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平成21己丑(2009)年 5月の記録(新しい日付けの順)


平成21年5月31日(日)

 五月晴れの空広がる。五月晴れという言葉は今日までしか使えないことになるが、その言葉に相応しく爽やかな一日だった。

 明日からの来客に備えて手分けして家の内外の整理をする、来客といっても身内だが大小とりまぜて四名が数日間逗留予定である。

 朝夕、娘を連れて婆様の様子を見に行く。 治療は一日数回のネブライザーと点滴である、この病院は高齢者の入院が多いが、見たところ婆様が一番元気があるように見える。


平成21年5月30日(土)

 晴れ、昼過ぎから、雨。驟雨かと思ったら、結構降り続いて、夕方になってようやく上がる、結構雨脚の強い降りだった。

 今日は世間の休日で家族が家にいるので、畑を見回ったり、車庫を少し手直したり、PCをいじったり、本を読んだりと、とりとめもなく過ごして一日が終わった。

 昼前に、E鴨氏がPCを抱えてやってくる。田植えが終わり、トマトの出荷までまだ少し間があるので、ここのところ少し時間が出来たそうである。

  婆様、変わらず。そろそろ入院も飽きたようである。朝は小生が、夕方はカミさんと娘が様子を見に行く。

 故障したデスクトップ、多分電源だろう、直すしかないので、ネットで電源を注文にした。使い慣れたPCでないと不便で仕方がない、電源は数万円(もかなり上のほう)から千円台までのものと色々ある。何がどう違うのか分からない、今回は1800円の電源を注文したが・・・・・
平成21年5月29日(金)
ようやく晴れた。
午前中、軽トラックの6ヶ月点検に山を下りる。ついでにハンズマンで色々な工作材料を買い込み、パソコンショップでマウスを買ってくる。メインマシンのマウスが半分壊れていて、ずっとと不便を託っていた。ところが、せっかくマウスを買ってきたのに、今朝まで動いていたPCの電源が入らない。ウンともスンとも言わないので、多分、電源だろうと思うが、ケースを開いてみたものの、故障箇所をあたる気力が無い、うーん、どうしたものか、ガラクタPCはたくさんあるので、とりあえずはしのげるが、ハテどうしたものか、データを取り出すのも面倒だなあ。最近はPCも安くなったしなあ・・・・・無線機の電源に続けて今度はPCと来た、ヤレヤレ。
  午後二時をもう過ぎていただろうか、軽トラックの点検から帰ってから、車庫の製作を再開して、夕方ちかく、一応完成した。
 朝と夕(夕方は今日も娘を連れて)、婆様の様子を見に行く、まだゼ〜ぜ〜が残っていて今週の退院は無くなったそうだ、まあそんなに急がなくても良いでしょう、もう少しノンビリと入院生活をエンジョイしてくれ。


平成21年5月28日(木)

 雨、朝のうちに上がる、朝も少し気温が低めだったので、迷わずストーブを焚く。

 パイプ製の車庫の組み立てに取り掛かる。もう随分と以前に、目玉商品で、驚くほど安価で売っていたので買っておいたものだ。少し高さが低いかなと思ったが、ギリギリでトラクターを入れることができる。駄目だったらパイプにゲタを履かせようと思っていたのでホッとした。ただ、値段が値段だったので、少し補強をする必要がある。何故なら、ここで何かを作る時に一番気を付けることは、風対策である、その風に対して少し不安が残るのだ。午後も過ぎたころ、別途補強用のパイプを買ってきたところで、雨になったので今日の作業を終了する。

 朝夕、婆様の様子を見にゆく、喘鳴も無くなったそうである。夕方には、久しぶりに娘を伴う


平成21年5月27日(水)

 梅雨寒のハシリか、終日、細かく冷たい雨が降り続いていた。家でじっとしているとなんとなく寒さを感じるので、夕方、手っ取り早くストーブを焚いてしまった。

 娘、一日休んだだけで復調、学校復帰。

 朝夕、婆様の様子を見にゆく、病院の都合で、二人部屋を独りで使っていて個室のようである。娘が保育園の頃は、娘の送迎に絡めて、娘を入院先の婆様の所に連れていっていたが、小学校に入って、送迎がなくなって、そういったことも無くなった、尤も、娘、風邪気味で、婆様の見舞いは遠慮させているが。

 その、婆様、点滴とネブライザーで、終日、本を読んでいる様子で、特に病状に問題は無いようである。ゆっくり入っていて欲しいところだが、案外、退院は早いかもしれない。

 IC-760PRO また電源が入らず、福岡にあるサービスセンターに送る。電源トラブル、これで何度目だろう、3度か、4度目だろうか。
平成21年5月26日(火)

 晴れ。夕刻、雷鳴轟き驟雨通りすぎる。

 娘が昨日あたりから少し咳をしており、昨夜から今朝にかけて軽い喘鳴が聞かれた。熱は7℃くらいだったので、学校にやったところ、用心のために医者に診てもらた方が良いとのことで、母親が学校から古閑医院に連れて行った。

 一方、小生は、婆様が、ここのところこれも喘息気味で、特に昨夜はそれが少し気になったので、大阿蘇病院に連れて行き、婆様を一旦病院においてから、古閑病院にとって返して母親と交代。

 診てもらった時点では娘のゼイゼイはもう聞こえないということで、咳止めシロップなどを貰って帰ってきた。学校には休ませる旨の連絡をしたが、病院でも、学校でも、最近、関西地方に旅行したかと訊かれた、今の時期、どうしてもそちら方面に関心が行くのだろう。問われたついでに、メキシコにも行っていない旨告げておいたが、もちろんジョークで、である。

 婆様から、昼頃、これから点滴をして帰ると電話が入ったが、その後、二三日入院しなさい、ということになって、急きょ、夕方入院にした。一回程度の点滴やネブライザーでは効果がないほどこじれてしまっているようで、入院した方が治療し易いということであろうと、今回も楽観視している。入院の手続きなどでバタバタしたが、しばらく入ってくれた方が安心だし、小さな声で言えば入院期間中は小生が楽である。

 婆様が高齢の場合は、孫もかなり大きくなっていて、逆に孫がまだ小さな時は婆様はそれほど高齢ではないというのが、まあ普通だろうが、我が家のように両極端の家族構成も珍しい方だろう、おかげでこのような場合、間に立つ小生が大変なのである(ブツブツ・・・)、ということで、今日の屋外作業は全く出来ず。


平成21年5月25日(月)

 晴れ、朝のうち、少しヒンヤリ感じた。

 婆様、デイケア。家族皆出かけて小生にとってはうれしい月曜日である。

 10時前、今年も狂犬病予防注射が馬場八幡の前であった。よそ様の犬を見ていると大人しく注射を受けているが、我が家のボンは毎年、牙をむき出しにして全身で抵抗するので、打ってもらうのに往生する。今年は少し抵抗したが、それほどでも無くて、無事に終わってホッとした。注射代などで3,000円也、もう日本では狂犬病が発生しなくなってずいぶんになるそうだが、それでも最近は外国から入ってくるペット類から感染するケースもあるとかで、万一の場合を考えて、注射を受けさせるのはエチケットだろう。(写真1写真2写真3

 突然、アマチュア無線連盟から、会員30年の表彰状が送られてきた、ただ、小生の場合は、30年もの長きに亘って熱心に「アマチュア業務」に従事したわけでもなく、QSLカードの転送サービスを熱心に利用したわけでもない、ひたすら会費を納め続けてきたという意味程度のものである。本来、無線などと言うものは、電波少年だとか、ラジオ少年だとか言うように、もっとうんと若いころから興味を持つものだが、小生の場合、きっかけが遅くて、年齢から逆算すると36歳くらいから始めたことになる。この歳であれば40年とか50年表彰を受けてもおかしくない年齢である。それでも、計算したことが無いので、へえ、もう30年経ったのかという感想はある。301,628名、40345名、5055名、602名、だとか。どんどんハム人口が減っている昨今、この数字、多いのだろうか少ないのだろうか、

http://www.jarl.or.jp/Japanese/4_jarl/4-3_soukai/51-kushiro/51-hyosho/51_hyosho-set.htm

 ハチウトの設置場所を少し、奥にずらした。日中の直射日光が当たるのは良くないとのじっちゃいのアドバイスによる。また、アリについては、放っておいて良いそうだ、もしハチが来て、アリがいて邪魔であれば、羽根で吹き飛ばすとかして追い払うそうだ、自然のバランスに任せれば良いとのことであった。

 パイプ車庫の材料、ずいぶん久しぶりに物置から引っ張り出して見た、梱包は大分汚れているが、中身は大丈夫そうだった。



平成21年5月24日(日)

 晴れのち、曇り。

昨日設置したハチウト、早くも、アリが行列して、中の蜜を狙いだした。さて、どうしたものか、良いのか悪いのか、分からないままに、アリ用の殺虫剤を買ってきた。ウトの土台にした杉の丸太の周囲の地面に、即効性ではないが、アリの巣をやっつける薬剤を撒いた、これは許されるだろうか。ハチが来ても地面には降りないだろうから良いと思うのだが。それから、土台の丸太の幹をアリが列を作って登っていたので、これは即効性のアリ用の殺虫剤を吹きかけて殺した。これもウトとハチの出入り口に薬剤がかからないようにしたが、OKだろうか。直ぐにハチが来るわけではないので良いと思うのだが、あるいは自然に任せて、放っておいた方が良いのだろうか。

 日本山妙法寺の開基、発祥の地が、ここ豆札にある。その開祖、日達上人の二十五回忌法要が厳かに営まれて、小生も信者ではないが故人の威徳を偲び謹んで豆札の皆さんに混じって参列した。(写真1写真2

 トラクターを野ざらし状態にしておくと、紫外線ですぐに塗装がやられよ、といつも周囲から忠告を受けていながら、ズルズルと野ざらし状態が続いている。

 実は、大分前にビニールハウス形式の車庫の組み立てキットを購入してあったのだが、どこに設置しようかと決めかねてもう2年くらいに(あるいはもっとかもしれない)なる。あんなもの、組立て、解体が簡単なのでどこでも良さそうなものなのにである。

 最近、畑など屋外作業づいていて、それも手伝ってか、急にその気になって、午後から設置場所を決めて整地をした。タワーが寝かせたままになっている場所の横が、ほとんどゴミ捨て場状態で、使いもしない木材やビニールシートなどが積んであってデッドスペースになっていたので、娘に手伝わせて整理して、ようやく場所が決まった。場所が決まれば後は行け行けドンドンである。


平成21年5月23日(土)

 朝、細かい雨、そして阿蘇谷は深い霧に沈む、見事な雲海が出現したそうだ。その後、爽やかな一日になる。

 今日は日記のネタ満載である。

 午前中、ミニ田の御田植えの儀をニギニギしく執り行う、直接田に入ると足をついたところが穴になるので(昔は皆そうしていたのだろうが)、それに、爪の間に細かな泥が入って取れにくくなるので、横着を決め込んで今回は梯子を差し渡してその上に乗って手植えした

 一反の田では、苗の箱が18から20枚要るそうであるが、この程度の田だと、ほとんど苗が要らない、貰ってきた植える前の苗と植えた後の苗の残り具合、ちょっと見たところほとんど変わらないくらいだ。余った苗は勿体ないが枯れる運命にある。

 田植えが終わったところで、以前、用水路から娘が捕って水槽で飼っていたオタマジャクシに足が出て、手も出てかなりカエルに近づいてきたので、今日の田植えを機に、我がミニ田に放流することにした

 昼過ぎに、定期通院で熊本市に一泊したじっちゃいが、寄ってくれた。車から突然何か降ろし始めたので、一体何事かと思ったら、ハチウトだった(写真は上下逆さま状態、ハチの出入り口を作っている)。自作してわざわざ届けてくれたのだ。ハチウトとは宮崎地方の言葉だと思うが、ミツバチの巣で、簡単に言えば、杉の丸太をくり抜いて、内部を焼いて、蓋をつけたもので、蜂蜜を塗って置いておくと、運が良ければ、そのうちにそこにニホンミツバチが巣を作ってくれて、蜂蜜が採れるという。宮崎のじっちゃいの周囲では、皆さん、山にハチウトを仕掛けに行くそうで、土地土地で面白い文化があるものである。

 早速、竹林のはずれの、日差しが強からず、弱わからず、風が当たらない、ちょうど良さそうな場所を選んで、設置してくれた。あとは運である、特に最近は世界的にミツバチが原因不明の減少を続けているらしい。蜂の行動半径、じっちゃいによると2キロだそうだ、うまく探してくると良いのだが。

 無線機の安定化電源が壊れて、直している暇がないので、ネットで購入した。30Aの新品が送料込みで驚くような値段で売っていた、小生の定額給付金を使うまでもなく、カミサンので買える程度の金額だった。壊れた電源、トランス式だからそれほど難しくないとは思うのだが。



平成21年5月22日(金)

 昨日の雨風、昨夜のうちに収まったかと思っていたが、今朝になっても細かい雨が降っていた。結局今日もハッキリしない一日だった。

 アサガオの苗が眼についたので買ってきた。アサガオは以前毎年咲いていたが、その場所に薪小屋を作ったので、咲かなくなっていた。今年咲いたら種が落ちてまた毎年咲くだろう。

 もう週末か、一週間が4日くらいに感じる。
平成21年5月21日(木)

 晴れのち夕方近くなって強い雨になる。雨が降る前の昼過ぎころ、非常に強い風が吹いていた。ここのところ雨がほとんど降らない日が続いていたので、その強い風に、あれは畑の土だろうか、遠望すると、ゴビの黄砂もかくやあらんという感じで空が黄色くなるほど中空高く舞い上がっていた。風向きがこのときは東から西に向かって吹いていたので、このまま東支那海を越えて向こうまで飛んで行け、とは決して思わなかった。このあたりは少しの違いで場所によって強く風が吹くかと思ったら全くそうでもない、非常に複雑な風の動きをする所である。我が家は、風は強いことは強かったが、畑の土を舞上げるほどではなかった。

 強い雨、雷を伴って二三時間降り続いて、夜8時前には雨域は東に去り、カエルの声が夜空にこだましていた。

 今日の畑仕事、畝を二列作って、マクワ瓜と西瓜を植えた。それから、イタメシに使うズッキーニ、キュウリの仲間かと思ったので、キュウリのネットの所に植えようかと思ったら、カボチャの仲間らしい、カボチャだと分かっていたら植えるんじゃなかった。

 今日は小生の66回目の誕生日である、60歳だとか65歳だとか区切りや意味のある年齢の時は少し気持ちが改まるが、66歳はなんの感慨もない歳である。精々、六六ゾロ目の丁、くらいか。まだ、馬齢を重ねて、と謙遜する歳でもない。いわゆる単なる一つの通過点である、じゃあ、通過してどこまで行くのだ、ゴールはどこだと問われてもこればかりは答えようがないが。それにしても軽い66歳だ、いつまで経っても人間が軽い、「歳相応」という言葉、この先もずっと無縁のままのような気がする。

娘からのプレゼントの手製メダル(写真1写真2

そして、今日は同時にM藤肇の母上の命日でもある、10回忌だったろうか。

 婆様デイケア。

 二回目のみどりのじいさま出場。
平成21年5月20日(水)

 晴れ。

 ここのところ、憑かれたように畑作りをしている。トマトハウス完成、自己採点、完璧。桃太郎を5株、フルーツトマトを2株定植する。

 そのほかに、今日もホームセンターで目に留まった苗を幾種類か買ってきて定植した。この後は、収穫まで何度か追肥をやったり、草を刈ったりしなければならないが、小生はここまでである、あとは放置である、良く言えば自然農法、実態は手抜き農法である。まだまだマルチをかけた畝が余っている、これからも手あたり次第植えてゆくことにする。ただ小生が好きでない野菜は植えない、例えば、カライモ、そしてカボチャ。つまり、イモ、タコ、ナンキンの類である、もっともタコは嫌いではないが。


平成21年5月19日(火)

 快晴。

 S賀さんの田んぼから、稲苗の残りを少し頂戴してくる(もちろん断って)。今度の週末にでも我がミニ田の御田植の儀でも執り行うことにする。

 何時も出遅れるので、事実今年も既に出遅れ気味であるが、野菜の苗が無くならないうちに、キウリ、ナス、トマト、マクワ瓜など目についたものから適当にホームセンターから買ってきた。

 昼過ぎに、自分の農場で絞った牛乳を携えて孝亮氏が立ち寄ってくれる、酪農の話など、初めて聞くことが多くて、時間を忘れて話が弾んだ。

 そういうこともあって、今日のハウス作りは、横通し棒をアーチの内側に付け替えて、ビニール製の屋根を押さえるためのベルトを結びつける単管パイプの埋め込みまでで、今日の作業を終わる


平成21年5月18日(月)

 晴れ。

 婆様デイケア。土日が過ぎて、家族皆が出かけて独り、小生にとって、月曜日は一般の人たちと違って歓迎すべき曜日である。

 トマト用のビニールハウスの組み立てをする。以前を思い出しながら組み立てたが大体こんなところか。(写真1写真2

 以前、初めて組み立てた時のサイズがどうだったか、日記に書いてあったかと思ったが、奥行きは書いてあったが、間口を書いていなかった。

 奥行きは横通しパイプの長さで、調べるまでもなかったが、間口は解体すると分からなくなってしまうのに書いていなかった。両サイドの地面に打ち込む縦のパイプにつなぐアーチ部分のパイプが2本加わって、都合4本のパイプで一つのアーチを作るわけであるが、アーチ部分のタワミはどうとでもなるので間口のサイズは固定的ではない、ハテ、どうだったろうか、インターネットで検索してみたところ、220センチのようでもある、しかし、別の記事には、ハウスは一間、二間というような尺貫法が基準になっているようで、横方向のパイプも5.4m、つまり三間なのである、ということは220センチでなくて180センチが正しいのだろうかと、迷ったが、まあ広い方がいいので220幅で組んでみるかと決めてやったところ、これで良かったような気がする。そして、もう一つ、横通しのパイプがアーチの外側を走るのか、それともアーチの内側を走らせればいいのか、迷って、外側に取り付けてみた。そして、終わってから前回の写真を見てみたところ、内側に取り付けてある。どうも内側が正しいようである。強度的にはどうなのだろうか、同じだと思うが、まあ、明日にでもまた、やり直すことにして今日の作業は終わった。あとはビニール張りをすれば大体完成か。

 今までの国旗、年に何回かの旗日に掲揚するホームセンターで売っているヤワな素材でできたものだったので、破れたのを機会に、常時掲揚のために今回シッカリしたものを購入した。連隊旗や応援団旗であれば、破れて縁だけになってもかえって伝統、歴史が感じられてい良いのだろうが、自宅で掲揚する国旗ではそうもいかないので新調したのだ。またついでに今までのものはヒモで棹に結び付けるタイプであったが、取り外しが面倒なので、ワンタッチで取り外しができるものにした。このワンタッチで取り外しができる金具を何と言うのか、これを見つけるまでが大変だった。インターネットは百科事典のように便利で、探しようによっては何でも載っているが、そこに行きつくまでのキーワードを見つけるまでがなかなかである。国旗と金具という複合検索をしても見つからない、いろいろ探してようやく、その金具の名前が分かった。

 この金具、「スイブルフック」というらしい。スイベルジョイントなどという言葉は知っていたが、そのスイベルと同じ意味だろう。


平成21年5月17日(日)

 昼頃から台風並みの風雨吹き荒れる。一時は20mくらいの強い風が吹いていた。夕方になってようやく風も収まってきた。

 大分くたびれていた日の丸がこの強い風に吹きちぎれてしまった。やはり雨風の時には降ろしたほうがいいのだろう。こういうこともあろうかと新しい国旗はすでに手当てをしてある。

 午前10時ころだったか、神石の江藤義広さん宅から出火(NHKニュースによると御当主は負傷された由)、先日この近くで火災があったばかり、続けて火災が起きることが多いので、よく「阿蘇の夫婦火事」と言われる。

 解体してあったトマト用のビニールハウスの組み立てを始めたが、雨が降り出したので今日の作業は中止。

 エシャロットが食べごろに育っていた。数年前に植えたが、これは放っておいても確実に育つので、いつの間にか密生してしまっていたので、昨年、株分けをしておいたところ、丸々と成長していた。これに味噌を付けて齧ると実にウマイ、飯が進むのである。


平成21年5月16日(土)

 晴れ。

 組内のF井渡家の総領どのの結婚披露宴が熊本城脇のホテルで行われ、村の人たちと一緒に参列した。和やかな良い披露宴だった。


平成21年5月15日(金)

 晴れ。今日は昨日よりもさらに気温が低かった。と言ってもこれまでが高過ぎたので、たぶん今日くらいが平年時の気候なのだろう。

 婆様、3週間ごとの定期通院、要は薬を貰うための通院である。

 今日は、畝を二本立てて、マルチを張って、キュウリなどの蔓性の野菜用の棚を作る。昨年の棚が、解体せずに置いてあったので、それをまた、今日作った畝にそっと運んで、差し込んで、補強して一丁上がり、台風などの強い風に煽られて下手をすると棚ごとひっくり返ってしまうことがあるので、四隅に杭を打ち込んで補強した。ネットを留めるのに、緑色のビニール紐を使えば美しく仕上がるのに、白の紐だからなんとも見苦しい風景になってしまった。先日来、ニガウリの苗がポットにひとつ置いたままになっていたので、早速定植した。あとは、キウリでも植えるつもりだ。さて次はトマトハウスか。


平成21年5月14日(木)

 朝は少し気温が低めだったが、今日も良く晴れた。この時期にしては雨が少ない日が続いており、先日も防災無線で、田への取水について、節水協力の願いが流れていた。阿蘇から裾野に向かって流れ出る伏流水は豊富だが、ここはその水源地帯なので川にしても思ったほどの水量は無い。普段の年でも田の水の引き込みは上流域から順番にやっているように見受けられる。

 婆様、デイケア。

 我が家の田でも今日田植えがあった。毎年のことだが、S賀さん御夫妻にお願いしている。これで、我が家を取り囲む田全部が稲田に変わった。(写真1写真2写真3写真4

 今日から集団登校の並ぶ順番が変わったようだ

 ようやく、重い腰を上げて、ナスとピーマンの定植を終える。たかだか5株づつ、30分もあれば出来る畝作りに一体何日かけたのだ。エンジンの始動とギアチェンジがとにかく遅い、後はキウリの棚作りをしなければ。それとトマトがあったな、まだ大丈夫だろう。一旦ギアチェンジがうまくいけばどんどんやる気になる。

  到来物、ウド、ワラビ、ダラン芽(今の時期、まだダラン芽があるのだ)。
平成21年5月13日(水)

 初夏のような天気が続く(昨夜はちょっと降ったようだが朝には上がっていた)。

 雀の営巣の時期なのか、今朝、今年の第一号、煙突から雀が落ちてきた。ストーブの扉を開けて逃がしてやってから、少し火を焚いて雀が煙突に近寄らないようにする。

 阿蘇でももうとっくに田植えが始まっているが、我が家を取り囲む田は、トマトなど他の作付のスケジュールの関係で今日から田植えが始まった。子供たちが登校する時にはまだ植わっていなかった田も、下校時には田植の真っ最中で、我が家の入口の田も田植え機が規則正しく苗を植えていた。明日も良い天気と見えて、風呂場から見える我が家の田に綺麗な入り日を映しながら太陽が沈んで行った。明日はここも田植えだろう。

 ライブカメラの改造、やり直し作業の途中で、突然別のアイデアが浮かんだので、急きょ、計画を変更してその作業に着手した。

 「風の便り」、カウンターを変更してから、ガクッとアクセス数が減少している。実はこのカウンターは同じ人間(同じIPアドレス)が一日に何回アクセスしても(たとえアクセスとアクセスの間に別の人が入ったとしても)24時間は加算しない、さらに管理者、つまり小生がアクセスしても(全く)カウントしないというシステムになっている極めてシビアなカウンターなのである。これなら、「キリ番」に豪華賞品を用意しがいがあろうというものである、次は600,000か、まだまだ道のりは遠い。


平成21年5月12日(火)

 晴れ。昨日よりは2〜3℃気温が低くて、風もあったので屋外に居ても暑さは応えなかった。

 午前中、トラクターで畑を耕す。何も植えないで耕してばかりいる。どうせ出来ても食べきれないし、買った方が安くて面倒でないので、雑草が生えないように時々耕すだけにしようか、でもせっかくあるのだから植えようかと決めかねていている。

 ライブカメラの屋外設置改造作業、試作品失敗す、試作2号機にとりかかる。


平成21年5月11日(月)

 晴れ。昨日同様暑い一日になった。

 婆様デイケア。

 午前中、ちょっと草刈りをする。

 婆様、デイケア終了後、そのまま病院の方で診察を受けたために、デイの送りはなくて、小生が受診後迎えに行く、そのほかに、カミさん、仕事の都合で遅くなるとかで不本意ながら娘のお稽古事の送迎と晩飯つくりと夕方になって分刻み、一体オレはこの家の何なんだ(ブツブツ・・・)。

 娘たち、下校時、大分慣れてきたことと、田んぼが賑やかになったことなどもあって、あっちにフラフラこっちにフラフラ、カメラで見ている範囲でもそうとう道草を食っている、一丁締め上げる必要がありそうだ。帰宅後、隣村の級友の女の子など二人遊びに来る。


平成21年5月10日(日)

 晴れ。今日も28℃近くまで気温が上がった。窓を開放してTシャツ一枚で過ごす。

 仙酔峡のミヤマキリシマがちょうど見ごろで日曜日と重なって、今年一番の人出だったと思われる、我が家から遠望すると、仙酔峡に通じる坂道に久しぶりに車が連なっているのが見えた。過去には57号線まで車が連なった時代もあったようだが最近はそれほどでもないようだ。

 切り倒して乾燥させてあった高菜と竹を燃やす。冬と違って、運ぶ苦しみ、炎天の苦しみ、火の熱の苦しみと、今の時期、いやいや大変である。


平成21年5月9日(土)

 夏のような暑さ、公式記録では、阿蘇でも27度近くまであがった、ただ日蔭はまだ空気がひんやりしている。

 午後、従兄のK兄が、所用のついでに婆様の顔を見に寄ってくれた。

 娘、若干、風邪気味のため、自重して室内で過ごす。

 カメラの屋外仕様改造を進める、少し、先が見えてきた。

※【熊日速報メール】※
<速報>日本初の新型インフルエンザ確認
厚労省は9日、成田空港で日本初の新型インフルエンザ感染者が確認されたと発表した。大阪府在住の男子高校生2人と40代の男性教諭の計3人で、カナダに短期留学し、8日に帰国した。 
(2009/05/09 06:08:08) --- くまにちコム ---------

とうとう来たか。

※【熊日速報メール】※
<速報>菊池・阿蘇地域に光化学スモッグ注意報
県は9日午後2時5分、菊池市、大津町、阿蘇市、産山村、南小国町、小国町に光化学スモッグ注意報を発令した。 
(2009/05/09 14:07:01)---- くまにちコム---------

まさか、阿蘇までも・・・・・・


平成21年5月8日(金)

 晴れ。

 昼から、阿蘇郷土史研究会の例会に出席する。

 室内仕様のパンチルト装置付きカメラを屋外で使えるように改造すべく、100均で材料集めを始める、大体イメージは固まっている。

 年度末でもないのに、ここのところ、連日、烹炊担当だ。


※熊日速報メール※

天草、宇城地域などに光化学スモッグ注意報

県は8日午後4時5分、天草市、上天草市、苓北町、宇城市、宇土市、上益城郡(益城町除く)、下益城郡に光化学スモッグ注意報を発令した。県内での同注意報発令は天草市河浦町と苓北町に発令されて以来、約2年ぶり。---------

一体何処の国のせいだ!


平成21年5月7日(木)

 晴れ、時々曇る。今の時期、我が家が水に浮かび一年で一番美しい季節である(写真1写真2)。

 婆様デイケア。

 皆出かけて久しぶりの独り。なんとなく屋外作業をするタイミングを逃し、昼から、来客モニタ兼防犯兼ライブ・カメラの交換をする。今まで玄関先を撮っていたカメラは、ジャンク品のビデオカメラ部品に自作の電源を作って、タッパに穴を開けてガラスを貼って作ったハウジングに収納して働いていたが、画質が悪い上に、数年使っているのでタッパが太陽光、風雨に劣化してボロボロになったので、手許にあったカメラをそれなりのハウジングに収納して設置した。ただ、今度のカメラ、室内用で、オートアイリス機能が無いので、どの明るさに設定したらいいか非常に難しい、いずれ、外光の明るさの変化に自動対応できるカメラと交換するつもりである、その上に、もう少し広角レンズの方が視野が広くなって良い。

 夜、E鴨氏がパソコンを抱えてやってくる、一生懸命習得中である。



平成21年5月6日(水) 振替休日(だそうだ、何の振替か知らないけど・・・・)

 晴れ。ようやく、らしい晴れ、になった。暦通りだと、明日から仕事や学校が始まるが、後半の連休、ずっとハッキリしない天気だった。休みが長ければ長いほど、反動は大きく、憂鬱な心持の一日になったことだろう。我々、サンデー毎日には無縁の感情である。

 3月の末あたりから、7メガのアマチュアバンドが、7.000〜7.100MHzから7.000〜7.200MHzまでと100KHz拡張された。今まで100KHz内でアンテナを調整していたので、今回の支柱交換のついでに、アンテナのエレメントを(説明書に従って)20cm、55KHz分だけ長くしてみた・・・・ん?そうか周波数の高い方に合わせるには逆に短くしないといけなかったのか・・・・・下の方に合ってしまって苦手なCW専用になってしまった。

 昼から、坂本義巳棟梁の告別式参列する。

 連休が終わって海外から何万人もの(あるいはもっと沢山か)の人が日本に帰ってくる、そのすべての人の検疫なんか出来るか、あんな形ばかりの機内検疫でどれだけ防ぎきれるのか。今の機内検疫で防ぎきるというのなら良いけど、潜伏期間中の感染者が各地に散ってから発症するのが普通だろう、それからではもう遅いのだから、やるだけ無駄だと思うけど。それほど危険だと言うのなら、初めっから海外に出すなよ。ペストじゃないんだからちょっと騒ぎ過ぎだという気がする。季節性のインフルエンザだって毎年、国内で万と言う人が死ぬという、今のところはワクチンが無いインフルエンザという程度のものじゃないのか、どうせいずれ入ってくるのだから、時間の問題だと思うけどな。という気がするが、理解のしかた、間違っているだろうか。


平成21年5月5日(火) こどもの日

 曇り。午後に入って暫し雷鳴を伴った弱い雨があった。

 朝、早々に、一昨日ひらめいた(というほどのものでもないが)アンテナ支柱の立て方を開始する。前回の方法は、できるだけ、先の方を起こしておいてから、根元の方からロープで引こうというものであったが、根元の地表からの高さが、身長分(より実際は手の位置だからもっと低い高さ)しかなかったので、少々ロープで引いたくらいでは重い孟宗はビクともしなかった。数学的にはどう説明すればいいのだろう、ベクトルの問題だろうか(違うか?オマエそれは違うよ、と誰か説明してくれると助かるが)。なるべく垂直方向に上げる方が、斜めに上げるよりも力が要らないのは分かっていたので、少しでも高く、と先端方向にばかり気持ちが行って、トラクターにハシゴを括りつけて、それでも足りなくて、二連梯子を伸ばしてその上に支柱を立てかけようとしたが(そこまで持ち上げるのは危ないのでしなかったが)、結局起こし方が足りなかったというよりは、基本的に引っ張る元の高さが低過ぎたのだ。

 そこで、前回の写真を見ながら、そうだ、単管という強い味方があるではないかと思いいたったのだった。根元の方を高くしてから引っ張ってやれば、簡単に持ち上がるハズだと気が付いたのだ。4mの単管の先端に滑車を付けて、滑車を経由して下からロープで引っ張ってやったところ、地表に寝かせてあった20キロくらいの竹があっけないほど簡単に立ち上がってしまった、一昨日の苦労は一体何だったのだろうと、笑ってしまった。文字通り、アサメシ前の一仕事だった。それにしても単管は使い道が沢山あって便利な材料である。

 それから先日のコイノボリの建て方で、クレーンで柱を持ち上げる際に、柱を締めていたベルトを、柱が立ってしまってから手が届かない状況下で外すのに、ベルトが締まる部分にロープを結んでおいて下からロープを引っ張ってやると、パラリとベルトが解けるやりかたを見ていたので、それをヒントに自己流でやってみたところ、すこし難儀をしたが、うまく外れた。それから、太い番線の縛り方についても、以前からどうやるのだろうと思っていたが、やはりコイノボリの建て方の時に、シノを使ったその作業を目の当たりにして、その名人技に感心したので、これも曲りなり真似してやってみて、アンテナ支柱の交換作業、メデタク無事に終了した。

 最近、コラがよくモグラを捕まえてくる。最近では今日が三匹目だ。わざわざ我々の見ている所まで連れてくるのは、獲物を誇示したいからだろうか。しばらくデッキで追いつ追われつしていたが、モグラがちょと狭い所に逃げ込んで、コラが見当違いの所を探している間に、命冥加な奴、上手く逃げおおせたようだ、まあ、自然界の掟で、我々人間は手を出さないでおいた。


 しばらく病気療養中だった坂梨の坂本義巳棟梁が日付が変わった今深夜、鬼籍に入られた(享年88)、今夕通夜、御焼香に伺う

(こどもの日、我が家恒例の菖蒲湯の定点撮影、××な母親の横槍で今年から中止(GMMのアドバイスにより伏せ字に変更)。)


平成21年5月4日(月) みどりの日

 終日弱い雨。今日までが穀雨と言うらしい、今の時期にしては少し肌寒くて、我慢していたがとうとう夕方になってストーブを焚いた。

 ちょっと前の大型連休の始まる前の週間予報とはかなり違ってきている。曇りがちだとは言っていたが、完全に雨天になってしまった。連休を利用して阿蘇に遊ぶ行楽客には気の毒な天気だ。阿蘇に住まいする者にとっては良い田植え準備ができ、阿蘇の自然はいつでもあるので雨を利用して雨読が楽しめる。

 婆様、デイケア。休みは年末年始くらいで、祭日でも関係なくデイケアはある。

 新年度の各種納税通知書がドサッと送られてきた、一度に全部を払うわけではないがドキッとする。


平成21年5月3日(日) 憲法記念日(だが、どうもこの祭日、近年、存在感が薄いな)

 曇り、昼を過ぎた頃から弱い雨が降ったり止んだり。

 昨日も今朝も3時過ぎには眼が覚めた。明るくなるのを待って、家族がまだ寝ている間に、花を楽しませてもらったたかなを切り倒す。もう切り倒すという言葉がふさわしいほど「幹」が太くなっていしまっていた。若いうちであればそのまま鋤きこんで肥料にしてしまえばいいが、これだけ太くなるとそうはいかない。もうかなり種が出来ているのでもう少し育てれば立派な種が出来るが、100円も出せば播ききれないほどの種が買えるので、少し乾燥させて燃やして土に帰すことにする。朝飯前に、屋敷内の草刈りもする。

 娘は、N樹君たちと二人の母親に連れられて浄土寺牧に弁当を持って出かけて行ったが、雨が降り出したと見えて早々に帰ってきた。K太郎君N樹君たちのお母さんが写真を送ってくれました(だからお母さんは写真に写っていません。写真1写真2

 小生は、HFのダイポールを張っている竹の支柱の取り換え作業を始めた。今の支柱、かなり古くなっており、強い風で折れるといけないので、突然思い立って始めたのだ。やるなら、周囲の、そしてミニ田の田植えが始まる前の方が良いと思ったのだが、どうせなら、更にもう少し早めに思いつけば良かったと思う、なぜなら、支柱が立っている場所はミニ田の直ぐ横にあって、作業が非常に難しい状況にある。田を掘る前にやってしまえば良かったのだ。前にミニ田、後ろに本当の田、横はジャガイモのマルチ、その反対側は薪材の山と全く空地が無いのだ。

 孟宗の長さが、測ってみると10mある、とにかく重いのだ。ああでもない、こうでもないと、いろいろ無い知恵を絞った結果、ハシゴの上に乗せかけて、ある程度上がった状態にしてから、反対側からロープで引っ張って起こそうかと思ったが、とてもじゃないがビクともしない。ハシゴは二連ハシゴなので、更に伸ばして、その上に乗せてから、引っ張ろうかと思っている間に、雨になって、今日の作業は終了、何とか独力でやり遂げたいがどうしてもだめなら、近所のユニックに出動を頼もうかと考えているが、プロセスが楽しいのでそれで良いのだ。人間、横移動はそうでもないが、重力にモロに逆らって上に移動する(移動させる)のはいかに大変なことかとこういったシーンではいつも感じる。写真を見ていて、思いついた、明日は逆の発想で行こう、多分うまくいきそうだ(写真1写真2)。


平成21年5月2日(土)

 晴れ。朝は少しストーブを焚いたが、昼間は初夏のような天気だった。

 大型連休に合わせるかのように新型インフルエンザが世界的規模で広がりつつあるが、ニュースを見ていると、せっかくの海外旅行、それでも恐れもせずに皆さん出かけていくなあ、小生は臆病だから絶対に中止するだろうと思うけど。一方、我が家の娘は、近所のN樹君たちと母親らの引率で隣村の馬場まで、カニだろうか捕りに出かけた。そして、今日は母親の許しも出たのだろう、水を引いた田んぼに入って泥んこ遊びに興じていた、よほど嬉しかったのだろう、泥だらけになって大はしゃぎだった(決して衛生的だとは言えないが直ぐに風呂に入るので構わないだろう)。ここではインフルエンザとは無縁にゆったりと穏やかに連休の時間が過ぎてゆく、と思っていたら、韓国や香港で発生したとニュースで報じていた。阿蘇はあちら方面の観光客が多いのでうかうか出来ない。

 今日の休日連続写真 1/2(全10枚)
 今日の休日連続写真 2/2(全10枚)
 (撮った写真の選別が結構面倒なので、ついつい全部載せてしまう、その方が手っ取り早いから。)

 小生は、そろそろ草が目立ち始めた畑をトラクターで耕したり、少し草刈りをしたり、タケノコと竹の中間くらいのやつの整理をしたり、それから、思い立ったらなんとやら、早速、ミニ田んぼ作りを始めた。場所は結局、ここ、数年前にミニ田を作った場所とほぼ同じ場所。ただ、畑は少々傾斜していても構わないが、田はそうはいかないので、少し勾配のある畑を平らに均すのに結構時間が掛かった、広さは二坪くらいだろうか。後は周囲の田植えの時に余った苗を少し貰えば良いだけである。

 観葉植物代わりの米作り、都会でも簡単に出来る。深めのトロ箱があれば良いが、無ければバケツでも良い、苗(またはモミ)さえあれば、都会のベランダでも窓際でも出来る、まず失敗は無いので子供にやらせてみると面白いと思う。苗なら、田植えの時にたくさん余って放置してあるからそれを貰って、少しなら宅配便で送ることが出来るなあ(自宅で米作りの体験してみませんか・・・将来のネットショップのアイテムにどうだろうか)。



平成21年5月1日(金)

 晴れ。今日も清々しい五月晴れだった(「五月晴れ」は、今日から使えることになる)。

 婆様、臨時で大阿蘇病院に、神経痛で体のあちらこちらが痛いので、注射をしてもらいに。

 天気が続いているので急に周囲の田んぼが賑やかになってきた。いよいよ我が家の畑の際まで水が入った。もうしばらくすると田植えが始まる。今年は久しぶりに、畑を二三坪掘り返してミニ田を作ろうかと思っている、久しく続けていた減反を今年は中止する、どこを掘ろうかと思案中である。

 レンタルカウンターを替えてみた、今度のは良さそうである。




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