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平成19丁亥(2007)年10月の記録(新しい日付けの順)

平成19年10月31日(水)

 晴れ。最低気温6.4℃、ずっと暖かい日が続いていたので、今朝の気温は少しヒンヤリと感じた、それでもまだ半そでシャツで十分である。

 熊本市の10月の平均気温は、観測史上最も高かったそうである、多分阿蘇でも二日ほど非常に寒い日があったが、それを計算に入れても同じように高かったのではないだろうか(だから薪作りに身が入らないのであろう、そして後になって慌てることになるのだろう)。

 3,000m、62.4。


平成19年10月30日(火)

 曇り。終日、雲と霞がかかった様な変な天気で山が殆んど見えなかった、かと言って決して降りそうな天気でもなかった、煙霧だろうか単なるガスだったのだろうか。

 今日、面白い所から小生宛にメールが届いた。文字通り「面白い所」である。その場所とは「ミニ地球」である。「ミニ地球」とは、青森県六ヶ所村にある財団法人環境科学研究所の「閉鎖型生態系実験施設」の愛称のことである。http://www.miraikan.jst.go.jp/miniearth/index.html  http://www.miraikan.jst.go.jp/sp/miniearth/symposium/ http://www.miraikan.jst.go.jp/sp/miniearth/symposium/profile.html

 今、「環境」が大きな注目を浴びている。地球温暖化も含めて人類が直面している大きなテーマである。そしてここはそういったことにも関連するのだろう、循環する自然環境を人工的に作り出して、その中で人が外界と遮断した環境で一定期間自給自足の生活を送る実験施設である。そしてそのメールの差出人はその実験台と言っては失礼だが、その実験に自らが参加している人で、しかも隔離状態の実験施設からメールを送ってくださったのだ(実験の目的から外界との通信には制限が無いということだ)。この実験に参加する人のことを「エコノート」と言うらしい。このノートはnoteではない、nautと書くようだ。「アクアノート」、「アストロノート」のnautらしい。「アクアノート」は潜水技術者、「アストロノート」は宇宙で働く人のことで、従って「エコノート」はエコロジーとそれらのノートをくっ付けて作られた言葉らしい。

 今日、そのエコノートのお一人、Aさんからメールを頂戴したのである。そのエコノートが何故小生にメールをというと、実はAさんは坂梨小学校(もしかしたら、宮地小学校だったか)、そして一の宮中学校の出身で、今でも実家がここにあるとのことで、小生のホームページを見ていただいているとのことだったのだ。改めてインターネットの凄さ、面白さ、可能性に驚かされた次第である。

 3000m、62.6。


平成19年10月29日(月)

 晴れ。

 婆様デイケア。

 薪作りの準備でチェンソー用の燃料を作った、ガソリンとオイルの混合燃料である。25:1と50:1の二種類である。チェンソーの内の一台は50:1の混合ガソリンを使えと言っている。もう一台のチェンソーと刈り払い機は25:1の混合ガソリンである。燃料を調合したついでに少し薪作りをした。

 いつの間にか、百舌の高鳴きも日常化して、そして椎茸がまた生りだした。

 夜、K春さんのお宅にパソコンのインストラクションで出かける。集落営農とかなんとかで、村にパソコンが支給されて今日受け取りに行って来たそうで、これからインターネット環境を整備したり、操作の勉強をしなければならないそうである、少しは役に立てそうである。


平成19年10月28日(日)

 穏やかに晴れる。

 豆札工区の農・水・環の草刈り作業に出る、夏に続いて2回目である。この広さ、夏の時には参加人員が今回より少なかったことと猛暑も手伝って二日ががりの作業だったが、今回は参加者が多く、気候も良くて、草の伸びをそれ程ではなかったので一日で作業を終わることが出来た。(写真1写真2

 娘はカミサンに連れられて、国立阿蘇青年の家(現在は名称が変わっているがどうも覚えきれない)のイベントに参加した。保育園で運動会のために猛練習した鼓笛隊が運動会だけで終わるのは勿体無いと馬場八幡の祭りにも参加して、今日のイベントにも参加したのである。出来栄えはどうだったのだろう。



平成19年10月27日(土)

 今日、遅れている「たかな」の種を播いた。阿蘇の冬はあちらこちらでたかなが育ち、冬景色のなか、緑の絨毯が広がる、大々的に栽培する際の種の播き方は知らないが、このあたりの菜園では、両足を揃えて立って少しずつ摺り足気味に後退していく時に両足の隙間の部分が少し盛り上がる(両足が深く沈んで足の間の部分が沈まずに残るという見方も出来る)、そのくらいの小さな畝の尾根部分にパラパラと種を3〜4粒づつ播いていく。畝間も足の横幅くらいの間隔だったと思うが、小生はレーキで土を寄せながら畝を作ってかなり高い畝になり、畝間も相当広いものになった。それでも一向に構わないと思う、たかなはどんな環境でも育つ、出来不出来はあるだろうが。小生のたかなの種を播く目的はたかなを採るというよりは、その菜花を見たいからである。

 我が家の菜園、サトイモとカライモの収穫期に来ている、今日試しにカライモを掘ってみたが、見事な出来栄えである、というよりちょっと大き過ぎまいか。

 午後、突然ある人が訪ねてこられた。自ら名乗られて、掲示板に何度か書き込みをいただいている「出水の菜の花さん」ということが判った、その名前を伺っても全然違和感が無かった、イメージしていた女性とご本人とこれほど合致するのも珍しい、たおやかな雰囲気の女性だった。掲示板を遡ってみると2005年12月に書き込みをいただいて以来ではないかと思う。近くを通る用があったので、と自家栽培のゴマで作ったゴマ豆腐をわざわざ保冷バックに入れて届けてくださった。是非お上がりくださいと申し上げたところ、これからまだ回るところがあるので次回は家族と一緒に参りますと。それでは写真を、とお願いしたら、これもお許しが出なかった、そして風のように去っていかれた。それではお顔の代わりに胡麻豆腐の写真でも載せましょうと言って笑いあった。うっかりしてお名前を伺うのも忘れた、というより出水の菜の花さんという名前そのものの方だったからだ、サトイモとカライモを掘って持って帰っていただければよかったと後になって気がついたが後の祭り。また新たなインターネットでの出会い、なんとも気持ちの和む一日であった。

胡麻豆腐とても美味しかったです。
平成19年10月26日(金)

 朝になって降りだした雨、昼前には上がって大した雨量にはならなかった模様。台風20号が発生している、今回は間違いなく来ないだろう。

 定期点検に出してあった車、午前中に受取りに行く、あちらこちら不具合箇所があり数日間かかったが、それでもまだ修理を要する箇所があるようで、部品待ちでとりあえず一旦引き取ることになった。その間、デリカの新モデルを代車で借りていたが、やはり新車は良い(しかし欲しい車はH2だ・・・・)。

 昨日、一匹だけ残っていたドンコも死んでいた。どうして死んだのか分からない、大きなミミズを食いすぎたのだろうか、あるいはその後で入れてやった大ムカデの毒にでもやられたか。結局元の金魚だけの水槽に戻ってしまった。

 我が家の入口にある金木犀が甘い香りを振りまいている。そして生垣(というには手入れをしていないで鬱蒼としてしまっているが)にはカラス瓜が赤く熟れている、今はそんな季節だ。

 3000m。63.4。


平成19年10月25日(木)

 穏やかに秋晴れ。

 朝6時、いつもより遅く目が覚めて、夜の間止めてあるシステムのスイッチを入れに二階に上がったところ、婆様の部屋から、微かにコツコツ板の間を叩く音が聞こえたので、ドアを開けてみると、婆様がベッドの下でうつぶせに倒れていた。

 どうしたんだと訊ねたら、ワカラン、起こしてくれえ〜と言う。ベッドの下の隅の方に頭を突っ込んだ形に倒れて、片腕が体の下になっていて自分では寝返りを打つことができなくて、もう一方の手で床を叩いたらしい。そうなった事情を尋ねても覚えていないという。

 色々聞いてみて多分こういうことだろうと想像する。昨夜は眠れなくていつもより三倍ほど梅酒割りを呑んで寝たそうで、夜中に尿意を催して、ベッドから降りてポータブルトイレに移る時に酩酊していて倒れたのではないだろうか。

 そして倒れたまま寝入ってしまい、小生が二階に上がってくる少し前に目が覚めて、自分の置かれている状況が分からずに、床を叩いていたらしい(寒くなくて良かった)。

 我が家は電気を消すと、周囲に灯りがないので漆黒の闇になる。婆様も、真っ暗なので周囲の状況が分からずに自分が床に倒れている状況も全く分からなかったらしい。

 ポータブルトイレは使った形跡がないので、トイレに座る前に倒れたのだろう。そうすると、失禁しているはずなのにしていない、これは用心のために、失禁用のパットを当てて寝るので、それが全部吸い取ったことで説明がつく。

 ただひとつ分からないのは、真っ暗だったということである。普通なら用を足す際には枕元のスタンドを点けるはずなのに点いていなかった、どうしてだろう、分からない。

 そういうことがあって、その後で、トレイに行くというので、気をつけて行けと言って下に降りたところ、今度はドッデ〜ンと派手な音がしたので、慌てて二階に上がってみたら、また倒れていた。

 小生はアルコール検知器を持っているので、はあ〜っとやってみろと言って測ったところ、かなりアルコールが検出された。まだアルコールが残っていて、唯でさえ覚束ない足元がもつれたのだろう。

 とにかく夜眠れないのが苦痛らしくて、眠ろうと必死になって医者から睡眠薬をもらっているが、あまりたくさんもらえないようで、、その不足を補うために一杯やっているのだ。

 今日はデイケアの日だったが、これではとても無理だと思ったので、風邪気味で休む旨の連絡を入れて、午前中寝かせておいた。

 午後からは平常に戻ったが、お騒がせ婆様である。いままでも何度も倒れているが、打ち所が良いと見えて致命的な打ち方はしていない、ただ打身は直ぐにひどい痣になる、満身創痍である。まもなく92歳、タフといえばタフである。これで万一の際には、家庭内暴力の結果だと思われるから気をつけろと冗談を言っている。

 普段なら寝ていて二階でドタンと音がしたら小生は大体目が覚めるのだが、昨夜は気がつかなかった、いずれそのうちに婆様の近くで寝る必要も出てくるかもしれない。

 それから、娘、今朝、グズッてゴロゴロしていて、テーブルの角か床かはっきりしないが唇をしこたま打って、唇を切って腫れ上がった、これも大したことなくて済んだ。

3000m。63.4。

平成19年10月24日(水)

 霜降だそうだが、今朝も気温(6.1℃)はあまり下がらずに、日中も穏やかな秋晴れが続いた。こういう天気が続くと火がつき始めた尻の火も消え気味で、冬篭りの屋外作業もなかなか本腰が入らずに、結局、我が遊び場でジャンク品を弄繰り回して一日が終わってしまった、それにしても写真で見ると小生の遊び場の乱雑ぶりはスゲエ。

 3000m。63.3。


平成19年10月23日(火)

 晴れ。今朝の最低気温(8.5℃)は前日までに比べたら大いに緩み、暖かいとさえ感じた。決して暖かいという気温ではないのだが、前日までこの時期にしてはかなり冷え込んだので、そう感じたのだ、人間の感覚なんていい加減なものである。

 婆様、定期通院、午後三時半頃、大阿蘇病院に連れてゆく。

 水槽のドンコ、ネットで調べてみると食性は肉食だそうだ。金魚の粉末餌では大変だろうと、ミミズをとって水槽に入れてやったところ、早速食いついて、夕方見たら、20センチは優にある大ミミズを半分くらい食べてしまっており、まだずっと喰らいついたままだった((という程度のことしか日記のネタがなかった)。

3000m。63.4。
平成19年10月22日(月)

 晴れ。最低気温、午前 6:20で1.3℃。

 婆様デイケア。

 我が家のLAN配線はどういうわけか壁面にモジュラージャックのコンセントでなくて、壁から直接長いケーブルが出いてモジュラープラグ仕様になっている。使わないときでも長いケーブルが出たままで邪魔である。そこでそのケーブルを切断して、モジュラーコンセントに変更しようと思って大分前に試しに部品を一つだけ買ってあってずっとそのままになっていた。今日その作業をしてみようと一箇所だけ午後から作業に掛かった。LANケーブルは通常8線から成っていてそれぞれカラーコードで色分けされていて配線を間違わないようになっている。通常はそのカラーコードが何番目のピンになるか決まっているが、我が家のLANケーブルの配線をした電工屋さんは、独自なピンアサインで工事をしていた。それでも両端がペアになっていればそれで全く問題はないのだが、それを切断して別の部品を繋ぐとなるとそこで混乱が生ずることになる。おまけに、モジュラープラグの場合のピンアサインは端から1、2、3と8番まで順番どおりに並んでいるが、モジュラージャックの場合、構造上の問題だろう、番号順になっていない、そんなこんなでテスターであたって正しく繋がるまで一箇所の工事だけで午後半日掛かってしまった。大体のコツが分かったので爾今はスムースに出来ると思う。


平成19年10月21日(日)

 快晴。明け方、十分に布団をかけているはずなのに暖かくないなあと思って寒暖計を見てみたら一気に0℃近くまで気温が下がっていた。気象庁の観測点のある阿蘇乙姫での最低気温は午前6時30分で0.3℃だったそうだ(そこから5キロほど東にある風師庵測候所ではそれほどまでは下がっていなかった)、放射冷却現象で気温が逆転して山上では1.8℃だった。畑は霜で真っ白になっており、今朝の散歩、さすがにTシャツ一枚というわけにも行かず薄手のセーターを着て出たが、体が寒さに慣れていないので氷点下数度の真冬の寒さ以上に堪えた。これほど一気に気温が下がるのは多分一時的なものだろうが、いやはやである。

 家族が起きだす前に今シーズンのストーブの焚き初めをした。特に正式な儀式でも何でもないのだが、馬場八幡の大祭の際に初めて綯って不採用になったしめ縄をお焚上げを兼ねてストーブの焚き初めに使って自分流のこの冬の安全を祈願した。

 自分はもう日祭日は関係ないが、家族が休みでノンビリしているとこちらもなんとなくノンビリしてしまう。今朝の寒さに驚いて、慌ててイチゴの苗をプランターに移植する。今朝の寒さくらいならイチゴも平気なようだからもっと気温が下がりそうな場合に屋内に入れることにする。

 ボンと最近やってきた猫、当初は天敵のような間柄だったが、いつの間にか仲間意識が生まれるのだろうか、お互いの愛情表現方法が違うので時々戸惑いを見せながらも結構仲良くやっている、猫は犬小屋にまで入るようになったので、冬の寒い時期一緒に寝れば暖かいと思うがどうだろう。


平成19年10月20日(土)

 晴れ、最低気温、阿蘇乙姫6.1℃、また最低気温の記録更新である、ストーブはまだまだ。

 我が家のパジェロ、普通であれば車検は別にして法定点検なんかしないのだが(本当はいけないのだが)、ロクなメンテもしないので10年以上乗っているとあちらこちら不具合が出てくる、安全のために12ヶ月点検に出す。場所は菊陽町、カミサンと娘が一緒に連れて行けというので、代車に乗って帰りにちょっと買い物にでもと思って連れて行ったところ、熊本市動植物園に連れて行けという。昨日の保育園の遠足で時間が足りなくて見残したところがあるので是非行きたいというのだ、已む無く付き合う。結局一日がかりになってしまい、へとへとになった。要するに園内の遊戯施設に乗るのが主要な目的であったようである。園内は広くて植物園と動物園とが一緒になっていて、そのほか観覧車などの遊戯施設もたくさんあり、家族連れで一日中楽しめる、第一に入場料や利用料が非常に安い、小動物しかいないくせにディズニーランド並に馬鹿高い入場料を取るどこかの遊園地に見習えと言ってやりたくなる。

動植物園連続写真家族の記録

 最近になって金魚の水槽に仲間入りしたドンコ一匹と数匹のアブラメ(タカハヤ)、ずっと大人しく共生していたが、二三日前にドンコがアブラメの一匹を咥えて殺した。まあ、食物連鎖だから一匹くらい仕方が無いかと思っていたら、昨夜一晩のうちに全部、噛み殺してしまった、ドンコはそんなに凶暴性のある魚なのだろうか、ずっと大人しかったのに何が引き金になったのだろうか。また村の子供たちに捕まえて来いと言うにはもう川の水が冷たすぎる、来春まで待たなければなるまい。まさか何倍も大きな金魚は噛み殺さないだろう。


平成19年10月19日(金)

 曇り。最低気温は昨日までのように低くはなかったが、かと言って日中も気温が上がらずになんとなく肌寒さを感じる一日だった。昼間少しパラつきもした。

 今日は、娘が通う保育園の遠足の日だった。バス三台で熊本市の動植物園まで出かけていった。小生は失礼してカミサンが参加した。一応役員なので、バスの中で交通事故が無いようにいくつかの注意事項を参加者に伝達する役割があったようだが、上手く務めが果たせたかどうかは知らない。

 カミサンが撮ってきた写真である。

親子遠足連続写真1/3(全10枚)
親子遠足連続写真2/3(全10枚)
親子遠足連続写真3/3(全 8枚)

3000m。63.9。


平成19年10月18日(木)

 晴れ。

 たかなの種を播くべく畑つくりをする。といってもトラクターで耕してから苦土石灰を鋤き込んだだけだ、一週間ほどおいてから堆肥を鋤き込む。もう種まきが終わって小さな芽がでている畑もあるが、我が家は何時も遅い、あまり遅いと芽が出たばかりの段階で霜にやられるのであまり遅くは出来ない。たかなの種も買ってきた。石灰には生石灰、消石灰、苦土石灰など色々種類あるが、あまり詳しくは知らない。今回の場合は、苦土石灰で良いらしい。

 それから草を少し刈って、枯れ草を燃やしてと午前中少し農作業をした。柔らかな秋の陽射しにゆっくりと立ちのぼる落ち葉のけむり、なかなかいい風景である。

3000m。63.5。


平成19年10月17日(水)

 晴れ。今朝の最低気温、阿蘇乙姫で6.9℃。晴天が続いているので毎日最低気温を更新している。風が無いので寒さを感じない、散歩の時にTシャツ一枚でまだ大丈夫だ。ストーブもいつでも焚けるように準備が出来ているがこれもまだ大丈夫だ、この時期には珍しいことだが、綺麗になった煙突の中を今朝スズメが一羽落ちてきた。

 イチゴ農家のS司さんからイチゴの苗のポットを10鉢ほど頂戴したので、室内で育てるために、試しにプランターを二つほど買ってきた。一つのプランターで二株ほど植えることになるので、プランターが全部で5個要ることになるが、プランターの置き場所に悩むところである。

 3000m。63.5。


平成19年10月16日(火

 晴れ、今朝の最低気温、阿蘇乙姫で8.1℃、また下がった。

 娘が、朝カーテンを引いて、あっウロコ雲だと叫んだ。秋である。

 3000m、64.0、食欲の秋である。

 夏に台風の接近で降ろしたままになっていた21の八木を久しぶりに上げた。だがコンディションが悪くて、あまり意味が無い。


平成19年10月15日(月)

 晴れ。今朝の最低気温はとうとう10℃を割り込んで、9℃だった。

 婆様、デイケア。

 3/16に熊本市内の出田眼科病院で右眼白内障の手術を受けて、三ヶ月目の術後の経過観察は阿蘇町の小野医院で診てもらった。そして今日、六ヶ月目(より少し長くなったが)の経過観察も小野医院で診てもらい、今日で無事卒業になった。ついでに緑内障の検査も受けたが、こちらも全く以上は無いそうである、メデタシメデタシ。

 昼過ぎにDI局来訪。


平成19年10月14日(日)

 うす曇り。

 第2工区(の意味は判らないが、多分土地改良区、圃場整備関係の用語だろう)の農・水・環の草刈り作業が夏に引き続いて行われた。馬場、福原、豆札の各集落から刈払機を持って多勢の人が集まり、午前8時半から作業が開始された。前回は真夏の暑さと草の繁茂の多さに全員がグロッキーになったほどだったが、今回は涼しい季節であったことや、夏ほど生い茂っていなかったので思った以上に作業が捗り、前回に比べたら幾分早く作業を終了することが出来た。川の土手は結構な急斜面で護岸壁も相当高いので落ちると大変とばかりに踏ん張り続けての長時間作業だったので、足の親指に負荷が掛かり続けて豆が出来るほどだった、やはり疲れた。

農・水・環草刈り作業連続写真 全9枚

平成19年10月13日(土)

 うす曇り。

 屋外で作業をするには丁度よい気候で、家族それぞれが思い思いの作業をして過ごした。カミサンは花壇の手入れをして、娘はそれを手伝ったり、自転車に乗ったり。小生は、薪置き場の整理作業をして、もう腐ったりして薪に使えない木切れなどを燃やした。

 夕方、お向かいのご主人が山仕事の帰りに薪材を積んで届けてくださる

 夜、坂梨宿場會の10月例会に出席するが、今夜などは肌寒くてもう半袖では我慢できないくらいだ。


平成19年10月12日(金)

 晴れ。明け方の気温11℃まで下がる。

 夏の間、物置代わりに何でもかんでも放り込んであった薪置き場を整理する。しのぎ易くなったと言いながらも、炎天下で作業するとまだまだ暑い。

 3000m。63.1。


平成19年10月11日(木)

 午前中は昨日までと同様にはっきりしない天気だったが、昼から久しぶりにスカッと晴れ上がった、日が射して来た時には暑いというよりは、思わず暖かいなと感じた、もうそんな季節なのである。

 婆様、デイケア。

 午前中、屋根に登ってストーブの煙突掃除をして、先シーズン使ったままになっていた煤などを取り除いた。スズメが巣を作ろうとして持ち込んだ枯れ草などが沢山詰まっていた。

 その後で、煙突内を流れる空気を調整するためのダンパーを取り付けた。盛んに燃えると空気口を閉じたくらいでは火力が衰えないことがあるので、昨シーズン中にネット通販で買っておいたものだ、どれだけの効果があるかはまだ分からない。

 3000m。63.4。


平成19年10月10日(水)

 気温を見てみるとまだ決して低くいというほどではなかったのだが、今日一日肌寒くて、カミサンなんか、もしかしたらストーブが入っているかなと思った、と少し期待を込めて帰ってきた。煙突掃除が最優先の仕事になるな。

 予報では昼前から天気も回復することになっていたので、ボチボチ冬支度の作業でも始めようかと思っていたが、回復が遅れてはっきりしない天気だったので結局室内でPCを弄るなどしてゴロゴロして過ごした。

 やった作業といえば、金魚の水槽の掃除くらいか、最近は川魚が仲間入りして水槽も賑やかになった。金魚のような人工的な魚りもやはり自然の魚のほうが小生は好きである。

 寺さんからまた沢山の書籍が送ってきた。いつも氏が読み終わった本をある程度まとまると送ってくれる。よくまあこんなに読む時間があるなあと感心するくらい沢山の本である。婆様も楽しみにしている。レパートリーが広くて洋物和物とりどりである。このなかに最近婆様がはまっている本に、「居眠り磐音」という時代小説のシリーズがある。小生も婆様の後に読み出したらこれが肩が凝らずに面白い。もう20巻以上のシリーズになっていて、最近、NHKの連続ドラマにもなっている。この磐音の出身藩が豊後関前藩という架空の藩だが、ここから東方向、大分の海岸部に佐伯市というところがあるが、江戸期のその佐伯藩が関前藩のモデルになったようで、それも親近感を覚える理由の一つでもある。鬼平犯科帳でも江戸の町が事細かに描写されているが、このシリーズも江戸が主な舞台になっていて、江戸期の町名や通り筋、橋などが事細かに描かれている、古地図を眺めながら読むと一層面白いだろうなと何時も思っている。以前、現代の地図と古地図とをレイヤーを使って重ね表示したりする地図ソフトがあるのを知ったが高価で手が出せなかったことを覚えている。

娘近影


平成19年10月9日(火)

 前線の通過で、断続的に雨が降り続く、今夜も低気圧通過でかなりまとまった雨になりそうである(風師庵測候所の雨量計が動いていないようだ)。

 午前中、大阿蘇病院に婆様の薬をもらいに行く。特に悪くなくて薬だけで良いときは、体を動かすのが大変でしょうから本人が来なくても良いですよ、とのことだったので、今日は小生だけが行った。

 3000m。63.8。


平成19年10月8日(月)体育の日

 雨模様の一日で、久しぶりに阿蘇の大地が潤った。

 夜、馬場八幡総代会の慰労会が阿蘇の四季であった。


平成19年10月7日(日)

 曇り、時々弱い雨が降ったが、地面が濡れることは全く無かった。

 カミサンが畑に数株植えていた落花生に実がなった、肥料もやらず何も管理はしなかった、カミサンの両親が雑草抜きをやってくれたくらいだ。落花生は地上にある枝茎から白い糸状の根?が幾筋も空中を伸びて地上に刺さって地中で実を結ぶのだが、マルチをかけた畝に植えていたので、地中に根を下ろそうとして困っていたのを義父が見つけてマルチを剥いでくれて、そのおかげで無事に実をつけることが出来た。早速茹でて食べた。

 台風15号、迷走気味に進んでいたがとうとう力尽きたか、どうやら温帯低気圧になりそうで、温帯低気圧といっても馬鹿には出来ないが、ひとまずホッとした。進路ばかり気にしていたが、あれだけ迷走して、大陸に上がったら、極端に衰弱するだろうことも頭に入れて置けば余計な心配をしないで済んだかもしれない。それでも大胆に予想してくれる米軍や、民間の予報のほうがありがたい。


平成19年10月6日(土)

 晴れ。

 昼前、散歩に出た娘とカミサンを追い越すようにしてプールへ。今日からまた年間会員としてプールで泳ぐことが出来るようになった。3000m、63.2。

 やはり直撃か・・・・・ 日本のお役所は慎重というか、消極的というか、事勿れ主義というか、少しくらいずれていも構わないからもっと大胆に予測してほしい。

平成19年10月5日(金)

 晴れ。

 先日、動かなくなったT男さんのPC、データを残すように現状で復旧をしたが、今日また連絡があり、また動かなくなったとのこと、結局システムファイルが致命的に壊れているのだろう、最終手段はHDの交換までしなければならないが、とりあえずリカバリーすることにして今日再インストールをしたが、HD交換はまだしなくてよさそうな気がする。

 台風15号、結局ここまで来ると東に急カーブで進路を変えことになるのだ、今まで強かった太平洋高気圧が無くなって、北のほうから高気圧が南下しているので、偏西風の力も借りて高気圧の縁を回るように日本列島に沿って進むのだろうと素人ながら分かるような気がする、今度のは大きいぞ。

 婆様と娘、介助をされるほうの婆様が娘の着替えを手伝っていた、我が家ではちょっと珍しいシーンである。
平成19年10月5日(金)

 晴れ。

 先日、動かなくなったT男さんのPC、データを壊さないように現状で復旧をしたが、今日また連絡があり、また動かなくなったとのこと、結局システム部分が壊れているのだろう、最終手段はHDの交換までしなければならないが、とりあえずリカバリーすることにして今日再インストールをしたが、HDはまだ大丈夫なような気がする。


平成19年10月4日(木)

 晴れ。

 婆様デイケア。プールにも行けず、誰も居ない家でノンビリ過ごす。冬支度の重い腰がなかなか上がらない。

 昨日娘が乗って動いていたトラクターが突然止まって、その後エンジンが掛からなくなっていた。今日、サービスに来てもらって調べたところ、ローターリーのギアを切り替えるレバーが脇から手を伸ばして操作したために、ニュートラルにしたつもりがちょっとしたことでニュートラルに入っていなかったらしい、それでエンジンが掛からなかったのだ、つまり安全装置が働いたのである。


平成19年10月3日(水)

 晴れ。

 市立図書館のシステムが新しくなって早速新しい利用者カードを作ってもらった。都市部の図書館では当たり前なのかもしれないが、ネットで蔵書の検索できたり、ネットで予約が出来るそうだ、大変便利になった。

 昨日久しぶりにトラクターを動かした。これから少しずつ畑を耕やすことにした。昨日保育園から帰ってきて娘をトラクターに乗せたところ大いに気に入って今日も乗りたいという。そこでスローで運転しながら、小生は降りて娘を独りにして自由にハンドル操作をさせた、そのくらいゆっくり走るのだ。大層ご満悦で、好きなテレビの時間なのにトラクターに夢中になっていた。都会では味わうことが出来ない田舎ならではの経験だろう。

 村のT男さんのパソコンが起動しないというので数日前に預かっていたが、今日調べたところ、システムが無いと表示されて真っ黒なまま、色々チェックしたところハードディスクは壊れていない、結局システムファイルが壊れているのだろうと、再起動ディスクを使って復旧しようとしたが、そのディスクは作っていないので無い。OSはWindows MEで周囲に持っている人はいないかと思って訊いてみたが居ない。そこで茅ヶ崎に訊ねたところありそうだとのこと、再起動ディスクを作って送ってもらうことにして、他に何か方法は無いかとネットで検索したところ、サードパーティーだろうか、再起動ディスクが作れることがわかり、それで試してみたが、どうもそれで上手くいったのかどうか不明のまま何かの拍子に復旧した、そこで再びダウンしないうちにと、正式に起動ディスクを作ってスキャンディスクを掛けたところ、相当大量のファイルが壊れていたのでそれを修復して、とりあえず正常に復旧したが、後になってリカバリーCDがあることが分かったが、リカバリーすると完全に初期化されるので、今回はとりあえず現状のままの復旧に留めておいた。MEというOSは98よりもXPなどに近いOSだということが分かった。

 午後9時前、PCの前に座っていると、一度だけガツンと下から突き上げるようにひと揺れした。ほんの一瞬で、家族の誰も気がつかなかった。横揺れは全く無くガツンと一度だけだ。しばらくしてテレビに地震速報がでた、阿蘇地方震度3で多分直下だろう。
平成19年10月 2日(火)

 晴れ。まだまだ日中の陽射しは強いが空気は確かに冷たくなっている。

 ようやくプールに行く時間が出来たので随分久しぶりに泳ぎに行った。実は今日で年会員の期限が切れるので是非行きたかったのだ。個人で会員になるよりグループを組んで会員になったほうが一人当たりの負担額が約半額近く安価くて済むが、今までの5人組で泳ぎを続けているのは小生だけになった。だからまた新たに5人でグループを組む算段をしなければならないが、なかなかすぐには5人揃いそうにも無い、当分行けないだろう。

 最後だから5,000m泳ごうかと思ったが久しぶりのプールなので3,000mがやっとだった。泳いでいる間は1、2、3と往復回数を数えながら泳ぐが時々怪しくなる、そういう時は多く泳ぐようにしているが、今日も1回数え間違ったような気がしたので、もう一往復増やすことにした、結果、多分,3100m泳いだと思う。

 距離も3,000mくらいになると一応「苦行」になるので、出来ることなら規定距離以上には泳がないで済ませたい、だからといって少なくては気が済まない、結局多めに泳ぐことになる。62.6。

 おーい、誰かグループを組みませんか。

 台風15号が発生している、なんとなく嫌な感じがする。


平成19年10月 1日(月)

 晴れ。10月に入ったとたんに、二三日前までの暑さが嘘のように朝晩はヒンヤリと秋めいてきた感じがする、もう3ヶ月で今年も終わるのだ。

 今日は衣更えである、娘も冬用の園児服を着て登園した。

 そして、今日郵便局の民営化がスタートした、坂梨郵便局も新しい看板に変わっていた。銀行でも良かったのだが、さっそく秋祭りの支払いを郵便局から送金したところ、表には貼るスペースがないので振込用紙の受取の裏に、収入印紙が貼られて戻ってきた、このことを話題にすると、窓口の局員君もなんとなく照れくさそうに、そうなんですよ民間企業になったので印紙を貼らなければならなくなりましたと言っていた、そしてちゃっかりその分、送金手数料は高くなっていた。小生は銀行よりは郵便局の方が身近に感じて好きだから郵便局の方を応援する(銀行にとっても、小生のような小額預金者なんか口座維持の手数のほうが大変だろうから来てもらわないほうが助かるだろう、利害が一致するのである)。







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