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平成18丙戌(2006)年10月の記録(新しい日付けの順)
平成18年10月31日(火)
深い霧で夜が明けた、当然雲海が出ていただろう。覚えているだろうか、寺内さんが建設途中の我が家をはるばる訪ねてくれたのも2001年、5年前の今日だった。あの時も雲海が見事だった。
午前中、畑の西側の境界付近の草刈りをする、ジャングルのように蔦状の草が蔓延っていて難渋した。丁度今朝のニュースで、雑草アレチウリのことが流れていた、これだろう。
本日プール、1500m。
平成18年10月30日(月)
晴れ。今朝の我が家の庭先の最低気温、阿蘇乙姫の観測地点での最低気温は4.4℃だったらしい、こんな朝は風も無くかえって気持ちが良い。
婆様、デイケア。プール休館日。
今、サトイモが美味しい(が今年は作らなかった)、最近は色々と自分で料理をしてしまう。今日はサトイモとイカの煮物を作った、ついでに衣被ぎ。先日は、サトイモと大根の煮物。また大きなカンパチを一匹料理した。三枚に下ろして、頭などは大根とあら煮、そして御作り、昆布しめ。旨いものを食いたいがカミサンと世代が違うし好みも違う、育ってきたそれぞれの家庭の食文化がまた違う、それなら自分で作ったほうが手っ取り早いとばかりに「男の料理」である。自分で食いたいものは何でも作る。料理なんてものは「サ・シ・ス・セ・ソ」を、旨いものを食いたいなあという一念(これが一番大切である)で適当に組み合わせて味付けをすればオーケーである。最近は昔食った物を思い出しては何でも作る。味噌汁がまたなかなかのものである。
平成18年10月29日(日)
穏やかで長閑な秋の一日であった。
カミサンと娘が、カライモの収穫をする。いつも沢山作り過ぎては食べきれないで腐らせるので、今年は数株だけ作った。(写真1・写真2・写真3・写真4)
その後で、ご近所から頂戴したキャベツの苗を畑の隅のほうを畝立てして定植していた。
本日、プール1500m
平成18年10月28日(土)
晴れ。ようや咳と痰が収まったようなのでプールに行った。ずいぶん久しぶりになる、9月24日に泳いで以来である。
ブランクがあるのでどうかなと思ったが、最初水に入った時にちょっとしっくり行かないなとは感じたものの、直ぐに馴れて、1500mを難なく泳いだ。一ヶ月のブランクは体力にはあまり影響は無かったようだ。
夕方、菊陽まで車検上がりの軽トラックを受け取りに行く。
平成18年10月27日(金)
晴れ。
今日妹が豊田に帰って行った(写真1・写真2)、軽トラを車検に出すついでに空港まで送る。
昨日の羽虫、今日は数が激減したがそれでもまだ沢山舞っていた。近くに県のある機関があって満更こういったこととも無関係であるまいと数匹を採集して持ち込んだ。害虫では無いとみえて、直ぐにはわからないので、サンプルを預かって判ったら連絡をしてくれるそうである。
平成18年10月26日(木)
晴れ。
娘、元気に保育園復帰。
多分この季節だと思って、過去の記録を探してみた。やはりH14.10.31に書いている。羽虫の異常発生。吹雪のように向こうが見えなくなるくらい乱舞する、目も口も開けていられない。それでも窓を開けていても家の中には入ってこない、軒のあるところまでも入ってこない、刺しもしなければ皮膚炎が起きるわけでもない、一日二日で収まるがこれは一体なんという虫だろうか。(写真1・写真2)
「うんかの如く」という言葉があるので、ためしに広辞苑で引いてみた。
「うんか【浮塵子】カメムシ目ウンカ科の昆虫の総称。形はセミに似るが、はるかに小形。口吻で植物の汁を吸い、またウイルスを媒介する種類もある。後肢はよく発達し跳躍する。大群をなして移動することもある。農業害虫でいうウンカにはヨコバイ類を含めることがある。イネの大害虫。こぬかむし。さねもりむし。糠蠅ぬかばえ。蝗いなむし。」
これには該当しないと思う、強いて言えば、この中のヨコバイ類だろうか、それでも、もう田んぼも終わっているので農業害虫にはあたらないだろう、そもそも田んぼのど真ん中地帯には飛んでいなかった、このあたりの山裾の一帯、保育園の庭でも飛んでいた、誰か知らないだろうか。
平成18年10月25日(水)
晴れ。雲が多かったが久しぶりに透明な秋空が見えた。(写真1・写真2・写真3)
娘、こんなに元気なら保育園にやればよかったと思うくらい復調している、明日は登園できそうだ。
午後、TOMUさんご夫妻とNAKA夫人がおみえになる。TOMUさんの新居の工事がいよいよ始まり、今回は「遣り方」のための来熊だそうだ。そしてこの掲示板でお近づきになり、TOMUさんが移住されると文字通りご近所同士になられるNAKAさんとは今回が初対面になるそうで、休日明けで門司に帰られたNAKAさんは夫人が阿蘇での滞在を延ばして今日TOMUさんご夫妻と無事初顔合わせをなさったそうである、いわゆる「友達の輪」というやつだ、どんどん広がっていく。
平成18年10月24日(火)
曇り。昨夜も一雨あったと見えて夜が明けると周辺が濡れていた、終日曇り空で、雲が阿蘇山の上半分を隠した状態で終始した。
二三日前から風邪の前駆症状を見せていた娘、とうとう本格的に風邪を引いたようで、保育園を休ませて古閑医院に連れてゆく。熱は大したこと無いし、ゼイゼイも殆んど無いようなので、いつものように薬を貰って帰ろうとしたら、娘がどうもそれでは不満らしい、理由を聞いてい見ると、小さな声で「ネブライザー・・・」。先生に相談すると、やったほうが楽にはなるのでそれではやるか?ということで、ネブライザーをやってもらって帰ってきた。ネブライザー・フリークだ。
夕方になって、本当はまだ全く必要が無いのだが、どうもなんとなくうそ寒いので、今シーズン初めてストーブを焚く。やはり暖かくて気持ちが和む。しばらくの間は、焚いたり焚かなかったの繰り返しだろうが、いずれにしても今日がこれから半年以上の長きに亘るストーブ生活のスタートである。
平成18年10月23日(月)
曇り。明け方には上がっていたが、昨夜、久しぶりに雨が降り、阿蘇の大地もしっとりと潤っていた。
昼から昨日に引き続いて薪つくりをした。
婆様、妹の滞在中はデイケアを休む。
平成18年10月22日(日)
曇り。少し雨が予想されたので、昨日作って収納しきれずに放置してあったた薪を薪小屋に収納した。夕方になってほんの少し車のウインドウが濡れていたから降ったのだろうか・・・
夕方、妹が豊田市から婆様の顔を見にやってきた、数日滞在する。
(お米ばあさんことばってん荒川さん死去、享年69)
平成18年10月21日(土)
晴れ。朝5時前にオリオン座流星群を観察する。昨日の天気予報の時間にこのことを言っていたのを思い出して、外に出てみた。数は多くなかったが満天の星空のなかを時々思い出したようにスーッと星が流れる。人工衛星がゆっくりと天空を横切っていくその近くでもスーッと星が流れた、なかなかのものであった。数年前、家を建てている時に仮小屋で寝泊りしていたが、夜中に時々、用足しに小屋の外にでて寒さに震えながら星空の美しさに感動したことを覚えているが、家が完成して、真夜中に外に出ることも無く、しみじみ星空を見る機会も無くなった、久しぶりにその頃のことを思い出した。あの頃は獅子座流星群を大地に寝転がって見たことも思い出して、遡ってみた、平成13年(2001年)11月19日のことだった。
今日は腰を入れて薪作りに専念した。澄み渡った秋空を切り裂くように百舌の声が響き、いつのまにかジョウビタキが薪割の近くでカチカチという嘴の音をさせる季節になっていた。ジョウビタキは冬の間、割った薪の間の虫を食べようと、薪割りをしていると必ず近くに寄ってくるのだ。この鳥、あまり人を恐れずに一メートルくらい平気で近づいてくる。
夜。近所の隆一さんが訪ねてきた。こちらから願い事があって声をかけたところ彼のほうから訪ねてきてくれたのだ。用件は、クランクアップ・タワーの運搬である。隆一さんは喜樂園という造園業を営んでいて色々な重機を持っているので、こういうときには迷わず相談するのである。
平成18年10月20日(金)
曇り。
午前九時から西虎屋のおトネさんの二逮夜(*)の法要が浄行寺で故人を偲んで静かに営まれた。告別式に伺えなかったので、お参りをさせていただいた。
午後から、チェンソーを使って薪を少し本格的に作り、昨日整備した小屋に積んだ。正確に言うと、積むというほど大量には作っていない、体が鈍って長時間作業がキツイ。作業中、文字通りパラパラと雨が降ってきたが直ぐに止んだ。
(*)阿蘇坊主どのからメールで、
「正しくは二七日(ふたなぬか)忌の逮夜法要と言います、二七日忌の前の日の午後に勤まる法要です。」
とのこと。
平成18年10月19日(木)
晴れ。そろそろ少し雲が出始めたか。それにしても、今朝は6℃近くまで気温が下がったが昼間は暑いくらいだった。炎天下で作業をするとタマラン。
婆様デイケア。
薪置き場の整備をする、床に新しい竹を敷く。(この程度の作業は仕事をするフリをするというレベルである)
パジェロのモービル機のアンテナ基台よりアースを取る。ボディーにアースを取るのは場所探しに苦労する、車内の窓の上の把手(つり革の役目をするもの)を止めている螺子から無理やり取る。144のアンテナ長が1/4λなので、アースが必要であったにも拘わらず、今までアースを取っていなかった、故障したのもそのせいか。
平成18年10月18日(水)
晴れ、穏やかな日が続く。
今、セイタカアワダチソウが美しい。都会で空き地などに咲いているのを見ると荒れ果てた印象を与えるが、本来の自然の中で群生しているのを見るとどうしてなかなか美しいものだ、秋の色である、見直した。バブル期に地上げなどをした空き地によく見られた、それまではあまり目立たなかったのだろうか、意外と日本に入ってきた歴史は古そうだ。
平成18年10月17日(火)
晴れ。
婆様、大阿蘇病院定期通院。
パジェロの車検済みのステッカーを大津まで受け取り行ったついでに、熊本市内某所まである物の検分に出かけた。そのあるもの、とは、クランク・アップタワーである。先日、山下OMが、売り物だけど只で貰えるよう了解をとりつけてきたから見に行って来いとのことだったので本日出かけたというわけである。
作業用のステージが付いた4段の立派なクランクアップタワーで、20メートルは優にありそうだ。その昔特注で作らせたものだそうで、若干の整備が必要だが、しっかり作ってある、小生には勿体無いくらいの代物だ。有り難く頂戴することにして、改めて後日ユニック付トラックで引き取る約束をして帰ってきた。
平成18年10月16日(月)
晴れ。しかし、昨日は遠来の客人を迎えるに相応しい雲海と晴天であったが、今日はまた一転して視界があまり良くない一日になった。
朝10時過ぎ、KK5さんご一家、赤水駅から次の目的地・南九州方面を指して阿蘇を後にされた。出発間際に駅から電話を頂戴した。
婆様、デイケア。
パジェロに搭載しているFMモービル機が故障して修理に出してあったが、戻ってきていたので取り付け作業をする、次々に故障する。それ以外は何もなし、久しぶりにのんびりする。
平成18年10月15日(日)
晴れ。朝起きてみると周囲が霧に包まれていたので、これは間違いなく雲海が出ていると思って、昨夜から内牧の角万に宿泊されているKK5さんに電話をして、大観峰に是非登ってご覧くださいとお勧めしたところ、早速皆さんで登られたと見えて、後から見事な雲海を見ることが出来たとお礼の電話を頂戴した。旅行中に阿蘇で雲海を見ることが出来る機会など然う然うあるものではないので、遠来のお客さんに阿蘇の雲海を紹介することが出来た良かった。
今日は午前中、阿蘇市主催の健康ウォーキングが阿蘇市の総合センターを基点にあった。保育園も参加している関係で我が家も毎年参加している。合併前の一の宮町が主催していた行事を今年から阿蘇市で主催した関係で、本来であれば参加対象者がぐっと増えるはずだが、逆に一の宮町時代より参加者が少なかったような気がする。参加対象が広がってかえってまとまりが無くなったのか、旧阿蘇町が割合を占める市としての関心が薄れたのか・・・・・
健康ウォーキング 連続写真 1/4 全10枚
健康ウォーキング 連続写真 2/4 全10枚
健康ウォーキング 連続写真 3/4 全10枚
健康ウォーキング 連続写真 4/4 全 9枚
健康ウォーキング写真(ご近所の麻理子さんから頂戴しました)写真1・写真2・写真3
今回のウォーキングの集合場所が、角萬の直ぐ近くにあり、カミサンは昨日所用でKK5さんご一家にお会いできなかったので、行きがけに、ホテルに寄って皆さんにご挨拶をしてから会場に行った。(写真1・写真2)
平成18年10月14日(土)
晴れ。煙霧、昨日よりは少しはマシだった。
一年ほど前から、インターネットの掲示板がご縁となって、旧知のような間柄になった茨城県は霞ヶ浦の畔にお住まいのKK5さんご一家が、九州旅行の途中、貴重な時間を割いてお寄りくださった。
お会いするのは勿論初めてだが、普段の掲示板での遣り取りや、以前送っていただいた写真などから、初めてのような気が全くせずに、午後も遅くなってからの短い時間だったが楽しいひと時を過ごさせていただいた。
もう日没が近かかったが、内牧のホテルに向かうKK5さんご一家を、娘を連れて仙酔峡まで先導して、通 (つう)好みの阿蘇を紹介して、後は、家族水入らずの邪魔をしないように、ご一家をそこに残して先に失礼した。
(写真1・写真2・写真3)
平成18年10月13日(金)
ここのところ大気が霞んで視界が悪い状態が続いているが、今朝の新聞に熊本県下で「煙霧」が観測されたと載っていて、煙霧は肉眼では見えないごく小さな乾いた粒子が大気中に浮遊した状態を言い、風が弱く湿度が低い秋晴れの日に見られやすい、と説明があった。広辞苑によるとスモッグとあったが、確かにsmokeとfogの合成語だから日本語に直せば「煙霧」に違いない、以前、大気汚染で、よくスモッグ注意報という言葉が使われたが、じゃあこれは大気汚染かと思ったが、性質(たち)の悪い方は大都市圏で夏によく聞かれる「光化学スモッグ」だ。こうしてみると、晴天が続き風が無いのも考え物である。
今日は保育園の親子遠足だった、カミサンがついていった。
親子遠足連続写真
今年は玄関先の柿の木には全く実がつかなかった、見事と言って良いほど、ゼロだった。大体において今年は裏作のようだがそれにしても完全にゼロというのも珍しい、昨年驚くほど実のった反動だろうか、娘が、柿が生らんねえ、と寂しそうにしていたが、裏の柿の木にほんの申し訳程度に数個生っているに気がついて採ってやった。
JA6DI山下OM来訪、話の中で、先日鹿児島内之浦から打ち上げられたロケットが日ノ尾峠の上辺りを真っ直ぐ上がっていくのが此処からでも見えたそうである、これは凄い、次の機会に是非見たいものである。
平成18年10月12日(木)
晴れ、朝のうち霧が出て多分雲海が出ただろう、だが、ここ二三日モヤっていて見通しが非常に悪い。春霞という言葉は聞くが、秋霞と言う言葉は聞いたことがない、黄砂の季節でもないし、湿度が高いわけでもない、原因は何だろう。
婆様、デイケア。
今日は、家の周りの草とは言えないほど大きく成長した木のような草や竹を刈った。先日の茶毒蛾にやられた付近だったので、毒針がまだ付着しているだろうから、気をつけて刈り取った。
平成18年10月11日(水)
晴れ。
今朝の新聞(昨日は新聞休刊日だった)で、西虎屋のおトネさんが、8日に亡くなったことを知った(ここの地方紙「熊本日日新聞」には、県内の住民の訃報が(掲載を断らない限り)全員載る。それにより、我々は日頃、「あっ!誰々さんが亡くなった」ということを知る)。
おトネさんの母御と小生の亡祖母が従姉妹(小生の亡父とおトネさんとは又従兄妹)の関係だったので遠縁になる。今まで遠隔地に居たので普段の行き来は無く、独り暮らしで病院に出たり入ったりが多くて、こちらに来て一二度しかお会いしたことが無かった。葬儀の施主(姪御さん)の方とも面識が浅いこともあって、新聞に載るまで今回のことを知らなかった、今朝お尋ねしたところ、突然のこともあり、葬儀は内々で済ませたということだったので、次の逮夜にでも改めてお悔やみに伺うことにした。
以前、祖母の兄弟姉妹の名前や人数が分からないのでおトネさんにお尋ねした事があったが、高齢で、もうかなり記憶が怪しくなっていて、結局分からず仕舞いだったが、まだ他にも色々昔のことをお聞きしたかった、そのうちに、そのうちにと思っていたが、その機会はもう永遠に失われた。「西虎屋」とは、江戸時代に坂梨の宿場通りに虎屋と並んであった豪商で、今でも、(当時の商売とは無関係ながら)その屋号が立派に生きており、往時の繁栄を偲ばせる(江戸以降ではあるが)古い建物が残っていて、坂梨宿場通りのランドマークになっている。管トネ、享年91、合掌。
平成18年10月10日(火)
快晴が続く。
朝晩はめっきり冷え込む季節になったが、日中は屋外で作業をすると汗ばむほどである。
家の西側の竹やぶの間引きをする。
平成18年10月9日(月)体育の日、休日
阿蘇乙姫の最低気温4.6℃だった、波野地区では初霜を観測したようだ。それは好天を意味して、日中は風も無く気温も上がり素晴らしい秋空になった。
休日であるが、婆様はデイケアに行った。
正午前、久しぶりに防災無線がけたたましいサイレンで火災の発生を伝えた。我が家から数キロ真北に行った外輪山の麓、三野で山林火災(竹やぶ)が発生した、畑に出て見てみると一筋煙が昇っていたが、それも直ぐに鎮火した。(それで済んだと思っていたら、夕方のニュースで、この火事で77歳の女性が亡くなったそうだ)
先日届いた新米をコイン精米機に行って精米した。
(北朝鮮、核実験実施と発表)
平成18年10月8日(日)
今朝の最低気温は8℃くらいであった。日中は快晴、爽やかな秋空が広がった。
午前中、カミサンと娘を連れて大津まで車検の終わった車を受け取りに行く。三連休とあって、阿蘇方面の車で道路が渋滞していたので帰り道は、途中から57号線をはずれてミルクロードを通って帰った。久しぶりのミルクロードだったので、いつものアングルとはまた一味違う阿蘇の峰々が見事だった。
今日山を降りたときに気圧の変化で耳が聞こえにくくなった、普通の時であれば唾を飲み込めば治るが、今日はしばらくの間治らなかった、風邪を引いたときに飛行機に乗るとこういう症状が起きるが、やはりまだ風邪が完治していないのだろう。
昼から、畑の草刈りをした。カミサンは刈り払い機を使うのは初めてではないと思うが、今までは鎌で草刈りをしていたが、刈い払い機の効率の良さに改めて感動して、余程面白かったのだろう、一人で畑の半分以上を刈ってしまった。おかげで小生は娘の相手をして殆んどゆっくりして過ごした。ちょっと目を離すと動き回って危ない年頃になったので、どちらかが目を光らせておく必要があり、今日は小生がその役目を受け持った。
平成18年10月7日(土)
曇り。
従兄の健兄と哲兄が訪ねてくれる、健兄は同窓会と兄弟と会うために東京から。皆(小生も含めて)本当に歳をとった。昨年、今生の別れと言っていたが、今回もまた今生の別れと言って帰っていった。来年も・・・
平成18年10月6日(金)
朝のうち小雨、夕方から晴れる、午後から風が少し強くなる。
婆様、内牧の小野医院に、目薬を出してもらう。
昼過ぎ、プールの年間会員の継続手続のためアゼリアに行く、現在の期限は今月いっぱいあるのだが、個人で入会するよりグループで入るほうが遥かに安価なので、あるグループに入れてもらって手続きをした。別に脱法行為ではない、そのグループのメンバーは皆顔なじみの人たちばかりだから。
T雄さんとS義さんの両氏、夕刻、北前船にて蝦夷地をめざして勇躍博多に向けて発つ。
本日、仲秋、滝室坂の上に出ている満月を撮るも、いつもオートで撮るため、このような景色の撮り方が分からずピンボケになった。今晩は見事に晴れ上がり眩いばかりの月が輝いていた。
平成18年10月5日(木)
穏やかな曇り空が続いている。
婆様、デイケア。
小生、風邪がまだ完全に治っていないので家で大人しくしている。午前中、薪材の山に生い茂っている蔦などの草類を取り除く作業を少しする。
木村豆腐店の駐車場の舗装と看板の付け替え作業が始まり、ライブカメラで偶然その様子を捉えた。看板をカメラ側に近寄った場所に新たに作るそうだが、画面構成にどう影響するか少し気がかりではある。(写真1・写真2・写真3)
平成18年10月4日(水)
曇り。
娘、保育園復帰、小生のほうが回復が遅れている。
平成18年10月3日(火)
晴れ、雲少しあり。
午前中、パジェロの車検のため大津まで出かける。娘、快方に向かっているので同道させる。代車に乗って戻ってくる。
そば切り隊で食べた蕎麦が余程美味かったと見えて、蕎麦を食いたいと執拗にねだるので、昼食に打ってやる。彼女は世間のうどんだか蕎麦だか分からないような蕎麦を知らない、本物の蕎麦しか食べたことが無いのである。
正志さんから今日稲刈りが終わった豆札共有田の米を届けてもらう、今年は二俵半(150キロ)購入した。共有田と言っても無料ではない、我が家は米作りに関しては全く何もしていないので、相応の支払いをする。それでも市場価格よりは遥かに安価である。
平成18年10月2日(月)
曇り。
婆様デイケア。
娘、三四日前から咳をしていたが、今朝方からそれがひどくなってきたので、保育園を休ませて古閑医院に連れてゆく。いつもの風邪のようである、今のところ熱は無い。一方小生、まだ喉の痛みが少し残っている。
夕方、6時を過ぎてから、娘が(呼吸が)苦しいと言う。言うほどではないと思ったが、夜になってもっとひどくなると困るので、古閑医院に電話をして、もう閉まっていたがお願いをしてネブライザーをしてもらい、喘息の薬も出してもらった、時間外に診てもらって本当に助かった。
平成18年10月1日(日)
小雨模様の一日。
そば切り隊最終日、好評のうちに終了。
そば切り隊出場連続写真 1/3(全10枚) 9/30及び10/1両日分一括掲載
そば切り隊出場連続写真 1/3(全11枚) 9/30及び10/1両日分一括掲載
そば切り隊出場連続写真 1/3(全10枚) 9/30及び10/1両日分一括掲載
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