平成22庚寅(2010)年7月の記録(新しい日付けの順)
平成22年7月31日(土)
朝のうち、少し雨が降る、天気雨的な雨で、朝日に虹が立っていた。
今日も暑かった。と言っても28℃くらいだったが、それでも屋外で作業をしていると暑さに参る。
今日も、休み休み、下屋の骨組みを工夫する。とにかく暑くて作業能率が悪い。
父子写真1・写真2JTQの四国八十八か所遍路旅日記 season2 【8】 2010/07/31
金剛頂寺(26番)の宿坊は部屋、食事、風呂等全て丁重な客人扱いで嬉しかった。最初の写真は宿坊の部屋です。今朝は06:45出発。R55を西へ、猛烈な暑さ、水分補給のペットボトルは6本、出費がかさみました。昨年泊まった民宿にリュックを預けて神峯寺 (27番)を往復。今日は長距離だったので疲れました。
(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6(神峯寺) ・写真7(神峯寺)
(昨年の今日、と同じだ。1地番札所から約325キロだそうだ・・・・風注)
(参考サイト)
http://gnl.cplaza.ne.jp/walking/sikoku.html
平成22年7月30日(金)
曇り。風があり心地よい日だった。
昼から娘は学校のプール、小生はアゼリアに。時短帯がちょうど空く頃と見えて、ゆっくり泳ぐ事が出来た。只、出る頃になって、軽く見積もっても100人くらいのこどもたちが団体で入ってきたので、多分、大混雑になった事であろう。
平成14年6月に単管パイプで組んで作った物置のようなものを今回新たに拡張して作り直すことにしたので、中身を整理をして、腐った竹の屋根を取っ払って骨組みだけにした。単管はこれが出来るから便利である。JTQの四国八十八か所遍路旅日記 season2 【7】 2010/07/30
昨夜泊まった民宿は過去に菅総理、中田前横浜市長などがお遍路した時に利用したらしい。自慢げに写真が壁にベタベタと貼ってありました。今朝の出発は0650、陽はもう随分と高くなって肌にさし込みます。室戸岬をグルッと廻るわけですが、R55はずっと海岸線を通っています。上からジリジリ下からは照り返しで干物になりそうでした。通常昼食は前日に購入しておいたパン、牛乳、握り飯がメインですが、今日は豪華に食堂に入って冷やし中華を注文、これが結構いけてボリュームもあり\500でした。(o^_^o)やっぱり腹が減っているとしっかりと歩けないことが良く分かりました。今夜のねぐらは金剛頂寺(26番)の宿坊。
出発前の海岸線・ 前夜泊った民宿?・ 室戸岬・最御崎寺 ・ 室戸岬町遠望?・ 峠道?・ 金剛頂寺(26番)
(充電器を入手したので、だと思うが、レポート量が増えてきて、それに、二度目ともなるとやはりレポートに余裕が感じられる。・・・・・風注)
(参考サイト)
http://gnl.cplaza.ne.jp/walking/sikoku.html
平成22年7月29日(木)
曇りのち晴れ。今日は爽やかで過ごしやすい一日だった。
市の健康診断で、坂梨公民館に行く。メタボ検査で、腹周りの測定、90ありますね、それより小さめのジーンズを穿いていて、そこまでは絶対にいっていないはずだが、まあ、五十歩百歩だと思ってあえて抗議はしなかった、かえって、これからのダイエットの目標が出来て良かった、今に見ておれ。
下屋の基本部分の骨組みがようやく出来た、丁寧にやったつもりだが、やはり少し歪んでいる。時間がかかったのは偏に暑さのせいで作業能率が落ちたからだ、ここまでやると、ついでに、横方向の下屋も一緒にやってやろうという気持ちになってきた。こんな時にじいさまが居てくれると助かるのに、クソ暑い千葉に帰ってしまった。そう言えば、じい様が、何年も鉢植えのままにしてあったクチナシを庭に移植してくれていたが、今、綺麗に咲いている。
夕方、T雄さんご夫妻が、太郎の誕生を祝福しに寄ってくださった(少し薄暗くてピンボケになってしまった)。
JTQの四国八十八か所遍路旅日記 season2 【6】 2010/07/29
(参考サイト)
27日薬王寺(23番)宿坊で食事中ウミガメ産卵の話を耳にし、産卵に上がった時にメールを貰う約束をしました。ところがメールが来たのはなんと午前2時、パスをさせて頂きました。(笑)28日はR55の小松大師辺りで雨模様となりました。「今日は早仕舞い 」と決め込み内妻隧道手前の遍路宿に入りました。亭主曰わく「まだ夕景まで時間があるので15Kmは行けるよ、帰りは車で迎えに行くから」で、仕方なく3時間も頑張りました。帰り道本邦最初の隧道に寄ってもらいました。格調高い隧道でした。2番目の写真は宿からのものです。今日(29日)は風雨の中を歩きました。室戸岬まであと16kmです。NTTDocomoが有りました。充電器くれました。(^o^)(写真1・写真2・写真3・写真4)
(ウミガメ産卵の場所、NHK「ウエルかめ」の舞台となった美波町である。小松大師とは、番外霊場と言われているようで、23番から約12キロ、辺川駅の近くにある。・・・・風注)
http://gnl.cplaza.ne.jp/walking/sikoku.html
平成22年7月28日(水)
大陸方面で発生した熱帯低気圧が大陸に沿って北上していてその影響で、今日は量は少なかったが、終日降ったりやんだりだった。気温も26℃くらいが最高で、あとは20℃そこそこの気温で少しヒンヤリしていた。
ちょうど雨が降っている時に、娘が、ミツバチの観察をやっていたので、こんな雨の時にはハチも休みだろうと言ったら、普段とあまり変わらない出入りがあったそうである。
一昨日の国造神社に引き続き、阿蘇神社の農耕祭事、おんだ祭りが小雨降るなか、斎行された。義母と娘を連れて、神幸行列の見物に行った。生憎の雨であったが大勢の人が見物に来ていた。(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5)
朝一番で宇治歯科に行く。歯ぐきの下の方に隠れた歯石は麻酔をかけて掻きださなければ取れないので、次回から、それを少しずつやりましょうとのこと。カミさんも今日から同じく宇治歯科へ、何の治療だかは知らない、彼女は夕方からなので小生が送迎して都合二回往復した。
阿蘇神社おんだ祭連続写真(全16枚)JR6IES提供
平成22年7月27日(火)
晴れ、午後からしばらくの間、通り雨、気温が一気に下がる。平成22年7月27日13時50分 熊本地方気象台発表
熊本県の注意警戒事項
熊本、阿蘇地方では、低い土地の浸水や河川の増水に注意して下さい。熊本、阿蘇、球磨地方では、落雷に注意して下さい。
===================================
阿蘇市 [発表]大雨,洪水注意報 [継続]雷注意報
特記事項 浸水注意
浸水 注意期間 27日夜のはじめ頃まで
1時間最大雨量 40ミリ
雷 注意期間 27日夜のはじめ頃まで
洪水 注意期間 27日夜のはじめ頃まで
付加事項 突風この発表を引用したのは、そのちょっと前に娘をプールに送って行って、小生が家に帰りつくとほぼ同時に、雨が降り出したので、すぐに学校に取って返して、雨の中、濡れながらプールに入っているこどもたちの様子を見ていたところ、さすがに、プール開放は中止になって、こどもを拾って帰った経緯があったのである(実際は16.4mmの雨量で、すぐに通り過ぎた。)
娘の家庭訪問。厳密にはオカシイ用法であるが、日本語としてはこれで立派に通用する、日本語の曖昧さの良い所である。娘の学校の家庭訪問である。午後三時半過ぎ、担任の I下佳代先生が見える。前の訪問先との関係で予定より少し遅れたので、娘はまだかな、まだかなと落ち着かない風であった。カミさんの仕事や出産で今までほとんど学校行事には小生が参加していたので、今日はカミさんと面談していただき、小生は外で下屋制作をしていた。
今度は裏カメラ用のPCが故障、次から次にライブ関連機器が故障する、何とかの法則のとおりである。JTQの四国八十八か所遍路旅日記 season2 【5】 2010/07/27
昨日立江寺(19番)の近くにお京塚と云うのがありました。江戸時代の話だそうですが、夫が有りながら不義密通を犯したお京は夫を殺し、二人して四国遍路に出たそうです。立江寺でお京は一切を懺悔し二人とも出家したそうです。この寺では犯した罪を懺悔しないと前に進めないと云う関所寺だそうです。そんな伝説も有って、お京を弔う塚が出来たそうです。昔はこんな世を憚るはぐれた人たちが四国を歩いていたのかもしれません。今日は平等寺(22番)、薬王寺(23番)をお参りしました。今夜は宿坊です。携帯電話での文字入力馴れていないので結構大変です。まだ充電器は手に入りません。
(去年の今日、やはり23番まで歩いている、ただ去年はまだ梅雨が明けずに、雨の中だった・・・・・風注)
平成22年7月26日(月)
朝から深い霧に包まれた、今日の霧は阿蘇のカルデラ内に滞留して、外輪からの眺望は久しぶりの雲海だった(北外輪山ライブカメラで確認)。日が昇った後も、霧というかモヤというか、かなりの時間視界不良が続く、そのため湿度が高くて蒸す。
下屋の骨格の基本部分の位置決めにじっくりと時間を費やしている。単管とクランプだけで組むのでいい加減にやっていると微妙に歪 な形になってしまうのだ。
小学校のプールは土日は解放しないので、娘をアゼリアに連れて行ったが、今日からまた学校のプールが始まったので、小生一人でアゼリアに行く。こういう暑い日は、プールに浸かるに限る。午後も二時を過ぎるとプールも大分空いていて、プールシーズン真っ最中のこの時期ながら、小生一人で一コースを独占する形で使わせてもらった。72.3・・・体重計の故障ではないかと一瞬思ったくらい太っていた。来週は健康診断がある、今回は間違いなくメタボ判定が下りるだろう。
今日の夕立の訪れは昨日よりは遅く、5時前後から遠雷がゴロゴロ聞こえ出した。見ていて面白いのは、その日によって雷雲の移動進行方向は違っていて、今日は大分あたりで発生した雷雲が少しずつ南下しつつ、西進を狙っていた、しかしその後、一向に熊本県方面に県境を越えて攻めてくる気配が無いまま一時間くらい経って諦めたかのように鳴りをひそめてしまった。阿蘇市には雷、大雨洪水注意報まで出されていたが。科学技術の進歩で、我々レベルの人間までこういった気象情報をリアルタイムで見る事が出来る時代になったが、反面、知らなければ知らないままで済んだことにハラハラドキドキするシーンもまたたくさんでてくる。
昨日あたりから、畑の端に置いて我が家を映しているカメラが停まっている。カメラの故障なのかあるいはラインの故障なのか。気力減退で解明する気になれず。気力減退とは老化の現れと寺さんは言うが・・・・・。今日は土用の丑の日、うなぎでも食べて元気を出そう。
JTQの四国八十八か所遍路旅日記 season2 【4】 2010/07/26欅グループ展開催連続写真
「二十番鶴林寺の納経所では昨年同様観音菩薩にお遭い出来ました(写真)。他にお遍路さんも居なかったので、少しお喋りを楽しみました。せんすをお接待として頂きました。今回は余裕があるでせう。ちょっと(えへへ) 同宿したお遍路さんに充電器拝借しました。」
(昨年もこのニョショウのことに触れている、二度目のお遍路はこれが目的ではなかったのかと思われるほどの美形のニョショウ、写真が添付されていたが、悪用されてもと思うので独断で掲載省略、希望者には個別に開示)
平成22年7月25日(日)
連日の真夏日、娘が朝から、今日はプール行く?とさかんに父親にご機嫌伺い。こんな暑い日はプールに限ると、午後2時ころアゼリアに行く。
ちょどその前後から、ゴロゴロし始めたので、サーバーの電源を落として出掛けたが、今日の「夕立」、と言うには少々度が過ぎたようで、「15時28分阿蘇地方(阿蘇市、南小国町、南阿蘇村、高森町)に大雨洪水警報が発表されました。今後の気象情報及び周辺の状況変化等に充分注意して下さい。と警報が出されたほどであった。
なお、阿蘇地方全域に雷注意報中
小国町、産山村は現在大雨洪水注意報中です。
(阿蘇広域消防本部)」
プールから帰って見たレーダー。ピークが過ぎた頃でさえ、こんなだった。(写真1・写真2)。 ちょうど我々がプールで泳いでいる頃、家では強い雨と風と雷でかなり慌てたそうで、南からの強い降り込みでデッキ側がビショビショに濡れていた。梅干しも前もって取り込んでデッキの内側の雨があたらないところに吊るしておいたがそれでさえ少し濡れたほどであった(降雨量21.4mm)。
強い雨と風、ちょうどハチウトの出入り口に向かってだったから、気になって見に行くと、何事もなかったように、離発着をしていた。
昨日やりかけの竹製の下屋を取り壊す、振り返ってみれば、平成14年11月14日に作ったものだ、約8年もの間、建っていたことになる。取り壊す際に少々てこずったくらいなので、少し手直しをすればまだあと一年くらいは大丈夫だったかもしれない。
今度の下屋は単管で作る。竹で作るのは思った以上に大変な作業で、田舎暮らしも、時が経つと、情緒より効率優先になる、こういう工作は、何よりも風に対しての備えが最も重要である、数年前の台風の経験がそうさせる。
(写真1・写真2)
平成22年7月24日(土)
晴れ、今日も暑かった。最高気温、阿蘇乙姫 32.8℃(12:56)、豆札風師庵33.3℃(12:55)、今年最高である。午後三時過ぎに娘が、お父さん暑いねえ、プール行こうかと誘ってきた、普段なら面度なので、またね、と言うところ、今日は、すぐに誘いに乗って、ずいぶんと久しぶりにプールに出掛けた。既に混雑のピークは過ぎていて、結構ゆったりと泳げた。昨年娘を連れてきた頃と比べたら随分と成長していて、独りで浮かぶ事が出来るようになっていた。(写真1・写真2)
プールに行っている間に一雨あったらしく、道路が濡れていたが、帰ってからもまた、大粒の雨がひとしきり降った(4.2mm)。雷も盛大に鳴って、昨日よりは至近弾が二三発あったので、少しは公共性のある自宅サーバだけは用心のために電源を落とした。この通り雨で、大地が潤い、一気に気温が数度下がった、今晩はいつにも増してしのぎやすい夜になるだろう。
昼過ぎ、数年前に竹で組んだ下屋(薪小屋)が、経年劣化でグズグズになっていて、そろそろやってくる台風シーズンに備えて、作りなおそうと準備にとりかかったが、今日の暑さに早々に撤退、とりあず、材料の単管のチェックだけをしただけだった。じい様が得意とするところだったろうに。
昨日発ったそのじいさま、今朝は彦根、昼には諏訪湖SAからメール、そして、午後5時過ぎには千葉に帰りついていたそうだ、古希である、驚くほどのタフぶりである。
どうしてもひとこと言いたい。前にも書いたが、今日から丁度一年後に、テレビのアナログ放送が終了するとかで、なるべく早く地デジテレビを買えというような放送がされていたが、どうしても納得できない。どうして国の都合で勝手に変更するのに個人が自腹で買い替えなければならないのか、生活保護世帯基準にかからなくても、買い替えは非常に負担になる家庭は全国にゴマンとあるはずである、我が家もそうだ。そもそも一軒に何台もテレビ(チューナ内蔵機器)があるのが最近では普通だろうに、それを全部地デジ化しろというのか、周囲でも我が家は地デジテレビを買ったという声をよく聞くが、そのような家ではテレビは一台しかないのか、他に何台かあるアナログテレビはもう見られなくなるのだぞ、それとも家のテレビは全部地デジに買い替えたのか、よく訴訟問題に発展しないものだと不思議で仕方が無い、これはまあ、マスコミが一丸となってやっていることだから、反対意見は抹殺されているのだろうが。小生の憤慨を耳にして、うちはテレビはあまり見ないから、地デジは買わなくてもいいよと娘が言っていた。
JTQの四国八十八か所遍路旅日記 season2 【3】 2010/07/24
昨日、焼山寺に17時20分に到着し納経帳に御朱印を頂けなかったので、今朝は焼山寺を2時間半かけて往復。遍路道には善根宿と云って2食にお弁当まで付けてくれて、3000円の宿がある。これはとても有り難い。今日は大日寺までが何故かとても長く感じられた。 携帯電話の充電器を忘れてきたので苦労してます。
(焼山寺-12番霊場、大日寺-13番霊場・・・・風注)
平成22年7月23日(金)
連日の「ホットフィッシュ」、夕方には今日も雷が鳴っていたが、すぐに遠ざかり、雨も降らなかった。レーダーによると、九州の東側に発生した雨雲が九州山塊を西に越えようとして越えられず、そういうわけで、こちら側には雨は降らず、遠雷のまま落ちることはなかった。一昨日は阿蘇の西側の出来ごとで、今日は阿蘇を挟んで東側の出来事だった。(写真1・写真2)
娘に、今日ようやくプールの許可を出した、午前中に勉強は全部済ませて、ハチの観察もやって、昼から喜び勇んで出かけて行った。
じい様が、朝食後、千葉へ帰って行った。今回は突然では無かったが、数日前からそろそろ帰ると匂わしていた。いくら引き留めても無駄だから、皆で気持ち良く送り出した。わざわざこの酷暑のなか、関東地方に帰らなくても、と思うが本人がそれで良いというので仕方が無い、道中の安全を祈るばかりである(午後3時半、関門トンネルを通過して、本州に渡ったとメールが入る、わりとユックリと旅を楽しんでいる模様)。出立に際して、初めて孫を抱かせてもらっていた。来た当初は風邪を引いたがため、その後はなんとなく、で、今朝初めて抱かせてもらったのである。
宮崎のじっちゃいが、定期健康診断で熊本に来た帰りに寄ってくれた。今回は免疫療法で一人旅とばかり思っていたが、小生の勘違いだったようで、奥方と孫1号ちゃん2号クンと一緒だった。皆さんで太郎の誕生を祝福してくれた。(写真1・写真2)今回は日帰りとのことで慌ただしく発って行った。娘は1号のAちゃんが、今回は一緒ではないと思ってプールに出掛けていて不在だった。じっちゃいにはしっかりとミツバチの講義を受けておいた。
平成22年7月22日(木)
阿蘇は今日も真夏日、風があまり無くて蒸し暑い一日だった。そんな暑さも夜になると必ず落ち着くので有難い。
娘は学校のプールに行きたくてたまらないようだが、朝起きた時にまだ咳が残っているので、風邪が完全に治りきるまで駄目だといって許可を与えていない、それが甚くご不満のようである。
じいさまはこの暑いのに相変わらず外で作業をしてくれていて家周りが随分とスッキリしてきた。
一方、ばあさまは、というには小生より若いので、ここは義母は、と言う。義母は、毎日休む間もなく炊事洗濯、そして家の中を磨きあげてくれて、働きづくめだったので、風邪か過労か、とうとうダウン、今日は一日中寝ていた。これで、娘、爺様、義母、それにカミさんまで風邪を引いたようで、今のところ小生だけがピンピンしている。カミさんは夕方爺様の車で古閑医院へ。これで、孫、母親、爺様と三代続いてお世話になった。太郎はどうだろう、しばらくは母親の免疫があるそうだが、肝心の母親が風邪を引いたのなら、免疫が無いということになるのか、今のところ大丈夫そうである。久しぶりに小生がおさんどんをした。
JTQの四国八十八か所遍路旅日記 season2 【2】 2010/07/22
「昨年と同じく一番霊場霊山寺に向かうべく坂東駅(高徳線・・・風注)で下車したのは私だけでした。前回と違うのは肌を刺す厳しい日差しと青空です。この良い天気が今回の巡礼を何か暗示しているようで、気持ちも高ぶります。きっと良い旅になると思います。今回は万歩計も使わず、すべて気ままに歩いてきます。日本蜜蜂が住み着いたそうでそれはおめでとうございます。今日遍路道の電信柱にいた蜂、もしかしてこれ日本蜜蜂? 写真を添付します。」
(間違いなく日本ミツバチだろう、明日、じっちゃいが来るので訊ねてみよう、居るところには居るものである)
平成22年7月21日(水)
晴れ。今朝の最低気温は18℃、ヒンヤリして気持ちの良い夜明けだった、熱帯夜の下界では想像ができないだろう。それでも昼間は、やはり夏である、30℃を少し超えて暑かった。そして夕方、雷が鳴った。レーダーを見てみると、阿蘇の少し西を強い雨雲が通過して行った、丁度大津方面で、テレビのテロップで大雨警報が出されたと伝えていた、短時間に相当まとまった雨が降ったのだろう。
今日から、夏休み、恒例のラジオ体操が始まった。我々のこどもの頃とは違って、ウイークデイだけ実施される。いつもの登校班、元気に集まって体操をしていた。
娘とじいさまが、ハチウトの前に座って、一定時間に何匹飛び立って、何匹帰ってくるか熱心にカウントしていた。どうして数えているんだと問うたところ、夏休みの自由研究にするそうである。このカウント、何かの参考になるだろうか。
梅雨が明けたので、梅干しの土用干しを始めた。普通、三日三晩、天日・夜露に晒すと言われているが、じいさまがまた不穏な動きをしている。多分、出来あがった梅干しを車に載せるには間に合わなさそうである。(写真1・写真2)
jtqが昨年に引き続いて、また八十八か所巡りを始める。以下のmailを「矢立ての初めとして」今回も遍路旅日記 part2(今風に言えばseason2)を載せることにした。
前回も今の時期。よくよく夏の好きな男である(前回は38日で歩いている)。「JTQの四国八十八か所遍路旅日記 season2 【1】
「梅雨が明けて猛暑到来です。21日の夜行バスが取れたので四国に行ってきます。今回は少しゆっくり42〜45日掛けて歩いてきます。熱中症で行き倒れにならなければよいのですが。・・寒風吹きすさぶ円覚寺方丈殿での土曜座禅会に随分と通いましたが、無念無想の境地はおろか結跏趺坐もままならず寒さに震えていました。(笑)
真夏の遍路は過酷ですが、国境の峠道などをひたすら歩いていると、土砂降りの雨の中でも大地と雨と一体になれる感じがしました。いつまでもずっとこのまま歩いていたい気持ちになりました。これって無念無想の境地の入口??(えへへ)
まあそんな訳で又行ってきます。」
平成22年7月20日(火)
晴れ。今日も暑かった、しかし、阿蘇は風があったので非常にしのぎやすかった。台風3号に発達したフィリピン近海の熱低は、今回は大陸方面に向かうようで日本には影響が無いとのこと、先ずはひと安心。
今日は娘の一学期の終業式である、いよいよ長い夏休みが始まる(といっても、ここは一応寒冷地、下界の学校よりは少しばかり夏休みの期間が短い)。正午前、下校する娘を校門前で拾ってそのまま熊本に向かう。今日は、太郎とカミさんの一週間健診だということで、暑い下界に向けて下って行った。
二人を病院の玄関で降ろして、娘を連れて、映画に。3D映画の「トイストーリー3」、こども向けの映画だが大人が見ても面白かった。映画が終わって午後4時過ぎに、そろそろカミさんたちの健診も終わっただろうと、病院の駐車ビルに向かう。
今日は、熊本市内は35度を超える、いわゆる猛暑日。そんな中を走って病院の駐車ビルに入ったが、ちょっと駐車位置を変えようとして再スタートをしようと思ってスターターを回したが、数回弱弱しくセルが回ってそのまま沈黙。エッ?と思ったが原因が分からない。石田オートに電話で訊ねたら、それはバッテリーがあがったのでしょうとのこと、でも、今までずっと走ってきて、停めたばかりですよ。ええ、それは、エンジンが回っている間は、とりあえずは、動いていますけど、古いバッテリーを使っていると、蓄電する能力以上に電気を使っているので、バッテリーの蓄電量はどんどん減っていて、一旦エンジンを止めると、動かなくなることになります、とのこと。さて、困った。ずっと動かさないでいるとあがるのは知っていたが、ずっと走っていても、バッテリーの容量がなくなるなどということは全く知らなかった。もう何年だろう。7〜8年くらい替えていないのではないだろうか(後から調べてみた、6年前だった、h16.12.14)。いずれにしても、このままだと、健診が終わったこどもと母親(はどうでもいいが)が、暑い中、帰れなくなる。
実は、二三日前に、ガソリンのクレジットカードの切替月で新しいカードが送られてきたばかりで、それに、無料ロードサービスの事が書いてあったことを思い出して、さっそく電話でSOS。すぐに来てくれるということで到着を待っている時に、駐車ビルの管理人さんが気がついてくれて、自分の車を持ってきて、ブースターケーブルをつないでエンジンをかけてくれた(最初からそうすればよかった)。すぐにロードサービスに事情を話してキャンセル。
ところが、カミさんたち何時まで経っても終わらない、いっそのことバッテリーを交換してしまえと街中に出て交換していると、やっと終わったと電話、結局、2時の予約で、終わったのが午後6時半ころ、へとへとになって9時頃帰宅した。
(まあ、なんとまとまりのない文章だこと)。
マイクロソフト社のWindows XP SP2の延長サポートが終了になったので、OSが叩き売りされているかと思って、オークションを覗いてみたところ、逆にプレミアがついて高値で取引されているようである。まだ XPが必要、XPで十分、という人が多くて、逆に品物が無くなったからだろうか。小生も、必要になったので買おうと思って驚いた。一方で、また最近、「中古再生PC用」と銘打ったOSが沢山オークションに出品されている。これは廃棄される運命のPCの数を減らし資源の再利用ということで生まれた製品のようで、これだとかなり安価に入手できるが、これはどういったものだろうか。いずれにしてもWindowsは高い。
平成22年7月19日(月)海の日(どうして海の日が生まれたのだろうか、海の日があるなら、山の日もあっても良さそうなものだが)
晴れ。早くも積乱雲が湧きたち如何にも夏だという一日になった、それにしても今日は暑かった。多分下界の暑さは相当なものだったろう、高原の阿蘇でも我が観測装置は最高気温31.2℃(16:18)を記録した(一方、阿蘇乙姫のアメダスの記録は、32.5℃(15:42)だった、もちろん今年最高気温)。それでも湿度が低かったので吹きこむ風が実に気持ち良かった、エアコンは要らない、強いて使うなら扇風機、空気が冷たいのでこれで十分なのだ。
梅雨が明けると今度は台風の心配だ、フィリピンの西にある熱帯低気圧が、どうも台風になりそうな、文字通り、雲行きだ。
午前中、じいさまだけに屋外労働を任せるわけにはいかず、久しぶりに草切りをやった。一方、じいさまは孫娘に付き合わされて、絵を描くためのメダカの屋外観察に出かけた、出かけたと言っても小学校のビオトープにだ、このあたりの川にはもうメダカは居ないだろう、多分。
平成22年7月18日(日)
梅雨は明けたがまだ雲が多い。夕方近くには一時霧雨が降っていた。梅雨明け、三連休の二日目、久しぶりに道路に県外車があふれていた、いよいよ行楽の夏到来である。
今日は、両親(義父母)、久しぶりに姿を見せた仙酔峡に、ちょっと行って来ると言って二人で出掛けたが、その足で火口まで行って来たとか、久しぶりの骨休めになったろうか。
嬉しい事があった。義父が草刈りをしてくれているが、「ウトにハチが出入りしているぞ、だから、あまり近くの草を刈るのはやめた」と言ってきた。
半信半疑でウトに行ってみると、おお、来てる来てる、連合艦隊空母の艦載機の如くたくさんのハチが離発着を繰り返している。もっとゆったりした動作かと思ったら、これが結構素早い、あっという間に飛び立って、戻ってくるとあっという間にウトの中に入っていく、カメラのシャッターが追いつかないくらいだ、これだけハチの出入りがあるという事は、女王蜂は既に中に居るのだろうか。それにしても何時入ったのだろう、少し前に見た時はその気配が全く無かったが。
数メートル離れて柿の木があって、毎年カキノヘタムシにやられるので、今日あたりスミチオン溶剤を散布しようかと思って噴霧器を用意していたが、大丈夫だとは思うが用心のために今年は、ハチを優先しよう。あとは、これからの梅雨明けの強い日差しに少し日蔭が少ないかもしれない、遮光ネットでも上の方に張らなければならないかもしれない、こんなに早く入ってくれるとは思ってもみなかった、いやあ実に嬉しい、飽きずに、そして気になって、日に何度も見に行く、これがウトが自宅庭にあるアドバンテージだ、ライブカメラでも設置したくなった、さすが名人じっちゃいの手になるハチウトである、まだ居ついてくれるかどうか分からないのだろうか、多分読んでいてくれるだろうから、じっちゃいにはこの日記で報告に代える。
(写真1・写真2) 動画-------------------------------------------------------------------------
Re: やったぜ 投稿者:じっちゃい 投稿日:2010年 7月18日(日)16時18分9秒
> No.2193[元記事へ]
風さんへのお返事です。
良かったですねえ、入りましたか。正直、今年はダメかなあと思っていました。小生の場合、足掛け4年掛かりました。名人じっちゃい作とまで言われると、舞い上がりそうです。
標高の関係で、まだ分蜂のシーズンだったのでしょう。御地は稲もほとんど農薬を使わないとか、そうするといい蜜が採れますね。盛んに出入りしているということは、早くても昨日か、一昨日位でしょうか。たぶん足に花粉を付けたハチが戻って来ると思います。活発に活動しているということは、女王が居る証拠と思います。滅多にありませんが、女王がいないことがあります。そのときは、群れがボォーッとして、あまり活動しません。ハチがウトの周りを飛ぶだけで、一目散に蜜探しに行く感じがないので分かります。
採蜜は、来年の春から初夏くらいがいいと思います。また、近いうちお伺いして見させてください。
--------------------------------------------------------------------------
(風) はい、おかげさまで、入ってくれました。そうです、黄色の花粉だらけのハチが戻ってきています。非常に活発です。入ってくれたらくれたで今度は色々心配ですね、ちょっとパラっときたら大丈夫だろうかと気になるし。それはそうと、入りやすいように西側に隙間を作ってあって、そこから出入りをしていますが、本来の穴は反対側の東側になります、いつかは、この西側の隙間を閉じて東側の小さな穴から出入りをさせないと行けないでしょう、特に、西側は雨風がモロに当たる側ですから。
小生が思うに、今回の小生の結果で、この辺りでも養蜂のちょっとしたブームが起きるのではという気がしています、多分、何人か見学に来ますよ。ただ置いておけば自然の恵みが手に入るのだから。来年、百花密、楽しみです。
---------------------------------------------------------------------------
平成22年7月17日(土)
気象庁は、本日、九州北部(熊本もここに属する)、四国、中国、近畿、東海、関東甲信、北陸の広範囲で梅雨明けしたとみられると発表したそうである。
ただ、阿蘇地方は今日はまだ雲が多く、時々雨も降っていたが、スッキリ晴れあがるのは時間の問題だろう。今日は湿度も高くて、ちょっと動くとムシムシしたが、それでも空気は間違いなく梅雨明けのそれだった。
義父も今朝から床上げし、元気に階下に降りてきた。そして、夕方から娘のお伴で、保育園の納涼祭に出掛けていった。過去の日記を遡ってみると、毎年納涼祭に娘を連れて行った記録があるが、小学校に上がっては、OGとして出掛けるのは今回が初めてだろうか、昨年行っただろうか、記憶にないので行っていないだろう。義父のおかげで小生は家でノンビリできて大助かりである。
平成22年7月16日(金)
朝から九州にはほとんど雲がかかっておらず、やはり梅雨明けだろうと思って、我が測候所は早々と梅雨明け宣言をしたところ、昼過ぎ、雷とともに雨が降り始め、降ったりやんだりではあったが、結局夕方まで降っていた。さすがだてに気象庁の看板を背負っていない、予報では今日は確かに昼から雨になると言っていた。それでも明日には梅雨明けだろう。
義父は大したことは無さそうだが、赤ん坊に風邪をうつしてはいけないと、自主的に閉門蟄居して、トイレ以外は一歩も部屋から出てこなかった、食事も自室で摂っていた。
今日も小生は読書三昧、いつも義父が外で汗を流しているのを気にしながらの読書だが、今日は心置きなく読書に浸ることができた。それ以外にも、娘の下校時間やおさんどんや、勿論介護など、あらゆることに気を使う必要が無く、完全に自分の時間に没頭することができた、なんだか初めてのような気がする。
平成22年7月15日(木)
朝5時前に、ドドンという揺れがあった、震源がこの近くで、震度2だったそうだが、ああ、直下型というのはこんな音と衝撃があるのかということが分かった。遠くの地震でユラユラと揺れるのではなくて、何か直撃弾のような響き方であった。
今日は明けてからはどんどん天気が回復して、夕焼けも出ていた。いよいよ梅雨明けかと思ったがどうやら明日もまた雨が降るらしい、それでも、もう時間の問題だろう。
娘、風邪っぴきで休む、昨日は古閑医院でネブライザーをしたそうだが、夜になってからも、自家用のネブライザーをしたそうだ、小生は二階で寝ていたので全く知らなかった、それでも、大したことはないようで、明日には登校できそうである。そして、今度はカミさんの父も。
これは娘の風邪が伝染したのではなく、雨が降っているのに、外で、作業をして、そのあとよく拭かなかったりで、体が冷えてしまったためだと思われる。年寄りの冷や水というやつだ(義父がこの日記を読むのはずっと先になるだろうと思って書いているがすぐ読むとマズイ)。今日、やたらと鼻水や咳をしているので、医者に行きますかと聞くと行くというので、付き添って古閑医院に出掛けた。昨日は孫娘の付き添いで、今日は本人である。古閑医院でも、なんとなく皆さんニヤニヤしている感じがした(決してそのような事は無いのだろうが)。熱を計ると38度あった。薬をもらってきて、今夜は大人しく寝床に居る。
太郎、帰宅後初めて(二回目だそうだ、訂正が入った)お祖母ちゃんの介助で入浴をした、やはり気分が良いのか、甘露甘露というような顔をしていた。
平成22年7月14日(水)
雨。珍しく、阿蘇市にも大雨洪水警報が出されて、そのあとでさらに土砂災害警戒情報も出されたが、幸いに心配されたほどの雨は降らずに、前線は南のほうに下がって行った。北九州や山口では河川の決壊や山崩れなど大きな被害が出たようだが、ここは今回も大したことが無くて良かった。
義父は今日も雨の中、草切りなどをしてくれていた。
村の宗教行事である天神祭があり、村内の菅原神社(といっても小さなお社であるが)で神職を呼んで神事が行われ、そのあと、いつものように集会所で、村の皆さんと直会があった。
娘はちょっと風邪気味のようで、古閑医院におじいちゃんに連れて行ってもらった。
平成22年7月13日(火)
今日も前線が停滞したままで、思い出したように強い雨と風が吹いていた。九州北部から東に向かって雨域が広がっていて、ここはその雨域の南のはずれになるので、雨雲も密でなく、雨雲がかかると強い雨が叩きつけるように降るが、ずっと降り続けることはなかった、今晩はどうなるのだろうか。
こどもとカミさんが今日退院した。カミさん、もう少し時間がかかるかと思ったが丁度一週間だ。11時頃退院の手続きを済ませて、雨の切れ間を慎重に慎重に運転して1時半ころ無事に我が家に帰りついた。カミさんはまだ階段を上ることができないので、「姉」が「弟」を抱いて、婆様に誕生の報告をした。
昨日の日記をお読みいただいたそうで、出水の菜の花さんが、「掲示板の常連さんを代表して」、と、お忙しいなか、わざわざ退院直前の病院にこどもの顔を見にきてくださった。(ご本人の職業上の事情で、残念ながらお顔を写せない)
帰ってから、さっそく市役所に出生の届をした。
名前は「太郎」である。「どうだ、太郎だ、参ったか」である。誰かに対して、「どうだ」と言っているわけではない、誰かに向かって、「参ったか」と言っているわけでもない、ただ、今はそう言いたいような気分なのである。皆さんには本当にたくさんの応援をいただいた、感謝の気持ちでいっぱいである。
滝室窯二代目の記事が本日の熊日に載っていた、今後の発展を願うばかりである。
平成 22年7月12日(月)
前線がちょうど九州あたりに停滞しており、今日も終日、断続的強い雨と風が吹き荒れていた。そんななか、こどもたちはずぶ濡れになりながら歩いて登校して行った。そうだ、意地でも歩け。熊本でも、大雨洪水警報が出されたり解除されたりしているが、不思議と阿蘇地方では、阿蘇市などはその対象から除外されている、カルデラの影響だろうか。
二回目の歯石取りに宇治歯科に行く、今回で歯石は取り終えたが、もういちど、最終検査をするそうである。
高所が苦手な義父、こんな悪い天気のなか、ノンビリしてくれたらいいのに、じっとしていられない性分と見えて、激しい雨ぬ打たれながら、詰まった雨どいの掃除をしてくれていた。小生は雨読であった。
いよいよ明日、帰ってくることになった。
平成 22年7月11日(日)
今日は時々思い出したように強い雨が降った。それよりも梅雨前線が山陰から北陸方面に上がっていて、それに吹きむ風のせいか、今日はやたらと風が強かった。肝心の風速計がやはり不調で、正確な数字が記録されていないが、十メートル以上の風ずっとが吹いていた。
朝のうちに参議院議員選挙の投票を済ませた。さすが過疎地帯である、今回は一度としてどこの党の選挙カーも回ってこなかった(と思う)、静かで大歓迎の選挙戦だった。投票を終えて出てくるとK通信社が出口調査をしていたので、こんな田舎の投票所で珍しいので応じた。選挙結果の速報のためというよりは、結果がでたあとの投票行動の分析にでも使うのだろうか。小生の投票行動、是非投票したい候補者、党なんてない、絶対入れたくない党、候補者はある、それで後は死に票は出したくない。
まもなく、新しく誕生した家族が戻ってくる(彼にしては戻るのではなく初めてになるが)のも間近なので、ベビーベッドの組み立てや、その置き場所の確保、そのためにはじき出されるベッドの移動など、午前中、皆で、動き回った。特にベビーベッドは、娘の時に使って、恐らくもう使うこともないだろうと、分解して屋根裏の一番奥にスノコ代わりしに敷いて、その上に色々な物を載せてあったので、それを引き出すのが大変であった。婆様の葬儀で手当たりしだい屋根裏に投げ入れ状態だったので、それも作業を大変にした。もしかしたらという気持ちがあったのかもしれない、捨てないでおいて良かった。ベビーベッドが入ると一つベッドが置けなくなるので、それを二階に運んで、ゲストルームのベッドと交換して、ゲストルームのベッドはソファーベッドだから、小生のシャック近くに、ソファーとして置いてと色々工夫をしたが、考えてみたら、小生の寝床が下に無くなった、小生はここに寝ることになるか(というよりそう言うつもりだったのだが)。
夜は、カミさんの病院でのディナーに皆で出掛けた。出産のお祝いとして、家族が最上階にあるレストランでディナーを食べるのがこの病院の「売り」だそうで、女性の皆さんは結構この事を知っていて、それも病院選択の理由のひとつになっているとのこと、小生は、そんな面倒なことはパスと言ったのだが、カミさんもこれを楽しみにしていたらしくて絶対に落とせないという、仕方が無いからカミさんの両親と娘と出掛けた、女というやつは・・・・。十階にあるレストランで、フランス料理のコース。小生は田舎者だから、正直、こんなシチュエーションでコース?という感想であった。(写真1・写真2・写真3・写真4)
日本が歯止めもなくとんでもない方向に向かうことは阻止できたようだ。
平成 22年7月10日(土)
今朝も阿蘇谷は深い霧に包まれた。そして晴れ後、夕方くらいから雨空になってきている。明日あたりは相当降るような事を言っているが。風速計、また水が入ったようだ、シールドの仕方が足りなかったようだ。
夕方から雨との予報で、昼間のうちに、カミさんの両親がジャガイモ掘りを全部やってくれていた。小生は娘を連れてカミさんの病院へ。順調に育ち、カミさんも回復しているので、夜間を除いて、こどもはずっと母親の脇に置いたベビーベッドに寝かされていて、母乳の授乳も始まっていた。一度経験済みのはずなのに、なんとも覚束ない。
娘は、今日が初めての対面で、「お姉ちゃん」、「弟」という言葉とその関係に慣れていないので、「イヤダあ〜」「イヤダあ〜」とやたらと照れまくっていた。あとも三四日で退院まで行きそうな気配である。(写真は当分、このネタになる 写真1・写真2・写真3)
小生には、退院後、これから先、延々と育児の分担が待っているので、今のうちにと、今日も昼飯を食い終るとさっさと映画に出掛けた。今日は、「踊る捜査線3」がちょうどかかっていた。この映画はカミさんに付き合って前のシリーズも見ていたので、馴染み深い、そして今日も面白かった。この映画でいつも感心するのは、カメラワークが従来の日本映画に見られない動きをするので、非常に画面が生き生きして臨場感がある。常にカメラを動かしている、静止している時間のほうが少ない気がする、常に動いている。極端に言えば、従来の日本映画は舞台演劇を正面から固定カメラで捉えるようにじっくりと撮る撮り方で、それはそれで味があるかもしれないが、スピード感が求められる映画には向いていない、これに対して、今日の映画のような撮り方は、画面にぐいぐい引き込まれていくような感じがする、ハリウッド映画のスピード感のある映画の手法なのだろう。
最近、シマ(コラ)が姿を現さない、というか我が家の猫だから、どこかに行ってしまって、時々は帰って来るが、餌箱の周囲一帯に近づくことを恐れていて、非常に緊張してオドオドしている。餌箱に近づかないので、無理に抱えて餌箱の前に連れてくると、餌を食べながら、びくびくして、食べ終わると、いままでは、近くの自分の居場所があって、そこで昼寝などしていたが、そそくさと居なくなる、一体何があったのだろうか。
平成 22年7月9日(金)
朝起きてみると庭先に結構水溜りが出来ていた、記録を見ると午前4時前に35.8mm/hrという激しい雨が降ったとある、階下で寝ていたので雨に気がつかなかった。この数字は、一時間降り続けると、この降水量になるという数字で、実際には22mmの降雨量だったようだ。今日も一日晴れだったが、そろそろ梅雨の中休みも今日までのようで、明日は午後からまた雨になるらしい。
今日、婆様の未支給年金の決定通知書が届いた。常々、婆様は、「私は医療費が掛かって申し訳ないねえ」と口癖のように言っていたが、婆様は何もしなくても、ただ居るだけで月に100,000円の年金を稼いでいた。自分の国民年金と、遺族年金である。「今のご時世、しかも最低賃金が全国で一番下のほうの県の、更にまたその田舎に住んでいて、月に100,000円稼ぐのは大変なんだぞ、婆様が生きていることは素晴らしいことで、それだけとっても我が家の家計に大貢献なんだよ、大威張りで居ろよ」、「でも、医療費で赤字だろう?」「いやそんなことないよ、いくら入院しても収支は黒字なんだから、絶対に死ぬなよ、たとえ死んでも、生きてろよ」とよく冗談を言い合ったものである。その年金の最後の分である。大切な記録だから金額まで載せて記憶に残すことにした。この未支給年金は、ハッキリした記憶ではないが(あるいは間違っているかもしれないが)、以前は遺産扱いで、相続手続きに絡んで、処理が大変だったと思う。それが最近では最後に生活を共にしていた家族の口座に入金されるようになったのではなかったろうか。これで少し、国の年金財政が改善されるかもしれないが、我が家の家計に今後この額が入らなくなったのである。
今日はカミさんの両親が病院に行った。こどもも、経過は順調だそうで、今日からGCUを出て、普通の新生児室に移ったそうだ。そしてカミさんの病室に連れてくることができるようになったそうで、病室でジジババとフェースtoフェースの初の対面が出来たそうである。
午後から、月一度の阿蘇郷土史愛好会の例会に出席する。
平成 22年7月8日(木)
晴れ。朝、珍しく霧が出たので、義父に、雲海見物を勧めたが、今日は阿蘇山より高く霧が出ていたようで、雲海とはいかなかったようである。午前中は湿度が高かったようだが、午後からは気温が上がったものの、湿度が下がったので蒸すような暑さではなかったようだ。
今朝はみどりの爺様出場の日だった、忘れずにいつもの辻に立った。
今日は小生一人でカミさんの様子を見に行く。まるで豪華ホテルとまではいかないがそれでも広々とした部屋に入っていた。小生が昼前に顔を出す直前に屁がでたそうで、それまでお預けだった食事が解禁になって、五分がゆだがちゃんと副菜も付いて昼食が出たところだった。それとカテーテルも取れたそうで、どんどん回復に向かっているようである。
「息子」の様子をGCUに見に行く、昨日までは裸で寝せられていたが、今日は、もう、うぶ着を着せてもらって寝ていた、カミさんの手許には病院側で撮ってくれた哺乳瓶でミルクを飲ませてもらっている写真もあった。夕方、出産後初めての母子対面が実現したというメールが来た。
今日は義父は、ジャガイモを少し収穫してくれて、そのほか一日中暑いなか、屋外で作業をしてくれた。義母は家の中をピカピカにしてくれて、小生は全く掃除はしないので見違えるほど綺麗になった。
今年は、ホタル見物の余裕が無くて一度も見に行っていなかったので、食事の後、カミさんの両親と娘を連れて我が家の裏に行ってみたら、少しだけ光っていた。天神橋に回ってみたがこちらは全く見えなかった、時期的な理由か時間的な理由か不明である。
小生が一昨日の日記に、誕生時の体重、2808グラムのところを2088グラムと書いたので、カミさんからさっそく訂正の指示がきた、確かに大きな違いだ。
平成 22年7月7日(水)七夕
なんだか梅雨明けのような夏空が広がっている。
病院で一晩付き添って、夜中じゅう、何度も病院のスタッフの出入りの音を夢うつつで聞きながら朝を迎えた。
出血止めのために、装着していた圧迫止血用の器具を少しずつ外しながら様子をみて、多分大丈夫だろうというところで、カミさんの両親がやってきてくれたので交替して帰ってきた。
そして、夕方、義父から、総ての圧迫止血用の器具を外して、出血が止まっているのを確認して、一般の病室に移ったという連絡が入ったので、とりあえず、ひと安心である。両親にはそれを見届けてから帰ってきてもらった。
その間、ずっと娘にかまってやれなかったが、今日は七夕で、「短冊を書いたから、夜でも、笹飾りを飾っても良いかな」、というので、竹を切ってきておじいちゃんと一緒に家の中にだが、立てていた。僅か数枚の短冊だった。
小生は、昼前に、こどもの顔を見にGCUという部屋に入った。この部屋には、両親しかはいれないそうで、それ以外の、たとえ娘であっても、かなり離れたガラス越しでしか見ることが出来ないそうである。カミさんの両親はそのガラス越しでの(それも相当離れた場所からの)孫との対面になった。この措置もしばらくのことだと思う。早産の程度によって、NICU(新生児集中治療室)とGCU(新生児センターというのか)とに部屋が分かれていて、前者は保育器に入れたりしてより細やかなケアが必要な児が入る部屋で、後者はその段階を過ぎて、ケアの重要度が緩和された児が入る部屋である。うちの子は、規定上は一日早いので、早産ということで、このGCUという部屋に入っているが、特に、何か特別な処置がされているかというと、別に何もされていなようである。このGCUという部屋に入るのも大変で、体をうっかり傷つけたりしないよう、時計などの金属製品やカメラなどは事前に外して保管庫に入れて、外科医が手術をする際にする手洗いくらい肘まで丁寧に洗って、更に消毒をしてから、ドアを手で触らないように、足スイッチで扉を開けて部屋に入らなければならない。そのくらい、感染症に対して注意を払っている。しかし、白衣を着用するわけでもなく、衣服に付着したウイルスなどをせっかく洗った手で触ると台無しだなと、ちょっと抜けている?と思われる面もある。
他にも、今回のことで、色々と新しい知識を得ることができた。病院の分娩の階にはLDR室という部屋が沢山ある。どういう意味だろうと調べたら。Lは労働のlabor、Dは配達のdelivery、Rは修復のrecoveryのそれぞれの頭文字だそうだ。一体、分娩でそれらの言葉はどういう意味があるのだろうと調べると、laborは陣痛、deliveryは出産、recoveryは、まあ、文字通り回復、つまり、陣痛、出産、回復の三文字の頭文字だそうだ。つまり、陣痛が始まってから、出産して、回復までを場所を変えずにホテルのような部屋でずっとゆっくりしてもらおうというシステムのようで、出産を無機的な分娩室で行うという従来型の出産からもっと気持ちよく産んでもらおうと考えられた最近のシステムのようである。などということを、この歳になって書くことになろうとは。
というわけで、実にめまぐるい二日間であった。
平成 22年7月6日(火)
天気はどうだったろう、雨では無かったと思うが記憶が定かでない。
とにかく今日は長い一日にだった。日記更新もノートは持って行ったが、無線端末を持って行かなかったので、翌日更新になってしまった。
午前3時半ころ、カミさんの「破水したかもしれん」という言葉で起こされて、病院に電話して指示を仰いだところ、すぐに来いとのことだったので、寝ている娘を義母に託して、まだ明けやらぬ国道57号線を追い越し禁止もものかは、今までの経過が経過だったので、とにかくかっ飛ばして一時間ほどで病院に滑り込む(もしパトカーに捕まったら、それでも構わない、先導してもらおうとさえ思っていた)、すぐに診てもらって、破水していますね、まだ大丈夫ですから、病院側のスタッフが揃ったら手術をしましょう、ということになって、午前9時50分、無事男児出産。本来のカミさんの満期日は今月末近くだったが、明日から37週に入り、いわゆる正期産の期間に入るということだったので、9日を出産予定にしてあった。ところが、今日出産となるとその規定より一日だけだが早くなったので、たとえ一日でもルール上は早産という扱いになるらしくて、病院での出産後のケアの仕方が違ってくるらしい。ただ、実質的には正常な出産と変わらないので、未熟児として保育器に入ることもなく元気な泣き声を上げている。体重も満期日よりは3週間くらい早かったのだが、2088グラム(後からカミさんが読んで、訂正を指示してきた、2,808グラムの間違いだった)あり、十分に育っていた。
今回の出産、事前に、いろいろな理由で自然分娩は難しいので、外科的に取り上げることに決まっていたが、結果的にその手術予定日より3日ほど早い出産になってしまった。
ところが、よく向こうの映画をみていると、"I have some good news and bad news. Which do you wanna hear first?"というシーンに出くわす、その伝でいけば、これまでの話が良いニュースで、これからは悪いニュースということになる。
(と言っても、その悪いニュースもこの日記を書く時点では既にクリアーできたのだが)カミさん、出産は無事にできたものの、胎盤が癒着していたとか喰い込んでいたとかなんとかで、出血がとにかくひどくて、かなり大量の輸血をした。それでも出血が止まらなければ、最悪の場合は、大学病院に転送して動脈塞栓術、それでも駄目なら子宮摘出を覚悟してください。
幸いに、そこまでは至らずになんとか出血が止まりつつある。更に、血液型さえ合えば、輸血は問題が無いと思っていたが、体質によって、同じ血液型でも、合うものと合わないものがあるらしくて、輸血を始めたとたんに、ジンマシン様のアナフラキシー反応が生じて、何度か別の血液に取り替えたりして、輸血に時間がかかった。たぶん、これ以上の大事にはならないとは思うが、そんなわけで、手放しでは喜べない状態である。
とにかく最初から最後まで世話の焼けるカミサンである。午前4時前に家を出て、小生もさすがにくたびれたので、先生にお聞きしたら、実にサッパリした先生で、帰っても泊ってもどちらでも良いですよ、いずれにしてもこちらでちゃんと看ますから、とのことだったので、早朝に家を出たっきりで小生もさすがにくたびれたので、帰ろうかなと思ったら、助産師さんやカミサンが一晩付き添ってくれというので、仕方がない、付き添うことにした。
ベッドに寝て酸素や点滴やカテーテルやモニターなどにつながれてうなっているカミさんの姿を見ると、つい三ヶ月前の同じようなシーンが頭の中で重なる。あの時と今回は正反対のシチュエーションではあるが。
男親は、いきなり目の前に、ピーピー泣いて、モコモコ動く小さな物体を示されて、ハイお子さんですよといわれても、正直言ってその実感は無い、嬉しいには違いないが実に妙な心持である。それに対して、母親は10か月近く、ずっと自分の腹の中に抱え続け、日々その成長を感じながら毎日一緒に生きてきたのだから、それは男親とは全く違う感情があるのだろう、残念ながらその辺のことは男親には分からない、まあ、バカだのアホだのと悪口ばかり言ってきたが、大変だったのだろうなあと、思っている(お父さんも大変だったんだから)。
それにしても絶妙のタイミングで、義母が来てくれたものである。聞いたところ、義父はほとんどの部分を一般道路を走ってきたようで、夕方、到着したと連絡が入った、三時間ぐらいは寝たと言っていたが。
ところで、名前は男の子なら、と前々から決めている名前がある。前々からというのは、所帯を持ってからか、あるいはもっとそれ以前からだったかはハッキリしないが、カミさんも娘も、最初は、えっ〜?と言っていたが、それはもう夫権というか父権というか、決めたているのだと言うと、なんとなく、いつのまにか生まれる前から彼女たちも自然にその名前を呼んでいる。
平成 22年7月5日(月)
梅雨の中休み、今日は雲が覆っていたがそれでも太陽が感じられる空模様で、湿度が高くてなんとも蒸し暑い日だった。
カミさんの母親、つまり義母が、Xデー間近になったので応援のために昼過ぎに千葉からやってきてくれた。義父は義母を羽田空港まで送り届けた足で、例によって車でこちらに向かっているそうである、なんだか、ずっとしたの道路を走っているとか、いやはや。
今回取り付けた気象観測装置、時々風速計が50m/sなどととんでもない数値をはじき出す、とりあえず分解してみて調整するところがあるだろうかと思ったが、六角レンチの穴が合わない。実は、この気象観測装置はアメリカ製である。日本は国中余すところなくアメダスが設置してあるのでその必要が無いが、アメリカは国土が広くて、そういった仕組みは日本ほど普及していないので個人で気象観測装置を付けている人が多い、こういった装置は、日本製としては業務用しか無くて、個人が道楽で使うには高価過ぎて手が出ない、そこで、個人ベースで使う装置はほとんどがアメリカ製になる。アメリカ製なので、装置を分解しようと思うと、インチ規格の六角レンチが無いと分解できない、アメリカめ、世界統一規格のメートルを使わないで、自分たちは勝手に、インチやヤードやフィートやマイルやガロンなどを使ってやがって迷惑この上ない、とブツブツ腹の中で言いながら、ホームセンターでインチ規格の六角レンチを買ってきた。しかし、開けてはみたけれど、特に調整するようなところもなさそうである。考えてみたら、このエラー、雨が強く降った時に起きているように思われる。そこで調べてみたところ、装置内につながっているケーブルの穴あたりしか、雨が入りこみそうな所は見当たらないので、今日はそこに詰め物をしてみた。さあ、これで雨が強く降った際にどうなるかである。
平成 22年7月4日(日)
午前3時すぎ、雷と強い雨の音で目が覚めた、二階に寝ていたので雨がもろに屋根を叩く音で目が覚めた。結構雷が近いようなので、サーバーなどを休止して、レーダーを見たが、ちょうど、カルデラをかすめるように、強い雨と、雷が通過して行った。観測装置によると一時は54mm/hの強い雨が降ったが、一過性のものであった。結局そのまま起きてしまった。
今日も終日PCの前に座り、気象観測のWEB作成に頭をひねる。かえって見難くなるので、あまり必要ではないと思われるものを削って、1ページにまとめて、自分流にアレンジした。これで、大体形が整ったと思うが、肝心の風速計の調子が悪くて、その調整が済んでから正式リリースのつもりである。
平成 22年 7月 3日(土)
終日降ったりやんだり、しかし雨量は大したことはなく、一日で20ミリ程度、それにしても、宮崎南部の雨は凄い、口蹄疫禍といい、豪雨といい、踏んだり蹴ったりの状態で本当に気の毒である。
今日は、おさんどんとPC作業で過ごす。昨日、お向かいのАキさんが梅を届けてくださったので、梅干しにはちょっと未熟なので、久しぶりに梅酒を作った。ここ数年、婆様が飲まなくなってので梅酒は作らなかったが、義母が好きなので義母用の仕込みである。婆様の頃は、飲兵衛だったので一度に5〜6升くらい漬けていた。梅酒だけでは甘すぎるので、焼酎を梅酒で割ってナイトキャップにしていたものである。
漬け終わって、ちょっと、氷砂糖と梅の順番が違うような気がして、過去の写真を見たところ、やはり逆だった、数年ぶりの作業なので忘れてしまっていた。氷砂糖は溶けて自然に下に沈むように、氷砂糖を梅の上に載せるべきだったのだ、まあ、時々回してやれば良いか。
tomu氏が、ビニールハウスを作るそうで、実物の検証に見えた。
平成22年7月2日(金)
曇り。気温が高く湿度も高く、じっとしている分にはどうということは無いが、ちょっと歩くとじっとりと汗が出てくる、そんな蒸し暑い一日だった。そして夕方になって雨が降り出した。
午前中、宇治歯科に歯のメンテナンスに行く、歯医者に行くと必ず最初にやらされる「歯磨き指導」、結構丁寧に磨いて言ったつもりだが、色素を塗られると真っ赤になる。そこを、持参した歯ブラシで丁寧に落としてから、歯石を取ってもらった、歯石取りはもう一回くらいやって、そのあと、まだ何かやるだろうか。
午後から授業参観なので、昼食後、出掛ける準備をするために二階に上がると、黒いひも状の物が床にある。娘のヤツはまたこんなところにヒモなんか置きっぱなしにしてと、跨ごうとしたら、動き出した。それはヘビだった。家の中なのでそのままにはできないと、手を延ばして捕まえたら、捕まえた部分が胴体の下の方だったので、首を回して指に食いつてきた。イタッと思ったら、右手人差し指の第一関節あたりに小さな咬み跡が出来ていた。普通、ヘビはこんなに攻撃的なことは無いので、もしかしたら毒蛇かもしれないとおもって、注意して捕まえて、虫籠に入れておいた。というのは、もし、時間が経って毒がまわってくるようなことがあれば、実物を持って病院に行った方が良いだろうと思ったからである。咬まれた痕から、少し出血していので、吸って血を出して、あまり深く咬まれた訳でもないし、もし、中毒症状が出たらその時に医者に行こうと、一応、健康保険証を持って、娘の学校に出掛けた。
その後、数時間(5時間)、いまだに体調に変化が無いので、多分大丈夫だろうと思うが、ネットで調べたら、ヤマカガシ (http://baikada.com/JSM/?p=188)のようである、そして、その毒性は非常に強いと書いてある。その毒の強さはハブの10倍、マムシの3倍だそうだが、本当だろうか。この毒は奥にある牙から出すそうだから、小生は前歯でちょっと咬まれたくらいだと思っているので、多分、このまま大丈夫だと思うが・・・・。無用な殺生はしないことにしているので、明日にでも、放してやろかと思っている。それにしても非常に攻撃性の強い蛇で、ケースの外から指を差し出すと、大きく口をあけて飛びかかってくる。
ということで、午後から娘の授業参観があった。そして授業参観と保護者懇談会を挟んで、まもなく夏休みでもあることなので、心肺蘇生法の講習会が消防署の指導であった。我々保護者は夏休み中、プール監視の仕事があるので、皆さん熱心に受講していた。5年生と6年生も講習会には参加した。(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6)
平成22年7月1日(木)
本日の天気、百聞は一見に、で斯くの如くであった。雨もゼロであった。
早朝、自宅サーバーのバックアップをとった、RAIDが組み込んであるが、落雷でダメージを受けると多分、全部だめになるのだろうと、いつも気にしていたが、ようやく、開設以来のバックアップを取ることができた、総量約3GB、結構時間がかかった。
せっかくの梅雨の晴れ間というのに、敷地内は最早手遅れ状態にジャングル化しつつあるというのに、一日PCにかじりついて気象観測のwebアップに取り組む。色々なデータを取り込んで分析表示をするために、ファイル構成が複雑で、そのうえ英語が得意ときているのでなかなか分かりにくく、trial&errorで少しずつ解析をしている。ところで、「℃」という文字、普段何気なく使っているが、非日本語圏では使わないのだろうか、英語だけのフォントでは「℃」は無いようである。だから、英語仕様のソフトの中で自動処理する部分は日本語に対応しておらず、「℃」を使おうとすると文字化けしてしまう。これは仕方のないことだろうか。ようやく曲りなりではあるが、最小限日本語化が出来て、データも正しく表示されるようになってきた。ただ、風速計が時々異常反応をするので、風速計部分の装置を一度取り外して、調整をしなければならない。
このページ先頭へ 日々の記録目次へ