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平成17乙酉(2005)年10月の記録(新しい日付けの順)
平成 17年10月31日(月)
晴れ。
婆様が二三日前から目が痛くて、目ヤニが沢山でると言うので、内牧の小野眼科に連れて行った。丁度休日が間に入っていたので、自己流というか、普段一日三回点している目薬を集中的に点した結果、今日診ていただいた時にはもう殆ど治っていて、治療法としては適切な方法であったそうだ。
カミサンの両親は今日二人で高千穂峡の方に出かけて一日秋を楽しんできたようだ。
昨日のドライブの途中、長者原のレストハウスで面白い地図を買った。九重連山の立体地図である。薄いゴム状の材料で出来ていて、くるくる巻いて携帯もできる。非常に良く分かりやすい地図で素晴らしいものだ。山の位置関係、高さの関係が一目瞭然、正確に等高線ごとに段差が作られており、色がつけられている。こういう地図が前々から欲しいと思っていたが、それがあった。翻って阿蘇のは無いのか、阿蘇の立体地図が欲しいのだが、と思って、インターネットで探してみたら、同じ会社から、阿蘇の立体地図も出ているようだ。だが、どこにもあるということでなく、この近くでは火山博物館の売店くらいしか扱っていないようだ。阿蘇山、そしてカルデラの雄大さは二次元の地図ではどうしても分かりにくい。立体地図あってこそという気がするが、どうして簡単に手に入るような売られかたがしていないのか。地図を作っている側の問題なのか、取り扱う側の問題なのか。
平成 17年10月30日(日)
晴れ。
お爺ちゃんとお婆ちゃん、それに娘のリクエストで「風のハルカ」の舞台になっている湯布院までドライブ。
セットが建っている牧場は立ち入り禁止だとのことなので、由布岳だけしっかり見てもらうと思って、やまなみハイウエイを九重を経由して走った。
九重山塊は今が紅葉の最盛期、長者原などいくつかのビューポイントからは気持ちのいい秋の日差しに真っ赤に燃える楓などの木々が山肌を染めていた。
由布岳を眺めて別府まで足を伸ばし、鶴見岳のロープウェイで頂上まで登り1375m高みから別府の町を見下ろした後、地獄めぐりのひとつ「血の池地獄」を見学して、最後に明礬温泉の「別府温泉保養ランド」の泥湯に浸かって帰ってきた。
(連続写真)
平成 17年10月29日(土)
晴れ。
昼、蕎麦を打つ。
平穏に一日が過ぎる。
平成 17年10月28日(金)
曇り、夕方から小雨。
こちらに来てから置き薬を利用するようになった。向こうに居たときは考えられないことだったが、使ってみるとなかなか便利で、我が家では専ら風邪薬を重宝している。その薬の交換に今日薬品会社の担当の人が見えた。交換は年に二回ほどだろうか、三回だったろうか。昔は置き薬といえば富山と相場は決まっていたが、我が家の薬屋さんは富山ではない。
千葉のお爺ちゃん、お婆ちゃんがやってきた。七五三のお祝いを一緒にするために一週間ほど滞在する。夕方空港から高速バスで宮地駅前まで着いて、その足で一緒に娘の保育園に迎えに回ったが、事前に教えておいたにもかかわらず、突然お爺ちゃんお婆ちゃんを目の前にして、固まってしまった。
今日我が家のコンピューターシステムが全部ダウンして、自宅サーバーが全て機能を停止して慌てた。。ADSL回線かモデムが原因かと思ったが、最終的にハブが原因であることが分かって、電源を入れ直すことで復旧してホッとした。
平成 17年10月27日(木)
晴れ、今日は久しぶりに汗ばむような陽気になった。
朝起きてみると、家の周囲は深い霧に包まれていた。今日の天気は確か晴だったはずだから、この霧は阿蘇谷だけだろう、雲海が出ているに違いない、久しぶりに登ってみるかと軽トラで城山展望所に登ってみた。
今朝は九州の広範囲にも濃霧注意報が出されていたので、霧は阿蘇谷だけでなくかなり上空のほうまで霞んでいた。残念ながら五岳ははっきり見えなかったものの、それはそれでなかなか幻想的な世界が広がっていた。
展望所で、霧島園と木村写真館の御両氏にバッタリ、彼らも雲海が出そうだと直ぐに山に登ってくるらしい。
婆様、本日デイケアで終日外出。
平成 17年10月26日(水)
おりおりそそぐ秋の雨
木の葉木の実を野に山に
色様々にそめなして
おりおりそそぐ秋の雨
今日はこの詩のような天気だった
午前中、竹田市の「あわや」から、先日注文した婆様のポータブル便器が届き、担当の藪亀さんから、高さ調整や使用方法の説明を受ける。なるべくこれに頼りすぎないことを願う。
9月の台風に備え、倒しておいたダイポールをようやく張り直す。
平成 17年10月25日(火)
今朝の最低気温、阿蘇乙姫で2.5℃だったそうだ。阿蘇谷では阿蘇市乙姫の観測データが代表的に使われる。乙姫は平野部なので、山添ではもっと低かったかもしれない。
婆様、大阿蘇病院へ定期通院。
ここには夫婦火事という言い伝えがある、一度火災があると必ず続いてもう一度火災があるという意味である。そしてその言い伝えどおり、先日20日の火災に続いて今日またあった。午後7時前、宮地の無田口という集落の民家から出火、我が家から直線で一キロ足らずの所、間は田んぼで遮る物がないので夜空に赤々と火の手が上がるのが見えた。先日の火災では納屋を全焼したそうだが、幸いに人身に被害は無かったそうだ。
平成 17年10月24日(月)
晴れ。ここのところ急に朝晩の冷え込みが厳しくなって、ストーブの火が恋しくなるが、過去は何時ストーブの火をいれただろうかと思って調べてみると、昨年は10/15、一昨年は10/16、さらにその前の年は10/8、10/9あたりだった、その年は9/25にも特別に焚いている。このことをとってみても今年は例年に比べて暖かいことがわかる。そうは言っても今年ももうそろそろなので、焚付け用の木片を少し切っていつでもOKの準備をした。
そして日没後、この秋始めてストーブに火が入った、やはり暖かい。
風邪は幸いにして、一日で治ったようだ、プールは、総合設備点検とやらで今週一杯休館だそうで、予後のためには丁度良かった。
平成 17年10月23日(日)
うす曇り。
市主催の健康ウォーキングに親子で参加する、いつの間にか直射日光が気持ちが良い季節になった。
今回のウォーキングは、一の宮町高齢者センター(温泉センター)をスタート・ゴール地として5キロ、7キロ、11キロのコースが設けられており、そのほかに、一の宮町の幼稚園・保育園で作る五園の会が設定した3キロがある。我々親子はその五園の会のコースを歩いた。うす曇りで、暑からず寒からずの丁度良いウォーキング日和のもと朝10時に出発して約1時間あまり、コスモスの咲き乱れる土手の道や、稲刈りの終わった田のなかをいくつかのチェックポイントでスタンプを押してもらいながらのんびりと歩いた。娘は始めの頃は元気良く走り回っていたが、途中から疲れたといって、小生やカミサンに抱っこされていた。
健康ウォーキング連続写真(1)
健康ウォーキング連続写真(2)
小生の、風邪、体調最悪也。
サイト「坂梨宿」の古閑の滝ライブカメラが本日よりいよいよ本格的に運用が開始されたようだ。
平成 17年10月22日(土)
曇り、一時ぱらつく。
結構気温が低いのにもかかわらず、粋がってTシャツに短パン姿でプールに行ったり、犬の散歩に行ったりしていて、とうとう風邪を引いてしまった、これが本当の「年寄りの冷や水」というやつだ。
テレビのアンテナのネジが緩んでビームの方向が不安定な状態が続いていたので、九電工さんに頼んで直してもらった。梯子を掛けるには少々高すぎて、こんな時はやはりクレーン車に限る。
午後から、サイト「坂梨宿」の次なる企画のため、某所へライブカメラの設営の応援に出かける。
本日の娘
平成 17年10月21日(金)
晴れ。
婆様が夜何度かトイレに行くのがだんだんつらくなってきたと言うので、介護保険を利用して、ポータブルトイレを買うことになり、ケア・マネージャの市原さんが竹田市の福祉用具専門店「あわや」さん(営業の藪亀さん)を連れて見えた。(写真)
本日、1000m。100m10本、今まで1時間以上かけて泳いでいたが、今日はインターバルを短くして、40分程度でお泳いだ(それにしても一般的には遅いスピードであろう)。
平成 17年10月20日(木)
本日も快晴也。
朝7時前、、いつもより30分ほど遅れて犬の散歩に出かけところ、裏の田んぼから大観峰方面に、真っ黒な煙が昇っているが見えた。焚き火にしては太く黒い煙だな、火事だろうか、でもサイレンがなっていないので、不届き者がタイヤでも燃やしているのかな、と写真に収めたところ、一斉に防災無線からサイレンが鳴りだして、消防団の出動を促し始め、馬場豆札の2班の消防車もあわただしく出動していった。中通りの民家からの出火のようだった、今の時期のこの時間帯で、出火原因は何だろう、人身に被害はなかったろうかと気になりながら犬の散歩を終えた。
昔で言う四十肩、五十肩だろうか、寿命が延びて六十台になって出たのだろうか。もう一年近く右の肩の関節を上げたり回したりすると痛い。以前テニ坊さん(現護郎さん)にテニス肘でお世話になったことがある、テニス肘は正式には「上腕骨外側上顆炎」と(か)言う病名だよ、とのことで、結構しつこかったが、いつの間にか治ったようだが、今度は肩の痛みだ。護郎さんでもそばにおいでになれば診ていただきたいところだが、気安く見てもらえる医者がそばに居ない。我慢できない痛みではないので、騙し騙し、泳いで、温泉につかって治すことにする。
本日、1,000m。100mを8本、200mを1本。今日から100mをひと刻みで泳ぐ。
平成 17年10月19日(水)
快晴、穏やかな天気が続く。
ここから大分県の九重の山々も良く見える、距離にして20Kmくらいだ、ここも噴煙が上がっている。今NHKの朝ドラ「風のハルカ」の舞台になっている由布岳は40Kmくらいか、九重の向こう側になる。そして地元の目と鼻の先にある根子岳、夕日に美しく照り映えていた。
(写真1・写真2・写真3・写真4)
母親に代わり、娘のポリオのワクチン接種に付き合う。
ポリオのワクチンは二度(だったかな)接種しなければならないそうで、本来であれば今よりもっと幼い時分に済ませておかなければならないところ、運悪くいつも風邪で体温が許容値を超えて、接種できなかった。
今日その二回目の日にあたり、昼過ぎに保育園を一時的に抜けて、保健センターに出かけた。
過疎化が進み、少子化で子供が少なくなりとのことだが、こんな人口が少ない所にこんなに沢山子供がいるかと言うほどの子供たちとその母親たちとで、その喧騒の渦に巻き込まれて、慣れない周波数に、わずか二時間ばかりのことであったがへとへとになった。
4時前に娘を保育園に送り届けてから、プールでひと泳ぎして、ひとっ風呂浴びてから、また娘を娘を迎えにいって、コイン精米に寄って帰ってきた。
本日も1,000m、但し例のごとく50m刻み。プールで突然中川公民館長から声を掛けられた。氏もご夫人と一緒にこの春から健康維持のために泳いでいるそうである。他にもJさんだとか、良く知った方がメンバーにいることが分かっている。jさんとは一度プールで相まみえたいところだが、残念ながら時間帯が違っているようでなかなかその機会がありそうもない。
平成 17年10月18日(火)
快晴、天高し。
午前中、市役所から、婆様の介護保険給付の更新のための聞き取り調査に介護福祉士のUさんが見える。
午後から、プールへ。本日1,000m、但しまだ50m刻み。少しずつ楽に泳げるようになった、ということはあまり力を使わないということで、運動量としてはマイナスか。
ここのところ、畑仕事の記事が全く出てこない、なんとなれば、全く畑仕事をしていないからである。今、サツマイモとサトイモの収穫を待つ以外は何も無い。本当はたかなの種を播くための畑作りをしなければならない頃だが、全く手付かず、この冬はたかなはやめるか。
ウェブサイト「坂梨宿」の次なる一手の下準備が概ね整う。
平成 17年10月17日(月)
快晴。今朝ここでは最低気温が5.4℃だったそうで、ここから200mほど登った外輪山上の旧波野村では、この秋初めて霜が降りたそうだ。
婆様宇治歯科に。
小生、今日は・・・・・何もしなかったな。
直樹君のお母さんから運動会の写真が届いた、子供たちが生き生きしている。(写真1・写真2・写真3・写真4)
平成 17年10月16日(日)
快晴。
終日、子供の相手で動けず、とばっちりは犬まで、二日間散歩に連れて行ってもらえず盛んに催促の声をたてていた。
最初の日は、娘、「お母さん居らんと寂しいね」を連発していたが、二日目はケロリ、そのカミサン二泊三日の旅を終え夜10時ころ無事帰還。
今日、我が家の田の米が届く。
平成 17年10月15日(土)
曇り、時々雨。
カミサンの留守を好い事に、婆様と娘を連れて、竹田の例の店にうなぎを食べに行く。
平成 17年10月14日(金)
曇り、時々雨。熊本市内では真夏日の観測史上の記録を更新したそうで今日で106日だとか、ここは暑くも無く肌寒くも無く。
朝10時の開場とともにアゼリアでひと泳ぎ。本日は600m。今日は50mのコースを途中で休むことなく泳げた。ただしあくまで50m刻み。一日で体力がついたわけではない。「力み」がなくなって無駄な力を使わない要領を思い出しただけだ。続けて泳げないのは体力が落ちた証拠だろう。
その後でひとっ風呂、朝風呂だ、極楽、極楽。
娘の保育園の遠足があり母親が引率。昨年同様、行き先はカドリー・ドミニオン、午前中で終わって帰ってきた。
午後、カミサンが所用で東京へ、2〜3日の間、クレイマー・クレイマー(Kramer vs. Kramer)状態になる。
平成 17年10月13日(木)
晴れ、熊本市内では真夏日が昨年記録を更新した105日に並んだそうだ。阿蘇も今の時期としては気温が高い一日だった(25.6℃)。
婆様大阿蘇病院のデーケアに。
中島純一さんから昨日電話があって、氏が関係するお宅の整地で栗の木を伐採するから薪にどうぞと言って、枝を除いた立派な幹の部分だけを大量にわざわざ業者さんの配達付きで、昨日と今朝と二日にわたって届けていただいた、配達付きというのが大層有難い。
今日から、プールに通うことにした。今年の健康診断で、中性脂肪値が少し高く、治療するほどの段階ではないが、注意信号が点った(総コレステロール値238、中性脂肪値170)ことと、最近体重が増えて腹が出てきて、直ぐに息が上がるようになったので、一念発起と言うわけである。
田舎に住むと、自然に体力がつくと思ったのは大間違い、田舎だとドア・ツー・ドアでどこに行くにも車である。都会より歩かなくなる。都会暮らしの時には、駅やビルの階段を駆け上ったり降りたり、満員電車に一時間も立ちっ放しで揉まれたり、駐車してから目的地まで歩いたりと、田舎暮らしよりはるかに体力を使うのである。
車で数分のところにアゼリアという町営だか三セクだかの温泉とプールを併設した立派な施設がある。プールは50mの公認プールである。温泉にはたまに客人を案内して行く。温泉は300円だか、400円で安い。しかしプールは一回800円という考えられないほどの高い値段なのだ。運営側ではレジャー施設のつもりなのかもしれないが、健康つくりで通うプールとしてはとてもではないが高すぎる、ので、今まで1度しか行った事が無い。そのアゼリアの年会員になったのだ。大枚41,000円也を払った。ただ考えてみたら、一度に払い込むのは痛いが、この年会費41,000円は安い。40,000円/12ヶ月だと、一ヶ月当たり3,400円強である。普通のスポーツクラブではこんなに安いところは無い、ということは、健康つくりで通年利用する人にとっては、決して高い金額では無いということになる。おまけにプールだけでなく、併設の温泉も、トレーニングマシンも使い放題である。娘の風呂入れが無ければもう家の風呂には入りたくないところだ。(確認したところ、プールの利用料は市民の場合は800円でなくて600円だった、市民でない場合は800円だそうだ)
このプール、時間帯にもよるのだろうが利用者が少ない、貸切のようなものである。実は阿蘇に来る前、東京の仕事場の帰りにプールに通っていた時期がある。その時は1,000mをノンストップで泳ぐのが常であった。ノンストップというと如何にも上手そうに聞こえるが、要は一度も足を着かずに泳ぎきるということで、タイムはめちゃくちゃ遅かった。それでも長距離泳げた、そして25mプールは短すぎて面白くないとも思った。今日は、片道50m、最初の50mだけ、ノンストップで泳ぎきったものの、後は息が上がって、25m泳いでは休み、25m泳いでは休みという体たらく、合計で500m泳いだところで、温泉につかって帰ってきた。数ヶ月後どうなるか、before,afterのbeforeの記録として不様な写真を載せることにする、現在の体重71.2sなり、胴回りはと、おっ最高に弛緩させた状態で測ると100センチ近くあるゾ。
夜、宿場會10月例会、8時より会所にて開かれる。
平成 17年10月12日(水)
晴れ。
昨日までの肌寒さは去って、少し暑いかなという一日であった。
終日、ほぼデスクワークで過ごす。
平成 17年10月11日(火)
曇り。
婆様、大阿蘇病院定期通院。
今、周辺の田で盛んに田起こしをしている(稲刈り後のこの作業も田起こしと言うのかどうかは知らないが、そういうことにしておく)。
こちらに来て最初の年に新鮮な驚きを覚えたことのひとつに、稲刈り後の田がまた青々とすることである。稲刈りが終わった後は茶色した切り株が整然と残るだけかと思ったら、その後で見る見るうちにまた稲が成長をして、田が緑一色になるのである。この時期に写真を撮ると田植え後の写真かと一瞬見間違うほどである。水が入っていないことや、同じ緑でも、春の緑と今の時期の緑色とは微妙に違うことで田植え後の風景ではないことが直ぐに分かるが、それにしても、田一面が緑になる様は壮観ですらある。その田を来年に備えてまた掘り起こしているのである。そのトラクターの後を鷺が数匹、掘り起こされた虫だか蛙だかを狙って、付かず離れずで追いかけてゆく、普段、田で羽を休めている鷺にはこんなに近くは絶対に近寄れないが、トラクターは、安全だということが分かっているのである。
道楽の資格試験の受験申請書を本日送るが学習の方は遅々として進まず。
平成 17年10月10日(月) 体育の日
曇り、国旗掲揚せず。世間一般三連休の最終日、国道は結構渋滞しているが、ここは静かである。
昨日今日と、軽トラで出かけるついでに柿ノ木に回って伐採木を積んで帰ってくる、あらかた片付いた。あと、チェーン・ソーで切り分けなければ持ち上がらない太い伐採樹がひとつ残っている。
娘が、千葉のおじいちゃんと、SKYPEを使って会話を楽しんでいた。
やりたいこと、やらねばならないこと山積であるが、期限モノであまり時間が無くなって来たので、前々から計画中の”と”ある「自己啓発」のための自己学習に取り組み始める。GMMあたりから何だと聞いて来るだろうが、言わない。聞きたい?
平成 17年10月9日(日)
晴れ。気温は低めで夜にはストーブを焚こうかと冗談がでるほど肌寒かった、事実、ここから大分上にある草千里の乗馬クラブでは9度台まで気温が下がり、この秋初めてストーブを焚いたというニュースが流れていた。
J子姐のパソコンようやく順調に動き出し、無事届けることが出来た。
娘は母親と買い物に出かけ、その帰りに南阿蘇村にある葉祥明の高原美術館<http://www.yohshomei.com/>に寄ったそうである。葉祥明はメルヘンチックな絵で人気のある絵本作家で、広い阿蘇の高原の中にポツリと絵本の中から抜け出たようにその美術館がある。
館の壁面に氏の絵が飾ってあり、隅のほうには読書コーナーがあって氏の絵本が置いてあり、皆静かに絵を鑑賞したり、絵本を読んだりしているそうである、そういった雰囲気の中で、娘は余程気分が良かったのか、突然大きな声で歌いだしたそうである。それがなんと「見よ落下傘空に降り、見よ落下傘空を征く、見よ落下傘、そおらああをおおゆううくうう」、室内一瞬固まり、予想もしていない出来事に母親もどう対応してよいか分からずうろたえたそうである。小生、そんなにいつも歌っているわけでないが、そのシーンを想像してなんだか可笑しくて大笑いをしてしまった。
平成 17年10月8日(土)
曇り時々小雨。
午前中、J子姐のパソコンを届けて、先方で最終セッティングをしたところ、これがどうしても上手く行かず結局また持ち帰るハメに。結論としては、原因が分からず最初からまたやり直すことにした、何だろう。ADSLのルーターとモデムの違い、IPアドレスを手動で割り当てている我が家の設定を自動割当に戻してと・・・・。繋がらないばかりか、IEが変な動きをしてどうにもしようが無くなった。
昼食に蕎麦を打つ、娘は実に器用に蕎麦を食う、一枚ペロリである。
平成 17年10月7日(金)
晴れ、夕方にわか雨。
柿ノ木に昨日の続きで、材木を貰いに行く、欅がたくさん、あともう一台分くらいありそうだ。
甲州は白州のドングリハウスさんと相互リンク開始、お会いしたことは無いが、随分昔からの知己のように感じる、インターネットが普及する以前には考えられなかったことだ、たかだかここ一二年のことだ。
平成 17年10月6日(木)
晴れ、時々うす曇る。今朝の阿蘇
婆様、デーケアの日、娘と見送る。デーケアで送迎の車に同乗の人が宿場會のK子さんの実家のお母上だということを先日知って、今朝改めてご挨拶する。(写真1・写真2・写真3)
上村義継さんから、柿ノ木(豆札の隣集落)で木を切るから取りに来るようにという電話を頂戴したので、有難く頂戴に上がる。
薪ストーブのメンテに宮崎県の都城からストーブ屋さんがやってくる。今までは煙突掃除は自分でやっていたが 、扉などに貼ってあるガスケットが磨耗して、機密性に欠けてきており、空気のコントロールが上手く行かなくなっていたので今年はプロに頼んだのである。煙突掃除と、一部ガスケットの交換などをやってもらった、満永さん久玉さんご苦労様でした。
J子姐さんから預かったPCのクリーン・インストールがようやく終わった。一日二日ヒートランしてから届けることにする。今回は大いに苦労したがそれだけに達成感が有る。デスクトップなどのPCであれば開いて、ボードの型番などを直接見れば、必要なドライバを探すのはそう大変なことではないが、ノートPCの場合は簡単に分解できず、且つこのメーカーはドライバの公開もしていないので困り果てた、そしてインターネットで検索に検索を重ねた結果、実に素晴らしいソフトがあることが分かった、それもフリーのソフトである。たとえばマザーボードに関しては、マザーボードの型番、メモリやチップセットのクロック数といった仕様のほか、パソコンに搭載しているマザーボードのメーカーホームページや、BIOSのダウンロードページへのリンクまでが表示される。このソフトを使ってようやくaudioのドライバを探す手立てを掴むことが出来た。こういった便利な、しかも無料のソフトは大体において海外製である。ウイルスチ・ェックソフト、ファイア・ウォールのソフトも個人が使うには無料のソフトが海外にはたくさんあるが、日本はとにかく遅れている。ドライバを公開しない会社など以っての外である。小生は以前このメーカーのPCを使っていたが、以前同じような経験をしたので絶対にもう買わないことにしていた、今回は自分のPCではないので止むを得ないところである。
平成 17年10月5日(水)
そぼ降る雨。暑い日が続いていたときの雨と違って思わず氷雨という言葉を使いたくなるような肌寒い一日だった。
終日パソコンの前に座る。ディスプレイドライバは他の型番のものを持ってきて何とか解決ついた。VGAのしかも16色しか表示できなくて焦ったが、ようやくXGA、高解像度で使えるようになった。問題はaudioのドライバだ、これがどうしてもいけない、音が出ない・・・・
平成 17年10月4日(火)
曇り、朝のうち小雨、久しぶりのお湿り。
終日、預かり物のPCのメンテに七転八倒。製品独自ドライバーが手に入らないので、立ち往生。もともとのコンピュータメーカーは後々のフォローまでしっかりしているが、シロモノ屋さんが始めたパソコン事業はどうもアフターケアが駄目だ(という気が経験的に感じる)、消費者をなめているといずれしっぺ返しを食うぞ。
今年は柿が豊作だ。昨年は全く生らなかった。裏作という言葉がある、そのせいかも知れないが、それにしても一個も実をつけなかった。一昨年は柿のヘタ虫にやられ、熟す前に殆ど全部が落ちてしまった。昨年から入梅前に殺虫剤を撒布している。今年も一度だけモスピランを噴霧した、本来は二度撒かなければならないようだが、一度だけにした。それでもおかげで今年は虫にはやられなかったようだ。甘柿で、鈴生りとはこういうことを言うのかと言うほど生っている、だが、とにかく実が小さい。
一日は衣更えだったが、その日は土曜日で保育園は休み、冬服での登園は実際は昨日からだったが、今朝、娘の写真を撮った。
--- 衣更え娘の姿に秋を知る ----(でも衣更えは夏の季語なんだなあ)
平成 17年10月3日(月)
くもり。
さすがにくたびれて、頼まれ物のパソコンの調整をしながらゴロゴロして日がな一日をすごす。今のところ痛いところは無いが、歳をとると数日後に反動が来るらしい。
平成 17年10月2日(日)
晴れ、今日も暑かった。
本日、そば切り隊主催の蕎麦屋二日目にして、最終日。家事の都合でメンバーに少しの入れ替わりがあったが、昨日の疲れもものかわ、無事に予想以上の収穫を得て暖簾を納める。本日は婆様も顔を出してくれた。(写真1・写真2・写真3・写真4)
平成 17年10月1日 (土)
晴れ、今朝も阿蘇が美しかった。(写真1・写真2・写真3・写真4 ・写真5)
ニュースによると、熊本市は平年を7.2度も上回る33.7度で、10月としては県内の観測史上最高を記録したそうである、ここ阿蘇も30度を越えて暑い一日となった。
そんななか、そば切り隊による、今日明日二日間限りの蕎麦屋の開店を迎えた。
詳細は、ホームページ坂梨宿に後日載ることになると思うが、開店を前に、全員でミーティングをして、神前にお参りをしてから、忙しい一日が始まった、小生はもう指定席のようになった釜前で外気温の暑さと釜の熱気と奮闘しながらひたすら蕎麦をゆで続けた。毎年のことながら一番混雑している時間帯は釜の前を離れることが出来ず、その記録写真は無い、いつも一段楽してからの写真になる。今年も大盛況で、今回はいつものメンバーに加えて、T夫人、T雄さんY子さんの愛娘N子嬢が新メンバーとして初お目見え、更には昨年に引き続きわざわざ東京から助っ人としてM岡S哲さんと新妻Y子さん駆けつけてくれて無事に初日が終わった、そして当然のことながら、早速初日打ち上げとなり大いに盛り上がった。
そば切り隊出場初日連続写真
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