平成14年 2月28日(木)
終日雨。
市内の農機具屋で中古の農機具の販売会があるとの新聞広告で出かけた。坂田機械という会社である。
農機具の中古などすぐにでも手に入るものとタカを括っていたが、自動車と違ってこういったものは一度買うとトコトン使うものらしくて、なかなか中古が出回らないようで、結局遠く市内まで出かけて買うことになった。リーズナブルなのかどうか分からなかったがとにかく購入して手付を打ってきた、近く届けてくれるそうである。
帰り道に偶然熊本日日新聞社の前を通ったが、新聞博物館が併設されているのが目に留ったので、立ち寄って昔載ったことがある曽祖父太邑の記事の検索をお願した。古い記事でそこまでは未だデジタル化されておらず、係りの女性が古いスクラップを一生懸命探してくれたのだが、手がかりが掴めずに諦めて車を出しかけたところ、雨の中追いかけてきてくれて、あった旨教えてくれた、確かまだ他にも何件かあったと思うのだが、とにかく一件見つかった、忙しいなか時間を割いてくれて有難かった。
あまりにも先祖のことを知らなすぎる。日本では「語り継ぐ」と言う方法での歴史の伝承が欠けている、というようなことが何かに書いてあったが、今のうちに少しでも先祖の事績を知っておこうと思う今日この頃である。
平成14年 2月27日(水)
職安出頭、失業認定日である。
平成14年 2月26日(火)
一の宮町長選挙が始まる、3/3日の投票日に向けて現職と新人の二人の一騎打ちらしい。転入日の関係で我が家では小生だけに選挙権がある、一の宮町の有権者数は8,000人に大きく欠けるそうだ。
平成14年 2月25日(月)
阿蘇温泉病院で受診、経過順調の由、一安心。
高岳山麓で野焼きの煙が見える。
阿蘇税務署で確定申告の用紙をもらう。
平成14年 2月24日(日)
昨日佐藤さんの誘いがあったのだが、F医師の農園を訪問する時間が無かったので、午前中まだ滞在中かと、悪阻で寝ているカミサンを置いて母を乗せて、産山村を訪ねてみた。F医師、昨日のうちに帰られたようだったが、隣接する「
ファームビレッジ産山」<http://www.aso.ne.jp/~ubuyama/nouen.html>で道案内を請うた時に、そこにいる人がどうも以前お会いしたことがあるようで、確かめたところ、昨年の暮れに「ソバキリ隊」の手打ち蕎麦の講習会で一緒だった田中康夫さん(アノ田中さんとは勿論別人である)であることが判明して、やあ、やあということになった次第、またまたの人の繋がり。
平成14年 2月23日(土)
大津で農機具の中古市があるとのことで出かけたが、適当なものが無く、佐藤林業で廃材を貰って帰る。途中滉兄が仕事で「つくしの里」に来ていることが分かったので、寄り道をして、随分久しぶりに伸兄とも会い三人で歓談した、元気そうだった。
帰途ホームワイドに立ち寄ったところ、偶然にも先日お会いしたF医師が、隣の産山村(うぶやま)に持つ農園の管理に見えていて、一輪車に肥料をたくさん積んで佐藤さんとご一緒のところに出くわした、縁という物はなんと不思議なもか。
平成14年 2月22日(金)
志賀事務所に登記料の支払に行く。早川さんも見えていてしばし雑談に花が咲く。
平成14年 2月21日(木)
我が家の北東側の町道部分の道路補修工事が始まった、年度末間近からか、まあ勘ぐるのはやめよう。
今日根子岳の手前にある「
妻子ヶ鼻」で野焼きが始まった。枯草の茶一色の草原から立ちのぼる黒い煙と赤い炎がチロチロ見えた、春の訪れを知らせる風物詩だそうだ、もうあたりの
梅も満開である。
この「鼻」というのは、外輪山から盆地の平野部分に鼻のように張り出した山を指して言うようで、阿蘇には七鼻八石と言って七つの鼻と八つの巨石があるそうである。最も有名な鼻が「
遠見ケ鼻」と言って、今は大観峰と呼ばれるもので、因みに我が家は「卯の鼻」という鼻の突端部ある。
平成14年 2月20日(水)
12/20に精米した30キロの米がそろそろ底を尽き始めたので、今日自動精米機に行った。
三人家族で2ヶ月で30キロ食べるのか?今回は一度に30キロ精米するよりは鮮度を保つために分けたほうが良いと思って、10キロだけ持って行った。
ところが。ところがである。10キロ分のコイン100円を投入したのにまだ残量があるとのサインが出た、少し多めに持っていったので、その分かと思って、勿体無いがもう100円投入した。
ところが少しどころかドンドン出てくるではないか。200円分のコインが終わってもまだ残量があるという、結局300円投入して30キロ分の白米が袋に入った、神様のお恵みか、不当利得か、なんだったんだろう、人がいないので聞くに聞けず・・・。
もともと大きなタンクに大量の玄米がストックしてあって、だれでも30キロ投入するので、投入した米を精米するのではなくて、そのタンクから米が黙っていても30キロ分が出てくるのであろうか、まさか・・
平成14年 2月19日(火)
体調不良につき一日安静休養する、
クマ(お向かいの犬)の散歩を初めてサボる、散歩コースの
鴨のツガイが気になる。
平成14年 2月18日(月)
熊本市内のN病院に母の白内障の手術の相談で訪れる。緊急を要するほどではないそうだが手術をお願いすることにする、5月施術予定。
受診の際の雑談で我々が神奈川から来て現在坂梨に住んでいることを聞いて、話もしないのに担当のF医師は我が家がログハウスであることを知っていた。なんと佐藤建設さんと知り合いで、以前に話を聞いて、変な所にログハウスを建てるので覚えていて、そうではないかと思ったとのこと、世の中狭いものである。病院からの帰途、佐藤林業に寄って廃材を車に積んで帰る。
平成14年 2月17日(日)
初めて町の
図書館に行った。専門書はあまり無いが(また必要も無いが)、小説類はたっぷりあって、しかもあまり利用する人がいないのか、皆綺麗で汚れていないので、これから本は買わずにここを大いに利用させてもらうことにする。
平成14年 2月16日(土)
昨日建てたHFのアンテナがライブカメラの画面にモロにかぶると武藤からクレームがついたので、位置を
変更した、方位的には今度のほうが良いのだがコンディションが悪くて1エリアは入らない。
平成14年 2月14日(木)
ホームワイドで
掛矢(かけや)を購入、木槌の大きいヤツである。杭を打つのに欠かせない道具である。さっそく竹を支柱にして
HFのアンテナを張った。
平成14年 2月13日(水)
本日宿場会、坂梨公民館で開催。町史編纂室の嘉悦渉氏の坂梨の歴史講義がある。曽祖父太邑の話も出てきて面映かった。宿場会主催の植樹が3/23、3/24に決まる、我が家にも桜の木を植えてもらうことにした。
平成14年 2月12日(火)
今日は氷点下8度だった。
デッキに野鳥が転がっていた、触るとまだ暖かい、首の骨が折れていた、ガラスにぶつかったのだろうか、気の毒なことをした。図鑑で調べたらヒヨドリらしい、畑の隅に埋葬した。
平成14年 2月11日(月)
夜来の雪薄く積もる、紀元節である、国旗を掲揚した。
平成14年 2月10日(日)
一階のデッキの壁に、余っていた手製の
ライブカメラを付けて玄関方向をモニターできるようにした、これで室内から訪れる人が分かる。
平成14年 2月 5日(火)
防災無線の
受信機取り付け工事があった。今まで部落の中に大きなスピーカーがあって、そこから火災情報や、町の広報が流れていたのだが、場所によっては聞き取りにくいところがあるとの事で、これに加えて、この度各戸に小型の受信機が設置されるようになった。ここに来た当初は頻繁に流れる広報に煩わしさを覚えたが、慣れるとなかなか重宝なものだと思うようになった。何よりも朝、昼、夕方、夜に流れる時報メロディーは便利である。阿蘇は何と言っても活火山のど真ん中なので、イザという時の為のものなのだろうか。
平成14年 2月 1日(金)
午前中、志賀さんが表示登記の調査のため来訪。
午後から天気が素晴らしかったのでスーパーへの買い物の途中、ちょっと寄り道をして
母を阿蘇山頂へ連れて行く(本当にちょっとの距離なのである)。淳兄の出産の手伝いで熊本に来た時に登って以来とのことで、60年振りだそうだ、雪が降った後で素晴らしい光景だった。
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