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平成19丁亥(2007)年9月の記録(新しい日付けの順)

平成19年9月30日(日)

 曇り。今日で9月も終わりである。

 枯れ草を燃やしたり、少し草刈りをしたり、祭りの残務整理をしたり、とりとめも無く過ごす。

 祭りの写真を撮りすぎて、かなり整理したがそれでも150枚近くになるのでアップするのが大変である。


平成19年9月29日(土)

 晴れ、昨日ほど気温は高くなかった。

 馬場八幡宮の秋季大祭の翌日祭があり、これで総ての行事が滞りなく終わった。午前中、神官による翌日祭の祝詞奏上が行われて、引き続いて、老人会の奉納グラウンドゴルフ大会が開かれた。一時はゲートボールが盛んな時代があったが、現在はゲートボール人口が減って、今やグラウンドゴルフの時代だそうである。意気軒昂な昔の若者たちによる熱戦で無事に大祭を締めくくることが出来た。あっという間の三日間であった、大いにくたびれた、小生にはまだ残務整理が残っている。

馬場八幡秋季大祭(翌日祭) 1/2 全8枚

馬場八幡秋季大祭(翌日祭) 2/2 全8枚


 夕方、S司さんに免田の米を届けていただいた。「めんでん」という言葉、字も意味も分からないが、多分「免田」と書くのだろうと勝手に思っている、この村の共有田である。自家用の米の全部を賄い切れないので、というより自家用の米は僅かなので、大部分を分けてもらっている、今年も150キロ、30キロ入りの袋で五袋、つまり2俵半を買うことにした

 我が家に隣接する田で、Y一さんが稲藁のロール巻きをやっていた、冬場の牛の餌になる。娘は牛のトレットペーパーという、このままの状態で保管する場合と、さらに白いビニールでグルグル巻きにして保管する場合がある。

(memo)盗防設置
平成19年9月28日(金)

 晴れ。

 馬場八幡宮秋季例大祭。.

 10時頃から神官二人により祝詞の奏上などがあり、この祭りが無事に進行するように祭りに関係する人々がお払いを受けて爆竹の合図とともに秋晴れのもと当日祭が始まった。馬場の氏子さんたちが拝殿に安置してある神輿を運び出して、神官が乗った馬や槍や弓などの祭具を捧げた子供たち、そして坂梨小学校の児童たちが担う随兵などからなる神幸行列が集落や街中を進んでゆくのである。この行列出発に先立って、相撲の奉納や坂梨保育園児の鼓笛隊の演奏、坂梨小学校の伝統芸能の虎舞演舞などの奉納があった。

 昼には、坂梨公民館広場に設けられた御旅所(御仮屋)で昼休みをとってから、午後にはまた行列を組んで各町内を巡りながら馬場八幡に戻ってきて、夕方から、昨日神輿にお遷しした御神体を再び本殿にお遷しする「後の遷座祭」をもって坂梨が一日中賑わった当日祭は終わるのである。

 今年度は殆んど総ての役員が入れ替わって新人ばかりの役員での祭りの運営だったのが、若干の手違いはあったものの、概ね滞りなく終わることが出来た、まだ明日の翌日祭が残っている。

馬場八幡秋季大祭(当日祭) 1/10 全10枚

馬場八幡秋季大祭(当日祭) 2/10 全10枚

馬場八幡秋季大祭(当日祭) 3/10 全10枚

馬場八幡秋季大祭(当日祭) 4/10 全10枚

馬場八幡秋季大祭(当日祭) 5/10 全10枚

馬場八幡秋季大祭(当日祭) 6/10 全10枚

馬場八幡秋季大祭(当日祭) 7/10 全10枚

馬場八幡秋季大祭(当日祭) 8/10 全10枚

馬場八幡秋季大祭(当日祭) 9/10 全10枚

馬場八幡秋季大祭(当日祭) 10/10 全5枚


平成19年9月27日(木)

 晴れ。

 婆様、(小生の)妹が滞在中休んでいたデイケアに久しぶりに出かける。

 昼から馬場八幡の秋季例大祭の準備で社務所につめて、そのあとの遷座祭、前夜祭と夜10時近くまでてんてこ舞いだった。

 昼から神官さんと一緒に馬場の集落の氏子さんたちと拝殿の掃除をしたり、鯛や鏡餅や洗米や野菜などなどの供物の用意をしたり、ご神灯の飾り付けなどを行い、午後三時頃からだったろうか四時ころだったろうか、総代全員が参列して祭祀が始まった。

 本日の主要行事は、「前の遷座祭」である、これは折敷に載せた御神体を神輿にお遷しする儀式である。この御神体を奥の神殿から祭りのために拝殿に安置した神輿にお遷しする間じゅう御神体に息がかからないように紙で出来たマスクで口を覆った神官が発し続けるオー、オーという殿内に響き渡る警蹕を頭を低くして聞いていると、いかにも厳かな気持ちなるものである。

 日が暮れてからは各町内の子供神輿などが神社にお参りをして明日の本祭りの盛り上げに一役買うのである。

馬場八幡秋季大祭連続写真(前日祭) 1/3 全10枚

馬場八幡秋季大祭連続写真(前日祭) 2/3 全10枚

馬場八幡秋季大祭連続写真(前日祭) 3/3 全12枚

平成19年9月26日(水)

 晴れ。

 馬場八幡の例大祭の事務的な準備に追われる、ほぼ準備完了、明日はいよいよ現場での準備にかかり、引き続き前夜祭となる。

 豆腐屋の無線ルーターが建物間を飛ばすために電界強度が弱くて、そのせいもあってかたびたび固まるので、窓際まで移設する、少しは改善されるだろうか。


平成19年9月25日(火)

 晴れ。

 娘、元気に保育園に行く。

 婆様の顔を見にやってきた妹、午後帰途に着く。今回の旅行は、彼女の若い友人たちの阿蘇旅行の車に便乗してやってきて、またその車に乗せてもらって別府からフェリーで大阪まで、そして名神高速で豊田まで帰ってゆく、今晩はフェリーの中だ。
(写真1写真2写真3

 今回は、娘の看病でつきっきりで、更に自分まで寝込んだカミサンに代わってその間ずっとおさんどんをやってくれた、本当に助かった。

 今日も慌しく過ぎて阿蘇神社の流鏑馬を観に行くのを忘れてしまっていた、残念なり。


平成19年9月24日(月)振替休日

 晴れ、夕方に篠突くようなにわか雨、道が川のようになった。

 娘本復する、カミサンも何とか踏みとどまったようだ。

 我が家の近くの豆札川で村の子供たちが魚とりをしていた。ここに住むようになって初めての光景である。考えてみたら、その子たちが生まれてようやく川遊びが出来る年齢に達したと言うことである。更にその子供たちの前の時代の子供たちとなると相当ブランクがあるようで、既に都会に出たりして小生の知らない世代になる。(写真1写真2写真3)

 橋の上からは、母親がしっかりと危険の無いように気を配っていた。この川のこの場所で、小生くらの年配者は子供の頃はここで泳いだり、魚を捕って遊んだと懐かしそうによく話をする、その頃の豆札川は今のように護岸工事がしてなくて自然そのままの川だった、小生も子供の頃遊びに来てこの川の佇まいは良く覚えている。

 アブラメやドンコなどバケツに一杯捕れていたので、橋の上から、「オジサンの家の金魚の水槽に入れるから少し届けてよ」と声を掛けて用足しに行って戻ったところバケツに数匹の魚が届いていたので早速水槽に放してやった。

 馬場八幡の秋季大祭の神幸行列は静止画より動いてるほうが良いと思うので、また豆腐屋のカメラを動画に切り替えるべく朝から作業にかかり結局昼まで係ってしまった、それでもまだ不完全である。

 夜、馬場のS藤さんのお宅の牛小屋に役員数名が集まってその大祭に必要なしめ縄綯えをした。手際よく綯う人、専業農家ながら機械化が進んで縄を綯う機会もなくなり戸惑う人など各人各様。(写真1写真2写真3

 神社のしめ縄は「左綯え」だそうだが、右も左もとにかく初めての小生は単なるヒヤカシに終わった。自分で綯った縄は記念にもらって帰ってきた、というと聞こえは良いが、要は不採用と言うことである、しかし縄綯えは面白い、見につけて損はしない技術だ、真剣に習得しようと思った。


平成19年9月23日(日)秋分の日(秋季皇霊祭)

 晴れ。

 娘の風邪、朝のうちまでは嘔吐(もど)しそうだ、お腹が痛い、と思わしく無い状態が続いていたが、この年頃は悪くなるのも早ければ、回復するのも早いようで、午前中のうちにみるみる元気になって、咳は残っているがあっという間に回復して食欲も出てきて一安心である。その一方で、今度はカミサンが風邪を引いたとかで寝込んでしまった、子供の場合は心配するが、カミサンになると、「軟弱だから風邪を引くんだ」と極めて冷淡になるのである。


平成19年9月22日(土)

 晴れ。

 娘、数日前から鼻をグスグス言わせ咳をしてたが、とうとう本格的に風邪を引いたようで、明け方近くからゼーゼーは始まり苦しがったので、朝一で母親が古閑医院に連れて行った。いつものようにネブライザーをしてもらい、ゼーゼーは治まっているようだが、肝心の風邪の方が結構ひどいようで一日中ウツラウツラ状態、母親がずっとつきっきり状態だった、ちょうど妹が来ているのでおさんどんを引き受けてくれている。

 小生、今日も秋季大祭の準備で打ち合わせやら買い物やらで走り回った。


平成19年9月21日(金)

 晴れ。

 秋季大祭準備事務で一日終わる。

 夕方、婆様を大阿蘇病院へ。定期通院日は数日先だが、調子が悪いと言うので連れて行ったが、勝手解釈で一言で片付ければ「歳」ということだろう、いつもの薬をもらって帰ってくる。


平成19年9月20日(木)

 晴れ。今日は風もあり比較的に過ごしやすかった。

 馬場八幡の秋季大祭が近づいてきたのでその準備、特に小生は事務手続きに追われている、今日も、警察署に道路使用願を提出してきた。

 PC環境から見たら「たびたび」停電するので、業を煮やしてUPSを設置することにした、そしてネットオークションで落としたそのUPSが今日届いた。オークションといっても、業者がネットショップ代わりに出品している新品である、謳い文句によると、標準装備のバッテリーを超長寿命バッテリーに置き換えてあるので(期待)寿命10年だそうである、実際に10年は無理だとしてもまあ相当長期間バッテリーを交換しなくて済むということだ(本当か?)、あとは停電時にUPSとPC間でシリアルケーブルを通して自動的にPCを安全にシャットダウンする機能があるようだが、ざっと説明を読んだけどようワカラン。

 夜、馬場八幡で、秋季大祭の打ち合わせがある。

 子供たちの下校風景
平成19年9月19日(水)

 晴れ。今日はとにかく暑かった、この夏一番の暑さだったような気がする(実際はそうでないが)。大陸を進んでいる台風12号に向かって南の暖かい空気が吹き込んだ影響だとか。

 カミサンの両親と入れ替わるかのように、豊田市から妹が婆様の顔を見にやってきた、一週間ほど滞在する。


平成19年9月18日(火)

 晴れ、風が強かった。

 カミサンの両親が午前の便で帰っていった、娘を保育園に送った足で空港まで送る。



平成19年9月17日(月)敬老の日

 曇り、時々雨。

 婆様デイケアに行く。

 朝のうち、義父が茶の木に沢山発生している茶毒蛾の幼虫を駆除してくれた。この茶毒蛾の毒針が凄くて数年前(14.7.31)にそれとは知らず体中に湿疹が出来て大騒ぎをした。去年(18.9.19)も軽い症状だったがやられたことがある。保育園でも子供たちがこれにやられたことがある。その時は茶毒蛾の存在を知らなかったが、茶や椿、山茶花などの木に発生する害虫である。

農林水産技術情報協会の「茶毒蛾」の項

 敬老の日の集いが豆札の公民館である。つまり村のお年寄りをご招待して皆で食事をいただきながら長寿をお祝いする会である。各戸に最低は一人あるいはご夫婦ともお年寄りの家など我が村には十数名の70歳以上のお年寄りがいる、我が婆様も当然そのうちに入るが、長時間座るのが苦痛なこともあって出席を辞退して弁当だけ頂戴した。

 カミサンの両親は、軽トラックに乗って通潤橋にでかけた、帰ってから聞いた話によると、通潤橋からの帰り道、熊本市に回ったそうだ、熊本市は丁度藤崎宮の秋の例大祭中で当人たちはそのことを知らずに、あちらこちら交通規制に引っかかって走り回っているうちに新町方面に行ってしまって、その結果、運良く藤崎宮から新町に戻ってきた御神幸行列、随兵行列にぶつかっったそうで、賑やかな行列を見物できたそうである。小生はまだ藤崎宮の祭りは見物したことが無い。


平成19年9月16日(日)

 台風11号の余波か一日中ぐずついた天気が続いた。運動会が昨日で良かった、関係者全員が今日の空を見てそう思っているだろう。

 カミサンと娘は両親と久住や竹田方面にドライブに出かけて小生は一日ノンビリ過ごした。

 我が家の備蓄米がそろそろ底を尽きかけていて、今年の新米はまだ届かないので、一足先に籾摺りが終わったばかりのK春さんから一袋借りた。

 今回の台風は九州からかなり離れたところを通っているが少しは風がでるかなと思ったがソヨリとも吹かない、そして今日台風の進路図を見て驚いた、いやにコースが乱れているので気象庁の描画ソフトのバグかなと思ったら、同じようなところで12号が発生していて二つの台風のコースが一緒に描かれている、その12号がまた11号と殆んど同じようなコースを辿るようだ、カンバレ。モチロンこちらに来るなよという意味である。


平成19年9月15日(土)

 台風11号接近の余波で、時折陽射しはあるものの、雲の流れが急で、時々パラパラと来て風もあり結構不安定な天気だった。

 そんな中、保育園の運動会が開催された。昨日のうちに晴天モード、雨天モードで会場を準備したが、せっかく子供たちが連日炎天下練習を続けてきたのだから屋外でやろうと言うことになった。そして、いわゆる、結果オーライで、時々砂埃が舞う程度で無事に運動会を行うことが出来た。今年の娘は、入場行進のプラカード持ち、開会宣言、鼓笛隊でのキーボード担当と沢山の出番があったので、カミサンの両親に、恐らく今年が最後になるだろうと、渋る婆様の尻を叩いて応援に連れ出してもらった

 例年であれば、運動会の様子を写真に撮って、ここに沢山載せるのだが、今年は役員のために運動会の進行に忙殺されて全く写真は撮らなかった。

 一日ニュースを見る時間が無かったので、帰ってから台風情報を見たが、実に良い方向に進みそうである(良い方向とは九州に来ないで済みそうだという意味で他意は全く無い)。



平成19年9月14日(金)

 晴れ、夕方少し降る。

 トマトハウスを整理して野ざらしになっていたトラクターを格納した。トラクター用に車庫専用ビニールハウスを買ってあるが何処に置こうか決めかねてまだ組み立てていなかったのでとりあえず丁度良かった。

 午後三時から保育園で明日の運動会の準備をした。台風の影響が心配されるので、両面作戦で行くことになった、つまり、屋外でも屋内でも出来るように準備した。

平成19年9月13日(木)

 晴れ、夕方近くになって霧様の雨降り出す。

 なんと台風11号が近づいているではないか、迂闊にも気がつかなかった、今度のコース、今のところ少し外れているが、そのうちにもっと東よりにコースを変えそうな気がする、まだ稲刈りが終わっていないところが多い、嫌な予感がする。

 婆様、久しぶりにデーケアへ、暫らくぶりだったので疲れた、と言って帰ってきた。

 ここ二三日掛けて刈った草を燃やしたがまだ乾燥が足りないとみえてあまり良く燃えなかった。カミサンの両親、また畑に出で雑草抜きなどをやってくれる、あれだけ綺麗に刈ったのにもうこんなに生えたの?と驚いていた、恐縮する。

 昼、義父とプールへ、都合により2000m、温泉には入らず、プール施設のシャワーのみで済ます、普通、プールでは石鹸シャンプーの使用禁止のところが多いが、ここにはシャンプーが置いてあった、これならわざわざ風呂に入りに行くことも無いかもしれない。62.6。

 宿場會の例会、家事都合により欠席。



平成19年9月12日(水)

 昼間プールに行っている間に、我が家の周り全部稲刈りが終わっており、ベストショットを撮りそこなった。

 今日午後、マイクロバスが我が家の入口付近で方向転換をしようとして、田の水を落とす用水溝に後輪を落として動けなくなった。バスの運転手さんは良く知った人で、マイクロバスに乗っている人も何人かは知っている人だった。パジェロで牽引をしようとしたがマイクロが道を塞いで車を回せないので、早速稲刈りが終わったばかりの田にパジェロを乗り入れてマイクロの前に回りこみ無事に牽引して引き出すことが出来た。

 夕方、千葉のカミサンの両親が千葉からやってきた。週末の保育園の運動会で我々夫婦が役員のため子供の面倒を見きれない恐れがあるので7月の納涼祭に引き続いて助っ人で来てもらったのである。

 昼、プールへ、昨日のことがあったので恐る恐る水を掻いてみたが今日は痛まなかった、本日3000m。62.5。

 以前、(農水省の補助事業だと思うが)ASO田園空間博物館の立ち上げのために、東京の上部機関から派遣されて一年だか二年、阿蘇で活動していたSさんという若い女性がいる(勿論チャーミングでもある)、田空が軌道に乗ったので、東京の本部に帰っていったが、今日の新聞に、NPO法人九州バイオマスフォーラム(KBF)のことが大きくとり上げられていて、そのなかに彼女がまた登場しているのである。読んでみると、阿蘇が好きで、今までの職場をやめて、阿蘇に帰ってきたとのこと、KBFは小生がいつも泳ぎに行くアゼリアの敷地内に最近事務所を構えたので、早速表敬訪問をしてきた、若い人が阿蘇の素晴らしさに心を動かされて戻ってくる、素晴らしいことである。


平成19年9月11日(火)

 晴れ、夕方から小雨降り続く。今朝の最低気温は13℃、どんどん下がっている。

 午前中、畑の草刈り、まだ裏の方が全部残っている。我が家を取り囲む田の稲刈り、いよいよ佳境

 草刈りの後、プールへ、1000m泳いだところでリタイア。水を掻く為に左腕を上げると首筋がビリビリ痛みが走る、体に優しいはずの水中でこの体たらく、何なんだろう。

 本日63.2、ここのところ少し食ったからなあ、てきめんである。

 プールを早めに切り上げて帰ってくる途中坂梨交差点で国道57号線が封鎖されていて、宮地方面から盛んに煙が上がっていた。宮地地区に分(わかれ)という名前の行政区がある、この分区の公民館の西側の民家から出火、母屋と倉庫棟が全焼したそうである。

 婆様の定期通院日で、午後三時、大阿蘇病院に婆様を送り届けてから、いつもの床屋に散髪に行く。その床屋さんと57号線を挟んで公民館があり、火事で燃えた家はその西隣、まさに目と鼻の先の位置関係である。更にそこの奥さんと床屋さんの女主が親しくて、今日も店で喋りをして帰ったばかりだそうで、消防への通報などもここからしたなど、髪を刈ってもらいながらその時の話を聞いたが、相当ショックを受けていた。阿蘇には夫婦火事(めおとかじ)という言葉がある、一度火事があると必ず続けて火事があるという、我々がここに住むようになって、この言葉、結構あたっている・・・・。

 9.11のテロから6年目だそうだ、6年前はこの家を建築中だった、そして現場で仮小屋住まいだったが、ちょうどその日は一時茅ヶ崎に戻った日で、その晩、早めに寝て事件が起きたのを知らずに、翌朝知って驚いたことを思い出す。

平成19年9月10日(月

 今朝五時頃の外気温、もう17℃を割っていた、勿論まだ大丈夫だが、まだ煙突の掃除もしていない、それどころか今年は今のところ薪のストックが殆んど無いな、という想いが頭の片隅をよぎった。

 午前中、少し草刈りをする、蔓性の植物や、蜂の巣などがあって機械ではやれない複雑な箇所をやったので、面積は稼げなかった、横倒しになったままのタワー回りである。今年は何箇所か蜂の巣が出来て、カミサンなんかブルーベリーの木に近寄ったときにチクリとやられていた。幸いにみんな足長蜂のような蜂で攻撃性はあまりなく、スズメバチの巣はまだ我が家ではお目にかかったことは無い。

 少し前から阿蘇谷で稲刈りがボチボチ始まっていたが、今日あたりから周辺の田が大分賑やかになってきた、我が家を囲むS賀さんの田でもコンバインが動き始めた、今年は収穫期に台風が来なくて良かった。


平成19年9月9日(日)

 晴れ、陰暦ではないが今日は重陽の節句だ、すっかり涼しくなってきた。小学校で運動会があった、保育園は今度の土曜日である。

 随分長いあいだ草を刈っていなかったので畑の草は伸び放題、午前中、久しぶりに畑に出て半分ほど草刈りをした。夏野菜は全部終わっているので、サトイモを残して全部耕したいところだが。



平成19年9月8日(土

 晴れ。

 午前中、JA6DI局から、いまローテータの交換をしている旨の連絡が入り、ヒヤカシに出かけた。我が家とは数百メートルの距離である。JA6AJYとJH6OZCがタワーに上り手際よく交換を終わる。
写真1写真2写真3写真4


平成19年9月7日(金)

 晴れ。

 台風9号、昨夜伊豆半島に上陸して首都圏を通ってこの時間も北日本を北海道方面に向かっている。今回は九州は全く関係が無く余裕を持って進路を見守っていたが、いつも九州にやってくる台風を心配してくれる関東甲信の皆さんが久しぶりの台風にかなり緊張をもって迎えたようだったが、一夜明けて少なくとも関係者の皆さんに関しては心配したほどの被害が無かったようでほっとした。それぞれの台風に関しての掲示板書き込み記事、記念になるので、保存することにした


 昼、プールへ、3000m、62.6。


平成19年9月6日(木)

 晴れだが、スッキリとした晴れではなかった、遠くの台風が少しは影響しているのか。今回の台風9号、いつも九州にやってくるたびに心配してくれる関東甲信地方の皆さんの所を直撃しそうである、今回に限っては他所事であるが、それでもなんとなく心穏やかならずと言ったところである。

 本日、なんとなく4000m泳いでしまった。これが前例になるのではない、たまたま今日は4000m泳いだのである、少し疲労感を覚えた。62.1。

平成19年9月5日(水)

 晴れ、夕方から雷を伴ってにわか雨。

 保育園の運動会の予行演習があった。ほぼプログラムどおりに全種目を演じ、我々役員もそれぞれの持ち場について段取りなどの確認をした。子供達も暑い中一生懸命頑張っていた。

 夕方から、保護者の皆さんと保育園の内外の清掃草刈り作業を行った。作業が丁度終わるのを待っていたかのように篠突く雨に見舞われた。



平成19年9月4日(火)

 今日は一日晴れだと思っていたが、昼から雨が降りだした、それも通り雨かと思ったが結局断続的に夕方まで降り続いた。

 婆様が今日退院した、明日で丁度三週間になる前日の退院だった。ちょっと悪いなといった時には直ぐに入院させてもらえるので、高齢者にとって健康管理面では良いのではと思う。尿路感染は完治した、心臓が少し弱っているのでしばらく薬を呑んで様子を見ることになった。やはり我が家は良いなあと言っていた。


平成19年9月3日(月)

 朝のうち少し小雨が降る、そのあと綺麗な虹が出た。

 馬場八幡の新会計年度からみで数件の支払いに回る。

 朝と夕方、婆様のところに寄る、明日退院の許可が出たそうである。


平成19年9月2日(日)

 午前中、馬場八幡の外回りの清掃などをしてから宮総代会の総会が開催され、会計報告や秋の大祭の打ち合わせなどをした。

 WindowsNTでのライブカメラ運用の環境設定が終わった、まだ実際に送ってはいないが、ここまでくれば成功したも同然である。一方の阿蘇山ライブのキャプチャーカードはどうしても動かないので、同じキャプチャーカードの中古を、1,000円程度でオークションで見つけて落札しておいた(そういうわけですじっちゃい)。

 じっちゃいのブログ<http://wind.ap.teacup.com/jiji/>経由で知った鹿児島内之浦からの観測ロケットの打ち上げ<http://www.isas.jaxa.jp/j/topics/topics/2007/0813.shtml>< http://www.ele.kochi-tech.ac.jp/rocket/>を見に娘を連れて午後7時過ぎに城山展望所に登ったが、雲が厚くて良く分からなかった、一方で阿蘇町の自宅からIES局は見えたそうである、ちょっとしたロケーションで見えたり見えなかったりしたようだ。今回はロケットそのものが見えたのではなくて、ロケットから放出する中性リチウム(だったか)で空や雲が赤く染まる発光現象を見に行ったのであるが、以前には別のロケットだがここからロケットそのものが白い航跡を残して上がっていくのも見えたそうである。

 今日は、小生は病院には顔を出さなかった、娘とカミサンが行った。

 今度の台風、米軍の予想ではこうなっているが・・・・・
平成19年9月1日(土

 曇り。

 人から頼まれて、WindowsNTマシンにライブカメラ環境をつくることになり作業にとりかかった。NTは初めてなので、楽しみながらやっているが、このPCにはビデオキャプチャーカードが入っていないため、手持ちのカードを転用すべく調べてみたところ、現在、阿蘇山のライブカメラ用サーバーに入っているカードがNTにも対応していることが分かった。その他のカードは全部NTに対応していないので、手持ちの余っているカードと入れ替えるべく、ライブ画像の発信を中断して、そのPCから該当カードを取り出して、別のカードと入れかえた。ところが何度やっても相性というやつか、どうも巧く働いてくれない、結局一日中悪戦苦闘したが駄目だった、そのために昼からライブカメラが死んでしまった。明日は応急で別のPCでライブ画像を送ることにする。

 夜、馬場八幡の会計監査を受けた、無事終了。







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