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平成18丙戌(2006)年3月の記録(新しい日付けの順)

平成18年3月31日(金)

 晴れ。ようやく戻り寒波が去って穏やかで暖かい一日だった。

 一冬の薪作りで溜まりに溜まった杉の皮を燃やした

 ようやくライブカメラの画像に外気温が表示できるようになった。Pithというこんな小さな装置一個で三箇所の温度を測定することが出来る、当初、仕様上この装置からのデータをライブカメラ(ListCam)の画面に表示することが難しかったが、現在越冬隊員として南極にいるPith開発者の山本道成氏に無理を言ってバージョンアップをしていただき、ListCamに表示できるようになった。

 本日保育園の年度納め、退職される先生、異動される先生、一年間お世話になった先生との別れ、月曜から進級して年少組の部屋に弁当(ご飯のみ)を持って登園することになる。(写真1写真2写真3写真4

 夜、聡雄さんのお宅で蕎麦パーティーを開く。会長、行動隊長、勘定方の計五名。



平成18年3月30日(木)

 晴、今日も風が強くて冷たかった。

 婆さま、本日デイケア。

 娘の進級について保育園で保護者面談、カミサンが出席する。

 小生、半田付けなど・・・


平成18年3月29日(水)

 今朝の阿蘇

 晴れてはいたが冷たくて強い風が終日吹いていた、気温も朝方氷点下4℃近くを指して古閑の滝がまた凍っていた。もう凍ることもあるまいと二三日前に小生のホームページのトップに貼ってあった古閑の滝リンクのPRを外したばかりだ。

 午前中、ケアマネージャーの市原さん来訪。

 午後三時ころ、木村豆腐店主どのから昨年の台風で倒れた庭木が薪に丁度いいと思うので届けてやるという電話があったので待っていると、東石さんご夫妻がお孫さんと軽トラで届けて下さった、薪に関してあちらこちらから声が掛かり有難い限りである。

 屋外に設置する温度計のセンサー部分の半田付け防水加工をする。百葉箱のように周囲の温度にあまり影響の無い所に設置しなければならないが、ハテ。

 なんだか時間が経つのが早すぎる、何もしないうちにあっという間に一日が終わってしまう。



平成18年3月28日(火)

 午前中、強風雨に雷、加えて霰(もしかしたら雹だったかもしれない)までオマケにつくという大荒れの天気になる。オジイ(怖い)ので一時サーバーや無線機、電話、テレビの電源やアンテナ系を全部切るほどであった。それも昼を過ぎる頃にはウソのように回復して日が射しだした。

 今日は看護師の国家試験の発表が午後二時からインターネットであるそうで、隣のA嬢がお母さんと一緒に結果の発表を見にやってきた。見事合格、オメデトウ!小生が家を建築中の仮小屋住まいの時にはまだ高校生だったのに、それから看護学校に進んで、国家試験に合格してと光陰の速さに改めて驚かされる。


平成18年3月27日(月)

 穏やかに晴れる。

 婆さま本日デイケア。今週より月曜日と木曜日の週二日のローテーションに変更してもらった。

 朝一番で馬場の後藤光春さんが、「いま馬場で木を伐っているが薪に使うか」と訪ねてくださる。娘を保育園に送ってから現場に出かけてみると、円通寺の下で作業が行われていた。馬場の弁天様のお社を作り直すための作業で桜の木が沢山でていて軽トラで三往復、山ほど薪材の確保が出来た。一抱えもある太い幹で昼までかかりへとへとになった。

 昼から、秋から放置してあった畑の整理をする。カミサンが日曜日に一生懸命トマトやナスの支柱を片付けていたので、これから何を植えるかは別にして耕すことだけはやっておこうとカミサンのやり残した作業をしたのだ。

 更に、薪作りもした、とにかく一日動きっぱなしでヘトヘトである。

 温度センサーの屋外設置の準備でようやく配線(のみ)を屋外に引っ張ることが出来た。


平成18年3月26日(日)

 今日もてっきり晴だと思っていたが、朝から細かい雨が降り続いて、夕方近くになってようやく薄日が射しだした。雲の切れ間から見る阿蘇山はまた薄っすらと白くなっていた。


平成18年3月25日(土)

 晴れ、穏やかな一日。

 本日保育園の卒園式。娘は年少組より更に下のクラス・三歳未満児クラスだが、未満児クラスの中では最年長児だ、この年齢になると式に参加する耐力が出来ているので、今回から在園児として式に参加した。小生たちは卒園児の保護者ではないので参加はしない。無事に式が終わって迎えにいって、娘に式の感想を聞いてみたところ、「卒園児さん泣いとった」とのこと、今の時代、保育園児でも中には感極まって泣く子がいるのだ。

 そういった話をしながら歩いていて娘が転んで膝小僧をすりむいた。記念品などと一緒に記念写真を撮ろうとしたが、べそっかきの写真になってしまった。

 西側の竹林の整備をする、間伐と外周部分の伐採。設置予定の八木アンテナの回転半径4m強の空間を作らなければならないが、竹林が近接していてギリギリである、またまた悩みが増えた


平成18年3月24日(金)

 晴れ。

 婆さま、今週二回目のデイケア、中一日だったので疲労困憊して帰ってくる、来週から中二日で調整をしてもらうことになった。

 本日も薪作りをする、そして上村さんから電話を頂戴して宮地に薪材を貰いに行く、貝塚伊吹(かいずかいぶき)と椨(たぶのき)。

 午後からタワー作りを少し、思った以上に重量が掛かり二段目のハシゴを揚げるのが大変だ、これにさらにローテーターとアンテナを載せるのだからハシゴがもつだろうか、手動のウインチでも付けようか。

 坂梨宿場會が第16回「くまもと県民文化賞」を受賞することになり、本日、会長と勘定方が授賞式に出席。


平成18年3月23日(木)

 晴れ。

 薪作りをする。


平成18年3月22日(水)

 雨。

 婆さま本日デイケア。今週から水曜日と金曜日の週二回通うことになった。

 雨読。


平成18年3月21日(火)春季皇霊祭

 晴れ。野焼きが済んで黒々とした五岳が緑に覆われる日を待っている。微風、絶好の野焼き日和。

 天候不順で延期されていた北外輪山一帯の野焼きが行われた。今年も馬場豆札牧野の野焼きに参加した。毎年この時に感じる、「ここに住んでいて幸せである」。

 野焼きから帰る道すがら、他の地域の野焼きの炎も遠望できた、そして豆札川の土手にも菜の花が咲いていた。

 本日は豆札の宗教行事、「お大師さん」の日でもある、座の皆さんが作ってくれた食事を、三々五々都合の良い時間に公民館に集まって、お大師さんにお参りをしてから頂く、そういう行事である。

 その席の隣で、野焼きの打ち上げをして今日の締めくくりをした。



平成18年3月20日(月)

 晴れ。久しぶりに霜が降りて穏やかに晴れる。熊本市内では桜が開花したそうである。

 婆様大阿蘇病院定期通院。

 ほぼ終日薪作りをする。焚く量は減ったがまだまだ薪は必要である。

 正志さんが明日の野焼きのために杉の枝を切った火消し棒(と言ったかどうか)を届けてくださる。計画した範囲を越えての延焼や飛び火などをこれを使って叩き消すのである。どうやら明日は野焼きが出来そうであるが、午後からの天候が少し気になる。

 先日の献血の際の血液検査結果が届いた、二つほど許容値を外れた項目があるが、まあこんなものだろう。



平成18年3月19日(日)

 くもり、風が非常に冷たかった。

 ハシゴタワーの工作をやる、少しずつであるが進捗している。

 ようやく山本道成氏のご好意により気温の自動測定値をライブ画像に表示出来るようになった。氏作成の既製のソフトに厚かましくもオプションを付けていただいたのだ。これからセンサーをなるべく屋外の周囲の温度の影響を受けないような場所に設置する作業が残っているが、先ず屋外に配線をする必要があり、その穴の工面が大変なので、とりあえず室内の気温を表示して様子を見ることにする。


平成18年3月18日(土)

 雨。

 午前中、公民館の周辺の整理とバラス撒きをする、だんだん完成に近づきつつある。

 今日は、村の宗教行事、牛馬をお祀りする「鞍嶽さん」の日である。今では豆札で牛馬を飼う家は二軒になってしまったが、昔は全部の家で牛や馬を飼っていたそうで、豆札からも直線的に外輪山の牧野に通じる道があって、皆さん牛を連れてその道を通って山に登ったそうである、その道も今は使われなくなって薮に埋もれてしまっている。

 女性の皆さんがお膳の用意をしてくださって、三時から懇親会が始まった。例年この鞍嶽さんの時には村の子供たちも加わって、お菓子の袋などをもらう習慣がある。昨年までは豆札の子供たちは五人だったが、今年は一人増えて六人になった。(写真1写真2写真3

 明日一週間遅れで予定されていた北外輪山一帯の野焼きは今日の雨で、21日春分の日に延期となった。天気予報では21日は間違いなく実施されそうである。



平成18年3月17日(金)

 快晴、気温高し、もう大丈夫だろう、軽トラックのタイヤをノーマルタイヤと交換した。阿蘇の入り口の立野付近では、もう道端に菜の花が咲いていた、標高はここより少し低い。

 坂梨に薪材を貰いに行く。インターネットで探していると、軽トラック用のユニックがある、欲しい。

 先日切断した杉の丸太を仲町通りの商店に届ける。


平成18年3月16日(木)

 春の嵐、色々な条件で春一番とは言わないそうだが、雨、風ともに強い一日だった。

 婆様、本日デイケアの日。デイケアで行われている体操や発声訓練などが普段家に居ては使わない筋肉などを使っていて、結構体に良い刺激になっているようで、本人曰く「ちょっときついかも知れないけど、週二回行ってみようかしら」、ということで、来週から木曜日一回に替わって、水曜日と金曜日の二日、デイケアに通うことになった。

 ほぼ一日かけてメダカの水槽の掃除をする、一日かけてというより、徹底的にやったら結果的に掛かってしまった。


平成18年3月15日(水)

 晴れ、今朝の冷え込みはそれほどでもなかった。今朝の阿蘇

 午前中、丸太の切断をする。小生の薪割りを見ていた、いつも配達にくる仲町通のある商店の人から、「雰囲気作りに杉の丸太を脚にして戸板を置いて商品の陳列をしたいをしたいのですが、丸太を譲ってもらえますか?」と申し出があったのだ。もともと小生も皆さんから頂戴したものですから、どうぞお使いくださいと希望のサイズで切って用意をした。皆同じ高さに切った積りがなかなか上手く切れずに水平になっていない、何かを挟んで調整をしてもらうしかない。

 昼から、タワー作りをする、久しぶりにパイプをガスで切ったが、及び腰の姿勢で切り口のなんと汚いこと。アセチレンは結構危険なシロモノで、ガスを出す際にはアセチレンを先に出して、それから酸素を出す。閉じる時は逆に酸素を先に締めなければならないのだ。

 青空に、これはトンビではない、鷹だろう、気持ち良さそうにゆったりと遊弋していた。


平成18年3月14日(火)

 なごり雪、積雪量4センチくらいでそれほどでもないが、一気に冬に逆戻りしたように寒かったが、その雪も夕方には殆ど消えてしまった

 古閑の滝の氷結は今回が恐らく最後になるだろうが、最後になって今シーズン一番の出来のように遠目では見える。

 昼から先日の二連ハシゴを使った簡易タワー建設工事を初めからやり直す。いい加減に打ち込んだパイプが壁面と平行になっていないのがどうも気になったのだ。

 150cmくらい打ち込んだパイプをチェーンブロックを使って抜いて、もう一度打ち込み直して、どうやら満足のいく状態になった。

 簡単な重機(と言えるかな)だがチェーンブロックは便利である、これが無ければニッチもサッチもいかないところだ。

 パイプは掛矢で打ち込むが垂直に打ち込むのは結構難しい。螺旋状になった穴を掘る道具があってそれである程度穴を掘っておいてから3mの短管を脚立に乗って150cmまで力いっぱい打ち込む。それだけ打ち込んでもハシゴを取り付けるとグラグラするので、更に別の補強方法を考える必要があるが、まだどうするか決まっていない。

 この穴を掘る道具は手動式だが、この辺りの農家では、エンジンがついたものを使い、ハウスなどのパイプ用の穴を開ける。この道具は色々調べた結果「エンジン・オーガー」と言う名前だそうである、世の中には色々と面白い道具があるものである。対して手動の穴掘り器(機でなくて器だろう)は、ねじ込んでから、うんとこどっこいしょ、と土を抜く時にとにかく背筋を使う。

 そしてこのハシゴの先に更にしっかりとした伸縮ポールを取り付けてから、移動運用用の軽量の八木をローテータで回そうと思っている。うまくいけば15mhiの風にも雷にも即応できる「無銭」クランク・アップタワーが出来るはずである。


平成18年3月13日(月)

 冬が一気に逆戻りしたように冷え込み、寒暖計が氷点下6度を指していた。石臼に溜まった水が「御神渡り」が出来そうなくらい盛り上がって凍り付いていた。もう今シーズンは無しかと思っていた古閑の滝がまた氷結した。

 阿蘇地域振興局で献血をしていたので、23回目の献血をする。局の玄関先でJ子姐さんとばったり。


平成18年3月12日(日)

 予報どおり朝起きたら雨が降っていた、そして、当然のことながら、本日の野焼きは来週に延期になった。

 静かな一日となった(でもないか、騒々しいのが休日で家に居たから)。


平成18年3月11日(土)

 晴れ、夕方になって曇る。明日の予報は雨模様だが北外輪山一帯で野焼きが計画されている、毎年必ず雨などで順延されるがどうだろう、予定通り明日実施なら、残念ながら小生家事都合で参加できないが・・・

 カミサン仕事のため、子守(幼児になっても子守という言葉で良いのか)。「散歩に行こう」という娘のリクエストで、娘と連れ立って散歩にでる。近くの妙法寺に寄って庵主さんから本堂に供えてあるお供物を頂戴する。このお寺には色々な花が植わっていて今年は少し春が遅いようだが、それでも馬酔木(だろうか)や梅の花など色々咲き乱れていた。

 娘のことだから直ぐに音をあげて、「ダッコ!」と言い出すだろうと思ったので、もう帰ろうと言ったのに、もっと向こうまで行くと言う。「歩いた分だけ帰りもまた歩くんだよ」と言うのに、理屈が解っているのかいないのか「ダイジョウブ」、結局、隣の馬場集落まで行って、帰りが心配だったが、一里くらい歩いたろうか、途中少し風が強く小生のコートを被ったりしたが全工程歩き通した、知らない間にしっかりと成長している。

 我が家のクロッカスも咲いた。

 昼から、娘の昼寝の合間を縫って、二連ハシゴをタワー代わりに建てる作業をした、まだまだ取っ掛かりの段階である。



平成18年3月10日(金)

 晴れ、気温高し、夕方になって少し雲が出る。

 大分前からテレビ朝日系列のチャネル(いまだに、地元のテレビ局の名称とチャンネルが覚えられない)の受信状態が悪くて、一度、九電工さんにお願いしてクレーン車を使ってアンテナの方向を調整してもらったが、我が家からはテレビ局のアンテナがある米塚は見通せるにもかかわらず、受信状態の悪さは改善されなかった。

 婆様が好んで見る番組がこの局に多くあるので、今日ハシゴをかけて決死の覚悟で上まで登った。高さが怖いのではなくて、ハシゴの取っ掛かりが無いのが怖かったのである。

 アンテナを取り付けてあるポールは丸いので、ハシゴを立て掛けるには極めて都合が悪く、更にはハシゴの上の方の接点にあたる部分が、太いポールより上の、アンテナの25ミリくらいのパイプしか無いという極めて不安定な状態になるのである。

 そこで、二連ハシゴ二脚を向かい合わせるようにしたり、別の脚立をハシゴの下のほうで抱き合わせたり、ロープでステーを張ったりと色々小細工をして、へっぴり腰でようやく上に辿り着くことが出来た。6メートル以上の高さはあっただろうか。安全ベルトを掛ける場所も無かったし、会社であれば決して認められない不安全行動だろう。

 その結果、以前どうしても映りが悪かったものが、今回は非常に映りが良くなった。このチャンネルは地上波デジタル化に備えて最近チャンネル変更があったので、米塚の中継アンテナの方に問題でもあったのかもしれない。

 それにしても、人間は地上では水平方向に移動することは苦も無く出来るのに、僅か数メートルであるにもかかわらず、上に移動することが如何に大変であるかということを改めて痛感させられた。因みに小生の(蛮)勇姿は婆様が撮っている。

 そして、二連ハシゴの一つを使って今あることを計画している・・・・・



平成18年3月9日(木)

 予報が昼頃から雨だとのことであったので、午前中のうちに一回湯浦まで薪材を取りに行く、予報どおり午後から雨になったがる、雨量は大したこと無くお湿り程度だった。

 婆様デイケア。

 我が家の梅がようやくほころび始めた。


平成18年3月8日(水)

 晴れ、気温高し。庭先の日当たりの良い場所に植わっていた水仙が今日開いていた。球根なので放っておいても時期が来れば勝手に咲いてくれるので手が掛からなくて良い。これ(クロッカス)は明日辺りか。

 物置の裏に立てかけてあるホダ木を何気なく覗いてみたところ、ずっと続いた寒さで息を潜めていたシイタケが、最近の暖かさで一気に息を吹き返して、ぐっさり(沢山)生えていたのには驚いた、ちょっと大きくなりすぎたようだ。

 水仙といい、シイタケといい、放っておいても勝手に育ってくれるものばかりだとズボラな身にとっては大いに助かる。

 本日も湯浦に午前午後一回づつ薪材を取りに行く。

 カミサンの実家で親戚同様のお付き合いだった山岸ナツさんが亡くなられたとのこと、合掌。

平成18年3月7日(火)

 晴れ。深い濃い霧に包まれて夜が明けた。ニュースで雲海が出たと報じていた。暖かい一日だった。今日は裏の竹やぶで鶯が鳴いていた。

 阿蘇町の湯浦に薪材を貰いにいった。見事な欅など伐採されたが、高圧線が近くを通っている関係でクレーン車まで出動しての大掛かりなものになった。

 今日は二往復したがまだまだ山ほど薪材が残っており明日以降も何度も通うことになる、嬉しい悲鳴である。



平成18年3月6日(月)

 終日ほぼ雨、本日は啓蟄だそうだが、この雨では虫どもも穴から出るに出られなかったであろう。

 上村さんが湯浦(阿蘇町)で樹を伐るというので、雨のなか軽トラで貰いに行ったが、本日は段取りの都合で中止になったとのこと、改めて出直すことになった。


平成18年3月5日(日)

 氷点下4℃、本日も好天、阿蘇五岳のあちらこちらから野焼きの煙が上がっていた、我が家の周辺にもススキなどの太い煤が降っていた。

 本日は保育園が休みなので基本的に何も出来ず、ご近所から頂戴したイチゴでジャム作りをする。1.8Kg---1.2Kg---230cc


平成18年3月4日(土)

 久しぶりに朝方氷点下9℃くらいまで下がった、その分昼間は暖かく素晴らしい天気になった。(写真1写真2写真3

 保育園の保護者参観日、カミサンが出席する。昼から母子熊本市内へ。

 今日も妻子ケ鼻や浄土寺牧など何箇所かで野焼きの煙が上がっていた、阿蘇一帯で一斉に野焼きをする日は3月12日の日曜日に決まった、いつも天候が優れずに順延になることが多いが、果たして今年はどうなるだろう。

 今日は「阿蘇の火まつり」のメインイベントともいえる往生岳の火文字焼きが行われた。昨年、一昨年はコンディションが悪かったが、今日は素晴らしい夕焼けのもと火が点けられた。(写真1写真2



平成18年3月3日(金)

 晴れ、気温朝氷点下4℃。

 ひな祭り、生憎カミサンが遅いので、婆様に五目寿司を作ってもらい、雛人形が飾ってある二階にまで運んで、三人で祝う。

 総務省に電波利用料を納入する、国税である、コールサインごとに納めるのかと思ったら、局免が二枚になると、利用料も二枚分納めるらしい、年間500円也。


平成18年3月2日(木)

 曇り、朝のうち少し雪が降る。また寒さが戻ってきて、古閑の滝が再び凍り始めた。

 婆様、本日デイケア。ひと頃は半分死んだような状態だったが(勿論冗談だが)、最近は大分調子を取り戻して、悪いなりにフウフウ言いながらも家事など手伝ってくれている。


平成18年3月1日(水)
 ほぼ終日小雨、気温も昨日まで違って少し低め、高岳の頂上付近が白くなっていた。

 終日道楽三昧。



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