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平成19丁亥(2007)年3月の記録(新しい日付けの順)

平成19年3月31日(土)

 曇り、強風。終日時々雨が混じって強風が吹き荒れる、明日明け方まで強風と雷の注意報が出されている、落ち着かない一日だった。

 娘、午前中、保育園で進級の面接があり母親が出席する、ゼロ歳児からお世話になっており、早いもので年中さんになる。

 iPAQのセットアップに苦労している、初期不良ではないかとさえ思っている、PDAが一般に普及しないわけだ。

 そうか、今日は年度末か・・・・・

平成19年3月30日(金)

 晴れ。昨夜は大荒れに荒れた。午前二時前、ゴウゴウという風の音に眼が覚めた。昨夜の天気予報で言っていたかどうか覚えていない。強風に備えてベランダのものなどを片付けていなかったことなどが気になって結局そのまま起きてしまった。一夜明けて外を見てみたが草木には狼藉の後は見えず、夜だったから無用の心配をしてしまったのだろうか、私設の観測装置では風速12m/秒を記録していた。桜が咲ききる前で良かったというところである。

 婆様の入れ歯の調整、一応前回の通院で終わったのだが、少し具合が悪いというので午後宇治歯科まで連れてゆく。

 新しいiPAQが届いた、今晩はおさんどんだから明日おもむろに開封することにする、楽しみは明日にとっておくというやつである。

 熊本県議会議員選挙が告示され8日の投票日に向けて選挙戦が始まった、ここの選挙区では定員一名に対して三名が立候補している。



平成19年3月29日(木)

 婆様、デイケア。

 本日も穏やかな日和であった、ようやく我が家のソメイヨシノの開花宣言である。宿場會の植樹で植えてもらった「小さな木だからあ、小さな花が咲くでしょう」、ということで、慎ましく咲いている。ただテングス病に罹っていて、何箇所も切り落とさなければならない。

 先日電話をしてあった、熊本市内の坂田機械さんが、手押し耕運機の修理にみえた。あちこち不具合があって、もうスクラップになる運命かと思っていたが、手際よく直してくれてまた元気に動き始めた、この機械にそのうちに畝立てのアタッチメント(正式名称は培土器というらしい)でも取り付けようと思う。この中古で買った機械は平成14年の3月8日に届いた記録がある、あの時も今日おいでになった人が届けてくださったそうで、当時の思い出話をしているうちに、坂田機械の社長さんだということが分かった。坂田機械さんは今は熊本市内のど真ん中にあるが、そんな都心で、農機具ですか、と問うたところ、もう100年商売しているそうで、昔は回りは全部田んぼだったそうだ。


平成19年3月28日(水)

 今日は、阿蘇は穏やかに晴れた。

 我が家の桜は開花したかなと、そばまで行ってみたが、一輪のみようやく開きかけていた段階だった。

 午前中、眼の術後経過観察の診察を受けに小野医院に出かけて目薬を貰ってきた、次は二三週間後だそうだ。帰る途中、温泉病院にお隣のお婆ちゃんを見舞う、少しずつ元気になっているようだ。

 更に、帰る途中、役犬原の霜神社(写真1写真2)に寄ってみた、意外に小さな神社なので驚いた。この神社は、例の(2/17,2/23,2/26記述)、規則性をもった配置を成す阿蘇の神社群の一つである。詳しく話を伺うつもりで宮司さんに承諾をいただいているが、眼の手術などがあって、訪問は少し先になりそうである。




平成19年3月27日(火)

 雨。小ぬか雨だろうか、春を呼ぶ細かい雨だ。坂梨農協前の毎年見事な花をつける桜がもう開いている。気象庁は標本木に五輪だか咲くと開花宣言をするそうだが、ここの桜は五輪どころではない、もうかなり咲いている、ただソメイヨシノでは無いと思うが。翻って我が家の桜は、というと未だだ、この雨で多分明日には開花すると思うが・・・

 SO-NETのPDA専用の接続サービスbitWarp PDAの契約を解除した。月額2,000円で使い放題だったので、得がたい存在だったが、今まで使っていたiPAQが故障して、已む無く?買い換えた新しいiPAQには、残念ながらCFカードのスロットがなく、SDカードのスロットしかない。bitWarp PDAでは、CFカードタイプの通信カードしか使えずに、SDカードタイプの通信カードを出す予定は無いとのことだから、これはもう仕方が無い。新しい機種は無線LANを内蔵しているので、熊本市内などに出かけた時には公衆無線LANのホットスポットが利用出来るし、地元ではまあ使うことも無いので、自宅では無線LANで使えるし、それで良いことにしよう、そのうちにまたSDカードタイプの通信カードに対応することもあるだろうて。


平成19年3月26日(月)

 晴れ。今日も風もなく鶯の声が気だるくさえ感じるような暖かい一日になった。

 薪がもう殆んど無い、例年、5月の上旬くらいまで焚いているが、今年はもう作る気がしない、いざとなったら床下に貯蔵してある非常用備蓄を取り出すことにしてなんとか終わりたい。今までと違って焚いたり焚かなかったりの繰り返しとなるので、せめて焚きつけだけは作っておこうと薪を細かく割っていたらシャツ一枚でも汗ばむほどだった。


平成19年3月25日(日)

 曇り。昨夜は結構荒れたが、一夜明けて穏やかな天気になった。私設気象観測装置の雨量計が機能していなかったので、分解してみたところ、泥が詰まっていて、雨量枡が動かなくなっていたようだ、清掃して復旧させる。


平成19年3月24日(土)

 雨。午後より風雨強くなる。その風雨が強くなる前、なんでもないのにまた停電した、バカヤロー。

 保育園の卒園式、娘は在園児だが、送る側として出席。保母さんから「明日はスカートを穿いてきて良いよ」と許可がでたのが嬉しくてしかたがないらしくて、送っていった際に、同じクラスの女の子とも、お互いに「スカートはいてきたよ」と見せ合って大喜びだった(普段は機動性などを考えてズボンスタイルが決まりのなのだろう、小生は知らなかったが)。「スカートめくりされないように気をつけろよ」と冗談を言って送り出したが、帰ってきて「やっぱりスカートめくりされたア」と照れていた。栴檀は双葉ふたばより芳かんばし、三つ子の魂百まで???

 ここのところ、公衆無線LANのホット・スポットについて調べている。駅や空港、ホテルや商店街などの公共の場所で公衆無線LANなどでインターネットに接続するサービスポイントのことである。このサービスを提供する事業者はいくつかある、阿蘇にも極端に少ないが無いことはない。ところが驚いたのは、「ドコモ公衆無線LANサービス」http://www.mapion.co.jp/custom/mzone/index.htmlである。検索する限りにおいては、熊本県にはサービスエリアが無い、熊本空港にも無い、「皆無」なのである。九州では唯一、熊本県にだけサービスエリアが無いのである(因みに、全国を検索してみたところ、滋賀県が無い、全国で二県だけである、小生の検索の仕方の間違であって欲しい)。明治の初めから通信郵政事業は熊本が中心であった、その残滓?アマチュア無線の国家試験は今でも九州では熊本でやる、福岡からも熊本にやって来て受験する。舐められたものだ、観光の知名度のおいても素晴らしい観光資産を持っていながら決して高いとは言えない、何事においても熊本の落ち込みは著しい、こうなると行政の怠慢以外の何者でもないだろう。田舎暮らし、自然豊かな地を求めてきたのだからそれでも良いのだけれど熊本県の後進性には改めて驚かされた。



平成19年3月23日(金)

 晴れ、今日は気温が20℃を超えて日中はシャツ一枚で過ごせた。

 早く、サトイモの準備をしたいが、まだ農作業は駄目だそうだから気が揉める。そろそろ耕すくらいは機械がやるから良いだろうと思うので週明けくらいからだましだましやるつもりである。

 手押し式の耕運機が故障しているが、エンジンは掛かるので、修理して、畝立てアタッチメントでも取り付けられないかと思って、今日修理依頼の電話をかけて、近いうちに引き取り修理をしてもらうことにした。


平成19年3月22日(木)

 晴れ、昨日の野焼きの煙とは違って今日は春霞みで視界が悪くて阿蘇山は殆んど見えなかった。

 婆様、デイケア。

 手術後、初めて小野医院で診てもらう、経過観察のために一週間後にまた行くことになる。帰る途中、温泉病院にお隣のお婆ちゃんを見舞う。


平成19年3月21日(水)春分の日(春季皇霊祭)

 お彼岸で、墓参りの所が多いのだろうが、ここでは、お彼岸のお墓参りの風習は無いようである。昨年だか一昨年だか、小生が山に登ってお線香をあげて降りてきてご近所の人に聞いたところ、このあたりでは特にお彼岸の墓参りはせん、とのことだった。お彼岸の墓参りは普段、墓地が遠くて墓参りが出来ないからするのであって、家の近くに墓地があって、何時も墓参りをすることが出来るにだから、改めてお彼岸に墓参りをしないのだろうか(阿蘇坊主殿どうですか)。

 穏やかに晴れて、日延べされていた北外輪山一帯の野焼きが実施された、多分絶好の野焼き日和のなかで行われたのだろう。小生、手術の予後で参加できないので、家の近くで北坂梨方面の野焼きを眺めた。

 野焼きの煙で、阿蘇谷は終日ぼんやりと霞み、ススキや萱の燃えカスが風に乗って飛んできて、雪のように降りかかり、こんな日は洗濯物は外には絶対に干せない。

 娘が、「お父さん、ツクシのでとるよ」と教えてくれた、保護色に近くて気がつかなかった、いつの間にか顔を出していたのだ、土手の菜花ももう満開だ、阿蘇谷がどんどん春色に染まっていっている、野焼きで真っ黒になった土が薄緑に覆われるのももうすぐだ。

(上段のくだりに、以下の書き込みを掲示板に頂戴したので、転載しました。)
墓参  投稿者:asobowzz  投稿日: 3月21日(水)22時22分32秒   引用  編集済
   幼くして母を、青年期に父を亡くしましたので
少しは墓参りにも行くかと思いきや 全然 行きませんね。
魂魄の 魄に関係することでしょうが 良く解りません。
宗教心の強弱にも あまり関わらないようです。
前任地の屋久島の漁村では 町の(村の?)中心に共同墓地があり
朝昼夕と頻繁にお参りされていました。町で一番賑やかな所でした。
香煙と生花が絶えることなく供えられていました。
阿蘇の一般の墓地では 草取りがされ お花が供えられるのは
一年の内でも お盆の前後だけのようです。
どうも地方、地域の習慣の違いのようです。
私は現在でも家のお墓にはほとんど参りません。
生きて苦悩する者の方に関わり・・・  答えになりましたかどうか・・・

http://green.ap.teacup.com/asobowzz/



平成19年3月20日(火)

 快晴、気持ちの良い一日になった。

 婆様、宇治歯科通院、あともう一回くらいで終わりそうだ。

 やまなみ通りの農協の支所と物産館「四季彩いちのみや」の間に、小生が入院中にコメリというホームセンターが開店した。この人口の少ない町にホームセンターがまた出来た、噂によるともう一軒出来る予定だとか。商売になるのか他人事なら気になる。歯科の帰りにちょっと寄ってみたが、我が家からは5分ほどで行けるので何かと便利ではある。

 お医者さんの言いつけどおり?今日一日何もしないで静養に努めた。


平成19年3月16日(金)〜3月19日(月)

三泊四日、白内障手術の旅

 周囲の助けがあり運良く最短で白内障(右眼のみ)の手術を受けることが出来た。出田眼科病院、唐人町という熊本城を近くに望む歴史のある街にあって遠く県外からもその評判を伝え聞いて沢山の患者さんが訪れる病院である。

 16日(金)の昼に入院して、17日(土)の午後に手術、18日(日)安静、19日(月)昼前に退院という短い入院だった。

 手術自体は痛くも痒くもなく患者本人にとっては極めて簡単な手術であるが、ただ手術にあたっては、心電図や血圧や血中の酸素濃度を常時測りながら万全の体制で行われる。

 その前日でも何度も体調をチェックする。そして手術に際しては患者の付添い人は、小生の場合はカミサン(と娘)だが、モニター室で手術の様子を逐一テレビ映像を通して見ることが出来る。執刀医が施術するのと同じ画角と大きさで受像機に写るそうだ。メスで切開して水晶体を超音波で砕いて吸い出すところまで見えるそうで、カミサンは煮魚の魚の目玉だって気味悪がって食べないので、全部のシーンは見なかったそうである(娘は見ていたそうだ)。

 肝心の患者本人がその様子を見られないというのは如何にも残念である。後から記念にビデオテープでも貰えると良いと思った。

 患者自身の感想は、手術だから目に強いライトが当てられて、機械で瞼を開いた状態で手術を受けるわけだが、メスが見えるわけでもなく、手術スタッフの顔が見えるわけでもないが、そして、局部麻酔で、痛くも痒くもないのだが、なんとも言えぬ落ち着かない不安定な状態であったことは間違いない。

 そして、手術は10分程度で終わるが、手術後、麻酔が切れたら痛むのかと思ったら、これがまた全く痛まない、眼には神経が無いのだろう、数多ある手術のなかでもしかしたら一番苦痛が少ない手術かもしれない。

 かくして、病院スタッフの皆さんのおかげで、水晶体に替わる人工のレンズが眼に挿入されたのである。術後の夕食だけはベッドで摂ったが、それほどの安静も必要がないほどの体調で、眼の手術をしたにもかかわらず、不謹慎にベッドで本ばかり読んでいた。

 よくドラマなんかで、眼の手術後、グルグル巻きにした包帯をそっと取って、光を感じて物の形が像を結んで感動するシーンがあるが、白内障の場合は全くそういったドラマチックなシーンは無い。

 手術が終わって眼をガーゼで覆ってその上からプロテクターで保護するが、ガーゼと眼の間には空間があるし、瞼自体をテープで留めるわけでないので、瞼は自然に開いて光が入ってきて、眼を覆っているガーゼだってなんとなく見える。

 手術の翌日にはもうそのガーゼさえ取ってしまう。そのガーゼも医師が診る前に看護婦さんが取ってしまうので、もうその段階で普通どおりに物が見えるのである、つまりドラマは無いのである、それほど白内障の手術とは技術が確立されており特殊な手術ではないのであろう。

 もう大昔になるが小生の父が白内障の手術をした時代には、水晶体に替わる人工レンズがまだ開発されていなかったので、術後は牛乳瓶の底のような厚いレンズのメガネを掛けていたが、今は術後はまったく普通の「眼」と同じになる。ただ自前の水晶体と違って厚みを自動調整できないので、遠近を補完する普通のメガネが必要になるが、小生の場合は術前の自前のレンズとほぼ同じ度数の人工レンズが入っているのだろうか、今のところ改めて眼鏡を作り直す必要がなさそうである。

 そもそも人工のレンズが眼ン玉の真ん中に入っていること自体が自覚できない、もっとも自覚できるほうがオカシイのであって、物を見る際にそのレンズの存在を感じないのが当たり前である、分かっていても不思議である。

 健康の有難み。病気して、入院して初めて分かる、たかが白内障、わずか三泊四日の短い入院、それでも外に出られない不自由さ、隻眼で遠近が掴めないもどかしさに苛立ちを覚えた、病院にはそんな白内障だけでなく、網膜はく離やそのほかにもっと難しい病気を抱えた患者さんもたくさんおいでで、そういう人たちの不安、苦痛の闘病生活はさぞかし大変だろうなと、心からの同情を禁じえない。

 雑感。病院食、これが量が少なくて閉口した。病院では専門の栄養士がちゃんとカロリー計算をして必要量を出してくれているのだろう、裏を返せば、普段の生活が如何に飽食であるかということなのだろう、病院食を食べていたら間違いなくスリムになって健康が維持できるに違いないが、病院から帰る途中、早速、カミサンとトンカツ屋に入って精進落し?をした。

 病室は二人部屋だったが、同じ日に入院して同じ日に手術を受けることになっていた、宇土市のM本さん、何種類かの術前の点眼薬のうちのどれかが合わないようで炎症を起こして手術が急遽中止になって、入れ替わりに熊本市内のM上さんが入ってこられて、小生の退院の時間帯に同じ白内障の手術を受けられた、入れ違いだったので結果は分からないが無事手術は終わられたことだろう。

 手術した眼の傷が完全に元に戻るのは三ヶ月くらい掛かるそうで、それまでに何段階かの養生のステップがあり、しばらくは眼のために自堕落を決め込まなくてはならない、水泳も一ヶ月は駄目なようである。

 短い留守であったが、その間、日曜日に予定されていた野焼きがまた延期になり(今度は21日の春分の日だそうだ)、往生岳の火文字焼きが終わり、村の行事である鞍岳さんも終わり、なんだか何日も家を明けていた気分である、山には先日降った雪がまだ残っている


平成19年3月15日(木)

 朝から弱い雨が降っていて、春の雨だなあ、と思っているうちに昼頃から霙に変わり、さらに雪になってしまった、昨日掛けたマルチ夕方には真っ白になっていた。しかしこの時期の雪、べた雪というやつで降る端からどんどん溶けていっている。珍しく57号線滝村坂にチェーン規制が出た。今夜は阿蘇神社の火振り神事だが・・・

 婆様、デイケア。

 明日からしばらくは、体力を使う作業は出来ないので、昨日のうちにジャガイモの作付けを終わっておいて大正解だった。


平成19年3月14日(水)

 晴れ。

 明日から天気が崩れるらしい、今日のうちにジャガイモの作付けしてしまわないと時期を逸することになるので、午後から作業にかかった。種芋はメークインと男爵が5キロづつ。作った畝四列に種芋の間隔から計算して、一列につき38株植えることになるから、四列で合計152株。種芋は一部について半分に切って、全部で152個にする。半分に切った種芋の切り口にはストーブの灰を塗って防腐処理をする。午後から始めたので、マルチを被せて作業が終わったのは日没後、最後のほうはライトを点けて作業をした、マルチ掛けしたシーンは暗くて写真を撮ることが出来なかった、クタクタである、結局いつものように欲が出て沢山植えてしまった。


平成19年3月13日(火)

 晴れ。少し雲が多かったがまあまあの天気で、昨日よりは暖かかった。

 入院前にすっきりしておこうと思って、午前中、床屋へ。

 婆様、大阿蘇病院定期通院。何時も午前中の早い時間に行くが、人の常で朝のうちは混んでいるので、今日は午後三時頃病院に送っていった、朝よりは少しは空いているようだった、娘を保育園に迎えに行って一緒に病院に迎えに行く。

 お向かいの畑をラクターで耕して差し上げた、まだ面白い段階なので何処へでも出張する。

 おさんどんで13日の宿場會の例会、先々月、先月に続いて欠席する。


平成19年3月12日(月)

 晴れ。今年は異常に暖冬だと騒いでいたら、此処に来て今度は平年より寒い日が続いている。今日も気温は低めだったが気持ちの良い青空が広がっていた。

 婆様、デイケア。

 ジャガイモの作付けの時期だ(が、少し遅れ気味だと思う、そうでもなくて、丁度最盛期なのかもしれない)。週末に手術を控えていて、手術後はしばらく運動は駄目だと言われているので、入院までに植えてしまわなけらばならない。午前中、畜協から、堆肥を500円分買ってきて、早速トラクターで鋤き込んだ。500円分というと、ショベルローダーで一すくい分の分量で軽トラに丁度一杯分である。


平成19年3月11日(日)

 晴れ。風が強くて冷たかった。

 朝から晴れ上がったが、昨日降った雨で枯れ草の乾きが遅くて、今日予定されていた北外輪山一帯の野焼きは来週日曜日に順延された。

 千客万来、面白いお客様があった。別にお客様が面白いのではなくて、その登場の仕方が面白かったのである。インターネット時代ならではの登場の仕方なのである。

 昼前、娘を連れて、坂梨一帯を馬場八幡関係の用件で回っているところに、木村豆腐店のまりさんから電話が入った。

 今、小生のホームページを何時も見ているというお客様が見えていて、小生と話をしたいとおっしゃっている、電話を代わるからお前出ろとのこと。

 それなら、近くに居るので、本人が直接伺いましょうと、豆腐店に行ってみると、ご夫婦と小さな女の子の三人連れ。自己紹介の結果、宮崎県佐土原にお住まいの、N倉Y一さん、K津江さんご夫妻と孫娘のA生ちゃん

 お話を伺ってみると、前々から小生のホームページや「坂梨宿」を毎日欠かさず見ていただいていて、阿蘇、そしてとりわけ坂梨が大好きになり、今日野焼きがあると聞いて、出来れば坂梨に泊まって見物したいと「阿蘇の四季」に問い合わせたところ、満室だったので、やむを得ず南阿蘇の方に泊まったとのこと。

 自分の責任では無いにしても、せっかくの野焼きが延期になってしまって申し訳ない気持ちになった。まりさんがサービスに「なま揚げ」を出してくださったが、初めてだそうで美味しい美味しいと舌鼓を打っておいでだった、我が家の娘まで一緒になって頬張っていた。「なま揚げ」という食べ物、あまりポピュラーではないようで、知らない人が多いが、ここの「なま揚げ」、醤油をちょっとかけて食べると、お世辞抜きに絶品である。油揚げは高温で揚げるが、なま揚げはどうも低温で揚げるらしい。

 そもそも小生がここに住むことになった顛末や我が家の動静についても(当然のことながら)実にお詳しくて、これから、これもホームページで知った「なごみ野」で昼食を摂るとのことだったので、それでは食事の後で、是非我が家にお寄りくださいということになって、お立ち寄りいただいたのである、娘も同い年のA生ちゃんと直ぐに仲良くなって一緒に遊んでいた、面白いお客様とはこういうことである、また新しいつながりが出来た、縁とは全く不思議なものである。


平成19年3月10日(土)

 曇りのち、夕方近くから雨。

 娘の保護者参観があり、カミサンが参列した。

 有朋自遠方来不亦楽乎、松田敏雄さんがやってきた。折りあるごとに、おいでよと誘って、足掛け六年、ようやく実現した。彼は小生が勤務していた小生より少し若い職場の同僚である。

 インフルエンザの病み上がりなのを無理をして、大分への出張を熊本空港経由で帰ることにしてくれて、昨夕、阿蘇の宿泊施設に到着した、今朝小生が迎えに行って夕方まで阿蘇を案内した。下り坂の天候の中、かろうじて天気がもって、少し寒かったが、無事案内をすることが出来た。

 ちょっと仏頂面のちょっとはにかんだ懐かしい顔に少し貫禄がプラスしていた。六年ぶりの再会だが、気の置けない仲間なので全くそのブランクを感じさせなかった。また是非訪ねて欲しい。


平成19年3月9日(金)

 晴れ。

 午前中、熊本クボタ阿蘇営業所の市原伸太郎さんがトラクターを届けてくれた。(写真1写真2)彼は隣の集落、北坂梨の人だそうである、これから先、整備や修理などで色々とつながりがでてくるだろう、近くの人で良かった。

 実際に畑を走らせて見たが思った以上にコンパクトで取り回しが楽である。トラクターはメーターが付いているが、一般的には自動車のように走行距離でなく、運転した時間が積算されるようになっている。小生のトラクターは184時間強で、ほぼ新品に近い中古である。これから5年10年と使えるので決して高い買い物ではなかった。やっぱり手押しよりは気分が良い。


平成19年3月8日(木)

 晴れ。朝のうちボタン雪が舞う、小国のほうではチェーン規制がでるほど雪が降ったようだ。

 婆様デイケア。

 阿蘇から降りたところに位置する合志(こうし)市の農業公園で中古農機具の大展示会があった。昨日、病院の帰りに寄った農機具の中古センターで、本日と明日、大展示会が開かれることを知って、今朝一番で出かけた。大量のトラクターや耕運機、田植え機などの農機具が展示してあった。(写真1写真2)隣の集落の宮崎さんと松村さんも見えていた。

 半分ひやかし、半分本気で出かけたが、結論として一番小さな乗用トラクターを買ってしまった。手押し式の耕運機も大きなものになると、乗用のものとそれほど金額の差がなくなるので、乗用にしたのだ。一番欲しかった物件は他にもう一人希望者が居て、抽選になったが、もともとクジに弱い小生、当然のことながらハズレだった。その隣にあった第二候補については希望者が他に居なかったので小生が落とした。正直、ああいった場所に行くと催眠術に掛かったみたいになる部分もある、少々高い買い物になったが、こういったものは結構古くなっても引き取り手はあるので、大事に使えばまた幾ばくかで売れることもあるだろう、こういう所で生活していると、こういったものに乗りたくなってしまうのである、まあ高価な男のオモチャ化も知れないが、これくらい小さいとカミサンでも扱えるだろう。

 午後、月曜日から阿蘇に帰っておいでのTOMUさんご夫妻が見える。TOMUさんも家周りの整備で忙しくてようやく時間が取れたとのこと、明日にはまた東京に帰られるそうだ。


平成19年3月7日(水)

 晴れ。今朝も冷え込む、もう今年は無いだろうと思っていたが、古閑の滝が凍った。

 熊本市の西唐人町にある出田眼科病院に行った。眼科専門の病院だが総合病院並みの大きな病院で診察室だけでも10室くらいある、病院スタッフも多く、応対の感じが良くてホテルのような病院である。非常に歴史がある病院だそうだ。こちらに来て驚いたことの一つに、熊本には良い病院が非常に多いことだ、それも先進的な技術を備えた病院が多い。阿蘇には信頼の置ける病院や医院はあるが、診療科目が少ない、そういう場合、熊本市内に出ればいくらでも専門病院があるので安心である。

 経緯は省略するが、来週末に手術をして貰えることになり、手術に備えて非常に綿密な検査をやってもらった、もっとずっと先の覚悟だったので喜ばしい限りである。

 病院がある唐人町界隈は、昔の熊本の中心で、戦後しばらくして繁華街が今の新市街や下通などがある地域に移っていった。歩いてみると昔の古い町屋などが残っていてなかなか風情がある町である。



平成19年3月6日(火)

 晴れ。

 朝のうち粉雪が舞い、阿蘇山頂付近も薄っすらと雪化粧、冷たい風が吹いて完全に冬に逆戻りだ。啓蟄だそうだが虫どももこの寒さに震え上がったことだろう。それでも日中は穏やかに晴れた。

 農協から早々とジャガイモの種芋が届いた。例年に比べてどうなのだろう、ホームセンターでもとっくに売っているが。トラクターが出動したので今年はなんとか植えにゃあなるまい。

 夕方、確定申告を済ませる。申告の予行演習でもしようかと国税庁のサイトを呼び出して打ち込んでみたところ、さっさと出来上がって印刷までしてしまったのでそのまま提出しに行った。年金と生命保険料・損害保険料だけだから簡単である。ノット・ワーキング・プアだからそこそこの額が戻ってくる。

 二月の末に、2月は28日しかないので、儲かったと思う人や、損をしたと思う人など様々だろうと書いたが、これは小生には全く関係が無いという含みだったのだが、二月分の国民健康保険税の納付を忘れていた、こりゃあ延滞利息が付くな。


平成19年3月5日(月)

 昨夜から発達して日本海を通過していった低気圧で日本海側は大いに荒れた。ここ阿蘇はさほででもなかったが、一夜明けてすっかり冬に逆戻りしたように寒い一日になった。今までが今までだたので寒さが堪えた。

 婆様デイケア。

 婆様が留守中に、掴まり棒を設置した。(写真1写真2)少しずつ補助具が増えていっている、それでも自力で動ける間は動け!だ。


平成19年3月4日(日)

 晴れ、今日はこの阿蘇で20℃を越えた。ただ風が少し強し。熊本市ではこの時期に十数年ぶりに夏日を記録したそうだ。

 朝一番で、古木秋秀さんがトラクターを届けてくださる。氏は半分道楽でトラクターをお持ちで自家用の菜園を耕しておいだ、今回それをお借りしたのだ(写真1写真2)。トラクターを運転するのは生まれて初めてである。直ぐに要領を覚えて久しぶりに畑を鋤いた、しばらくお借りしてあとに二三度鋤くことにする。小生も乗用の小型トラクターが欲しいが、なかなか出物が無い。それ以前に、我が家の畑の広さで(というより狭さで)、トラクターが果たして要るかどうかが問題である、乗って耕すほうが楽で、楽しいが、手押し式の大きいタイプで良いのではとも考える。今まで使っていた耕耘機は小さくて非力ではっきり言って効率が悪かった。「かった」と過去形を使ったのは、故障してもう使い物にならないのだ。

 昼前、仙酔峡下の国立阿蘇青少年交流の家(少し前までは、国立阿蘇青年の家と言っていたが、名称変更したらしい)のグランドで開かれている「みんなの広場in ASO」という野外イベントに娘と出かけた(カミサンは仕事で不在)。ポニーの乗馬体験や、凧揚げや餅つき大会やフリーマーケットなどが開かれていて、二人で赤牛の焼肉を食べた。

 今日は、阿蘇山麓の野焼きの日だったのだが、乾燥注意報が出ているうえに風が強かったためか、野焼きの火が飛び火してあちらこちらで山林原野火災が発生して、サイレンが鳴るや、消防団が出場するやで騒々しい一日になった。イベント会場の直ぐ近くが仙酔峡なので、会場近くにも煙りが立ち上っていて、消防車がサイレンを鳴らしながら次々に仙酔峡の方に登っていっていったが、この辺の人たちは野焼きの飛び火には馴れていて、特に慌てる風でもなく、騒ぐでもなくイベントを楽しんでいた。先日の南阿蘇の山火事もそうだが、このあたりの山の上のほうにはブッシュしか生えていないので、山火事といっても、野焼きのちょっとした拡大版にしか思っていないのだろう。一時は全山に火が回った感があったが、午後4時前には我が家から見る限りではほぼ収束状態に向かっているように見受けられた。ただ、我が家から見ていて仙酔峡のミヤマキリシマの群生地の直ぐそばにも煙が立ち昇っていたので、それが気がかりである。斜面を登ったり下ったりと、とにかく消防関係者が疲れた一日であったことは間違いない。

 ご近所のイチゴ農家から沢山イチゴを頂戴した、ジャムにするのは勿体無いほどの大粒のイチゴなのでそのまま腹いっぱい食べた。
(16:00記)
以下のスライドショーは、JR6IES中園政雄氏の提供による。(2007/4/27追加記載
阿蘇山麓野焼きスライドショー(1/4)全11枚
阿蘇山麓野焼きスライドショー(2/4)全11枚
阿蘇山麓野焼きスライドショー(3/4)全11枚
阿蘇山麓野焼きスライドショー(4/4)全11枚


平成19年3月3日(土)

 晴れ。今日も気温は20℃近くまで上がった。

 ひな祭りだが、カミサンと娘、熊本市内に出かけて夜遅くなるようなので、特にセレモニーやイベントは無しである、雛人形はは飾ってあるが・・


平成19年3月2日(金)

 晴れ。今日も気温が上がり、今日他の人同士の挨拶が耳に入ってきたが、「今日は暑かですね」だった、そこまでは暑く無いと思うがそれでも日中は20℃近くまで達した。夜になっても、全くストーブを焚かなくても寒くない。

 昨日からの阿蘇南斜面の火災、午後になってようやく鎮火したそうである。100ヘクタールの消失だとか、もっとも大部分はブッシュのような場所だと思うのだが、ミヤマキリシマの群生地もかなりやられたらしい。なんでも横浜からの観光客がラーメンの湯を沸かそうと車外で火を焚いてそれが近くの枯れ草に燃え移ったらしい。

 昼にプールへ、3000m。



平成19年3月1日(木)

 晴れ。きょうも最高気温が18度くらいまであがって、もう「馬鹿」がつくような陽気で、体がだるく感じるほどだった、まだ体が温かさに慣れていないのだ。

 午後、南郷谷側の阿蘇の山林だが原野が火事になり、結構燃えていると南郷谷の阿蘇坊主殿が電話をくれた、こちら側から見ると中岳方向になるので、見てみると煙が上がっているのが見えたが、丁度噴煙の場所と同じ方向なので果たして、火災の煙かどうかはっきりしなかった。

 昼にプールへ、3000m









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