九州旅行記 (2008.3.17〜19) 武藤 肇
旅行を思い立ったのは出発のひと月ほど前の新聞の広告を見たときだった。「ロマンチック九州三日間の旅」は格安でしかも一日目の宿泊が阿蘇温泉郷となっている。S田の家の近くだ。前回の訪問から5年経っていて、機会があればと思っていたところなのでちょうど良かった。友に会うのが目的なので妻は一人で行ったら、という。しかし残念、広告にはお二人様以上での申し込みという条件がついていた。
出発時刻が遅いということは到着時刻が遅いということ。せわしない旅の始まりだ。我々ツアーの一行は大分空港に午後着いて、待っていたバスに乗り空港から湯布院へ山の中を走った。この日は好天に恵まれ由布岳が青空の中に屹立して雄大な姿を見せていた。ここで小一時間の散策、さらに近くのみやげ物店に三十分立ち寄る。
その後バスはやまなみハイウェイを通って、九重、阿蘇の高原地帯を走る。道の両側は山焼きされて黒くなった起伏が延々と続く。春浅い阿蘇の雄大な風景だ。今回の宿泊は阿蘇ファームビレッジというところ、到着したのはまだ明るかったが七時近くになっていた。
阿蘇ファームビレッジは阿蘇の中腹の広大な敷地に温泉をはじめ色々な施設を配した一大レジャーランドだ。宿泊施設はその中にあって一戸一戸がきのこの傘のような形をして独立している。このコンクリート製のパオのような施設が四百数十戸敷地内にある。そして循環バスがそれぞれの施設を連絡してほぼ十分おきに運行されているということだ。遅い時間に到着した我々は残念ながらこの施設を十分に堪能する余裕が なかった。
S田の家は阿蘇のカルデラ内の東に位置し、このファームランドは西に位置するそうで、なんと20kmも離れているということだ。あわただしい夕食のあと、S田はその20kmの道を愛娘のN子ちゃんと迎えに来てくれた。
彼の家に着いたのは夜9時だった。ご家族との挨拶もそこそこにとりとめも無くあれこれと話しているうちに時間は直ぐにたってしまい、明日の出発時刻が早い 我々は再びS田に世話をかけて宿まで送ってもらった。
「ロマンチック九州 3日間」の二日目、朝8時に阿蘇ファームビレッジを出発して30分ほどで草千里に到着、朝の冷気の中ブラブラと散策、草原の奥の方には残雪が二筋三筋見えている。噴煙を上げている火口付近は現在規制中とかで省略。もし規制中でなくてもスケジュールに入っていたかどうか、時間的に。
昨日から今日にかけて、東西南北あらゆる方向から阿蘇五岳を眺め、その雄大な景色を目に焼き付けてバスは山々の間をぬって南下する。11時頃高千穂峡に到着。
バスガイドの案内で峡谷に沿って20分ほど歩く。上を見れば真っ直ぐにそそり立つ
断崖、下を見れば深い谷の底を流れる川にボートが浮かび滝が注ぐ、観光写真でよく見かける風景が眼前にひろがる。
ひと通り見終わったあとはみやげ物屋の前で、昼食をとるためにその店の迎えのバスを待つ。我々のグループの他にもクラブツーリズムや読売旅行の「あったか九州の旅」だの何だのと銘うったツアーの一行が5分おき、10分おきに同じルートを歩きおわって時間差で集まってくる。まるで各グループとも時間を示し合わせたかのようだ。
九州の山奥に位置する高千穂峡にこんなに多くの旅行社のツアーが集中する訳を添乗員に聞いたら、なんといっても地元の物産や観光に力を入れている、有名な宮崎県知事の影響が大きいのだそうである。
昼食後バスは今度は福岡県の柳川に向った。宮崎から熊本を通って福岡である。幸い一般道でも空いているのでほぼ時間通りに進む。
柳川には午後3時半ごろついた。柳川下りのオプションを選んだ我々は二十人位が乗れる平底の舟(どんこ舟というのだそうだ)に乗り込んだ。城下町の堀の名残の水路が縦横に走る。船頭のガイドと歌を聴きながら、両側に立ち並ぶ民家を見上げて舟は進む。舟から見る川沿いのところどころに、白壁の土蔵やなまこ壁が見える。ちょうど今がシーズンということで家の中につるし雛が飾ってあるのが珍しかった。
船着き場になっている「お花」というところは柳川藩城主立花家の別邸ということで、どんなところかだけでも見たいところだが、これも時間が無くて全く見学できず、さらに名物といわれる鰻もバスに向う途中で蒲焼の匂いがして、その味を想像するのみだった。
柳川から本日の宿泊地の長崎へ向う頃、ポツリポツリと雨が降り出し到着する頃には本格的な雨模様となっていた。
朝8時に阿蘇を出たバスは夜7時過ぎに宿泊地長崎の矢太楼という高台に位置するホテルに到着した。走行距離は380kmを超える。一ヶ所にゆっくりしていられない訳である。到着した駐車場には大型バスがざっと10台、もちろん乗用車やバンもとまっている。
部屋に荷物を置いたあとは一風呂浴びる隙もなく夕食である。本日の夕食は豪華ふぐ尽くし!この旅行の目玉でもあるふぐのコース料理である。ちょっとメニューをご紹介と思ったがながいので省略。お造り、焼き物、揚げ物、鍋物、ふぐ雑炊など全十三品、いやぁこれはじっくり味わいたいものと思ったがそうはいかない。到着した時間が遅い上に、これだけの大人数がいっせいにふぐ尽くしを味わおうというのだからそんな悠長なことは言っていられない。
せめてもと酒を頼むがテーブルの上はコース料理がほとんど出尽くしていて、周りの人たちはせっせと眼前の料理を口にはこんでいる。ゆっくり酒なんか飲んでいられるような雰囲気じゃない。
従業員は「どうぞごゆっくり」などと言いながら空いた器をどんどん片つけていく。結局いくつかの料理は食べきれず、心を残しながら大広間を後にした。
この高台に位置するホテルで印象に残ったのは夜景である。部屋から見下ろす夜の長崎の街はキラキラと輝いていた。「東洋の真珠」?だかなんだか有名な言葉を残した人がいたらしいが、確かにすばらしかった。
明日も8時出発、慌しい旅の最終日である。
三日目の朝、小雨が降ったり止んだりの空模様、だがこの日は低気圧の影響で次第に風が強く吹くようになる。
初めはグラバー園の見学、かのグラバー邸のほか、当時の洋館が高台の傾斜を利用して移設されている。何時からかエスカレーターが設置されていて高所から下るようにして各洋館が見られるようになっている。
ここで小一時間。次はめがね橋、川にかかる橋が水面に写るとちょうどメガネのように見えるというガイドの説明で、ガイドの小旗を先頭に川の両側をざっとひと回りしてそのまま傍のべっ甲店へ。ここは歴史のある店のようだったが、なんだかこの店に入れるのが目的のような手際の良さだ。
この後もそうだが過密なスケジュールの割には土産物屋に良く寄る。トイレ休憩を兼ねているので、それはそれで良いのだが、中にはそのたびにポリエチ製の買い物袋をぶら下げてバスにもどる人がいる。
この辺に安いツアーの秘密があるのだろうか、真相は不明である。昼食後、展海峰へ向う。展海峰は佐世保の西側に位置し、小高いその場所から小さな島々が眼下の海一面に浮かんでひろがる九十九島(くじゅうくしま)が一望できる。スケールの大きい箱庭を見るようだ。
ここまでが午前中のスケジュール。昼食後九州の最西端平戸に向う。
平戸といっても当然のことながら、橋を渡ってすぐの町並みだけではあるが平戸でも今がシーズンということで吊るし雛を見ることができた。この地ではキリシタンでないことを示すため、ことさらに寺院が多くあったということで、寺院の甍に囲まれた教会の尖塔が印象的だった。
ここの松浦資料館は藩主の屋敷跡ということで、堂々とした石垣と石段の上に建つ重厚な建物だが、今は文字通り当時のものが資料として展示されている。
南蛮貿易当時のオランダ船の船首に取り付けられた木像や当時の地球儀、参勤交代時の江戸から平戸までの通過する都市の様子を表した巻物、さらに丹波篠山からお姫様が輿入れした時に使用した肘掛けの部分が擦り切れた豪華な駕籠(如何に長い大変な旅だったかが偲ばれる)など、ゆっくり見たいものが多くあるのだがここも ほとんど流してみる状態で駐車場のバスに戻る。
あわただしい行程で平戸のほんの一部を見ただけだが、ここの人々には当時の世界が海のかなたに広がって見えていたであろうことは容易に想像できる。
平戸を後にしたバスは帰りの空港となる福岡へと向うが、この後も伊万里焼を展示、販売している伊万里焼会館に寄り、さらに空港の近くまで来てダメ押しとばかりに九州物産館に寄ってようやくの解散となった。
本日のバスの走行距離は300km強。運転手さん、無事に届けてくれてありがとう、三日間お疲れ様でした。この日は雨はそれほどではなかったが、風が強く、航空機の到着が遅れ、福岡空港を発ったのは9時を過ぎていた。
三日間、なんとも慌しい旅行だった。後で見たら一ヶ所でゆっくり探訪できるようなプランのツアーもあったようだ。
それにしても、久しぶりに会ったS田ともまともな挨拶もせず「ようっ!」で済ませてしまった。なんだか久しぶりという感じが全くしなかったのだ。普段インターネットで彼のホームページを見ていて、先方は知らず当方にとって始終目にしている姿がそこにあるのでそんな態度になったのだろう。
あれやこれやと話し出せばきりが無いし、まあ直に彼を初めご家族の顔を見ただけで良しとしよう。こちらの様子も伝えられただろうし。
安いツアーを探してまた行くよ。