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平成19丁亥(2007)年1月の記録(新しい日付けの順)

平成19年1月31日(水)

 晴れ。冷え込み緩む。

 婆様、点滴とネブライザーに通う。今日で一応打ち止め、明日はデイケアのお許しが出る。

 TOMUさんご夫妻は午前中に東京に帰られる。おーさんは今日一日阿蘇周辺を走り回ってから、夕方の便に乗るということだったので、阿蘇中心の予定を、やななみハイウエーを走り、長者原や由布岳までも楽勝ですよと勧めた。氏はマイカーがプリウスなので、ここでもレンタカーはプリウスで颯爽と走っていた。かんぽの宿を出発する時に、仙酔峡まで登ることを勧めた、そして仙酔峡から下りる来た頃を見計らって、婆様を病院に送った足でコンタクトをとって、H川さんの留守のお宅に案内する。H川さんは阿蘇を離れられて久しく、今の家を売りたいようなことだったので参考なればと思って様子を見に行ったのだ。H川邸はE社仲介の看板が出ていたので、先を急ぐおーさに代わってE社に行って、詳細資料を送ってもらうようにした。


平成19年1月30日(火)

 気持ちよく晴れ上がる。昨夜低温注意報が出されていたが、今朝の最低気温は氷点下6℃くらいだった。

 本日も、婆様、点滴とネブライザーに行く、どうやら明日までらしい。

 ネットでは旧知のおーさんがはるばる千葉から阿蘇に来られた、移住の候補地の調査だそうで、北海道と阿蘇の二つのうちどちらにするかと候補を絞られてご検討中だとか。阿蘇はTOMU邸のある仙酔峡の麓の素晴らしいロケーションのところだ。さてどちらになるやら、一生の買い物だから慎重に、とだけしか申し上げられないが、阿蘇は良いところですよ。
 午後からおーさんがTOMUさんご夫妻とお見えになって、一旦帰られて、夜、また独りで見えられた。不思議なもので、ネットで文字だけの遣り取りだが、お互いに写真を見ているせいか、全く初対面の気がせず、大いに話が弾んだ。
-有朋自遠方来不亦楽乎-

平成19年1月29日(月)

 晴れ。明け方、氷点下4℃。

 今日も、婆様、点滴とネブライザーのために通院する。

 TOMUさんご夫妻、二日ほど前から新築なった阿蘇の家に滞在中とのこと、インターネットの設定で苦戦しているとの電話があったのでサポートにお邪魔する。

 地元の電話局での交渉でTOMUさんの住む一帯はADSL回線の敷設は無理だとのことだったが、熊本の本局だかどこかに直接掛け合ってADSLが引けたとのこと、執念とその行動力に感服するが、具体的にどのような手順を踏んだのか、今度良く聞いてみようと思う、その方法を使えば、駄目だと言われれている一帯でADSLが使えることになり、それがネックで移住を断念した人も移住することが出来る。伺ってみて確かにADSLがちゃんと引けていて、無事にセッティングが終わる。今回のこと、氏に特別のコネがあるわけではない。

 「エレキジャック」という面白い雑誌が発行された、月刊ではなさそうだが今後定期的に発行されるようだ、非常に興味深い記事が満載だが、工作するには時間が足りない、でも楽しい。

 今晩は、精進揚げを作る、ナス、カボチャ、人参とゴボウのかき揚げ、タマネギ、レンコンのすり身、ジャガイモ、エビ。普通、サツマイモの天ぷらは良く聞くが、小生はジャガイモの天ぷらが好きである、あまり他所ではやらないようだが。また、レンコンはすって団子状にして揚げると、不思議な食感と味に変身する不思議な食べ物である。たっぷり揚げたので二三日楽しめる。

 今晩、低温注意報が出されている。



平成19年1月28日(日)

 晴れ。

 阿蘇市議会議員選挙の投票日、午前中、坂梨公民館に投票に行く。カミサンが娘を連れて先行して出かけた後、追いかけて馬場公民館に行ってみた所、投票所は坂梨公民館と掲示してあり、入場券にもそのことが書いてあった。町村合併で投票所が統廃合されたのをすっかり忘れていた。坂梨公民館での投票は今回が初めてだと思って、帰ってから念のために調べたら、昨年9月の衆議院議員選挙時に坂梨公民館でやっている、記憶とはいい加減なものである。婆様は昨日、病院の帰りに市役所で期日前投票を済ませた。

 2005年の町村合併の際に、定数を減らして議員選挙すべきところを、お手盛りで全議員がそのまま残っていたが、今回の選挙でようやく議員の定数が減ることとなった。

 夕方近くに、阿蘇地方に大雪注意報が出された、今夜から明日にかけて大雪が降るそうだが、全くその雰囲気は見られない。


平成19年1月27日(土)

 曇り。

 婆様、休診日の大阿蘇病院に点滴を打ちに行く。点滴などの処置が必要な患者には休診日でも当直の看護婦さんが面倒をみてくれるようになっていて、午前10時過ぎから、午後3時前までかかって、点滴2本とネブライザーをやってもらって帰ってきた。点滴はとにかく時間がかかるものである。

 病院からの帰り道、市役所に寄って、婆様だけ、明日投票日の市議会議員選挙の期日前投票を済ませた。期日前投票所という所には今回初めて行ってみたが、結構、入れ替わり立ち代り投票に訪れる人が多くて盛況だった。市役所内に設けらた投票所のセットや投票の方式は投票日のそれと全く同じである。別に期日前に投票する理由も全く訊かれない、昔の不在者投票とその趣を全く異にする。


平成19年1月26日(金)

 朝のうち曇り、昼頃から雨が降り始め、一時強風と強い雨になった。丁度設置したばかりの気象観測装置が、初めての雨量と最大瞬間風速12.4m/秒を記録した。

 婆様、今日も大蘇病院に行って点滴2本とネブライザーをかけて、薬を貰ってきた。処方箋を見ると風邪を引いたようだ、本人は元気である。

 昼、プールへ、本日2000m。


平成19年1月25日(木)

 うす曇り。

 婆様デイケア。

 デイケアで留守中の婆様の部屋に、新たに手摺りを取り付ける。いままで室内は箪笥などを伝い歩きしていたが、しっかりと掴む物があったほうが良いので付ける事にしたのだ。

 その婆様、いつもなら夕方デイケアから戻ってくる時間、本人が病院から電話をしてきて、ちょっと具合が悪くなったので、病院のほうに回って診てもらった、迎えに来いとのこと。あわてて駆けつけると、ちょっと喘息の発作が出たようでネブライザーをかけてもらって落ち着いたそうだ、その足で保育園に回って娘を拾って一緒に帰ってきた。

 昼、プールへ、本日2000m。


平成19年1月24日(水)

 曇り、気温が高くて妙な気候である。

 午前中金魚の入った水槽の掃除をする。長い間掃除をしていなかったのでヘドロの堆積であった。金魚の水槽でなくて、金魚の入った水槽と書いたのは、もともとメダカのために用意した水槽で、今も二匹だけメダカがいるが、二三年ほど前、夜店の金魚すくいで貰ってきた金魚を入れておいたところ、その中のリュウキンという種類だそうだが異常に大きくなって、ほとんど水槽を占拠した状態である。他にも今年同じように娘が金魚すくいで貰ってきた金魚が見る見るうちに成長している(缶ビールは大きさの比較用である)、小生はメダカが好きなのだが・・・・

 昼、プールへ、本日2000m。

 冬至から一月あまり、太陽がだいぶ北に沈むようになった。


平成19年1月23日(火)

 曇り(ん?晴れだったかな、今日のことなのにもう記憶が怪しい)。

 最近、婆様の運動能力の減退が著しいので、市の包括支援センターのM垣さんが等級変更の申請手続きのためにみえる。現在要支援1であるが、デイケアセンターの方で、要支援2と同じサービスを提供してくれている、今回の申請で、一ランク上がると通常のサービスとして現在のケアが受けられることになるそうだ。

 JA6DI局経由で知り合いのOMさんが手放された50メガのリグを入手する、TS-600というオールドマシンで、アナログのVFOでチューニングする。今まで50メガだけ持っていなかったので、これで一応全部出られるようになった、アンテナは未だ無い。

 昼、プールへ、本日2000m。


平成19年1月22日(月)

 今朝も氷点下、日中気温上がる。

 婆様デイケア。

 婆様のベッド用テーブル完成する、例によってやっつけ仕事でホームセンターのシール貼ったまま、これで一応ベッドから降りないでテレビを見たり、場合によっては飯も食える。まだイイよと言っているので、そのうちに使えばよい。と思ったところ、早速使っている。この台のミソは、車が付いていて、レールの上を走るので、手前に引き寄せたり、向こうに押しやったり出来る。病院の特別室のようだと喜んでいる。

 屋外に気象観測装置をセットした。風向、風力計 雨量計 写真に写っていないが他に温度計と湿度計。それらのデータが、数十秒ごとに机上のディスプレーに送られて表示される。このディスプレーが結構大きくて見やすい。写真では、15:36分現在、気圧が959.6hPaで、外気温9.9℃、湿度が51%ということだ。風速が1.06m/s 風向きはSWということになる。おまけに天気は下り坂だそうだ(が設定の方法がまだ理解できていないので、このあたりはちょっと?である)。これをいずれホームページでリアルタイムで表示する。



平成19年1月21日(日)

 曇り、昼過ぎてから一時小雨、ここのところ寒気が緩み阿蘇の雪も消えていたが、夕方には上のほうが白くなっていた、地上はそれほど寒くはなかった。

 ほぼ一日中、婆様のベッドで使うテレビ台兼テーブルの製作に没頭する、明日あたり完成しそうである。

 18日の婆様の誕生日のお祝いを今晩した、お祝いといってもケーキを食べるくらいであるが。
(写真1写真2写真3

 最近、非常にリーズナブルな気象観測装置を入手した。気圧、湿度、温度、風向、風力、雨量などを自動的に測ることが出来て、ディスプレーにリアルタイムで表示できる。今までこのような装置は非常に高価で小生には手が出なかったが、これはなかなか良いぞ。
 これをいずれWEBに載せたいと思っているが、マニュアルが英語表示なのでなかなかスンナリとは行きそうも無い。

 今回初めて気がついたことだが、我が家の気圧が960hPa台を示していて、故障しているのかと思ったが、ここは標高が約500mある、確か、10m高くなるごとに約1hPa気圧下がるそうだから、500mで50hPa下がることになり、海抜ゼロ地点で仮に1,013hPaだったとすると1,013-50=963で合っているのだ、へえ〜という感じである。

 そういえば、手元のハンディ・トランシーバーも気圧が表示できるが、この表示も960台で、校正の必要があるなと思っていたが、これも間違っていなかったのだ。

 ついでに、この辺りでは、ポテトチップスなどの袋に入った食品など、店頭に並べている間にパンパンに膨らんでいる、このことを地元の人はあまり気にしていないようだが、小生はこの状態を見ていつもここは下界より気圧が低いんだなあと感じている。


 阿蘇市の市議会議員選挙が告示され今度の日曜日の投票に向けて選挙戦が始まった。


平成19年1月20日(土)

 晴れ、寒気緩む。

 村の初寄りが集会所であった。初寄りとは年の初めに村内が集まって、一年の計や昨年の会計報告などを行う。この席で村の役職も決める。江藤正志さんがもう4年区長を続けて、そろそろ交替したいという意向を示されたので、新しい区長に渡辺征司さんを選任した。会計担当に征司さんに代わって渡辺靖昭さんが就かれた。小生も逃げ回ってばかりもいかなくなり、行きがかり上引き受けざるをえなくなったのだが、宮総代(だったかな、言いか方が少し違うような気がする)という役を仰せつかった。言ってみれば、村と阿蘇神社や馬場八幡との連絡窓口のようなものだろう、正直役回りがよく分からない。決め事が終わってから、例によっていつもの楽しい懇親会となった。


平成19年1月19日(金)

 久しぶりに冷え込む、氷点下5℃、晴れ。

 取り立てて記述するようなことはないがあっという間に一日が過ぎる、遊んでいるわけではないが。

 税務申告の季節になると、必然的に小生のおさんどん指数が上がる。

 昼、プールへ、本日2000m。


平成19年1月18日(木)

 曇り。

 婆様、満91歳の誕生日である、肉親にこの年齢の者がいること、驚異的で素晴らしいと思う。家族のスケジュールの都合で、お祝いは今度の日曜にすることにしていたが、朝起きたらカミサンがお赤飯を炊いてくれていた。今日はデイケアの日で、デイケア施設でも皆に祝福されたそうだ。遠方からお祝いの電話も二三頂戴した、皆さん有難うございました。

 二三日前から気がついていたが、写真に撮ろう、撮ろうと思いつつ忘れていた、寒い中にもしっかりと春が近づいている、フキノトウが芽を出している、このこともスゴイことだ。

 昼、プールへ、本日2000m。


平成19年1月17日(水)

 昨夜からの雨、量は少なかったが今日も時折降っていた、気温は高く、古閑の滝の氷もすっかり落ちたようだ。

 TS-790S、144と430に加えて1200MHzのユニットがオプションで入るようになっているが、今までその部分は入っていなかった、今回入手したので、今日実装した(ところが1200は局免を受けていなかった)。尤も今時この近辺で1200にQRVする局など皆無に等しいようだ、環境整備士・・か。



平成19年1月16日(火)

 曇りがち、時々小雨、気温高め。

 婆様、大阿蘇病院定期通院。

 午前中、JA6DI局に、知り合いのOM局からQSYしてきたダイポールアンテナを届けていただく、3.5メガと7メガの短縮型デュアルバンド・ワイヤーアンテナである。

 夕方近く、久しぶりにプールへ行って2,000m泳ぐ。


平成19年1月15日(月)

 氷点下7℃、晴れ。

 婆様デイケア。

 婆様の立ち振る舞いが非常に困難になりつつある、テレビを見るために少し腰高の座椅子に座っていてそこから立ち上がるのに非常に難儀している。何かの拍子に座椅子から床に転がったら、それから自分で膝をついて起き上がるのさえ困難になりつつある。ここに来て筋力の衰えが急速に進んでいる。時々失敗してはドテンとひっくり返って痣を作っている。母親虐待と間違われるから気をつけろよと言っているが、そうもいかないらしい。そろそろベッドにから降りないでも、ベッドに座ったままでテレビの操作やビデオテープの出し入れが出来るような環境が必要になってきたので、得意のやっつけ仕事でその設備の工作を始めた。

 カミサンが遅いので今晩は小生がポトフを作った。


平成19年1月13日(土)〜14日(日)

東京、横浜で晴れ。

 従兄の臼田昭吾兄の葬儀で久しぶりに一泊二日の旅程で関東に飛ぶ。まあ、この歳になれば、ちょっとした後先の違いだけで、小生もそうそう遠くないうちに送られ側になるのだからと笑顔で送りたかったが、どうもいけない、不覚にも涙した。そして、今回の旅行で数年ぶりに多くの懐かしい顔に会うことが出来た、とにかく、総理大臣級の過密なスケジュールで、ほんの二三分だけの立ち話しか出来なかったシーンもあった、まだまだ沢山の友人たちと連絡をとりたかったがとにかく時間が足りなかった。


 好天に恵まれた空の旅、11時前に羽田着、リムジンでYCATに行き、横浜駅から湘南電車で茅ヶ崎へ、寺さんに迎えに出てもらって寺内家にお邪魔する。寺内家で懐かしいおかむらの鰻重を馳走になり、ゆっくりする間もなく鶴が台を経て茅ヶ崎駅へ。鶴が台ではJA1GQV広永OMがわざわざ待っていてくださって、ほんの二三分の立ち話。通りかかった人に頼んで記念に写真を撮ってもらって、茅ヶ崎駅から東海道線で東京に向かう。今回は秋葉原の変貌振りがどうしても理解できなかったので、とにかく秋葉原を見ておきたかった。昔のやっちゃ場の後が随分長い間、空き地や駐車場になっていたが、そこが高層ビル群に変わっていた、ようやく理解できた。ついでに筑波エクスプレスの駅を見ておきたかったが、これは場所が分からなかった、人に訊く時間すらなくて諦めた(後になって、地下から出ているということを知った、道理で分からなかったわけだ)、駅前からちょっと遠回りして秋月電子に回ってみた。秋月電子は全く5年前と変わっていなかった、久しぶりの秋葉原の空気、全くブランクを感じさせなかった、ただ、町の角々に今流行のメイド喫茶のウエイトレスの格好をした女の子たちがビラ配りをしていた、これが例の「萌え〜」だ。とにかく時間がない、店には何処にも入らずに早足で、地下鉄末広町駅へ、そこから日本橋高島屋へ。丁度今、菓心なかむらの中村浩、仁美夫妻が、熊本うまいもの展で出張中だったので、ちょっと寄ってエールを送って、新橋に出て横浜の叔母の家へ。山下秀一・清子・絢子一家、義叔父は今年95歳になるという、矍鑠としていた、この親戚は高齢病弱一家なので心配していたが、清子叔母も元気で、この分だと皆まだまだ大丈夫と安心する。いくつもの交通機関の接続が実に上手くいって、殆んど待ち時間なしで移動できたが少し走り回りすぎて、肝心の午後6時からの上永谷での通夜に定刻より15分ほど遅刻してしまった。夜、従姉の古川家に厄介になる。

 明けて、14日、午後11時の告別式の前に、会場にやまゆりさんが訪ねてくださる。やまゆりさんは会社の先輩だ。ネットではやまゆりというハンドルネームで通しておいでなので、やまゆりさんとしておく、喫茶店で一時間ほど旧交をあたためる。因に会社の先輩、植野正明さんが野庭の四季というホームページを主宰している、野庭は上永谷のすぐ近くである。

 告別式のあと横浜市南部火葬場で荼毘に付して、その日のうちに、四十九日の法要が斎場に戻って執り行われたが、帰りの時間が迫っていたので、法要は欠席して午後三時過ぎ京浜急行経由で空港に向かった。空港では武藤肇が来てくれて、一時間ほど積もる話をして、なんとも慌しい今度の旅を締めくくった。

 数年おきくらいに巡ってくる一族の葬儀に出て参会者の顔ぶれを見ていると、葬儀には送られる側と送る側とがあるが、小生も送る側から少しずつ送られる側に動いているなあということが良く分かる、前回の伯母の葬儀のときは母が出て、今回も母は出たかったけど体力的に参列出来なかった。今回、小生より年長の親戚の者が、前回はお母さんが見えていたけど今回は見えなかったねえとしみじみ言っていた。反対に前回はまだ生まれていなかった小さな子供たちが今回は何も知らずに元気に走り回っている、少しずつ世代交代が進んでいるのだ。

 **雑感** 五年前は電車の中でやたらと携帯の呼び出し音が聞こえていて、車内放送でも携帯の電源は切れと放送していたと思う、それでも鳴っていた。今回は、優先席の近くでは電源を切れ、それ以外のところではマナーモードにして且つ、声を出すなというような内容の放送をしていた、つまり、メールやインターネットはOKとなったのだ、事実、電車に乗って座ると皆一様に携帯を取り出して、目の前にかざして黙々とキーを押していた。そしてすくなくとも今回は一度も呼び出し音は聞こえなかった。

 最近高速道ではET車が増えたと見えて多くの車がスイスイと料金所を通過していたが、そういったことは駅の改札口でも言えるようで、前の人に並んで切符を通して出ようとしたら、そのゲートはスイカ専用ゲートだった、それに、切符の自販機がすっかり前と変わっていて、コインを入れて、コイン投入口の近くにテンキーが並んでいたのでてっきり購入金額をテンキーで打つのかと思って、打ったけどそうではなくて、従来どおりディスプレーに数種類の金額が表示された、あのテンキーは何なんだ。

 変わったなあと感じたのはそのくらいで、他には特になかった気がする、汐留の高層ビル群もなんだか以前からそこにあったような気がして、驚きはなかった。そして、改めて、東京圏に居る人たちに、皆本当にここに住まなければいけないの?ここで暮らしたいの?と訊いてみたい思いがした。

葬儀連続写真


平成19年1月12日(金)

 今朝方の気温、氷点下6℃、晴れ。

 婆様、ヘアカットへ。坂梨のFさん、先月で廃業されたが、個人的に婆様の髪を切ってくれる。

 久しぶりの旅行を前になんとなく落ち着かず。


平成19年1月11日(木)

 今朝方の気温、氷点下5℃、快晴。

 婆様デイケア。

 昨夜、ネットで航空券手配を済ませる。突然のことで格安航空券を見つけることが出来なかったが、スカイネット・アジア航空という会社で普通に購入しても熊本〜羽田間、往復32,900円也。もともとメジャーな航空会社より安いところにもってきてネット割引や、シニア割引などがあり、都合この料金である。ここのシニアは55歳以上だそうだ。調べてみると経営不振で現在産業再生機構の支援を受けているとかいないとか、まあ今まで落ちていないから大丈夫だろう、その時はその時である。

 不謹慎なようだが葬儀参列にかこつけての旅行、一泊二日の短時間ではあるができるだけ駆け足で数年ぶりの首都圏を走り回ってみようと思う。葬儀というものは普段会えない人との再会の機会を作ってくれるという、故人の巧まざる計らいがある、その計らいに大いに乗せてもらうことにする。茅ヶ崎には行ってみようと思っている。葬儀は横浜港南区の上永谷というところで、地下鉄が走っているそうだが、小生が居た時も走っていたのだろうか、あまり記憶がない、完全なおのぼりさんである。


平成19年1月10日(水)

 明け方の気温氷点下3℃、晴れ。

 昨夕、兄のような存在だった横浜の従兄の臼田昭吾兄が身罷ったという報が入った、二三年前から病を得て入退院を繰り返していたが、とうとう力尽きた、まもなく75歳になるはずだった・・・五蘊皆空。

 特に冬場はストーブの管理などで家を空けることが難しいが、小生だけでもなんとか今度の土日の葬儀には参列したい、ついでに久しぶりに友人たちとも会ってこよう。

 夜、坂梨のY口A雄さんのお宅にADSLの開設の手伝いに行く、少々もたついたが、無事開通。
平成19年1月9日(火)

 晴れ。昨夜の予報で、明朝は氷点下11℃くらいまで下がって、この冬一番の低温になるかもしれないとのことだったので、用心のために屋外の水道など少し流しっぱなしにしておいたが、幸いに氷点下4℃程度で済んだ。

 暮れから風邪気味だったり、合宿が入って混みあっていたりで休んでいた水泳を今日からまた再開した。いつもよりゆっくりと1時間ほどかけて2,000mを泳いだ。体重計に乗ったところ、68キロジャスト、正月休みで確実に1キロ増えていた。


平成19年1月8日(月)成人の日

 どうも祝祭日がフラフラして定まらないのは馴染めない、国旗の掲揚も忘れる。

 婆様、デイケア。

 馬場・豆札合同の「どんどや」(どんど焼き)が馬場の田んぼで行われたが、冷たい風が強く吹いていて、娘の風邪っ気が抜けないので参加を取りやめる。

 何処の誰とは言わないが、今日熊本市内の新町というところで、一時ストップで止まらずに白バイに捕まって罰金7,000円也を支払う羽目になったのがいる。小生いまだかってそのような経験がないので分からないが、まあ物は考えよう、自治体の赤字財政の改善に寄与して、なお且つ、改めて緩んだ気持ちを引き締めて大きな事故を未然に防ぐ効果があり、一石二鳥だと思えば安いものだろう。これでゴールドも別の色になるらしいが、ゴールドだからと言って今まで何か特典があったわけでもなし。


平成19年1月7日(日)

 雪のち曇り。

 昨夜から北日本を中心に台風並みの大荒れで雪害や風の被害が多く出たようだ、ここ阿蘇も一夜明けて、真っ白な世界が広がっていた、ただ予報ほどの積雪はなく、娘は真っ黒な雪だるまを作っていた

 最近21メガが全然駄目だが、昼前、偶然スイッチを入れてみたら、JAの局でベトナムでコールサインを取った局がホーチミンから出ていたので59でQSOした

 今日は七草粥、我が家は日本の伝統文化を大事にする、カミサンが出かけて不在のため、小生が夕食に七草粥を作る。すずな、すずしろはあったが、それ以外は、手当たり次第に野菜を使って七草に仕立て上げた。大根、蕪、サトイモ、サツマイモ、白菜、キャベツ、人参、葱、ほうれん草、なんと数えたら九草粥になってしまった。味噌仕立てにしてこれに残り飯(残飯と残り飯、「り」が入るか、入らないかで印象が随分違うものだ)と餅を入れて完成。自慢ではないがカミサンが作るものより小生が作るほうが旨い。


平成19年1月6日(土)

 曇りのち、雨、そして夜になって雪の気配。

 北日本を中心に低気圧接近で全国的に大荒れの予報が出ている、ここも今夜から明日にかけて大雪と風雪の注意報が出された。


平成19年1月5日(金)

 曇り。

 このまま寝込むかと思った娘が元気に保育園に行った、今日も駄目かと思っていたのでほっとした。保育園はまだ休みの子供が多くて本格始動は週明けからだろう。


平成19年1月4日(木)

 曇り。

 日本全国、今日が仕事始めの所が多いだろう。昨日そこここで、明日から仕事だ、憂鬱だなあという声を聞いた(小生には全く縁のない気分だ)。婆様も今日からデイケアに出かけた。カミサンも仕事に出かけた。娘も元気に保育園に、と言いたいところだが、千葉から風邪気味で帰ってきて、昨夜辺りから調子が悪そうで、新年初登園の今日、とうとう休んでしまった。それでも以前より体力が出来てきたので、医者に行く一歩手前で踏みとどまっている。おかげで今日は終日子供の相手かと思っていたら、カミサンは初出で昼過ぎには帰ってきて、子守から解放された。明日はなんとか保育園に行けそうな気がする、行ってくれ。


平成19年1月3日(水)

 曇り。

 昼から家族で阿蘇神社に初詣をする

 今年から「QSOパーティ」に再参加を始めた。QSOパーティとはアマチュア無線連盟が主催するイベントの一つで、毎年正月に二十局以上と交信して申請すると、その年の干支のステッカーがもらえる、それを毎年続けると、12年で十二支が完成して、盾を作ってもらえるのだ。以前十二支を完成させてその盾をもらったが、当時、もう年齢的に次の一巡は完成しないだろうと思ってその時で参加をやめたが、続けていれば、今年で丁度10年目になり、そろそろまた一巡するところだった。こちらに移住して新しい無線環境が整ったのを機に今年からまた気持ちも新たに再開することにしたわけだが、今度十二支が完成するのは75歳になる。多分駄目だろう、と思うのだが、その時はその時である。無線にはアワードといって日本各地や世界各国と交信することによって、色々な種類の「ご褒美」的な賞がもらえる。このQSOパーティは厳密な意味でアワードと言えるのかどうか知らないし、正月の二日間(昔は一日だけだった)に20局と交信するのなんか全然難しくはない、では何が難しいかというと、12年間途切れることなく毎年続けなければならないということである、その年の干支のステッカーは、その年にしか発行されないので、もし、ある年に交信しなければ、その年の干支のステッカーを貰うには次の12年先を待たなければならないのである。つまり継続することに意味があり、無線を続けるための良い刺激剤になるのである。

 今年は簡易タワーながら21の八木アンテナを立てたので、QSOパーティでは21で稼ごうと思ったが、空のコンディションが悪くて全く聞こえなかった。また144や430などは昔と違って、無線人口が減って、QRVする局が少なくてほとんど声が聞こえてこない、結局7メガで今年のノルマを達成した、先日アンテナのマッチングをとっておいて良かった。

 
平成19年1月2日(火)

 小雨模様の一日。

 午後三時過ぎ着の便で帰ってくるカミサンと娘を空港まで出迎えに行く、珍しく婆様も一緒に行きたいというので連れて行った。また騒々しい日々が戻ってきた。


平成19年1月1日(月)

 晴れ、昨日までの天気と違って少し雲がかかり始めた。新しい年が始まった、いつもと同じように地球が一回転しただけだが、やはり心の在りようがいつもと少し違うのは不思議である。今年も家族の平穏を願うばかりだが、婆様はもう後わずかで満91歳になる、今年一年元気で過ごせるだろうか、少し気がかりである。

 小生の年頭の抱負、毎年何か書いていただろうか、この部分は読み返さないので、目標が何であった忘れてしまっており、従ってその目標が達成できたかも当然分からない。これが仕事をしていた時と違って大いに気が楽な点である。言いたい放題、書きたい放題である。さて、今年は・・・・クランクアップタワーを建てたいなあ、小さなトラクターを手に入れたいなあ、そんなところか。

 朝、8時、村の公民館に全戸、と言っても15戸くらいだが、集まって、軽くお神酒を頂戴しながら賀詞交換をして、それからそれぞれの家庭に戻って元日の祝い膳に向かう、村のしきたりである。一度に年賀の挨拶を済ませようという生活の知恵だろう。

 ノンビリした静かな元日の一日だった、また婆様とDVDの洋画を楽しんだ。「目出度さも中くらいなりおらが春」






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