日々の記録目次へ  ホームページへ
平成17乙酉(2005)年8月の記録(新しい日付けの順)

平成 17年 8月31日 (水)

 晴。ここのところ涼しい日が続いていたが8月も終わりになって暑さが戻ったようだ。

 妹たちが昼過ぎに帰っていった、来た時と帰る日の昼食に蕎麦を打って供した。幌加内からそば粉を取り寄せた、残念ながら新そばの出荷まで数日待たなければならず今回は昨秋の蕎麦粉だったがそれでも十分に旨かった。今回は外二で打った。(写真1写真2

 婆様も高齢で、また元気なうちに再会できると良いがこればかりは神のみぞ知るだ。


平成 17年 8月30日 (火)

 曇り一時雨。

 第44回衆院選が今日公示された、9月11日が投票日である、早々と入場券が届いている、投票所は今度から何箇所か集約されて坂梨公民館になった、これも町村合併の影響だろう、今までより少し遠くなる。

 博道と杏は高千穂峡に出かけていった、妹は婆様と一緒に居たいと言って家に残った、静かな一日だった。

 馬場でもう稲刈りが始まった。


平成 17年 8月29日 (月)

 晴。

 愛知県豊田市から妹の一家がやってきた。


平成 17年 8月28日 (日)

 晴。

 SLあそBOYの引退の日だ、カミサンが行きたいというので、見送りに出かけた。駅前は交通規制がされていて車が入らないので、宮地駅から少しのところにある仙酔峡通りの踏み切りで最後のSLを見送った。長く尾を引くような汽笛を鳴らして、あの蒸気と石炭の臭いを振り撒きながら汽車が轟音をあげて目の前を通り過ぎていく時にはさすがに柄にも無く不覚にも込み上げてくるものがあった。(写真1写真2写真3写真4

 SLが発った後の宮地駅に寄ってみたが、まだ式典が続けられていたにもかかわらず、SL好きはSLが居ない駅にはもう用が無いと見えて潮が引くように人が減っていた。駅前では阿蘇を基点に活動しているVientoというオカリナやケーナといった笛とシンセサイザーのデュオがお別れコンサートを開いていたが、このような時だからか、その音色、一層心に染み入るものがあった。(写真1写真2写真3

 駅前には嘉悦さんも見えていて、氏が子供のころ、豊肥線が全線つながった時に、父親に背負われて宮地駅まで見物に来たものです、と懐かしそうに話しておいでだった。

 この蒸気機関車は台座の部分だったかの老朽化が激しく、もう修理が効かず、設計図も残っていないので復元が出来ないというようなことであったと思うが、設計図など無くても原寸で図面を引けばで出来そうな気がするが駄目なのだろうか、またひとつ大事な何かが消えていった。


平成 17年 8月27日 (土)

 晴れ、空気が清清しい。

 所用で朝早く熊本市内に出かけたカミサンが帰ってくるので駅に迎えにいったところ、その10分くらい後に到着する明日を限りに引退する「SLあそBOY」をひと目見ようとする人たちで駅前は一杯だった。(写真1写真2写真3写真4

 我々もお付き合いで、そのまま見物することにしたが、いつもはそんなに人がたかるほどのことは無かったのに、引退が決まった途端に切符も売り切れで、連日沿線はカメラに収めようとする人が溢れている、毎度のことながら人間というものは現金なものである。

 小生の年齢だと、中学くらいまでだったろうか、普通にSLが走っていて、時々電気機関車やディーゼル機関車が入ってくると逆に嬉しかったものである。そういったわけで、SLに対してみなが騒ぐほどの思い入れは無いが、まあ確かにそばであのメカを目にして体で感じると血が騒ぐものがあるのも確かである。


平成 17年 8月26日 (金)

 今朝の阿蘇山

 曇り。台風11号が今朝未明千葉市に上陸してその後太平洋に抜けていったようだ。台風ほどちょっとしたコースのずれで明暗の分かれるものは無い、今回は高鼾だった。

 娘が一日休んで、保育園に復帰した。

 役場で(おっと市役所か)で献血をやっていたので、献じてきた。今回で22回目だ(別に献血マニアというわけではない)。

 宿場會のホームページ「豊後街道坂梨宿」が晴 旅人村さんと、お嬢さんの壱さんの手で概略完成した、素晴らしい、基本的にファイル容量の制限が無いので、これから坂梨の情報がどんどん発信できる。

 夕方、阿蘇神社門前町の夜市に出かける、門前の商店街の縁日のようなものである。(写真1写真2写真3写真4写真5写真6


平成 17年 8月25日 (木)

 曇り。

 娘が風邪で保育園を休んだ、が、休ませるほどのこともなかったか、ピンピンしていた。

 夜、宿場會の臨時の打合せがあり、関所の竣工式に関すること、馬場八幡祭のこと、気まぐれ蕎麦屋の件など審議する。


平成 17年 8月24日 (水)

 曇り、時々小雨。

 娘、髪の毛が伸びてようやく「おさげ」が結えるようになった。その娘、昨日あたりから咳をして鼻をグスグス言わせていたが、今日保育園が終わるころ電話があって熱があるので、帰りにお医者さんに寄ったほうがと連絡を頂戴したので、カミサンが古閑医院に連れて行き薬を貰って帰ってきた。ようやく水疱瘡が終わったと思ったらまただ、でもまあ大したことはなさそうだ。

 終日パソコンに向かい、ようやくメインのシステムの入れ替えをほぼ終了した、快適である。ついでにメールアドレスなどの古いデータの整理をした。


平成 17年 8月23日 (火)

 曇り時々小雨。台風11号はどうやら九州を避けてくれそうだ。

 畑が完全にジャングル化してしまった、もう今更どうにもならない、あとは秋になって枯れるのを待つのみ。実は苗を植えたカボチャと、昨年、自然に地に帰って種から芽が出たカボチャとで畑中カボチャの蔓がはびこって、うっかり草刈りをすると蔓を切断するので手を拱いているうちにとうとうこうなってしまった、カボチャの生命力はとにかく強い。果たしてどれだけの実がなるのだろう。

 終日本を読んだり、うたた寝をしたりのんびり過ごす。


平成 17年 8月22日 (月)

 曇り。

 婆様、午前中、先日来の気管支喘息の経過観察のため大阿蘇病院へ。完治とのこと、ただ体力低下著しく、体力回復努力が必要である(と言うのは小生の見立て)。

 ついこの間、田植えが終わったばかりだと思ったらもう稲が黄色く色づき始めて重く頭を垂れてきた、月が替われば稲刈りももう直ぐだろう。台風11号12号が不気味に日本を窺っているが、少なくともここには来ないことを祈るばかりだ。

 この辺り、今年は蕎麦の畑がよく目につく。減反のあおりだろうが、一面に黄色く色づき始めた田のアクセントに蕎麦の花のやわらかな白さがなかなか良い。

 --- 阿蘇の峰 垂れる稲穂に 蕎麦の花 ---


平成 17年 8月21日 (日)

 朝まで雨が残りその後晴れる。

 今日は村の宗教行事、お大師さん、お薬師さん、お地蔵さんの日で、カミサンは終日当番(座前)で料理つくりと接待で集会所に詰める。この行事は3月21日と今日と年に二回ある。3月の時は我が家がお大師さんの座元だった。詳細については3/21を参考にされたい、と例によって詳細記述の手を抜く。

写真1写真2写真3写真4


平成 17年 8月20日 (土)

 曇り、時々雨。

 娘、おかげさまで息災にて、本日満三歳の誕生日、ケーキ、三輪車のプレゼントなどに満悦。「もう三歳」と「やっと三歳」の両方の感慨交錯。まとめて連続写真

 これより少し前(7/23)の行事の写真が阿蘇市の広報8月号表紙になったが、偶然に母子が写っていた、良い記念になった。


平成 17年 8月19日 (金)

 晴れ、午後より例によって雷雨、一時PC等の電源を全て落とす。最近は朝晩めっきり肌寒くなってきた。

 午前中、宿場會で「参勤交代徒歩の旅」の一行に麦茶の接待をする。毎年この時期に小中学生が、野津原から熊本城まで豊後街道を数日間かけて徒歩の旅をする催しがある、今年で28回だとか。宿場會では、旧道の整備や麦茶の接待をして応援をしている。彼らは今晩は内牧に明晩は大津に泊まって明後日熊本城にゴールインする予定である。今年は総勢160名余の子供たちが元気に坂梨宿を通過して行った。この催しは非常に人気があって参加するのが大変なようだ、毎年参加して、道中傘がボロボロの猛者もいる。子供たちだけでなく我々もそのうちに全行程を歩いてみたいものである。

 午後から、所用で山の下に下りる。

「参勤交代徒歩の旅」接待連続写真


平成 17年 8月18日 (木)

 晴れ、夕方、夕立。

 婆様、退院を待ちかねて、入れ歯の調製の続きで宇治歯科へ。

 午後三時より、村の宗教行事、「妙見さん」が集会所で開かれる。以前は詳細に記述したが毎年同じ日の同じ内容の行事なので詳細は省略する(別の言い方をすれば手を抜く)。


平成 17年 8月17日 (水)

 ニュースで知ったが、今朝の気温は18度を切っていたそうだ、肌寒くて窓を閉めたくらいだった。ただし日中は暑かった。
 娘が今日から保育園に復帰した。そして婆様が今回もまたしぶとく生還した


平成 17年 8月16日 (火)

 晴れ。

 朝一番で山に登りご先祖様をお送りする。

 昼前、娘を古閑医院に連れてゆく、明日からの登園許可が降りる、子守から開放されるので小生にとって何よりも嬉しい。


平成 17年 8月15日 (月)

 曇り(だったかな)

 娘の子守で一日忙殺され全く何も出来ず、外の天気すら分からなかった。娘の水疱瘡の経過は極めて良好、もうほとんど痒がらず。


平成 17年 8月14日 (日)

 晴れ。

 午前中、村の初盆のお宅にお参りに伺う。

 昼前、裏手の草刈りをする、怠け者の節句働きか。

 朝と夕方、婆様の様子を見に顔を病院に出す、夕方は、従兄の哲兄も一緒だった。哲兄は大津の伸兄のところに行ったついでに寄ったとのことだったが、ここ二三日は国道57号線が一年で一番混むのを知らなかったようで途中お渋滞に閉口していた。最近はインターネットもやっていないようで婆様の入院も知らなかったそうだ。婆様は、本人の解釈では、外来の手が廻らないお盆休みの間だけの入院だそうで、休みが明けるとまた通院できるので退院するつもりでいる、看護師がそう言っていたそうだから、多分そうなのかもしれない。


平成 17年 8月13日 (土)

 晴れ。お盆である。帰省する人と観光客で阿蘇も一番に賑わう時期で国道も車でいっぱいである。

 朝一番でご先祖様をお迎えに山に登る。午後、円通寺さんにお経をあげていただく。

 婆様がまた入院した。病院はお盆の休みに入っているが、今日も特別に喘息の治療で点滴に行ったところ、回復が遅れており、別の治療法を加えるので通院は大変だから入院しなさいとのこと、そのまま入院した。もう何度も入院しており入院するほうも、家族も慣れたもので、持って行く物ももう分かっているので、とっとと入院した。お盆休みの時期に新しい入院患者を受け入れるのは積極的では無いと思うのだが、家にいるよりも本人も家族も安心出来るので本当に有難いことである。

 娘が、「お婆ちゃんおらんと寂しいね」と言う、もうそのような感情表現が出来るくらいに成長している。その娘の水疱瘡、今がピークだろうか、もっと増えるのだろうか、熱が8度近くあるが元気である。時々痒がるので、その部分に白い軟膏をぬってやると痒みが治まるようで、思ったほどの苦痛は無さそうである。この程度で終始してくれると有難いのだが。

 庭前の小世界(カマキリがセミを捕まえたところ)


平成 17年 8月12日 (金)

 晴れ。

 婆様、点滴に大阿蘇病院へ、本日は昼過ぎで終わる。

 娘がとうとう水疱瘡(水痘)に罹かる。保育園で大分前から流行っていて、大体皆罹ってそろそろ終結宣言が出される段階と思っていたら、最後の最後に娘が罹ってしまった。今朝登園してしばらくして、電話があり熱があるとのことだったので、早退させて古閑医院で診てもらったところ、「これは水疱瘡ですね」とのこと、飲み薬と塗り薬を貰って帰ってきた。この病気の症状には個人差があって沢山湿疹が出る子と、あまり出ないで治る子がいるらしい、娘は今のところ大したことは無いし元気が良い、この病気自体は大したことなさそうであるが、実は小生はまだ罹ったことが無いらしい、娘と一番接触の多いのが小生である、カミサンは小さいときに罹ったそうである、この歳で罹るとどうなるのか、風疹の時はひどい目に遭った、おたふく風邪の時もひどい目に遭った。


平成 17年 8月11日 (木)

 晴れ。

 婆様を病院に送って、その足で大津まで用足しに降りる。婆様、午前中の点滴が昼過ぎに終わって、今日はまた午後から点滴をするとのことで、一旦帰宅して昼休みを入れて、2時過ぎから改めて病院に行き、6時半ころまで掛かった。高齢で回復が思ったより遅いようである。


平成 17年 8月10日 (水)

 晴れ時々曇る。

 午前中、婆様大阿蘇病院で点滴、小生、宇治歯科で歯石取りの続き。

 引き続き、昼までかかって墓地の草刈りをした。盆を目の前にして例によって尻に火が点いてあわててやったのである。一年ぶりの草刈り、鬱蒼としてジャングルのようになっていた。後で知ったことだが、このあたりの風習として、この7日が墓掃除の日だったらしい。そういえばたまたま日曜日でもあったからか、先日あちらこちらで墓地の掃除をしていた。


平成 17年 8月 9日 (火)

 曇りがち、しかし積乱雲は今日もしっかり出た、ただ雷は無かった。

 婆様、朝、ゼエゼエがひどく、病院に行きたいと言うので、大阿蘇病院に連れて行く。どうも喘息がでて少し風邪を引いたようで、点滴を打ってもらって帰る。

 赤星さんから、ASO田園博物館の要請で作っていた掲示板が出来上がったので一緒に運んで欲しいと電話が入ったので、会所で積んで博物館まで運搬した。

 坂本棟梁がいよいよ坂梨公民館の道路際のレンガ構造物の取り壊しを始めた、さて何が出来るかお楽しみというところである。

 今日もまたスズメが煙突から落ちてきた、ここ数日でもう4羽目だ、スズメを捕るのであれば、この方法が良いのかも知れない。


平成 17年 8月 8日 (月)

 曇り。

 スズメが屋根の煙突の穴からストーブの中に落ちてバタバタすることがここ数日でもう三度起きている。営巣の時期なのだろうか。以前、煙突の中に藁を沢山詰め込んで巣を作ったことがある。今回はそうなる前に誤って穴の中に落ちるのだろう。ストーブの前蓋を開けてやると、あわてて飛び出して家の中を飛び回る。それを捕まえては放してやる。初めての時は臆病な娘は怖がって大変だったが、二度三度となるうちに放す前に頭を撫でてやるようになった。

 婆様を温泉病院へ。ようやくノドの腫れが治まったようでウガイ薬だけをもらって帰ってくる。

 本日、衆議院が解散した。


平成 17年 8月 7日 (日)

 晴れ、午後より本日も雷雨、田畑のためにはカーッと照って、ザーッときて良いのだろうが、自宅サーバーを運転していて安易にPCの電源を落とせないので、近くで雷がバリバリ、ドカーンと落ちるのはなんとも落ち着かないものだ。

 今日は立秋だそうだが、早朝や夜は暦に合わせたわけでもあるまいが、もう肌寒く、暮れてからは早々に窓を閉め切った。

 婆様のノドの調子が一向に快方に向かわないうえに、少し熱もありそうだし、呼吸も荒いので、休日の当番医を調べたら都合が良いことに大阿蘇病院になっていたので、用心のために連れて行った。

 ノドを診てもらったが大分腫れも引いているし、肺炎の心配も無いので、心配するほどのことは無いでしょう、静かにしていて、明日、今掛かっている病院で診てもらいなさいとのことで一安心して帰ってくる。食欲もあるので大丈夫だろう。


平成 17年 8月 6日 (土)

 晴れ。昼ごろまた定期便となった雷雨、上空の積乱雲がすごい。

 今日は宿場會年中行事の天神橋清掃。同時に、子供たちの参勤交代徒歩の旅の街道整備のため旧道の滝室坂の草刈も予定されていたが、今回は一足先にローターリークラブの方で作業をしたそうで、こちらのほうは今年は無かった。橋の清掃と併せて、以前植樹したが枯れてしまったモミジの木の伐採も行い、我が家の薪に。

 午後1時から始めて、手際よく3時前には作業が終わり、シャワーで汗を流して午後4時から会所で暑気払いのバーベキュー大会。
天神橋清掃と暑気払い連続写真

 暑気払いに先立って、宿場會の常夜灯をASO田園空間博物館に展示のため運搬据付をする。何年ぶりだろう、丁度手伝いに顔を出していた中野由美姐さんに久しぶりのお会いする。(写真1写真2写真3写真4

 夕方から渡さんのお宅の新築祝いの宴があった、小生、宿場會の行事出席のため、カミサンが娘を連れてお祝いに伺う。

 婆様のノドの具合、徐々にではあるが、快方に向かっているようだ。


平成17年 8月 5日 (金)

 晴れ、午後さっとにわか雨。

 庭先のヒゴタイが見ごろを迎えた。ヒゴタイのヒゴは肥後ではないようだ、野生のものは希少植物だそうだが、我が家のヒゴタイは産山村のヒゴタイ公園で一昨年苗で買ってきて庭に植えたもので、多分観賞種だろう、こちらに来て初めて知った花だ。昔は盆花として野生種も何処にでもあったようだ。瑠璃玉アザミというそっくりの花があるが、それはアザミ科でヒゴタイは菊科だそうだ(だったかな)。一昨年苗で買ってきた年は二株咲いた、昨年は全く咲かなかった、そして今年は何倍にも増えて咲いた。(写真1写真2

 婆様を朝一番で温泉病院に。昨日ほどの痛みは一晩寝て少し軽減されたようで、腫れも大分引いてきたようだが、まだもう少し注意深く経過を見る必要がありそうだ。

 あれほど苦労したflagshipマシンのミラーリング化にようやく成功した。もうこれで諦めてオンボードのRAIDは使うのをやめようと最後にマニュアルとは別の、奇策とも言える方法で試したところ、実にあっけなく成功した、今でも半信半疑である。忘れないうちに手順を記録しておかなければ、もう一度再現しろと言われても出来ないかもしれない。

 夜、宿場會の木工作業に顔を出す、宿場通りの道標や常夜灯などの製作のために毎週金曜日を作業日に当てたのだ、今晩は宿場通りの道標の加工とASO田園空間博物館から依頼された掲示板の製作を赤星さんと、志賀さんがやっていたが、小生今晩はやたらと疲れていて何もする気にならなかったので、二人の作業を眺めるだけに終わった。


平成 17年 8月 4日 (木)

 晴れ、今日は天気が安定しており、夕方も美しい日没だった。

 今日は、婆様のデイケアの日で、朝、車が迎えに来て送り出したと思ったら11時ころ、デイケアセンターの婆様から電話があり、喉が猛烈に痛むので、専門医の所に行きたいと言う。看護婦さんに相談して、同じ敷地内の内科で診てもらったところ、喉が非常に腫れているとのことなので、内牧の温泉病院の耳鼻咽喉科に連絡をとってもらって、デイケアを早退して、連れて行った。

 調べてもらったところ、外傷性のものではないが、いわゆる喉チンコが非常に腫れているのとのこと、熱は無く、風邪から来るものでは無いそうだが、鼻呼吸は大丈夫なものの、口でする呼吸にも若干支障があり呼吸しにくいと言う。とにかく炎症や痛みを抑えるために点滴をしてもらった。血液検査もしたが特に異常は認められないとのこと。昨夜熱いものを飲み込んで相当痛かったとのことだが、そのような火傷的は外傷は無いそうである。とにかく帰宅して様子を見ることにして、投薬を受け、夕方までにもし更に悪くなるようだった入院したほうが良いとのことだったが、それ以上はひどくならないようなので一晩家で様子を見ることにした。夕食もまあ普通に摂ったので大事には至らないと思うが、とにかく次から次へと新しい病気を作る婆様ではある。

  夕方前、ようやくメインのライブカメラ用PCのHDの換装が終わり、これで全部のライブカメラが復旧した。


平成 17年 8月 3日 (水)

 晴れ、夕方近く猛烈な雷雨、夕立にしては少々激しかった、あわててPC関連の電源を落とす。

 昼前、当方としては何もしていないのに、いつの間にか電話回線が復旧していた、丁度やってきたNTTに事情を話したところ、確かにオカシイ症状は掴んでいるので一応調べましょうと電柱にクレーン車で登ってチェックしたようだが、復旧している状態では原因が掴めないので、また何かあったら連絡してくださいとのことであった。

 何かある、モデムのLEDが時々怪しく点滅している、せっかく自宅サーバーが動き始めたというのに。

 今日は昨夜からのシステムダウンを利用して、ライブカメラを運用しているPCのHDの換装を行った。HDを丸ごとコピーしようと思ったが、今のHDが相当いかれていてコピーが出来ず、結局全て最初から入れ直すことになり、思った以上に手こずって、今日中に終了できなかった。

 ここのところ連日PCに齧り付いている、毎日が日曜日だから良いようなものだが、それにしても何も出来ない、その間に家の内外は雑草がどんどんはびこっている。


平成 17年 8月 2日 (火)

 晴れ。

 婆様、大阿蘇病院定期通院、小生宇治歯科で歯石取り。

 今日も一日パソコンに向かう、いよいよ泥沼。

 そんななか、夕方近く電話回線が切れていることが分かりNTTで調べてもらったところ、どうも屋内か屋外かは分からないが何処かで断線しているようだ。明日修理に来てくれることになった。

 電話は最近は携帯電話があるので困らないが、ADSLが使えないと、自宅サーバー、とライブカメラが全く機能しない。仕方が無いので、動いているPCを全部終了したところ、驚くほどの静寂が訪れた。普段24時間何台ものPCが動いていて、それほど大きくないにしてもモーター音の途切れることが無かったのが、全部のパソコンが動きを止めたのだ、それに沢山のLEDが一斉に消えて闇も訪れた、たまにはこれも良しだ。


平成 17年 8月 1日 (月)

 曇り、時々にわか雨。

 婆様、今日から入れ歯の型取り。

 小生、終日PCに向かう。英文で簡単なマニュアルしか無い、トライアル・アンド・エラー、試行錯誤、行き当たりバッタリ、七転八倒、いろいろやっているがどうしても巧くイカン。オンボードのRAIDとカード式のRAIDとは少し違うようだ、ン〜ム。

 娘が、初めてスカートを穿いた。今まではスカートとズボンが一体化したものだったが、本当のスカートは初めてだ、本人も、はにかみ半分、嬉しさ半分というところか、いつの間にか成長したものだ。



このページ先頭へ  日々の記録目次へ  ホームページへ