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平成17乙酉(2005)年12月の記録(新しい日付けの順)

平成17年12月31日(土)

 大晦日、曇り。

 昼前、坂梨関所の看板設置作業があり、夕方にはパソコンのことでJ子姐さん母娘の来訪を受ける。

  何もしないとは言いながら、あれやこれやの片付け掃除であわただしく一年最後の日が暮れて行った。

 「蕎麦打ち」としては一年を自分で打った蕎麦で終わりたいところであったが、婆様と小生分のほんの僅かばかりの蕎麦を打っても仕方がないので、今年は、師匠の打った蕎麦を頂戴してきて一年を締め括った。師匠は大晦日は、毎年約100食分の蕎麦を打ってご近所に配られるらしい、ウン!蕎麦打ちの鏡である。

 今年も我が家にとっては平穏な一年であった。


平成17年12月30日(金)

 晴れ、今日も暖かい一日だった、昼間はストーブが要らないくらいだった。。

 新年を迎える準備で少しだけ片付けらしきものをするが、まだ一日残っているので基本的には何もせず、何もしなくても、新しい年はやって来るというのが、基本的スタンスである、うるさいのが居ないのを幸いにその線で行くことにする。

 午後、蕎麦きり隊局長御自ら蕎麦粉御届け戴く、大いに恐縮する。

 従免の申請書郵送する。
平成17年12月29日(木)

 晴れ、日中は汗ばむほどの暖かさだった。

 婆様、今年最後のデイケアに通う。

 カミサン、娘を連れて里帰り、空港まで送る。カミサン、仕事をしていて普段まとまって休暇が取れないので、年末年始の休暇を利用して、毎年帰っている、というわけで数日間静穏に浸れる、ヤレヤレ。


平成17年12月28日(水)

 快晴、氷点下10℃以下、このような天気の時は実に気持ちが良い。夕方

 ようやく年賀状を投函する。

 午後から日没まで薪作りに没頭、晴天が続く間に稼いでおかなければ。

 お役所関係は本日が仕事納め、保育園も今日が本年最後、カミサンの仕事も公務員に準ずるようで今日まで。

 午前中の郵便で「第一級アマチュア無線技士」試験の合格通知が届いた、やはりホッとした。今回の受験者数は、全国で前年同期のおよそ4.5倍の1,738名だったそうだ。CWの試験が一部免除になったからだと言われている、ということはこの試験、年に三回あるのだが、昨年までは一回の試験で400名弱の受験者しか居なかったということか、合格率は分からないが、いずれにしても小生は、試験には運良く通ったが実力は全く備わっていないというのが本当のところである、これからである。


平成17年12月27日(火)

 晴れ、相変わらず朝方の冷え込みは厳しい。

 婆様、大阿蘇病院定期通院。婆様を送りがてら、同じ病院にご入院中のJ和尚を見舞う。昨日、年末のご挨拶に伺って入院のことを知る。最近、足腰がご不自由になられたそうで、安全のためにケアの整っている病院に入院されているとのこと、確か母より二歳ほどご高齢のはず、いつまでもお元気でおいでいただきたいお方である。

 年賀状をやってけた。昔は一枚一枚手書きで出したものだが、いつの間にか、パソコンでのやっつけ仕事になってしまった。(80+30+10)


平成17年12月26日(月)

 晴れ、寒緩む。というより、これが本来の今の時期の気温なのだろうか。

 午前中、婆様指導のもと白菜を漬ける。

 午後から薪作りをする。


平成17年12月25日(日)

 晴れ、時々曇り。朝方はかなり冷え込んだが日中は比較的に暖かかったようだ。

 娘はまだサンタクロースを信じていて、寝ぼけ眼でプレゼントを前にサンタさんありがとうと我が家のストーブの煙突の上のほうを向いて礼を言っていた。

 良い子だとサンタクロースがやって来て、悪い子だとナマハゲが来るということを心から信じていて、言うことを聞かない場合、天井に向かって「ナマハゲさん〜」と我々が呼ぶと一発で言う事を聞く。さてこの手、何歳まで通用するだろうか。

 午前中、ご近所から頂戴したイチゴで今シーズン初めてのジャムを作る。ジャムにするには勿体無いほどの新鮮なイチゴだったので、沢山そのまま食べてからジャムに加工した。二キロ以上のイチゴをジャムにした。

 昼から日没近くまで、薪作りをした。薪材に積もった雪がなかなか溶けず、日が射しても日差しが弱く乾燥が遅いので薪作りの条件としてはあまり良くないが、だんだん在庫が心細くなってきているので止むを得ない。

(Note 2.2Kg 1.5Kg 250cc)
平成17年12月24日(土)

 晴れ、本日も気温緩む。

 昼から、菊陽の方にカミサン、娘と買い物に。数年ぶりに首都圏での渋滞のイライラを思い出す。往きも帰りも買い物先も大渋滞、大混雑、ウンザリした。昔はこれが日常だったわけで、現在、これが無い分だけ長生きすること間違いないだろう。

 かくして、今夜は一夜限りの俄か耶蘇教信徒となってささやかにクリスマ・スイブを家族で祝う。


平成17年12月23日(金) 天皇誕生日

 天長節、謹んで国旗掲揚。

 天気はハッキリしないが気温が緩み比較的暖かい(と言うのも変だが)一日だった。この気温で古閑の滝の氷が少し落ちだしたそうだが、今晩でどうなるか、せっかくの三連休だから古閑の滝らしくあって欲しいところだ。

 年賀状のリスト作りをする。



平成17年12月22日(木)

 雪。

 ここ阿蘇は、もともとそれほど雪が多い所ではないし、昨夜来の雪も量的には大したことはないのだろうが、それでも阿蘇谷は完全に雪に (ファイルサイズ500KB)埋まったという風景で夜が明けた。全国的に大寒波だそうであちらこちらで交通マヒが起きているようだ。

 そんななか娘もカミサンもほぼ普通どおり出掛けていった。4駆だからこの程度の雪ではチェーンは必要ないが、いい気になって少しスピードを出して、中学校の裏のほぼ直角に曲がる道でブレーキを掛けたところ、ロックしてスルスル、ガードレールまであと10センチというところでかろうじて止まった、冷や汗ものだった。

 本日は冬至、一年で一番日が短く、これを境にまた明日から少しずつ日が伸びてゆく、一陽来復。柚子湯を立てて娘と定点撮影(今日、昨年不在、一昨年誕生年)。昨年の日記を読み返してみると、昨年は今の時期カミサンがオタフクに罹り実家に帰って留守だった。そして昨年は太陽が一番南に位置する美しい夕景を撮る事が出来たが、今回は雪の冬至となって日没の瞬間を捉えることは出来なかったが、幸いに残照を撮る事が出来た。


平成17年12月21日(水)

 昼過ぎから雪がまとまって降りだして、夕方には場所によっては車が走りにくくなるほど積もり、保育園も早めに迎えに行った。この雪は今晩も続くようで、加えて風も強くなるらしい。

 午前中、ケアマネジャーの市原さん見える。
平成17年12月20日(火)

 快晴。気温一昨日ほどではないが、かなり下がり、気持ちの良い朝を迎える。

 村の協同作業に出る。本日は塚石用の孔を掘りグリを入れてナマコンを流し込み、塚石を置いた。これで年内の作業は一段落とのこと。だんだん形が見えてきた。(写真1写真2写真3



平成17年12月19日(月)

 晴れ。冷え込みは昨日ほどではなかったが、今朝も氷点下4℃くらいはあった。今年の寒さは特別のようで、いつもの冬は工場にストーブなど入れたこと無かとばってんと、とうふ屋が珍しくストーブで暖をとっていた。

 今日は雪が消えた晴れ間を縫って昼から薪作りをした。


平成17年12月18日(日)

 晴れ、今朝は氷点下10℃まで下がり、昨日とは違って無風青空の気持ちの良い冬景色だった。

 夕方、娘を連れて「お米をゴリゴリ」しに行った、外出はそれのみ。


平成17年12月17日(土)

 曇り。

 大雪の予報も幸いにして外れたようだ、今朝起きてみたら少し積もっていたが、直ぐにほとんどが溶けてしまった、陰鬱な空で、吹く風冷たく、気が滅入りそうな冬景色だった。

 雨読などなど。


平成17年12月16日(金)

 曇り。

 昨日、軽トラックのスタッドレス・タイヤを注文したところ、納品に一週間ほどかかるかもしれないとのことだったが、昨夜のうちに用意が出来たという連絡を貰ったので、午前中、菊陽のディーラーに出かけてタイヤ交換をしてきた。

 今晩から明日に掛けて大雪が降るそうだ。


平成17年12月15日(木)

 今朝7時頃、庭先においてる寒暖計の目盛りが氷点下8〜9℃を指していた。このあたりの観測点になっている阿蘇乙姫の最低気温が午前3時で氷点下5.8℃となっていたので、その時間にはもっと下がっていたかもしれない。これくらい気温が下がるとウインドウも氷の結晶が出来る。

 その分、実に気持ちの良い朝だった、当然そのような気温の時には風が無く晴れ上がってる。その天気も午後には曇りだして、また雪が舞いだして、日が暮れる頃には吹雪になった。古閑の滝のライトアップの取材で、今晩テスト点灯が予定されていたそうだが、吹雪で中止になったようだ。

 婆様、デイケアの日。

 先日の定期点検で軽トラックのタイヤが減っていると指摘を受けていたので、今年は早いうちから寒さが続いていることもあり、この際、スタッドレ・スタイヤを付けようと注文したら、一気に寒くなったためか、在庫が無くて一週間ほど待たなければならないそうだ。

 今日は昨日の工作の仕上げをした。自動的に温度を計測して記録するpithという温度測定装置である。

 ライブ・カメラにリアルタイムで気温を表示したいと思って、何か良い方法は無いものかとインターネットでいろいろ探しているうちに <http://nap.dip.jp/~michi/> というサイトに行き当たり、ここの管理人殿のご好意で半年ほど前にキットを頒けていただいていた。なかなか集中する時間が無くて延び延びになっていたが、昨日ようやく製作に取り掛かった、数年間半田ごてを握っていなかったので、どうなることかと心配だったが、パソコンにつないで起動させたところ無事に気温を刻んでいる。シリアルポートを使うのも数年ぶりになる。以前はパソコン通信でRS232Cケーブルに随分とお世話になったが、最近は使われなくなり、奥のほうに埃を被っているのをようやく見つけ出してきた。

 これから温度センサーを屋外に設置したり、データをどう、ホームページに反映させるかがこれからの作業として残っている。ライブ・カメラのソフトに観測データの転送機能があるだろうか、無い場合には他に自動FTP転送ソフトはあるだろうか、屋外に線を引き出すのも大仕事である。まだまだ本格運用は先になりそうである。



平成17年12月14日(水)

 曇り、時々雪、今日も寒かった。12月でこのような雪の日が続くのも非常に珍しいそうだ。

 今日は、数年ぶりにプリント基盤と格闘した。大分前から作ろうと思っていて、落ち着いて作業をする時間がなかなか取れずに部品類は用意できたいたのに延び延びになっていたある工作である。数年ぶりに半田ごてを握ったので、なかなかうまく半田が乗らずに、そのうえ前には無かったことだが、それほど細かいパターンではないのだがランドが見えにくく、部品を付ける際に隣の回路に跨って半田を付けたりと、いちいちテスターで測りながら悪戦苦闘した。うまくいくと面白い物が出来る、請うご期待というやつだ。


平成17年12月13日(火)

 曇り、時々雪、今日も寒かった。

 昨夜から、熊本地方の広い範囲に大雪注意報が出されていたが、我が家の周辺では時々雪が舞う程度で済んだ、だが今夜も注意報が継続されている。

 今日一日、久しぶりにゴロゴロして過ごす。


平成17年12月12日(月)

 曇り、時々雪、寒し。

 娘が昨夜からまた「おなかが痛い」というので、登園前に古閑医院で薬を貰ってから保育園に送り届ける。引き続き婆様を内牧の温泉病院に、先週の喉の経過を診て貰う、心配するほどのことはなさそうである。

 昼から、村の共同作業に出る。受験で二日ほど勘弁してもらった間に基礎を打つ準備がすっかり出来ていて、今日はナマコン打ちがあった。(写真1写真2写真3

 だんだん形が出来てきた。今日は雪が舞い寒い中での作業だったが、作業終了後、冷えきった体をシシ鍋が暖めてくれた。イノブタではない、本物のイノシシである。


平成17年12月11日(日)

 曇り。昨夜低温注意報が出ていたが、0℃以上あって暖かい朝を迎えた。

 昨日あった1アマの試験会場は九州では熊本だけ(だったと思う)、明治期以降熊本は九州の中心で国の出先機関も熊本に集中していた(西南戦争で熊本鎮台が政府軍の本部的な存在だった名残だろうか)。最近はそういったお役所もどんどん福岡に移っているようで、郵政関係も徐々に福岡に移りつつあるようだが、この試験は熊本であった。だから福岡や鹿児島の受験者は泊りがけで熊本に受験に来るということか。100名弱の受験者がいたが、あまり若い人は居なかったようだ、最近ハムの人口が急激に減っている。無線の世界自体、電信が無くなり、トン・ツーはハムだけ(自衛隊ではまだ使っているだろうが、一般業務の世界では使われなくなったようだ)になり、そのハムの世界でも1アマの試験で和文の電信技術試験が無くなり、欧文も受信だけになり、その欧文もスピードが眠たくなるほど遅くなり、電信級の免許を持っている場合はその試験すら免除になった。小生も電信級(三級)なので、電信の試験は免除である。二級を受けずに飛び級的に一級を受けたのは、それだけのスキルがあるからでなくて、分からないという点で二級も一級も同じだろうから、同じ分からないのなら一級を受けてみようということで選んだのだ。そういう環境下での受験であった。 

 昨夜、試験問題を自己採点してみた。そして試しにインターネットを検索してみたら、個人主宰のサイトに解答速報が載っていた。照合の結果やはり自己採点と同じだった。

 こういった試験は往々にして試験問題用紙は持ち帰られない場合が多いが、この試験の場合は持ち帰りが許されている。

 無線工学が試験時間2時間30分、出題数30問、150点満点、小生の自己採点114点、合格ラインが105点(70%)だそうだから、76%の正解率だった。

 無線法規が試験時間2時間、出題数25問、125点満点、小生の自己採点97点、合格ラインが87点(70%)だそうだから、77.6%の正解率だった。

 なんと無駄の無い経済的な点数の取り方か、マークシート方式の試験というものは初めての経験で、マークの仕方が間違っていなければ、ギリギリOKということなるが、こういう時に限ってポカをやっているものなので下駄を履くまで安心は出来ない。

 今回の試験、怪我の功名というやつか、ウッカリミスで大いに助かったことがある。実は、試験の時間割を取り違えていて、午前中に法規があるとばかり思っていたので、昼休みに無線工学の公式などのおさらいが出来るな、法規は二日ほど前にザーッと問題集を流してみて、ぶっつけ本番で何とかなるだろうと、ほとんど問題にしてなかった。逆にいきなり無線工学の試験なので、大いに焦った。昼休みになって、軽く法規のおさらいをしようと問題集を開いてみたら分からないことだらけ。慌てて、可能な限り設問と解答を叩き込んで試験に臨んだところ、なんと数題が直前に仕入れた問題で、これに救われた。時間割が小生が考えていたとおりだったら、ぎりぎりセーフかも知れないなどと言う以前の問題だったところだ。無線工学はダメで法規は大丈夫だろうと思って9割9分以上無線工学の勉強にウエイトを置いていたので冷や汗ものだった。

 時間割の取り違えだけでなく、当日の朝になってカミサンに筆記用具の準備をさせたり、前日になって試験会場や試験開始時間の確認をしたりと緊張感がまるで無かった。それほど期待をしていなかったからか、そういうことに緊張を覚えることが歳をとって無くなったからか。合格していたら正に僥倖というやつだ、果たして今月末、鬼と出るか蛇と出るか。


 午後から久しぶりに薪作りをする、夕方まで目いっぱい働き体の節々が痛む。



平成17年12月10日(土)

 晴れ、朝、寒暖計が氷点下5℃を指していた。

 1アマの試験が熊本市であった。ギリギリで駄目だったような感じがする。どうも試験後の気持ちが消化不良でスッキリと晴れない、試験後のあの開放感が全く無い。結果発表は今月末だそうだが、明日にでも自己採点をして納得をしなければなるまい。無線工学試験問題  法規試験問題


 今日は娘の「お楽しみ会」と言っているが学芸会とクリスマスパーティーを兼ねた催しが保育園であり、カミサンが参観した。

 小生が熊本に行っている間に、滉兄が夕方近く寄ってくれたそうだ、会えなくて残念


平成17年12月9日(金)

 晴れ。

 村の公民館建築工事の苦役に出る。今日の作業は、先日床掘りをした溝にグリ石を敷いて、バラスを撒いて固め、その後で、基礎を打つ準備として型板を運んで、基礎を打ったときにコンクリートから型板を剥離させやすくするための剥離材を塗った。その作業が終わったところで丁度昼になったので、午前中の作業はそこまでで終わった。午後も作業があったのだが、明日のことがあるので午後からの作業は勘弁してもらって、付け焼刃の最後の仕上げにかかったが、前に覚えたことは見事に綺麗サッパリ忘れてしまっていた、こりゃあダメだ。(写真1写真2

 明朝は、氷点下7℃くらいまで気温が下がるそうだ。


文中、「苦役」は区役作業の「区役」の間違い・・・H18.11.17日記参
平成17年12月8日(木)

 
 本日は、「本八日未明・・・・」か。

 曇り。今日は気温がわずかに緩んだ。と言っても0℃を少し超えたくらいか、そのせいで、古閑の滝の氷結が少し減っているようだ。

 我が家からは近くの山が邪魔をして、根子岳を直接見ることが出来ないが、雪を被って厳しくも美しい。

 婆様は本日デイケア。ついでにインフルエンザの予防接種を済ませてきたそうだ。これで我が家は全員接種が済んだ。このワクチンは効果が無いとも言われているが、しないよりマシだろう。


平成17年12月7日(水)

 曇り。

 本日も殆ど家に居た。


平成17年12月6日(火)

 晴れ時々曇り、曇り時々晴れ、どちらだろう、相変わらず寒い一日であった。

 婆様、大阿蘇病院に定期通院。

 小生、終日家に籠もる。

 古閑の滝の画像が午後になってアップに切り替わった、管理人殿無事に屋根に登られたようだ。


平成17年12月5日(月)

 量は少ないが時折思い出したように横殴りの激しい雪が吹きつけて、阿蘇谷の様相も数日前までとは一変してしまった。(写真1写真2写真3写真4

 古閑の滝がここのところの寒さでこの冬初めて氷結した。現金なもので坂梨宿場のサイトのアクセス数が急に増えだした。管理人殿、滝が凍りだしたらもう少しズームアップした画像を送ると言っていたが、あまり急のことだったとみえて、屋根に上がる機会を逸したようだ、屋根から滑落しないよう天候の回復を待つとしよう

 婆様、午前中、内牧の小野眼科と温泉病院の耳鼻咽喉科の両科をハシゴ。

 保育園の帰途、娘と小生インフルエンザの予防接種を受ける、カミサンは済んでいる、婆様は掛かりつけの病院でお願いすることになる。

 泣きべそのくせに、娘は「注射」には強いようで、泣かなかった。尤も痛さを感じる前に打ち終わっている古閑先生の早業にもよるのだろうが。


平成17年12月4日(日)

 初雪。朝からの冷たい雨が雪に変わり、量は少なかったが、初雪となった。この天気日本の各地に雪をもたらしたようで、友人たちが住む山梨県の白州でも初雪だったそうで、この辺りとは違って相当量の積雪があったようだ。

 その雪交じりの天気のもと、村の共同作業があった。公民館建築工事で、今日は部落総出で、やり方、そして床掘りをした。(写真1写真2写真3

 ホッと一息坂梨宿場ギャラリーの二日目であり最終日であったが、そういう事情で参加できなかったが、昨日に引き続き大盛況だったそうだ。

 夜、その打ち上げを兼ねた忘年会がなごみ野を借りてあり、道具材料を持ち込ん大鍋料理大会となった。今回はギャラリー初参加の阿蘇のプロの木工、金工、陶工の工芸家の皆さんも加わって、恒例のビンゴゲームなどもあり、大いに盛り上がって楽しい忘年会となった。

忘年会連続写真


平成17年12月3日(土)

 晴れ。昨日は写真を撮る時間が無かったが今朝もまだ山には雪が残っていた。

 今日、明日二日限りの「ホッと一息坂梨宿場ギャラリー」の初日、詳細は坂梨宿場のサイトで報告があると思うが、今回は、会場を工芸滝室、石村家具店、なごみ野と三箇所設け、阿蘇の木工、金工、陶芸、織物のプロ作家にも参加を募り作品も展示即売するなどして、趣を少し変えて開催したので、どうなるかと少し心配であったが、非常に沢山の人においでいただき、さらに参加会員店の売り上げ増にも結びついたようで好評のうちに第一日目を終わることが出来た。昼からほとんど一日中会場に詰めていた(というより遊ばせてもらった)。
写真1写真2写真3写真4写真5


平成17年12月2日(金)

 小雨で明けて久しぶりに暖かな朝だなと思っていたが、だんだんと気温が下がり始め、夕方近くふとライブカメラを覗いていて見たら、阿蘇山の頂上付近が真っ白になっていた。

 今日は昼から、明日とあさって二日限りの「ホッと一息坂梨宿場ギャラリー」会場からのライブカメラ設営のため、工芸滝室でセッティングをした。LANケーブルを長く引いたので減衰が大きかったのか、なかなか繋がらなくて、ケーブルを交換してようやく画像を送られるようになった。

 夜は公民館再建の件で村の寄り合いがあった。


平成17年12月1日(木)
 晴れ、今朝もかなり冷え込んで、霧も発生していた。

 今日からもう師走である。が、ここに居るとまったくそういった実感が湧かない。

 婆様、朝、娘と前後してデイケアで外出、夕方くたびれ果てて帰ってくる。小生家屋内の整理などでなんとなく一日を終わる。

 娘は保育園で餅つきがあったそうで、お土産に餅を持って帰ってきた、やはり師走ではある。

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