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平成13(2001)年8月の記録(新しい日付けの順)

8月31日(金)
 午前中、基礎配筋検査でT石さん熊本市より来訪。

 本日郵便が届く、これには少々事情が・・・先日、宅急便が仮設住居宛てにちゃんと届いたので、郵便はどうであろうと、自分宛ての葉書を町内で投函したところ、まだ正式な住所ではない(つまり住民登録をしていないモグリの町民)にもかかわらず、これもちゃんと届いた、直ぐに小さなポストを設置した。
 
 午後、赤水(阿蘇谷の一番西寄り〜熊本寄りの町。一の宮は最東端))の「阿蘇百草園」に薬草を見に行く、ここにもヒゴタイが咲いていた。

8月29日(水)
 今日は「配筋」(こういう字だろう)工事、基礎部分にこれほど多くの鉄筋が使われるとは思わなかった。

 阿蘇山には過去数度登ったことがあるが、総て阿蘇町から草千里を通るルートだったので、今回は一の宮町の仙酔峡ロープウェイで登ってみた。丁度阿蘇町から登るルートの反対側にあたる。

 ほとんどの観光客は草千里側から登るので仙酔峡ルートはひっそりしている。しかし眺望は断然仙酔峡ルートの方が勝る。PR不足は否めない。ただロープウェイを降りて少し徒歩で登らなければならないのがネックなのかもしれない。途中阿蘇谷(北方に九重連山を望む)の我が家が良く見えた

 このロープウェイの所長は、大変お世話になっている方のご子息ということがわかり、ご挨拶を申し上げたところ、望外の便宜を図っていただいた、有難うございました。

 山を降りる途中、H川忠光さんの奥様経営の仙酔峡の中腹にある軽食を出す店「クルル」に寄って昼食を摂った。丁度H川さんがお二人のご婦人方と懇談中、地元活性化のために活動中のご婦人たちで、紹介いただいたにもかかわらず、舞い上がっていてお名前を忘れてしまった、ゴメンナサイ。

 その足で役場に寄って住民登録の相談をした。コンテナハウス状態での転入手続きが可能かどうか尋ねたところ、問題は無いとのこと。以前からe-mailで照会していたことなどもあって、丁寧に対応していただいた。早めに町民になったほうが何かと便利なようなので、その方向で考えよう。
8月28日(火)
 ベタ基礎の枠作りや基礎に埋める水道の配管やら、今日はたくさんの車が現場に入った。

 今日はカメラのレンズを換えてみた。手持ちのレンズは16mmと6mmの二種類だけで、帯に短し襷に長しという奴で丁度良い大きさに納めきれないのが残念、この中間くらいのレンズだと良いのに。それに少し逆光気味のロケーションなので、朝晩はいいのだが昼間は、自動的に調光出来るレンズでないと今後苦しいかもしれない。

 水道の配管屋さんに壁に穴を穿けてもらった、専門とはいえあっという間の作業、明日にでも早速カメラのケーブル類を通おすとしよう。

 夕方、J之和尚が自転車に乗ってトマトをぶら下げて寄ってくださった、米寿だというのに自転車で走り回るほどのカクシャクぶりには何時も驚ろかされる。

8月27日(月)
 ここからでは、阿蘇山は太陽の位置の関係で東から斜めに日が当たる朝の間が陰影がついて一番綺麗に見える。
 真北から真南を見る位置にある関係で、昼間は逆光気味で、肉眼で見る分には良いのだが、カメラ、それも安物のカメラではどうもイマイチである。

 そろそろ稲刈りが始まりそう、いきなりコンバインを入れるのかと思ったが、事前の準備作業として綺麗に草を刈って、さらに田の一番端の一列か(あるいはそれ以上かも)、多分機械が入りやすくするためだろう綺麗に周りの稲が刈り取ってあった。豊かに稔った田んぼは本当に豊かな感じがする。間もなくという雰囲気がそれとはなしに伝わってくる、来年は自分でも稲を植えたい。

 (その後、聞いたところによると、田を一定幅刈り取るのは機械のためではなく、国の減反政策に起因するとのことであった。色々事情があるようだ。)

 それに関連して、こちらに来て感じたことの一つ、其処此処に、例えば街道筋の自動販売機に隣り合って、あるいはコインランドリーなどに一緒に無人の自動精米機が設置してあること、今までとは違うなあと感じた。

 今日からコンクリートミキサー車が入ってセメントを敷いた。聞いたところ「捨てコン」といって、線を引いたりする上で作業をやり易くするためのセメントで、まだ本格的なコンクリートではないとのこと。始まったばかりなのに何と多くの工程があることと驚く。

 側溝の件で町役場の人来訪、その他屋内配線の件、設備の件など多くの来客あり。
 佐藤社長にライブカメラ関係の配線を屋内に引き込むためのコンテナハウスの穴あけの了解をもらう。
 今までは窓から引き込んでいたので、施錠できずに困っていたのでこれで助かる、そのうちにヒマをみつけて作業をするとしよう。

 昼間、考えてみたら初めて焚き火をして、そばに植わっている他人様のトウモロコシをもいで焼いて戸外で昼食を摂った(モチロン了解済みである)。いつもは作業があるので邪魔になる上、昼間は暑くてとても炎天下で昼食など無理だったが、今日は昼間作業が無くまたそれほど暑くは無かったからである。薪で火をおこして、料理をして、はなかなか難しい作業である。


8月26日(日)
 昨夜は雨が随分と降ったらしい、夢うつつにコンテナハウスの屋根を打つ雨音を聞いた、屋根のある家でよかった。

 午前中、お向かいのW辺昭元さんに手伝ってもらって少し藪を切り開いた。例によって小生はほとんど見学状態。W辺さんは山の専門家、山といっても林業のほう、鉈や鋸、チェーンソーなどの達人である。
 午後、工事の邪魔にならないようにまたまたHFのアンテナを張る、ライブカメラの画像にかぶり少々見にくくなった。

8月25日(土)

 今日明日は作業休みとのこと、別に我々が居なければならないということは全く無いのであるが(というより邪魔な存在なのであろう)、何となく気分が楽で、午後から遠出。
 11時ころキャンプ地を出発、国道57号線、昔で言うなら豊後街道を大分方面に。坂梨からすぐに一気に滝室坂を上り外輪山の上に。登ったところが一時あることで世情を騒がせて有名になった波野村。国道から少しそれて村に入る。年に一度の牛の品評会に出くわした。同じ阿蘇でも一の宮は外輪山の下、波野は上、高度差が相当あるので気候も大分違うのだろうか。

 波野を後にして豊後竹田の岡城址へ、「荒城の月」の滝廉太郎ゆかりの地である。山上の随分と大きい城跡である。明治の官品払い下げで取り壊されたとか何とかと説明があったような気がするが、馬鹿な真似をしたものだ。

 半日の旅程で見当がつかなかったので、その後、大分に出て、別府から、湯布院を通って、九重を通って帰ってきたが、夕方には戻れたので、此処からだとこれからも苦もなく相当色々なところへ行けそうである。

 最後に波野村と同じように隣接する産山村のヒゴタイ公園に寄ってヒゴタイを見てきた。「ヒゴタイ」は、花である。説明によると「肥後躰」と細川家の文献にあるが語源は不明という。キク科の花らしいが、なかなか神秘的な花である。非常に珍しい花のようだが、S藤林業のN島さんの家にも咲いていたので、我が家でもそのうちに植えてみようと思う。


8月24日(金)
 晴れ、朝のうち霧。
 今朝は20度を切っていた。思わずの冷気に縮みあがる。何が?ナニが・・・
 県土木部から側溝の件で三人の係官来訪。S藤建設事務所、S賀事務所訪問。

8月23日(木)
 本日の作業は午前中で終わり。

 午後、H川忠光さんが通りすがりに立ち寄られる。氏は従兄のU田昭吾兄の学生時代の友人で、少し前の国立阿蘇青年の家のセンター長。退官後も阿蘇の魅力にとりつかれ、ご家族と阿蘇に移り住んで、地域の活性化やボランティア活動に情熱を注いでおいでのなかなか魅力ある人物である。これからのお付き合いが楽しみである。

 ヨシズを追加購入、なかなか便利な道具である。また、家庭の生ゴミを堆肥にする「コンポスト」なる装置を購入。なんでも生ゴミを入れて、発酵促進剤を撒いて、その上に土を撒いての繰り返しで、いずれ堆肥ができる(らしい。装置といっても、蓋つきの底の抜けた桶のようなもので、一杯になったらすっぽりと抜いて場所を移動して同じ作業を繰り返せばいい(らしい)。

8月22日(水)

 今日は朝から久しぶりの晴天、四国から東が大変なようだ。

 いよいよ基礎工事開始、ユンボが地面を掘り下げ始める。
 
 終日ホームページ作成、夜ようやくリニューアル版をアップした。

 心細くしているのではと、婆様(実際は母であるが、そう呼んでいる)に台風の状況を聞いたら、茅ケ崎はそよ風だそうで安心した。

8月21日(火)

 台風は何処へ行ったやら、阿蘇は全く何とも無かった。

 朝一番で電話工事会社来る。待望の電話が通じた、ISDNだぞ。早速ルーター接続、とりあえず映像のみ現地から発信を始めた。

 今のプロバイダーのアクセスポイントは熊本市しかないので、ここからでは隣接区域料金となり、同一区域内の倍かかる。「エリアプラス」というサービスに加入すると、月額350円支払うことで同一区域料金になるらしいので早速申し込む。しばらくはプロバイダーを替えるよりはいいだろう。

 本日の現場作業は無いようだ、ほぼ一日中ホームページの作成。

 夕方、九電工のT石さん、S藤林業のN島さん来訪、打ち合わせ。

 本日は一の宮温泉センターは休館日なのでアゼリア21で入浴する。
 温泉入浴記述は日常的な行為なので今後は省略(毎日入っている)。

8月20日(月)
 作業の邪魔になるので、朝一でHFのアンテナを撤去した、しばらくは無線は休みか。

 本日、台風接近で朝から小雨模様。そのなか、いよいよ作業開始、「やりかた」というらしい、杭を打ったり板を貼ったりの作業。

 昼から熊本市内の松下ショールームで打ち合せの為、S藤林業のN島さんを会社に訪ね同道していただく。

 熊本市内から帰ると、仮設トイレが設置してあった。

 電気も電話も水もあるので、基本的には困らないのだが、口から入った物は必ず出て行く道理は変えられず、一応は携帯の用具は持ってきたものの、後の始末が大変なので使わずに、毎朝2キロほど先の肥後国の一の宮、阿蘇神社詣でをしては、そこの「はばかり」を借りていたので、これは本当に有り難い。

 しかし人間そういう環境に置かれると、それはそれで何とかなるもので、二人して実に正確に決まった時間に「お賽銭」をあげに行くことができるようになるのである。

 小?それはどこでも出来るくらいの場所はあります。

 また、台風接近に備えて、小屋補強のため、四隅を太い鎖で引っ張ってもらった、一時は「避難!避難!」と騒いでいたウチの奥さんもなんとか小屋泊を納得したらしい、それにどうも四国方面に逸れそうだ。

8月19日(日)
 今日も仮住環境整備に明け暮れた、特に何をしたというわけでもないのに、あっという間に一日が過ぎていく、もっとノンビリするはずだったのだが。

 ヨシズを買ってハウスに立てかけた、なかなか塩梅がいい。

8月18日(土)
 コンテナハウスに移ってからも、強烈な陽射し除けや、雨の際の物置代わりに張っていた蚊帳テントを工事開始の邪魔にならないように撤去した。またそのうちに竹林を伐採して空地を作って設営したい。

 S賀聡雄夫妻が通りすがりに寄ってくださった。S賀さんのネット上の活動については「公」と「私」の区別の関係で本人の承諾を得ていないので、これ以上の記述は控える。

 今日はホームページのリニューアル作業に明け暮れた。

 それにしても、ここに来てテントの杭を打ったり抜いたり、竹を切ったり、戯れに薪を切ったりと、すべてが肉体勝負なので体の節々が、う〜痛い。

8月17日(金)
 朝、柿の木でセミの脱皮を発見、なかなか神秘的なシーンである。

 今日は地鎮祭円通寺I木J之和尚にお願いして簡素に且つ厳粛に仏式で執り行なった。

 準備はS藤社長にお願いした。仏式は初めて。竹を四隅に立てて、竹にはさんだ護符を真ん中に立てて、洗い米と塩と酒を撒いて安全を祈願した。

 その後で建築事務所のT石さんを交えて実際に家を建てる位置を特定する作業をした。阿蘇山が真正面に来るように南から少し西に振った位置に決めてもらった。

8月16日(木)
 テント撤去でスペースが出来たので、ようやく車からパソコンを降ろして小屋内に設置した。またライブカメラを戸外に仮に置いてみてモニターをしてみた、うんこれこれ、電話が引けるのが待ち遠しい、このために来たようなものなのだから。

 阿蘇は下界より涼しいといってもコンテナハウスの中はやはり暑いので、扇風機を購入した、ますます文化生活。

8月15日(水)
 本日はコンテナハウスをバルサンで燻蒸した。また小屋のある場所は遠くからからでもよく分かる場所にあるので、夜間などカーテンナシでは丸見えで無用心なので、カーテンを買ってきて住環境を整えた。そしてようやく小屋内に張ったテントを撤去した、今夜から手足を伸ばして寝られるぞ。

 アゼリア21に泳ぎに行った、カミサンはその間温泉。此処には温泉のほかに50m公認温水プールがあるのである。下手なくせに25mではすぐに着いてしまって、一度50mプールで泳いで見たかった。素晴らしい、こんなプールが近くにあるなんて、でもプールの入場料が高すぎる。

 此処のところ不安定な天候続きだったが、今夜は満天の星だった。空に星がこんなにあるなんて、まるでSF映画の宇宙空間のような星の多さに息を呑んだ。


8月14日(火)

 今日は近見の伯母の8回目の命日。久しぶりに従兄のS兄、T兄、K兄はじめ皆さんと一同に会するために山を下りる。うん、下りるところに今我々は住んでいる。

 そして我が「ふるさと」である子供の頃毎年遊びに行った懐かしい家に何十年ぶりかで入った。随所に、昔、何が此処にあって、何があそこにあったということまで覚えている懐かしい家だ。

 しかしやはり時は大きく流れたことを感じさせる。

 山を「下りる」際に、57号線を走らずに、遠回りして外輪山の上を走るミルクロードを通って肥後大津に出た。

 これは実に景色が素晴らしい道だ。阿蘇山というと、すぐに中岳に登って噴火口を見るが、これは大間違い、その前にミルクロードを走って、外輪山から阿蘇五岳を見たほうがそのスケールの大きさが分かろうというものだ。その上に九重山まで見える。今後人が訪ねてきたら先ず此処を走ろう。

 近見への途中、田迎のT石さんの事務所に寄って建築確認書を受け取った。


8月13日(月)

 朝8時、J之和尚にご一緒いただき墓参をする。何十年も円通寺さんにお願いしっぱなしだったので、これからはちゃんと管理をしないといけないと思う。

 帰郷報告と長年にわたる不在を、ご先祖様にお詫びした、と文章の上ではこうなるか。
 
 何が豊富といって、我が家では「竹」に勝るものはない、というほど竹だらけ、というより竹しか無い。その竹を使わない手はないと、早速、竹をポールにしてHFのアンテナを張ってみた。

 ガンガン1エリアから入っている、早速JG1GMMに電話をして都合を聞く。勿論勤務中だけど仕事と偽って急遽帰宅の上オンエアー、59で「超」FB。思いっきりアンテナを張ってという長年の夢叶う。

 「勤務中抜け出して」という下りは話を面白くするための脚色ですから本気にしないでくださいE藤社長殿。

 ホームセンターで簡単な大工道具を買ってきて急造の網戸を作る。とにかく蚊や虻が多く窓を開けっ放しに出来ないのでコンテナハウスの中にテントを張ってその中で寝ていたが、これでテント無しで眠られるのに今夜もテントを張ったままだった、明日は撤去しよう。。

8月12日(日)
 パソコンの件でN島さんのお宅訪問。阿蘇町の平野のど真ん中の素晴らしいところ。帰りに国造神社など近場の名所を案内していただきながらキャンプ地まで送っていただく。

 W辺さんから電気冷蔵庫を借りる、この暑さ本当にありがたい。普通に「冷蔵庫」と言えば良さそうなものだが、思わずというか、ごく自然にというか「電気」という言葉をつけたくなる、そういう環境に今は居る。
 テレビアンテナも買ってきて家から持ってきた小型のテレビをつなぐ、うん、なかなかの文化生活だ。

 NHK総合と教育のほかに、民放の4チャンネルがあって、関東の4,6,8,10CHがベースとなって、それに部分的に12CHが混ざっている感じだろうか。

 車で少しのところにホームセンターや大きなスーパーがあって、しかも夜9時までやっているので大変助かる。他のスーパーも9時までやっている。

 閉店はもっと早いと思っていたので驚いた。それにコインランドリーがあるので何も無い生活だが困ることは無い。

 またご近所や、知らない人がトマトやナスやトウモロコシなど持ってきてくださるので、野菜類には事欠かない、自分たちもこれから作るぞ。

 オカミサンはお向かいの犬の散歩が日課になったようである。

8月11日(土)
 睡眠不足で夜明けと共にまたまたW辺さんにお願いして車を牽引していただく。

 お盆を前に円通寺のJ之和尚にお願いして墓掃除をする。

 小高い山の上なので登るだけでも息が切れるのに、生い茂った雑草の伐採は鈍(なま)った体にはなんとも重労働、といってもほとんど和尚さんがやってくださったのだが。

 小生はほとんど見学状態。和尚は今年米寿、そのご壮健なこと。

 昼前、お盆休みで従業員が居ないのでS藤社長自らトラックに砂利を積んできて泥濘に撒いて足場を固めていただく、助かった。

 昼頃、水俣より従兄のA山K・H子夫妻、陣中見舞いを持って訪ねてくれる、嬉しい訪問であった。

 夕方、電気を引いてもらう、たった一晩だけだが文明の灯かりが眩しい。

 しかし、コンテナハウスで夕食の支度をすると、灯かりを求めて虫が飛んでくるので、夕食は蚊帳テントの中で摂る。そして就寝は昨夜同様小屋の中にテントを張ってということになった。

 夜、キャンプ地にログメーカーS藤林業のN島さんがパソコン不調の件で来訪。

 今夜は一の宮温泉センターで入浴、200円。

8月10日(金)
 午前中に宮崎からストーブ屋さんがキャンプ地を訪ねてくる。我が家の暖房をすべて薪ストーブに頼るつもり。

 午後、新しい住処(すみか)建設の正式契約、改めて身が引き締まる気持ち(でもないか)。

 この日もアゼリア21で入浴。ここは観光施設的な色合いがあって、豪華だけど少し高め(正式には知らないが関東の銭湯くらいの値段か)、もう一ヶ所町営の温泉センターがあって、こちら200円なので、今度はこちらも利用しよう。いずれにしても毎日温泉に入れるなんて何と贅沢な。

 こちらに来てから、天候不順、炎天かと思えば急に雨が降り出すこと幾たび、直ぐにやむのだが、さすが南国の雨、こちらの雨はまことに豪快。テントの周りに溝を掘っても、追いつかないほどの雨量。

 S藤建設のS藤社長にお願いして現場事務所に使うコンテナハウスを急遽住居用に設置していただく。

 重機から建築資材から何でも自分のところで持っているので、その機動力には驚くばかり。

 夕方、雨の中、さっと運んできてあっという間に設営完了、これで屋根の下で寝られる、感謝感謝。ということは、完全な野営は一晩だけか。この日は小屋の中にテントを張って就寝。

 夜間、キャンプ地が雨で泥濘んで(ぬかるんで)、車がスタック。四輪駆動だから大丈夫だと思ったが甘かった、身動きとれず、お向かいの渡辺さんのご主人に救援を頼んでトラックで牽引をしていただき、ようやく脱出。懲りずに夜間S藤建設訪問から戻った際に再度スタック、そのまま放置。

 この町では防災無線で、朝6時と正午、夕方5時と夜9時に時報代わりに音楽が流れるが、近くにスピーカーがあって、その音量の大きいこと。昔と違って今時そんな広報は必要ないと思うのだが、今はまだ「よそ者」、甘受しよう。

 その防災無線が深夜突然、円通寺から出火の報を流し、消防分団員の非常呼集が掛かった。町内のすべての消防車、分団員が集まるわ、集まるわ、一時は騒然となる。驚いて駆けつけたら、火元は円通寺近くの空き家とのこと、本当に安堵した。

8月9日(木)
 午前中に、新天地でテント設営

 ダイクマ(関東地方のディスカウントショップ)で買った目玉商品の蚊帳タイプの大きなテントの中に宿泊用の小さなドーム型のテントを張る。初めてにしては上出来。

 午後から工務店、設計事務所、ログメーカーの皆さんと打ち合わせ。

 夕方、アゼリア21(町営の温泉とプールがある施設)で入浴。ほか弁で夕食を仕入れ、キャンプ地へ、周囲は竹藪とトウモロコシ畑と田んぼで真っ暗、少し怖い。

 お向かいのW辺さんから貰い水をする。貰い水といっても、名水として売られれ阿蘇の地下水を水源とする簡易水道の水だから冷たくて美味しい水が無制限に使えるので、何処かの水不足の地域の人には申し訳ない気持ちである。

8月8日(水)
 朝5時過ぎ、ようやく新門司港に上陸。

 我が「聖地」門司の「風師山」に登り、これから始まる新しい生活の平穏を祈る。

 途中、幼年、少年、青春時代の足跡を探して、小倉、博多をしばしのセンチメンタルジャーニー、そして九州自動車道で熊本へ。

 高校時代を過ごした小倉の木町を訪ねたが、高層の集合住宅に変わっていて全く昔の面影は無し。それでも40年音信不通の同級だった友人と覚しき家を探し当てたが、今は縁者が居るのみで、本人は筑紫野市というところに住んでいるとのこと、電話番号を聞いたので落ち着いたら連絡をとってみよう。

 まさに今浦島の心境、すべてが変わっていて歳月の重みを改めて感じた。

 阿蘇に到着したが、途中の道草が多く、時間的にキャンプ設営はむりなので、前にも一度泊まったことがある一の宮町の隣の産山(うぶやま)村の宿泊施設「御湯船温泉館」に宿をとる。温泉があって長逗留向けの安価な気持ちの良い宿。

8月6日(月)
 今回の阿蘇行きは、少し長引きそうなので車にテント類を積み込んで、現地で野営すべくフェリーで行くことにした(運賃が安いことも重要な理由)。

 東京のお台場近くの有明埠頭から、オーシャン東九フェリーで九州の新門司港まで、途中、徳島に寄って、二泊三日、実に30数時間の船旅、いやはや。

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