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平成18丙戌(2006)年9月の記録(新しい日付けの順)
平成18年9月30日(土)
晴れ。
そば切り隊出場。無事第一日目終了。(写真は10/1に両日分一括掲載)
事故にて損傷の車、修理完了、本日北部ボディから新車のように綺麗になって戻ってきた、素晴らしい技術である。
平成18年9月29日(金)
うす曇、しばらく続いた秋晴れもそろそろ下り坂だ。
自宅でゴロゴロする、喉の痛みはほぼ取れる。
平成18年9月28日(木)
快晴。馬場八幡秋季大祭。
婆様はデイケア。
木村豆腐店では、一中の生徒諸君が体験学習で店主の指揮のもと頑張って作業に従事していた。
例年、祭りでは、宿場會で宿場通りにおでん屋などを出店するため、馬場八幡での祭事や奉納相撲、虎舞演舞などを見学することが出来なかったが、今回は都合により出店を見合わせた関係で、朝からの馬場八幡での様子などを撮ることができた。
保育園の子供達は希望で各組の山車に乗って参加する子や保育園から参加する子など様々だが、我が家の娘は保育園から参加させた。
馬場八幡秋季大祭 連続写真 1/11(全10枚)
馬場八幡秋季大祭 連続写真 2/11(全10枚)
馬場八幡秋季大祭 連続写真 3/11(全10枚)
馬場八幡秋季大祭 連続写真 4/11(全10枚)
馬場八幡秋季大祭 連続写真 5/11(全10枚)
馬場八幡秋季大祭 連続写真 6/11(全10枚)
馬場八幡秋季大祭 連続写真 7/11(全10枚)
馬場八幡秋季大祭 連続写真 8/11(全10枚)
馬場八幡秋季大祭 連続写真 9/11(全10枚)
馬場八幡秋季大祭 連続写真 10/11(全10枚)
馬場八幡秋季大祭 連続写真 11/11(全11枚)
保育園のみんな
娘近影
平成18年9月27日(水)
晴れ。今日も穏やかな一日だった。
喉の痛みまだ引かず、今日一日家でブラブラして過ごす。
秋景
平成18年9月26日(火)
穏やかな秋日和が続く。
今朝、最低気温が10℃を割り込んだ、いよいよストーブの季節が近づいている、午前中、薪作りに備えチェンソーの整備をする。
小生、二三日前から喉が痛い、風邪を引いたようだ。近年、屋外作業などで汗をかいた後、気持ちが良いので濡れた体に扇風機を当てると直ぐに風邪を引くようになった、プールで泳いで温泉に入って、濡れたままの頭で風を受けながら車で走るのが良くないのだろうか、軟弱になったものだ、夕方、古閑医院で診てもらって薬を貰って帰る、当然プールは休む。今のところは喉が痛いだけで、咳も熱も無いので寝込むほどのことはない。
婆様、大阿蘇病院定期通院。
(本日、安倍内閣発足)
平成18年9月25日(月)
爽快秋天。
婆様デイケア。
午前中、知人のご親戚に不幸がありお悔やみに内牧まで。告別式の日時を勘違いして、今日とばかり思い込んでいたところ、今朝になって昨日であったことを知り、あわててご焼香に伺う、大変失礼なことをした。
昼、阿蘇神社の田実神事の流鏑馬奉納を見物する、近所の渡辺貴之さんも射手として颯爽と馬を駆った、ご家族総出の応援だった。
流鏑馬奉納連続写真
本日月齢 2.6 米塚の右上方
本日プール休館日。
平成18年9月24日(日)
晴れ。昨日ほどのスッキリという天気でなかったが空気が乾燥していて気持ちが良かった。
午前中、昨日とは逆に、Nさんご夫妻がお見えになる。もしかしたらという気がしたので掃除をしなければと思っている矢先だった、間一髪で掃除が間に合わずに散らかったままのところに上がっていただいた(本来、間一髪とくれば、間に合ったと続くのが正しい用法だろうなあ)。馬場、豆札方面の道は今回が初めてだということであった。
昼、プールへ、今日は2000m泳いだ。@2000m×1本。
平成18年9月23日(土)秋季皇霊祭(秋分の日)
文句なしの秋晴れ。
9時から「そば切り隊」出場に備えて中虎屋で清掃作業、だったのだが、明日と勘違いして10時から遅れて参加。会長、聡雄さん、葉子さんで来週末の開店に備えて蕎麦うち台、台所周り、座敷など午前中かけて清掃をする。
昼、プールへ、@1500m×1本。
午後から、一の宮リゾートのNさんご夫妻のお宅をカミサン、娘を連れて訪問する。
実は、先日、以下のメールを頂戴しての訪問である。
「はじめまして。
いつもライブカメラや日々の日記を拝見しております。
私たちは現在北九州の門司に住んでいます。
風さんの「聖地」である風師山は子供の頃から、遠足などで行ったところです。
今でも時々車で行って、頂上まで散歩をしたりします。
長い間、ライブカメラだけを見ていて、ふと「日々の日記」を読んだら、驚く事がいっぱいで、びっくりしています。
と言うのも、私たちはダイワリゾートに平成13年6月に家を建て、現在は別荘状態ですが、隔週阿蘇の自然を味わって帰り、都会?(小倉)で仕事をしています。
あと1〜2年は定住出来そうにないので、ライブカメラで阿蘇の様子を楽しませていただきます。
ダイワのそば体験なども来られていたなんて、びっくりしていますし東京のtomuさんがダイワに近々家を建てられるようなので、またびっくりしています。
たくさんお話したい事もありますが、書ききれません。
明日から25日まで、台風で傷ついた別荘状態の家へ帰りますのでもしお暇でしたら、お寄りください。」(メール転載ご承諾済み)
こうしてまたまた新しい出会いが生まれた、嬉しい限りである。
Nさんのお宅を辞した足で、久しぶりにそこからすぐのところにある仙酔峡に登ってみた。秋空に阿蘇の峰々が美しかった。(写真1・写真2・写真3)空気が澄んでいるので阿蘇谷、外輪山、九重連山が良く見えた、眼下に我が家も良く見えた。
平成18年9月22日(金)
晴れ。もう最低気温が15℃くらいまでになっている、日中でも空気がひんやりしている。
隣家の渡さんが我が家のすぐ裏にある田で稲刈りをしていた。
昼、プールへ、@2000m×1本。二日ほど湿疹でサボったので、今日は2000m泳いだ。実は、1000mも1500mも2000mも疲れ具合(疲れない具合)は同じである。ただ2000mも黙々と泳ぐのは、泳いでいて退屈なので、1500mくらいにしている。1500mくらいだと退屈するところまで行かないで終わることが出来る、継続することが大事なので1500mでやめているのである。長距離泳げないという人は、多分息継ぎがだんだん出来なくなるからだろう、小生、天然自己流下手糞泳法だが、疲れない泳ぎ方だけはなんとなく会得しているので、息切れしないのである、2000mに約一時間掛かる、遅いッ。今日は泳いでいる大部分の時間、プール独り占めであった。
夕方近く、今年もストーブのメンテナンスでストーブ屋さんがやってきた、満永さん、川畑さん、永田さんの三氏。これでいつでも火が焚ける。
平成18年9月21日(木)
うす曇り。
婆様デイケア。
今日から秋の交通安全運動が始まる、宿場會会員で交通安全指導員の山口定俊さん、制服に身を包み颯爽と坂梨の交差点に立ち馬場方面からの登校児童たちの誘導にあたっていた。
台風で下ろしていた八木を久しぶりに上げる、空のコンディション悪し。
-- GPを八木に変えたり秋茜 --
湿疹だいぶ良くなってきたが、本日もプール休む。
平成18年9月20日(水)
完璧とまでは言えなかったが、爽やかな秋空が広がった、宿場どおりにも柔らかな秋の陽射しが降り注いでいた。天候の回復を待ちかねたようにコンバインが一斉に動き始めていた。
首の周りの湿疹が引かないので今日はプールを休んだ。
平成18年9月19日(火)
雲が多かったが久しぶりに晴れた、しかしもう秋風である。
台風に備えて用意した発電機や大工道具、ブルーシートなど片付ける、新たに発生した台風14号、予報によると、どうやら九州方面には来ないでくれそうである。
窓際の竹やぶが通り道を塞ぐので少し整理したが、その時に虫か何かが着いたのだろう、首の周りが赤く腫れて痒い。
昼、プールへ。1500m×1本。
平成18年9月18日(月)
敬老の日。我が家の長老に敬意を表して国旗掲揚。
台風一過の秋晴れ、とはほど遠い曇り時々時雨の一日。
恐怖?の一夜が明けた。午後6時頃長崎県佐世保市に上陸した台風13号は昨夜のうちに福岡から日本海に抜けていった。このあたりから見ればなんとも摩訶不思議、肩透かしをくらったような台風だったような気がする。テレビでは、やれ19XX年の甚大な被害を与えた台風に匹敵するくらい大きな台風だ、やれ過去に大被害をもたらした「りんご台風」と同じコースを取っている、やれ熊本の西を通るので最悪のコースだ、などと不安感を煽るような報道ばかりで、今回はどう足掻いても逃げ場が無い、と諦めと恐怖のうちに台風接近を迎え、夜に入って確かに時々家が揺れるような強い風が吹きだしたので、不測の事態に備えて徹夜する覚悟で起きていた。(ついでながらマスコミの台風の報道姿勢は何時もあざとくていやらしさを感じる、わざわざ風雨が強い所に出て、センセーショナルに中継をする。)
我が家でこれほど心配していたのは、どうも小生だけだったようで、普段、観覧車は怖いから乗らないとか、ゴキブリが怖いだとか、ほざくカミサンが、「怪我は困るけど、家が壊れたらそれはその時」とケロッとしてさっさと寝てしまた。どうも神経がどこか一本抜けていやがる。
平成16年9月7日の台風18号で非常な恐怖を経験をした時、カミサンは家には居らず、職場に居たので、その時の怖さを経験していない、だから呑気で居られたのだろう、あの時の台風が平成16年ということは、西暦2004年である。ところがマスコミはその時のことは言わずに、1900年台の大きな台風と比較している。ということは2004年の台風18号より更に大きいと思ってしまうではないか、恐れ戦くのは当然であろう。あの時、大袈裟でなく、ご近所の家では風が強くて床下から吹き込んだ風で畳が浮いたと言っていたのだ。
ご近所の古閑仁美さんも、緊張で体がコチコチだとメールで情報を送ってきた。阿蘇地方が暴風圏を抜けるのは午後一時頃で、そのあとも強い吹き返しがあるので注意を、と放送があったが、一時前には静かになってきたので、ドッと疲れが出て寝てしまった、それまでの時間のなんと長かったこと。
今回も停電が二三度あった、すぐに回復した、まあこんな時は仕方が無いだろ、ほかの地域で長時間停電したところもあるようだ、こんな時に明かりがあると言うことは有難いものである、不安が大いに和らげられる。
朝起きてみて驚いた、あれほど強風で庭木など今にも折れよとばかりに傾いていたのにほとんど傾いていない、木々の葉や枝の狼藉の跡も無い、近所を回ってみたけどどこの家にも被害が無さそうで、更に驚いたことに稲が殆んど倒れていない、全く倒れていない田も沢山あった、同じ阿蘇でもビニールハウスが飛んだり、蕎麦の花に大きな被害が出たりしている、他の地域でも大きな被害が出ているようだが、この狭い地域では幸いに被害が少なくて済んだ気がする。それに、ここでは今回は雨がとにかく少なかった。
我が家に関しては、大山鳴動して・・・、羹に懲りて膾を・・・か、狐につままれたような、何か夢でも見ていたような妙な一夜であった。
そして、台風14号がまた発生した・・・・・
昼、凝りに凝った体をほぐしにプールへ、@1500m×1本。
婆様、退院後初めてデイケアに。
平成18年9月17日(日)
台風13号
豆札の敬老の日のお祝いが、公民館の落成式と一緒に、行われた。
わが村のお年寄りは全部で13名である。婆様は昨日の運動会で疲れたからと欠席させてもらったが、12名の長老と村の人が公民館でお昼頃からお祝いをした。台風が接近しているのに大丈夫かと心配したのは小生だけか、夕方までカラオケまであって皆で盛り上がった。皆さん台風への備えは昨日のうちに終わっているようで、終わっていないのは我が家だけだったのか、朝のうちと祝宴を少し早く切り上げて、犬小屋の補強や、桜の木の養生、エンジン発電機の準備、大工道具の準備など、あたふたとした。
その台風、午後6時現在、長崎に上陸するころだが、豆札では時々家が揺れるような瞬間的な強い風が吹くが、総じてまだまだ、これからだという状況である。これから暗くなるので、不安感が増す。
敬老の日お祝い&公民館落成式連続写真 1/2
敬老の日お祝い&公民館落成式連続写真 2/2
当然のことながら、プールは休む。
平成18年9月16日(土)
うす曇、昼頃一時雨。
本日、保育園の運動会。天候不安のため、保育園に隣接する坂梨小学校の体育館で開かれた。保育園の園庭で開催して、もし雨になったら、途中から小学校の体育館に移動するという案もあった(過去実際にそうしたこともある)が、天候を気にしてするよりもと、最初から体育館での開催になったのであるが、正解だった思う。午前中太陽が出ていたが、昼ころ結構強い雨になって、そのあとまた晴れた。
昨日退院した婆様も尻を叩いて応援に連れ出した。10日も寝たきりだったので、いっそう脚力が衰えて、歩くのもやっとだったが、それでも呼吸の方はずっと良くなったと言っていた。
娘も成長するに従って、出番も多くなり、合わせて親の出番も増えて、小生も仮装借り物競争やボール運び競争に駆り出された。
9時から3時近くまで、肉体的疲労というよりは、ゼネレーションギャップによる精神的な疲労とでも言おうか、結構ヘトヘトになった。
運動会連続写真 1/6 (全11枚) 会場に出たり入ったりしたため、全体を通して撮影しておりません、また撮影場所の関係で偏った撮影になっています。
運動会連続写真 2/6 (全11枚)
運動会連続写真 3/6 (全11枚)
運動会連続写真 4/6 (全11枚)
運動会連続写真 5/6 (全11枚)
運動会連続写真 6/6 (全10枚)
(写真は追って)
4時頃からプールへ。@1500m×1本。
台風13号、まっすぐ九州に向かっている、明日の夜から暴風雨になるそうだ。
平成18年9月15日(金)
時々小雨。
南阿蘇村に「阿蘇たにびと博物館」という施設がある。施設と言って良いのか、勿論建物はあるが、そこが展示場ではない。そのホームページには、「阿蘇たにびと博物館は、阿蘇全体を博物館とし、阿蘇に生きる人びとや暮らし、自然との関わりを展示して案内するエコミュージアムです。」とある。つまり阿蘇全体を、そこにある物、人、文化、歴史等々、阿蘇まるごと全部を展示物として捉えている。近年出来た「ASO田園空間博物館」よりもずっと歴史があり実績もある。しかも梶原さんという個人が運営している。
その「たに博」の展示物?のひとつに「谷人ツーリズム」というものがあり、「阿蘇に生きる人びととの交流から知る本当の阿蘇の暮らしと自然・・・・・生きた谷人さんたちをそのまま“展示”してしまう、本当に「特別」な展示会です。」とある。
その谷人ツーリズムに、今まで多くの小学校などが修学旅行としてやってきている。今回、長崎市立の西城山小学校の修学旅行の一行が坂梨にやってきた。そして小生、ひょんなことからその受け入れ側の人間として今日その手伝いをした。「たに博」の謳い文句によれば、我々が、「展示物」ということになるが、一行は、「木村豆腐店」「後藤万十店」「志賀漬物店」、「古閑樹苗園」、「吉田農場」に十数人づつ分かれて、そこでそれぞれの営みを体験して、そこに暮らす人々と交わった。
小生は、赤星会長と、それら商店などの体験グループとは別の「歴史の道」を歩くグループを受け持って、時々小雨の降るなか、滝室坂まで何箇所か史跡を案内しながら歩いた。小学校6年生あたりだと、まだ歴史をそれほど学んでいないそうで、出来るだけ平易に説明したつもりだったが、それでももしかしたら退屈だったかもしれない。色々と反省させられる「引率」であった。
午前9時頃から11時半過ぎまで、子供たちは坂梨の色々なことを学んで、眺めて、触って、そして食べて、感じてくれたのではと思う。
小生、今回の仕事、てっきりボランティアだとばかり思っていたが、歴とした業務として扱ってもらったようで、かえって恐縮している。
坂梨到着の時の写真(写真1・写真2)
滝室坂での記念写真
滝室坂での黒曜石探し(先生が見つけました、ゴロゴロあって夢中で拾っていました)
木村豆腐店での試食?(豆腐店に行ったグループではありません、歴史の道には食べ物は何も無かったもので・・・・)
ライブカメラに向かってポーズ(留守部隊の職員室で見てくださっていたようです)
坂梨出発の時の写真(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6)
小生が一つのグループを受け持って持ち場を離れることが出来なかったので、ほかのグループの写真を撮ることが出来ませんでした。
婆様が午後退院した。午前中は修学旅行の世話のため、退院は午後にしてもらったが、よほど退院が待ちきれなかったと見えて、昼過ぎてから、未だ来ないのか、と催促の電話があった。というわけで午後二時前、婆様、ようやく娑婆の空気を吸うことが出来た。
平成18年9月14日(木)
秋晴れというわけには行かなかったが、久しぶりに晴れて気温も上がった。それでも、空気はもう冷たくて炎天下に居ても一時の我慢できないほどの暑さはもう無い。近づく台風に追い立てられるようにあちこちでコンバインが動き回っていた。
非常に大きい台風13号がもったいぶった挙句やはり九州に向かってきた。今回は早めに八木アンテナを下ろして、ダイポールアンテナ用の支柱も倒した。
昼飯時の空いた時間にプールへ。@1500m×1本。
朝と晩、病院に婆様の様子を見に行く。夕方、娘を迎えがてら病院に寄った時に、丁度先生の回診があり、先生、聴診器を当てながら「どうですか」、「はい、もう大丈夫ですッ」と言う言葉にニヤリ、「そうですね、もう大丈夫でしょう、明日退院にしましょうか」「はい、有難うございますッ」。という次第で、明日晴れて退院となった。小生、午前中は予定があるので、午後の退院にしてもらった。
平成18年9月13日(水)
雨模様の一日、気温も低めで肌寒かった。
朝と晩、婆様の様子をみに病院へ。
昼飯時を狙ってプールへ、1500m×1本。
坂梨のNさんからパソコンSOSが入り、指南に伺う。
夜。9月宿場會例会。
平成18年9月12日(火)
曇り。
娘、今日から保育園に復帰。
婆様、朝、病院に寄ってみたところ、あと三四日居なさいと言われた由、ということは今週いっぱいだな。夕方、保育園の帰りにも寄ってみる。
(写真1・写真2)
朝晩の、涼しさを通り越した低い気温に心細くなってストーブの準備をすることにして、屋根に登ってみた。案の定煙突から藁が覗いている。煙突の天板を外してみたところ、見事な雀の巣が出来ていた。だが、卵を産んだ形跡が無い。思うに、太陽の直射熱で巣の頭に位置するところにある天板が熱くなりすぎて、とても営巣どころではなくなったのではと想像する。まだ煙突掃除が残っているが、これで一応は火が焚ける。
屋根からの地上の風景、二階からの風景とだいぶ趣が違う、ここのところ天気がはっきりせずに、稲刈りが終わっていないところはヤキモキしていることであろう。それにしても我が家の畑の荒れ放題なこと。
平成18年9月11日(月)
曇り。今朝方は外気温が18℃を割り込んで、いつもの短パン・ティーシャツ姿でボンの散歩に出たが肌寒さを覚えた。
娘、保育園を休ませる。ギリギリまで登園させるつもりで準備したが、どうも体力が完調とは言い難かったので、休ませることにした。カミサンは普通どおり出勤した。ということで、一日子供の相手をして過ごした。もうほとんど手が掛からなくなって楽であった。
婆様、今日の退院は無かった。
竜一さんが夕方代車を運んでくれて、車が修理工場に入った。
本日、プール、休館日。
平成18年9月10日(日)
雨のち曇り。朝のうち強い雨が降る。
この掲示板で知り合いになった東京の「TOMU」さんご夫妻が阿蘇においでになったついでに我が家に寄ってくださった。
極めて近い将来、ご夫婦で阿蘇に生活の基盤を移されるご予定だそうで、その準備等のためにおいでになったそうである。
掲示板を通じてしか存じ上げなかった方と、こうして実際にお会いすることになろうとは、そして、いずれご近所同士になろうとは思いもよらなかったが、「有朋自遠方来 不亦楽乎」とでも言うか、妙に嬉しいものである。
今日はカミサンが娘と、餃子づくり教室 (どんぐらみ in ASO 主催)に参加の予定だったが、娘の気管支炎が治ったと思ったら、今度はまたまたカミサンだ。扁桃腺が痛いと言って寝込んでしまった。
やむを得ず、小生が餃子作り教室にピンチヒッターとして参加した。ピンチヒッターと言うよりは小生、DH制の四番打者である。この教室、実を言うと、講師はご近所の今朝春夫人の優香さんその人で、昔、彼女が作った水餃子がおいしくて、何度と無く作り方を習おうとしてなかなかそのチャンスが無くていたのである。
今日の教室の参加者も既知の方が多くて、和気藹藹のなか、共同作業で作った餃子はモチロン美味しくて全員が舌鼓を打って大いに満足したひと時であった。
「餃子づくり教室」連続写真 その1
「餃子づくり教室」連続写真 その2
餃子教室の後で満腹の腹を抱えてプールに行った、はやり満腹での泳ぎはキツイ、@500m×3本。ついでに婆様に新聞を届ける。婆様、もう完全に良いそうである(婆様の言)、明日にでも退院出来るかもと期待していた。
平成18年9月9日(土)
重陽の節句である。が、ここのところどうも天気がすっきりしない。
娘、一晩中呼吸が荒くて、苦しそうだった、今朝、一番で古閑医院に連れて行ってネブライザーをやってもらった。今日は最後までやるんだよといって聞かせてあったので、最後の一滴まで、マウスピース(と言うのか)を咥えていた。ネブライザーは劇的に症状を緩和する。終わったとたんにスッキリというやつで、元気を回復した。念のために喘息の飲み薬を出してもらった、ようやく一安心である。気管支炎が喘息の引き金になったようで、気管支炎の熱が取れないことにはまだ本復するまで至らないことになる。それにしても、うちの娘は喘息持ちなんだろうか。
ネプライザー(プ・・・フにマル)と良く聞くが、ネブライザー(ブ・・・フにテンテン)が正しいようである。字引で引くと、nebulizer、何のことはない英語で噴霧器のことだ。
婆様は大人しく病院のベッドで本を読んでいた。入院すると、他にすることが無いので読書のピッチが早くて、次々に文庫本を読破している。
夕方、滉兄の長女薫ちゃんと夫君のAlgy、それに薫ちゃんたちの音楽仲間の美穂さんが滉兄の車で婆様の病室に顔を出してくれた後、我が家にやってきた。
薫ちゃんは日頃、ウイーンで音楽活動をしていて、昨年に引き続き、日本で仲間たちとコンサート・ツアーをやるために一時帰国している。そして19日の福岡での公演を皮切りに何箇所かでコンサートを開くことになっていて、公演を前にして英気を養うために阿蘇に遊びにきたのである。今日は生憎の天気で美穂さんには阿蘇の素晴らしさが十分に伝わらなかったかもしれない、薫ちゃんとAlgyは以前まだ結婚前に我が家に泊ったことがある(2002/8/14)。あの時はカミサンが出産直前で実家に帰っていて居なかった(娘は約一週間後に生まれている、日記とは面白いものである)。カミサンと娘は初対面になる。
歓談をしながら夕餉を囲み、最後にAlgyがピアノを弾いてくれて、楽しいひと時はお開きになり、8時過ぎ福岡に帰っていった。
今日も閉館前にプールに行くつもりだったが、さすがに今夜は満腹、休んだ。
平成18年9月8日(金)
曇り。
婆様の経過は順調で、本人は明日にでも退院したいようなことを言っている(が、まあ順調に行って週明けだろう)。
入れ替わるように今度は娘が熱を出した。風邪である、二三日前から鼻をグスグス言わせていたがとうとう引いていしまった。朝37度あり、咳が止まらないので保育園を休ませて、古閑医院に連れて行った。行く前に娘がネプライザーをやりたいと言っていたので、先生に言ってみたら、確かに喘息の症状があるということで、娘の希望通りネプライザーをかけてもらった。娘は婆様がやっているし、親戚の大路ちゃんがやっているので、前回は嫌がったがやりたかったのだろう。最初は大人しく吸入していたが、最後の方になってやめてしまった、聞いていみると、変な味がするので嫌だというのである、最後の方が無駄になってしまった。
投薬を受けて一旦帰ったが、午後になっても咳きも止まらず嘔吐して、キツイキツイを連発するので、再度連れていったところ、喘息のゼイゼイはとれているそうで、あとは解熱剤が効くまで待ちましょうということで、帰ってきた。今回は朝も昼も晩も全く食べ物を摂らないので少し心配である。8時過ぎには寝たが、咳は止まっている、熱は38度3分あった、一晩寝て熱が下がることを願うばかりである。
カミサンが仕事を終えて帰ってきたのでバトンタッチして、食後だと苦しいので、夕食前にひと泳ぎしに行った。ぶあい荘の主が水泳のビデオテープを送ってくれたので、出かける前にちょっとだけ見て、ヒントらしきものを掴んだ様な気がして、今晩はフォームを直すように努めた。今までと違う泳ぎ方をすると疲労の度合いが著しくて、いずれはその方が楽なのだろうが、今日は1000mがやっとだった。@100m×10本。
今度、菓心なかむらさんで、「漱石 二百十日饅頭」という名前の新作和菓子が売りに出され、日頃の誼?で頂戴した。夏目漱石の小説「二百十日」に因んで作られたそうで、一口大の饅頭、お世辞抜きで美味しい、パッケージがまた良い、ヒット商品になるだろう。阿蘇を舞台にした小説「二百十日」、わざわざ買ってまで、という人には、もう著作権の保護期間が切れているのでインターネットで自由に読むことができる。
平成18年9月7日(木)
曇り。
カミサンは今日熊本市内に仕事で出かけたが、昨日の今日なので、駅まで自転車で行って、汽車で出かけていった。
娘が、おばあちゃんのところに行きたい、と言うので、保育園に行く前に病院に寄っていった。小生が知恵を付けたわけでは全く無いが、お花を摘んで新聞にくるんで持っていくと言い出したので、庭先のコスモスなどを新聞でくるんで持っていった。何かで知識を仕込んだらしくて、花を新聞でくるむのがミソらしい。急のことなので、空き瓶を花瓶代わりに持っていって花を生けてやったが、婆様は甚く喜んでいた。
保育園の帰りにも、また寄りたいと言うので、また立ち寄った。帰ってから、娘は「おばあちゃん、おらんと、さびしいねえ」を幾度となく繰り返していたが、確かにいつもいる人間が居ないとそういう気持ちにもなる。
保育園や病院や、その他の施設も皆、車で10分もあれば行ける所ばかりなので頗る便利なのだ。
我が家の狭い田の稲刈りも今日終わって、これで我が家を取り巻く田の刈り入れは全部終わったことになる。ただ我が家の周りが早いだけで、まだ大部分の田の稲刈りはこれからである。
正午ごろ、プールへ。本日@1500m×1本。
平成18年9月6日(水)
本日も小雨模様で終始する。
畏き辺りの慶事に合わせて(と言うより後先で言えば、当方のほうが先ではあるが)本日はカミサンの誕生日である。その程度の記述で今日は終わる予定が、盛りだくさんの内容になってしまった。
婆様の緊急入院。緊急というと大変そうだが、いわゆる「想定外」というやつである。今日も昨日に引き続いて、点滴を打ちに行ったのだが、本人は今日打ったらお仕舞いのつもりで居たようだが、ラッセルが取れないので、入院したほうが良いだろうという事になたのである。と言うのは、点滴の薬剤を増やすと高齢なので心配だから、それよりは朝・昼・晩吸入をしたほうが安全なので、入院しなさいということになったのである。本人ももう何度も入院しているし、看護師さんなど顔見知りも多いので、かえってそのほうが良いだろうと思う。まあ数日間の心積りで居る。気管支喘息の発作ということである。本人は極めて元気である(そういうわけで、大したことはないので週末ご来訪予定のお客人がた、どうぞご予定通りにおいでください)。
その電話の直後、今度は、カミサンから「交通事故を起こしたあ」と電話が入る。国道からショートカットで田んぼを突っ切って村に入ってくる小道の角にある吉田さんの塀を壊したというのである。行ってみると、熊本方面から来て、左折してその道に入る際に大回りして回りきれずに車の左前部(右前部ではなく)を進行方向右側にある吉田さんの塀にぶつけたというのである。どう走ったらそうなるのか信じられん!!!大バカ者である。(写真1・写真2・写真3)
吉田さんにお詫びをしたり、保険会社に連絡をとったり、警察に電話をしたりでおおわらわ。警察も人身事故にならなくて良かったね、一歩間違えば大事故になるところだった、と言っていた。長年ペーパードライバーでゴールド免許だったのが、此処に住むようになってから運転が必需になり、決死の形相で運転を再開して、最近はようやく慣れて来たところだった、と同時に初心を忘れてそろそろ気が緩む頃だったので、損害を与えた先方には申し訳ないが、彼女には丁度良い薬になったと思う。
任意保険には入っているので相手方への補償は大丈夫だが、車両保険に入っていなかったので、こりゃあ修理費が大変だと、北部ボディーの竜一さんの所に持ち込んで、タイヤに触れているボディーの一部分を引き離してもらって取りあえず走れるようにしてもらって帰ってきたところ、思い違いで車両保険に入っていたことがわかりこれも一安心した(自損事故は自己責任で、自分は絶対に自損事故は起こさないと、新車時代に付保していたその部分の保険をその後、外したとばかり思い込んでいた)。
小生、運良く、免許取得以来40年以上無事故無違反(無検挙が正解か)で来られて、警察や保険会社の世話になったことがないので、手続きなど右往左往の一日だった。
今日は来週の保育園の運動会に備えて親子遊戯の練習と園庭の草取りの奉仕作業があり、カミサンは夕方あたふたと出かけていった。
かくて忙しい一日が終わり、今日はカミサンは誕生日なので小生が家族の夕食を作り、菓心中村さんで作ってもらったバースデーケーキでカミサンの誕生日を祝おうとしたが、面目無いので自粛したいというカミサンの申し出でもあり、ローソク吹き消しは中止となった。
夜8時過ぎ、プールに出かけた。この時間帯はプールも温泉も結構混んでいる。本日@500m×2本。
平成18年9月5日(火)
小雨模様の一日。
婆様、大阿蘇病院へ定期通院でのつもりで出かけたが、受診の結果ラッセルがあるということで急遽点滴を打つことになった、本人はあまり自覚症状が無かったようだが、婆様の歳になると肺炎が怖いので、病院も非常に気を遣ってくれている。三時前に点滴終了。
小生は昼時を狙って、プールへ。広いプールを小生ともう一人だけ、今日あたりから急に水温が高くなったようだ、外気温が下がったから水温が高く感じるのか、あるいは外気温が下がったから今まで以上に水温を上げたのか、どちらだろう。本日マイペースで@1500m×1本。
平成18年9月4日(月)
曇り。
婆様、デイケア。
プール休館日、終日「曇読」。
我が家を取り巻く田圃の稲刈りが急ピッチで進んでいる。志賀さんのコンバインの長閑なエンジン音が終日響いていた。
平成18年9月3日(日)
曇り。
朝、上村さんから、中通のK牧場(写真1・写真2)で木を伐るから取りにおいでと電話を頂戴する。中通は阿蘇谷の中だけだと思ったら外輪山の上、南小国の境界まで中通だそうで驚く。
K牧場の中に湿原があって、希少植物の保護のためにそこの木を伐ることになったそうで、ストーブにはお誂え向きの落葉広葉樹があるからとのことであった。
ちょうどそろそろストーブだなと思っているところに薪材の連絡が入った訳である。午前と午後、二往復してコナラを積んで来た。まだありそうなのでまた出かける機会があるだろう。色々な人との関わりで、道路を走っているだけでは分からない阿蘇の奥深さを知ることが出来る。
昼には、親子で旧畜協の跡地で開かれたモーモーフェスタに出かけてバーベキューを楽しんだ。牛や馬の品評会を中心に色々なイベントがあり、各種出店があり、小動物たちと遊んだり、金魚すくいをしたり、馬車に乗ったりと、畜産農村のお祭りである。
モーモーフェスタ連続写真
いよいよ阿蘇谷も稲刈りの時期を迎えた。我が家の周辺でも稲刈りが始まった、去年より少し早い感じだ。去年も今頃は台風でオロオロしていた、幸いに今年は台風の被害が無いまま稲刈りが出来そうである、台風12号も予想通り日本列島直前にして大きくスライスしそうだ。
今日は十分に体を動かしてヘトヘトたが、日課なので夕食前にひと泳ぎしに出かけた。本日1500m、但し@500m×2本、@100m×3本、@200m×1本。
平成18年9月2日(土)
晴れ。
家族で熊本市の船場橋の近くに所用で出かけた。船場橋は「あんたがたどこさ、せんばさ、せんばやまにはなぬきがおってさ・・・」の船場橋である。肝心の橋を写真に収めるのを忘れて、市電の電停とそこにある狸の像の写真を撮った。(写真1・写真2)
夕方、プールへ出かける。@1000m×1本、@500m×1本。今日は土曜日の上に、コースのいくつかが貸切になっていて、一般用のコースが少なかったこともあり、小生が泳ぐコースも二三人の人が泳いだり歩いたりしていたので、泳ぐペースをコントロールする必要があり、息が上がってしまって1500m一気に泳ぎ通すことが出来なかった。
どちらも危なっかしいので今まで婆様と娘が風呂に一緒に入る場面が無かったが、今日偶然にその機会があったので、写真を一枚パチリ。
ハリケーンから台風に名前を変えたとてつもなく大きな台風12号が不気味に日本を窺っている、今とのところ九州は大丈夫そうで、関東地方に向かっているようにもみえるが、なんとなく日本列島に到達する前に右に曲がって太平洋を北上しそうな気がする、希望的観測か。
平成18年9月1日(金)
雨も朝のうちに上がり久し振りに良い天気になった。めっきり秋めいて朝なんか肌寒くさえ感じた。
昼時、プールへ、@1500m×1本。
昼から、ちょっとした大工仕事。婆様のリクライニング式の座椅子が低くて立ち上がるときに大変だというので、座椅子の下に台をこしらえた、やっつけ仕事である。
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