脱腸の記

鼠径ヘルニア、いわゆる脱腸!

平成25年9月10日(火)

 勤務を終えて帰宅後風呂に入るときに左下腹部に瘤状のものが出来ているのに気が付いた。全く突然ではあるが、これは脱腸ではなかろうかと思ったし、まさか癌じゃあるまいなとも思ったのだが、正直良い気持ちではなかった。痛みも若干あったので翌日かかりつけの医院で見たもらったところ、やはり脱腸であった。この医院は開業以来40年以上の付き合いである。

 なんでも歳をとると腸を押えている靭帯が弱くなり穴があいて、そこから腸が飛び出すらしい。寝ていると引っ込んでいるのだが立っていたりいすに座っている状態だと腹圧がかかり飛び出してしまう。押し込めば引っ込むのだが、ひどくなると引っ込まなくなり場合によっては大事になるとの事である。休みに1時間程度散歩をするのだが、やはり出っ張ってきて痛みが増す。放っておいて治るものではないので手術が必要だろう。

 脱腸と言う言葉の響きはあまり格好が良くないのだが、周りの人たちに言いふらしたら案に相違して結構あることのようで、俺も俺もと何人かの知人が既に手術をしていたので驚いた。その後、痛みが強くなり、また頻度も高くなってきたので手術を受ける為、医院で市立病院宛に紹介状を出してもらった。


平成25年10月22日(火)


 医院に紹介された市立病院に行ったところ11月8日に入院、11日手術、14日退院ということになり、血液、尿検査、心電図、レントゲン撮影と事前検査をしてきた。最初は日帰りかせいぜい1泊2日の積りだったのだが、医師曰く「ここは保守的ですから」と言う事で1週間と言う事になってしまった。まあ、それだけ丁寧に診てくれるのだろうと諦めるしかない。仕事を休むのは気が引けるが・・・。

 まずい事にこの手術を受けた人の3人に1人ほどの割合で反対側に再発するらしい。考えてみれば歳をとって筋肉や靭帯がもろくなったのだから片側に穴があくのなら反対側も同様のことが起こりうるだろう。その時はその時だ、第一相当の年数持ちこたえれば寿命のほうが先に来てしまう可能性だってあるのだから。


平成25年11月8日(金)

 いよいよ入院。時々は強い痛みがあるが我慢できないほどではないし、他に何も無いのであるから全く元気で入院というのも妙な感じがした。居心地がよさそうな病室。TVや冷蔵庫もあるが必要ない専ら寝るか本を読むかであった

 元気の良い看護婦さん(看護師というより看護婦のほうがいいな)から色々説明を受け、その後、午後から麻酔医、担当医から説明やら既往症等の質問があった。両者とも若い医師だった。手術の説明書に一ヶ所押えておかなければいけない所があった。それは手術の前後1週間は禁酒、禁煙という項目である。前後1週間というのは前と後にそれぞれ1週間かとたずねると、その通りだが酒の方は・・・・・となかなか含蓄のある回答だったので、これは「良きに計らえ」と聞こえた。納得。どうせ手術後は文字通り入院中なので禁酒。(ヘルニア解説1ヘルニア解説2 PDFファイル)

 麻酔の説明の後、お願いがあるというので何かと思ったら、消防の救急救命士に現在許されている救命措置をより豊にする為麻酔下で気管にチューブを挿入し人工呼吸をする実習をしているので協力を願えないかとの事だったので即、了承した。麻酔医が付添っているので問題は無いだろう。「救急救命士による気管挿管実習に関する説明・同意書」という長ったらしい標題が着いた文書に署名した。もちろん手術同意書、麻酔の同意書にも署名した。医者も書類が大変だと思うが昔からあったのかなあ。

 昼は病院食だったが内臓が悪いわけではないので普通食で思いのほか旨かった。キノコご飯、茶碗蒸し、白菜の甘酢漬け、高野豆腐の煮物、バナナ、牛乳100ccなかなか豪華である。

 なんと、明日、明後日は土日となるので今日は自宅に帰って良いとの事だったが、あくまでも入院中の外泊扱いである。3時過ぎに帰宅したので夕飯は我家で、もちろん晩酌付き。

 ところで、実にどうもケシカランことに看護婦殿に大事な毛を少し剃られてしまった。以前からこういう場合は剃刀で剃るのかと思っていたが、バリカンか電気剃刀のキワゾリの部分を使うのだ。要は、毛が長いと傷口に入り雑菌が繁殖するので短ければ問題ないようだ。

 ヘルニアの場所が左である事を示す為左手の甲に丸印(腕に二本線ではない)、白は名前生年月日等を示すリストバンド、緑はセーフティーボックスの鍵がついている(写真


平成25年11月10日(日)

 入浴後、夕食を晩酌無しでとっとと済ませ、病院に戻り明日の手術に備え下剤を飲んだりして早いところ寝てしまったがアルコールも入っていないし時間も早かったので少し寝つきが悪かったが、いつの間にか眠ってしまったようだ。


平成25年11月11日(月)

 いよいよ手術日となり今日は絶食で水分も午前10時以降は禁止された。事前の注意や説明の為ドクターや看護婦、看護師が次々と訪れ色々説明してくれた。時間になり、歩いて病室と同じ階にある手術室に向かう。TVや映画等で見る、これが手術室でゴザイマスという感じで、なかなかいかめしい部屋が幾部屋かあるなかの一室に入室後、不織布の帽子をかぶり、執刀医、麻酔医、救急救命士、看護師の皆さんと挨拶を交わし簡単な説明を受け手術台に。

 まず酸素マスクを装着し深呼吸等をしながら「これから眠くなる薬を点滴で入れていきます」の声を聞いているうちに「○○さ〜ん」と呼ばれ、まだ何か注意事項があるのかと思ったらカミサンの顔が見えた。なんと、手術は終わっていたのだ。初めての全身麻酔はなかなか快適(?)であったなあ。

 その後集中観察室(HCU)で翌朝まで経過観察。傷そのものの痛みより腰の痛みと血圧やら脈拍やらのモニターが発するアラーム音に始終起こされてしまった。血圧の低下と何か他の警報らしかったが別にどうということでもなく看護婦さんがリセットをかけるとしばらくは静かになった。酸素マスクをしているせいか、口の中がからからになり、用意しておいたペットボトルのお茶を吸い飲みで口に含ませうがいを何回かさせてもらった。


平成25年11月12日(火)

 HCUで朝食が出た。普通食であったがさすがに米飯は少し残した。食事の後、点滴と尿の管を外し(この際尿道に焼けるような痛みが一瞬走った)身体を拭いてもらい普通病棟に戻ったが、このときは看護婦さんが一緒に付添って歩いて戻った。やはり結構痛みがあったが歩かないといけないそうだ。ベッドに寝るときと起きるときは、傷が痛み、思わず声が出るほどであったが寝ている分にはどうと言うほどのこともなかった。夕方から夜にかけて少し熱が出たが手術のあとにはありがちな事らしい。


平成25年11月13日(水)

 終日ベッドから出たり入ったりだが痛みは相変わらずであった。毎日医師、看護婦(師)たちが何度も訪れ様子を見たり励ましたりで良く対応してくれる。また掃除も行き届き、昔(父や友人が入院していた頃)と比べ格段に快適な状態である。見舞いに来てくれた人達も言っていたが病院独特のにおいが殆どしなかったが他の病棟はわからない。夕方の回診で予定通り明日の退院が決まった。


平成25年11月14日(木)

 晴れて退院。入院と手術で自己負担額は約10万円だ。これだけあれば旅行に行けたなあ等とつまらない事を考える。3割負担だから総額は・・・・・。そんなものか。まだ痛みは残っていて歩くのも加減しながらであるが、これは日が経たなければしょうがない。カミサンが迎えに来て荷物を持ってくれたが今日のところはタクシーで帰宅した。一応医師の言葉に従って抜糸までは禁酒。あ〜あ。


平成25年11月15日(金)

 本日より出勤、痛みはまだあるが日柄ものだ。


平成25年11月19日(火)

 抜糸の予定



追記
 東京オリンピックの翌年に茅ヶ崎に引っ越したときには、ほんの腰掛程度だと思っていたのだが、やがて両親を呼び、カミサンをもらって子供たちが生まれ、今ではここと大阪に孫も出来、気が付いたら約50年もこの地に住み着いてしまった。当時茅ヶ崎市立病院といえば駅の近くに木造のものであったが今では別の場所で大きな施設となっている。病室等も大部屋でも4人部屋で実に綺麗だし洗浄便座付きトイレもあり隔世の感がある。スタッフの腕前については、それぞれ感じ方であろうが小生は良いと思った。皆とても親切で感じが良かった。http://hosp.city.chigasaki.kanagawa.jp/

 大病でもないのに自分の病気や手術の事を公開するのもどうかと思ったが、小生の子供の頃は「ダッチョウ」という言葉は他人をからかうときにも使われていたし、ある意味今もそういうものかと思っていた部分もあるので、もしかしたら同病で思い悩んでいる人がいたらと思ったので敢えて風氏に託した。脱腸友の会でも作ろうかな
入院中の献立

 11/8  (昼食) きのこご飯、茶碗蒸し、高野豆腐炒め煮風、白菜甘酢、バナナ、牛乳100cc
       (夜〜10日夜までは自宅)

 11/11  絶食

 11/12  (朝食) 米飯、ふりかけ、白菜と油揚の味噌汁、人参、つくね
      (昼食) パン、ピーナツバター、牛乳、キウイ、肉野菜炒め
      (夕食) 米飯、ジャガイモとわかめの味噌汁、千草焼(卵)、空豆、大根和え物、きゅうりぬか漬

 11/13 (朝食) 米飯、玉ねぎ、なめこ味噌汁、ミートボールケチャップ煮、ほうれん草和風和え、ブロッコリー。練り梅
      (昼食) カレーピラフ、ゆで卵、レタス、ミニトマト、洋ナシ、牛乳
      (夕食) 米飯、豆腐青汁、さわらつけ焼き、サトイモ含め煮、茹で人参、胡麻酢和え、乳飲料

 11/14 (朝食) 米飯、大根わかめ味噌汁、秋刀魚おかか煮、うの花、菜の花青しそ和え、ふりかけ

  総じて食事はおいしかったので手術の翌朝以外は完食したが普段は毎日1回以上麺類なので米飯200gというのは些か多かった。

 4日間ひげを剃らなかったらこんなになった。結構似合うじゃん!もちろん会社に行くにあたって剃ってしまった。



平成25年11月16日JG1GMM