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平成18丙戌(2006)年12月の記録(新しい日付けの順)
平成18年12月31日(日)
平成18年の大団円である、今日もぐっと冷え込んで日中は穏やかに晴れた。
何もしないはずだったが、結局、いつもの我が家流の正月料理を作ることにして、玄関先などの掃除の合間に、婆様が動けないので、主に口だけ動かしてもらって小生が先手(さきて)となって、切ったり、剥いたり、煮たり、焼いたりと大急がしの一日になった。その合間に蕎麦を打って阿蘇滞在中の中さんに届けた。今年最後の蕎麦の出来は、あまり上出来とは言えなかった。
昼過ぎに、従兄の哲兄が伸兄と一緒に立ち寄ってくれた、伸兄は最近体調を崩して入院をしていたが無事に退院したそうだ。
午後、阿蘇坊主殿が甘酒を届けてくださった、お寺の初詣客に振る舞うために仕込んだ甘酒だろう。
夜は、紅白馬鹿合戦など見ないで、二人でDVDで洋画を楽しみ一年を締めくくった。
兎にも角にもこの一年は「目出度さも中くらいなり」の一年であった。
平成18年12月30日(土)
この冬一番の冷え込みだった、朝起てみると、「凍て付く」という表現がピッタリの光景が広がっていた。屋外に置いた寒暖計が氷点下10℃近くを指していた。その分、日が上がると穏やかで気持ちの良い暖かい一日になった。
今度の正月は徹底的に何もしないと決めたので、実にノンビリと過ごした、それでも最低限の準備だけはと、若干の食材の仕入れにスーパーに出かけた。
平成18年12月29日(金)
昨夜から今朝にかけて雪がまとまって降るという予報だったが、朝になってみたら薄っすらと白くなる程度だった。だが午前中は雪交じりの風がとにかく冷たかった。昼頃から風も止み、柔らかな日差しが射しだした。
昨日あたりから喉が痛い、風邪を引いたか、しかし、喉が痛い段階で食い止めて寝込むようなことはしない。
やっとツエップ・アンテナの調整が上手くいった、7メガの両端で1.5、中間で1.1以下、随分と短くした。
本日プール休む。
平成18年12月28日(木)
西高東低の気圧配置、大陸から強い寒波が襲ってくるとのことで今夜から日本海側大雪になるそうだ、日本海側気候に準じるここ阿蘇も風雪注意報が出ている、今日一日冷たい風に混じって時折地吹雪的に雪が吹き付けていた、まだ量的には僅かだ、今夜がどうなるかであるが、ここは意外と積もらない。
そこで今日の作業予定の一番最初に、軽トラックのスタッドレスタイヤ履き替えを持ってきて、勇躍、床下からタイヤを引き出した。そして、愕然、そうだホイールが付いていなかったのだ、自分でジャッキアップして交換するつもりだったが、これじゃあ出来ない。早速ガソリンスタンドに電話してみたところ、今日は作業スケジュールが一杯で駄目だとのこと、そこで自動車板金が専門の竜一さんの北部ボディに電話してみたところやってくれるという、ものの一時間もしないで交換してくれた、この差だな。
優先順位二番目の作業。先日床を張り替えた薪置き場の屋根の支えが危なくなっていてかろうじて支えている状態、もし雪が積もったら重みで間違いなく倒壊する、そこで屋根を応急で補強をした、取りあえずはこれでもつだろう。
優先順位三番目、もう正月は何もしないぞと決めていたが、それでも最低限度のことはしないわけにはいかないだろうということで、スーパーに買出しに出かけた。
優先順位三番目、アンテナの調整、JTQの言うとおりエレメントの長さを調整したところ劇的に改善してきている、調整済みということだが、地上高や周囲の構造物で大きく変わるようだ、今の環境では驚くほど長すぎるということか、かなり短くしてようやく7の手前でSWRが1.5以下になり、7に少し入ると1.5くらいになったが真ん中あたりに合わせるにはもう少し調整する必要がありそうだ、あともう少しだが、とにかく風が強くて寒い、今日はここまで。
今日はプール休む。
平成18年12月27日(水)
曇り。
カミサンと娘が、千葉の実家に里帰りをした、カミサンの仕事が終わってからその足で発つたので、空港まで送っていったが、午後7時過ぎの便にギリギリ間に合って、慌ただしく帰っていった、数日間静かになる。
昼、プールへ。本日@2,000m×1本。
平成18年12月26日(火)
ひどい降りではなかったもののほぼ一日雨だった、夕方になってようやく上がって日没のときには空が茜色に染まっていた。
YさんのADSLの手続き終わる、1月10日に工事だそうだ。
年賀状を一気にやっつけた。
午後から、第二回目の白菜漬けをした。今年は白菜が安い、大きな玉が一つ100円也、消費者には有難いが・・・
昼、プールへ。本日@1500m×1本、冬休みに入って、水泳の合宿が入っている。
平成18年12月25日(月)
曇り、時折霧のような雨が降って薄暗い一日だった。
今の時期は晴れても前に降った雨で濡れた薪材がなかなか乾かない、ようやく乾きそうになるとまた次の雨が降る。しばらく続いた晴天も下り坂でまた雨になるそうだから、今日午前中、薪割りに精を出した。
昼から、道楽のアンテナ張りをする。しばらく降ろしていたツエップアンテナ (7,21)をようやく張った。
夜、娘にせがまれてカミサン、メロンパンを作っていた。
平成18年12月24日(日)
今日も穏やかな一日であった。
薪小屋の床面の張替えをする、もう屋根も側面もガタガタで本当は張り替えなければならないのだが、これが結構大変な作業になるので、先送りとする。
年末を控えてカミサンが大掃除で窓拭きなどやっていたが、娘も手伝うと言って、手が届く範囲を拭いては、一人で悦に入っていた。
昨日、今までより高い場所にGPを移したのに、ウンともスンとも聞こえて来ないのでSWRを測ってみると5以上ある。また屋根に登ってGPを降ろしてみたところ、給電点側のNコネが抜けていた。Nコネは芯の部分だけしかハンダ付けしないので、よほど強くかしめないと芯だけ残して抜けてしまう、どうも昔からNコネの処理は苦手だ。ようやく1.5以下に下がる。
今宵はクリスマスイブ、一夜だけの耶蘇教徒。(写真1・写真2)
今日も忙しくてプールに行く時間がとれず(体力は十分に使ったの良しとする)。
平成18年12月23日(土)世が世なれば「天長節」である。
今日も穏やかに晴れる、朝方の気温氷点下5℃。
GPアンテナを屋根の天辺に揚げる、茅ヶ崎から寺さんに作業の様子が写っているライブカメラ画像をメールで送ってもらったが、画面が小さすぎて言われてみてようやく屋根の天辺に登っている姿が辛うじて分かるくらいだ。ここは九州の真ん中、標高も高いので、この程度のGPでも結構届くようだ。
豆札と馬場集落の子ども会のクリスマスパーティとやらで、午後から、娘、カミサンに連れられて出かける。
昨日から阿蘇入りのTOMUさんご夫妻、昼過ぎにお見えになる、いよいよ完成引渡しとか。
今日も結構忙しくてプールに行く時間がとれず。
平成18年12月22日(金)
一陽来復。穏やかに晴れる。
午前中、NTTへYさんのADSLの申し込みに行く。
今日は道楽の無線のアンテナ支柱を屋根の一番高いところに取り付ける。あとは現在屋根の勾配の途中にあるGP(144,430,1200)を移設するだけだが、今日設置した支柱には屋根に登って腹ばいになって身を乗り出しながらアンテナを恐る恐る取り付けることになるだろう。
冬至の日没(写真1・写真2)
ゆず湯を立てる。
時間がとれずプール休む。
平成18年12月21日(木)
くもり時々小雨。
婆様、デイケア。
本日プール1500mのみ。昨日血を抜いたせいか、それともプールの水温がいつもより低かったのか、泳いでいて一向に体が温まらないので早々に切り上げた。普段だと泳いでいると暑くなって水の中に居ながら汗をかき、喉が渇くのでプールの水を少し飲みながら泳ぐほどである(以前、息継ぎに失敗してガブッと水をのむことがあったが、それで腹を壊すことなどないから、飲んでも大丈夫だろうと最近は大量ではないが泳ぎなら喉が渇いたら適当に飲むようにしている)。
平成18年12月20日(水)
穏やかに晴れる。
午後、煙突掃除をする、シーズンに一度乃至二度は煤払いをする。今回より新兵器登場である、煙突の径よりすこし大きいワイヤーブラシに錘が付いたものを紐でぶら下げて煙突の天辺から下ろしていくと煤が、というよりはタール分だろうか、こびりついているものが掻き落とされる仕組みになっている。煙突の下部にスーパーのレジ袋でもぶら下げておけば自動的にその中に溜まる、至極簡単である。
夕方近く市役所駐車場に献血に行く、今回から従来の手帳式から磁気カードに切り替えられた。今回で25回目である、それほど高邁な思想で献血しているわけではない、まあ、少しはあるが、専ら健康診断が目的である。
昼、プールへ。本日@2000m×1本&ウォーキング500m。今日初めて66キロ台に突入した、66.9キロである。勿論瞬間値だろう、泳いだ後で空腹で水も飲まずに体重計に乗った時の値である、体内に排泄物もあまり残っていなかったのだろう。ダイエットで体重計に乗って一喜一憂している世のご婦人方の気持ちが良く分かる、結構体重計に乗るのが楽しみである。
午後7時前にふとカウンターを見て300,000件を超えているのに気がついた、だれかキリ番の人居ただろうか。結構いたずらでカウンターを叩いている人が居るみたいだが、とまれ300,000件である。
平成18年12月19日(火)
晴れ、この冬一番の冷え込み、寒暖計は氷点下5℃を示していた、景色はキリリと美しく、7時過ぎ、村ただ一人の小学坊主は元気に登校していった、そして藍より蒼き大空をヘリコプターの編隊が悠々と渡って征った。
午前中、婆様、大阿蘇病院定期通院。
夕方プールへ。本日@2000m×1本&ウォーキング500m。プールの後、保育園から娘を拾って帰る。
平成18年12月18日(月)
昨夜も少し降ったようで、起きてみたら白銀の世界が広がっていた。というほどの積雪量はなく、薄っすらと雪化粧した程度だったが風が強かったせいで庭の木々が霧氷のようになっていた。夕方、無風状態の空に中岳の噴煙が真っ直ぐ空に立ち昇っていた。この冬、平野部(といっても阿蘇谷だが)での積雪は今日が初めてだろうか。
カミサン二日寝込んで治ったとみえて今日は通常通り出勤した。
婆様、デイケア。
平成18年12月17日(日)
小雨、昼から小雪が舞い始め、時々地吹雪が舞い視界が遮られて夕方には山の上のほうがすっかり真っ白になっていた。今晩も降るようだ。
(写真1・写真2)
朝から、時々小雨の中、区役作業で田んぼの中を走る用水路の草刈り作業に参加する。この辺り一帯は初夏に蛍が飛び交うところだ。
昼から、坂梨のY口A雄さん宅にADSL導入の下調査に伺う。続いてKさん宅へも。
本日もプール休む。
平成18年12月16日(土)
曇り。
カミサン扁桃腺が痛いとかで寝込む。
本日プール休む。
平成18年12月15日(金)
晴れ、放射冷却で朝、深い霧が出て、霧が晴れた後は一日中穏やかな日だった。
ようやく部品が見つかり、通販で取り寄せた。ネット検索で考えられるキーワードをすべて使って使って検索したがどうしても見つからなかったが、それがひょんなことから見つかって、そのサイトで取り扱っている店を紹介してもらってようやく手に入れることが出来た。この部品名はトロ車というらしいが、トロ車といっても沢山の種類があってこのタイプはなかなか見つからなかった。これで一つのハードルを越えられた。
昼、プールへ。本日@2000m×1本&ウォーキング500m。
平成18年12月14日(木)
雨、静かに降り続く。
婆様デイケア。
昼、久しぶりにプールへ。本日@2000m×1本&ウォーキング500m。
昼飯をなごみ野で摂る。
娘近影1〜最近階段の下の狭い場所を確保して自分の勉強部屋と称して、電気スタンドを持ち込んで、時々なにやらやっている。特にこちらから教えたわけではないが、これは何て読むんだと聞いてくるので教えてやっていたら、粗方ひらがなを覚えてしまったようだ。
娘近影2〜本人は水遊びの延長だろう、最近食後の食器洗いを背が届かないので椅子にのてやっている、危なっかしいが、その間他のことが出来るのでカミサン結構助かっているようだ。
STANDARD VX-7
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平成18年12月13日(水)
朝起きた時にはもう降っていた、昨夜から降っていたのだろう、午前中一時強い雨と風、午後から曇りとなる。強い風でヤワなアンテナが危なそうだったので、雨の中登って降ろそうかどうしようかと少し気を揉んだが、なんとか降ろさずに済ませた。観測地点では6mの風だったそうだが、ここはもう少しあっただろう。
昼前、今回の滞在を終えて夕方東京に帰られるTOMUさんご夫妻が立ち寄られる。昨日からインターネット環境の可能性を探って東奔西走された由、とうとう市役所まで押しかけて強談判?市民課に直訴して、更には市長宛に投書をしてきたそうである(市長への手紙という制度がある)、なかなかやるなあ。
我が家を発たれる際に、我が家のシイタケとオマケに小生の漬けた白菜漬けを無理やり持って帰っていただいた。TOMUさんも賄い方をされるそうだから、シイタケをバター炒めしたやつにレモン醤油をかけて食べる方法を教えて差し上げた。
この時期になると、喪中につき年賀欠礼・・・の葉書が何枚も届く。年賀状よりこちらの葉書のほうが情報としては重い。ああ、亡くなったんだなと感じる場合と、えっ!と驚く場合とがある。宮川康さんが亡くなったそうだ。職場で同期だった、年齢も同じ、退職後は賀状を除いて音信は無かったが、少なからぬショックを覚える。好人物だった、囲碁が滅法強かった・・・・合掌。
今日は気が乗らなかったのでプールを休む。
平成18年12月12日(火)
曇り。
TOMU邸での無線LANの実地調査の結果、やはり無理だろうと言うことになったそうである。実地調査は機器を持ち込んで電界強度を測るか、実際に携帯端末でも使って送受信してみるのかと思ったが、目視だけの調査だったそうだ、まあプロの目は確かなのだろう、それにしても残念な結果である。
昼前、DI局が、氏から頂戴したホダ木がちゃんと育ってシイタケが生えているかアフターケアに見えた、立派に育っている現場をご覧に入れた。
本日、時間が無くてプールを休む。
平成18年12月11日(月)
晴れ。久しぶりに冷え込んで氷点下3度ちかくまで下がり、霜で一面真っ白になっていた。
婆様、デイケア。
昼前、TOMUさんご夫妻が見える。今新築中の家、同じ市内でありながら、ADSLもISDNも使えないことが分かってガッカリされていた。しかも隣近所でADSLを使っているお宅がありながら使えないという、聞いてみるとその一帯のADSL設備の数がもともと少なかったようで既に枠が一杯なのだそうだ、ADSLは光までのつなぎと考えていて今更増設の予定も無いという、かと言って光は阿蘇全市でもこれから先多分ずっと駄目だろう。ISDNは(その一帯は、途中の伝送線にファイバーが使ってあるから、だったかな)もともと駄目なんだそうだ、踏んだり蹴ったりである。
いまやインターネットは電気や水道と同じようなライフ・ラインであることを、キャリアもデベロッパーも、そして行政も分かっていない。特にデベロッパーは、これからインターネットも満足に出来ないような場所では商売にならないということを認識すべきだ。
そこで、あともう一つ考えられる手が残っていて、その可能性の調査を明日やることになっている。三セクでやっている無線LANである。ただこれも中継アンテナがちょっと遠くて、実際に実地調査をしてみないとわからないとうことで早速明日その調査をやってくれることになった、うまくいくことを願うばかりである。
平成18年12月10日(日)
久しぶりに晴れ間が見えた、気温は相変わらず高めである。
プールの帰りに、TOMU邸の進捗状況を見に寄ってみる、外観はもうすっかり出来上がっていて、屋内の造作工事が着々と進められていた。TOMUさんご夫妻も昨日から滞在中で、細かな指示をだしておいでだった、もう直ぐ完成である。
昼、プールへ。本日@2000m×1本&ウォーキング500m。
平成18年12月9日(土)
雨、静かに降り続く。
今日は娘の、「お楽しみ会」という保育園のクリスマスを兼ねた学芸会、カミサンが参観に出かける、小生来客があるかもしれなかったので留守番をする。
昼、プールへ。本日@2000m×1本&ウォーキング500m。
平成18年12月8日(金)
曇り。今日は12月8日だ・・・・・
いくつかの用事があり今日は熊本市内まで出かけた。Kデンと鶴屋百貨店と紀伊国屋書店と帰りがけにユニクロへ。ユニクロではジーンズを買う、ジーンズは小生のユニフォームで、年から年中穿いているので直ぐに穴が開く、今日は穴が開いた時の補修用に端切れを貰ってきた、自分でミシンを掛けるのだ。
Kデンではタワーの部品のことを問い合わせたが、結論としてやはり作らなければならないようだ。
今日は時間がとれずにプールを休む。
平成18年12月7日(木)
終日雨、風が無く静かに降り続く。
婆様デイケア。
「鮒寿司」、即ち「なれすし」の一種で、すしの元祖といわれ、塩と飯で長期間漬け込んで、飯を乳酸醗酵させて作る、この乳酸の酸味と臭気が強いため、人の好みが極端に分かれるそうで、一度その旨さを知ると病みつきになるという珍味中の珍味らしい。
昔、一度口にして、臭くてやめた記憶があるような無いような、あまり、記憶に残っておらず、機会があればそのうちに挑戦してみたいと思っていた。それがネットを検索していて偶然鮒寿司に行き当たって、勢いで注文、琵琶湖畔から取り寄せてしまった。先日、琵琶湖もバスなどの外来魚で昔からの魚がいなくなり、鮒寿司に一番適しているニゴロブナも漁獲高が激減して値段が高騰、昔の何倍かになったとか言っていた。確かに目ん玉が半分飛び出るくらい高かった、まあ鮒だから大体そんなものだろうと想像はしていたが、それでも実際に届いて値段と比較してその姿の小さいのに驚いた。
そして、いざ挑戦。
決して臭くなんて無かった、さっぱりとした乳酸の酸味で、癖があるといえばあるが、要は発酵食品、チーズが臭いからいやだと言う人には臭いかもしれないが、まあそんなものだ、娘も少し無理をしていたようだが旨いと言って二切れ三切れ食べた、カミサンは一切れでもういいと言った、婆様は遠慮したのかどうだか一切れでやめた。後は小生が有難く頂戴した。あれば喜んで食べるが、これから先、値段を考えると買ってまでして食べようとはしないだろう。
スウェーデンに鰊の塩漬けを醗酵させたシュール・ストレミング(だったかな)という缶詰があって、缶詰にした後も中で醗酵し続けて缶が膨張して、下手をすると爆発するらしい、その臭いがそれはまた強烈らしいが、怖いもの見たさ、食いたさで一度試してみたいという気がしないでもない。
昼、プールへ。本日@2000m×1本&ウォーキング500m。
平成18年12月6日(水)
晴れ。今朝も氷点下まで下がったが昨日ほどではなかった、日中も穏やかに晴れた。
午前中、婆様、内牧の温泉病院と小野眼科をハシゴ。数日前から喉が痛い、風邪ではないと言うので、内科でなくて耳鼻咽喉科に連れて行った。もう自然治癒に向かっているようで、少し炎症が残っているとのことでうがい薬だけ貰って、ついでに小野医院に寄って目薬を貰って帰ってくる。
田舎暮らしをしていると、ナイフは絶対的に必需品で、常にベルトからぶら下げている。大分前よりナイフのほかに缶切りやドライバーなどが付いている多機能のスイスアーミーナイフの皮ケースのベルト通しの部分の糸が解けてしまって困っていたが、聡雄さんが皮を使って作るバックの腕は玄人はだしで、というより既に玄人の域で、簡単に修理してくれたうえに化粧直しをして新品のようになって戻ってきた。これに味を占めて、もう一つ持っていて、これも布製のケースがボロボロになってしまったので、いつでも良いので時間があるときに皮で作ってくださいと頼んだところ、驚くことに一晩で立派なケースを作ってくれた。ネットでケースだけを探したのだが、なかなか無くて困り果てていたので本当に助かった。聡雄氏は皮革製品のほかにナイフメイキングのこれもプロ級の腕前を持っている、そして何よりも小生の蕎麦うちの師匠でもある。
昼、プールへ。本日@2000m×1本&ウォーキング500m。水に入って一掻きした瞬間、今日は少し水が(あるいは体が)重いなと感じたが、やはり50分を1分以上オーバーした。
平成18年12月5日(火)
晴れのち薄曇る。今朝もぐっと冷え込んで、起きた時に氷点下3度くらいを指していた(阿蘇乙姫の観測地点の最低気温は−4.6℃だったとのこと)。
スーパーの店頭で、美味しそうな渋柿を売っていたので、干し柿を作ることにした。皮剥きはリハビリになるので婆様にやってもらった。出来上がって軒先にブラ下げたがなんともアンバランスな並びである。皮もついでに干すことにした。実は先日葉子さんのお義母さんが漬けたタクアンが美味しくて、所望しておいたところ今日頂戴できたので、ついでにタクアンの漬け方も教えていただいたところ、柿の皮の干したものもあれば尚良いとのことだったので、近いうちに挑戦する際に今日干した柿の皮を使うことにする。
昼、プールへ。本日@2000m×1本&ウォーキング500m。今日初めて2000mを50分切った。
以下は、言わば、老人介護に関しての記述で、少々尾篭且つ生臭い話になるかもしれないので、現在老人介護問題に直面していなかったり、あるいは尾篭な話のお嫌いな向きは読まないほうが良いかも知れない。
「テキベン」という言葉がある、病院で聞いた言葉で、確認をしたわけではないが、多分「摘便」と書くのだろう。そう、便を摘出することである。
このことは本人の了解をとって書いている。婆様は高齢になってからよく秘結(早い話が便秘である)を起こす。だから緩下剤を処方してもらって呑んだりしている。しかし時々呑まなかったりして秘結して、浣腸をすることもある、ところが秘結が進むと浣腸くらいでは全く用を足さなくなってくる。そうすると病院に行って処置をしてもらう、それが「摘便」である。どうやるかというと、トイレで四つんばいになった被摘便者に、後ろから看護婦さんがゴム手袋をして、指を入れて便を掻き出すのである。この摘便、やはり本人には抵抗があるあるのだろう、あるいはその程度なら自分でも出来るということかもしれない、(多分、後者のウエイトの方が大きいだろう、とにかく昔の女は強い、ゴキブリでも平気で手で潰す)だから最近ではゴム手袋をして自ら摘便をする、小生から見ると驚異的ですらある、いやゴキブリの方でなくて摘便の方だ、いやいや両方だ。
ところが、先日、トイレに入った婆様がなかなか出てこないので、声を掛けると、摘便をしているけど硬くて掻き出せないと悲痛な声で応えてきた。指先では便が奥に入ってしまい、駄目だからと割り箸まで使って掻き出そうと必死であった、それでも駄目で助けてくれと言う。その時カミサンは留守だった。
どうしたら良い?と問うと、オマエがやってくれと言う。えっ?オレが?さすがにちょっと躊躇した。でも恥も外聞も無く異性である息子に頼むとはよくよくのことだったのだろう、腹を括るしかなかった。
あとから判ったことだが、トイレで力んで、それでも出ないので、さらに力んで、その結果毛細血管が破裂したのだろう、両腕に沢山内出血による痣が出来ていた、よくまあ脳出血を起こさなっかたものだとヒヤリとした、精も根も尽き果てて小生に助けを求めたのだろう、それほど、排便をするのに苦しんだのだろう、今だから笑い話で済ませることが出来るが・・・
而して、詳細は省くが、案ずるより産むが易し、いや、掻き出すは易し、それより、正に窮すれば通じるである、思ったより簡単に摘便が出来た、こういった時には母と息子という近親の問題や異性などといった一切の雑念は入らないもので、医者や看護婦になった崇高な気持ちで事に当たることができた、ここに「第一級摘便技術者」の誕生である(これは医療行為とは言わないだろうから書いているのだが・・・)、一アマに続いて一摘である。
今まで、近い将来、婆様が自分で用を足せなくなったり、寝たきりになった時には当然家に居る小生が主に世話をすることになり、またそのつもりでもいたが、どうしても「用を足す」ことに関しての介護の部分にちょっと抵抗が残っていた、その部分はどうしようかと、その部分の覚悟は実はペンディングだったのだ。
自宅で老人の介護をする時に一番抵抗がある部分と言えば、たぶん下の世話ではないだろうか、しかし今回のハプニングでこれからの覚悟がスンナリと出来た。以前職場の同僚が、長い間寝たきりの母親の体を拭いてやると言っていたが、その時、小生に出来るだろうかと自信がなかったが、これで大丈夫である。こういったことは須らく持ち回りだ、果たして小生の後は大丈夫なのだろうか。
平成18年12月4日(月)
晴れ。ラジオを聴いていたら、今日は熊本県下各地でこの冬一番の冷え込みだったそうで、熊本市内では初氷が観測され、阿蘇山頂では氷点下5度何分かだったそうだ。だが下界(阿蘇谷のこと、つまりこの辺り)では氷点下まで下がらなかった、我が家の周辺では氷も全く張っていなかった、不思議なことだ。日中も風も無く穏やかであった。
今日は薪を割った、これから短期間で天気が変わり、一度雨や雪が降ると夏場と違って薪材がなかなか乾かないので、晴天のときは薪割りに集中しなければならない。
婆様、デイケア。
本日、プール、休館日。そういえば、二三日前、話の中で、宿場會のウワバミの一人に、「月曜日は、キュウカンビ」と言ったら、迷わずに「休肝日」と解釈していた。
平成18年12月3日(日)
曇り。昨夜の予報ではこのあたりも雪になるかもしれないとのことだったが(ちょっとチラついたところもあったようだが)、結局降らなかった、娘は楽しみにしていたようだ、それでも山は薄っすらと白くなっていた。(写真)
そして、 ここのところの寒さで古閑の滝も上のほうが少し凍り始めた、いよいよ阿蘇の冬本番か。
昼過ぎ、小生がプールから帰るのと丁度入れ違いにNAKAさん御夫妻がお見えになったが帰られたとのことだったので、直ぐに携帯電話に連絡を入れて帰られる途中のご夫妻を捉まえてホット一息宿場ギャラリーの会場・工芸滝室にご案内して宿場會の気の置けない連中を紹介した。写真(左端が欠けてしまいましたゴメンナサイ)
NAKAさんが知り合いの書家から譲られたなかの一点に「風」という作品があったので、小生に丁度よいだろうということで届けてくださったのだ、玄関に置こうか、座右に飾ろうか。
夜、宿場會の忘年会が「阿蘇の四季」であった。(連続写真)
昼、プールへ。本日@2000m×1本&ウォーキング500m。
memo.te.ki.be.n.
平成18年12月2日(土)
曇り、一時小雨。
平成13年(2001年)、五年前の今日、我々家族は新天地、阿蘇のこの地に(少なくとも婆様と小生に関しては間違いないだろう)終の棲家を得た。
その時まで、小生の人生を何処で終えようかなどということなど、全く考えてもいなかった、それが山梨県白州町の仲間たち(N川 弘、M藤 隆)の暮らしを見ていて、決して大袈裟でなく突然雷に打たれたように小生の行き先が決まった、家族も全く異存は無かった。そうと決まれば長居は無用、それから一年くらいの間に向こうでの生活のすべてを整理してさっさと移住してしまった、優柔不断の小生にしては快挙であった。
あっという間の五年であった、婆様もここでこんなに長く生きようとは思っていなかったと言っている。毎日が充実していたからあっという間の五年だったのだろう、夜、家族でささやかに祝った。
宿場會主催の恒例、ホット一息坂梨宿場ギャラリーが「工芸滝室」「石村家具店」「なごみ野」を会場に今日と明日開かれている(宿場會のサイト参照)。
昼、プールへ。本日@2000m×1本&ウォーキング500m。
平成18年12月 1日(金)
一年の季節を四半期に分けると、今月から「冬」ということになる、今年も余すところあと一ヶ月、暦に合わせるかのように今朝はぐっと冷え込んで、寒暖計は氷点下3度くらいを指していた、蹲踞(実は石臼)にも薄氷が張っていた。その代わり日中は風も無く穏やかで暖かい一日になった。この時期太陽は丁度米塚の辺りに沈む、実景はもっとずっと明るいが太陽に露出を合わせたので、下界はもう暗くなって見える。
今日から師走、娘も保育園で餅つきがあったそうだ、そして、五年前の今日、我が一家(娘はまだ影も形も、いやもうその時は影はあったのかな、とにかく娘は未だ生まれていなかった)は新天地に向かう「移民船」の中にあった。
午後、ご近所から頂戴した白菜を漬け込んだ、粗塩に昆布に柚子に鷹の爪、塩加減なんてものはエイッ、ヤアである。今日漬けた分は年内に食ってしまい、年末にもう一度漬ける予定である。
昼、プールへ。本日@2000m×1本&ウォーキング500m。
memo. ko.h.mi.n.kan 150K ko.me 7k*5
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