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平成19丁亥(2007)年12月の記録(新しい日付けの順)

平成19年12月31日(月)大晦日

 雪。起きてみたら一面の銀世界だった、積雪量は5〜6センチといったところだろうか、娘がおおはしゃぎだったが、少し風邪気味なので室内から雪景色を眺めるだけにさせた。

 毎年正月休みには実家に戻っていた母子、今年は戻らなかった。例年、婆様と二人の正月では、準備をとんとんと済ませて、紅白歌合戦の時間はテレビなど観ずにDVDで劇映画などを鑑賞して過ごしたが、今年はどういう理由か分からないが朝から忙しくて忙しくて、夕食時に見たくも無い番組の時間帯にぶつかって、何十年ぶりかで、食事中、知らない歌ばかりなので注意を引くことも無く歌合戦が視界を通過していった。そして食事を早々に切り上げて、二階に上がってskypeでTOMUさんにPCの講義(ホームページにアクセスカウンターを埋め込む作業)をして、除夜の鐘近くまで過ごした。

 午後、哲兄が伸兄を伴って、婆様の顔を見に寄ってくれる。

 夕方、蕎麦を打って、二軒ほど届ける。

 今年も充実して忙しくて楽しくて平穏な生活を送ることが出来た、家族も今年も欠けることなく全員健康に過ごせた、総てに感謝して終わりたい。

 もう少し気の利いた文章で締めくくりたかったが、残された時間があまり無いのでとりあえず、これで今年を締めくくることにする。


平成19年12月30日(日)

 予報どおり、朝から雪になった、しかし今日の降りは大したことなく畑などが薄っすらと白くなる程度だった、初雪になるのだろうか、すでに初雪は済んでいただろうかハテどちらだったろう。

 馬場八幡、年末の神事「大祓い」があった、大しめ縄の張替えも終わり、新しい年を迎える準備も整った。


平成19年12月29日(土

 曇り。一日を通して重苦しくて暗い空が広がっていた、舞台立てとしてはいつ雪が落ちてきてもおかしくない空模様だったが、今日のところは気温が高くてまだ雪にならない、明日あたりだろうか。

 午前中、村内のW辺さんのお宅に娘を連れてPCのサポートに伺う。

 昼間は、二三日続けていた防雪パネルの工作を完成させる。これでどんな雪でもドンと来いであるが、出来てみれば簡単なものである。

 我が家では、盆と正月に仏壇と神棚に「神の杉」の小瓶を供えることにしている。「神の杉」は大津酒造という阿蘇町の造り酒屋の酒で、その昔、曽祖父太邑が命名したという縁でこちらに来て以来我が家の供物として習慣になっていた。今日その酒を買い求めに行ったところ、10月末で閉店したという貼り紙が出ていた。ニュースにならなかったのだろうか、全く知らなかった。「神の杉」という酒が阿蘇という地の表舞台からひっそりと消えていった、なかなかの風情のある佇まいの造り酒屋、建物はどうなるのだろう、年の瀬ということもあり一層の寂寥感を覚える。

 「神の杉」に替えて「R」を買ってきた、「R」も阿蘇にある名の通った酒造会社の酒である、アルコールをあまり嗜まない小生にとって少し皮肉な話だが、実はこの「R」も(先方は知らないだろうが)小生とは縁がある。自分のルーツを調べていて分かったことであるが、大伯父、つまり祖母の兄にあたる人がその昔この酒造会社に養子に入っているのである。その昔と言ってもわずか二代前のことながら、父祖の地から遠く離れて生きてきたので遠い歴史の彼方のことのようである。

 本日ようやく年賀状を投函し終えた。昔は一枚一枚手書きをしていたがいつの間にか儀礼的なものになりパソコンで打ってハイ一丁上がりになってしまった、相手方には誠に済まぬことである。

 午後、TOMUさんがご丁寧に年末のご挨拶に見えた、今年また親しく交われる共通の趣味を持った友人が出来た。


平成19年12月28日(金)

 一日中、細かな雨が降ったり止んだり、気温は高めだった。

 婆様が最近、シルバーカー(手押し車)を室内で使うのは良いけど、外でちょっとした距離を歩くと疲れるから外出はしたくないという。そこで過日、包括支援センターのケアマネージャーYさんに、現在レンタルしているシルバーカーを車椅子に変更できますかとお尋ねしたところ、婆様は介護保険で要支援2の認定なので、今のままでは直ぐには車椅子は介護保険の対象になりませんということだった。そこで正月の初詣などの外出で短期間借りられ所はありませんかと相談したところ、しばらく時間をくださいとのことだったので待っていたところ、折り返し、年末年始の市役所が休業している間、外来者用の車椅子を無料でお貸ししましょうという返事が来て、今日お借りしてきた、制度としてあるのだろうか、いずれにしても、イキな計らいというやつだ、大変有り難いことである。

 午前中は、金融機関やホームセンター回りをして、午後からは昨日の工作の続きをした。前からあった電動丸鋸、結構高級なやつだったのに、故障して修理したばかりなのにまた壊れたので、小型の丸鋸を買った。

 肝心の工作のほうは、trial and error、行き当たりばったりでやっているので、大体の目処がついたが、まだ完成を見ていない、大した工作でも無いのに。

 カミサンと娘、今日が今年の活動納めである。



平成19年12月27日(木)

 曇り。

 婆様デイケア。

 娘を保育園に送りがてら、お寺さんに年末のご挨拶をする。

 今日の朝一の仕事は白菜漬けと予定をしていたので、まず今冬第二弾の白菜漬けをした。

 それから、もしかしたら雪の正月になりそうな雰囲気なので、北部ボディに持ち込んで軽トラックのタイヤをスタッドレスに替えてもらった。

 昼から、思い立って雪避け用のパネルの設置工作を始めたが、頭で描いていたように上手くいかなかったので、改めて再挑戦をすることにして、本日の作業は中止した。我が家のベランダ側は雪が降り込むとせっかく積んである薪などが雪に埋まって使えなくなるので、南西方面から降り込む雪に対して、雪避けのパネルをコンパネで作って、さっと天井から吊り下げるつもりだったが、引っ掛けの部分の細工が上手くいかなかったのだ。


平成19年12月26日(水)

 晴れ。今日はまるで春のように暖かくて、吹く風が心地よくて季節を忘れそうな一日だった。

 昼から第二弾の白菜漬けをつくるべく白菜を買い求めて帰る途中、N川さんのお宅の前を通りかかったところ、呼び止められて、白菜はあるか?今買って帰る途中です。ウチの白菜も旨かけんもって帰りなっせ。というわけで沢山白菜を貰って帰ってきた。

 ところが、天気があまり良いので、急遽予定を変更して、薪つくりをした。シャツ一枚で作業をしても寒さは全く感じなかった。白菜は明日漬けることにする。

 婆様小康状態。


平成19年12月25日(火

 うす曇り。

 婆様、大阿蘇病院へ。二三日前から胃腸の調子が良くなくて、食欲が出ず、また食べたものの消化機能が働いていないと言う。不調を訴えた最初の日には、夜中に食べたものを全部吐いたそうで(我々は階下で寝ていた知らなかった)、その後はそういう症状も出ておらず、悪化はしていないが、相変わらず食欲が出ないとのことなので今日病院に行った。連休明けのせいもあって大混雑だったそうで、点滴そして入院かと思ったが、胃腸を整える薬を貰って帰ってきた。悪くはなっていないので、これで暫く様子をみることにした。下痢もしていないし、食あたりでも無いと思うので、何なのだろう。

 今日は全くその予定など無かったのだが、ふとキーボードを見ていて、急に掃除をすることになった。考えてみたら10年以上も使っているATキーボードで、コネクターがDin5pinなので、最近はそれをPS/2に変換するケーブルを繋いで使っている、汚れに汚れて、汚いなあとは思っていたが、自分しか使わないものだし、面倒なのでとそのままにしていたが、先日、ご近所のお嬢さんがワードを使わせてくれと言って、訪ねてこられてお貸ししたが、こういうこともあるのでやはり清潔にしておかねばならないと思っていたところである。コマを全部外して洗剤で洗ったが、コマの下や間には驚くほど沢山の綿埃が詰まっていた。

 夜、遊学先から帰省しているI田さんのお嬢さんのリクエストでPCの環境設定のサポートに行く。


平成19年12月24日(月)振替休日

 うす曇り。

 婆様、体調不良につきデイケアを休む。

 目が覚めたら、朝7時半近くになっていた、こんなに寝坊したのは数年ぶりだ、昨日は久しぶりの人、人、人の波に酔ったのだろう、完全に田舎暮らしが身についてしまったようだ。

 今日はノンビリして過ごし、夜は件の如くケーキを囲んでの一夜限りの耶蘇教徒



平成19年12月23日(日)

 晴れ。天皇誕生日。

 組内(くみうち)(村内)のM士さんのご長男、H幸さんの結婚式が熊本市の熊本ホテルキャッスルで挙げられた。村内の皆さん披露宴にご招待を受け、小生もその端に加わって謹んで参列した。新郎新婦そしてそのご両親方の日頃の多くの人との交わりの深さを表すかのようにそれは盛大な式だった。ついでに、多勢の参列者がありながら一般的な披露宴のコースと違って出来立ての暖かくて本格的な美味しい料理に大いに満足だった。いつも地元でちょこちょこと写真を撮りまくっているが、今日は小生ごときが、という感じであまりシャッターを押すチャンスも無くかろうじて数枚の写真を撮っただけであった。


平成19年12月22日(土)

 夢うつつに一晩中雨音が聞こえていた気がする、蕭条というよりは多く、沛然というほどの勢いもなかったが、この時期不思議と風がなかったので心地よい雨音だった。

 冬至である、「一陽来復」ともいう、今日を境にこれから少しずつ日が伸びて春に向かう、なんとなく字面が良い。天気が悪くて、明朝になると少しだけ日が長くなることになる今年最後の一番短い太陽を見送ることが出来なかったが、無事にいつものようにゆず湯を立てて娘と定点観測写真を撮ることが出来た。今年の柚子、東仲のSさんが自宅の柚子だといって沢山届けてくださったものだ。婆様はシンドイと言って今年は入らなかった。

 午前中、崇敬講社の受託事務の処理のため阿蘇神社U氏の来訪あり。



平成19年12月21日(金)

 曇りのち雨へ。

 今晩あたりから天気が崩れて二日ほどまとまった雨になるという予報が出ているので、雨に濡れずに室内に取り込めるよう薪の整理をしたり、薪小屋に雨が降り込まないようにシートを下ろしたりと屋外作業をした。ついでにせっかく乾いている薪材をまた濡らすことも無いだろうと薪作りも行った。

 その際にTOMUさんに連絡をして田舎暮らし必須のチェンソーの扱い方などを指南した、氏のお宅にも薪ストーブがあるが、今のところインテリアになっていてまだ本格的に稼動していないとのことなので、これを機会に薪つくりをするのだと近くのホームセンターで早速チェンソーを買い込んでいた

 その際に、ついでに地元の女性グループが主宰するボランティア団体「のはなの会」が毎週金曜日にだけ開いている会員制の食堂に案内した。手作りの美味しい昼食が食べられるちょっとした穴場である。ホームページの更新まで手が回らないと見えて古い地図しか載っていないが、現在は、そこから直ぐのところに場所を移して活動をしている。


平成19年12月20日(木)

 晴れ。放射冷却現象で朝霧が立つ、最低気温、阿蘇乙姫 -6.4℃(07:20)、久しぶりにキリリと冷え込む

 婆様デイケア。

 午前中、薪作りの真似事をして終わる。


平成19年12月19日(水)

 晴れ。最低気温、阿蘇乙姫 -2.9℃(03:20)。

 e-Tax、即ち電子納税の手続きをする、何度も書くが、次のステップに進むのにいくつものハードルがあり、とにかく面倒である。この面倒さは初期設定の段階だけだと思うが、大体分かってきた。

 昨晩、急に寒気がして、鼻水が出始めたのでこれはマズイと思って、普段でも早寝だが、更に、さっさと布団を被って寝た。それが功を奏してか、それ以上のことにならずに済んだようだ。我が家が24時間暖かいのでついつい薄着に慣れて、そのまま外出して出先で寒い目に会うのが良くないようだ。


平成19年12月18日(火)

 晴れ。最低気温、阿蘇乙姫 -2.4℃(02:40)、昨日もそうだったが、明け方にぐっと冷え込むことが無いようである。

 午前中、床屋に行く。

 昼前、JH6KVF局の来訪を受ける。

 午後から用足しに出かけたついでにTOMUさんのところに様子を見に伺う。

 年末で、やることが山ほどあるが、時間だけがどんどん過ぎていって全く消化できない。


平成19年12月17日(月)

 晴れ、少し冷え込む、最低気温、阿蘇乙姫 -2.9℃(01:20)。

 婆様デイケア。デイケアの月曜日の迎が早くて起きるのがつらいというので、娘を保育園に送りがてら小生の車で送り届ける。 その足で、デイケアセンターからすぐのTOMUさんのお宅に顔を出して、PCの環境設定の手伝いなどをする。


平成19年12月16日(日)

 晴れ。あまり気温は上がらなかったが、陽だまりは暖かかった。

 大津町までパジェロを受け取りに行く。定期点検で次から次に見つかる不具合箇所の修理で随分時間が掛かってしまった、普段、車のメンテや清掃なんか皆無のツケが回ってきて通常の使い方からみるとかなり傷みが激しい、それでも整備後は、こんなに軽やかに走れるものかと感じるほどの変化が見られた。

 ところで、MicrosoftのOfficeというソフトがある、WordというワープロソフトとExcelという表計算ソフトとそのほかAccessというデータベースソフトなどなどをパッケージした総称である。これがなかなか高価である。

 近年、これに対して、これらと同じような機能を持った無料のofficeがある、Open Officeという。機能的にもMicrosoft Officeと遜色ない。データの互換性も完全ではないが十分にある。

 ところが、今度は、Google Document というソフトが現れた、ソフトといって良いだろうか、サービスと言ったほうが良いのだろう。

 これは上記のOffice類と同じようなソフトだが、今までは有料であれ、無料であれ、ソフトを自分のPCにインストールしなければならなかったが、ところがこのGoogle Document はソフトウエアーが向こう側にある、つまりインターネットを通じてGoogle側にあるソフトを起動して使う、だからソフトをわざわざ自分のPCにインストールしなくてよい、従ってハードディスクの容量が小さくても良いのである、データも向こう側に置けるので何処に居てもインターネット環境があれば自分のデータを呼び出して編集できる、またネットの特性を生かして他の人とデータを共用しようと思えばそれが出来る、そのほか色々な使い方が出来るというわけである。そしてこれが無料と来ている。使う側は便利になるが、提供側はそれでペイするのだろうか、それにデータのセキュリティの問題もある。とは言いながら有難いサービスがまた出来たものである。


平成19年12月15日(土)

 曇り、夕方少し降る、少し白いものが混じっている感じだったが、今日も寒い一日だった。

 保育園の「お楽しみ会」というクリスマスに因んだ催しがあり、朝から親子で参加する。我々夫婦は役員として、交通安全をテーマにした寸劇に参加したが、小生は開幕のナレーションと音響担当という軽い役を振ってもらった。

 肉体的にということではないが、保育園という若い世界に半日も居ると、エネルギーの波長が全然違うのでヘトヘトに疲れた。

お楽しみ会連続写真 1/2 (全10枚)
お楽しみ会連続写真 2/2 (全 9枚)


平成19年12月14日(金

 曇り。木枯らしが吹いて冷たく寒い一日だった、どうもすっきり晴れた冬の空が戻ってこない。

 午前中、DI局本日ご不在なので独りで箱石峠を越えて、久木野まで先日の積み残しの薪材を取りに行った、あと一台分くらい残っている。

 TOMUさんに新しいPCが入った、ビスタである、ビスタは二人とも初めてなのでさっぱり分からない。それにしても、最初古いノートが一台しかなかったのに、いつの間にかデスクの上はPCで一杯になっている。

 婆様ここのところ定期通院をサボっていたので、スポットで大阿蘇病院の整形外科に出かけ、関節炎などの痛み止めの注射を打ってもらう。

 現在は東北にお住まいの坂梨下町(しもまち)出身の八木紘輝さん(H19.4.8)から、江戸を俯瞰して作成された地図が送られてきた。小生が時代小説を読むときに古い地図があれば良いなあと日記に書いていたのを覚えていてくださって、わざわざ東京に出たついでに買い求めて送ってくださったのである。

 地図は横長で結構大きいので、日記にはごく一部だけ拡大スキャンしてみたが、現在、「居眠り磐音」シリーズを読んでいて、この小説に登場する深川六間掘や北割下水、南町奉行所や日本堤などの場所が相互の位置関係も含めて実に明快に分かる、当時は今では想像できないが、江戸市中を水路が網の目のように縦横に走っていて、猪牙舟をつかって手軽に移動していたようで、横川や竪川などを通って大川に出て、山谷掘を遡って日本堤を云々などという描写などが、実に良く分かる、また昔の人はとにかく歩いたものだということも良く分かる、素晴らしい地図を送っていただいた、これで読書の楽しみが倍増する。

 税務署から国税の電子申請の勧めが来ていたので、申請をしていたところ、今日、利用者識別番号等の通知書が送られてきた。電子申請の環境は一昨年から整っていたが、お役所の手続きはとにかく面倒で、ずっとやらずじまいで来た、小生の納税事務なんか単純そのものだからひとつこれを機会に、電子申請に馴れておこうかということで、今年度の確定申告をこれでやってみることにした。



平成19年12月13日(木)

 朝のうち雨、のち曇り、昨日同様日本海型冬の空であった。

 婆様デイケア。

 今日、所用で朝早く熊本市内に出かけた。向こうで待ち時間が2時間ほどあったので、大江のシネコンで時間つぶしに映画を観たが、観客数二名也。小生の前の列の少しはなれたところに女性客が一人座っていたが、小生より後の列であれば小生の様子を伺えるからまだしも、小生の前の列だったので、さぞかし落ち着かなかったのではないだろうかと、かえってこちらの方が気にしてしまった。映画自体は、中世の北欧の英雄伝説を扱ったもので、文字通り時間つぶしの映画だった。

 T木Y臣さんから美しいクリスマスカードが届いた、非常にメルヘンチックで美しい作品なので許可を貰って我が家の記録用に転載することにした。このファイルは、パワーポイントのスライドショーで見る作品である(ファイルサイズも5MB以上ある)、この機能を使わないと動きも無く、美しさも半分以下になる(ここに載せると音楽は著作権に触れるだろうか・・・その場合は削除しなければ)。



平成19年12月12日(水)

 雨。終日、弱い雨が降ったり止んだりの陰鬱な一日だった。

 デスクワークをして過ごす、時間が経つのが早い、あっという間に一日が終わる。


 今日、小生の雲海の写真を使わせて欲しいという申し出が、株式会社 ASOジャパンという会社からあったので承諾した。

 この会社、熊本市に株式会社 弘乳舎という乳製品を製造する会社があるが、この会社と系列関係にあるようである。

 調べてみると、この弘乳舎という会社、小生と少なからぬ(と言うほどでは無いが)因縁があることが分かったのである。

 この弘乳舎のホームページの縁起に高木第四郎という人物が出てくる、時代的には横井小楠の孫弟子筋にあたるとでも言うか、実学を重んじて熊本における乳業の先達となった人である。そしてこの高木第四郎は曽祖父太邑の塾で学んでいる(所謂出藍の誉れというやつである)、更に時を経て、現在小生は、インターネットが縁(H14.7.3)でそのお孫さんご夫妻とも懇意にしていただいているのである。いやその前にも、戦前か戦中に、高木第四郎が社長をしていた今の熊本日日新聞の前身にあたる九州新聞の時代だと思うが、伯父が、そして父も一時期、新聞記者として世話になっているはずである。

 今回の写真掲載の申し出は、先方がこの事を知っていてのことではない、あくまでも後から分かったことで偶然である、これも縁である。次の写真に取り換わるまでしばらくは、小生の雲海の写真がネットショップを飾ることになったのである。

 普段、娘宛に手紙が来ることなど全く無い、そこに今日、二通も娘宛に書状が届いた、しかも二つとも何かが入っている、稀有なことである、郵便やさんも戸惑ったのでは、と思うくらいである。

 一通は、宮崎のじっちゃい家の孫1号ちゃん、そして後の一通は先日横浜からやってきた弘子おばさんである、おばさんが我が家に滞在中、娘がこそこそ何か約束をしていたようだが、その時の約束のものだろう、またまたクリスマスが二度も三度も早くやってきて娘大喜びだった

平成19年12月11日(火)

 昨夜来の雨、朝には上がり、気温の高い一日になった。

 婆様が、昨日、デイケアから帰って直ぐに寒気がすると言って布団を被って震えだした、熱も38度を超えたので、もしかしてこれはインフルエンザか、インフルエンザとは一番遠い所に居て、しかも我が家では一番風邪に強い婆様が、と心配したが、昨夜のうちに熱も引いて今朝には平常に復していた。一体なんだったのだろう、まあとにかく大事に至らずにホッとした。

 最近、娘がCWに興味を持って、私にもやらせろと言う、そしてAはどう打つのか、Sはどう打つのかなどとしつこく聞いてくるので、面白半分で、パドルの操作を教えてサイドトーンでやらせているが、無心なので結構覚えている、トーンを楽器の音色のつもりで聴きとっているようで、まさに音感法というやつである。そのうちに小生を追い越すかもしれない、しかし直ぐに飽きるだろう。



平成19年12月10日(月)

 晴れ、最低気温、阿蘇乙姫、-6.3℃(06:30)。

 TOMUさんにJF6GYRの再免許がおりたそうである、信号の色の並びのサフィックスである、Green、Yellow、Redである。氏は2アマである。申請手続きを手伝ったので我がことのように喜ばしい。最近は必要事項さえ入力すると申請書を作ってくれるフリーソフトがあるので、その気になりさえすればわざわざ申請用紙を買ってこなくても簡単に申請書類が作成できる。

 最近、昔免許を持っていたが、その後免許が切れてずっとそのままになっていた人が、定年退職を機にまた始めるとうケースが増えているそうである、一時減ったハム人口もまた少しずつ増えていっているのではないだろうか。

 周囲にも昔やっていたのだが、という人が結構居る、そういう人たちもまた再開しないだろうか、T雄さん夫妻やヒゴタイ工房夫妻など。

 思い立って、デッキの整理をして冬場の一時薪置き場を確保した。今は晴天が続いているので、その日に必要な薪はその時に薪置き場からもってくるが、そのうちに雨や雪が降り出すとその作業が大変になるので、一日二日分くらいは直ぐに取り込める場所に雨がかからないように置いておく必要があるのである。

 ついでに、もう枯れてしまってオブジェのように立ち並んでいる畑の作物と支柱を整理した、そのうちにマルチを綺麗に剥がして耕す必要がある。

 夜、保育園で保護者会の役員会がある、お楽しみ会というクリスマス絡みの催しが近いうちにあるが、そこで役員が寸劇をやることになっていて、その予行演習である。小生は皆さんが小生の年齢を配慮してくださって舞台に上がる必要の無い役目を振ってもらっている。


平成19年12月9日(日)

 晴れ、最低気温、阿蘇乙姫 -3.2℃(03:40)。

 久しぶりの自適。


平成19年12月8日(土)

 晴れ。今日は12月8日である。

 とにかく疲れた、が今日の総括である。

 先日に引き続いて、DI局と久木野の氏の隠れ家にクヌギを切り倒しに行く。前回よりも能率が上がり、軽トラ二台に積みきれないほどの木を切り倒したが、その分、疲れた、とにかく疲れた、帰ってからの風呂が極楽のような気分だった。

 前回(11/11〜11/12)はまだ木々の葉が青々と生い茂っていたのに僅か一ヶ月しか経っていないのに風景がガラリと変わっていた

 帰る途中、阿蘇坊主殿を圓林寺に表敬訪問する


平成19年12月7日(金)

 小雨のち曇りのち晴れ。午前中、時々細かい雨が降っていた。

 久しぶりにプールへ。2000m、65.4。ここのところ、来客が続いたことなどもあってプールを休み、いい気になって少し食いすぎたようだ、テキ面である。

 従兄姉の道子姉、信昭兄、弘子姉、5泊の旅を終えて今晩、熊本空港から離熊した。昨日湯布院温泉から熊本市内に入り、今日は熊本城などの見物をしたそうである。婆様の顔を見るのも今回の旅の主な目的でもあったということだったので、これは丁重に見送らなければと、娘を伴って夕方空港に駆けつけて、再会を約して見送った


平成19年12月6日(木)

 晴れ。冷え込む、本日の最低気温、阿蘇乙姫 -6.7℃(07:00)、多分今期最低だろう。我が家の庭先のアナログ寒暖計はもっと低い温度を指していた。 

 古閑の滝も少し凍り始めているが、普通なら、これだけ気温が低いと一晩で見事な氷瀑が見られるのに今年は雨が少なかったから水が足りないのだろうか、あるいは風の吹き上げが弱いからかもしれない。

 婆様デイケア。

 午前中、上町のT村さん、馬場八幡関連用件で来訪あり。

 なかなか時間が作れずに放置してあった宿場通りのライブカメラの復旧作業をする。午前中、作業をするつもりで出かけて行ったがいくつも忘れ物をしてその度に取りに帰るうちに昼になってしまったので、仕切りなおし、午後から改めて作業を開始して三時半頃までかかる、寒かった。

 パジェロ、先日定期点検で見つかった不具合のうち、部品取り寄せなどで遅れていた修理のため、昨夜営業担当が代車をもって取りに見えた。代車、こちとらとしてはオンボロの軽で良いと思っているのに新車のギャランである、先日はデリカの新車だった。新車を代車にというのは何か意図があるのだろうか、年金生活者にそれは無いだろう、あくまでもサービスなのだろうがついつい勘繰りたくなる、でも小生が欲しいのはH2なのだ。


平成19年12月5日(水)

 晴れ。低温注意報がでていたが、それほど下がらなかった。阿蘇乙姫 -2.6℃(01:00)

 午前10時過ぎ、横浜からの客人を湯布院まで送る。湯布院温泉が今晩の宿泊地である。途中、一年くらい前に出来た九重町(ここのえまち)の人専用の吊り橋としては高さ、長さとも日本一という「九重(ここのえ)夢大吊り橋」<http://www.yumeooturihashi.com/>に立ち寄り、午後二時前に目的地に無事送り届ける。
(写真1写真2

 阿蘇山だけでなく、由布岳久住山も薄っすらと冠雪していた。幾層もの茶系色で彩られた初冬のやまなみハイウエーはこれまた素晴らしかった。


平成19年12月4日(火)

 晴れ。保育園で餅つきがあったので朝から応援に出かけたが、気温は氷点下にはならなかったようだが、風が少しあったので寒い一日だった。

 餅つきの合間に阿蘇山を見上げたら、頂上付近が薄っすらと雪を戴いたように白くなっていたので、帰ってから調べたたところ、はやり初冠雪だということが分かった。新聞によると、九州地方で最も早い初冠雪だそうで、平年よりも十七日遅く、昨年より二十七日遅いそうである。

 昼過ぎの汽車で従兄姉の道子姉、信昭兄、弘子姉が婆様の顔を見に遠路遥々横浜から訪ねてくれた。一昨日鹿児島空港に着いて、佐敷を経て今日、人吉から九州横断特急で宮地駅に着いたのだ。今回が、「今生の」になるかもしれない。

保育園餅つき (1/5) 全10枚
保育園餅つき (2/5) 全10枚
保育園餅つき (3/5) 全10枚
保育園餅つき (4/5) 全10枚
保育園餅つき (5/5) 全10枚


平成19年12月3日(月)

 雨のち晴れ。夜のうちに降りだした雨、朝には上がる、久しぶりに寒さが緩んだ朝になった。

 今日は先日に引き続いて久木野村に薪材の切り出しに行く予定だったが、雨模様の空だったので延期することになった。

 婆様デイケア。

 TOMUさんのお宅にほぼ一日パソコンのサポートに伺う。


平成19年12月2日(日)

 快晴、最低気温、阿蘇乙姫 -3.9℃(06:00)、犬の散歩の時に寒さで軍手の指先が痛かった。

 雲ひとつなく晴れ上がったが、霞がかかったような空で遠方が霞んでいた。

 昨夕は確かに居た猫が朝居なくなっていた。我が家のネコは車のドアが開いているとさっさと乗り込んでしまう癖がある。昨夕、ちょうど宅配便が来たので、その車の中に入り込んで、そのまま遠くに行ってしまったのかもしれないと、宅配業者に問い合わせたがそういう事実は無いという、たかが猫だと思うのだが、家族中で気になって落ち着かない時間が経過した。そして夕方、カミサンたちと小生は別行動で出かけたが、小生が早く帰ってきたところネコのヤツ、ちゃんと戻っていた、我が家では猫は家に入れない、寒い日が続いているので昨夜は多分近所の居心地の良いところに居たのだろう。このあたりには藁が詰まった納屋が沢山ある、その中の一つにでも潜り込んだのかも知れない。

 宿場會の忘年会が、なごみのであった(うっかりしてカメラを持参しなかった)。

 6年前の昨日は船の中だったが、6年前の今日が家族揃っての阿蘇生活のスタートの記念すべき日である、あっという間の6年だった。


平成19年12月1日(土)

 晴れ。久しぶりにキリッと冷え込んだ、最低気温、阿蘇乙姫で-4.3℃(06:00)

 午前中、阿蘇神社の崇敬講社役員会に出席する。

 午後から、熊本市内に行く。朝からカミサンと娘が鉄道で出かけていたが、都合で小生が車で迎えに行くことになったのだ。帰る途中、菊陽町に数日前にオープンしたハンズマンというホームセンターに寄って見た。このハンズマンは九州一円にチェーン店を持つ大型のホームセンターで、ここの扱い商品だけで家が一軒建てられるとうことを謳い文句にしているくらいである。我が家の近くにも何軒もホームセンターがあるが、皆同じような店舗面積なので、どうしても扱い商品の品揃えも同じようになり、ちょっと特殊なものになると売っていない。今回オープンしたハンズマンはその点大いに期待できそうである。オトコという生き物、日曜大工用品などが大好きであるが、そういう点からも楽しみな店である。

 平成13年の同じ日、一家して阿蘇に向けて航海中、船の中だった、丁度丸6年になる。



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