平成14年 1月31日(木)

 残っていた工事代金の支払が済んだので、S賀事務所に表示登記と所有権保存登記の手続きを依頼した。


平成14年 1月30日(水)


 職安に出頭した。今日は失業認定日で、三ヶ月間の支給制限後初めての失業保険(正しくは基本手当てというのか)が振り込まれることとなる。今の我が家にとっては極めて貴重な収入である。


平成14年 1月28日(月)

 水道料の自動振替の手続きをとる、ここは簡易水道である。

 簡易水道とは普通の?水道よりも簡単なシステムの水道だと思っていた。つまり、ただ山水を引いてきて各戸に配水するだけで、それ以外に特に何もしない方式のものだと思っていたが、そうではなかった。水道法という法律があって、そのなかで人口が101〜5000人に供給する水道を簡易水道と言って、それ以上を上水道と言うらしい。従って水質のチェックや消毒は普通の水道の基準と同じである。ただ、ここの場合は水源が阿蘇の地下水で、名水としてビン詰めして売られるほど良い水を水源にしているので旨いのである。同じ町内でも中心部は上水道で坂梨地域は簡易水道と分かれているらしい。因みに我が簡易水道の料金は定額制で、家族3人の場合は月額1,000円である。いくら使っても1,000円なのである。


平成14年 1月18日(金)

 母86回目の誕生日。もう今年が最後だねえ、と毎年聞きながらまた今年も聞いた、来年も聞くことだろう、その後もまた同じセリフを元気で聞かせて欲しいものである。

 出発前に、晴れていれば一っ走りして火口を、という願いも空しく、結局D夫婦滞在中晴れることは無かった。昼前にやまなみハイウエーを走って、九重山の麓を通って、別府港から来たときと同じフェリーで帰って行った

 帰る際に円通寺に寄って野菜を山ほど引き抜かせてもらい土産に持って帰ってもらった、また来るがいい。


平成14年 1月17日(木)

 唐突ながら、「塩トマト」というものがある。宿場会の雑談で出たことがあるが、スーパーに並んでいたので買ってきて食べた。

 最初から塩味がするトマトである。もともと実ったときからそういう味で、収穫してから塩分を注入するのではない、小ぶりではあるが濃厚な非常に糖度の高い甘い美味いトマトである、塩トマトと言っておきながら甘いのである。

 聞くところによると、水が少なくて非常に過酷な環境で育ったトマトは生き抜くために果実自体は大きくならない代わりに、じっくりと養分を貯めるらしくて、その結果非常に美味しいトマトになるそうで、ミネラル分などを多量に含んでいるとのこと。そういえば以前、ある生産者から、見かけが悪くて流通に乗せる事が出来ないんだけど、と言って、同じような育て方をしたとにかく美味い蜜柑を食べさせてもらったことがあるが、苛酷な環境で育ったほうが美味いのは何もトマトに限らないらしい。このトマト、八代あたりが生産地らしく、人工的にわざと過酷な環境を作って育てるらしい。何でも海水で育てるとか育てないとか、その塩分を吸い上げるわけではないのかもしれないが。

 D夫婦を阿蘇観光に誘う。城山展望所--->産山村--->滝室坂・後藤饅頭屋--->265号線経由南郷谷高森湧水トンネル--->白川水源--->阿蘇山頂--->ファームランドという小生自身が阿蘇素人のため、とりあえずの我が家定番コースを案内。生憎の天候で阿蘇の雄大な景色を見せてやれなくて主催者側としては極めて残念であった。折角の山頂も有毒ガスで危険との事で入場規制がかかり火口までは近寄れなかった。聞くところによると両名とも雨男・雨女とのこと、また来るから、と別に残念がる風でも無かった。

 今回小生自身初めて高森湧水トンネルに行った。我々が住んでいる阿蘇谷には熊本から大分までJR豊肥本線が走っているが、阿蘇谷の反対側、南郷谷を経由する路線が無く、その昔熊本から南郷谷を通って宮崎に抜ける路線が計画された。ところが高森町の外輪山のトンネル工事中に大量の湧水事故が発生して長い間工事が中断し、その後国鉄の財政難もあって事業計画自体が中止され、現在は南郷谷は第三セクターの鉄道が立野駅〜高森駅間を走っている。結局宮崎まで延伸されなかった未開通のトンネルは長い間放置されていたのだが、町おこしの一環としてこのトンネルを「湧水トンネル公園」として生き返らせ観光の目玉にしたのがここである。数百メートルにわたって、本来なら線路があるべきトンネル内を大量の綺麗な水が流れているだけなのだが、なかなか趣のあるトンネルである。それにしても阿蘇は水が豊富なところである。自宅の近くには地下水が背丈ほども自噴する地域もある。

 夕食はイタメシのプロであるが受け持ってくれて、ファームランドやスーパーで仕入れた食材と、わざわざ持参してくれた食材を使って美味いパスタを作ってくれた。小生の怪しい手打ち蕎麦と違って本職の味は素晴らしかった。


平成14年 1月16日(水)

 いろいろな行き違いがあってストーブを交換をすることになり、朝一番で宮崎からストーブ屋さん一行がやってきた。
 
 昼前に甥のD・H佳夫婦が豊田からフェリーで遊び来る、せっかくの旅なのに生憎の天気で気の毒である。昼食には有難くも小生自らの手打ち蕎麦を食べることが出来て彼らは幸せ者であったであろう。ん?これまた気の毒であったか。

 午後、仙酔峡に登って阿蘇谷を見下ろしてから、その足で熊本市内まで一っ走り。時間の都合で熊本城を車窓から眺めただけで帰ってきた。


平成14年 1月15日(火)

 坂梨宿場会の一月例会が荒木精肉店であった。荒木さんは馬肉の専門店で宿場会の会員である。熊本は馬肉が名物で、こちらに来てからもう何回か食べる機会があった。当然この夜も出た。スーパーにも牛肉や豚、鶏肉などと並んで馬肉が売っている。値段は他の肉に比べて少し割高か。昔、ごく普通に食べていた鯨の肉が食べられなくなって久しいが、それにも似ていて淡白でなかなか美味しいもである。


平成14年 1月12日(土)

 我が家のネコは名前を「コラッ」という。勝手に「我が家の」と言っているが、仮小屋時代から居ついた野良で、その性極めて犬に近くて人間に驚くほど懐いている。警戒心は一切持たず鼻声で人に体を摺り寄せてくる。部落内で生きていく上で身につけた知恵か。いつもコラッと怒鳴っているので、そのように命名した。だからコラではなくて、コラッなのである。

 メジロが十羽ほど群れをなして裏の竹やぶのところにある柿の木に残った実を啄ばんでいた、これほどの数を見るのは初めてなので急いでカメラを取って戻ってきたら、百舌がその木を占領してメジロは逃げていた、一日中、薪割をした。


平成14年 1月10日(木)

 初寄り。部落の年頭に行われる部落総会で、元日の賀詞交換会が形式的なものに対して、部落の意思を決定する集まりで、その年最初に行われる集会であるのだが(別に次回三回と定例で持たれるものでも無さそうである。まあ何か特別に議題でもあれば集まるのであろうか)、特に大きな議題でもない限りは、まあ久しぶりに皆で顔を合わせて、和気あいあい、やあやあといった雰囲気のもののようで、報告・決定事項の処理の後は当然の事ながら、一杯ということになる。この地域の宴席での作法、献杯の方法が今一わからないところがあって戸惑うところである、ぼちぼち会得をするとしよう。


平成14年 1月 7日(月)

 K兄の紹介で大阿蘇病院に母を連れて行く。

 整形外科でU田To郎先生から坐骨神経痛、内科でU田Ta郎先生から脳梗塞の予後受診、三叉神経痛の薬の投与を受ける。普段空いているという田舎の病院も今日ばかりは正月休み明けで大混雑、それでも都会の病院に比べると楽である、応対も極めて親切。


平成14年 1月 4日(金)

 阿蘇温泉病院で検診、順調の由、役場で母子手帳の発行を受け、三人で阿蘇神社に初詣、奮発して?破魔矢を買う。
 ホームワイドで電動丸ノコを購入、日曜大工と薪作りに活躍するか。そうか、もう日曜大工とは言わないのだ、毎日大工か。


平成14年 1月 1日(火)

 平成壬午歳。いよいよ新天地での新しい年の始まりである、未明からの小雨で地面がしっとりと濡れており、残念ながら阿蘇山は雲の中。

 昨年は我が人生のなかでも色々大きなことがあった記念すべき年であった、年末ジャンボは当たらなかったが、何もかもがうまく運びすぎた、好事魔多し、好事魔多し、これが小生の念仏がわりの言葉だ、浮かれないように浮かれないように、そして今年も家族皆が健康であるように、ただひたすら願うのみである。

 朝8時に部落の集会場で賀詞交換会があった。十数戸の部落だが、(各戸から一〜ニ名が出席して)一堂に会して軽くお神酒を酌み交わし新しい年を祝い、年始まわりの重複を避けようという知恵らしい。一度は部落内全部に引越しの挨拶周りをしたのだが、ご家族の全員にお会いしたわけでなく、今日も初めてお会いする人も多く改めて今後のよしみを願う。



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平成14(2002)年 1月の記録(新しい日付けの順)