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平成13(2001)年11月の記録(新しい日付けの順)

平成13年11月30日(金)
 いよいよ茅ケ崎最後の日。朝からヤマト運輸の荷造り部隊が大挙して押しかけ手際よく梱包作業開始。
 カミサンの両親も手伝いに来てくれる。でも昔と違って当事者は何もすることなし、ただウロウロ。 

 昼食を随分久しぶりに鰻のおかむらで摂る。勘定の際に隅のほうでの店の主と覚しき人物とこれまたその仲間と覚しき人物との発足したての商店会のホームページ談義を耳にして、思わず小生のホームページの宣伝をして相互リンクを約する。

 フェリーの時間の関係で隣近所に挨拶をして、後始末をカミサンの両親に託して荷造り作業は見切り発車、その慌ただしさにゆっくりと感慨に浸る間も無く30数年住み慣れた地を離れる、1年程前まではここが終の棲家だとばかり思っていたのが、こんなものか。

 途中、数日前に脳梗塞で倒れた従兄のF川信昭兄を病院に見舞う。処置が早かったので後遺症も無いだろうとのことで、元気な様子に一安心、やはり酒はイカン(読んでるか?)。

 おそらく最後のフェリー旅になるだろう、奮発して三人部屋の一等和室で。二等の大部屋と違って、ふわふわの二枚敷きの布団、テレビ、洗面所付きのなかなかの部屋、満足満足。

平成13年11月27日(火)
 御殿場近くの富士霊園に改葬手続きに行く、つまり父の遺骨を受け出して阿蘇に連れて行くわけである。
 人間の遺骨である以上は、行けば直ぐに返してくれるというものではないらしく、お役所の許可証が必要で、小山町の役場に行って改葬の許可証を貰って初めて改葬が出来るのである。

平成13年11月26日(月)
 久しぶりの茅ケ崎、団地の欅が相変わらず美しい。
 狭い間取りを最大限有効に利用するため芸術的にまでに無駄な空間を排除して作り付けた棚という棚を女房殿が全部撤去、おかげで足の踏み場も無いほどのダンボールの山、大変な作業だったろう。

平成13年11月25日(日)
 船内はガラガラ、就職試験のために郷里の徳島に向う北九州の大学に通う青年と20畳敷きくらいの区画を二人で占拠。その彼が下船後はまさに独り占め、なんとも贅沢な船旅。
平成13年11月24日(土)
 いよいよ家族を迎えに門司からオーシャン東九フェリーで東京有明へ。
 乗船までに時間があったので途中門司港周辺を散策、饅頭「風師山」を発見、我が家御用達にするか。
平成13年11月23日(金)
残念だが危険なので、キツツキが来ていた立ち枯れの杉を、お神酒で木霊を鎮めてユンボで倒してもらう、薪にして供養しよう。
平成13年11月22日(木)
 S藤社長自らユンボを運転をして家の周囲の整地を始める。
 浄化槽からの排水用パイプ埋設のための掘削作業も始まる。
 キッチンの設置も完了。
平成13年11月21日(水)

 朝一番で合併浄化槽が届き早速埋設工事が始まる、大きい

 キッチンユニットも納品されてくる、工事は2〜3日後の由。

 玄関に通じる階段の土台部分のコンクリート打ちがあった、一番下部分は赤煉瓦を敷いて、それから木の階段の由、楽しみである。

 従兄の紹介で照明器具屋さんが熊本市からやって来て、小生がピックアップした照明器具を確認、アドバイスして帰っていく、何だかだと結構な数に登る、完成検査に間に合うだろうか。

 下水を県道の側溝に排出するための申請書や浄化槽の補助金申請書の作成やら、その他幾つかの申請や届出の書類作成のため色々な人が訪ねてくる。

平成13年11月20日(火)

 最後に残ったロフトへ通じる階段がようやく完成。ログハウスという特殊構造物の難しい場所に階段を設置したので大工さんたち大苦戦、結局総てが終了するまで足掛け二日、帰っていったのが午後11時、これで大工さんの主要な仕事は終了で、あとは不定期に若干残った仕事をしに来るだけの由、本当にお疲れ様でした。

 大工さんは、せっかく綺麗にしておいても、皆が土足で上がるので、何時も俺が掃除をしなければならないとボヤキつつも、どんなに遅くなっても何時も綺麗に掃除して遠い道を帰って行く。色々な業者さんが入っていて、時間的に大工さんが何時も割を食うようだ、見ていて本当に頭が下がる。今後は土足で上がらないことにする。


平成13年11月19日(月)

 午前2時から4時頃まで寒さに震えながら大地に寝転がって獅子座流星群を観測。大宇宙の天文ショーを独り占めした気分。

 早速浄化槽の埋設用の穴掘り始まるぐり石を敷いて配筋をしてセメントを流し込む。延べ床面積から7人槽の由、大きな穴だ。

 ホームワイドで見切り品のチェーンソーを買う。今田棟梁が模範演技。扱いを誤ると大怪我をするので慎重にならざるを得ない。これで薪を沢山作らなければならないのだが、チェーンソーだと腕に負担がかからないと思ったら大間違い、エンジンを始動する時のスターターグリップの紐の反動が強くてせっかく治りつつあった腕をまたまた痛め、一の宮整形外科へ。

 耕運機にしてもチェーンソーにしても初めて触れる機械類のエンジン音にワクワクする。

平成13年11月17日(土)
 朝一番で足場撤去が始まる。足場が取れて雰囲気ががらりと変わる。足場が無くなると浄化槽の埋設を始め、周辺の工事が一気に進み、いよいよゴール間近。

 吊るし柿が軒先に安住?の地を得る。

 夜、40年ぶりに小倉の高校時代の友人T田K太郎と電話で再会、本当に懐かしかった。
平成13年11月15日(木)
 晴れ、氷点下になる。仮設水道の蛇口が少し凍る。

 種子島の現場より棟梁たち戻る。

 板金屋さんが雨どい工事、ペンキ屋さんの塗装続く。

 林業のS藤部長が山梨県からの見学者同道。

 キッチンのカウンターの天板取り付け、キッチンの耐火パネル貼り付け完了、キッチン設置準備完了。

 哲兄のPC、LAN接続不良で名古屋よりSOSの電話あり、LANカードのコネクター不良の結論、明日買い換える由。

 引越し日、11月の末日に決定、フェリーの手配をする。

 ネコまた現れる、畑に穴を掘っているので叱ったら、そこに小便をして丁寧に前足で土をかけていた、聞くところによると野良らしい。
平成13年11月14日(水)

 予報が少し狂って明け方近くから雨、朝には上がる。雨上がりの阿蘇高岳、中岳の頂上付近が白くなっていた、初冠雪だ、平年より3日、去年より37日早いそうだ。

 上がったと思った雨がまた降り出したので、吊るし柿は建築中の家の中に避難、適当な場所を見つけて吊るす。

 宮崎よりストーブ屋さんのU島女史以下メンバー煙突工事のために来る。設計のT石さんもやって来る。

 S藤社長との打ち合わせで11月末を目処に引っ越してくることを確認、さっそく留守家族に連絡をしてその態勢作りを指示。

 野良猫か、どこかの飼い猫か、やたらと人懐こいネコが昨日から居ついている、寂しいのかやたらと体をこすりつけてくる、(ネコは好きじゃないが)しばらく自由にさせてみよう(こちらも独りで寂しいんだよ)。


平成13年11月13日(火)

 今朝は冷え込みが強く、手桶に薄氷が張っていた、いよいよ本格的な冬到来か。

 今日は静かな一日で、主にペンキ屋さんだけだった。溜まりに溜まっていた更新作業に明け暮れた。

 夕方、S賀T雄さんが坂梨宿場会の案内を持って訪ねてくださる。

 夜、宿場会に出席、メンバーの皆さんにご紹介いただく。阿蘇の活性化に対する皆さんの熱意が伝わる。既に顔なじみの方も何人か。楽しいひと時を過ごす。


平成13年11月12日(月)


 午前中、家内の吊るし柿つくりが続く。

 茅ケ崎に着くのが遅くなるので温泉に寄ってから帰るそうで、途中、長陽村の阿蘇ファームランドに寄って一風呂浴びる。

 家内ANA650便18:25発で帰っていく、またしばらく独りだ、早く家族全員揃いたいところだ。

 棟梁たち今日から3日ほど種子島の現場に行くそうでこちらは休み。


平成13年11月11日(日)

 57号線を竹田方面に中古農機具店を探して走る、目的は達っせなかったが、途中で一望三山と言って阿蘇山と久住山、祖母山を一度にぐるり見渡せる360度開けた高原で弁当食べた。

 午後、F井渡さんのお母さんからえんどう豆の種を頂戴して、彼女の指導のもと早速植える。それを見ていたS藤社長が家からニラとネギの苗を引き抜いて持ってきてくださり、それらも我が家の菜園に加わって、ずいぶんと賑やかになった、収穫が楽しみだ、それにしても高菜の芽が出ないぞ。

 家内が裏のほうから渋柿をたくさんもいできて吊るし柿を作り出した、現場の足場に吊るしたがうまく出来るだろうか。なんでも自給できそうだ。


平成13年11月10日(土)

 白菜の苗をホームワイドで見つけてきて早速植え付ける。一株49円を28株。油粕と牛糞を入れて耕す。家内も耕運機初体験、うれしそうにはしゃぐ。


平成13年11月9日(金)
 
 朝一で一の宮整形外科に行く、副院長のY下医師に診てもらう。いわゆるテニス肘といわれる炎症だそうで、注射と飲み薬と湿布薬とサポーターを貰う。悪質な病気ではないがしつこいそうだ。

 昼前熊本市内のショールームに向う途中、棟梁から「名古屋からお客さんだよ」、と電話をもらう。なんと従兄のT兄が同窓会の帰途に寄ってくれたそうで、会えずに本当に残念、電話で声だけ聞いて別れる。

 今日からいよいよ塗装が始まる、壁はアイボリーにグレーが混ざったもの、窓枠や梁、破風などはチョコレート色。こちらの希望は木目が出る透明な塗料だったが、専門家の薦めによってコンゾランという不透明塗料に決める。木目は見えなくなるが耐用年数が確実に長いとのこと、そして塗膜は厚いものの呼吸をするそうだし、実際に住む室内側で木地が見えればいいだろうとの意見に納得する。

 暖炉の耐火煉瓦敷きと玄関のたたきの煉瓦敷きも目地を残して終わる、だんだん、らしくなってきた。
平成13年11月8日(木)

 快晴 摂氏1度 一面の霜

 家内来訪、空港に出迎え。T内さんが来た便と同じ飛行機だ、すっかりのヒゲ面に敵は気がつかず笑ってしまう。

 家内がこちらに居る間、妹が豊田から来て母の面倒を見てくれているので安心だ(その必要は無いほど元気なのだが、一応は病み上がりなので)。

 今日は家の二階部分に手摺が出来た、ずいぶんと印象が変わるものだ。
平成13年11月7日(水)

 晴れ。

 大工さん休み。

 勝手口のコンクリート打ちは今日もあった、その他板金屋さん。

 午後、設計のT石さん来る。玄関の高さやキッチンのアドバイス、ストーブ周りの耐火煉瓦の指示など。

 今日は阿蘇に来て初めて床屋に行く。ここから一番近い店にした、H岡床屋さん、コインランドリーからも一番近い、その間クリーニングを済ませる。整髪の手順、やはり場所場所で椅子に座って帰るまでの段取りが少しづつ違うようだ。


平成13年11月6日(火)
 晴れ、風強く寒い一日だった。

 今日は建築現場のライブカメラを今までよりもっと奥に移動してカメラアングルを変えた。ケーブルを更に延ばしたがまだまだ大丈夫そうだ。

 腕をまたまた痛めた、痛い痛い!!。

 今日は勝手口のコンクリート打ちがあった。

 一の宮温泉センター休館日につきアゼリアに行く。
平成13年11月5日(月)

 午後よりまた雨。クワとシャベルと、もう一つはなんと言うのだろう、クワの三ツ又状のものを買ってくる。


平成13年11月4日(日)

 大工さんたちは今日は休み。

 前日の雨の所為で土が固まったので再度耕運機で耕すも、水気を多く含み団子状態になるのでクワで畝を起こす。通りかかったW辺夫人を含む三夫人を捉まえて高菜の種まきの教授を請う。僅か30坪の畑に今日は朝9時から始めて結局蒔き終わるまで夕方4時までかかった、いやあ疲れた疲れた。果たして芽を出してくるかどうか。


平成13年11月3日(土)

 終日雨、ひたすら静養に努める、耕した後が気になるが仕方が無い。

 母、今日午後無事に退院したそうで一安心。
平成13年11月2日(金)

 起きたらすごい濃霧、もしかしたら今日も雲海かと思ったが風邪を引いて体調不良につき断念。

 外部からの電話、電気、テレビのアンテナケーブル類は直接家屋に引き込まずに一旦地面に入れてから床下から一括して引き込むことにして、そのケーブル埋設工事に九電工のT石班(特捜隊みたい)のメンバー来る。

 K原塗装店とS藤社長とで壁に塗る塗料のサンプル塗りをする、アイボリーにグレーを混ぜた色に決める。
 
 クワを借りて高菜植えのために畑を興しているのを見かねてW辺夫人がご自分愛用の小型耕運機を貸してくださる。HONDAの「こまめ」とある。初めて耕運機を動かした、感激感激、これで俺も百姓だと妙に嬉しくなった。名前のとおり小型の言わばご婦人用で、我が家用にはもう少し大きいほうがいいそうだ。小型だからと言ってもなかなか言う事を聞いてくれない。

 ホームワイドで牛糞25リットル入り袋を8袋買って来て均等に撒いて耕す、午後から始めたので日没後も作業は続いた、朝は朝星、夜は夜星である。風邪で喉は痛いわ、腕はまだ痛いわ、で百姓も大変だ、種まきは明日になる。

平成13年11月1日(木)

 いよいよ11月か、引越し大作戦の最終コーナーだ。

 昨日と打って変わって朝から雨、T内晴れ男は本当だったか。

 とりあえず10mX10mの100平米(30坪)に高菜を植えようと縄張りを始めた途端に雨、早速「晴耕雨読」の「雨読」を実行、活字離れが急速に進んでいるようで「書」を読む根気が無くなって来つつある。

 母は結局何処も悪いところが無かったようで何時でも退院OKだそうだ、良かった。

 運んでくる家具の配置の検分などで家内の阿蘇入りが8日から12日までと決まる。

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