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平成19丁亥(2007)年2月の記録(新しい日付けの順)

平成19年2月28日(水)

 二月最終日も素晴らしい晴れの一日だった。今月は普段の月より短い、この短さを儲かったと思う人や、逆に損をしたと思う人など様々だろう。

 先日、介護保険の区分変更の申請をしたが、今日、市のM垣さんが決定通知書を持って見えた。2月に遡って、要支援一から要支援二になった。今まで通所のデイケアサービスは要支援一の場合は週一回しか受けられないところ、施設側の特別の計らい?で、週二回受けさせてもらっていたが、今度から正規に週二回のサービスを受けることが出来る。

 昼、プールへ、本日3000m。

 婆様、午後、宇治歯科へ、入れ歯の調整が上手くいっているようで、かなり噛めるようになったと喜んでいる。賄い方にしても、極端に柔らかく作らなて良いので、助かるし、第一食べて美味しいと思う。

 今日は昨日の3円のキャベツをたっぷり使ってロールキャベツを作った、うちの娘、あまり食べることに執着が無いようだが、珍しく、旨い!旨い!と舌鼓を打って食べていた、小生の料理の腕前は相当のものなのだ。


平成19年2月27日(火)

 晴れのちくもり。

 溜まったデスクワークをする。

 昼、久しぶりにプールへ。本日3000m、一度2000mを超えてしまったら今更2000mに戻れない感じである。

 本日、キャベツ一玉 三円也



平成19年2月26日(月)

 晴れ。

 今朝、鶯の初音を聞く、昨年は何時だったろう、その前の年は・・・・

 娘、元気に保育園に復帰、婆様デイケア。

 昼から、南郷谷白水にある八坂神社を訪ねる、途中、温泉病院にお隣のお婆ちゃんを見舞う、先日、今度お花でも持ってきますと約束したので、小さな鉢植えの花と、我が家の庭に咲く梅の枝を折って空き瓶に挿して持っていった。入院患者に鉢植えの花は、入院が長引くので良くないと言われるが、形式より実をとった。また手放しで泣いておいでだった。

 この八坂神社は、先日の講演会「古代火の国の炎のピラミッド」の講師であり研究者であられる田尻盛永宮司の神社である。現地を見ておきたかった、そして出来たら話をお聞きしたかったが、生憎とご不在だった、改めて伺うことにする。この神社は、お社は近年建て替えられて真新しいが、白川の畔に樹齢数百年の杉に囲まれてひっそりとある、西暦470年頃の創建とのことだが、うなずける。この神社がある規則性に則って配置がされていることを説明する銅版があった。

 帰りは高森町経由で帰ることにして、途中、「りんどう花房」に寄って珈琲を喫する、ここのご亭主、最近大病をされたことはホームページで知っていたが、回復されてお元気になられていた。

 それからさらに、竹崎水源(写真1写真2)にも寄ってみた。阿蘇には白川水源を初めとして無数の水源があり豊富な水が湧いている。この水源もその一つで、これら地下水脈は遠く熊本市まで続いていて、人口数十万人の熊本市民の水道水は総て阿蘇を源とする綺麗な地下水で賄われている。熊本はそれほど水が豊かな地なのである、全国で唯一であろう、だたその豊富な水量も近年減少傾向にあるとか。

 最近、カミサンが遅いので、娘を9時頃寝かしつけてから、ようやく自分の時間になって二階でパソコンに向かったりするのだが、しばらく風邪で体調を崩したせいかどうか、一旦寝入ってからしばらくして目が覚めるらしい、その時、誰も周りに居ないので心細くなって寝床のなかでシクシク泣いていた、それが偶然分かった。そんなことが二度ほど続いたので、仕方が無く寝入ってからもそこを離れられず、そんな状態なのでベッドサイドにノートパソコンでも持ち込んで作業をしなければなるまいというところである。


平成19年2月25日(日)

 曇り。気温も平年に比べたらまだ高いほうかもしれないが、今までが今までだったので、低めで寒かった。

 今日は休日で皆家に居り、のんべんだらりと過ごす。


平成19年2月24日(土)

 晴れ。

 午前中、婆様の目薬を貰いに内牧の小野医院に出かけた。ついでに小生の目の具合も診て貰いたかったのだ。最近、といっても数ヶ月前からかあるいはそんなに前からでも無いかはっきりしないが、右目が霞んでものが見えにくい状態が続いていた。メガネのレンズが傷ついていることもあったので、レンズを交換したが、どうもレンズの曇りではないようなので、診てもらったのだ。診断の結果は「白内障」だとのこと、ただ、老人性の白内障ではありませんよ、とのこと、糖尿病や外傷性傷やそのほか原因不明でも起きるそうだ。小生の場合は、糖尿病とは全く関係ない、外傷性の傷を負った記憶も無いので、「原因不明」が原因だろうか。白内障は最終的に手術しか治す方法はないそうで、緊急性を要することはなく、見えにくいのを我慢すれば直ぐ手術しなければ手遅れになるといった種類の病気でもなさそうで、要は、濁った水晶体を取り出して代わりにレンズを埋め込むのだろう、いずれにしても早晩手術をすることになるだろう。最近では日帰りで手術もできるそうだが、出来れば二三日入院をしたほうが良いそうだ、まあ気が重い話ではある。

 帰る途中、内牧の温泉病院に、最近脳卒中で倒れて入院中のご近所のお婆ちゃんを見舞った。思っていたより元気だったが、入院で気持ちが弱っているところに、珍しい人間が訪ねていったので、もともと涙もろいところがあるのでオイオイ泣いておいでだった、我が家の婆様に比べたらまだまだ若い、早く昔のように元気になって欲しいものだ。

 The Aim & End という宮本文昭のオーボエ曲がある、深く心に沁みこんで気持ちが洗われるような曲である。先日FM放送で流れていて、前にも聴いたことがあるが曲名が分からず、放送局に電話して訊ねた。過去にもこうして訊ねた曲があるが、時たま、一度聞いただけで好きになる曲というものがある。

 阿蘇各地ではもう所々で野焼きが始まっているようだが、今日は、我が家から真正面の高岳の麓(あのあたりも小堀牧だろうか)で、野焼きの煙が上がっていた。TOMUさんの家の上のほうだ。北外輪山が一斉に野焼きをするのはもう少し先になる。

平成19年2月23日(金)

 晴れ。本当に日が長くなった。

 娘、もう殆んど良いのだが、週末なので、用心のために今日まで休ませることにした。最近では独り遊びが出来るのでそんなに手が掛かることも無く、時々注意をしてやれば良いことが多い。しかし婆様が居るからといって娘を置いては外出できないので、結局はパソコンに向かっている時間が多くなる。

 最近阿蘇山と阿蘇山を中心に点在する神社群が不思議な規則性を以って配置されているとう見解に興味をそそられているが、今日もネットで関連項目を検索していて、「ダヴィンチ・コード」でもそのフィボナッチ数列や黄金比のことが出てくることを知った。既に読んでいながらが今更「知った」とは妙な話だが、あまり関心を引くことも無く記憶に残っていなかったのかもしれない。今回のことで、改めて「ほう!」となった次第である。今読んでいる本が終わったら、改めて「ダヴィンチ・コード」を読み直すことにする。



平成19年2月22日(木)

 曇り、夜になって雨。

 娘の風邪(気管支炎)が引き金になった?喘息、昨夜も呼吸が苦しいといって時々目が覚めては切なそうに訴えるので、L字型になった小さなエアゾール式の薬を出してもらっていたので、それを吸引させた。この吸引方法、結構コツが必要で幼い子にはちょっと難しいようだが、それでも一回シュッとやるだけで即効性がありあり、呼吸が楽になったようですぐに落ち着いたが、それでも一晩中呼吸音は荒かった、一晩で都合二回吸引させた。一夜明けて、どうかなと様子を見てみたが、朝には殆んどゼーゼーも収まって元気を回復した。午前中、また古閑医院でネブライザーをやってもらったが、もう大丈夫だろう。季節の変わり目になると喘息が起きるようだが不思議な現象である。


平成19年2月21日(水)

 晴れ、晴れ、晴れである。

 二三日前から咳をしていた娘、とうとう風邪を引いたようで、久しぶりで保育園を休ませた。まあ一日休ませたら良いだろう思っていたが、そうは行かないようだ。

 朝は混むので、昼前に古閑医院に連れて行って、その時は大したことが無くて、いつものように咳止めシロップと解熱剤などを貰って帰ってきたが、夕方近くになって、キツイといって呼吸が苦しそうしているので、再度古閑医院に連れて行って、ネブライザーをかけてもらった。それで落ち着くかと思ったら、夜7時半頃、また苦し〜いと言って本当に苦しそうだったので、慌てて、古閑医院に電話したところ、とっくに時間外だったが、おいでなさいということで、またネブライザーをかけてもらった。これで何とか落ち着いたようで寝てくれたが、それでも呼吸が荒くて少々気がかりである。


平成19年2月20日(火)

 晴れ。もうセーターは不要である、シャツにベストを引っ掛ける程度で十分である。

 昼、プールへ、今日は3000m泳いでしまった。2000mではどうも物足りなくなっていたので、試しに、2000m泳ぎ終わって、そのまま泳ぎ続けてみたが、3000mでも非常に疲れたというほどでもなかった、明日から3000mにするかどうか悩むところである。今までより時間的には25分程度延びるだけだが、とにかくただ泳いでいるだけなので退屈するのである。

 今晩のメニューは、ホワイトソース仕立てのロールキャベツである。スーパーなどで、よくロールキャベツをもう煮るだけにした具材が売っているが、それらは概ね「毒菜」の輸出国製なので、危なくて使えない、どんなに安くても表示で分かった限り「毒菜」輸出国製は買わないことにしてる、冗談じゃあねえ、ということで、豚のミンチを買ってきて初めから全部作った。


平成19年2月19日(月)

 気持ちよく晴れ上がる。今日は雨水だそうだ、気がつかないうちに我が家の梅も花を付けていたる、鶯の初音ももうすぐだろう。

 今日は竹田市の農機具やまで中古のトラクターを探しに行ったが、適当なものが見つからなかった、なかなか無いものである。

 娘の保育園で毎月身体測定をしているが、今日ようやく身長が100cmを超えた。標準より小さい方だろうが一応の区切りでなんとなく目出度い。

 夕食は和食で決めた。主菜は柳川もどきである。もどきというのは、どぜうの代わりに牛肉を使ったのである(その牛肉が少し硬かった)。それにサトイモと大根の味噌汁。また大根が大きいのが1本10円也、農家が気の毒である。ナメコと大根おろしの三杯酢、ほうれん草のおひたし、トマト、カボチャの煮物、これでバランスは取れているだろう。


平成19年2月18日(日)

 曇り時々小雨、のち曇り。

 第三十回坂梨校区新春駅伝大会開催。例年一月に開催されるが、今年は市議選などの関係で開催日が繰り下げられた。阿蘇アマチュア無線クラブJA6ZCQで駅伝の模様をアマチュアテレビで中継をした。三十回とは途中天候不順で中止の年もあったので少なくとも三十年は続いている坂梨地区の伝統的な行事である。中継固定局二局と移動中継車とでほぼ全コースをカバーした。駅伝終了後、AJY局のお宅で昼食を取りながら、二十年ほど前の記録映像を見せてもらったが、昔は住民の数も多く、もっと大規模な大会が開かれていたこと、現在ではもう老壮年に達した連中の若い時の姿や、大水害で無くなってしまった町並みなどの貴重な映像を見ることが出来て、改めて「記録」の重要性というものを感じた。小生も中継局を担当したので動けず、残念ながら全体的な画像記録を残すことが出来なかった。
(写真1写真2写真3写真4写真5)。ホームページ「坂梨宿」の「今日の坂梨」のコーナーにも今日の駅伝の写真があります。


平成19年2月17日(土)

 雨。強くは無かったが、ほぼ一日弱い雨が降っていたような気がする。それでも氷雨というよりはもう春の雨という風情であった。

 午後4時から、旧阿蘇町、役犬原(やくいんばる)のコミュニティーセンターを会場に渡辺建設の渡辺社長が主催して「古代 火の国の炎のピラミッド」というミニ講演会があった。

 いつも本を届けていただく家入書店の奥さんが本の配達のついでに講演会のチラシを置いていったのだ。

 南郷谷の八坂神社宮司の田尻盛永氏が、自ら阿蘇五岳と阿蘇山を中心にして周辺に点在する十一社が不思議な幾何学的な相関関係を持っていて、それら神社群が天地陰陽(人と水)の健やかな循環を祈念して、西暦470年前後に配置されたのでは、という研究をされたもので、地図や詳細な図面(写真1写真2写真3写真4写真5)をもとに約一時間ほど話があり非常に興味深く拝聴した。

 この話をまとめようとしたが、エジプトの3,4,5の直角三角形や、メソポタミアの神聖三角形や、黄金比や、黄道や北極星や夏至などの言葉がポンポン飛び出して、うまくまとめきれない、困ったなと思ってネットを検索したら、ちょうど田尻氏が他で講演された要約があったので、概略はそちらに譲るが、なんとも気宇壮大なロマンあふれる話であった。この話がもっと広く多くの人の興味を引くことになればまた大いに楽しいことになるのだが、また機会を捉えてじっくりと講義を聴いてみたいものである。

 因みに、阿蘇神社や霜神社はこの西暦470年ころよりもさらに遥か以前から存在していたようで、この配置のために移築されたのではというのが氏の考えである、確かに現在地以前の神社の存在も遺構などで分かっているという。それほど阿蘇は歴史深い地なのである。
<http://www.kumakanren.com/magazine_terakoya/Number_60.html>


平成19年2月16日(金)

 晴れ。

 夕方近く、婆様を大阿蘇病院へ。少し前から舌に炎症をおこしていて、そのために貰っていた薬が丁度無くなったところにもってきて、症状が以前より悪くなったと思って診てもらいにいったのだが、特に悪化したわけでは無いそうで、薬を貰って帰ってくる。朝一番で病院に行くより、夕方近くのほうがすいているので今度から定期通院も夕方行くことにする。

 昼、プールへ、2000m。


平成19年2月15日(木)

 晴れ。いつもの年に比べたら文句なしに暖かいのだろうが、この暖冬に慣れたせいか、少し気温が下がるだけで寒さを感じる。

 婆様、デイケア。

 昼、プールへ、2000m。

 朝から、小生のホームページが開かない、プロバイダーが延々とサーバーのメンテナンスをして、結局夕方近くまで使えなかった、迷惑な話だ。


平成19年2月14日(水)

 春の嵐。昨夜から今日にかけて、黄海から日本海へ発生しながら移動していった低気圧が熊本地方に春一番をもたらした。春一番というと、女性のスカートを巻き上げてなんとも悩ましい光景を思い浮かべるが、雨風共に強くてそのような風流な春一番ではなかった。各地で吹き荒れて、八甲田では雪崩で死者もでている。

 婆様、もう大分以前から入れ歯が合わなくなって、それほど硬くもないのに、ものが咬めなくなっていたが、今日ようやく歯医者に行く決心がついたようで、宇治歯科に連れて行った。先生は、新しく作らないで何とかこれを修理しましょうということで、しばらく歯医者通いがはじまる。応急で手直ししてもらったので、少し硬いものなら咬めるようになったようだ。

 昼、プールへ、2000m。


平成19年2月13日(火)

 晴れ。今朝も一応は冷え込んだが、それでもどうやらもうこのまま春になるのは間違いなさそうな雰囲気になってきた。

 婆様、大阿蘇病院へ定期通院。

 先日提出した介護保険の区分変更の申請を受けて、午後、その聞き取り調査のため、市から担当の係員が見える。調査の結果をコンピュータに入力して、そのデータをもとに判定会議が開かれて新しい区分が決まるとのこと。現在「要支援一」だが、「要支援二」になるか「要介護一」になるかであろう。


平成19年2月12日(月)振替え休日

 晴れ。今朝は氷点下3℃くらいまで下がったが、日中は暖かかった、しかし日中は風が少しあった。

 婆様、休日関係なしにデイケア。

 今日は枯れ草や竹を燃やしたり、薪を作ったりで終日屋外で過ごす、目いっぱい働いた。昼食も握り飯を作ってもらって、ついでに家族で庭先で摂る

 日没時、作業を終えて山を眺めたところ、噴煙が盛大に上がっていた、風向きの関係だろうか、珍しい。


平成19年2月11日(日)紀元節

 晴れ。昨日までのほどの暖かさは無いものの、それでも馬鹿陽気が続いている、本当はストックが底をつきかけていて薪を作らなければならないのだが、このまま春になってしまいそうな錯覚を起こして、どうも薪作りをする気になれない。

 見晴るかす空気も春霞のような雰囲気で、オマケにもう野焼きならぬ土手焼きをしていて、春の農作業に向けてそろそろ田畑も忙しくなりつつある。

 古閑の滝の氷瀑を観にやってきた観光バスが、滝が全く凍っていないので、時間が潰せずに、観光客の皆さん、坂梨公民館前の広場で手持ち無沙汰にしていたが、せっかく遠方からやって来たのに気の毒であった、今年は日本各地でこのように同じような光景が繰り広げられているのだろう。。

 今度の日曜日に予定されている坂梨校区の恒例駅伝大会のアマチュア・テレビ中継の試験をJA6DI局とする。我が家とDI局は見通し距離にあるので、わざわざ出かけなくてもお互いの窓間で試験が出来てFBである。

 馬場八幡を覗いてみたところ、参拝者の芳名帳の記入欄がいっぱいになっていたので、前任者に尋ねたところ、芳名帳の管理も小生の職掌になるそうで、桐原商店から罫紙を買い求めてきて用紙を追加した。


平成19年2月10日(土)

 曇り。

 馬場八幡神社の会計担当になって、もう縁が無いだろうと思っていた会計帳簿を引き継いだ。現役を離れて丸五年以上、そちら方面がすっかり見事に錆び付いてしまっており、思い出すのに一苦労している。エクセルを使おうと思って、久しぶりに開いてみたが、当時相当複雑なことをやっていたが、これも殆んど忘れている、人間の記憶なんかいい加減なものである、これを機会に再度油でも注すことにしよう。


平成19年2月9日(金)

 雨。量は少なかったが一日降ったり止んだりしていたようだ。それも、既に、冬の雨ではなくて、春のサメというやつで、暖かい雨だった。どうせまた冬に逆戻りするだろうが。

 今晩はトンカツを揚げた。豆腐となめこの味噌汁と、サラダ。 

 昼、プールへ、2000m。


平成19年2月8日(木)

 晴れのち雨。こんなに天気が良いのに本当に雨になるのかと思っていたところ、夕方近くになって予報どおり雨になった、今日も暖かい一日だった。

 婆様、デイケア。

 おさんどんをやっているとあっという間に一日が過ぎる。夕食は、麻婆豆腐とほうれん草たっぷりの味噌汁。ひき肉入りとは謳ってあるが、麻婆豆腐の素だけでなく、ちゃんと豚のミンチを買ってきて加える。麻婆豆腐も味噌汁もたっぷり作っておいて明日の朝もそれを食べる。因みに、昨夕は、刺身に、ダシ巻き玉子とほうれん草のおひたし、カボチャの煮物、豆腐とニラの味噌汁、しばらく洋物が続いたので和食で決めた、栄養のバランスもなかなかのものであろう。

 昼、プールへ、2000m。


平成19年2月7日(水)

 このまま春が来てしまいそうな陽気で、今日も、庭先の寒暖計が20度近くまで上がっていた。

 ストーブの灰などを掬う小さなスコップの付け根部分がひび割れていてグラグラしているので、今日アーク溶接をして、くっ付けた。いや、くっ付けたつもりだったが、どうも上手くいかない。一応グラグラは無くなったが、写真を載せるほど綺麗に仕上がりではない、いやあ難しい。


平成19年2月6日(火)

 うす曇り。どうも全国的な現象のようだが、まるで春のような陽気で、車も窓を開けて走って、風が心地よいほどであった。

 最近、ストーブのガスケットが磨り減って、空気の遮断効果が悪くなっていたので、ガスケットの交換のタイミングを計っていたが、今日思い切って交換作業をした。

 ストーブはいくつかの部材を組み立てて出来ていて、その接合部分はガスケットでシールがしてあり、開閉部分にもガスケットが使用してあり、結構機密性が高い。

 薪ストーブはこの機密性をコントロールすることによって、火力を調整する。コントロールの方法の一つは、直接、空気の流入量をコントロールするレバーを使う方法であり、もう一つの方法が、扉の開閉である。

 最下部の灰受け皿を収納する扉を開くことによって大量の空気が吸い込まれて火力が一気に高くなるのであるが、その必要がない普通の状態ではこの部分が閉まっている。ところが閉めていても機密性が弱まると、その必要がないのに火力が強くて燃えすぎるのである。

 今回はこの部分のガスケットの交換をしたわけであるが、接着剤で貼り付けてから24時間は、その下部扉を使うことが出来ないので、日中の暖かい時間帯はそれで良かったが、夜になるとさすがにストーブなしでは過ごせないので、扉無し状態で、だましだまし薪の量を調整することで、何とか暖をとることにした。

 最近泳ぎに行く時間がなかなかとれずに休業状態が続いていたが、久しぶりにプールに行った。本日、2000m。

平成19年2月5日(月)

 明け方氷点下3℃くらいまで下がったが、本日も日中は穏やかな日和だった。

 婆様、デイケア。

 午後から、また薪作りをする。

 午後6時より、荒木商店にて、馬場八幡の新旧役員の事務引継ぎがあり、小生も前会計担当の塚本氏より業務の引継ぎを受ける。改めてその責任の重大さと職掌範囲の広さに気持ちの引き締まる思いである。


平成19年2月4日(日)立春

 晴れ。暦の示すように、昨日までの厳しい寒さと打って変わって、穏やかな気持ちの良い一日になった。

 婆様、昼前、大阿蘇病院に経過観察のために行く、完全に治っているとのお墨付きを貰う。

 午後から、久しぶりに薪作りをする、そろそろストックが心細くなってきたのだ、まだまだ先は長い。


平成19年2月3日(土)節分

 晴れ。昨夜から今朝にかけてこの冬一番の冷え込みで氷点下10℃近くまで下がった。ニュースで、ダイアモンド・ダストが見られたと報じていたが、見損なった、残念なことをした、最近では阿蘇でダイヤモンド・ダストが見られるのは珍しいそうだ。

 夕方、阿蘇神社に節分の神事を見学に行った。阿蘇神社では、豆まきはせずに、護摩木まきをする。こちらに来てから保育園の迎えの時間などにぶつかって一度も行ったことが無かったが、今日は保育園は休みで、そのうえ、カミサンと一緒に出かけて留守だったので、初めて行くことが出来た。

 五時から神事が小一時間ほどあって、その後で、護摩木が撒かれた(写真1写真2写真3)。いつもニュースで見て、そして今回は実際に参加して感じることだが、せっかくの神事だから出来るだけ多くの人が集まれば良いと思うのだが、いつもそれほど大勢の人は集まらない。神聖な神事かもしれないが、神社も多くの善男善女の支えがあって成り立つもの、阿蘇神社ももっと多くの人が集まるよう少し工夫をしたほうが長い目で見た場合に良いだろうにと考えるが。

 小生、写真が目的だが、護摩木も欲しい、どうしようかと迷っていたが、撒かれる護摩木は沢山で、それを拾う人はそれほどでもない、写真を撮りながら結構拾うことが出来た。

 この護摩木を貰って帰って、家で焚いて暖まると無病息災だそうで、我が家にはストーブがあるので実に御誂え向きの神事である。

護摩木は密教の修法だと思ったが、神仏混淆の名残だろうか。

 この護摩木撒きで、珍しい人に会った。和どら一家(写真1写真2)である。和どらさんとは彼女が結婚する前だったから三年ぶりだろうか、こちらに来て出来た阿蘇の仲間の一人である。最近宮地に引っ越してきたそうで、これからまた会う機会があるだろう。

 夜、帰ってきた娘に節分の豆を撒かせた、お面は保育園で作ったそうだが、鬼の面をかぶって豆を撒くのもちょっと変だが、それもありだろう。
(写真1写真2写真3
 娘たちを駅に迎えに行く途中、ライトアップされた古閑の滝が夜空に幻想的に浮かんでいた、暖冬の今年、今シーズン初めて氷瀑らしい氷瀑だったのではないだろうか。
平成19年2月2日(金)

 一夜明けて、阿蘇地方に風雪注意報が解除されて大雪と低温の注意報が出されているが、雪に関しては薄っすら白くなる程度でほぼ空振りに近い、低温にしても明け方の最低気温が氷点下6℃くらいだったので言うほどでもなかった、だだ一日中表示気温よりはずっと寒さを感じる一日だった。

 婆様、昨日のデイケアの入浴で少しぶり返したか、今日、点滴とネブライザーに行く、大事に至らずほっとする。

 夜に入っても冬空は冴え渡り、月明かりで阿蘇山が白く浮かんでいた、今夜から明日の朝にかけて氷点下10℃以下に下がるそうである。


平成19年2月1日(木)

 今年も残すところ後11ヶ月、昨夜から、阿蘇地方に大雪、風雪注意報が出されている。無風状態のなか朝からしばらく雪が降り続いてあたり一面真っ白になっていたが、それも止んで日中は時折白いものが舞う程度だった。この注意報は今夜も引き続き出されている。

 婆様、今日からデイケアに復帰する。

 小生も昼間、久しぶりにプールへ。この雪空のせいか、定連さんの顔も少なく、入ってしばらくは完全にプールを独り占めだった。屋外に雪が舞う様子を眺めながらの水泳、なかなか乙でげす。本日、2000m。

 いつだったか、渋柿を剥いて軒につるしておいたやつ、もう大分前から吊るし柿が出来ていたのはわかっていたが、天気の良い日など、ハエが沢山タカッていたので、そのまま食べて大丈夫だろうかと、いささか腰が引け気味だった。ある人がブランデーに漬けて食べると美味しいよと言っていたのを思い出した、一番安いブランデーを買ってきて、漬けた。これでアルコール消毒にもなるだろう。

 夕方6時から、荒木商店の離れで馬場八幡の宮総代の新旧引継ぎの寄り合いがあった、先日の豆札の初寄りで、図らずも豆札の宮総代になって戸惑っていたところ、その戸惑いにさらに追い討ちをかけるように、新三役のうちの会計を仰せつかってしまった。馬場八幡の宮総代は坂梨の各集落から一名(一部集落二名)が選ばれて総数十三名の総代で馬場八幡の総てを運営するそうである、なんだか大変なことになってしまった。総代長は志賀昭男、副総代長は宮崎昭光の両氏である。








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