間にか終わっていた)。
先日、PCのモニターが壊れたので、ネットで新しく買ったやつが今日届いた、24インチのワイドディスプレーだ、ちょっと前までだったら、目ん玉が飛び出るくらい高かったが、ずいぶんと安くなったもので、なかでもいちばん安いやつを選んだが、39Kしなかった。ところが、その液晶モニターが使えないのだ。せっかくだからとホコリだらけの本体を綺麗にしようとかなり乱暴にブロアーを突っ込んでホコリを吹き飛ばしているうちに何かをどうにかしたみたいで、肝心の本体が動かなくなってしまった。一応自作で、当時結構苦労して組上げたものなので、ちょっと復旧を試みたが、不具合箇所をみつける作業がまた大変で今のところ気力もなくて、日記も最低限、文章だけの更新しかできない。PCはそれこそ何台もあるが動くだけで、ロクなソフトが入っていないのだ、ざまは無い。
平成20年9月13日(土)
曇り。夕方になってまた雨になった。
先日稲刈りをした共有田の新米がもう届いた、農業バンザイ。
健康診断の結果が届いた。悪玉コレステロールがちょっと高くて少し注意する部分があるが、まあ、この歳としてはオンの字だろう。(写真1・写真2)
夜、宿場会の9月例会があった。
今、T雄さんから借りた「剣客商売」を読んでいる、共にフィクションながら、秋山小兵衛と坂崎磐音が同じ時代に同じ地域で活躍している。報恩寺橋を渡り、だとか、北面は北割下水、東面は横川が流れているだとか、居眠り磐音で馴染みの地名が随所に出てくる、いろいろ想像を巡らせてみるとなかなか面白、池波正太郎はもう故人だから出来ない相談だが、磐音に、ちょっと小兵衛を登場させるくらいの悪戯心があると面白いのだが。
平成20年9月12日(金)
終日どんよりとした曇り空だった、そして夕方には今日も弱い雨が降った。
毎月、第二金曜日の午後は阿蘇郷土史愛好会の例会日だ。今日の講演は「阿蘇の峰入り」だった。今では想像が出来ないが、阿蘇は江戸時代、山岳信仰の一大拠点だったようである。
平成20年 9月11(木)
晴れ、午後も大分過ぎてから弱い雨になり、時々雷鳴も聞こえた、昨日と似たような天気だ、台風が来週初め頃やって来そうな雰囲気なのでそのせいで空模様も不安定なのだろうか。
婆様デイケア。
いよいよ我が家から見える所で稲刈りが始まった。ただ、昨日の雨で濡れた稲が乾く昼頃から始まって、雨が降り始めるまでの二三時間、空模様と相談しながらのコンバインだったようだ。
午前中、また北坂梨に残りの杉の木を積み込みに行ってきた。枝と言っても一抱えほどもある太い枝で大変だった。北坂梨の現場は一応今日で終わりにする。
平成20年 9月10(水)
晴れ、午後三時ころから雨になり、さらに宮崎方面から九州山塊を越えて次々に雨雲が押し寄せて雷を伴って強く降る。
今日は村の共有田の稲刈りがあり、今年は我が班が担当した。我が班と言っても正確には小生が入れてもらっている班と言う意味である。今年はこれまで台風がなくて、かなり作柄が良いと思う。ただ、肥料のやりすぎだとか、風の吹き具合だとかで、稲が倒伏したりしている田が結構見受けられる。村の田もかなり倒伏していてコンバインが上手くすくえないところもあるので、そういたところを小生などが起こすのである。綺麗に揃える必要はなくて大雑把に揃えてやると後は機械があっという間に刈り取っていく。今日も雨が降り出す昼過ぎには全部刈り終わった。あとは乾燥機にかけて、モミすりをすると今年の新米が出来上がるのである、もうすぐである。
今日聞いて驚いたことがある。それは、阿蘇では(すくなくともこの辺りでは)もう20年くらい、農薬を使っていないそうである、使わなくても良いそうである、阿蘇から山を下った平野部では農薬を使っているそうだから、やはり高地にあるからだろうか、だから田に生物が生きて、ホタルが飛び交うのだ、とにかく嬉しいことを聞いた、我々は当たり前に無農薬のコメを食べているのである。ただ除草剤は使っているとのことである。
(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5)
メインマシンのディスプレーが突然壊れた、電気が全く入らない、多分電源部の故障だろうが、問い合わせたところ、修理費がバカ高く、新しいやつを買った方が良いらしい、それだけ、液晶モニターの価格が安くなったということなのだろうが、新品よりちょっと部品を交換する修理の方が高いのは理屈に合わないような気もするが、新しく作る時はラインに乗せて大量に、しかも賃金の安い国で組み立てるので、コストはやすくなるが、修理はわざわざ国外に持ち出してやることもなく、また量から言えばはるかに少ないので宜なるかなである、それでも予期せぬ出費は痛い。
平成20年 9月 9(火)
晴れ。重陽の節句らしく爽やかな秋空が広がる。
午前中、我が家の草刈りをする。共同作業の草刈りの大変さから比べたら家の草刈りなど何ということもないくらい楽である(のに、なかなかやろうとせずに膝上くらいに伸びきっている)。今日は暑くてたまらんということもなく気持ち良くほぼ8割かた終わった。ただ、スイカの畑を草刈していた時に、もう無いとばかり思い込んでいたら、7割くらい育ったのとようやくスイカらしい形になったやつと茎を切ってしまった。大きい方は刈払機でグサリとやってしまっていた。
平成20年 9月 8(月)
晴れ。残暑と言うのか、ここのところ暑い日が続いてる、と言ってももう秋空だが。
婆様デイケア。
今日はこれと言った仕事をしたわけではないが、こまごまとした仕事をしているうちにあっという間に一日が終わってしまった。
午前中、久しぶりに金魚の水槽を掃除した。数年前に夜店で買って、その時は小指の先ほどの小さな魚だったが、うち何匹かが死んで、残った三匹が、最近では文字通り手に余るほど大きくなって決して小さな水槽ではないが窮屈そうで、どこか広い所にでも放してやろうかと思う今日この頃である。
明日も天気が良さそうだ。
平成20年 9月 7(日)
晴れ、昨日同様一時パラつく。
2工区の農・水・環の草切りがあった。今年3回目になるだろうか、今日の作業が一番きつかった。特に午前中は暑さのあまり気分が悪くなるほどであった。他のメンバーも同じような感想を漏らしていたので、小生の体調が悪かったわけではない、午前中、29℃近くまで気温が上がった記録があるのでそのせいだろうか、午後からは、普通のペースで作業ができたが、とにかく今日は過酷な一日だった。小生はいつもゴム長を履いて草切り作業をするが、メンバーの何人かが地下足袋を履いているので、今日は午後から地下足袋に履き替えてみたところ、急斜面でも踏ん張りが利いて安定性が良いことが分かった、もっと早く地下足袋にすれば良かった。我が家の屋根が急こう配で、煙突の掃除のときに屋根を登る際に地下足袋を使うので、地下足袋は持っていたのだ。
写真(朝集合時:豆札と福原のメンバー。馬場はこの倍以上の人員がいると思うが、集合場所が違うのでここには写っていない)。
娘は母親と「遠足」に出かけた。娘は遠足の絵本か何かをみて、二三日前から遠足に行くんだと言って持って行くものを色々リストアップして、今日、昼食におにぎりなどを詰めたリュックを担いで、母親と「遠足」にでかけたのである。場所は家から歩いてすぐの所にある妙法寺である。後で聞いたら大いに満足していたそうである。
平成20年 9月 6(土)
曇り、一時パラつく。
婆様、定期通院。
それから、娘の通院騒ぎ、があったらしい。らしい、というのは、小生が馬場八幡で作業中に、婆様から病院が終わったからという連絡が入ったので、カミサンに迎えに行くように連絡した所、今、娘を古閑医院に連れて来ているという。また風邪でも引いたかと、小生が仕事を抜け出して婆様を迎えに行って、後から聞いたところ、猫を抱いてすぐ(と本人は言っているそうだが)顔中に発疹が出て、目がかゆくなって目が赤くなったので、慌てて医院に連れて行ったとのこと、その症状も診察を受ける頃にはほとんど引いたそうで、薬をもらって帰ってきたそうである。ネットで調べてみた、猫アレルギーというのがあるようだが、それだろうか、いつもは出ないので、体調などで出る場合があったり、無かったりなのだろうか、いやはやである。
馬場八幡の定期総会。総会に先立ち朝9時から境内の清掃。今年はいわゆる素性の悪い木を倒したり、植栽の剪定をしたりと、結構大がかりな作業になって、昼までかかってしまった、そのあとで、会計報告や秋祭りの打ち合わせなどをして1時前に無事終了した。
(写真1・写真2・写真3・写真4)
今日はカミサンの誕生日だった。
平成20年 9月 5(金)
うす曇り。すこし暑かった。
明日、馬場八幡の総会があるので、配布用の決算書をコンビニで250枚くらいコピーして製本(といのは大げさで、綴じ込み)をした。
それ以外は、本日、文字通りの骨休め。
ASO安心安全情報
題名 : 火災情報
20時21分覚知 阿蘇市一の宮町中通井手 建物火災が発生しました。
題名 : 鎮火情報
20時21分覚知 阿蘇市一の宮町中通建物火災は21時25分鎮火しました。
阿蘇広域消防本部
平成20年 9月 4(木)
うす曇り。太陽の光が柔らかくなり、吹く風が気持ちが良い。我が家の周囲、見渡す限り黄金の穂である、もういつでも稲刈りOKといった風。今年はどうやら台風無しで収穫を迎えられそうである。台風が来ない年というのも珍しいのではないだろうか。我が家を建築していた年はずっと仮小屋住まいだった、確か台風は来なかったのでなかったろうか、一度も台風被害を心配した記憶がない、もしかしたらあの年以来かもしれない。それに、最近はトンと爆音機の音を聞かなくなった、ここに来たてのころは稲が実るころになるとあちらこちらでスズメを追うドッカン、ドッカンという音が聞こえていたが、やってもあまり効果がないことが分かったのか、あるいは他に理由でもあるのだろうか、当事者の誰かに聞いてみよう。
婆様、デイケア、そのあとで、同じ建物内の病院棟に移動して定期受診、夕方、娘を保育園に迎えに行ってその足で一緒に連れ帰る。
今日の薪取りは昨日の北坂梨の現場から数百メートル南西に位置する鎮守の森の大杉の枝である。枝と言っても幹本体が大きいので枝も太い。今日も張り切って出かけたが、考えてみたら連日ウエイトリフティングをぶっ続けでやっているようなもの、さすがにエネルギーを使い果たしたと見えて持続力無し、午前の一回でとうとうギブアップ。しばらく間を置くことにする。
今日は神社の会計監査、二名の監査人のスケジュールの都合で、昼と夜の変則二部構成で監査を受け無事完了。
平成20年 9月 3(水)
晴れ。爽やかな一日だった。
今日も一日、北坂梨に薪材の欅を積み込みにゆく。現場に着いて、さあ始めようか、という時に、チェンソーのスターターの紐がプッツリ、縁起でもないというところだが、結果的には総て順調だった、都合、三往復してヘトヘトになった、それに三日連続である、前期高齢者にはさすがに応える。今日三回目は、あまりに太くて現地で切るのも大変な幹をチェーンブロックを持って行って積み込んできた。さすが機械の威力である。こういうことが頻繁にあるようであれば、軽トラックに取り付けることができる簡易クレーンが売っていないこともないが、それほどの頻度は無いので、チェーンブロックで十分である。今日でここの現場は終わった。今日の現場のすぐ近くに今度は杉がもう伐り出してあるので次回出撃はそこになる。
(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6)
平成20年 9月 2(火)
秋晴れ。今日は確か午後あたりから雨になるはずだったが・・・
大欅の枝祓いをするとU村さんから連絡が入り、今日は北坂梨へ出動。枝祓いと言っても、人間の胴回りくらいある太い枝もあり、積み込みに体力を使い果たして今日は昼を挟んで二往復でやめた、また改めて出直す。
(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7)
木というものは、倒してみて改めてその重さに驚く、僅かな塊でもとにかく重い、その木が立っている時は、その何十倍もの重量を根が支えているのだから根の力というものに改めて驚かされる、それほど根が張っているとは思えないのに重量と強い風に耐える力を持っているのだから驚異的である。
北坂梨は我が家からほんの数分の所だが、普段、北坂梨方面に行くのは、頻度から言うと非常に少ないのであまり知らなかったが、いつも通る道路をちょっと外れると今でも湧水が出ている祠があるなど、なかなか良い所があると認識を新たにした。以前は豆札でも豊かに水がわくところが随所にあったようだが、最近は枯れてしまって、ほとんど無くなっている。考えてみたら、ここは外輪の裾だから、湧水があって当たり前なのだが、阿蘇全体の湧水量が減少しているのは確かで、阿蘇の地下水を利用する熊本市でも近年地下水の減少が問題になっている。国の植林政策で数十年前に阿蘇の山の多くが杉山に代わってしまった事が原因だろうか、やはり山は雑木が良い。
テレビを見ていると、最近やたらと、今のテレビはが2000何年かで見られなくなるんですよ、と言っているが、国民はあそうですかとあきらめなければならないものなのだろうか、お上の都合で一方的にそんなことは許されるのだろうか、法律的に問題はないのだろうか、どうも納得がいかない。
平成20年 9月 1(月)
曇り。今日は久しぶりに「暑い」、と感じたが、それでももうひところの勢いはない。気象庁から熊本地方の梅雨入りした日の変更があったそうだ、6/10の梅雨入りが、5/28に変更されたそうだが、5/28の小生の日記には「今日の雨、梅雨入りしそうな勢いだ」と書いてあったが、やはりあの時だったのだ。
婆様デイケア。
車で通行中、我が家の近くで今年初めての稲刈り風景を目にした。いよいよ収穫の秋来る、だ。「秋」と書いて、「とき」と読ませるが、これは何か大きな節目、重大な時期を言うので、春でも夏でも使って構わないのだろうが、さすがに季節が絡む時には、たとえ大事であっても、秋以外の時には使いにくい。その点、今日の風景、言うほど大きな節目ではないかもしれないが、こういった場合に使うとピッタリのような気がする。何もそんな理屈をつけなくても、この場合、「収穫のあき」で構わないではないか、うん、そう言えばそうだなあ。
午前中、U村さんから、おい、木を伐るぞと連絡が入り、さっそく出動。今日の現場は宿場通り「かめなり橋」際。軽トラックで2往復して杉とヒノキ材を貰ってきた。いよいよ薪集めの秋きたる、だ。
21:30福田首相辞任表明ス