日々の記録目次へ  ホームページへ
平成18丙戌(2006)年4月の記録(新しい日付けの順)

平成18年4月30日(日)

 晴れ。ただ今日やたら風が強かった。そしてまた黄砂で視界が悪かった。

 普段日中居ないのが二人も居ると、なんだか落ち着かず、なんとなく一日が終わる。


平成18年4月29日(土)

 晴れ。昭和節、国旗掲揚。

 世間では大型連休の始まり。我が家でも、連休だからどこかに連れて行けとカミサンと娘がウルサイ。これに対して、毎年言っているが、此処が一番の行楽地だぞ、大渋滞を起こしながらみな此処に来るために難行苦行しているんだぞ、そんな素晴らしい所から何も改めてわざわざ混雑するところに出かけていく必要もあるまい。

 で、結局押し切られて、日帰りドライブで妥協、目的地をえびの高原に決める。
 
 九州自動車道を熊本県から宮崎県に入って直ぐの所に位置する霧島屋久国立公園の一部えびの高原である。霧島連峰の最高峰である標高1,700mの韓国岳(からくにだけ)に代表される景色雄大な高原である。えびの高原が標高1,200mだから、標高差500m、短時間で頂上に登ることが出来て非常な人気スポットである。そして少し南に下がると地理的には鹿児島になるが、霧島温泉郷が広がる一大温泉地で、そして天孫降臨で有名な霧島神宮がある。そんなところを一日かけて走ってきた。えびの高原では娘が足湯を甚く気に入ったようだ。霧島温泉では日帰り入浴も楽しんできた。素晴らしいところである。確かに素晴らしい、が、やはり阿蘇に住んでいると、やはり阿蘇が一番だ、都会から来ると目にも鮮やかな新緑に、雄大に広がる風景に、そして温泉に大感激するのは間違いないところだが、我々は日常的に味わっているのだから、残念ながらその度合いがどうしても小さくなってしまうのである。それでも出かけるのは、未知の場所への好奇心だろうか。

 娘たちよ、何と言っても此処が一番だよ。

 強行軍のためもあり、婆様には留守番を頼む。


平成18年4月28日(金)

 清々しく晴れ渡る。明日から大型連休が始まるせいか道路が少し混み始めたようだ、勤め人にとっては嬉しい時期だろう。

 午前中、敷地境界の畦切りと茶の木の剪定をする。ここに来た当初は、物珍しさも手伝って茶を摘んで製茶所に運んで自家製の茶を作ってもらったこともあったが、今は垣根代わりの存在になっている。

 午後から、ローテーターにケーブルを結線して、ポールのてっぺんに乗せてみた。しっかりステーを張らないと、なんだか怪しい雰囲気である。


平成18年4月27日(木)

 曇り、時々薄日。

 婆様、デイケア。

 曇読。


平成18年4月26日(水)

 ここのところ日替わりで天気が変わる。予報どおり午前中は曇り、昼から雨になる。今日の雨は「春のサメ」、細かな雨が静かに降り続いてた。

 雨読


平成18年4月25日(火)

 晴れ。ただここのところ連日黄砂がひどくて折角の風光が台無しだ、全く以て迷惑なことだ。

 ハシゴタワーにアルミの伸縮ポールを取り付ける。これで15メーターくらいになるだろう。遠目ではこのアルミのポール華奢に見えるが、5段になっていて、一番下のポールの径は61mmあり、最上段は39mmある。ハシゴ部分で伸縮して、ポール部分でも伸縮する、これで風と雷対策は万全?だろう。これだけ長くなるとポール自体を回すのは無理だから、このポールのてっぺんに小型のローテータを付けてそれに移動用の軽量八木を乗せる予定である(ステーは必要だろうな)。さて目論見どおりいくかどうか。



平成18年4月24日(月

 晴れ。

 婆様、本日デイケア。

 ハシゴ・タワーの製作を少々。少しずつながら進んでいる。試行錯誤で作っているので一度に部品を全部用意しないで、一工程づつ部品を調達しながら進めている、これが楽しい、今日予定では届く筈だった部品の宅配便が届かなかった、まあ明日でよい、スローライフだ。


平成18年4月23日(日)

 曇り、気温ようやく戻る。

 赤星会長の母上の告別式に参列する。


平成18年4月22日(土)

 終日秋のような冷たい雨が降っていた。

 赤星会長(宿場會)の母上キヌさんが昨日亡くなれた、今夕の通夜にお線香をあげに伺う、合掌。


平成18年4月21日(金)

 晴れ。ようやく晴れたと思ったら明日にはまた天気が崩れるそうだ。

 二三の細工物をして過ごす。


平成18年4月20日(木)

 晴れ、たが、とにかく一日中強風が吹き荒れていた、それも冷たい風で、屋外活動が出来る気分ではなかった。昨夜も雨と強風で家が揺れるほどであったが、この天気、全国的な規模のようだ。それでも農家は貴重な晴れ間を縫って、田植えの準備に忙しく肥料撒きや田起しに精を出していた。

 婆様、本日デイケア。


平成18年4月19日(水)

 なんとか今日まで晴れのようだ。

 野焼きで真っ黒になっていた山肌が少しずつ緑の絨毯に覆われ始めた。カミサンが以前買ってきて植えた石楠花グミの花が咲き始めた。

 今朝春さんにトラクターで畑を鋤いてもらった。我が家の荒れ果てた畑を見て、いつもご近所の皆さんがトラクターで鋤いてやろうかと声を掛けて下さるのだが、皆さん本業が忙しいのに申し訳ないという気持ちと、畑にいつも何かしらの作物が植わっていてトラクターで鋤くには中途半端な空地しか無いなどの理由で遠慮していたのだが、今年は上手い具合に休耕気味でほとんで全部空いていたので、思い切ってご好意に甘えることにした。

 さすがトラクターの機動力、あっという間にフカフカの畑が出来上がった、今年は休耕すると言いながらも、これからトマト、キュウリ、ナスは植えたいところだ。

 ケアマネージャの市原さん月一度の来訪。


平成18年4月18日(火)

 晴れ。今日も暖かく、気温は20℃を越えたようだ。そんななか、伐採した山ほどの竹を一日かけて焼却した、ヘトヘトになった。


平成18年4月17日(月)

 晴れ。放射冷却現象で朝は氷点下2℃前後まで気温が下がり、一面霜で真っ白になっていた。日中は一転して気温が上がり暖かい一日となった。

 婆様、本日デイケア。

 この春初めての雑草刈りをした。梯子タワー用の空地つくりも兼ねて竹林の間引き伐採をする。かなりスッキリした。こんどは倒した竹を燃やす作業があるがかなりの量になるので大変である。


平成18年4月16日(日)

 久しぶりの晴天のような気がする、気持良く晴れ上がる。

 カミサンと娘、三時過ぎの便でもう帰ってきた、空港まで出迎える。山を降りたついでに江津のハムショップの「クマデン」と画図にあるホームセンターの「ハンズ・マン」に足を伸ばし二三買い物をする。

 さらに、「ハンズ・マン」から少し行った嘉島町に最近出来た県下最大のショッピングセンター「ダイアモンドシティ・クレア」のショッピングモールに「菓心なかむら」さんが期間限定の出店をしているということを思い出してエールを送るために顔を出してみたが、浩さん仁美さんお二人とも当番ではなかったとみえて、スタッフの女性が一人で頑張っていた


平成18年4月15日(土)

 終日、量は多くなかったが雨の一日だった。

 騒々しいのが居なくて実に静かな一日だった。雨読(ただ最近は晴れていても耕すほうは怠りがちである)。


平成18年4月14日(金)

 曇り。

 ハシゴタワー周辺の竹を伐採して空地の確保をする。気が付かなかったが筍が何本も顔を出しており、丁度来合わせた今朝春さん優香さん夫妻に持って帰ってもらった。

 カミサンと娘、法事のため千葉の実家に帰る。夕方、空港まで送る。僅か二泊三日のつかの間の息抜きである(息抜きは当然小生のである)。

平成18年4月13日(木)

 くもり。今日も一日ハッキリしない天気だった。ちょっと着込めば良いのだがどうも薄着になれてしまって少し肌寒さを覚えたので、夜になって、とうとうストーブを焚いてしまった。

 婆様デイケア。

 ご近所からタラの芽を頂戴する。このあたりでは「だらん芽」という、今が旬だ、近くの山で沢山採れる。実は我が家の庭にも数本あるのを昨年発見した、近々食卓に上る予定だ。天ぷらにすると実にウマい。

 夜、坂梨公民館で宿場會4月例会。今月は一年の締めくくりと新年度のスタートを切る平成18年度の総会にあたり、粛々と議事が進められ、役員全員再任となり、そのあと楽しい飲み会となる、じつはこちらがメインである。


平成18年4月12日(水)

 曇り。今日は晴れる予報だったがハッキリしない天気で終始した。


平成18年4月11日(火)

 曇り、強風吹き荒れる。

 昨夜の荒天予報、いささか肩透かしの感、そして珍しく雷予報も外れた。一夜明けて雨雲は長崎県、佐賀県あたりを東進したようで熊本県にはあまり影響が無かったようだ。午前中は気温が我が家の計測では20℃前後まで上がって暑かった、今シーズン初めて終日ストーブを焚かずに済んだ。

 婆様大阿蘇病院定期通院。


平成18年4月10日(月)

 ひどい降りではなかったがほぼ終日雨。予報では昨夜あたりから大荒れになる予報だったが、低気圧の動きが遅いようだ。

 婆様、デイケア。

 ところで、わが国の天気予報は結構外れるが、雷の予報だけは良く当たる。今回もその雷の予報が出されている。

 だらし無い話であるが、実は小生は雷が心から嫌いである。それも「晩年」(つまりは現在のことであるが)になってからである。戸建の家に住むようになったここ数年である。それまで人生の殆どの期間を集合住宅で過ごしてきた。鉄筋コンクリート造りの団地である。我が家の上の階にも人が住んでいて、なおかつ鉄筋なので、それまでは雷は全く怖くなかった、それどころか、どちらかと言えば大好きで、雷がゴロゴロ鳴りだすと窓際で近くに落ちるのを眺めていたくらいだ。そんな小生が雷が怖いと感じるようになるとは考えもしなかった。鉄筋の建物の場合は雷は外壁を伝わって地面に逃げる(と思う)が、木造家屋に落雷すると火災になるケースが多いと聞く。雷は必ずしも高いところに落ちるとは限らない。我が家は家のほぼ真ん中に屋根から居間にストーブの煙突が真っ直ぐ通っている。また屋根の一部がガラスの天窓になっていてモロに空が見えている。どうも隠れる場所が無いのである。

 基本的に一戸建てに住んだことが殆ど無いので、一戸建て生活に慣れていないのである。どの程度の風に耐えられるかも経験的に学んでいない。元々集合住宅礼賛派なので、この歳になっての戸建生活はなんとも落ち着かないのである。

 ここは雷が多くて結構周辺に落ちているので雷の予報が出されると、もう尻が浮き上がってそわそわしてしまう。加齢をして、最近ではある程度「死」に対して覚悟というか諦観というものができたつもりでいたが、どうもそうではなかったようだ、クワバラクワバラ。

 観測できたから、それで雷を避けられるということでは全く無いが、雷を観測する装置やソフトは無いだろうかと思ってネットで検索した見たら、これがあるのである(例えば http://homepage3.nifty.com/shado/lightning/ など)。リーズナブルな出費で半径数百キロの範囲で雷が観測できるようだ、気温測定の次はこれか?なんとなく触手が動き始めている。
 
平成18年4月9日(日)

 今日も穏やかに暮れる、日没後、風が強まり雨が降り出した。明日は大荒れになる予報だ。

 急に思い立って握り飯を作り、我が家から二三分のところにある村内の妙法寺の花の下で昼食を摂る桜が満開である。

 昼過ぎに従兄の哲兄が、伸兄とF田早浪さんを伴って訪ねてくれる。伸兄は今日が74回目の誕生日だそうだ。早浪さんは哲兄のいとこに当たる人だそうで小生は初対面である。小生と哲兄は従兄弟関係なので、早浪さんも従姉弟関係になるところであるが、伯父の方の家系に属するので血縁は無いことになる。それでも新たな繋がりが出来たようでなんとなく嬉しいものである。(写真1写真2

 今日も畑の整理をして、我が家の野焼きをやった。


平成18年4月8日(土)

 本日も穏やかに晴れる。

 今日は朝飯前から夕方まで、薪材の切断と片づけ作業に没頭して、今期用に用意しておいた薪材を全部綺麗サッパリ片付けて薪小屋に収納した。久しぶりに薪材の無い地面に戻った。ここは畑なので近いうちに村の人にトラクターで鋤いてもらうことにしておりその他為に整理をしたのである。カミサンもマルチの残骸を取り除く作業をしていた。

 畑も、どんどん草が生えだしており、薪が終わったと思ったら今度は雑草刈りの季節になった。荒れ果てた形容に使われる通称ぺんぺん草、ナズナもこう見事に群生するとなかなか捨てがたい風情がある。

 本日の娘



平成18年4月7日(金)

 穏やかに晴れる。

 午前中、介護保険の更新認定のため市から係りの方が見えて聞き取り調査を受ける。5月からの等級がこれらの手続きを経て決まるのである。

 午後から、畑の後始末を(ちょっと)する。マルチが残った状態なので、これを始末しないと耕すことが出来ない。最近は生分解マルチもあるが、強度が弱い為かホームセンターで積極的には扱っておらず、昨年従来の石油化学製品のマルチを使ったため分解されずに残っているのである。

 二連ハシゴ製簡易タワーの加工をする。今日はウインチを取り付けた。この二連ハシゴは100キロまでの重量に耐えることになっているが、これは多分説明書にあるハシゴの傾斜を75度で設置した場合だろう。垂直に使う場合は、上のハシゴを下のハシゴで支えるのは踏桟に掛かる二つのロック金具のみになるので、多分この二つのロック金具だけでは、100キロを支えるのは無理だと思う。更に、ハシゴをせり上げる際のロープや滑車は上のハシゴを引き上げるだけの耐力しか考えていないだろうから、このあとハシゴにポールやローテーターやアンテナを載せると20キロくらいになるので、耐え切れないであろう。仮に支えきれたとしても、これを人力でロープを引っ張ってハシゴをせり上げるのは至難の業だと思う。そこでウインチの登場となる。オークションでウインチを2,610円也で落とした。単管に10ミリの穴を開けてウインチを取り付けて、ワイヤー用の滑車を既設の滑車とは別に取り付けてハシゴを引き上げるようにした。これで上手く行った、安全を確認しながら一歩一歩、だがまだまだゴールは先だ。


平成18年4月6日(木)

 晴れ、桜もほぼ満開、今年初めてツバメを見た。

 保育園の入園式。在園児の各クラスに今年初めて入園する子供たちが加わって入園式があった。こういった式典はやはり華やかな雰囲気が漂う。(写真1写真2写真3

 婆様本日デイケア。


平成18年4月5日(水)

 一晩中雨雷、朝には上がってたっぷりと水気を含んだ大地から霧が立ち昇っていた

 昨夜はかなりの雨量で、粗起しの田にまるで田植えの水を引いたように雨が溜まっていた

 熊本市内に実家があるJA1GQV局が一時帰省で戻ってきているという電話を頂戴したので、久しぶりに430のレピーター経由でコンタクトをとる。


平成18年4月4日(火)

 晴れのち雨。

 今の時期、村内の妙法寺の花々が美しい、花の寺である。


平成18年4月3日(月

 気温が18℃くらいまで上がり、風もなく穏やかな暖かい一日だった。

 娘、本日より、年少組のばら組さん登園第一日目、今までと違って弁当持参になり、張り切って出かけた。弁当持参と言ってもご飯だけ弁当箱に詰めて、おかずは保育園で出るそうである。それでもなんだか大人になったような気分のようである。

 婆さま本日デイケア。

 渡辺親房さんの告別式が厳粛に執り行われた。(写真1写真2



平成18年4月2日(日)

 雨と風に加え雷まで鳴った一夜が明けて、我が家の桜もようやく開花した。今までの雨と違って暖かい雨だったので一気に開いたのだろう。この桜、H14/3/24に宿場會で植樹をした際に、我が家にも一本植えてもらった桜である。ところが開いたばかりの桜に一日中無情の強風が吹いていた、開花したばかりで、花散らしの風にならなければ良いが。

 これがテレビとインターネットの融合というやつだろう、インターネットでプロ野球の生中継が見られる時代になった。巨人戦がらみでない試合は全くと言って良いほどテレビはおろかラジオ放送にさえ乗らない地方にあっては、堀江サンならずともインターネットに無限の可能性を感じる。キーボードを叩きながら同じディスプレー上で楽天イーグルス対ソフトバンクホークスの野球中継を見た(特にプロ野球ファンと言うわけではない、ワサモン好きなのである)。

 渡辺親房さんの通夜がしめやかに営まれた。(写真1写真2
平成18年4月1日(土)

 晴れ、夕方になって天気が崩れ気味。もう開きそうなものだがまだ開花しない。坂梨公民館前の桜はもう昨日辺りからチラホラほころび始めているのに、我が家の桜は今日もまた開かなかった。

 そういえば近年、エイプリル・フールなどという言葉は聞かなくなった。

 カミサンと娘、熊本市内に出掛ける、その間、小生は羽を伸ばす。

  桐原商店の前を通ったら、ウインドウに「くまもと県民文化賞」の賞状と盾が飾ってあった。なかなか立派なレリーフの盾である。ここだと、通りすがりに沢山の人に見ていただけると思う。

 夕方になって、村の渡辺房志さんの弟さん・親房さんの訃報が入り、村の人たちとお悔やみに伺う。今夜仮通夜、明日が通夜となり、葬式組みの役割分担をする。


























このページ先頭へ  日々の記録目次へ  ホームページへ