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平成19丁亥(2007)年4月の記録(新しい日付けの順)

平成19年4月30日(月)

 今日も気持ちよく晴れた、ただこの天気も今晩から明日にかけてひと荒れ来そうで、夕方には雲が広がってきた。

 婆様、デイケア。デイケアに日曜、祭日は関係ない、あれば良いのにと言いながら出かけていって夕方に帰ってきた

 今日は、畝を4列立てた。まだ立てる余地はあるが、もう良いだろう。家の周りにすっかり水が入った。野良仕事をしているときに、TOMUさんご夫妻が立ち寄られた。手に入れたばかりの軽トラックに、いろいろの機材を積んで今回の滞在で家周りの整備に精を出しておいでだ。


平成19年4月29日(日)

 昭和の日、世が世なれば昭和節である、みどりの日?一体何に遠慮してこんな事勿れの名前にしたのだ、しゃらくせえ。昭和の日にふさわしい素晴らしい天気だった。

 我が家を囲む田にもいよいよ水が入り始め、志賀さんが代掻きを始めた、久しぶりに刈払い機を使って我が家の雑草を刈った、ザッとであるが綺麗になった。カミサンも娘と花壇の草を抜いていた。今日は畝を4列立ててマルチを張った、培土器があるおかげで能率が上がる、あといくつか立てる予定である。以上を写真にするとこれ一枚に総て納まる、百聞は一見にしかずである。

 婆様のビデオデッキの調子が悪いので修理に出した。二年ほど前に買ったやつだが、その時にその量販店独自の5年保証に入っておいた。今時、ビデオデッキなど5年なんて絶対にもたないという自信があったので入っておいたのだが正解だった。昔と違って、国内で作らなくなってか家電製品は直ぐに壊れる、モノ作り日本よ何処へ行った。


平成19年4月28日(土)

 快晴、まるで初夏を思わせるような素晴らしい天気になった。関東地方では突風、落雷、雹と大荒れの様子がニュースで伝わってきた。

 以前はよくゴールデン・ウイークと言っていたが、なんとなくしっくり来ないので、何か適当な言い方はないかと、思っていたら、ニュースで「大型連休」と言っていた、なるほど。

 表通りに出ないので、分からないが、帰省と観光で、阿蘇も年で一番の混雑になっているだろうか、それは、後半の連休になってからだろうか、カミサンと娘は鉄道で熊本市内に出かけていった。

 小生は、午前中、お向かいの畑をトラクターで鋤いてさしあげて、午後からプールに行った、本日も1000m。大型連休中は、プールが県外など、あちらこちらからのスイミングクラブの合宿でほとんど満員状態が続き、一般用のコース数が極端に少なくなる、うまく占有時間と占有時間の間隙を縫って行かなければコースがたくさん空かない、今日は3時頃が空いていた。市の財政改善のためには我慢しなければならないところである。


平成19年4月27日(金)

 穏やかに晴れる。

 今度の連休に色々な野菜を植えるとカミサンが張り切っているので、あまり当てにはならないが、今日、畜協で堆肥を買ってきて畑に鋤き込んでおいた。

 昼、プールへ、1000m。


平成19年4月26日(木)

 晴れ、ここのところ天気が安定してきている。

 このあたり、そろそろ田植えの準備が始まっており、田起こしや、畦の雑草刈り(ここではアゼキリと言う)が行われていて、雑草が刈り取られた後、幾何学的な綺麗な畦が続いている。こうなると我が家の雑草がやけに目立ってくる。田に水が入るのも、もう間もなくだ、また家が水に浮かぶ季節がやってきた。

 昼、プールへ、1000m。

 iPAQ、リペアセンターに発送する。

平成19年4月25日(水)

 晴れ。

 昼、プールへ、1000m

 iPAQ調子悪し、修理照会をする、明日リペアセンター宛に送ることになった。。


平成19年4月24日(火)

 雨。今日も静かな雨であった、文部省唱歌に「降るとも見えじ春の雨・・・」という節がある、この時期の雨は大体こういう降り方をするのだろう。

 昼前、JR6IES中園氏が訪ねて来る。野焼きの写真を持ってきてくれた。小生は、自ら参加している馬場豆札牧野の野焼きしか知らないが、氏が持ってきてくれた写真は、阿蘇山麓の米塚あたりでやった野焼きで、迫力ある写真が沢山ある、今年は小生、手術で野焼きに参加できず、従って写真を撮ることも出来なかったので、お借りして、近いうちにたっぷりとホームページで公開しようと思う。

 夕方、プールに行く、本日1000m。


平成19年4月23日(月)

 まあ、晴れた。

 婆様、デイケア。

 ほとんど一日中、豆腐屋で無線LANのメンテに明け暮れる、メーカーが異なる機器同士の設定は難しい、と言うよりは、小生、どうも無線LANというものが本当に判っていない。

 会長と一緒に馬場八幡の除草剤散布用の噴霧器を買いに行く。

 夕方、山下OMが430と1200の20数エレのスタックを届けてくださる、どこかのOMが降ろしたアンテナだそうだが、いやあデカイ。


平成19年4月22日(日)

 春に三日の晴れ無しと言う、今回は三日間は良い天気だったが、今日は終日静かに雨が降り続いていた。穀雨は20日だったか、いかにもそんな感じの雨である。

 昼、プールへ、1000m。一昨日の体重測定、もしかしたら測り間違えて1キロ少なめに読んだかも知れない・・・・・・・・・・・

 午後6時半ころ、また停電した、どこかで雷が鳴っていたか?強い風が吹いていたか?立て続けに三度だ、最初の二回は直ぐに復旧した、数分して、もう良いだろうとPC数台を起動していたらまた停電だ、オイ!九州電力どうしたんだ。


平成19年4月21日(土)

 朝のうちから20℃近くあり、計測器が故障かと思ったら二台とも同じ値を示していた。午後から天気は下り坂、黒い雲が覆い始めた。

 妙法寺の石楠花が今美しい、我が家の石楠花はまだもう少し先のようだ。

 ネットオークションで買ったものが送られてきた際のダンボールなどが二階のベランダに山のように積んであったので、庭に投げ下ろして、ついでに竹など一緒に焼却した(本当は燃やしてはいけないんだけどね)。

 北部ボディーで、冬の間履いていた軽トラのスタッドレスをようやくノーマルのタイヤに戻してもらった。

 午後から、TOMUさんに、我が家のタケノコと木の芽とシイタケをちょっとお届けしたところ、丁度、久留米からお孫さんたちが見えていた。これからはおじいちゃんの家が近くなっていいだろう。



平成19年4月20日(金)

 今日も気持ちの良い一日だった。野焼きの後の山肌が確実に少しずつ緑に変わっていっているのがわかる。(写真1写真2

 子供たちも元気に通学している(下校時の写真 写真1写真2)。

 TOMUさんも昨日から阿蘇入り、新車の一輪車で芝張りに精を出しておいでだった

 今日から、水泳を再開した。医師は長距離は駄目だというので、今日は1000mだけにした、1000mくらいなら長距離にあたらないだろう。久しぶりのプールに、最初の200mくらいは苦しかったが、そのあとは心配したほどではなかった。体重が68キロ近くまで増えているので、また減らすのが大変だ。

 と書いて、念のために、過去の記録を遡ってみたところ、
H17/10/13に 71.2キロからスタートして、
H18/11/30  67.5キロ
H18/12/20  66.9キロ
H19/ 1/10   68キロ(この時は正月の食いすぎで相当増えている)
その後は、少し減っていると思うので、今回のブランクはあまり影響していないようだ。
根雪のようにガッチリ根付いた脂肪も、時間をかけてじっくり融かした後は、そう簡単にはまたすぐに根脂肪にはならないように見える。


平成19年4月19日(木)

 まるで絵に描いたような快晴とはこういう天気を言うのだろう、一夜明けて昨夜の積雪で、阿蘇山は全山白銀に輝き、季節外れの冬山に改めて感動した。

 婆様、デイケア。

 下町のTさん宅にパソコンのメンテナンスに伺う、釣りがお好きだそうで、ギャランティー?にハマチとタイを頂戴してきた。


平成19年4月18日(水)

 雪、季節外れの雪である。昼前から降りだした雪は一時見通しが利かないほどひどく降ったが、べた雪で道路などは積もるほどのことは無かったが畑は真っ白になった、外輪山上ではチェン規制があったようだ。阿蘇山上ではなんと28センチ積もったと全国放送で伝えていた。

 その雪も夕方には止んだ

 午前中、小野医院に術後の経過観察のために行く、傷跡が完全に元の状態に戻るのに三ヶ月はかかるそうで、もうしばらく目薬を続けるよう言われた、次回の通院は一月ほど先である。術後、色々な作業などは、その負荷の係り具合から、運動内容別に何日後くらいは良いと表になっていて、水泳は経過日数からもう始めても良いようになっているので、如何と問うたところ、その目安とは一応の目安で老人などを対象にした軽度の運動を指していて、一度に何千メートルも泳ぐことは想定していないから、そんなに泳いではいけませんと言われた、仕方が無いのでしばらくは1000mくらいに抑えることにして、そろそろ泳ぎ始めることにする。


平成19年4月17日(火)

 曇り。

 ここ数日、パジェロの右後輪が他のタイヤに比べて少しへこんでいる状態が続いていた、多分何か刺さっているのだろうと、今朝行きつけのスタンドで見てもらった所、やはり太い釘が刺さっていた、最近のタイヤはチューブではないので直ぐにペチャンコになることはなく、慌てなくて済むから助かる。

 最近、娘は一人で髪を結う、4歳でである、何処で覚えたのだろう、カミサンはハテ?髪を結うほどの髪の長さだったろうか、見ていると女性が髪を結う時と同じシナを作っている、やはり女の子だ、それにしても末恐ろしや、である。

 ご近所からタラの芽を頂戴した、この辺りでは「ダラん芽」と言う、ご主人が山で仕事をしている関係でこの時期毎年頂戴する、今日はカミサンが遅くなるので、小生が他の野菜などと一緒に天ぷらにした。また同じくご近所から頂戴したヒトモジ(小葱)で婆様が、ぐるぐる巻き(小葱を茹でてくるくる巻いて、酢味噌で食べる、このあたりではぐるぐる巻きと言う)を作った。我が家の敷地内にもダラん芽が自生しているが、なんとなく勿体無くてまだ採っていない。


平成19年4月16日(月)

 春の嵐。昼間はずっと留守をしていたので詳しくは分からないが風と雨と雷がひどかったようだ。

 婆様デイケア。

 小生は、馬場八幡の総代会の役員として、会長等と熊本市の産業文化会館で県神社庁などが主催して開かれた「国民精神昂揚運動合同研修会」に参加した。

 集まりの精神は、神社と皇室を尊び敬い、そして「日本人の魂」を大切にしようという、極めて当たり前のことではあるが、君が代斉唱、皇居遥拝、万歳三唱などがあり、まるで戦前にタイムスリップしたかのようであった。君が代斉唱など相撲放送で耳にはすることはあっても、自分で大きな声を上げて歌うなど数十年ぶりのことだろう。皇居遥拝に至っては初めての経験であったが、「右翼」!と家族から白い眼で見られている小生にとっては居心地は悪くは無かった、殆んどの人がスーツにネクタイ姿であったのに対して、小生は一応はスーツは着用していたがノーネクタイで少数派、不敬であったかと少し反省した(田舎暮らしをするようになって葬式以外はネクタイはしたことがない)。

 会が終わってから、熊本市内から、webにアクセスして我が家のホームページを覗いたところ、午後12時40分頃でカメラが全部止まっていた、また停電したのだ。坂梨に帰ってから訊いてみたところ、夕方近くに雷が鳴ってヒョウが降ったけど、昼間は停電するような天候では無かったよ、とのことだった、かなり遠隔地の停電原因でここが停電したのだろうが、複数路線で一箇所切れてもカバーできるようにしておいてほしいものである。


平成19年4月15日(日)

 うす曇り。

 「お見知り遠足」。坂梨小学校の新入児童を迎えての歓迎の遠足を兼ねて、坂梨の保育園と合同の遠足があった。実はこの行事は、古くは明治末期、大正時代くらいまで遡る坂梨地区の伝統行事で、昔は坂梨全域を挙げての一大イベントであったそうだ。つまり、坂梨地域のほとんど全部の住民が坂梨小学校の卒業生なので、町を挙げてということになる、そういった人たちが浄土寺牧に集まって、子供たちの運動会を応援しながら、子供が居ようがお構いなしで飲めや歌えの大宴会となり、それだけでは終わらずに、浄土寺牧から下る途中の家々には酒席が設けてあり、大人たちはあちらこちらに引っかかっては酒を酌み交わし、山下りてくるのは日が暮れてからだったそうである。最近ではさすがに教育的見地からも、運動会で酒盛りはまずかろうとのことで、そのような盛大な酒盛りは無くなったようだが、それでも坂梨地区の春の主要な行事となっている。

 今年の坂梨小学校の全校児童数は99名で、保育園が40名強、小生と同年輩の人に訊くと、小学校は300人くらいおったとのことであった、いろいろな意味でガンバレ、である。

 今日は天気が下り坂で、朝のうち少し肌寒くて空模様が心配されたが、昼頃には薄日も射しだして絶好の運動会日和となった。婆様はシンドイからといって家で留守番をした。

 桜はもう殆んど散っていたが、それでもまだいくらかは残っており、それに芽吹いたばかりの木々の柔らかい若葉が相俟っていかにも春だなあという気持ちの良い一日だった。

お見知り遠足 連続写真(1/4)
お見知り遠足 連続写真(2/4)
お見知り遠足 連続写真(3/4)
お見知り遠足 連続写真(4/4)

Wさんにもちょうだいしました、写真1写真2写真3写真4
平成19年4月14日(土)

 穏やかに晴れる。昨日の荒天は宵のうちには収まり、注意報が出ていた雷も鳴らなかった。

 昼前からサトイモの作付けをした。新兵器の培土器を使って畝立てをしたのであっという間に畝が出来た。ただ、この手の培土器は畝間が狭くて、もっと広い間隔を取りたいのだが出来ないようなので、マルチを張るときに狭くて苦労する、それでも手作業で畝立てをしていた時に比べたら雲泥の差である。

 畝は二列立てて、一列に種芋を28個植えたので、全部で56個である。ホームワイドで買ってきた種芋とあぜり庵で買ってきた食用のサトイモと混ざっている、どういう種類だか分からない。同じイモでも、ジャガイモは7月にはもう採れるが、サトイモは収穫までの期間が長くて、霜が降りる11月くらいまでかかる、従って畑の真ん中に作ると、いつまでも畑を占領するので、端っこのほうに作った、これは経験から学んだ。今年はサトイモの作付けがかなり遅くなったので、収穫もその分さらに遅くなるだろう。

 機動力を発揮して、昼過ぎには終わったが、ふとジャガイモの方を見ると、マルチが一定間隔で盛り上がっている。つまりもう芽が出ているのである。ほんの二三日前だったと思うが、その時は未だだったような気がする。

 ジャガイモにしてもサトイモにしても、種芋を地中に埋めて、その上にマルチを張るが、イモを植えた時点ではマルチには穴は開いていない。先にマルチを張って、穴を開けてからそこにイモを植えていく方法もあるが、小生は前者の方法を取っている。

 穴を開けておかなくても、芽が出てくると下からマルチを突き上げて芽が出たことが自然に分かる仕組みになっている(仕組みというほどのものでもないが)。つまり「太陽の季節」状態」(と書いて分かる向きと分からない年代があるかもしれないが、改めて調べるほどのことではないので読み飛ばしてください)になってから、その部分を鋏などで切って若芽を狭いところから開放してやるのだ。

 3月14日に作付けをしてちょうど一ヶ月でもう芽を出したのだ、土の中に埋めておくだけで出てくるのである、こういうシーンに出会うたびに、いつも自然の驚異、生命の神秘というものに感動を覚える。

 今日はサトイモの作付けで終わるつもりだったが、それから、ジャガイモのマルチの穴あけをして、あけるだけなら直ぐ終わるが、あけた後に薄く土をかけてマルチに隙間が出来ないように一株づつ養生して、ついでに珍しく畝間の雑草抜きまでやったので、結局夕方近くまで掛かってしまった、嗚呼!今日は労働をしたゾ


平成19年4月13日(金)

 晴れ、昼ごろから風が強くなり怪しい空模様となり、時々雨交じりの荒れた天気になる。

 入学式以来、風邪でダウンしていた我が村の新一年生K君が、今朝、ようやく新二年生A君に連れられて元気に登校していった。今年は我が村から小学生は二名、そして来年は三名と、しばらくの間、増えつづける、いずれ我が娘もそれに加わる、明るい話である。(写真1写真2

 ログハウスのログ材の中を要所要所、上下に数メートルの通しボルトが通っていて、そのボルトを締めることによって家屋の強度をより増すようになっている。ログハウスの宿命として、材木の直径は、たとえ建築時に釜で十分に乾燥させたとしても、一年間に若干ミリ縮む運命にあり、そのログを横に積み上げた全部のログを合計をすると数ミリになる、それが数年経つと十ミリ二十ミリという単位で家全体が低くなる。それをセトリングというが、その沈下も数年で収まる。通しボルトは家の沈下に併せて自動的に締め付けるようになっているそうだが、中には締まらないでブカブカになる箇所もある。今日、我が家を建ててくれた棟梁がその緩みを直しに来てくれて締めなおしてくれた。

 午後四時前、また停電した、瞬間だったが、瞬間でもPCはアウトになる。

 夜、保育園の保護者会の役員会が保育園であり、カミサンが遅くなるので娘連れで出席した。



平成19年4月12日(木)

 晴れ、穏やかな天気もそろそろ今日までらしい、明日は雨になるそうである。

 婆様、デイケア。
 
 昨日、整理し残した薪を薪小屋に収納する。



平成19年4月11日(水)

 晴れ、穏やかな日が続いている。

 朝、犬の散歩の途中、我が村の新二年生が心なしか肩を落として一人で通学路をやってきた。「一年生と一緒じゃなかとか?」と訊ねたら、「ウン、熱を出して休んどる」とのこと。そういえば新一年生の保育園の弟君も風邪で休んでいる(娘情報)から、うつったのだろう、ツーショットを撮ろうと思っていたが少し先送りだ。

 随分久しぶりにチェンソーを使って薪材を切った。もうギリギリ必要ないと思うが、どっちみち切るものだから、今のうちに切っておくことにしたのだ、もう今の時期汗が出る。


平成19年4月10日(火)

 今日も穏やかに晴れて、坂梨小学校は入学式だった、ここ豆札からも新一年生が一人誕生した。明日から先輩の新二年生と一年生が二人で集団登校をするのだろうか。

 婆様、午後三時、大阿蘇病院に定期通院、この時間の方がやはり朝よりはずっとすいている。病院の帰り道、娘を拾って帰る。

 今日もノンビリ過ごす、ノンビリ過ごしてもあっという間に一日が過ぎる。


平成19年4月9日(月)

 今日も穏やかに晴れる。

 娘、まだ完全とまではいかないが、元気が良いし、本人が行きたいというので、登園させた。

 婆様はデイケアに出かけた。

 竹やぶの隅に椿の花がひっそりと咲いているのを竹を整理していて発見した。もうここに住むようになって足掛け6年になるが、今まで気がつかなかった、たまたま花の咲く時期にそこに居合わせなかったのだろう、自生していたのか、あるいはご先祖様が植えていたのが竹やぶに覆われて気息奄々で生き延びていたのか。早速下駄箱の上に生けた

 夜、社務所で馬場八幡の総代会がありいくつかの案件を審議した。


平成19年4月8日(日)

 今日も穏やかに晴れる。

 午前中、畜協に堆肥を買いに行きがてら、坂梨公民館に寄って県議会議員選挙の投票を済ませる。途中、東仲でコイノボリの柱を立てる作業をしていた、今年は例年無くコイノボリを立てる風景が見られる、少子化に歯止めがかかったか、この杉の柱、ここは風が強いので、少し風上側に傾けて立てるそうである。
 
 遅れているサトイモの作付けのために堆肥を鋤き込む、数日おいて畝立てをしてから作付ける予定である。

 明日9日は従弟の伸兄の75回目の誕生日だそうで、明日は婆様のデイケアの日なので、前日の今日、哲兄が伸兄を介助して婆様の顔を見に寄ってくれる。毎年これが最後かな、これが最後かなと思って連れてきてくれているとのこと、昨年も9日に訪ねてきてくれている。昨年はちょうど妙法寺の桜の下で家族で弁当を広げて帰ったところに来てくれた記述が残っている。今年も予定では昨日か今日、家族で花見に出かける予定だったが、娘が風邪を引いて取りやめたところだった。その娘、昨夜は39度近くまで熱が上がり、これはインフルエンザかなと心配したが、今朝には熱もほぼ下がり、喘息の発作も昨日吸入式のエアゾル式の薬を一回吸引しただけで大したこと無くて一安心した。

 哲兄たちが、帰ろうとしているところに、ホームページを何時も見ています、とおっしゃって宮城県亘理町(わたりちょう)にお住まいの八木さんとおっしゃる方が突然お見えになった。お話を伺ってみると、八木さんは実家が下町だそうで、何時も小生のホームページや坂梨宿のホームページを懐かしく見ています、ちょうど所用があり坂梨に帰ったのでちょっと寄りましたとのことであった。哲兄たちが居たので、お上がりいただかなくて庭先で失礼をしてしまった。後で地図で確認をしたところ、毎日娘を保育園に送る時に小生が通る道すがらのお宅だった。



平成19年4月7日(土)

 晴れ、温暖に終始する。

 そろそろ周囲で田起こしが始まり、トラクターが長閑な音を立てている。小生も今日は畑を耕し、その後で田に倒れ掛かっている孟宗を整理した。

 娘が、とうとう風邪を引いたようで、昨日辺りから咳をしていたのが、今日になってひどくなった。今日は医者は午後から休診なので、以前貰って残っていた薬を飲ませたが、もしかしたらインフルエンザかもしれない。一晩様子を見ることにした。


平成19年4月6日(金)

 曇りのち午後から弱い雨。

 畑仕事をしようと思うと雨になる、今日茨城県の鉾田から届いた培土器の試運転が出来ない。

 終日、雨読と雨iPAQで過ごす。


平成19年4月5日(木)

  本日は清明、文字通り抜けるような青空が広がる。婆様はデイケアに、娘は保育園の入園・進級式へ

 保育園の入園進級式に出席する。毎年母親が出席しているが、今年は保護者会の役員を引き受けた関係で、小生が出席した。ゼロ歳児クラス(満一歳)の時から世話になり始めて4年目、今やもう「年中さん」である、早いものである。(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7

 珍しい父娘ショット(Wさんに頂戴しました)

--ASO安心安全情報より--

題名 : 火災情報
阿蘇市一の宮町中通原口で建物火災が発生しました。
覚知17時32分
以上、消防本部指令室
 V
 V
 V
題名 : 火災鎮火情報
阿蘇市一の宮町中通で発生した建物火災は、18時06分鎮火しました。
以上、消防本部指令室

 NHKのローカルニュースで伝えていた、家屋が一軒全焼したそうだ。




平成19年4月4日(水)

 今朝はここ平地(と言っても標高500mはあるが)でも、氷点下まで下がった、日中はそこそこの気温まで上がったが、風が強くて冷たくてシミジミと寒い一日だった。

 婆様を髪切りに連れてゆく。


平成19年4月3日(火)

 曇り。今日は冬に逆戻りしたかのように寒かった。と言っても、最低気温が4℃くらいだったので一頃に比べたら大したことは無いのだが。ただ4月には珍しいそうで、阿蘇山が薄っすら雪化粧をしていた。その雰囲気に似合わないように、雲雀が鳴き始め、ツバメが飛び交っていた。この寒さも午後には緩み気持ちの良い半日になった。

 掲示板で、コイノボリのてっぺんに付ける飾りが話題に上っているところに丁度うまい具合に、その飾りのことを詳しく知る機会が出来たので聞いてきた。

 坂本棟梁だったら、この飾りのことを知っているだろうと、棟梁が手掛けているH邸の工事現場に寄って訊ねたところ、「あれの見ゆるかい、今朝、馬場のKさんのお宅のコイノボリば揚げてきたばかりばい、桐原さんが世話ばしたけん、聞いてみるとよか」とはるか遠くに翻るコイノボリを指差した。そしてタイミングよくそのコイノボリの所に来合わせた桐原さんから、その飾りのことを教えてもらった。

 杉のてっぺんの杉の葉を残して、子供の名前を染め抜いた幟を立てて、その下に竹で編んだ丸い籠をつけて、そこから天に向かって、竹を細く割ったものを、38本(だったかな、その数の意味は判らないそうだが)、そして、カーブを描くように下に向かって、同じように38本が刺してあるそうだ。

 上の方の竹は滝の水を表し、丸い籠は滝つぼを表していて、下に向かう丸い玉の付いた竹は水しぶきを表している、つまり全体で鯉の滝登りを表現しているということである。熊本市内の方でも同じようにするが、水しぶきにあたる部分に丸い玉を付けるのは阿蘇独特だそうだ、そしてその丸い玉を付けるようにしたのは桐原さんが元祖だと言うことだった。

 この飾りを「バレン」と言うそうだが、その由来は分からない、ただネットで検索すると「馬簾」という言葉が出てくるが、意味は少し違うが、もともとは同じなのかもしれないし、全然違うかもしれない。

 因みに、今回の馬場のコイノボリの杉の柱の長さはなんと20mだそうだ、普通は15mくらいだそうだが、いずれにしてもトラックに載せて運搬するとしたら大変だろう。今回は何処から運んだかは知らないが、滝室坂のようなカーブが多いところではカーブを回るときには、反対車線も全部塞ぐので、早朝や深夜、交通量の少ないときを狙って運ぶらしい。

 このコイノボリ、もともとは長男の初節句の時だけで、翌年にはもう飾らずに、また次男三男の時もしなかったそうだが、最近では、さすがにそういった旧民法下の家長制度の影響も少なくなってきて、毎年飾る家も少なくないそうである。この杉の柱は数年間は持つそうだから、これでダイポールでも張ると飛ぶだろうなあとあらぬことを考えた。

 昼過ぎに温泉病院に入院中のお隣のお婆ちゃんに桜の花を届けた。先日、今度桜の花を持ってくるねと約束してあったのだが、咲いたと思ったら、もうどんどん散り始めかけているので、遅くならないうちにと、我が家の桜を二三本ちょっと折って、菜の花を一緒に花瓶に入れて届けた。


平成19年4月2日(月)

 曇り。ここのところ黄砂がやってきている、雨の日は気がつかないが、今日などはぼんやりと霞んでいた、甚だ迷惑な話だ。

 夜、保育園の保護者会の役員会に出席した。都会から見れば羨ましいほどに園児総数が少ないので一度は役員をやらなければならないようで、とうとう観念して?引き受けることになった。一方で、言わば年寄りが引き受ける神社の役員をやって、他方で当然のこととして若い保護者が多い保育園の役員もやる、両極端の役目を仰せつかるとは前代未聞のことだろう。


平成19年4月1日(日)

 夜来風雨の声、まだ花が沢山落ちるほどは乱れ咲いていないが、昨宵も雨風が強かった。
 今年初めての「ちょっと来い、ちょっと来い」と春暁に響き渡るようなコジュケイの鳴き声で眼が覚めた。田では冬眠をしたカエルが出てもう鳴き始めている。冬の間は時間の進む速度は遅いように感じるが、春になるにつれてどんどんそのスピードを増すようである。

 今日も午後から怪しい天気になって、風と雨が時々強く降りだした。今日は終日iPAQの環境設定に没頭した、大体先が見えてきたようだ。









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