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平成17乙酉(2005)年9月の記録(新しい日付けの順)

平成 17年 9月30 (金)

 曇り(だったかな、晴れていたかな)。

 午後3時過ぎから9時過ぎまでかかって、中虎屋で明日明後日の二日限り開店するそば切り隊の開店準備をする。今回は相当の客数が予想されるので相当腹を括って掛かる必要がありそうで、今から大いに緊張する。


平成 17年 9月29 (木)

 うす曇り。

 本日、婆様、デイケアに通う。

 午前中、雑草を燃やす、まだ本腰を入れて屋外作業をやる気分になれず、なんとなくそんなことでお茶を濁す。

 保育園の帰り、娘を連れて新米を精米する、口に入るのは明日あたりからか。

 GMMが写真で近況を知らせてきた、見事な好好爺ぶりである。最近SKYPEというソフトが話題になっており、電話代わりに使ったり、数人で会議形式で話したり、話しながらキーボードで文字を送ったり、ファイルを送ったり出来る、通話料はインターネット間では無料である、便利なソフトが出来たものだ。この写真はこうして送られてきた。


平成 17年 9月28 (水)

 晴れ。

 馬場八幡の秋季大祭、娘は保育園より参加する。娘は最年少クラスため、体力不足で途中で全員乳母車に収容されて無事にゴールインをした。

 百聞は一見にしかず(宿場會の出店の為、持ち場を離れられず、屋台のある公民館からの写真のみで馬場八幡の様子は分からず)。

 馬場八幡秋季大祭連続写真


平成 17年 9月27 (火)

 晴れ、少し雲多し。

 婆様、大阿蘇病院へ定期通院。

 婆様の留守中、昼飯でも作ろうかと台所に立ったところ、隅のほうで何かが鳴いているような気がする、小鳥のような声だがどうも違う、覗いてみたが何も居ない。ねんのためにカミサンが置いたゴキブリホイホイの中を覗いてみた。居た居た、小さなネズミがトリモチにくっついて逃げられなくて鳴いていたのだ、それも二匹居だ。

 先日の婆様の部屋のネズミの件と言い、やはりネズミが居るのだ。子ネズミが居るということは親が居るということだろう。

 カミサンはゴキブリを病的に怖がる、テレビでゴキブリ退治の薬などのコマーシャルでゴキブリのCGが出てくるだけで顔を背けるくらいだ。どうも最近我が家にもゴキブリがいるようなので、カミサンがゴキブリホイホイを置いたばかりだ。そのゴキブリホイホイにかかったのだ、石見銀山でも買ってこなければなるまい。

 ついでながら、カミサンのゴキブリホイホイの置き方は尋常ではない。出そうなところに5〜6個いっぺんに置く、アホか。


 婆様は週一回大阿蘇病院にデーケアに通っているが、今日、介護支援専門員の市原さんの訪問があった、毎月一回の訪問があり、この訪問で通所者の様子や希望などを聞いていかれる。


  毎年、馬場八幡宮秋季大祭に宿場會から支援のオデンなどの屋台を出店するが、明日の祭礼を前に、夕方からそのテント張りなどの準備をした。今年は会場が坂梨公民館の広場に変更された。女性軍は数名で分担して、今晩オデンの仕込をする。テント張りの準備が終わる頃には、「よどおこし」という前夜祭のような催しのために子供たちが集まり始めていた。



平成 17年 9月26 (月)

 今日も爽やかに晴れる、(写真1写真2)日差しは強くても、もう夏のような厳しさは無い。

 娘、咳が出て少し苦しそうなので、古閑医院に寄って咳止めシロップを出してもらい保育園にやる。

 数日間パソコンと格闘したので気が抜けてゴロゴロして一日を終わる。


平成 17年 9月25 (日)

 今朝は少し肌寒かった、これ以上の秋は無いというほど空気が見事に澄んで阿蘇の峰々が手の届くような近さに感じられた。

 稲刈りも終わり、田に静寂が戻り、家族みんな、のんびりした日曜日を過ごす、夕方近く阿蘇神社の前を通りかかったら、なんとなく何かの賑わいの跡が感じられた、道路に馬糞が落ちているのをみて思い出した、そうだ今日は流鏑馬だったのだ、のんびりし過ぎて忘れてしまった、残念〜。

 ---- 馬糞ひとつ流鏑馬のなごりや秋の風 ----

 娘、プレゼントの愛知博のキャラクターを抱いて
平成 17年 9月24 (土)

 晴れ。

 朝のうちに草刈りを少々。

 それ以外は終日パソコン作業をぼちぼち、ようやく宿題が終わり、テストラン開始。

 娘、また夏風邪か、少々具合が悪そうなので、母親が古閑医院に連れてい行く。大したことはなさそうだ。


平成 17年 9月23 (金) 秋季皇霊祭

 晴れ、国旗掲揚。

 本日、娘が通う保育園の運動会、家族で応援に出かける。婆様もくたびれるから、留守番していようかと言っていたが、これが最後の運動会かもしれないねと言って一緒に出かけた。

 ここ何度か天気が悪くて屋内開催だったが、今日は穏やかに晴れて、運動会日和の一日だった。

 カミサンは親子遊戯や母親たちだけの競技に参加した、対して小生、父親には違いないが、爺さんの歳だし、ということでもなかったのだろうが、幸いにして父親参加の競技には参加せずに済んだが、それとは別に地区対抗の競技があり、これには夫婦で参加をして二人三脚などというものやってしまった。

 小さな地域社会なので、顔見知りが多くて和気あいあいの運動会だった。会場つくりから、終わっての取り壊しも、保護者皆も参加してやってあっと言う間に終わった。

 娘も元気一杯、婆様も無事に観戦できて良い一日だった、それにしても、長い準備期間と当日の無事な競技進行、保育園の先生方や保護者会の役員の皆さんのご苦労に心から感謝したい気持ちだ。

 運動会が終わって、裏山に墓参に上がる、朝のうちにお参り出来なかったので、夕方からの墓参になったが、まあこんな時だからご先祖様も「了解!」だろう。

運動会連続写真
平成 17年 9月22 (木)

 晴れ。

 明日の保育園の運動会の会場つくりの手伝いに行く。


平成 17年 9月21 (水)

 曇り。

 坂梨公民館で製作中の坂梨関所の完成検査あり、様子を見に出かける、無事合格した模様。

 終日、坂梨宿のホームページの会員専用ページの作成作業をする、難渋したが、どうにか光明が射してきたようだ。

 夕方、風呂からあがった婆様がちょっと来てくれというので、部屋に行ってみると、小さなネズミが死んでいた。風呂に入る前には居なかったと言う。どこからやってきたのだろうか、死体が勝手に歩いてくるわけはない、部屋に入ってきてから死んだのだろうか、子ネズミが居るいうことであれば、親ネズミも居るということか、農村だから周囲にはネズミはたくさん居るが、どこから侵入したのだろう、ハテ?


平成 17年 9月20 (火)

晴れ。彼岸の入り、今朝ここに来て初めて気がついた。一年のこの日、昇る朝日が、仙酔峡のロープウェイの駅舎のガラス窓に反射して我が家から眩しく光るのが見える。一年のうちに春と秋のこの時だけだろうか。

 昨日竹田市で昼食を摂った際に、うっかり車に積み忘れて、駐車場に置き去りにして帰ってきた婆様の手押し車を早速取りに出かけた。昨日中に電話をして、置忘れを確認して預かってもらっておいた。

 岡城址を降りてきたところに広瀬神社がある、軍神広瀬中佐を祀った神社である、お参りしてから、町を俯瞰しながら周りに人がいないのを確認して、「杉野は何処・・」を歌った。

 武家屋敷の道筋(写真1写真2)もひっそりと残っている、古い町屋(写真1写真2)も残っている、落ち着いた風情のある街である。

 当然のことながら、姫野一郎商店<http://www.shiitake-himeno.co.jp/>で忘れ物を回収してから、二日続きで鰻を食った、豪勢豪勢。婆様が、死ぬまでにもう一度くらい食べたいねえと随分と大袈裟なことを言っていたので、ああまた今度連れていってあげるからねと返しておいたが、向こうに着いてから、どうせなら今日一緒に来れば良かったかなと思ったが後の祭り、まあもう少しは大丈夫だろう。

 阿蘇に降った雨が大分県側に流れ下る大野川の源流部分に白水の滝という所がある、大分県荻町になるのだろうか、ここでは「白水」と書いて「しらみず」と読む、豊後の国の水15選に選ばれているそうだ。竹田からの帰途国道57号線に道標があったので、今日は「観光だ」とばかりに左に折れて寄り道をした、20キロ近くの寄り道である。写真ではその雰囲気、スケールがうまく伝わらないが、ここは家族を連れてまた是非来たいところだ、阿蘇が如何に豊かに水を生むところかということが良く分かる水量豊富な渓谷である。調べてみたら、荻町も町村合併で竹田市になっていた。

 白水の滝からの帰りは、来た道を戻らずに、波野の山間の道を縫って箱石峠に出て、阿蘇谷の美しさに改めて満足して帰ってきた。波野から見る根子岳はいつもと違う表情を見せていた、見る位置によって大きく変化する複雑な山稜をしている。

 昼前に出て、4時頃には帰ってきた、その程度の行程である。



平成 17年 9月19 (月) 敬老の日

 晴れ、国旗掲揚。

 朝、日が昇る前に少し畑の草刈をする。

 昼、敬老の日を祝って、婆様を竹田のうなぎが美味しい店にいざなう、半分は託(かこつ)けてである、皆で旨い鰻が食いたかったのである。

 この店は、姫野一郎商店<http://www.shiitake-himeno.co.jp/>と言い、もともと椎茸問屋の老舗であるが、何故か美味しい鰻を出す、と聡雄さんから聞いていたので、家族で出かけた次第である。

 評判どおりに旨い鰻で、家族大いに満足、鰻をあまり好んで食べることをしない娘まで美味しい美味しいと婆様の分を大分横取りして食べていた。

 竹田には歴史ある城下町の文化と佇まいが沢山残っていて、山と川があって、美味しい食べ物もたくさんある、素晴らしい町である。が、やはり人が少ない・・・ついついそういうことを考えてしまう。

 今まで岡城址にしか行った事が無かったので、改めてまたじっくりと行きたい。と思っていたところ、早速明日行くハメになった。

 家族に気を配ることに神経を使いすぎて(と言い訳をして)、うっかり婆様の手押し車を自動車に積み込むことを忘れて駐車場に置いてきてしまったので、明日取りに行くことになった。ここから30キロちょっと、ついでに城下町をゆっくり周ってくることにするか。


平成 17年 9月18 (日)

 晴れ。

 午前中、ジャングルと化した畑の雑草刈りを始めたが、あまりの暑さに音をあげて、一時間程度でさっさと切り上げる。

 稲刈りも終わったところと、まだ全くのところと様々である。家の周りの田では牛の飼料用に藁のロール巻きが始まった。コンバインで移動しながら刈り取っては、米だけを穫ってまた田にどんどん捨てられていった稲藁を今度は、大きなぐるぐる回るフォークのようなもので、田いっぱいに均等に広げて乾燥させて、それを今度はロールに巻きやすく、一定の幅に寄せて、そのあとでその藁を呑み込んでは次から次へと大きな藁のロールを作っていく、この作業をトラクターの後ろにつけたいくつかのアタッチメントなどで手際よくこなしていくのである。このロールが機械後部からポロリと産み落とされる様子は面白い。(写真1写真2
 この藁のロールはそのあとで真っ白なビニールで包まれて保管されるものもあるが、このロールを機械がビニールで巻く様子がまた大変面白い。そしてこの真っ白なロールが広々とした緑の牧野に転々と転がっている風景がまた良い。


平成 17年 9月17 (土)

 晴れ。

 午前中、婆様入れ歯の調整に宇治歯科に、ウイークデイを3日休めば、9連休になる場合もあるようで、秋の行楽シーズン、久しぶりに国道が混んでいた。

 午前中、昨日刈った稲がもう出来たよと、正志さんから電話を頂戴したので娘をつれて取りに伺う、新米だ

 完全にジャングル化した畑でカボチャを収穫する。畑がジャングル化した原因は、カボチャの蔓があたりかまわず蔓延るので草が刈れなかったことによる、放置してあったのであまり沢山は採れなかった。これで畑の雑草刈が出来る。



平成 17年 9月16日 (金)

 晴れ。

 周辺の稲刈りが急ピッチで進んでいる、今日は村の共有田の稲刈りもあり、小生も手伝いに出た。台風で稲の倒伏が見られたので、コンバインで刈り取る際に支障があるといけないので、稲を起こす役目である。遠くから見ると完全に倒れているように見えたが、下のほうが隙間があり、コンバインの作業にはほとんど影響が無かったので、少し稲を起こしただけでほとんど見学をしていたようなものであった。1反5〜6畝くらいだろうか、約1時間で刈り終わった、機械の力の凄さに改めて驚いた。
写真1写真2写真3


平成 17年 9月15日 (木)

 北からの高気圧のせいで朝からヒンヤリと空気が冷たかった。

 婆様、終日デイケア。

 午前中、貯木場の草刈をする。貯木場といっても、薪にする前段階の木材を野積してある所である。蔦状の夏草に覆われて木材がすっかり姿を隠してしまっているので、それらを取り払った。まもなく切り揃えなければならない。

 朝方、田んぼのほうが騒々しいので見上げてみたら、鷺が10羽くらいとカラスが20羽くらいが、餌の取り合いか縄張り争いかけたたましい鳴声で乱舞していた、囲碁のことを 「烏鷺の争い」と言うが。


平成 17年 9月14日 (水)

 曇り、朝のうち昨夜来の雨少し残る。

 終日パソコン作業。


平成 17年 9月13日 (火)

 晴れ。

 午後4時頃、哲兄立ち寄る。

 本日保育園の奉仕作業の日、年に夏祭りと運動会の前の二度(だったと思う)、保護者が園庭や菜園の草取りをする。小生も刈払機を持って参加する。5時頃から始まって一時間強作業をしてから娘を乗せて帰ってくる。

 夜、宿場會9月の例会が会所にてある。


平成 17年 9月12日 (月)

 晴、午後三時頃にわか雨と雷、かなり激しく降ってそして盛大に落ちていた、用心のためシステムの電源を落とす。

 炊飯器が故障したので、買い替えのため山をおりる。ほかの用件もあったので、近くにも量販店があることはあるが、選択肢が広がると思っておりてみた、そしておりただけのことはあった。


平成 17年 9月11日 (日)

 曇り、時々雨

 午前中、家族で衆議院議員選挙の投票に出かける。今回からは町村合併による投票所の統廃合で、馬場から坂梨に移った。坂梨公民館は坂梨地区全域の公民館なので、立派な建物である。娘は「選挙に行く、選挙に行く」と意味も分からずに遊園地にでも行くかのようにはしゃいでいた。

 投票所も一種の社交場のようなものである、見知った顔がたくさんあって、ヤア、ヤアってなものである。

 今回は全国的に投票率が高いことが予想されているそうだが、ここはもともと高い、国政選挙の場合はそうでもないだろうが、町議会選挙など90%をはるかに超える、さてどう出るか。

 昨日と今日の昼、到来物の秋新の蕎麦粉で家族に蕎麦を打つ。


平成 17年 9月10日 (土)

 曇り、午後三時頃、大雨となり、阿蘇地方に大雨洪水警報がだされたが、6時頃には解除された。

 9月6日はカミサンの誕生日だったが、台風真っ只中だったのでセレモニーを延期して、本日ケーキを用意した。娘は自分の誕生日かのようにローソクを吹き消していた。



平成 17年 9月9日 (金)  重陽の節句

 晴、久しぶりに暑くなったがそれでも吹く風に確実に秋の気配を感じる。夕方になって一雨降る

 婆様、午前中、入れ歯の調整、先日までは「調製」だったが、今日は「調整」である、なかなか具合が良いと言っている。

 志賀昭久さんがいよいよ我が家の周囲で稲刈りを始めた、長閑なコンバインの音が届いてくる

 小生もゴロゴロばかりはしておられないので屋外で少し作業をした。ゴロゴロとは寝っ転がって何もしないということでなく、肉体作業をしないということである。PCの前に座って作業をするとか読書をするとかいうのは天気が良い日にはなんとなく罪悪感を覚えるのである。

 ここに来て直ぐの頃に作った玄関脇の薪置き場の竹製の屋根の梁が傾いてしまたので、修理をして、先日貰ってきた欅の木を割った。欅は乾燥すると硬くなって割れなくなるから早く割ったほうが良いとアドバイスをもらっていたのであるが、確かにいまだと気持ちよくスパッと割れる。小一時間ばかりの作業で汗だらけである、これが今シーズンの薪割り初めである。

 ホームワイドで、音楽CDが驚くほど安い値段で売っていたので、思わず買ってしまった。フランク永井と越路吹雪のCDである、どうしてこんなに安いのか知らないが代表作ばかり入ってる、懐かしい、丁度青春の頃だった。


平成 17年 9月8日 (木)

 台風が去った後、まだ天気が安定しない、晴れたと思ったらにわか雨、雲の多い一日だった。

 婆様、自らに鞭打つようにしてデイケアに出かける。

 昼前、上村さんから、また樹がでたぞ、と電話を頂戴して、国道沿いの現場に取りに行った。

 婆様不在のため、一人で「なごみ野」でだご汁定食を食す、9月から日・月曜日が定休日で、火曜日から土曜日まで営業することになったそうである。

 午後、波野神楽苑に蕎麦の打ち粉を買いに行き、産山村経由で帰った。産山牧場の所に大蘇ダムへ、という道路標識を見つけて、そう言えばダムが出来たとニュースで言っていたなと思い出してちょっと寄ってみた。産山牧場からほんの1キロくらいだろうか、少し下ったところにヒッソリとダムが出来ていた。阿蘇の山中にこのようなダムが、という印象で、なかなかのものである、どうして話題にならないのだろう。そのダム湖を跨ぐ立派な橋も出来ている、どうしてあまり話題にならないのだろう。水利の関係だろうか、位置的には水は大分側に流れるのだろう。産山村は町村合併をせずに単独で生きる道を選んだ、そのせいで、阿蘇市からは他の自治体になるからあまり話題にならないのだろうか、立派な観光資源だ、産山村ガンバレ。

 帰途城山展望所から阿蘇谷を俯瞰した、見事に黄金色の田が広がっていた、台風の被害も最小限ですんだのではと想像する。


平成 17年 9月7日 (水)

 台風14号、昨夜11時ころ、テレビ画面の台風コース図で阿蘇地方が暴風圏を抜けたことを確認してようやく安心して床に入った、肉体的には何もしていないがもうクタクタになった。

 今回の台風14号は、大きさといい強さといいあまりにも事前の情報が大きくて、そしてその速度が遅かったので、長時間緊張が強いられたからだ、幸いにこのあたりに被害は軽くて済んだようだ。

 今回の台風は風というよりは雨の被害が大きく、九州山地の東側、主に宮崎県側を中心に大淀川などの河川や山間地に大きな被害がでた。

 昨日のニュースで一の宮のトマトハウスの被害が放送されていたが、今朝娘を保育園に送りがてら、坂梨地区をざっと走ったが、どこも見たところビニールハウスはほとんど無傷で、倒木も見られなかった。今の時期、収穫期を迎えて穂が重くなっており、ちょっとした風でも倒れたり、肥料のやりすぎで育ちすぎて風が吹かなくても稲が倒れたりするくらいだから、それから見れば稲の被害も思ったほどではなかったようだ、我が家の周囲の志賀昭久さんの田は、ほとんど倒れていなかった、柿の実もほとんど落ちていなかった。

 それでも昨日の夕方頃、最接近した時に、この程度か、大したことは無いなと思っていたが、その後の吹き返しの風が結構強く、いわゆる虎落笛の音が不気味で、怪しげな工作で作った防風壁や薪小屋が吹き飛ばされるのではと心配だった。

  科学技術が発達して台風の発生からその大きさ、進路まで刻一刻と追跡予測できるようになりながら、その台風をどうにもすることが出来ず、ただ恐れおののいて眺めているだけ、人間の非力さを改めて知らされる思いがした。

 予報の技術が無い時代には台風は突然やってきたわけで、その心構えが出来ていなくて大いに慌てただろうが、現在のように何日も前から来るぞ来るぞと落ち着かない日々を過ごすこともなく、やって来るまでの無用な心配も無かっただろうから、まあどちらが良いかだ。

 今年はもうこれで最後にしてほしいと思ったら、また台風15号が発生している・・・・・

 このサイトへのアクセス数は普段一日平均大体100件くらいだろうか、その件数が今回の台風で、昨日1日で450件くらいに跳ね上がった。阿蘇を離れて遠くに住んでいる人たちが故郷の様子が心配になってというケースや、阿蘇の狭い範囲の台風の様子が知りたくてというケースやいろいろあると思うが、インターネットの速報性が威力を発揮する証左だと思う。それだけに管理者として通信回線維持に責任を感じる一日だった。

 今日、娘の保育園の帰りに、例によってコイン精米機に寄ったが、そこのご主人の上村さんが、最近、阿蘇出身で現在埼玉だったかな、そこに住んでいる人が、(ここの精米機と併設の)コインランドリーに立ち寄った際に、阿蘇のライブカメラをやっている小生のホームページをいつも見ていて、阿蘇を懐かしんでいるとのことでしたよ、と話してくださった。

 昨日の台風で倒れたのだろうか、薪になる欅があるから取りに来いと赤星さんから電話を頂戴したので、軽トラで馬場八幡に出かけたところ、今月28日の祭礼を前に氏子の役員さんたちが清掃に汗を流しておいでだった。


平成 17年 9月6日 (火)

 少なくとも夕方までは、これを書いている段階では心配していたほどのことは無かった、ただ、ここは吹き返しが強い所だそうだ。通過するまでは九州山地が守ってくれてそれほど風は強くないそうだが、通過したあとは西側が海に向かって開けている熊本はもろに風を受けるそうだ、確かに今までの経験から言うとそうだ、その吹き返しが始まった、とにかく凄い。台風14号は16時現在、長崎方面から福岡方面に進んで行るようだが、暴風圏が広くて風雨が収まるのは明日未明になるそうである。もうこの時間には阿蘇山が見えている

 昨年に懲りて吹き込み雨漏りに備えて、窓際の機材を退避させて、備えたが、どうやら風は強いものの雨はもう降りこむ事はなさそうに見える。

 停電も昨夜何度か断続的にあって以来無い、昨夜は切れ掛かっていた電線が弱い風で切れて停電して、そのあとはしっかりした電線が残って停電しないで済んでいるのだろう、それも現在までのところという但し書きが着く、吹き返しが強くなってくるとどうなるかわからない。

 今回の台風は風というよりは雨台風だったようで、あちらこちらで河川の氾濫や土砂崩れがあり、ここ阿蘇でも土砂災害の警報が出されている。

 我が家は自分の家周りだけ心配しておれば済むが、集落の皆さんは他や畑ビニールハウスや畜舎の心配をしなければならない。そのビニールハウス、夕方のニュースで一の宮のトマトのハウスが相当被害を受けている様子が映っていた、昨年に続いて今年もまただ、言うべき言葉が見つからない。

 そろそろツバメが南の旅立つころだ、台風で巣を追われたツバメたちが家の周囲を飛び交っていた。毎年、我が家の軒先に巣を作ってくれないかと願っているが、この洋風の家は気に入らないと見えて作ってくれない、そのツバメたちが今日は緊急避難的にベランダに何匹か止まっていた。そのなかの一羽、長い風雨に体力を消耗したのか、雨を避けることもせずじっと手摺に止まっていた


平成 17年 9月5日 (月)

 雨。

 台風14号はまだ九州に上陸していない、熊本が暴雨風圏に入るのは明日の朝になってからだそうだ、すでに強風圏には入っていて風が強いが、この程度の風は日常だからどうということは無いが、これからやってくる本番の風雨を考えるとなんとも落ち着かない一日であった。

 とにかく速度が遅いので明日は終日荒れ狂うのだろう、唯一救いと言えば台風が明るい間にやってくるということくらいか。少し中心線が右にずれて喜んでいたが、また軌道が変わって直進してきている。


平成 17年 9月4日 (日)

 小雨。

 台風14号に備えて朝から家の周りの片づけをする。ダイポールアンテナのポールも倒した。昨年の台風でへし折られたので、あれほど大きな台風はもう来ないだろうと思いつつも用心のためである。

 そのほか、仮設のライブカメラも取り込み、ベランダの風で吹き飛ばされそうなものも片付けた。

 横殴りの風雨で雨が入り込み室内に雨漏りがする屋根裏への出入り口の扉もガムテープで塞いだ。

 風が出てくるのは明日の朝になってだろうが、もうすでに戦戦兢兢としている。午後4時現在、予報の中心線がわずかに東にずれてきた、阿蘇より東側を通ってくれると少しは助かる、西側を通ると大変だ。

 最近急にスパムメールが増えてきて往生している、一日に20通も30通も来る。その大部分が不愉快な大陸方面からのものだ。それから、何と言うのだろう、逆援助交際の勧誘メールとでも言うのだろうか、とにかくあんな甘言に乗るようば馬鹿は居まいというほどの文面である、削除しても削除しても次から次に入ってくる。業を煮やしてスパムメールキラーソフトを入れた。最近は出来るだけ無料のソフトを探してきては入れているが、これもフリーソフトである。ただ小生には設定が少々難しくて、それが難と言えば難であるが、どんどん削除してくれる。いい加減に設定しているので削除してはいけないメールまでどんどん削除されるのであわてている。かなり大事なメールまで削除したかもしれない。


平成 17年 9月3日 (土)

 晴れ時々曇り

 阿蘇市モーモーフェスタが畜協跡地で開催された。ここのあか牛のバーベキューは安価くて旨いので、それが目的で出かけた。

 会場では馬や牛の品評会があり、小動物の触れ合いコーナーなどが設けられており娘は大喜びであった。大勢の知った顔があった。そしてまたまた腹が出てしまう一日であった。

モーモーフェスタ連続写真


平成 17年 9月2日 (金)

 晴れ。

 婆様入院で延びていた入れ歯の調製に宇治歯科へ。

 台風14号はいよいよ九州に近づきつつある、今回は避けられそうに無い。稲刈りの時期を少し前倒しであちらこちらで稲刈りが始まっているが、丁度隆一さんが稲刈りを始めていた。もう収穫期に来ているので台風で米が採れなくなるということは無いが、風で倒れてしまうとコンバインが入りにくく、いちいち手で起こしてやらないといけないので、少し早いが皆稲刈りをしているようだ。隆一さんが田植えをしていたのが5月7日だった。



平成 17年 9月1日 (木)

 晴。

 婆様、体調を崩しここのところ休んでいたデイケアに今日から復帰して、夕方無事に帰ってきた。家出ゴロゴロしているよりも、やはりある程度強制力があったほうが良いみたいだ。

 午前中、敷地の境界の畦切りを一時間程度する。台風14号がなんとなく不気味な動きを見せている。そのせいかどうか分からないが急に田んぼが慌ただしくなってきたようで、稲刈りの準備で軽トラなどが走り回っており、コンバインを動かす準備として畦切りも急ピッチだ。


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