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平成13(2001)年10月の記録(新しい日付けの順)
10月31(水)

 今日で10月も終わり。
 朝起きたら小屋の周囲が霧に包まれている。夜間気温が下がって、天気が良くて、風が無いのでチャンスとばかり、二人で近くの城山展望所に車を走らせる、見事な雲海(ワイド画像)である。

 阿蘇谷の町々が雲の下にすっぽりと隠れ、阿蘇五岳が横一列にならんで雲の海に浮かび、その姿は釈迦涅槃像にたとえられる、自然の妙である。そういつも見られるものではないのでT内さんは運がいい。本人は自らを天気男と称し、しかも日ごろの行いが良いからだとのこと、宜なるかなである。

 夕方の便で帰るT内さんを南郷谷、白川水源経由で阿蘇山頂に案内。ガスの噴出状況によっては入ることが出来ない火口域まで運良く入られて火口を覗くことが出来た、どこまでも運の良い男か。無事に帰っていった、遠方より有難う。
10月30(火)

 一日遅れでT内さんがANA641便9:20着で茅ケ崎からはるばる訪ねてくれた。

 大津からミルクロードに入って外輪山から阿蘇谷を見下ろすルートで我が仮小屋に案内。

 昼はT内さん歓迎と大工さんの慰労をかねてバーベキュー大会。神奈川の仲間たちがライブカメラでその様子を見ることになっているそうだが、うまく見ることが出来ただろうか。

 T内さん、夜は仮小屋に泊まる。先日従兄が泊まっていった際に経験済みなので狭い部屋を要領よくセッティング。

 留守中にJ之和尚がたかなの種を小屋前に届けておいてくださった。


10月29(月)

 この数日の茅ケ崎滞在で冬物の下着類や阿蘇では手に入りにくい電気部品などを秋葉原で仕入れて空路阿蘇に戻る。

 一週間の不在の間、内部が大部出来ていた。バスユニットが入っていて、窓が全部ついていた、ガラスはペアガラスなので、冬は暖かいだろう。
10月28(日)

 小生は秋葉原にカミサンは友人宅

10月26(金)

 母の様態は特に悪いところも無さそうで、本人も少し早まったかなと、早くも出たがっている。一時的に精神的に不安定なことでもあったか。好きで入ったのだからもう少し入っていろと言う。

 午後7時、品川駅前でM田T雄、W辺Y史両君と待ち合せ、ホテルで会食、懐かしい集まりだった。
10月24(水)

 引越し業者3社に見積もり依頼。午前午後と、前後して見積もりに来る、やはり九州ともなると安くは無い、さてどこにするか。

 夕刻、母が急に体の不調を訴え、本人の希望で救急車を呼ぶ。脳梗塞の前兆かもしれないと緊急入院、本人が言うほど見たところ変調は見られないのだが。

10月23(日)

 T内さん昼前に来る、阿蘇行きの打合せ。

 現場の棟梁の携帯に電話をかけ昨日ブレーカーが落ちたことを知る。S賀T雄さんにPC復旧のSOS、午前中、所用で時間が取れないので、午後一でお願いする。午後外出の予定を思い出し、急遽S藤建設のH文さんにSOS、何とか昼前に復旧、間に合う。

 午後秋葉原でライブカメラ関係のケーブル類を仕入れて新宿駅南口でM藤とN川と待ち合わせ、呑み会。あのN川がノートPCに白州の画像を入れて持参、小生のPCに移す。そのうちにホームページ白州便りに載せなければ。N川は自由人になった心構えがまだ出来ていないようである。
 
10月22(月)

 ライブカメラが夕方5時で停止状態、何かあったか、明日調べよう。


10月21(日)

 雨の中、熊本空港そばの民間駐車場に車を預けて暫し茅ケ崎に、JAS350便8:00発。

 羽田に奥さんが出迎え、中華街で昼食後久しぶりに我が家に。

 茅ケ崎から建築現場を眺めるのもまた一興、今日は日曜日、しかも雨なので大工さんも休みとみえる。
10月20(土)

 まだ誰も顔を出さない早朝、竹を燃やそうとして灯油と間違えてガソリンを撒いて点火、一瞬全身炎に包まれ死ぬかと思った、顔面と腕に軽度のやけど、缶をよけて置いてよかった、油断大敵、ン油断?逆か?とにかく危なかった。当分ヒゲを剃ることが出来そうも無いのでこれを機会にヒゲを伸ばすことにするか。

 設計のT石さん任意チェック?市内より来訪。二階の東側の窓サイズの違い指摘、早速善処願う。
10月18(木)

 昨夜は台風21号が九州南端をかすめたが、ここは全く影響が無かった。仮小屋住まいを始めてから台風が都合3個来たが、阿蘇には一つも来なかった、運が良かった、これで今年の台風は打ち止めにして欲しいところだ。
10月17(水)

 A元さんから今年初物の自家製生しいたけを頂戴する。「三笠山」より二周りも三周りも大きい奴だ、一人住まいでの野菜不足にトマトとこれは有難い、バターで炒めてレモン醤油で食べると最高、何より簡単なのが良い。

 シイタケはクヌギなどの木に椎茸菌を植え付けて作ることは知っていたが、出来るまで三年くらいかかることは全く知らなかった。カビなんかのように数日間で出来るものとばかり思っていた。我家用にも椎茸用の木を山で見つけておいてくれたそうで、三年先が楽しみであるが、それにしてもずいぶん先の話だなあ。

 地中に埋まっていて所在不明だった昔の水道の管を数日前に発見していたが、今日掘り起こして小屋横に仮設で水道を引いてもらった。管もしっかりしていそうだ、うまくいけば、改めて県道を開削して新しく水道を引かずに済みそうだ。蛇口から水が出たときは砂漠で井戸を掘って水が吹き出たような嬉しさだった、これで道路を渡ってのもらい水から開放される。
10月16(火)

 コインランドリーへ行く、雨模様のため近くの奥さん連中で大繁盛。自分の家で洗濯して、乾燥だけ利用する人が多いようだ。
 
 九州総合通信局無線通信部より6エリアでのコールサインがおりる。再コールだがプリフィックスはJA6だ。
10月15(月)

 J之和尚を訪ねM士さんが鋤いてくれた畑に冬に向うこれから植えられる作物について相談、高菜だそうだ。阿蘇名物のひとつでもある。今月末頃種を蒔けば良いそうで、種はくださる由。

 直播きで、特に面倒なことは無さそうなので、我が野作業の嚆矢となるか(こんな所に嚆矢なんて使うか?)。和尚は農業の達人で、何でも寺を継ぐより農業をやりたかったとも聞く。帰りに和尚手作りの大和芋を頂戴する。広辞苑によると、ナガイモの一品種。芋は手のひら形など不規則な塊状で良質。栽培して「とろろ」などとして食用、とある。ここには碌な調理道具が無いことを知っていて、擂(す)ってフライパンでホットケーキのように焼いて食べるか、同様に擂って味噌汁に落として食べると良いよとアドバイスをしていただく。


10月14(日)

 本日は日曜日。I 田棟梁のみ出勤。N島さん休日で顔を見せる。

 三人で竹やぶ探検。山芋、茗荷、山椒、グミ、柿木、植木屋でもっともらしく鉢に植えて結構な値段をつけて売っている植物類発見。教えられなければ雑草、雑木として刈り取ってしまうところだった。

 裏の大きな立ち枯れの樹木にキツツキが来てコツコツと幹を突付く。大工さんの金槌の音に引かれて来たかと笑う。「何とかゲラ」と言うのだろうけど知らない。

 M士さんがトラクターでトウモロコシの跡を耕してくださる

 ご近所からトマトをいただく。そっと小屋の前に置いていくので気がつかないと誰からか分からなくなる。


10月12(金)

 「軒天」といって、軒の裏側に板を貼りはじめる、こんなに丁寧なつくりなのかと驚く、ログハウスだから剥き出しかと思っていた。「軒天」などという言葉は当然知らない、大工さんにからかわれながら教えて貰って書いている。

 電気屋さんが今の段階でやっておかなければならない配線工事を始める。

 S藤林業のN島さん、沖縄の同業の人を見学のため同道してくる。

 二日ほど続けた竹やぶの整理で、ナタで枝払いをしすぎて腕が非常に痛くて、インドメタシン入りのスプレーを買って来て塗布する、簡単に治りそうもない。
10月11(木)
 概ね晴れ。

 A元さんに手伝って貰って竹やぶの整理、その後で波野村のA元さんの仕事の縄張りである山林原野に連れて行っていただく。ススキの原を車で分け入って進んでいると、突然キジの家族連れに遭遇。写真などで見るとおりの見事なオスのキジと雌のキジ、それに数匹の子供のキジ。道を横切るところへ鉢合わせをしたために親だけ渡りきって子供と道を挟んで、離れ離れの状態、オロオロしていたのが微笑ましくも面白かった。来月狩猟の解禁だそうで、鉄砲を担いだ人が入ってくると、うまく禁猟区域に避難するとのこと。
 
 わずかに残っていたトウモロコシをM士さんが刈り取っていく。少し残しておいたのは種を取る目的だったようだ。これで目隠しが全く無くなって、見事に丸見え状態。来年はここに目隠し兼、食用兼の何かを植えなければならない。

 夕方近く竹やぶの傍に佇んでいるとカサカサ音がする、またイタチだった。ほんの1mほどのところまで近づいてきても気がつかず、ようやく気がついても、少し警戒しながらも逃げない、まだ子供のようである、カメラを持っていたらと残念。イタチの最後っ屁とは本当だろうか。
10月10(水)

 晴れ、風強し。

 職安へ、失業認定のため出頭。自己都合退職のため3ヶ月の給付制限、次回出頭は暦の関係で1月末の由。
 
 竹やぶ整理するも風強く燃やせず。

 本日屋根に四角い煙突が付く、といっても、このこの中を丸い煙突が通るための補強が目的のものの由。

 PHSの受信電波が弱いので、ホームアンテナを仮小屋の屋根に設置。得意の台所用品のポリケースを防水ケースとして使用。
10月 9(火)
 朝から雨模様。

 設備屋さんが入り、キッチン、トイレ、浴室等の床下配管を始める。二階に窓枠が入り始める。

 ご近所から惣菜の差し入れ、久しぶりに夕食らしい夕食を摂る。

10月 8(月)
 T兄、小生の朝の日課・阿蘇神社詣でと、犬の散歩に付きあってくれて、仙酔峡までひとっ走りしたあと後、出立。
10月 7(日)

 昨日の子猫が姿を現さなかった。そう言えば数日前、犬の散歩中に少し離れたところで犬と鉢合わせになって慌てて逃げたネコがいたが、その時のネコだ、安住の地を求めて移動中だったのだろうか、ここを安住の地にしてやったものを。

 今は連休中か、「他県ナンバー」の車で国道はあふれている、これが言いたかった。普段地元の車しか通らないここの道も時々観光客の車が通り、たまに道を訊いて行く。

 昼過ぎに名古屋から従兄のT兄、水俣からK兄夫婦が訪ねてくれて、T兄はこのキャンプ地の仮小屋に泊まっていってくれた。
10月 6日(土)
 コインランドリーに行く。

 うちの奥さんからレトルトのウナギの蒲焼が届く、小生のリクエスト。こちらのスーパーにはレトルトのものは見当たらない、手っ取り早くてしかも栄養価が高いので重宝。そういえば食文化か、こちらで何箇所も探したが、食パンの8枚切りがどうしても見当たらない、6枚切りが最高である、向うでも8枚切りは少数派だったのか。

 野良の子猫がウロウロしていたので、手なずけようとミルクをやったが居つくかどうか、非常に警戒心が強い。

 S藤建設から畳をもう一枚借りてきて都合三枚にした、従兄が泊まりに来るための環境整備である、ずいぶんと広くなった。
10月 5日(金)

 宮崎からストーブ屋さん(変な言い方)のU島女史、ストーブ工事の打合せで来訪。

 建築現場カメラ(非公開)のカメラアングルを変えるためにビデオケーブルを25mに延長、ブースター無しでもまだ大丈夫のようだ、これで留守家族にいいアングルで送れる。「送ることが出来る」は「送れる」で良かったか、「送られる」が正しかったか、「ら」抜き言葉が嫌いなくせに最近は分からなくなった。

10月 3日(水)

 快晴。

 今日から二三日、 I 田棟梁たち他の現場へ。

 朝から屋根工事始まる、大量の屋根用ボード搬入。

 今日は「缶」ゴミの日、カセットコンロの空ボンベの山。

 朝、林業のN島さん、会社のホームページ作成の請負会社の人を現場見学のため同道。

 仮小屋と少し離れたカメラ間、地面に少し溝を掘っただけの、裸に近い状態でカメラのケーブルを這わせていたが、車が来るたびにヒヤヒヤしていた。お向かいから鉄パイプを拝借して地面に埋設してその中にケーブルを通す、これで安心。

 今日晴れて熊本ナンバーを取得した。農協の I 田さん、市内の陸運局で手続きを済ませ、車を届けてくれる。残るはコールサイン。

 道路から入った所にある柿の木、今まで近所の人によって、甘がきだとか渋柿だとか意見が違った。百聞は一味?にしかず、今田棟梁がもいでみた、甘柿だった、早速デザートに。この木は花はたくさんつけるが、みな散ってしまって実が少ない、木の勢いが無い、病気か、施肥や手入れが必要なのだろう、北側にある柿は実がたくさんついているがあれは甘柿か渋柿か。

 T内さんがいよいよ今月末にキャンプ地を訪問してくれることになった、飛行機のチケットも取れたらしい。この仮小屋にお泊まりいただくか、民宿にするか。テント暮らしが苦ではなさそうなので、ここにするか。

10月 2日(火)

 今日は職安に行った。午後1時から3時半まで説明会。失業保険の給付を受けるためのステップである。失業給付を受けるには、「働く意思と能力」があることが必要で、当然の権利としてあるわけではない。このサイトの「そもそも」で、悠悠自適の晴耕雨読云々なんてトンでもないことで、こういう心構えの者には給付は無い。あくまで脚色である、将来の夢である。

 昼前に市内より建築士T石さん来訪、進捗状況のチェックの由。

 ロフト部分の一部設計変更を決める。デッキ横の物置予定個所、ロフトのまま残し、南側(妻側)に小さな窓を付けてもらう事にした。ここをパソコンや無線のシャックにしよう。
10月 1日(月)
 今日からいよいよ10月、夜来の雨もあがる。
 N川弘に電話、白州に居た。この男も今日から天下の素浪人の由、慶賀慶賀(本人の気持ちは知らないが)。

 いろいろカメラを交換したりつなぎ直したり、仮小屋内は足の踏み場も無い

 今日は中秋の名月、関東は天気が悪いようだが、こちらは素晴らしい満月、車で風呂から帰る田んぼ道、見事な月が出ていた(写真は翌早朝の有明の月)。なんでも暦では中秋でも実際の満月は明日らしい、入口の金木犀も、その他秋の草花も満開、いい季節だ。

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