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平成18丙戌(2006)年1月の記録(新しい日付けの順)
平成18年1月31日(火)
小雨のち晴れ。
本日も娘、保育園を休み、従って小生の一日は昨日と同じ、どうやら明日は常態に戻れそうだ。
娘が病気をすると、犬までそのとばっちりを受けて散歩に連れて行ってもらえないが、娘も成長をしたようで、散歩の間留守番できるかと聞くとウンと言って婆様と待つことができるようになった。
平成18年1月30日(月)
曇りのち時々小雨。
やはり、娘はアウトだった。今朝起きてみると熱があり、だるそうだったので朝一番で古閑医院に連れて行った。
熱はそれほどでもなく、インフルエンザではなく、単なる風邪のようで、薬を貰って帰ってくる。当然保育園は休み。ということで、小生にとって地獄?の一日となった、子守でヘトヘトである。
平成18年1月29日(日)
曇り、暖かい一日。
ほぼ終日某所にて新規導入のパソコン一式の設置作業をする。
娘は隣の集落馬場の子供の集いに招かれて母親と参加したが、昼食時に食べたものをもどした、そう言えば、今朝も「モドシソウ」と言っていた、咳も出るようなので熱を測ったところ8度近くあったので、すわいよいよインフルエンザか今流行りの嘔吐下痢症かと心配したが、ひと寝入りしたあと熱も7度まで下がり、とにかく元気が良い。この分だと大丈夫かもしれない。
我が家の入り口の畦でフキノトウを見つけた。以前坂梨駅伝で応援に出て、畦でフキノトウを見つけたことがあったので、今回の駅伝の時に探したが見つからなかった。それから毎日犬の散歩の際に観察していたがまだ芽が出ていなかったが、今朝、やっと顔を出した。
平成18年1月28日(土)
晴れ。
今夜から古閑の滝のライトアップが始まった。当初、1/21(土)からの予定だったが、年末の厳しい寒波が去って、氷が全部落ちてしまったため一週間日延べとなっていたのだ。
ここ二三日の寒さで滝もようやく凍って、滑り込みセーフで今夜のライトアップに間に合った。昨日は試験点灯があったそうで、NHKの昼のニュースでその様子が流れていた。
今夜は聡雄さん夫妻と順子さんが見に行くというので我々家族も一緒に夜間照明に浮かぶ氷瀑見物をした。
テレビ局の取材やアマチュア?カメラマンが何組か見物していたが、見上げる氷瀑のそのまた上に見事な星空が広がっていて、幻想的な世界を作り出していた。古閑集落の人たちが、滝までの道に照明をつけたり、ロープを張ったりで安全な見物路を整備してくれているので、子供連れでも十分に大丈夫だが、ただ駐車場から600mくらい急な坂が続くので途中から子供を背負って運動不足の体には山道が少々堪えた。
葉子さん順子さんは、こういう時にも風流心を決して忘れることなく、ちゃんと燗酒を用意してきていて、照明に浮かぶ氷瀑を愛でながらチビリチビリとやっていた、お見事!
聡雄さんは本格的な撮影機材持参で、皆から一人離れて撮影に没頭していた。小生は、オート設定で撮ったので、上手く撮れていない。(写真1・写真2)
これから寒さが続くともっと氷が沢山付いてさらに見事な氷瀑になるだろう。
平成18年1月27日(金)
晴れ。
昼から薪作りをする。
そろそろ周辺でインフルエンザは流行りだしたようだが、幸いに我が家にはまだ侵入してきていない。
婆様の体力一時より大分回復して、フウフウ言いながらあれやこれや家事をやっているようだ。
平成18年1月26日(木)
晴れ、安定した天気が続いている、本日も氷点下7℃くらいは行っただろう。
本日婆様デイケアの日だが、90歳の大台に乗った途端にガックリきたようで、ここ一週間ばかり気息奄々状態、本日デイケア休む。なのに、性分というか、カミサンの不在時には老骨に鞭打って台所仕事をやっている。やらせたほうが良いものか、やらせないほうが良いものか悩ましいところである。
本日、娘の三歳児健診が阿蘇町であり、午後から保育園を早退、小生が送り迎えを担当、カミサンが受診を担当する。
平成18年1月25日(水)
晴れ、今朝も冷え込み、その分、日中は快晴となる。古閑の滝もまた氷結し始めたが、水不足だろうか、氷の量が少ないようだ。
午前中、一泳ぎして、午後から薪作りをする、水泳で体力消耗?あまり能率上がらず。
平成18年1月24日(火)
晴れ、久しぶりに冷え込んで今朝は氷点下8℃近くを指していた。
局免の申請書、記載に不備ありにつき書類一部戻される、訂正して再提出をする。
平成18年1月23日(月)
曇りのち晴れ。昨夜のうちに少し降って雪景色。
欅グループの同人、大学での一年先輩にあたる小瀬恵輔さんから昨夜突然の電話、「旅行で今阿蘇に来ている。今夜は黒川温泉泊まりで、明日阿蘇市を通って羽田に帰る」。聞いてみると、仕事の視察(兼観光?)旅行だとかで、自由時間が全然無いとのこと。明朝十時頃大観峰にバスで寄るということだったので、娘を保育園に送り届けて、大観峰に登る。昨夜の雪で道が少々心配だったが、無事、懐かしい顔と対面、何時以来だろう、もうかれこれ6〜7年は経っているだろうか。時間がなく30分程度の慌しい会歓だったが、またの来訪を約して別れる。このあと阿蘇の火口を見学してから空港に向かうとのことであった、今日は寒いが幸いに阿蘇五岳の景色もまずまずで阿蘇の雄大さ、素晴らしさを堪能してくれたと思う。有朋自遠方来不亦楽乎。
平成18年1月22日(日)
久しぶりの青空だ、キリリと晴れ上がった。
坂梨校区の新春駅伝大会 (連続写真)があった。例年地元ハムクラブでアマチュアテレビ中継をしているが、今回は、中継本部に使う建物が使えない事情があり、テレビ中継は無かった。中継があると小生も中継ポイントで拘束されて駅伝を観戦できないが、そういうわけで今回はあちらこちらの中継ポイントを回ることが出来た。
今回が29回目だそうで、実に29年間ということになる、我が豆札の渡辺房士さんは全大会に参加しているそうで、今回特別表彰を受けたそうだ(残念ながら表彰の時に会場に居合わせず写真を撮り損ねた)。
昼から、娘と凧揚げをした。凧揚げなどということを何処から聞いて来たのか、ある日「おとうさん、たこあげしようよ」と言っていたので、ネット通販で凧を取り寄せた。ネット通販で凧を検索すると扱っている店は結構あるが、今回取り寄せたところはとてもリーズナブルな価格だった。
小生も凧揚げなど子供のとき以来で、昔は奴凧(やっこだこ)しかやったことがなく、以前、一度連凧をやってみたいと思っていたので、そうだこのような場所こそ凧揚げに絶好のロケーションではないかと、改めて娘に教えられたようなもので、早速娘の誘いに乗った次第である。それにしても最近ではトンと凧揚げなどお目にかからなくなった。
風が少し強かったが、凧は軽快に空に舞い上がり、龍のように気持ち良さそうに翻っていた。ひとつこの辺りに凧揚げでも流行らせてみようか。
平成18年1月21日(土)
どんよりとした曇り空。
婆様、カミサン、娘を連れて久しぶりに竹田市の「茶房ひめの」にうなぎを食いに行く。前にも書いたことがあるが、姫野一郎商店というもともとは椎茸問屋の老舗が、傍ら食事処をやっていて、従って椎茸を使った食事がメインなのだろうが、何故だかここのウナギが美味しいと聡雄さんから教えてもらって、以来小生などはいつもうなぎを食べることにしている。ここは関西風のうなぎで、関東風の蒸したうなぎに馴れた我々には香ばしく新鮮に感じる。以前婆様の手押し車を忘れたり、小生のホームページを読んでお客様がおいでになったとお礼の電話を頂戴したりで、すっかり顔馴染みになってしまった感がある。
ついでながら姫野一郎商店の妻壁に鏝絵がある、鰻も鏝も曼という作りであるがなんだか面白い。(写真1・写真2)
平成18年1月20日(金)
昨夜少し降って家の周りは久しぶりに薄っすらと雪化粧をしていたが、気温が高いと見えて直ぐに溶けて雨になった。
午前中、ケア・マネージャの I さんの月一度の来訪。
午後から泳ぐ、実に昨年11月9日以来である。急性の鼻炎になって、続いて中耳炎だか外耳炎に罹って、それは放っておいたら自然治癒して、その後、薪割りが忙しくて、色々雑用があって、ハムの一夜漬け勉強をしたりで、プールと遠ざかってしまっていた。正月の食いすぎでまた腹の出っ張り著しくなったので、本日より水泳を再開した次第。
元の木阿弥、500mで息が上がってしまった。
本日の娘
平成18年1月19日(木)
曇り。山の上のほうが久しぶりに薄っすらと雪を被っていた。
婆様、デイケアで終日外出、本日はシンドそうだった。
平成18年1月18日(水)
朝のうち雨、のち上がる。
本日、婆様、大正5年生まれ、満90歳の誕生日、卆寿である、よくもまあ長生きをしたものだと感心する。昨年の誕生日の時には密かに来年の誕生日はもしかしたら・・・と思っていたが、無事に大台に乗せることが出来た。本人も今年は無いかもと思っていたけど、あっという間だったねえ、時々調子が悪いときには、もうそろそろ駄目かと思うことがあるけど、この調子だと来年もいけそうだねえとのたまっている、結構結構大いに結構。
(写真1・写真2・写真3・写真4)
平成18年1月17日(火)
曇り。
婆様、大阿蘇病院定期通院。
本日特に何もしない間に一日終わる。
平成18年1月16日(月)
晴れのち雨。今朝はようやく冬らしい天気に戻り、朝のうちは気温も氷点下を指して晴れ上がっていたが、昼頃から雨になった。
今日は村の「初寄り」の日である。まあ言ってみれば、年一度の総会のようなもので、会計報告や一年の計など事務的な打合せをして、その後は親睦を深めるために酒宴となる。もう十分に親睦は深まっているが、親睦はいくら深くても良いので、もっと深くなるように飲むのである。写真はお開き直前の、もう何人か帰った後のもので、全員は写っていない。
平成18年1月15日(日)
曇り。
山を降りる用事があったので、光の森のシネマ・コンプレックスで映画
「男たちの大和/YAMATO」
を鑑賞する。そのために娘と約束してた凧揚げが出来なかった、スマン、一週間延期だ。
。
平成18年1月14日(土)
朝のうち少し雨残り、夕方には青空が見え出した、今日も暖かい一日だった。
のんびりと一日を過ごす。
平成18年1月13日(金)
小雨のち上がる。最低気温5℃で時々小雨が降っていたが、とにかく暖かい一日で雨で山の雪もかなり消えて、まるでもう春もそこまでというような山肌を見せていた(が、これも一時的なものだろう)。古閑の滝の氷もかなり落ちたのではないだろうか。
100W局の開局申請を手書きで作成、郵送で送る。電子申請は、今回は間に合わず、改めて変更申請のときに試みることにする。
夜、新年会を兼ねて宿場會の1月例会が坂梨公民館である。他での新年会疲れか今日の参会者は少なかった。
平成18年1月12日(木)
晴れ、気温も上昇手穏やかな一日となる。
婆様デイケアで終日外出。
我々夫婦は江藤三郎さん(82歳)の葬儀の手伝いに出る。
出棺が午前8時45分、告別式午後1時、このあたりの風習で、告別式の前に荼毘に付す。告別式には故人の威徳を偲んで多くの会葬者があり、女性陣中心の御斎の場は戦場のような忙しさだった。そんななかで、我々「煮炊き」班はあまり役に立たず右往左往するばかりであった。
お通夜告別式と慌しい時間が去って、これから本当の悲しさ、寂しさ、そして疲労がご遺族を包むことになるのだろう。
今日告別式の読経の真っ最中に、防災無線から火災発生のサイレンが鳴り、渡さん、隆一さんは消火活動最優先で押っ取り刀で飛び出していったが、アゼリア付近の牧草を少し焼いた程度で収まったようだ。
平成18年1月11日(水)
晴れ。朝は冷え込んだが日中は穏やかに晴れ渡る。
昨夜病院から悲しみのうちに無言の帰宅をされた江藤三郎さんの通夜が今夜、円通寺公道和尚導師のもとでしめやかに執り行われた。
僅か十数戸の村の良く知った人が亡くなるのは家族を失くすように本当に寂しいことである。
小生が村に住むようになって今回で二度目の葬儀となる。村の行事には二班に分かれたり三班に分かれたりと色々と当番分けがされているが、葬儀の場合には村全員で葬儀の役割分担が決められる。明治期の頃からの割り振りの記録が残っているので、もっと昔から同じような方法で役割分担が決められて葬儀が営まれてきたのだろう。小生、前の葬儀の際には、渡さんいにくっついて御斎の材料の買出しを担当したが、今回は今朝春さんと「煮炊き」という役割を受け持つことになった。実際に料理を作るのは女性たちなので、本来はその監督的は仕事をするのだろうが、明日の告別式の際の会葬者の御斎の膳の上げ下げをするなどの手伝いをすることになるのだろう。土葬時代の名残の墓堀りの役である「池堀り」という名前の役などもある。
平成18年1月10日(火)
最近「ASO安心安全ネットワーク」というサービスが始まった。アドレスを登録しておくと、e-mailで携帯電話などに、市から安全に関する情報が届く。子供の安全に関する情報、大雪に関する情報、火災に関する情報などなど、なかなか重宝している。
今日も、
題名 : 火災情報
一の宮町三野地区で山林火災の通報です。古城郵便局の北側山林です。 市役所総務課
題名 : 鎮火情報
阿蘇市一の宮町三野地区の山林火災は13時14分鎮火しました。
という出来ことがあった(あまり大したことは無かったようだ)。
今日隣の馬場で「どんどや」をやるという連絡を貰ったので、午後二時ころ、保育園を早退させて見物に行った。竹や正月の飾りを燃やした後の熾き火で子供たちは餅を焼いたり、大人たちはカッポ酒を飲むのだが、風が強くて冷たかったので、子供たちが皆集まる前に撤収した。(写真1・写真2)
今日も娘を大阿蘇病院に連れて行く。ほとんど常態に復した様子で、本当は触るとまだ少し痛いようだが、もう副木は嫌だというので、先生ももう良いでしょうと言う事になって無事包帯が取れた。皆さんご心配をおかけしました。
今夕、村の長老江藤三郎さんが亡くなられた。
平成18年1月9日(月)
晴れ、時々曇り、本日も穏やかな一日であった。本日は「成人の日」だそうだが、勤め人時代には、連休になるように祭日がスライドするのは賛成であったが、休日平日が関係ない身分になってみると、やはり祝祭日は決まった日の方が良い、本来祝祭日とは「祝う」日であって、ついでに「休む」のであって、「休む」が先に来るべきではない、などと勝手な理屈をこねている。本日国旗掲揚せず。
従兄の健兄が東京から婆様の顔を見に訪ねてくれる、今日空港に着いてそのまま哲兄の車で我が家に直行してくれたそうで、16/9/23の来訪以来である。もうこんなに経ったのか、精精一年くらい前のことかと思っていた。その後、健兄は病に倒れ入院したりで、正直元気でまた再会できるとは思っていなかった。一時間くらいの滞在で、哲兄の家に発っていったが、また同じ面子で会う機会があるだろうか。
本日も薪作りをする。
平成18年1月8日(日)
晴れ。明け方は氷点下10℃近くまで気温が下がっていたが、日中は穏やかな天気になった。
保育園のY先生、I先生が突然娘を見舞ってくださる。大したこと無いのでどうかご心配なくと申し上げておいたのだが大恐縮である。
好天のもと昼から薪作りに精を出す。
平成18年1月7日(土)
曇り。心配された雪もここではほとんど降らなかった。
朝7時前に防災無線から火災を知らせるサイレンが鳴った。が、直ぐに訂正の放送が入った。「どんどや」の火を火災と間違えたとのこと。「どんどや」とは、このあたりの言い方で、一般的には「どんど(焼)」と言われている門松やしめなわや竹などを集めて焚く火祭であるが、今頃もうやるのだろうか、もう少し先ではないのだろうか。
もう従免が届いた、申請書を郵送したのが旧臘30日、とっくに役所は仕事納めをしていた。もっと先になるかと思っていたら、新年早々処理されたとみえる、最近のお役所の仕事は随分と速くなったものだ、行政改革の実が上がっているようだ。今の従事者免許はデザインがカードタイプになっている。しかし従免だけでは電波は出せない、これから局免の申請をしなければならないが、電子申請の方法がやたらと面倒で、説明を読んでもサッパリわからん、これでは電子申請は普及しないだろう。
そもそも、総務省 電波利用 電子申請・届出システムではJava Plug-in(Java 2 Runtime Environment)で動くようになっているが、このシステムで使うJREのバージョンにセキュリティ上の脆弱性が見つかったとかでSun
Microsystemsでは現在バージョンアップしている、ところが肝心のこの申請システムが新しいバージョンに対応していないというなんとも馬鹿な状態にある(ようである)。ちっとも行政改革の実は上がっていない。従って、従来どおり手書き郵送で申請するしかないだろう。
夕食は七草粥を食べる。因みに娘は教えた訳でもないのに、日本語で遊ぼ(だったかな)のカルタで自然に「セリナズナゴギョウハコベラホトケノザスズナスズシロ」を覚えてしまってお経のように唱える、さらにカミサンはその昔、覚えるのに数ヶ月掛かかり、今でも時々、支(つか)えている、脳ミソの柔らかさの問題だろう。
平成18年1月6日(金)
予報どおり、午後から雪になり、熊本県下のみならず、かなり広範囲に大雪風雪注意報が出されているので今夜はかなり積もるだろう。
保育園の帰りに大阿蘇病院に娘を連れて行く。腫れがまだ引かず、触ると痛いというので、X線写真では分かりにくいが、もしかしたら骨に少しヒビが入っているかもしれないので、固定したほうが良いかな、とのことで簡単な副木をあててもらった。子供は骨の成長が早いので直ぐに元に戻りますとの先生のことば。小生やカミサンなど、後遺症などが残らない程度の怪我なら、小さいときには沢山して経験を積んだほうが良いと思っているのだが、保育園の先生方に大変心配していただき、かえって恐縮している。
平成18年1月5日(木)
曇り。
婆様デイケア。
明日から雪マークがついているので、薪作りに精を出す。
夕方、少し早めに保育園に娘を迎えに行き、大阿蘇病院に連れてゆく。腫れと痛みがまだ引かないようなので、明日も通院することになった。丁度、デイケアが終わった婆様を乗せて一緒に帰ってくる。
平成18年1月4日(水)
曇り、午後から一時雪。今日からほとんどの所で日常活動が再開した。カミサンも娘もそれぞれの持ち場に向かって出かけていった。
小生は、今年の「わさもん好き」第一弾として、娘を保育園に送った足で市役所に行き、「住民基本台帳カード」を作ってきた。個人情報が漏れるから嫌だだとか、プライバシーの侵害だとか言って、住民基本台帳ネットワークシステムを否定する人たちが居るが、小生は積極的に関わることにしている。
今日、「住基カード」を作ったのにはわけがある。無線局の開局や変更申請を電子申請でやろうと思ったからだ。最近では、色々な行政サービスがインターネットを通じて受けられるようになっているが、無線局に関する申請も電子申請が可能であることを知り、パソコンや無線などに興味がある小生にとって、このシステムを利用しない手は無いと思った次第である。
このサービスを利用するには、セキュリティーの面で、二重三重の安全対策が設けられていて、簡単に外部から侵入されて改竄されないように、あるいは、本人になりすまして他の人間が申請出来ないよう工夫が講じられている。そのセキュリティ対策のひとつとして、個人認証のため情報が「住基カード」のICチップに埋め込まれるようになっているのである。このようにして、一般的な「住基カード」の使い方の他に、電子申請用の個人認証データも「住基カード」に埋め込むようになっている。
このカードをコンピュータにつないだICカードリーダーに読み込ませて、本人であることを確認してから、電子申請の手続きに入るわけであるが、更にまだ他にもセキュリティ対策が講じられているがまだ実際に経験していないので、それについては、また後日記述する。
ついでながら、この「住基カード」の顔写真付きを作ると、運転免許証などと同様に公的な身分照明書になるので、運転免許証を持たない人にも便利なものである。因みに「住基カード」作成と個人認証サービス料の両方で1,000円也。
娘が保育園で先生方がちょっと目を離した隙にドアに親指を挟み、腫れが引かないので、大阿蘇病院(娘はオオガソビョウインと言う)で、念のためにレントゲンをかけてもらったが、幸いに骨折はしていないとのことで、軽く湿布をしてもらった。
平成18年1月3日(火)
今日も穏やかに晴れる。
カミサンたちが戻ってきて、今日が我が家の元日、皆で屠蘇でお祝いをして、阿蘇神社に初詣(写真1・写真2)、今年も無事家族の記念写真を撮る事が出来た。
平成18年1月2日(月)
曇り。
午後の便で、カミサンと娘帰ってくる、騒々しい一年が今日から始まった。
平成18年1月1日(日) 元日
昨夜半少し降った雨も上がり、風も無く穏やかで申し分のない見事な日本晴れで一年のスタートを切った。
阿蘇五岳 (根子岳は写っていない)、高岳、中岳(仙酔峡)、中岳(噴煙)、往生岳(は五岳には入っていない)
今年の願いは、昨年同様家族の「息災」、唯この一語である。小生、今年は何をやろうか、やりたいことが沢山ある、やりたいことが多すぎてその分畑仕事が更に疎かになりそうである、畑仕事は好きなのだが、それよりもっと好きなことが沢山ありすぎて困る、畑仕事は片手間で出来ないので、結局手抜き、手付かずになってしまう。
朝、村の皆さんと村の公民館に集まって賀詞交換を行ってから婆様と二人で正月の膳に向かった。
昨年の日記を読み返してみると、正月だからボンにも奮発して肉の缶詰を与えたことが書いてある、そうか今年はその上にボンの年だ、ということで、今年も肉の缶詰を与える、奴さん分かっているのかいないのか。
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