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平成19丁亥(2007)年6月の記録(新しい日付けの順)
平成19年6月30日(土)
スッキリとはいかなかったが今日は概ね晴れた。昨夜も大したこと無かったようだ。
ジャガイモの葉が枯れて、もう収穫時期を迎えていたので、晴れたのを幸いに午前中芋ほりをした。男爵とメイクイーンが二列づつ計四列あるが、男爵とメイクイーンを一列づつ掘ってくたびれたから今日はヤメタ。欲をかいて植えるのはいいが、あとの収穫が大変だ。いつも少しだけ植えようと思っていながらついついスケベ根性を出してしまう。
畝二列でこれくらいの収量である。作付けのときは張り切るが、追肥はしないし、芽掻きもしないので、全体的に小さい、ただ今年は病気は出なかったようだ。男爵よりもメイクイーンの方が出来が良かった、土壌がメイクイーンむきなのだろうか。まだ後二列残っている・・・・・・
昨日、金魚の水槽のエアクリーナのポンプのスイッチが何かの拍子で止まっていて酸欠状態になっていたらしく、夕方、リュウキンの小さいほうがもう完全に事切れていて、大きいほうが腹を上にしてあと一歩という状態だった、最近また水槽が汚れていて、そろそろ掃除をしようかと思っていた矢先だった、水が綺麗なら一日くらいポンプが止まったくらいでは死ななかったと思う、悪いことをした、幸いに大きいほうのリュウキンは元気を取り戻したが、小さいほうは、娘のリクエストで今日庭先に埋葬してやった。娘が見ていなければさっさと水葬にするところだが、これも情操教育だと思って付き合ってやった。鮒だか鯉だかに似た金魚のほうはピンピンしているのに、リュウキンは非常に弱い金魚だ。
今の時期、アジサイが美しい、若い頃は(ガクアジサイの改良種というのだろうか)「花」が沢山付いたいわゆるアジサイが好きだったが、今では控えめなガクアジサイの方が好きになった、実に奥ゆかしくて美しい。音楽についても、歳をとるにつれてメジャーの曲よりマイナー調の曲が好きになり、二重唱であれば低音部を歌いたいと思う、子供の頃、コーラスの際、低音部を歌わされて、主旋律の方を歌いたかったものだが。
娘が、N君に手紙を書いたので届けたいからN君の家に連れて行けという。N君は村内の保育園のクラスメートである、今丁度保育園では、ようやくひらがなを覚えたての年頃で、友達同士でちょっと絵を描いては名前だけを書いた程度の「手紙」の遣り取りが流行っているようである、この「手紙」というやつ、今は他愛の無いものだが、いずれそのうちにだんだんと意味を持つようになるのであるが。
平成19年6月29日(金)
時々急に激しく降り、降らないときは青空が見えていた、陽性の梅雨というのだろうか。今夜もまた広範囲に雷注意報が出されていて、大雨洪水注意報も出されてる、不安定な天気が続く。
昼プールへ、3000m、66.2。サウナというものには、生まれてこのかた営業用のサウナはおろか、温泉場などに併設されているサウナにも全く入ったことが無い。
いつもお世話になっているアゼリアにも浴場内に浴槽と一緒にサウナ室がある。サウナ室が猛烈に高温だということを聞いていたので、世間の人はそんなムッとするような高温の部屋にどうして好んで入るのか、とにかく小生はマッピラだと思っていた。
それが、今日、どういう風の吹き回しか、ちょっと入ってみる気になって恐る恐る薄暗い部屋に足を踏み入れてみた。ところが入る前に想像していたようなムッとした暑さではなくてカラッとした暑さで、うん、これなら気持ちは悪くないなと、数分間じっとしていたところ、じんわりと汗が噴出してきた、改めてサウナとはなかなか快適なものだなあという感想を持った次第である。
平成19年6月28日(木)
猫の目のように変わる天気だった。朝のうち小雨、のち曇り。昼前、猛烈な雨と遠くでもなく、かと言ってそんなに近くでもない場所に突然バリバリと落雷、遠雷など何の前触れもなかったので驚く。雷レーダーで見てみると移動してきた雷でなく、ここで突然発生した雷だった。慌ててシステムを全部落としす。この雷雨すぐに去ったようだがそのままプールに出かける。
プールで珍しい人に出会う。噂の菓子職人ことN村浩さんである。お聞きしたところ、氏も最近は健康作りのために4月頃から昼休みにプールに通いだしたそうだが、小生一度プールに入ると泳ぎ終わるまで全く顔を上げないので時間帯は大体同じだが気がつかなかったようだ。本日3000m、66.5。
ようやく梅酒を漬け終わる。今年は6升漬けた(漬け終わってから昨年の記録を見ると昨年は5升だった、シマッタ!1升多かった)。毎年、毎年、今年はもう漬けても無駄になるかなと思いつつ漬けているが、どっこいちゃんと飲んでいる。婆様、ナイトキャップに梅酒だけだと甘いので、焼酎で割って飲んでいる(さらに水で割っているのだが)。1:1:0.5
娘の保育園で、園児たちが願い事などを書いて飾った七夕の飾りが、毎年、坂梨保育園と老健施設のあそん里で飾っていただいている。今朝登園途中に坂梨郵便局に寄ってみた。
我が家の菜園もボチボチ。
平成19年6月27日(水)
晴れ。気温が上がった、30度近くあったようだ。ただどうもすっきりと晴れない、ここのところのなんとなく薄雲がかかったような天気、てっきり梅雨のせいだと思っていたが、例の「煙霧」という奴らしい。
午前中、梅の実を採る。我が家の梅の実は、完全無農薬なので虫が喰っていたりであまり綺麗ではない、それに肥料など全くやっていないので種類にもよるのだろうが、あまり大きくない。ざっと採って10キロくらいあっただろうか。
完全無農薬は積極的に無農薬で育てているというわけではない。「結果的無農薬」なのである、農薬をやるのが面倒で、知識も無いので何もしていないだけだ。多分、我々が住む以前から無農薬だろうから何十年と年季が入っている。
だから、果肉の厚いほうが好ましい梅干には適していない。先日漬けた梅干の梅は従って、買ってきたものである。
今日収穫した梅は梅酒になる予定である。婆様用のナイトキャップである。梅酒だから強いて梅の実は綺麗でなくても良しとする。もう一箇所西側に小さな梅の木があるが、この梅の実は放ったらかしでも、南高梅並みに大きくて果肉が厚そうである、これで少しまた梅干を作ってみることにする。写真
夕方から保育園で保護者が集まって園庭やイモ畑の雑草刈りなど美化作業をした。
平成19年6月26日(火)
曇り。今日も薄い雲が空を覆っていたが、日差しは強くて、もう夏である、だだ吹く風は気持ちが良かった。
婆様、今日は温泉病院。昨年の11月に末梢神経障害ということで薬を出してもらったが、副作用があり服用を中止して、そのままになっていたが、ここのところまた目の辺りの不快感が著しいというので連れて行った。小生の見立てだが、どうも心因性のものだと思う、医師も小生の考えを否定しなかったが、あの歳までいけばもっと泰然自若としておれば良いものをせっかち過ぎる。
昨日の腹痛はどうやら治まったようだ。
平成19年6月25日(月)
今日は梅雨前線が南方に下がって、梅雨も一息、空一面に覆った雲越しに夏の太陽が照りつけていた。
婆様、ここ二三日、胃の下あたりが痛いので医者に連れて行け、というリクエストで、デイケアを休んで、内科診療を受ける。胃カメラも呑んだが胃は綺麗だとのこと、血液の検査でも特に異常は見られないようなので、一応痛み止めをもらって帰ってくる。
梅を8キロ漬けた、梅干を作る。1キロ/180グラム。
平成19年6月24日(日)
梅雨に入って一番の大雨、強風ほぼ一日吹き荒れる。今日一日でこの夏の水は十分に降ったというくらい降った。洪水と雷の注意報も出されていたが、そちらのほうは大丈夫だったようだ。レーダーで見ていると、東支那海から雨雲が流れてくるのではなく、島原付近でどんどん雨雲が発生しては、阿蘇上空を通過していった。
といったところで、早々と今日の日記を終えようと思ったところ、午後4時半近く、阿蘇地方に大雨,洪水警報が出された。
そして 18時20分 警報は解除された。
家での我が居所はカッコ良く言えばロフト、要は屋根裏で、その屋根がコロニアルという瓦よりもうんと薄い屋根材で葺いてあり、オマケに天窓が切ってあるので、もろに雨音が響き、もがり笛が聞こえ、なんとも落ち着かない一日だった。
平成19年6月23日(土)
曇り。降るわけでもなく、かと言って照るわけでもない、典型的な梅雨空という一日だった。
終日のんびりデスクワーク。
平成19年6月22日(金)
今日は夏至である、が太陽の沈むシーンなど撮れる天候ではなかった。梅雨前線が南下して、大雨が予想されたが、幸いにこのあたりは心配されるほどではなかった。ただ風が強くて、菜園のトウモロコシをはじめとして色々な野菜が傾いたので、雨のなか手持ちの支柱を立てて回ったが、数が間に合わず買い足して添木をした。(写真1・写真2)
トウモロコシは見かけと違って極めて風弱い、茎は太いが直ぐに倒れる。カミサンは種の段階からポットに播いて育てた経緯があったからだろうか、全部定植したので20株くらい育っている、トウモロコシなんて一二本あれば済むのに、こんなに植えて一体どうする積もりだろう。
昼プールへ、3000m。66.6。
平成19年6月21日(木)
曇り、雨は夕方ほんのパラパラ降ったが概ね晴れに近い天気で蒸し暑かった。
婆様デイケア。
昼プールへ、3000m。66.6。
平成19年6月20日(水)
朝のうちは晴れていたが、その後時々雨が降ったりまた晴れたりと、くるくる変わる天気だった、三時頃から強い雨が降りだした、そして夕方にはまた青空になった、当分不安定な天気続くようである。我が家は構造上雨音が普通の家屋よりよく響く、それに加えてこのあたりに降る雨は豪快である。
今日は娘の保育園のプール開きだったが、水着に着替えてさあプールへ、という段になって雨が急に降りだして結局遊戯室でスイカ割などをしたそうである。子供たちはどこでやっても楽しいらしい。
午前中、家周りの草刈りをする。
昼プールへ、3000m。66.7
平成19年6月19日(火)
曇り、夕方から強い雨暫し降る。
昨夜の雷注意は文字通り杞憂に終わったようで昨夜は静かな夜だった。
昼プールへ。3000m。66.9。
晩飯の食材の買出しから戻ってくると、婆様が庭に出て草取りらしきものをしていた、寝てばかりいると体がなまるから出てみたとのこと、珍しいことである。
夜、保育園の保護者会役員会が開かれ、娘を連れてカミサンと出席する、保育園の主要行事の内のひとつ、「納涼祭」の打ち合わせである。
打ち合わせが終わって帰るときに、空には星が輝いていた、いつの間にか雷注意報も解除されていた。
平成19年6月18日(月)
日中は雨は降らず蒸し暑ったが夕方から激しい雨が降りだして雷も鳴りだした。大雨、雷、洪水注意報が出されていることもあり用心のため稼動中のPCの電源などを全部落した(平常は6台のPCが動いている)。
その後、雷は止んだようだが注意報は出されたままだったので、夜中に雷で叩き起こされるのなんだから、一晩全てのpcの電源を落とすことにした。サーバーを一晩止めるのも異例といえば異例と言えるが、小生のサイト、公共性のあるサイトではないから24時間運転は言ってみれば気分の問題だ。普段は照明を落としても沢山のLEDの点灯で明るいシャックも久しぶりに真っ暗になった。
以前、九州電力ともあろうものが雷情報を出していない、と書いた記憶があるが、あることが分かった、前からあったのだろうか、謹んで訂正をする。
九州電力雷情報
http://www1.kyuden.co.jp/rakurai/k_m/index.html
婆様デイケア。
少し手を抜くとすぐに竹がはびこる。さっそく刈り取ったが、今年の主要テーマ「草を生やさない」も、そろそろ劣勢になりつつあるようだ。
「硫黄島」、小生が子供の頃(戦後間もなくと言えるだろう)、「硫黄島の砂」だったか、ドキュメンタリー映画を観た記憶がある、当時イオウトウと呼んでいたが、最近はイオウジマと呼んでいたらしい。それがまたイオウトウと読むことになったそうだ。
平成19年6月17日(日)
曇り、今日もかろうじて雨は無かった、少し蒸し暑さを覚えた。
本日もなべてこともなし。
平成19年6月16日(土)
曇り、時々晴れ。梅雨の一休みである。
なべてこともなし。
平成19年6月15日(金)
雨、ほぼ終日静かに降り続く、東京は真夏日になったようだが、ここは18℃台で終始して少し肌寒さを覚えたくらいだった。
昼、プールへ、3000m。66.6
平成19年6月14日(木)
今日も終日強くは無いが雨が降り続いていた。
婆様デイケア。
昼、プールへ、本日3000m。
R一さんに待望の局免が届いた、JE6BJCである。
平成19年6月13日(水)
ようやく北部九州が梅雨入りしたようだ(ここは北部九州になる)、朝から時々弱いながら雨が降っている。今日のところはほんのお湿り程度だった。
昼、プールへ、本日3000m。
午後、阿蘇市から、介護保険の年度更新の聞き取り調査のため担当のT橋さんが見える。婆様、最近は体調が良いようで、沢山のチェック項目について、ハイそれも出来ます、ハイこれも出来ますと快調に?答えていた。このままでいくと要支援2からまた要支援1になるかもしれない、喜ぶべきことなのだろうが複雑な心境である。
アマチュア無線の移動局の局免の変更申請が通り、免許状が送られてきた。今までずっと10wだったが、これで原則50wでQRVできる。50MHz帯は10Wのままである、リグが古くて出力10W機なので(当たり前のことだが)正直に申請したのである。それから1200MHzも当然10W(移動の際は1W)である。
夜、坂梨宿場會6月定例会開催。
平成19年6月12日(火)
晴れ。良い天気もどうやら今日までのようで、そろそろ明日辺りから梅雨入りしそうだ。
昼、プールへ。午後からのスケジュールの関係で1000mだけ泳ぐ。今日のプールは熊本県下全消防署から選手が集まって水難救助の練習をしていた、近々その大会があるようだ。
今日は午後から、伊勢神宮式年遷宮奉賛会阿蘇支部設立総会が高森町の「休暇村南阿蘇」で開催され、馬場八幡総代会三役で出席した。平成25年に第62回の式年遷宮が予定されておりその募財活動のために設立された。式年遷宮は天武天皇の時に制度化されて持統天皇の時代に第一回の式年遷宮が行われて以来、原則20年ごとに遷宮がおこなわれ、1300年の歴史をもつ伝統神事である。戦前は国費で行われたが、戦後は国が関与することが出来なくなって民間がその役割を果たすことになり奉賛会が設立された。
平成19年6月11日(月)
晴れ。
ハウスのトマトの株が二本枯れたので、今日小さな苗を植え替えた。先日ハウスを作る際に、誤って折ってしまったようだ。これでトマトの生る時期にタイムラグが出来るので考え方によってはこれで良いのかも知れない。
カミサンと娘がホームセンターから面白い苗を買ってきた、まるでオーダーしたような苗だ、シャレでプランターに植えてみた。
ジャガイモの買い置きがなくなったので、少し早かったが試し掘りをしてみた。やはりまだ小さな芋ばかりだったが、晩飯にはこの量で事足りた、が、今日掘ったイモは切ってみるとあまり良い出来ではなかった。試し掘りの株を選んだ理由が、ちょうど収穫時期になると葉茎が枯れて萎れてくるが、他の株はそんなこと無かったのに、ちょうどそういう様相を呈した株があったので、その株を掘ったのだが、収穫に適して萎れていたのではなくて、何か病気があって萎れていたのだろうか、他の株に影響が無いと良いのだが。
先日(6/7)、お訪ねくださった、熊本市の平川 寛さんからご丁寧な手紙に添えてCD-ROMが送られてきた。幕末の頃、高祖父園田五郎次が今で言うプロジェクトリーダーとなって十数年掛けて野尻川から草部まで火山岩大地に隧道を穿ち水田を開こうとした夢の跡、登母祖用水(とぼそようすい)の取水口の写真である。高森の古老たちから情報を得て探し当てられたとか、以前はここを基点として数キロに亘って間隔を置いて縦坑の跡が残っていたそうだが、今はもう殆んど埋まってしまって分からなくなっているそうである。今回送っていただいた写真は斜坑のようである。斜坑や縦坑を通じて、掘り出した岩石を運び出したり、資材を運び入れたり、空気を取り入れたりしたのだろう。この穴を間風(まぶ)と言うそうだが、このぽっかりとあいた真っ暗な穴を改めてじっと見ていると、工事で犠牲になった人や五郎次の無念さが伝わって来るような気がする。
平川さんは隧道の出口も探しておられるそうだが、今のところまだ分からないとのこと、また細川藩の正式な事業だったので絶対に図面が残っているはずだが、とそれも熱心にお探しだそうだ。墓所は我が家の裏山にありますとご案内したので、そのうちにお参りくださるそうである。そして、いつでも都合の良い時に登母祖用水取水口まで案内していただけるとのことなので、是非興味のある人たちも誘って訪れてみたいと思っている。
平川さんから写真の掲載のご許可をいただいたので、掲載する。
写真1
写真2
写真3
写真4
写真5
熊本日日新聞社刊地域学シリーズ(1)「新・阿蘇学」に登母祖用水について記述がある、無断引用させていただく。
平成19年6月10日(日)
晴れ、今日もすがすがしい一日だった、梅雨入りはいつになるのだろうか。
午前中、畑の草取りをする、なんといっても今年のテーマである。
午後、TOMUさん夫妻が見える。芝刈り作業は終わって綺麗な芝が蘇ったそうである、明日帰京の由。
ノンビリした一日を過ごす。
平成19年6月9日(土)
晴れ、少し雲があった。
朝、小さな訪問者二人。村うちのK君とN君兄弟。「お母さんが、イチゴが終わるけん、イチゴばとりにきてください」。二人は一年生とその弟君、弟君は娘の保育園のクラスメートである。もう子供たちだけでお使いが出来るようになったのだ。十分に用件は伝わったが、念のためにお母さんに電話で確認。兄弟の家はイチゴ農家でもあり「もう今年はイチゴの出荷をやめるので、どうぞお好きなだけ採りにおいでください」ということだったのである。
ハウスの前には豆札と馬場の子供たちがお母さんに連れられて集まっていた。皆で摘みながら食べたり遊んだり、ひと時を大いに楽しませていただいた。
我が家では沢山摘んできたなかから早速ジャム作りを始めた。二回に分けて作ったが、都合4キロ強、一年分のストックはこれで十分だ。毎年作るたびに砂糖やレモンの割合が違って、そのたびに出来上がりの味が変わる。昔のイチゴと違って最近のイチゴは糖度が非常に高いので、砂糖はうんと控えめにしないと甘くなりすぎる。
h17.12.25 2.2/1.5(68%)/250(11%)
h18.03.05 1.8/1.2(67%)/230(13%)
h19.06.09 1.6/1.0(63%)/190(12%)
2.5/1.5(60%)/280(11%)
夜には、同じ場所で、蛍狩りをした、このあたりは、水が湧いていてホタルが自然に繁殖する、特に繁殖のための工夫などということは一切していない、我々の普通の生活の営みの中でホタルも生きているのである。
イチゴ狩り連続写真 1/2(全9枚)
イチゴ狩り連続写真 2/2(全9枚)
ホタル狩り連続写真 全7枚
平成19年6月8日(金)
本日も薫風爽やか也。
昼、プールへ、本日も結局3000m泳ぐ。
午後からTOMUさんのお宅に伺ってライブカメラの設営方法を伝授する。途中、カミサンから連絡が入り、一時抜け出し、写真を撮りに行きその後また戻る。
実は、馬場の後藤祐輔さんの田に近々アイガモを放すということだったので、写真を撮りたいからその時には教えてくださいとお願いしてあったのだが、小生が家に居なかったのでカミサン経由でその連絡が入ったのだ。
同じく馬場の岩下さんもアイガモ農法で米を作っておいでで、直ぐ上の田では何日か前に放鳥してあったので、すでに綺麗に草がなくなっていた。
アイガモは稲は食べずに、田に生える草だけ食べるので、除草の手間が省けてさらに糞なども有機肥料になるのだろうから、エコ農法である。ただカエルまで食べるので、虫を食べるカエルが居なくなるのは考え物だとのことであった、カエルだけでなく田に入り込んだ蛇まで食べてしまうそうだ。このアイガモたちも約二ヶ月ほどすると、田から退場することになるそうで、その頃には丸々と太っているので、アイガモ料理店に引き取られることになるようである。
アイガモは雛のときからある程度大きくなるまで自分の家で育てるそうだが、その育て方でアイガモの性格も変わるそうで、昨年は非常に警戒心が強く人が近づくと、遠くに逃げていたが、今年のアイガモは人を恐れずに近くに人が居ても平気だ。キツネなどから鳥を守るために、周囲のネットに高電圧がかけてある、電流は少ないので、生命には危険は無いそうだが、岩下さんの話によると、今回はそれにカラスが触れて懲りたと見えて、全く寄り付かなくなったそうだが、往々にしてカラスの餌食になることもあるそうである。
保育園に娘を迎えに行って、その帰り、また田に寄って娘に見せてやった。
(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5)
平成19年6月7日(木)
夏のような天気だった、しかし軒を渡ってくる風はひんやりとしていてこれぞ高原という気持ちの良い一日だった。
小生の曽祖父、園田太邑については、阿蘇の皆さんには少しは知っていただいている、その太邑の先代に園田五郎次という者がいた、江戸末期に水の無かった南郷谷に300ヘクタールの水田を開こうとして草部と野尻間に十数年かけて登母祖用水路の開鑿にあたったが、測量の失敗で水が流れずに責任をとって切腹して果てた。
もし、この事業が成功しておれば、通潤橋を作った布田保之助に並ぶ偉業となるはずであったが、失敗したためにその事跡が今歴史に埋もれようとしている、このままにしておくのはいかにも勿体無い、と個人でこつこつと五郎次について研究をされておいでの方が今日午後突然訪ねてこられた。熊本市内にお住まいの平川さんとおっしゃる方である。
小生も、園田五郎次のことについてはかねがねもっと知りたいと思っていた、そして、出来れば五郎次の「夢の跡」を訪ねてみたいと思っていたが、草深い山奥でよく分からないと思っていたが、平川さんはちゃんとその場所を訪ねあたられて手書きの地図までお持ちであった。そのほかに初めて目にする資料を沢山お持ちであった。
ご来訪の目的は、我が家に何か資料古文書が残ってないだろうかということであったが、恥ずかしながら何にも残っておらず、逆に色々とお話を伺って先祖のことを初めて知る始末であった。
いずれ一冊の本にまとまめられるおつもりだとのことで、そして機会を見つけて、その隧道の跡に案内してくださるとのことであった。子孫としては大変ありがたい話である。
今日は婆様のデイケアの日で昼間は小生一人だけであった。早速昨日作ったトマトソースでパスタを作ってみた。どうせテレビだから民放のようにやらせで、旨い、美味しいと言わせているのだろう、如何に旨いと言ってもトマトはトマトだろうと思って、パスタに例のソースとオリーブ油を絡めて少々の塩で味付けをした、たったそれだけの手しかかけていないのに、ウマい、掛け値なしでウマい、どうしてこれだけの材料だけでこのように複雑な味が出るのだろうというほどウマい、決してウソでは無い。
午前中、ハウスのちょっと気に入らない箇所の手直しをした。
昼、プールへ。3000m。今日は2000mでなくて3000m泳いでしまった。昨日の健康診断で、少し泳ぎ足りないなと感じたのである、これから毎日3000mになるだろうか、ただひたすら泳いでいるのがいかにも退屈で仕方が無い。
夜、保育園の保護者会の役員会に夫婦で出る、ということは娘も一緒である、保育園の年間行事でメインイベントの一つである納涼祭の件について打ち合わせがあった。
平成19年6月6日(水)
晴れ、爽快。
市主催の健康診断がある、今年は旧一の宮町の体育館が会場だった。会社勤めをしなくなってからこれが唯一の健康診断の手段である。朝食を摂らずに出かけた。果たして水泳の効果が数値となって出てくるだろうか。今年から腹回りを測る項目が増えた、例のメタボリックなんとやらを測るためだろう、一年以上泳いでいるが、腹回りだけはなかなか顕著に引っ込まず、スマートになるにはまだまだ先のことである。最近は必ず、一度は引っかかって再検査をする、その結果セーフになっているが、健康保険で詳しく再検査してもらえるのだから考えてみたらかえってその方が良い気がする。
トマトが安かった(一箱で198円也)ので、例のトマトソースを作ってみた、今日は作るだけにして実際に料理にして食べるのは後日とする。考えてみたら、市販のトマトジュースは水を加えないでトマト100%だから、無塩のトマトジュースでやれば手っ取り早い気もするが、どうだろう。
平成19年6月5日(火)
概ね晴れたが、時々パラパラと来ることもあった、少しずつ梅雨に向かいつつあるのだろうか。
久しぶりに草刈りをする。春先と違って草の生える勢いが強くなり、あっという間に草だらけになるので、今年の目標に添って機会を作っては草刈りをすることにしている。
昼、プールへ、2000m
婆様、定期通院。今日は午後三時からでかけたが、はやり午後のほうが空いているようだ、病院の帰りに娘を拾って帰る。
平成19年6月4日(月)
晴れ。朝は空気も澄みわたり山が近くに見えた、いつの間にか緑一色である、午前中、一時雲が出て少しパラッときたが、その後、カラリと晴れ上がる。
婆様、デイケア。小生は白内障術後の経過観察のために小野医院に、次回は3ヶ月後に診てもらう、それで終わりだろう。
トマトのビニールハウスが完成する。寒さ避けでは無いので妻側は塞がない、また風通しを良くするために両サイドの下のほうを空けてある、塞ぐことも出来るように作ってある。ビニールが高価で5千円以上した。
平成19年6月3日(日)
予報では曇りのち晴れのはずであったが、終日重い雲が立ち籠めて、いや雲の場合は垂れ込めるか、時々昨日以上に細かな霧雨が降っていた、静かな日曜日だった。
少しだけハウス製作の続きをする。1メートルの単管を四隅に打ち込んで、6m(4m+2m)の単管をそれにクランプで留めてハウス側面方向に地面近くを差し渡した。これはビニールを抑えるヒモを留める棒である。
平成19年6月2日(土)
曇り、時々霧のような雨が降った、しかし風は無く穏やかな一日だった。
ビニールハウス製作の続きをやる。骨組みだけ完成、後はビニール張りが残っているが、これは要領がありそうなので、明日にでも村の人に教えてもらうことにする。完全に自分流で組み立てたが間違いは無いと思う、出来栄えは上々だ(と思う、まだ肝心のビニール張りが残っているが)。それにしてもビニールハウスは、なかなか合理的な構造になっていて、パイプとパイプの交叉部分を留めるクロスバンドはワンタッチで留めるように出来ていて、これが結構しっかり留まる。村の人はこの何倍もの大きさのハウスを一人で作ってしまう、大したものである。
娘が、髪を切りに行った、夏だからうんと短くしてこいといったら、随分とさっぱりしてきた、夏は毎日頭を洗うので、髪の毛は出来るだけ少ないほうが良い。
平成19年6月1日(金)
晴れ。阿蘇山が朝日に染まって真っ赤だった。「染まる」は、夕焼けのシーンに使うほうが相応しいだろうか、朝日の場合は、朝日に「映えて」だろうか、まあどちらでも良いか。
今日は衣更え、娘も今日から夏用の園児服になった。朝のうちちょっと肌寒かったので長袖のシャツに半袖の園児服という組み合わせになった。
トマトは雨に弱くて、雨に打たれると病気になりやすく、また直ぐに割れてしまう。昔のトマトは全部路地栽培だったが、最近のトマトはほとんどがハウス育ちである、最近のトマトは軟弱になった。というより品種なのだろう、最近は昔のトマト臭いトマトが無くなって、甘いトマトが全盛で、昔の青臭いトマトが懐かしい。
そんなわけで、今年はトマトをハウスに入れることにして、ビニールハウス用のパイプを買ってきた。ご近所の方が本格的なビニールハウス用のパイプをくださるというが、我が家には大きすぎるので、パイプの径が19mmの小型用のパイプを買ってきた。それにもともとビニールハウスは好きでない、これほど自然の景観を壊す構造物は無いと思っている、農家はこれが仕事だから仕方が無いが道楽農業では出来れば作りたくはなかった、だからなるべく目立たないように小さく作ることにした、台風がちょっと心配ではあるが。
5mの長さに10組のアーチを組んで、横棒を天辺と、両脇に二本ずつ取り付けることにした。今日、大雑把に組んでみたが、5mに10本の支柱だと各支柱間の間隔は?これは植木算だったろうか、結局実際にスケッチを描いて間隔を決めた。一組のアーチは4つのパーツに分かれている、アーチのパイプと横棒のパイプの交叉するところはクロスバンドという金具で固定する、僅か5メートルのハウスでも部材数は相当な数になる、しめて10,698円也、そのほかにビニールシートやそれを留める器具などが必要である。
夜、村の集会所で寄り合い。市社会福祉協議会が推進主体となって設立される「阿蘇市やまびこネットワーク」に関して、市からその設立の趣旨説明があり、併せて福祉協力員の選任作業があった。
夜に入って雨になる。